運動トレーニングがメンタルヘルスおよび動脈スティフネスに及ぼす影響

第 30 回若手研究者のための健康科学研究助成成果報告書
(6)
2013 年度 pp.6∼10(2015.4)
運動トレーニングがメンタルヘルスおよび動脈スティフネスに
及ぼす影響 ―生化学的アプローチによる検討―
赤 澤 暢 彦*
及 川 哲 志**
熊 谷 仁**
前 田 清 司*
EFFECTS OF EXERCISE TRAINING ON MENTAL HEALTH AND ARTERIAL
STIFFNESS - INSIGHT FROM BIOCHEMICAL APPROACH Nobuhiko Akazawa, Satoshi Oikawa, Hiroshi Kumagai,
and Seiji Maeda
Key words: aerobic exercise training, arterial compliance, general health questionnaire, stress, corticosteroid.
改善させることが明らかになっている1,6)。すなわ
緒 言
ち、 1 度増大した動脈スティフネスでも運動に
我が国において、ストレスに起因する精神疾患
よって低下することが示されている。更に、運動
は急増しており、がん、脳卒中、心臓病、糖尿病
は不安や抑うつなどの精神的なストレスにも有効
とならぶ「 5 大疾病」として位置付けられている。
である可能性が数多く報告されている5)。これら
特に、中高齢者における精神病床入院患者は増え
のことから運動トレーニングはメンタルヘルスを
続けており深刻な問題となっている。更に、精神
改善させることで動脈スティフネスを低下させて
的なストレスは動脈スティフネスを増大させるこ
いる可能性が考えられる。しかし、健康な中高齢
とが報告されている 。動脈スティフネスの増大
者において、有酸素性運動トレーニングが動脈ス
は、収縮期血圧の上昇、脈圧の開大、左心室の後
ティフネスと精神的なストレスに与える影響を同
負荷増大、
圧反射受容器の低下などを引き起こし、
時に検討した研究は見当たらない。そこで本研究
心疾患の独立した危険因子となる 。これらのこ
では、健康な中高齢者を対象に有酸素性運動ト
とから、精神疾患に罹患する前から中高齢者の精
レーニングがメンタルヘルスおよび動脈スティフ
神的なストレスを軽減させるなどメンタルヘルス
ネスに及ぼす影響を検討することを目的とした。
7)
4)
を管理することによって、動脈スティフネスの増
研 究 方 法
大を抑制することが非常に重要であると考えられ
る。
A.対象者
動脈スティフネスは精神的なストレスだけでな
50歳以上の健康な中高齢者(61
く加齢によっても増大するが、中高齢者における
を対象とした。被験者は任意に運動トレーニング
有酸素性運動トレーニングは動脈スティフネスを
群(n = 14)とコントロール群(n = 13)の 2 群
*
**
筑波大学体育系
Faculty of Health and Sport Sciences, University of Tsukuba, Ibaraki, Japan.
筑波大学大学院人間総合科学研究科 Graduate School of Comprehensive Human Sciences, University of Tsukuba, Ibaraki, Japan.
