Ⅲ 岩国市の地質・地形 3 岩 国市 の地 質探 訪 自然を理解す る最 も良い方法は、現地に出かけて 自然その もの を観察す る こ とである。そ こ で本章では、岩国市 を構成す る代表的な地層や岩石 を、比較的容易に近づ ける場所 を選んで紹 介す るこ とにす る。 なお これ らの地点で採集 した岩石標本 は、岩 国市科学セ ンター に展示 され ているので 、実物 を手に取 つて見るこ とができる。 また現地 に出かける際 、対象 とす る岩石あ るいは地層 の意味 が分 かつてい ると、一層理解 しやす い と思われ るので、第 2項 で岩 国市 の地 質 の成 り立ちについて概略の説明を加 えてお く。 (1)地 資 の 探訪 1)岩 国市 の地 質 の概観 岩国市は、 日本列島 の地質区分 では、西南 日本 内帯 の一角 を占める (前 章図 2参 照)。 現在 の市域 を構成す る主要な地質体 は、北 か ら南へ 、ペル ム紀 (二 畳紀)錦 層群・三畳紀 (ト リア ス紀)周 防変成岩・ ジュラ紀玖珂層群・ 白亜紀領家変成岩 と領家花開岩 である (図 1)。 これ らはおおむね東西 に並走 した分布 を示す ので、岩国市を北 か ら南に縦断す ると、西南 日本内帯 を構成す る主要な地質体 を、時代 の古 い ほ うか ら新 しい方に向か つて見るこ とができる。 13が 00' □日日□□ 国霞 躍岡剛 │ │ 第四系 新第二系 (瀬 戸内大山岩類) 広島花蘭岩類 +3↑ 掛 白亜紀後期火山岩類 傾家花蘭岩類 ' 傾家変成岩類 0 I I ジュラ系 10 km I (玖 珂層群) 周防変成岩類 蛇紋岩 ペルム系 -3ギ (錦 層群) 10' 0、 ● ` 、 γ ヽ ヽ ゝ 亀 ^く 基 図 252 1 岩 国市周辺 の地質図 (西 村 ほか、 1995に 基 づ き一部改変) Ⅲ 岩国市の地質・地形 一 方 、岩 国市域 の 北端 にそび え る山 口県最 高峰 の 寂地 山周 辺や小瀬川 の 弥栄 峡 一 帯 には 、 白 亜紀 後 期 (8000‐ 9000万 年 前 )の 広 島花 闘岩 が上 記 の地 質体 の配列 を横 切 るよ うな形 で 分布 し てお り、上記 の 地層 の 配列 は少 な く とも 白亜紀後 期 以前 にで きて い た こ とが 分 か る。 また岩 国 市 の 北 西部 には 、錦層 群 の上位 を覆 っ て 阿武層 群 の一 部 が 分布す る。 阿武層 群 は 、 山 口県 中央 部 に広 く分布 し、島根 県側 の 匹見層 群 、 広 島県側 の 高 田流紋岩 な どと同 じく白亜紀 後期 の 流紋 岩 質火 山岩 を主体 と した地 層 で 、花 闇岩 の 貫入 に先 立 っ て 噴 出 した と考 え られ てい る。 以下第 3項 で 、 上 記 の よ うな地質配列 に従 つ て地 質 時代 の 古 いほ うか ら新 しい方 へ 、代表 的 な地層 を 紹 介 す る。 2)日 本 の地 質 と岩 国市 の地 質 の成 り立 ち この よ うな地層 の 配列 は ど うしてで きた の だ ろ うか。 1970年 前後 を境 に 、地質 学 の 基本 的 な 考 え方 が 「地 向斜 造 山論 」 か ら 「プ レー トテ ク トニ ク ス 」 へ 大転換 した の で あ るが、 この 過程 で 山 口県 あ るい は岩 国地域 の 地質 が どの よ うに理解 され るよ うにな つ たか 、簡 単 に振 り返 つ て み る こ とにす る。 [地 向斜造 山論 ]11940年 代 に 日本列 島 の 地 質 の 成 り立 ち (地 質構 造発 達 史 )を 集 大成 した 小林 貞 一 博 士 は、古生 代 には 日本列 島 の 大 半 の 地 域 は厚 い 地層 の堆積 の場 で あ っ た と して 、 こ の 地 帯 を 「秩 父地 向斜 」 とよび 、そ の 地層 を 「秩 父 古生層 」 とよんだ。 さ らに 「秩 父 古生層 」 を、構 成 岩相 の 特徴 か ら石灰 岩 を多 く含 む 「秋 吉相 :秋 吉層 群 」と石灰岩 をあま り含 ま な い 「山 口相 :山 口層群 」 に区分 した。 これ らが 中生代 は じめに 「秋 吉造 山運動 」 とい う地殻 変動 を受 け、 秩 父 地 向斜 の 中軸 部分 が変成 してで きた のが三 郡 変成 帯 とそ の 北側 の 飛騨 変成 帯 で あ り(図 2)、 さ らにそ の 後 「秋 吉造 山帯」 の 南側 で は 中 生 代後期 に 「佐 川 造 山運動」 (佐 川 は高知市西 方 の 地名 )が 生 じて 、領 家変成 帯 と二波川 変成 帯 がで きた と した (小 林 、 1948,1950)。 秩 父 古生層 の 山 口相 の典型 の 1つ が 玖珂層 群 で あ る。 小林 説 は、20世 紀初 め に ヨー ロ ッパ アル プ ス の研 究 か ら生 まれ た 「地 向斜 造 山論 」 とい う考 え方 を下敷 きに してい た。これ はア フ リカ と ヨー ロ ッパ の 大 陸地塊 の 間 に生 じた大 きな窪 み (地 向斜 )か ら発 展 して 造 山帯 がで き る とい う考 え方 で 、 当時 の 地質学界 に広 く信 じられ てお り、 小林 説 に対 して種 々 の 反 対論 はあ つ た も の の 1960年 代 まで の 日本 の 地質 は基 本 的 に地 向斜 造 山論 に基 づ い て解 釈 され て きた。 しか し地 向斜 造 山論 は、地球規模 で の 地殻 変 動 を十 分説 明す る も の で は なか つ た。 00o N● ,p● 図 2 秩 父地 向斜 と秋 吉造 山帯 (磯 崎 C丸 山、1991よ り引用 、1941年 の Kobayashi論 文 に基 く) Akiyoshi Orogen i秋 吉造 山帯 、 Sakawa Orogen :佐 川 造 山帯 、Mz:舞 鶴 帯 、 Ry:領 家 帯 、Sb i三 波川 帯 、Ch i秩 父帯 、Sh :四 万十 帯 253 Ⅲ 岩国市の地質・地形 [プ レー トテ ク トニ ク ス ]:前 章 で紹 介 され て い るよ うに 、1960年 代 半 ば以 降、地球全体 の 構 造 や変動 を総合 的 に説 明す るプ レー トテ ク トニ ク ス が発 展 した (前 章図 1参 照 )。 海溝 付 近 で は、チ ャー トな どの 深海底 の堆積 岩や 海洋 島 の周 りの サ ン ゴ礁 でで きた石灰 岩 な ど海 洋起源 の 物 質 と砂 岩 な どの 陸源 の堆積 物 が入 り混 じつ た 複雑 な地質体 (こ れ を付加体 とい う)が で き る。 海洋 プ レー トの 沈み込 み に よつ て深 所 に 引 きず り込 まれ た岩 石 は高圧 変成 作用 を受 け、海 洋 底 の 下部 を構成す るかん らん岩 は蛇 紋岩 に変 わ る。 また大 陸側 では 、沈み込 む プ レー トか ら 水 分 の 供給 を受 けて 一 部 が溶 けだ して マ グマ が発 生 し、 上 昇 した熱 い マ グマ に よ り高温変成岩 や 花 闇岩 が 形成 され る。 この よ うに大 陸 プ レー トと海 洋 プ レー トの境界部 で は、 ダイナ ミック な地殻変 動 が生 じる。 日本列 島は古 生 代 以 降、そ の よ うな場 にあ つ た と考 え られ る。 