メディアは同じ過ちを犯すのではないかー

<図書新聞2006
図書新聞2006、
2006、2,11>
11>
●前坂俊之者『
前坂俊之者『メディアコントロールー日本
メディアコントロールー日本の
日本の戦争報道』(
戦争報道』(旬報杜
』(旬報杜)
旬報杜)を読む(書評)
書評)
メディアは
メディアは同じ過ちを犯
ちを犯すのではないかー
すのではないかー
沢田猛((毎日新聞社会部編集委員)
改憲論議が具体性を帯びて、在日米軍の再編協議の報告か大詰めを迎える中、戦後6
0年の節目にも合わせて、刊行されたのか本書である。
国家を揺るがす戦争報道で真実は伝えられたのか、隠蔽されたのか。
戦前の満州事変から日中戦争、そして太平洋戦争。さらに戦後のベトナム戦争から湾岸
戦争までの 70 年有余の間に起こった戦争で、国家によるメディア規制はどのように行われた
のか。
メディアによる情報操作の実態とともに、メディアの戦争責任を明らかにしている。戦争とメデ
ィアの関わりを研究テーマの一つとして選び、四半世紀以上にわたり追跡してきた著者の総
決算ともいえる作品だ。
著者は十数年前、『兵は凶器なりー戦争と新聞 1926-1935』『言論死して国つい
に亡ぶ、戦争と新聞 1936-1945』(いずれも社会思想社)を出版し、大新聞といわれ
たメディアが戦争への道を突き進んでいく中で、いかに言論が変節を遂げていったか、その過
程を多くの資料の渉猟と取材で浮き彫りにすると同時に、新聞の戦争責任を検証した。
本書はこの検証の軸を現代の戦争にまで延ばした点が、先行の二作品にはない際立った
特徴である。
まず取り上げられたのか満州事変。著者は事変後の社説に注目する。事変前に軍部の
独走に対し他の新聞に比べ、批判的だった朝日新聞が事変後、関東軍の行動を自衛権
の発動として全面的に擁護し、
「満蒙の独立、成功せば、極東平和の新保障」と方向転換したことを指摘、軍部の圧力に
脆いメディアの体質と、軍部の謀略と先制攻撃で次々に作り出されていった既成事実の追
1
認に歯止めをかけられなかったメディアの責任に言及している。
以後、満州国の独立、国際連盟脱退、日中戦争、太平洋戦争へと国民を戦争にかり立
てていく〝言論報国〟への変節を明らかにしているか、当時の新聞が厳しい統制や検閲の
下に置かれ、軍部や政府には被害者の立場でも国民に対しては恐るべき加害者であった
点を著者は見過ごさない。
戦後の戦争報道はベトナム戦争から検証されている。著者は日本のメディアのベトナム報
道を高く評価。その嚆矢が毎日新聞の大森実外信部長らによる連載企画だった。米軍側
だけの取材によらず、銃爆撃される側の解放勢力にも潜入、それまで知られていなかったベ
トナム戦争の実態を鋭くえぐり出した。戦前のメディアが敗北した教訓とジャーナリズムの客観
性が生かされ、国際的にも反響を呼んだと著者は力をこめる。
これとは対照的にベトナム戦争で苦い体験した米政府は湾岸戦争では徹底した情報統制
で臨んだ。そして、情報統制がさらに進む中で、著著が注目したのは、オサマ・ビンラディンの
ビデオ放映で一躍世界のメディアにのし上がったペルシャ湾岸の産油国ヵタールの衛星放送
「アルジャジーラ」だった。
反米的でテロリストの宣伝機関との批判をよそに、著者はアルジャジーラの本社を直接訪
ね、イラクの戦争報道について編集長にインタビュー。
「1つの意見、もう1つのの意見(One Opinion the Other Opinion)という伝統的な社
是を変えるつもりはありません」という客観報道に徹したその姿勢に共感し、ジャーナリズム本
来の在り方を現地で確かめている。
では、日本のメディアはイラク戦争をどう報じたのか。開戦前に大手メディアはリスクを伴うバ
グダッドから一斉に引き上げ、現場取材を放棄した。最も重要な取材ポイントで危険度の
高い首都はフリーランスに任せたのである。ベトナム戦争で見せた報道姿勢からの大幅な後
退だった。
戦争で最初に犠牲になるのは真実だといわれる。その真実を伝えなければならないメディア
が権力に迎合し屈したとき、どういう事態が起こるのか。著者は含蓄に富むエピソードを引用
している。
満州事変から太平洋戦争にかけて朝日新聞の編集局長で主筆もつとめた緒方竹虎が戦
後に語った苦い教訓である。
2
「僕は今から考えて中央の大新聞が一緒にはっきり話し合いができて、ある適当な時期に防
げば、防ぎ得たのではないか。軍の政治干与を抑えるということを満州事変の少し前から考
えもし、手をつけておれば出来たんじゃないか。軍というものは日本が崩壊した後に考えてみ
て、大して偉いものでも何でもない。軍の方からいうと、新聞が一緒になって抵抗しないかとい
うことが大きな脅威であった。そうしなかった責任を感ぜざるを得ない」。
慄然とする〝自らを罪するの弁″である。
戦争報道で一番大切なのは速報以上に検証記事であると著者は繰り返し論じ、痛切な
思いでメディアの奮起を促すその意図とは裏腹に、行間の背後からは軍靴の音が私には聞
こえてくる。
メディアは同じ過ちをまた犯すのではないのか。本書はそうした「音」を喚起させる著者渾身の
作であるとともに、戦争への道に再び足を踏み入れ、やがて迫られる日本の選択に対し、警
鐘を乱打しているように私には思える。
3