1 歳)27名
(7)
に分かれた。心血管疾患に関連した既往歴がある
∼ 2 cm 近位の血管径を解析した。また、血管画
者、心血管疾患に関連した薬を服用している者、
像とは反対側の頸動脈における圧波形を記録し、
喫煙習慣のある者は対象より除外した。また、女
上腕血圧で補正することで頸動脈圧を解析した。
性では、閉経より 2 年以上経っている者を対象に
頸動脈コンプライアンスは以下の式から算出した。
した。実験に先立ち、すべての被験者に対して、
実験の目的と内容について説明し、実験に参加す
頸動脈コンプライアンス=
πD0]
[(D1− D0)/D0]
[
/ 2(P1− P0)
る同意書を得た。なお、本研究は筑波大学体育系
D1:心収縮期最大頸動脈径
の承認を得て実施した(承認番号:体25-127)。
D0:心拡張期最小頸動脈径
B.運動トレーニング
運動トレーニング群は自転車運動およびウォー
P1:心収縮期頸動脈血圧
P0:心拡張期頸動脈血圧
キングを中心とした有酸素性運動を12週間実施し
2 .心拍数および血圧
た。週 2 回は監督下で自転車運動を行い、それ以
安静仰臥位における心拍数および上腕血圧をオ
外は自宅でウォーキングを行った。トレーニング
シロメトリック法にて自動的に測定した(Form
1 週目は運動に慣れるため、比較的低強度(60%
PWV/ABI)。
HRmax)で30分間の有酸素性運動を行った。トレー
3 .血液生化学データ
ニング 2 週目以降は、運動強度を65∼80% HRmax、
上腕静脈より採血した血液から、LDL コレス
運動時間を30∼60分、運動頻度を週当たり 3 ∼ 6
テロール値、HDL コレステロール値、デヒドロ
日に設定してトレーニングを行った。運動介入を
エピアンドロステロン(DHEA-S)、コルチゾー
行わないコントロール群の被験者には介入期間中
ルを測定した。
の身体活動を変えないように指示した。
4 .精神健康調査票
C.測定項目
GHQ60を用いて精神的なストレス状態を評価
すべての測定は室温を調節した静かな部屋で行
した。GHQ は Goldberg により開発された質問紙
われた(24∼26℃)
。被験者には、測定開始前12
法で精神障害の疫学調査に使用されている。本研
時間以内のアルコールまたはカフェインを含む飲
究では中川ら3)によって作成された日本語版を使
食および24時間以内の激しい運動を控えさせた。
用した。
20分以上の安静後に、仰臥位にて動脈スティフネ
5 .最高酸素摂取量
スの指標として頸動脈コンプライアンスを評価
VO2peak は自転車エルゴメータを用いた最大運
し、座位にて採血を行った。その後、精神健康
動負荷試験にて測定した。被験者は20 W で 2 分
調 査 票(The General Health Questionnaire 60;
間のウォーミングアップの後、 1 分ごとに10 W
GHQ60)をメンタルヘルスの指標として行った。
ずつ漸増する負荷で疲労困憊になるまで自転車運
また、別の日に最大運動負荷試験による最高酸素
動を続けた。
摂取量(VO2peak)を測定した。これらの測定は12
●
●
D.統計処理
週間の介入前後に行った。
本研究におけるデータを平均値
1 .頸動脈コンプライアンス
示した。運動トレーニング群とコントロール群そ
超 音 波 診 断 装 置(En Vsior, Koninklijke Philips
れぞれにおける各項目の介入の効果を検討するた
Electronics, Netherland)およびトノメトリセンサー
めに対応のある t 検定を行い、両群の群間差を検
(Form PWV/ABI, Colin Medical Technology, Japan)
討するために対応のない t 検定を行った。また、
を用いて得られた頸動脈血管画像と頸動脈血圧か
介入前の値を共変量とした共分散分析を用いて各
ら総頸動脈のコンプライアンスを動脈スティフネ
群における平均値の差を比較した。本研究におけ
スの指標として測定した。総頸動脈血管画像は超
る統計的有意水準を 5 %に設定した。
音波診断装置にリニア型で7.5 MHz のプローブを
装着し、B モード法で記録した。頸動脈洞から 1
標準誤差で
(8)
コンプライアンスの変化率はコントロール群の変
結 果
化率より有意に高値を示した(P < 0.05)。また、
12週間の運動トレーニング介入前後の身体的特
運動トレーニング群の GHQ60の変化率はコント
性の変化を表 1 に示す。12週間の有酸素性運動ト
ロール群の変化率より有意に低値を示した(図 2 ,
レーニングにより、体重が低下し、VO2peak は増
P < 0.05)。なお、介入前の値を共変量とした共分
加 し た(P < 0.05)。 コ レ ス テ ロ ー ル、 血 圧、
散分析を用いて介入前後の変化を比較したとこ
DHEA-S およびコルチゾールの血中濃度に有意な
ろ、頸動脈コンプライアンスおよび GHQ60とも
変化は認められなかった。なお、コントロール群
に有意な差が認められた(P < 0.05)。
●
ではいずれの項目も有意な変化はなかった。
考 察
介入前後における頸動脈コンプライアンスの変
化率を図 1 に示す。運動トレーニング群の頸動脈
本研究において、中高齢者における12週間の有
表 1 .被験者の身体的特性
Table 1.Selected subject characteristics.