日本 で は、大規模 な水平方 向 の移 動 を伴 う考 え方 はなか な か 受 け入れ られ なか つ た が 、 1970 年 代 か ら 80年 代 にか けて微 化石 の研 究 が進 んだ結 果 、玖 珂層 群 な ど「秩 父古生層 」 と信 じられ て きた地層 の 大 半 が 、時代や岩相や形成 場所 の 異 な る岩 塊 が ジ ュ ラ紀 に入 り混 じつ て で きた地 層 ―付加 体 ― で あ る こ とが明 らかに され るに至 つ て全 面 的 に受 け入 れ られ る よ うにな つ た。 ]:西 南 日本 で は古生代 以 降 3回 の 主要 な付加 体 形成 の 時期 が あ 。 り、古 生 代 後 半 中生 代 ジ ュ ラ紀・ 白亜紀 ∼ 古 第 二 紀 (四 万十帯 )の 順 に、北 か ら南 へ 太 平洋 側 に向か つ て 、 よ り新 しい 時代 の地層 が よ り古 い 地層 の 下 に も ぐ りこむ よ うな、逆 に い えば古 [岩 国市 の地 質 の 成 り立 ち い 地層 がの し上 げ るよ うな形 (境 界 は衝 上 断層 )で 配列 す る。 岩 国市 北部 に分布 す る錦層 群 は 、古 生 代後 半 にユ ー ラ シア 大陸 の縁 にで きた付加 体 が 変成作 用 をあま り受 けず に地表 に露 出 した もので あ り、 それ とほぼ同時代 の付加 体 で あ る都 濃層 群 が 中生代 前 半 (2億 2千 万年 前 )く らい に高圧 変成 作用 を受 けた後 、地表 に露 出 した の が周 防変 成岩 (西 村 、2009a・ b)で あ る。 また玖珂層 群 は 中生代 ジ ュ ラ紀 にで きた付加 体 で あ り、それ が 高温変 成作 用 を受 けた のが領 家帯 、 中央構 造線 を挟 んで 海 洋側 に高圧 変成 作用 を受 けてで きた のが三 波川 帯 で あ る。 白亜紀 後 半 にな る と西南 日本外 帯 の 四国南部 では四万 十 帯 の付加 体形成 が あ るが、 そ の 背後 の 内帯側 では広 範 囲 に著 しいマ グマ 活動 が起 こ り、各 地 に阿武層 群 な どの 流紋岩 質 の火 山岩 や広 島花 闘岩 が形成 され た。 現在 、岩 国市域 にみ られ る地質体 の 配 列 は この よ うに してで きた と考 え られ て い る。 3)岩 国市 の主 な地 層 と岩 石 、現地探 訪 ① 木谷 峡 の 錦 層群 錦層 群 とい うの は 、 旧錦 町 か ら島 根 県 六 日市 町 にか けて分布 す るペ ル ム紀 の 泥岩 ・ 砂岩 ・ 層 状 チ ャー ト・ 礫 岩 等 か らな る地層 で(君 波 、2009)、 ほ とん ど変成 して い な い。 南側 の よ り新 しい周 防変成岩 に対 して 、そ の 上 に の し上 る様 に衝 上 断層 で接 して い る。 岩 国市 北西部 、錦 町市街 地 か ら木 谷川 に入 つ て 中国 自然歩道 沿 い のル ー トに良 く露 出 して い る。 河原 の 転 石 には 、赤色 チ ャー ト・ 緑色 チ ャー ト、凝灰 岩層 をサ ン ドウィ ッチ 状 に挟 んだ 泥岩 、泥岩 と砂岩 が 不規 則 に混在 した礫 質 泥岩 、砂 岩 中に角 礫 状 の 泥岩 岩 片 を含 む礫 岩 (角 礫岩 ) な ど、 この 地層 を構 成 す る岩 石 が観 察 で き る (写 真 1)。 254 写真 1 木 谷 峡 の 錦層群 泥岩 (黒 色部 )と 凝灰岩 (淡 色 部 )の 互 層 Ⅲ 岩国市の地質 。