神戸の旨い店

随想
うま
神戸の旨い店
佐渡友 吉文
東 急 鷺 沼 駅 前 に「 神 戸 屋 」と い う パ ン 屋 が 出 来 た 。開
お い
店 早 々 中 々 の 盛 況 で あ る 。 神 戸 と い え ば 、「 美 味 し い 」
というイメージがあるらしい。
神 戸 に 神 戸 屋 と い う パ ン 屋 は な い 。昭 和 の 初 期 に 神 戸
のパン職人が大阪で神戸屋という名をつけて始めたパ
ン屋があり、その支店が鷺沼に出来たのであろう。
ド イ ツ の 海 軍 軍 人 が 大 正 十 三 年( 一 九 二 四 年 )に 北 野
町で始めた「フロインドリーフ」というパン屋がある。
粉 を 吟 味 し 添 加 物 を 一 切 加 え ず 煉 瓦 窯 で 焼 く 。仕 込 み か
ら焼き上がりまで六時間かけて焼いたパンは風味があ
り 、午 前 中 に 売 り 切 れ て し ま う 。こ こ の 店 は 昔 N H K の
朝 の 連 続 ド ラ マ で 放 映 さ れ た こ と が あ る 。日 本 の チ ャ ー
チルと呼ばれた故吉田元首相は、
「このパンは美味しい」
と い う こ と で 毎 日 、朝 一 番 に 焼 け た パ ン を J R で 大 磯 ま
で運ばせたという逸話がある。
フロインドリーフより三年早く大正十年(一九ニ一
年 )、 ド イ ツ 人 の ユ ー ハ イ ム 夫 妻 に よ っ て 神 戸 に 出 来 た
洋菓子屋がある。あまりあまくなく、あっさりとして
中 々 美 味 し い 。私 の 通 っ た 神 戸 一 中 で 河 本 晴 雄 先 生 が 体
育 を 教 え て い た 。神 戸 の ド イ ツ 人 サ ッ カ ー 倶 楽 部 の 選 手
で も あ っ た 。戦 後 は 誰 も が 食 べ る も の が 無 く 先 生 も 故 郷
の高山からバターを持って神戸の闇市に売りに来た所、
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ば っ た り ユ ー ハ イ ム 夫 人 に 会 い「 主 人 が 亡 く な り ま し た
の で お 店 を 引 き 受 け て 欲 し い 」と い う こ と で 社 長 に お さ
まった経緯がある。
ユーハイムの特徴は防腐剤などの添加物を一切使わ
な い ケ ー キ を 作 る こ と で あ る 。夏 の 暑 い 時 と か 梅 雨 の 頃
は ケ ー キ が 早 く 痛 む の で 、毎 日 、天 気 を 睨 み な が ら 製 造
するため、中々苦労するらしい。
昭 和 二 十 四 年 ( 一 九 四 九 年 )、 ド イ ツ 人 に よ っ て 「 デ
リ カ テ ッ セ ン 」( 旨 い 店 ) と い う の が ト ー ア ロ ー ド に 開
業 し た 。紅 鮭 の ス モ ー ク ド サ ー モ ン 、鴨 の ロ ー ス ト ハ ム 、
パ テ 、チ ー ズ の い ず れ も 自 家 製 で 中 々 旨 い 。二 階 で こ れ
らの材料を使って美味しいサンドイッチを食べさせて
く れ る 。コ ー ヒ ー も ブ ル ー マ ウ ン テ ン と 最 良 の 物 が 飲 め
る。残ったサンドイッチは箱に詰めて持って帰れる。
中々親切な店である。
所 謂 、灘 五 郷 と い う の は 東 か ら 今 津 、西 宮 、魚 時 、仰
影 、私 の 生 ま れ た 西 郷 と 続 く 。元 三 井 物 産 の 社 長 を 務 め
られ、NHKの会長も務められた池田さんの実家では、
「 初 笑 い 」と い う 酒 を 造 っ て い る が 、弟 さ ん が 私 の 学 校