Control
Exercise training
Before
n(male/female)
After
Before
After
13(2/11)
14
(2/12)
Age(years)
61
2
63
1
Height(cm)
161
3
158
1
Weight
(kg)
58
4
58
4
60
2
59
2*
HDL cholesterol
(mg/dl)
62
5
60
4
60
3
61
4
LDL cholesterol
(mg/dl)
138
6
140
6
134
8
132
10
Systolic blood pressure(mmHg)
121
5
120
4
122
4
122
4
74
Diastolic blood pressure
(mmHg)
74
3
72
2
3
74
2
DHEA-S(μg/dl)
111.4
13.5
103.7
12.5
96.6
17.8
101.4
10.3
Cortisol(μg/ml)
7.7
0.7
7.5
0.8
6.7
0.7
7.5
0.6
DHEA-S/cortisol ratio
15.5
2.0
14.9
1.9
15.3
2.7
13.7
1.2
(ml/kg/min)
VO2peak
23.1
0.9
22.7
0.9
21.7
0.7
24.5
0.8*
●
Mean SE. HDL; High-density lipoprotein, LDL; Low-density lipoprotein, DHEA-S; Dehydroepiandrosterone salphate, VO2peak; Peak
oxygen uptake. * P < 0.05 vs. Before intervention.
50
(%)
Control
Control
Exercise training
Exercise training
(%)
30
P < 0.05
40
30
20
10
0
図 1 .介入前後における頸動脈コンプライアンスの変化率
Fig.1.Changes in carotid arterial compliance in response to
intervention.
P < 0.05
20
Changes in GHQ60
Changes in carotid arterial compliance
●
10
0
-10
-20
-30
図 2 .介入前後における GHQ60 の変化率
Fig.2.Changes in GHQ60 in response to intervention.
GHQ; General health questionnaire.
(9)
酸素性運動トレーニングは GHQ60および頸動脈
腎皮質束状層よりコルチゾールなどの糖質コルチ
コンプライアンスを改善させることが示された。
コイドが分泌される。コルチゾールが慢性的に高
すなわち、継続的な有酸素性運動はメンタルヘル
濃度になると免疫機能の低下や海馬の細胞に障害
スを良好にし、動脈スティフネスを低下させるこ
が生じる2)。一方で、副腎皮質の網状層から分泌
とが示唆された。
される DHEA はコルチゾールを調節する働きが
これまでに多くの先行研究により、有酸素性運
あり、コルチゾールの過度な上昇を抑えている。
動トレーニングは動脈スティフネスを低下させる
先行研究では、コルチゾールの上昇と DHEA の
ことが明らかにされている
。著者らは閉経後女
低下やコルチゾールと DHEA の比は、うつ病な
性における 8 週間の有酸素性運動トレーニングに
どの精神障害と関連することが報告されてい
よって動脈スティフネスが低下することを報告し
る 8)。しかし、本研究ではコルチゾール、DHEA
ている1)。更に、Tanaka et al.6)も中高齢男性を対
およびコルチゾール/ DHEA 比いずれも介入前後
象に、12週間の有酸素性運動トレーニングが動脈
で有意な変化は認められなかった。これらのこと
スティフネスを低下させることを報告している。
から、精神状態の改善が動脈スティフネスを低下
本研究においても先行研究同様に、中高齢男性お
させるメカニズムには、これら視床下部−下垂体
よび中高齢女性における動脈スティフネスは12週
前葉−副腎皮質(HPA 系)に関するストレスホ
間の有酸素性運動トレーニングによって改善する
ルモン以外の因子が関与している可能性が考えら
ことが示された。加齢や精神的ストレスによる動
れる。したがって、これら以外のストレスマー
脈スティフネスの増大は心血管イベントのリスク
カーが動脈スティフネスに及ぼす影響についても
を高める。これらのことから、中高齢者の有酸素
検討することが今後の課題であると考えらえる。