地形 ②美川支所前と錦町出会の周防変成岩 周 防変成岩 とい うの は 、西南 日本 内帯 に分布 す る 2億 3000万 ∼ 1億 6000万 年 前 に高圧 変成 作用 を受 け て で きた結 晶片岩類 で あ る (西 村 、 2009a o b)。 岩 国市北東 部 の 旧本郷村 ∼ 錦 町 か ら周 南市 にか けて代表 的 な 分布 域 が あ る。 か つ て三 郡 変 成岩 と 呼 ばれ て い たが 、年代 的 に 古 い約 3 億 年前 の三 郡一 蓮華変成岩 (一 部 は 山 口県西部 の長 門構 造帯 に 分布 )と 周 防変成岩 に区分 され る こ とが明 ら か にな つ た (Nishimura、 1998)。 こ の 地 域 で は 、錦層群 とほぼ 同時期 の ペ ル ム紀 にで きた都 濃層 群 とよばれ る地層 が 、三 畳紀 (2億 2000万 年 前 く らい )に 変成作用 を受 けてで きた 写真 2 美川 支所 前 の周 防変成岩 (緑 色 片岩 露頭 、本 郷川 河床 ) と考 え られ てい る (西 村 、2009b)。 構 成岩石 には 、泥岩起源 の 黒色 片岩 、 苦鉄質 の火 山岩 や凝灰 岩 起源 の 緑 色 片岩 あ るい は角 閃岩 、チ ャー トな ど を起源 とす る珪質片岩 、砂 質 片岩 、 若 干 の石灰 質岩 な どが あ る。 美川 総 合 支所 前 の本郷川 河床 に は片理 の発 達 した緑 色片岩 が 良 く露 出 してい る (写 真 2)。 また錦 町 出会付 近 の錦 川 河床 で は 、黒色 片岩 と緑 色 片岩 の 良い露頭 が観察 で きる。 ③羅漢 山の蛇紋岩 周防変成岩 の よ うな高圧変成岩 中 には、 しば しば蛇紋岩 を伴 うこ とが 知 られてい る。蛇紋岩 は、本来地下 写真 3 羅漢 山 の 蛇紋岩 深所 (マ ン トル )を 構 成 す るか ん らん岩 を原 岩 (元 の岩石 )と した岩 石 で 、 広 域変成作用 (あ る い は海 洋底 での 変成 作用 )を 受 けて、かん らん石 が蛇 紋石 に変 化 して で きた岩 石 で あ る。 旧 本 郷村 一 帯 には周 防変成 岩 が広 く分布 し、 この 中に蛇紋岩 の 小岩 体 が含 まれ る。 羅漢 山はそ の 一 例 で 、 山頂部 に lkm× 2km程 度 の 分布 が あ る。 本 郷村側 か ら登 つ て 行 くと山頂公 園手前 の道 路 際 に露 出 してい る (写 真 3)。 ここで は岩 石 の表 面 は風化 して 黄褐 色 を示す が 、新鮮 な断面 で は青黒 い 蛇 紋岩 特有 の岩 相 を示 して い る。 ④ 生見川ダム付近の玖珂 層群 と旧玖珂 館山付近の層状チャー ト 玖珂層群 とい うの は、岩 国市中央部、旧玖珂町か ら錦川下流部 一帯に広 く分布す るジ ュラ紀 の地層で、お もに層状チャー ト・ 泥岩・ 砂岩・ 礫質泥岩等 か ら構成 され る (高 見、2009)。 か つては 「秩父古生層」 と呼ばれたので あるが、それ は玖珂層群 中に含 まれ る石灰岩 の岩塊 か ら 古生代 の大型化石が産 出す るためで、実際には大部分 を占めるチャー トや泥岩・ 砂岩 の年代は よく分 か らなか つたので ある。1970年 代以降チャー トな どに含 まれ る微化 石 (初 めは コノ ドン ト、次 い で放散虫)の 研究 が進んだ結果 、古生代 の石灰岩やペル ム紀 ∼三畳紀 ∼ジュラ紀 のチ 255 Щ 岩国市の地質・地形 ャー トな どの岩 塊 とジ ュ ラ紀 の 泥岩 が混 在 した地層 (地 層全体 の形成 年 代 は ジ ュ ラ紀 )で あ る こ とが明 らか に され 、 日本 の 地質 学 が地 向斜造 山 論 か らプ レー トテ ク トニ ク ス ヘ 大転 換 す る大 きな契機 とな つ た地 層 で あ る。 