くもみ平成27年 8月号

飯石小学校だより
く
平成 27年度8月号(8月25日発行)
も
み
『自ら学び、よく考え、表現する子』
『生命を大切にし、心豊かで助け合う子』
『明るく、たくましく、実践力のある子』
飯石小学校最後の平和交流学習
校長 星 野 幸 雄
長崎市立山里小学校との平和交流学習は、今回が11回目となりました。平成元年に姉妹校となり、
平成7年からこの交流会が始まりました。記録によりますと、第1回は11月3日~5日にかけて5・
6年生と全教職員で出かけ、児童は山里小学校PTAの計らいによりホームステイをしたと記されて
います。以来隔年で訪問し、今回が飯石小学校としての交流学習は最後となりました。
今年は戦後70年という節目の年での訪問であり、しかも姉妹校を結んだ当時の校長先生(板持盛
穂先生)の孫にあたる6年生の板持一樹君が飯石小学校最後の締めくくりをした、なにか感ずるもの
がある訪問となりました。彼は、次のように約800人の前で発表し
ました。
【前略】
おじいさんは、昔、飯石小学校の校長先生でした。山里小学校
と飯石小学校が姉妹校になったのは、ぼくのおじいさんが校長先生の時
でした。
三刀屋町と山里小学校の交流は、昭和63年、被爆した山里小学校の
壁の一部を譲り受け、永井記念館に展示したことから始まったそうです。
【中略】
飯石小学校はそれまで、毎年6月に「永井博士を偲ぶ週間」を設けて、行事を行っていたそうです。
どのようなことをしていたのかは分かりませんが、今、ぼくたちが行っている博士の生い立ちの家の草
取りにつながっていると思います。山里小学校も、毎年11月に「あの子らの碑」の前で、平和記念式
を行っておられたそうです。
飯石小学校と山里小学校、それぞれが平和への取組をしていることをおじいさんたちは知りました。
そこで、お互いが手を取り合い交流を進めていけば、より博士の想いを考え、受け継いで行くことがで
きるのではないかと考えたそうです。
そして、平成元年11月に、三刀屋町の教育長、永井記念館館長、飯石小学校長が長崎市を訪問して
姉妹校として交流することを約束しました。実際に、平成元年11月2日に訪問し、姉妹校の調印を行
ったそうです。
【中略】
ぼくのおじいさんが努力し、手を取り合ってきた2校の交流は、これで終わりなのでしょうか。ぼく
は、それがとてももったいないと思います。
そこで今この作文を聞いている人に、今日感じたことを多くの人に伝えてほしいです。そうすること
で、より多くの人に平和について考えてもらうことができるはずです。2校だけではなく、より多くの
人と手を取り合っていくことで、ぼくたちがしてきた交流は、本当に意味のあることになり、これから
も多くの人に受け継がれていくのだと思います。【後略】
鎮魂と平和の祈りに包まれた長崎に3日間身を置いた児童は、平和の尊さをかみしめ、それぞれに
新たな決意をもって飯石小学校に帰着しました。貴重な体験をしたことにより、さらに一人一人の心
の中に平和の灯が広がり、それが実生活に必ずや生かされ、また受け継がれていくものと思っていま
す。3日間の交流活動に教育後援会、PTA、雲南市から御支援をいただき感謝します。ありがとうご
ざいました。