⑯ 咳地蔵 大善寺に登る道から川の方におり る細い道を進むと右手に

⑯ 咳地蔵
大善寺に登る道から川の方におり
る細い道を進むと右手に小さな祠が
見えてきます。中には古い石塔が入
っていて、これが「咳地蔵」です。
衣笠合戦の時に、この辺リで三浦
与一近実が戦死したといわれていま
す。それには次のような話が残され
ています。
咳地蔵
衣笠合戦の時、旗立岩付近で重傷を負った金子十郎家忠を金子与一近範が背負
い逃げていると、この辺りで三浦与一が追いっきこれを倒そうとしました。
ここ
了金子と三浦の2人の与一が組み合いとなったそうです。その時何人かの武者が
かけよリ「与一殿はどちらか。」と聞いたそうです。三浦与一は、ちょうど風邪
をひいていたのですぐには答えられず、打たれてしまったそうです。
この地蔵が
咳に効くと言われているのは、こんな逸話があるためです。
咳地蔵の隣には、この辺リで死んだ人々の霊をなぐさめる為の無縁塔が、昭和
50 年に近くに住む3人のおばあちゃんの手によって建てられました。
⑰ 平次郎坊の
平次郎坊の河童
咳地蔵から少し進んだ辺りを「平
次郎坊」といいます。昔、ここに水
田に水を引くための小さな堰があっ
たそうです。ここには、河童がいて
馬に水を飲ませるためにやってくる
馬子たちをだましていました。馬子
たちはある時河童をつかまえてこら
しめていました。するとそこに三浦
平次郎坊
大介義明が通りかかり、馬子たちに銭を与え河童を助けてやったそうです。河童
はよろこんで「水三合あれば、どんな山の上でも自分たち一族は、三浦氏のため
につくしましょう。」と、ちかったということです。これ以来、三浦氏は水にこま
ったことがないといわれています。
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