ま た岩 国市南部 では 、玖珂層 群 は領 家変成作用 を受 けて変成岩 に変 わ つ て い る。 錦川 流域 には 、厚板 を重 ね た よ う な外観 の地層 (層 状 チ ャー ト)が よ く見 られ るが、 これ は厚 い 珪 質 の チ ャー トと薄 い 泥岩層 が互 層 す るた め で (写 真 4)、 しば しば招 曲構 造 が 発 達す る。 旧玖珂鉱 山付 近 の根笠川 の河岸 や岩屋観 音付近 には 、 上記 の 写真 4 玖 珂層群 の層 状 チ ャー ト (厚 板 状 の チ ャー トと薄 い 泥岩層 の 互層 ) (根 笠川河岸 、 ムーバ レー 前広場 下流約 400m) 層 状 チ ャー トが よ く発 達 して い る。 また 国道 187号 線 か ら生 見川 沿 い に県道 2号 線 を美和 町方 面 に入 り、 トンネ ル 出 日か らダ ム湖左 岸 の道 を 行 く と、 ほ とん ど未 変成 の 玖珂層 群 が 良 く観 察 で き る。 ここで は主 に泥 岩 と レンズ状 に引延 ば され た砂岩 の 岩 片 を含 む礫 質 泥岩 か らな り、 さ ら にダ ム 下流 の右岸側 の道 路 際 で は層 状 チ ャー トが観 察 で き る。 ⑤ 岩 国市科学 セ ンター のモ ノ チ ス とア ンモ ナ イ ト モ ノチ ス (エ ン トモ ノチ ス)と い うの は、 二枚 貝 で三畳紀 後期 を示 す 示 準化 石 で あ る。 か つ て 「秩 父古生 I:鴎.解'IPr中 ど甲!叩 写真 5 "す '∵ lJTI」 Iむ J帖 モ ノチ ス (三 畳 紀 ,岩 国市科 学 セ ン ター 所蔵 ) 層 」 と信 じられ ていた玖珂層 群や 美 丹波 帯 か ら、モ ノチ ス等 の 中生代 濃‐ の化石 が発 見 され る こ とが あ り、 な ぜ そ ん な所 に出 るのか 、 当時 は十 分 説 明で きなか つ た。 旧美和 町 向畑 で は 1957年 頃農 道 工 事 中に モ ノチ ス 化石 が発 見 され (写 真 また 1980 年 旧美 和町大根川 で 弥栄 ダ ム建設 に 5)、 伴 う代 替道 路 の橋脚 工 事 の 際 にジ ュ ラ紀 のア ンモ ナイ トの 大型化 石 が発 見 され た (写 真 6)(美 和 文化懇 話 会 、 1984)。 そ の後 、玖珂層 群 を含 めて微 化石 に よる 日本各 地 の 「秩 父 古 生 層 」 の研 究 が進 んだ結 果 、それ 256 字晩努∵(PmepnlnOn_〕 写真 6 │ ` │・ ri ア ンモナ イ ト (ジ ュ ラ紀後 期 ,岩 国市科 学 セ ン ター 所蔵 ) Ⅲ 岩国市の地質・地形 らが海溝 域 で で きた付加 体 の堆積 物 で あ り、時代 や 起源 の 異 な る岩 石 (陸 源 の堆積 物 質や深 海 底 起源 の岩 石 )が 入 り混 じつ た地 質体 で あ る こ とが 分 か つ て きて、 モ ノチ スや ア ンモ ナイ トの 産 出 も納得 で き る もの とな つ たので あ る。岩 国市科 学 セ ン ター 所蔵 のモ ノチ ス化石や 大型 の ア ンモ ナイ ト化 石 は 、 日本 の 地質 学 の 大転換 の 時期 を象 徴 す る記▲ す べ き化 石 で あ る。 ⑥柱野から由宇へ、領家帯の変成岩と花闘岩 領 家帯 とい うの は 、西南 日 本 内帯 に 中央構 造線 の 北側 に 沿 つ て 分布 す る高温変成 作用 を受 けた変成 岩類 (領 家 変成岩 )と 、それ とほぼ 同時 代 の 花 闇岩 類 (領 家花 闇岩 ) ChRttte ane ) (緑 泥石帯 :熱 [ほ とんど非変成の地常] 勒 越州桐 1陸 M撥剖呻卿 か らな る地帯 で あ る。