廃棄物を化学する(17)

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廃棄物を化学する(17)
循環資源研究所 所長
村田 徳治
廃棄物処理と高圧化学
蒸気機関と硬水
ジェームス・ワットの改 良 により、格 段 に進 歩 した蒸 気 機 関 は、産 業 革 命 の原 動 力
になった。ヨーロッパはカルシウムやマグネシウム濃 度 の高 い水 が多 く、このような水
をボイラーで加 熱 すると、炭 酸 カルシウム・炭 酸 マグネシウム・硫 酸 カルシウム
(CaSO 4 : 石 膏 )等 がボイラー壁 面 や蒸 気 パイプに硬 い石 となって析 出 する。これを缶
石 という。硬 い石 が析 出 する水 なので硬 水 という。硬 水 と言 っても水 自 体 が硬 いわけ
ではない。蒸 気 機 関 が鉱 山 や工 場 ばかりでなく、汽 船 や蒸 気 機 関 車 にまで普 及 する
と、蒸 気 パイプが缶 石 で詰 まり、ボイラーが大 爆 発 する事 故 が相 次 いだ。多 発 するボ
イラーの爆 破 事 故 が、ヨーロッパにおける高 圧 技 術 を進 歩 させるきっかけとなった。
硬水と缶石の生成反応
不 溶 性 の炭 酸 カルシウム(CaCO 3 :石 灰 石 )は、大 気 中 の炭 酸 ガスが水 に溶 けた炭
酸 H 2 CO 3 に溶 けて、炭 酸 水 素 カルシウムCa(HCO 3 ) 2 (重 炭 酸 カルシウム)になる。
CaCO 3 + CO 2 + H 2 O → Ca(HCO 3 ) 2 ・・・(硬 水 の生 成 反 応 )
硬 水 を加 熱 すると、重 炭 酸 カルシウムは元 の炭 酸 ガスと炭 酸 塩 に分 解 する。
Ca(HCO 3 ) 2 → CaCO 3 + CO 2 + H 2 O・・・(重 炭 酸 カルシウムの分 解 ・析 出 )
マグネシウムMgの場 合 、反 応 式 中 のCaをMgに置 き換 えただけの反 応 式 で示 すこ
とができる。
硬 度 の基 準 は分 析 技 術 があまり発 達 していなかった時 代 に決 めたものであり、ヨ
ーロッパとアメリカでは異 なる。蒸 気 機 関 が減 った現 代 社 会 では、化 学 的 にも、飲 み
水 の基 準 としても、あまり意 味 はなく、Ca 2 + イオンやMg 2 + イオン濃 度 で表 示 すべきもの
であるにもかかわらず水 の分 野 では、相 変 わらず硬 度 やアルカリ度 が通 用 している。
高 圧 化 学 の発 達
アンモニアNH 3 の合 成 (空 中 窒 素 固 定 法 )
1906年 、ドイツの化 学 者 ハーバーとボッシュは、石 炭 と水 から造 った水 素 H 2 と、空
気 の成 分 であ る窒 素 N 2 を 原 料 に して、鉄 を 主 体 とした触 媒 を用 いて、 400~600℃・
200~1000気 圧 の高 温 高 圧 で、アンモニアNH 3 を合 成 する方 法 を開 発 した。この空 中
窒 素 固 定 法 は、開 発 者 の名 をとってハーバー・ボッシュ法 ( Haber–Bosch process)
またはハーバー法 (Haber process)という。
N 2 + 3H 2 → 2NH 3
小 麦 の育 成 には窒 素 肥 料 が必 要 だが、痩 せた土 地 が多 いドイツでは小 麦 の栽 培
は困 難 で、主 要 な穀 物 生 産 はチリ硝 石 NaNO 3 などの海 外 の窒 素 肥 料 に頼 るか、痩
せた土 壌 に強 いライ麦 を栽 培 するか、ジャガイモに頼 らざるを得 なかった。
ハーバー法 は、ア ンモニ アの大 量 生 産 を 可 能 に し、多 量 の化 学 肥 料 が 農 地 に 供
給 されたため、穀 物 の生 産 量 が増 大 し、世 界 の人 口 は急 速 に増 加 した。
化 学 肥 料 として農 地 に撒 かれた窒 素 化 合 物 のうち、農 作 物 が吸 収 しきれなかった
分 は、雨 水 によって川 から海 へ流 入 したり、生 物 分 解 されて窒 素 ガスとなって、空 気
中 に放 出 されている。過 剰 な窒 素 化 合 物 (肥 料 成 分 )の閉 鎖 性 水 域 への蓄 積 は、赤
潮 の発 生 やアオコの異 常 増 殖 などの富 栄 養 化 をひき起 こすことになった。現 在 、富
栄 養 化 はバルト海 やメキシコ湾 などでも発 生 している。
