昨年の巡礼記はこちら - カトリック住吉教会

中 高 生 「広 島 ∼山 口 ∼津 和 野 巡 礼 の旅 」に参 加 して
8/7(金 )∼9(日 )
8/7(金 )
8 時 12 分 、住 吉 駅 を発 っ た一 行 17 名 (神 父 様 、リーダー、中 高 生 +
小 学 生 +α)は、JR の青 春 18 切 符 で快 速 、新 快 速 、普 通 電 車 を乗 り
継 ぎ 14 時 11 分 広 島 駅 到 着 。市 電 で幟 町 教 会 (広 島 教 区 カテドラル、
平 和 記 念 聖 堂 )に。主 任 司 祭 の後 藤 神 父 様 は赤 波 江 神 父 様 の神 学
校 時 代 からの友 人 。大 きな元 気 なお声 でよく来 たと大 歓 迎 して下 さいま
した。聖 堂 は夕 方 開 催 の(10 年 続 い た)南 こうせつさんの平 和 コンサ ート
のリハーサル中 。地 下 聖 堂 で後 藤 神 父 様 から神 様 のお話 をたくさん聞 き 、
お二 人 の司 式 ミサにあずかりました。荷 物 を置 いて後 、前 日 式 典 の行 わ
れた平 和 記 念 公 園 へ。じりじりと照 りつ
ける真 夏 の太 陽 の下 、ボランテイアの方
から原 爆 投 下 当 時 の凄 まじい様 子 を聞
きました。「戦 争 を知 らずに育 った子 供
達 とリーダー達 」にもその凄 惨 な様 子 は
ひしひしと伝 わり、犠 牲 者 を悼 み、平 和
な時 代 に生 きている事 に感 謝 すると共
に、三 度 過 ちは繰 り返 さない思 いを込 め
て祈 りました。夕 方 の連 絡 船 で行 った世 界 遺 産 の宮 島 、夜 の祈 りの時
に一 人 一 人 語 った夢 ・・・「まるで1つの家 族 のように兄 弟 のように思 え
る。」と喜 ばれた神 父 様 方 と共 に感 謝 の祈 りを捧 げました。
8/8(土 )
早 朝 、後 藤 神 父 様 は平 和 記 念 聖 堂 の鐘 楼 に案 内 して下 さり、平 和
の鐘 に触 れ広 島 の町 を一 望 。ミサに参 列 の後 ・・・山 口 へ。赤 波 江 神 父
様 が ゲットして下 さっ た SL 山 口 号 プレ ミアムチ
ケットで一 路 津 和 野 へ。途 中 、鉄 道 カメラマン
達 が列 をなしてシャッターチャンスを 狙 う中 を SL
はのんびりと蒸 気 を出 しながら旧 き時 代 へタイム
スリップ走 行 。
津 和 野 教 会 では、ずっと昔 、アメリカから日 本
に帰 化 された木 村 神 父 様 (神 戸 にもいらしたそ
う)のお迎 えを受 けいよいよこの旅 の目 的 である
巡 礼 です。谷 川 に沿 って静 かな山 道 をしばらく
登 ると乙 女 峠 に。キリシタン弾 圧 の下 、浦 上 から
送 られた多 くの信 徒 が殉 教 した地 ・・・この土 には信 仰 を守 り抜 いたどれ
ほど多 くの人 々の苦 しみが沁 み込 んでいるのだろうか・・・マリア聖 堂 でミ
サを捧 げ、山 の奥 にと続 く十 字 架 の道 行 きで祈 りを唱 えながら「喜 んで
下 さい。今 この国 では、信 仰 はこんなに自 由 なのです。」と亡 き方 々に伝
えました。大 浦 天 主 堂 と同 じ形 の祭 壇 前 の畳 に正 座 して、木 村 神 父 様
も共 に受 けてくださっ た夜 の祈 りも心 洗 わ れるものでした。
8/9(日 )
今 日 は長 崎 原 爆 投 下 の日 。こ の平 和 の為 の巡 礼 最 後 の日 。・・・朝 ミ
サ時 の霧 雨 も上 がり、教 会 前 の小 川 の見 事 な鯉 にお別 れをして津 和 野
を出 発 。18 切 符 で神 戸 まで列 車 を一 日 中 乗 り継 いで帰 る日 です。
途 中 、山 口 でザビエル記 念 聖 堂 訪 問 。数 年 前 に焼 失 の後 再 建 され
た近 代 的 な新 聖 堂 には、ザビ エルの聖 遺 物 が安 置 さ れてい ました。信 徒
の方 々は、今 日 は墓 地 でミサとの事 。静 かな聖 堂 で平 和 に感 謝 しながら
主 の祈 りを捧 げました。
この旅 の間 、リーダ ーの指 導 の下 、団 体 行 動 を 大 切 にして、一 つの家
族 、兄 弟 のように巡 礼 する 姿 がまさしくそこにありました。この 3 日 間 に各
地 でどれほど多 くの祈 りを捧 げたことでしょう。主 に守 られどれほど多 くの
お恵 みを頂 いたことでしょう。皆 で心 を一 つにして祈 ったこの巡 礼 の旅 が
夏 休 みの大 切 な宝 となりますように。
広報