の 同 窓 な の で 毎 年 暮 に 蔵 出 し の 、何 も 加 え な い 酒 を 戴 い
た。香も良く市販の酒とは全く違った旨い酒である。
六 甲 山 の 裏 側 で は 有 名 な 山 田 錦 が と れ る 。六 甲 降 し の
冷 た い 風 は 酒 を 造 る の に 最 適 で あ る 。丹 波 の 杜 氏 は 酒 造
り の ベ テ ラ ン 揃 い で あ る 。水 は 西 宮 の 宮 水 を 使 う 。こ れ
だけ条件が揃えば旨い酒が出来るのも道理である。
明 石 の 鯛 と い う の は 真 鯛 の こ と を い う 。春 か ら 夏 頃 に
産 卵 期 を む か え る 。一 セ ン チ 位 に 成 長 し た 稚 魚 は 瀬 戸 内
の 藻 場 に 住 み 小 形 甲 殻 類 を 食 べ る 。成 長 に つ れ て 深 海 に
住 む 。二 年 で 二 〇 セ ン チ 、四 年 で 三 〇 セ ン チ 、六 年 で 四
〇センチ位と成長し食べ頃をむかえる。
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明 石 大 橋 の 淡 路 島 に よ っ た 岩 屋 は 、一 番 手 頃 な 釣 場 で
あ る 。本 来 は 一 月 頃 の 寒 い 時 期 に 一 〇 〇 メ ー ト ル 位 の 深
海 に 住 む 鯛 が 一 番 旨 い と さ れ て い る が 、こ れ は 一 寸 素 人
で は 釣 れ な い 。春 に な る と 、ど う や ら 釣 れ る 所 ま で 上 が
っ て く る が 、あ ま り 暖 か く な る と お 腹 に 子 が 出 来 て 鯛 そ
ま ず
の も の が 不 味 く な る 。勿 論 、こ の 頃 で も 養 殖 鯛 よ り は 旨
い 。夏 期 の お 腹 の 子 は 酒 、味 醂 、淡 口 醤 油 で 煮 て 山 椒 の
葉 を の せ て 食 べ る 。身 は 刺 身 に し て 火 で 焙 り 塩 と レ モ ン
うじ お
を か け て 食 べ る と 旨 い 。骨 は 潮 汁 、頭 は 兜 煮 、骨 と 尻 尾 、
鰭は焼いて酒につけると旨い。
神戸の北方但馬地方は質のよい牧草が生育しふるく
から牧草地帯となり牛が飼育される。幕末の慶応年間
( 一 八 六 五 年 ― 六 七 年 )に 外 国 人 居 留 者 を 中 心 に 本 格 的
な 牛 肉 の 需 要 が 高 ま っ た 。明 治 五 年( 一 八 七 二 年 )に 肉
食禁忌の伝統が打ち破られると急速に庶民の食生活の
中 に 牛 鍋 、牛 丼 、ビ フ カ ツ 、串 カ ツ な ど 、和 食 化 さ れ た
肉 食 が 浸 透 す る 。神 戸 牛 の 人 気 は 凄 ま じ く 、明 治 八 年( 一
八 七 五 )に は 一 カ 月 八 百 頭 を 消 費 し た 。当 時 、岸 田 件 之
助 は 元 町 に 大 井 肉 店 を 開 業 す る 。創 業 当 初 の 店 舗 は 愛 知
県 の 明 治 村 に 移 築 さ れ た が 、こ の 店 は 今 日 で も レ ス ト ラ
ンを兼ねて盛業中である。
牛 肉 は 古 く か ら 珍 重 さ れ 、織 田 信 長 、髙 山 右 近 が 食 べ 、
幕 末 の 慶 応 三 年 ( 一 八 六 七 年 )、 中 川 嘉 兵 衛 は 初 め て 食
肉 処 理 場 を 開 き 、 牛 肉 を 売 り 出 し た 。 明 治 五 年 (一 八 七
二 年 )、 明 治 天 皇 も 牛 肉 を 食 さ れ る こ と に な り 、 皇 室 の