アンモニアを酸 化 すると硝 酸 HNO 3 になることは知 られていたが、ハーバー法によるア
ンモニアの生産は、爆薬の原料になる硝酸の大量生産を可能にした。
2NH 3 + 4O 2 → 2HNO 3 +2H 2 O
そのためドイツは、第一次世界大戦で使用した火薬原料の窒素化合物の全てを国内で賄
うことができた。
ハーバーはアンモニア合成の業績により1918年にノーベル化学賞を受賞したが、第一次
世界大戦中にドイツの毒ガス開発を主導していたために物議を醸した。BASF社で工業化を
指導したボッシュも1931年にノーベル化学賞を受賞している。
高温高圧を必要とするハーバー法に代わる新たな化学的窒素固定の研究も行われており、
これまでにモリブデンやタングステンの錯体を用いて、温和な条件で空中窒素からアンモニア
を製造する例が報告されているが、ハーバー法に比べると1万倍以上の費用を要し、現在で
も、ハーバー法に代わる空中窒素固定技術は開発されていない。
石炭液化(フィッシャー・トロプシュ法 Fischer-Tropsch process、FT法)
FT法は、石炭を熱分解して製造する合成ガス(一酸化炭素COと水素H2)から、鉄やコバルト
の化合物を触媒にして高温高圧で石油(炭化水素)を合成する技術である。この技術は、石炭
は豊富に賦存するが、石油を産出しないドイツで石炭(固体燃料)から石油(液体燃料)を造る
技術としてカイザー・ウィルヘルム研究所のF-フィッシャー (Franz Fischer) とH-トロプシュ
(Hans Tropsch) によって1920年代に開発された。今日では類似する方法の総称として「フィッ
シャー・トロプシュ:FT」の名が用いられている。
第二次世界大戦中のドイツでは液体燃料(エルザッツ Ersatz)をFT法で製造し、1944年に
は25工場から1日当たり124000バレル、年間650万トンに達する量が製造された。日本でも、
FT法による石炭から石油を製造することが試みられたが、技術面で工業化できなかった。
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人種隔離政策で経済制裁を受けた南アフリカ共和国では、石油の輸入ができず、サソール
(SASOL) 社が国内資源の石炭と天然ガスを原料にしてFT法で種々の合成石油製品を製造
している。
湿 式 酸 化 法 (ジンマーマン法 Zimmerman Process)
1935年 、アメリカ人 Zimmermanは、化 学 パルプ製 造 工 程 から発 生 する黒 液 を加 圧
空 気 で部 分 酸 化 すると、黒 液 中 のリグニンがバニラアイスや洋 菓 子 の香 料 として使
われるバニリンに変 化 することを発 見 し、黒 液 からバニリンを製 造 する方 法 を開 発 し
た。これが発 明 者 の名 前 をとったZimmerman Process(ジンプロ)である。その後 、高
水 分 の泥 炭 からエネルギー回 収 がジンプロにより実 用 化 された。余 談 になるが 20年
ほど前 、オーストラリアのスパーで未 晒 パルプ製 の茶 色 いトイレットペーパーを購 入 し
た。20年 以 上 経 過 した紙 は、ゴワゴワからしなやかに変 化 し、ほのかにバニラの甘 い
香 りがしていた。永 い年 月 の間 にパルプに付 着 していたリグニンが酸 化 されてバニリ
ンに変 化 したものと思 われる。
常温常圧の水中でも有機物は酸化されるが、酸化速度がきわめて遅い。
高濃度の有機性廃棄物(屎尿・下水汚泥等)に高温高圧下で、空気を吹き込むと水中で湿
式酸化され、二酸化炭素(炭酸ガス)・窒素ガス・水・低分子有機物などに分解する。水中で有
機物が、炎や煙を出して燃えるわけではないので、二酸化硫黄・窒素酸化物・ばいじんなど
の大気汚染物質は発生しない。また、有機性廃棄物中に含まれていた金属化合物や燐酸塩
は、不溶性になり脱水ケーキと共に除去することができる。
湿式酸化(ジンプロ)は、焼却処理のように水の蒸発潜熱に熱エネルギーが奪われること
はなく、ひとたび酸化反応が始まれば有機物の酸化に伴う発熱で反応は持続し、補助燃料は
必要ない。有機物濃度 (COD)の高い廃棄物ほど、熱 エネルギーの発 生 量 が多 いので、
酸化分解で発生する蒸気やガスを熱や電力としてエネルギー回収することができるが、酢酸
のような低分子で安定な有機物を100%酸 化 分 解 させることはできない。 しかし、通常は