1,6)
性運動トレーニングは心疾患のリスクを軽減させ
ることが示唆された。
総 括
本研究では、介入前後における運動トレーニン
本研究は、中高齢者における12週間の有酸素性
グ群とコントロール群の GHQ60の変化率に有意
運動トレーニングがメンタルヘルスおよび動脈ス
な差が認められた。このことは、有酸素性運動ト
ティフネスに及ぼす影響を検討した。運動トレー
レーニングの実施は精神的ストレスを軽減させ
ニング群とコントロール群の GHQ60および頸動
て、メンタルヘルスを良好にする可能性を示唆し
脈コンプライアンスの変化率には有意な差が認め
ている。先行研究においても運動トレーニングは
られた。これらのことから、継続的な有酸素性運
精神的ストレスを軽減させることが報告されてい
動はメンタルヘルスを向上させることで動脈ス
る 。一方、うつ病などの精神疾患は動脈スティ
ティフネスを低下させる可能性が示唆された。
5)
フネスを増大させることが報告されている。すな
わち、メンタルヘルスの悪化と動脈スティフネス
の増大は関係すると考えられている。本研究で
謝 辞
本研究を実施するにあたり、ご協力いただきました参
加者の皆様、共同研究の皆様、運動トレーニング教室の
は、介入前後における頸動脈コンプライアンスの
運営にご尽力いただきました筑波大学前田研究室の皆様
変化率にも両群間で有意な差が認められた。これ
に重ねて御礼申し上げます。更に本研究を遂行するにあ
らのことから、有酸素性運動トレーニングが精神
的なストレスを減らし、メンタルストレスを改善
させることで、動脈スティフネスを低下させてい
る可能性が考えられる。 精神的ストレスの軽減が動脈スティフネスを低
下させるメカニズムについては、本研究からは明
らかにできない。ヒトはストレスを受けると、視
床下部から副腎皮質刺激ホルモンが分泌され、副
たり、多大なる助成を賜りました公益財団法人明治安田
厚生事業団に深く感謝申し上げます。
参 考 文 献
1)Akazawa N, Choi Y, Miyaki A, Tanabe Y, Sugawara J,
Ajisaka R, Maeda S(2012)
: Curcumin ingestion and exercise training improve vascular endothelial function in postmenopausal women. Nutr Res, 32, 795-799.
2)McEwen BS(1998)
: Protective and damaging effects of
stress mediators. N Engl J Med, 338, 171-179.
(10)
3)中川泰彬,大坊郁男(2012):日本版 GHQ 精神健康
DeSouza CA, Seals DR(2000)
: Aging, habitual exercise,
調査票手引(増補版).増補版第 1 版,日本文化科学
and dynamic arterial compliance. Circulation, 102, 1270-
社,東京.
1276.
4)O Rourke M(1990): Arterial stiffness, systolic blood pres-
7)Tiemeier H, Breteler MM, van Popele NM, Hofman A,
sure, and logical treatment of arterial hypertension. Hyper-
Witteman JC(2003)
: Late-life depression is associated
(4), 339-347.
tension, 15
with arterial stiffness: a population-based study. J Am
5)Reed J, Buck S(2009): The effect of regular aerobic exercise on positive-activated affect: A meta-analysis. Psychol
Sport Exerc, 10, 581-594.
6)Tanaka H, Dinenno FA, Monahan KD, Clevenger CM,
Geriatr Soc, 51, 1105-1110.
8)Young AH, Gallagher P, Porter RJ(2002): Elevation of
the cortisol-dehydroepiandrosterone ration in drug-free patients. Am J Psychiatry, 159, 1237-1239.