正 餐 と な っ た 。神 戸 だ け で 食 肉 加 工 し て も 需 要 に 追 い つ
か ず 、神 戸 の 子 牛 を 三 十 頭 か 四 十 頭 、船 で 運 び 、各 地 で
神 戸 牛 を 各 々 の 土 地 名 に 変 更 、松 坂 牛 、近 江 牛 と い う 名
で飼食し、牛肉を食べる習慣が日本国中に広がった。
えんぎしき
そうめん
平 安 中 期 、 延 長 七 年 ( 九 三 七 年 )の『 延 喜 式 』 に 索 餅
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の 作 り 方 が あ る 。江 戸 前 期 、元 禄 八 年( 一 六 九 五 年 )の
そうめん
そ う め ん
『 本 朝 食 鑑 』に「 素 麺 、俗 に 曽 宇 牟 と 訓 す 」と あ り 、本
くろ
しろ
めん
邦 に て 素 の 字 に 改 め て「 素 は 緇 と 素 の 素 の 如 し 」と あ る 。
と う と さ い じ き
幕 末 、天 保 九 年( 一 八 三 八 年 )の 『 東 都 歳 時 記 』 に よ る
と 、「 七 夕 に そ う め ん を 食 べ る 」 と あ る 。
そ う め ん 作 り に 必 要 な こ と は 、① 水 が 良 く ② 質 の よ い
コ ム ギ 粉 が と れ ③ 胡 麻 油 、綿 実 油 が 得 や す い ④ 冬 の 冷 え
込 み が 厳 し く 乾 燥 に 適 し て い る ― ― こ と で あ る 。こ の 条
い ぼ の
件 に 適 し て い る の が 奈 良 の 三 輪 、播 州( 兵 庫 )の 揖 保 乃
いと
糸と呼ばれる手延ソーメンである。
素 麺 の 名 産 地 に な る に は 、原 料 の 小 麦 の 産 地 で あ る こ
と と 、冬 期 に 乾 燥 し て 雨 が 少 な い と い っ た 自 然 条 件 が 必
要となる。寒晒しが抜群のコシを生む。油と塩で練り、
軒 下 に 吊 る す こ と で 、虫 も 付 か ず に 長 持 ち す る 。そ の 年
の 梅 雨 を 越 し た も の を「 新 物 」二 回 越 え た も の を「 二 年
物 、ひ ね 」三 回 は「 三 年 物 、古 ひ ね 」と し て 市 場 に 出 る 。
三 年 物 は コ シ が あ り 、の ど ご し が 良 い 。そ れ は 素 麺 の 表
面に塗った油がとれて味が高まるからである。
姫 路 の 西 方 、揖 保 川 の 右 岸 に あ る 滝 野 は 脇 坂 三 万 五 千
石 の 城 下 で 武 家 屋 敷 や 古 い 民 家 が 残 っ て い る 。有 名 な の
うすくち
は揖保乃糸と呼ばれる手延素麺と滝野淡口醤油である。
けいろうさん
街 の 西 城 跡 の 鶏 籠 山 公 園 に 三 木 露 風 の「 赤 と ん ぼ の 碑 」、
矢 野 勘 治 の 「 あ ゝ 玉 杯 碑 」、 三 木 清 、 井 原 西 鶴 な ど の 碑
が あ る 。公 園 一 帯 の 竹 林 の 中 に 小 さ な 茶 店 が あ り 、三 回
物 古 ひ ね 素 麺 を 食 べ さ せ て く れ る 。素 麺 の 他 に 揖 保 川 で
獲 れ る 鮎 の 塩 焼 、筍 の 木 の 芽 和 え 、蕗 の 桐 な ど 野 草 の 天
麩羅と土地の物だけで結構な旨い味が楽しめる。
く に
神 戸 と そ の 近 辺 に は 旨 い 物 が 一 杯 あ る 。こ う い う 故 郷
に生まれた私は果報者というべきであろう。
(個人会員)
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