エネルギー消費や耐圧容器の設備費用など、経済性から、さほど高温高圧で操業してはい
ないので、安 定 な低 分 子 有 機 物 (酢 酸 等 のBOD成 分 )が残 ってしまい、これを活 性 汚
泥 法 などで生 物 処 理 しなければならなかった。これが原 因 でジンプロはあまり普 及 し
なかった。
湿式酸化(ジンプロ)の事例
屎 尿 や下 水 汚 泥 ・ソーダ法 パルプ廃 液 ・ア クリ ロニトリ ル製 造 廃 液 ・コークス炉 ガ
ス液 ・醸 造 工 場 のモロミ廃 液 ・みそ製 造 工 場 の大 豆 煮 汁 などが湿 式 酸 化 法 によって
処 理 された実 績 があり、パルプ廃 液 ではソーダ回 収 と水 蒸 気 回 収 が行 われている。
濃 厚 シアンめっき廃 液 等 のシアン化 合 物 の分 解 にも湿 式 酸 化 は利 用 されている。
通 常 の下水汚泥など高水分有機物は、脱水せずに3~6%のスラリー状のまま、温度200
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~260℃・圧力80~90kg/㎠の条件下で酸化分解している。下 水 汚 泥 のCODは約 6万 ppm
である。即 ち汚 泥 100kg中 の有 機 物 により6kgの酸 素 が消 費 されることになる。
1kg の COD は 16.25Mj ( メ ガ ジ ュ ー ル ) の 熱 量 を 発 生 す る の で 、 汚 泥 1kg か ら
0.97Mj(約 4,000kcal)の熱 量 が理 論 的 には得 られることになる。
ジンプロでは汚泥を濃縮するだけで、脱水する必要がないので濾過助剤や濾過機も不要
であり、管理のやっかいな濾過操作が省ける。濾過助剤が混入しないので酸化分解した残渣
の量は、元の汚泥の2%程度にまで減容する。また、残渣の脱水濾過は容易で凝集剤などは
不要である。
触媒湿式酸化法(CWO)
コークス炉から発生するガス液と称する廃液には、シアン化合物・フェノール・ベンゼンなど
生物に毒性のある成分が含まれている。ガス液は、水質汚濁防止法制定当初、活性汚泥法
で処理していたが、その処理効果はほとんどなかった。
大阪ガスは、都市ガス製造で培った触媒技術をベースに、ガス液など生物処理困難な産
業廃水処理用にジンプロの欠点を解消する技術(触媒湿式酸化プロセス:CWO)を開発した。
触媒を使用して難分解性有機物も分解できる触媒湿式酸化法は高濃度有機排水やアンモ
ニア含有廃水処理に適している。コークス炉廃液(ガス液)の湿式酸化処理における運転条件
は、酸化温度 250℃・圧力 7MPa(70kg/㎠)程度である。
触媒としては、チタニア・ジルコニア・アルミナ等の担体に、貴金属成分あるいは卑金属成
分を数%担持させたものが用いられている。触媒を使用するため、湿式酸化の弱点であった
酢酸が残留するという問題も解決され、酢酸は炭酸ガスと水に酸化分解される。触媒を用い
た接触湿式酸化ではアンモニアは窒素に、硫黄化合物は硫酸にまで酸化される。
酸素富化空気または純酸素を用いれば、エネルギー回収はさらに有利になる。
大阪ガスは、全ての可燃性廃棄物(紙・プラスチック・生ゴミなど)を高濃度に液体化する可
溶化塔などを設けることで、可燃物の処理(処理能力:30kg/日)も可能にする新型アクアルー
プシステム(生物処理+触媒湿式酸化処理)を開発した。
このシステムは、ランニングコストが低く、廃熱回収利用できる。可溶化塔に投入された紙・
プラスチック・生ゴミ等は、高温高圧下で酢酸等の低分子有機酸に酸化分解され、水溶液と
なる。生成した有機酸等はさらに触媒反応塔(150~300℃、圧力1~10Mpa)で酸化分解し、
水・窒素・炭酸ガス・余剰酸素が主成分の排ガスに分解される。このシステムで処理された水
の BOD・SS は 2~3ppm で水道水並みのきれいな水になるので、処理水は中水として植栽の
散水やトイレに再利用できる。窒素酸化物や硫黄酸化物は、環境基準レベルまで浄化され、
ダイオキシン濃度も基準値よりはるかに低い値なる。また、プロセスから発生した廃熱の高効
率な有効利用が可能になる。
亜臨界水熱分解法
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近年、酸素(空気)を用いず、高温高圧で生ゴミ等を湿式水熱分解する亜臨界水熱分解法
も開発されている。この方法で生ごみを水熱分解した後、メタン発酵を行うとメタンの発生量
が大幅に上昇することが知られている。
加 圧 殺 菌 とSTAP細 胞
食 品 加 工 の分 野 では、加 熱 殺 菌 とはまったく異 なる常 温 での高 圧 殺 菌 処 理 が実
用 化 されている
高 圧 殺 菌 の特 徴
*有 機 物 の共 有 結 合 が開 裂 しないので、栄 養 素 の破 壊 や異 臭 の 発 生 が少 なく、有
害 な物 質 も生 成 しない。
*高 圧 処 理 による非 加 熱 殺 菌 法 は高 温 にしないので、色 や香 りを残 したまま食 品 を
殺 菌 することが可 能 になる。
*瞬 時 に圧 力 が均 一 に伝 わることで調 理 ムラがなく、短 時 間 で殺 菌 ができる。
*加 圧 殺 菌 に要 するエネルギーは加 熱 殺 菌 の約 1/16であり、殺 菌 に 要 するエネル
ギーを少 ない。
高 圧 処 理 に よる食 品 加 工 は、非 加 熱 殺 菌 法 と して、ジ ャムやジ ュース、よもぎ餅
(ヨモギのみを 高 圧 処 理 )などが商 品 化 されている。タンパク質 やデンプンへの高 圧
処 理 により今 までにない食 品 が期 待 されている。
STAP細 胞 に対 する疑 問
「生 物 細 胞 学 の歴 史 を愚 弄 する」と酷 評 された STAP細 胞 について、テレビや新 聞
で見 ただけの乏 しい情 報 を基 に、細 胞 に対 する知 識 の皆 無 な門 外 漢 から見 当 違 い
からも知 れない意 見 を述 べてみたい。
哺 乳 動 物 の細 胞 がpHを変 えただけで、幹 細 胞 に戻 るのであったら、胃 の中 では年
がら年 中 、幹 細 胞 ができていなければならない。当 事 者 が、気 付 いていないか、ある
いは知 っていてもコツ(ノウハウ)として秘 密 にしているのか、知 る由 もないが、細 胞 分
離 の段 階 でキャピラリ ー(毛 細 管 )を通 す工 程 である。毛 細 管 を通 すためには、地 表
の生 物 が日 常 うける気 圧 よりはるかに 高 圧 を かけているはずであ る。毛 細 管 を 通 し
ただけでも幹 細 胞 を生 じるということなので、幹 細 胞 になる条 件 は、 pHよりむしろ、圧
力 と温 度 と時 間 に関 係 があるのではないか。高 圧 殺 菌 の事 例 からもあまり高 圧 にす
れば、細 胞 は破 壊 され死 んでしまう。細 胞 が破 壊 される寸 前 まで加 圧 すると、細 胞 は
生 き残 るために幹 細 胞 にまで変 化 するのではないか。
因 みに妊 娠 中 の女 性 がダイエットをすると、母 体 の生 活 環 境 が飢 餓 状 態 にあると
認 識 した胎 児 の細 胞 は、肥 満 児 になるように変 化 するという。
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引用・参考文献
1)
村田徳治 正しい水の話 はまの出版 1996年11月
2)
ja.wikipedia.org/wiki/ja.wikipedia.org/wiki/窒素固定
3)
ja.wikipedia.org/wiki/ハ ー バ ー ・ ボ ッ シ ュ 法
4)
ja.wikipedia.org/wiki/フ ィ ッ シ ャ ー ・ ト ロ プ シ ュ 法
5)
jsts.kahaku.go.jp/tokutei/pdfs/0420.pdf
6)
www.echigoseika.co.jp/freecontents-15/detail_freecontents-15_contseq_4.html
7)
村田徳治
新訂廃棄物のやさしい化学
メルマガ講座 廃棄物を化学する
第 3巻
日報出版
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56号 廃棄物を化学する(7)
57号 廃棄物を化学する(8)
58号 廃棄物を化学する(9)
59号 廃棄物を化学する(10)
60号 廃棄物を化学する(11)水俣条約と水銀
61号 廃棄物を化学する(12)水俣条約と水銀2
62号 廃棄物を化学する(13)
63号 廃棄物を化学する(14)
64号 廃棄物を化学する(15)
65号 廃棄物を化学する(16)
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2008年 5月