北 は関 東 山地 か ら九州 ま で続 く。中 部 ∼ 近畿地方 で は美濃 ‐ 丹波 帯 の 南部 が 、山 口県 で は玖 珂 層 群 の 南 部 が領 家変 成岩 に 移 り変 わ り、白亜紀 後期 の 花 闇岩類 に 貫入 され る。したが つ て ジュ ラ紀付加 体 を原 岩 幽 沖積層 圏 安山岩 囲 花菌岩類 ド¨ 変成分帯境界 Ⅲ '断 層 ./″ と して 白亜紀 後 半 に変成 作 用 を受 けてで きた地帯 で あ る。 低変成 度 の 部分 で 紅柱 石 、高温部 で は珪線 石 が 出現 す るの で 、比 較 的低圧 高温 の 条件 でで きた と考 え られ て い る。 欽 明路 を柱 野 か ら御 庄 川 沿 い に入 り、火 打岩 か ら通 津 さらに由宇 に至 るほぼ南 北 のル ー トをた どる と、領 家 帯 図 3 領家変成岩 の分布 と変成度 (Ikeda、 1998に よる) の低 変成度 部 分 か ら最 高変 成度 の岩 石 まで観 察す る こ とがで き る (図 3)。 柱 野 か ら御 庄川 高畑 付 近 まで は細 か な黒雲母 が 多 くで きて い るが、見 か けは非変 成 の 玖 珂 層 群 とあま り変 わ らな い 。こ の あた りは、か つ て の 片状 ホ ル ンフェル ス 帯 、図 3(Ikeda, 1998)の 黒 雲母 帯 に相 当す る。火 打岩 とい うの は再結 晶 したチ ャー トか らな り、この 付 近 は 中程度 の 変成 度 (白 雲 母 菫青石 帯 )で あ る。通 津 よ り南部 で は粗 粒 で縞 状構 造 写真 7 領家片麻岩 (岩 尾 の滝付近 で採集 ) (岩 国市科学 セ ン ター所蔵 ) 257 皿 岩国市の地質 。地形 菫青石帯)。 由宇海岸以南 では や優 白質 の細脈が発達 した高変成度 の片麻岩 となる (カ ヅ長石‐ ― ロ 最高変成度域 (ザ ク 石 菫青石帯)と なる (写 真 7)。 領家花闇岩 は、 こ うした変成岩に伴 い、変成岩 の片理 と平行的な構造 を持 つた花 蘭岩 (花 闇 閃緑岩 ∼花闘岩、一部 に苦鉄 質岩 を含 む)で ある。産状 の点で、片理が強 くて片麻岩 と調和的 な分布 を示す古期領家花開岩 (大 畠花闇閃緑岩 な ど)、 片麻岩 に対 してやや 非調和的な分布 を 示す新期領 家花南岩 (木 部花蘭岩 ・ 滑花闇岩な ど)の 2種 類 に区分 され る (図 4)。 しか し放 射年代 は、変成岩 も花 闇岩 も約 8000万 年 ∼ 1億 年前を示 し、大差 はない。 □□日国□□日圏□賜図日□囲囲□ / 呼坂花こう閃縁岩 猿関閃繰岩 東和花こう閃繰岩 差川花 こう閃爆岩 祖生花こう閃緑岩 新期領家花 こう岩類 木部花こう岩 滑花こう岩 室津花こう岩 天ヶ岳 ミグマタイト 五軒屋片麻状 花こう閃緑岩 請野片麻状花こう閃繰岩 大畠片麻状花 こう閃緑岩 北大島 片麻状花こう閃緑岩 脇 断 層 岩類をふ く0 図 4 領家花 闇岩 の分布 と岩体 (横 山ほか、1987に よる) ⑦寂地峡 と広島花 間岩 広 島花闘岩 は、 領家帯 の北側 に広 く分布 し、 白亜紀後期 に領家花闇岩 がで きた後に貫入 し た黒雲母花 闘岩 ∼花 蘭閃緑岩 か らなる岩体で ある。 中国地方 の瀬戸内海側 に広大な分布 を 示 し、山陽帯花 闇岩 とも呼ばれ る。年代 的に は領 家花闇岩 とあま り変わ らないが、ほ とん ど片理 を持たず、領 家花簡岩 が領家帯 に分布 が限 られ るの に対 して 、玖珂層群・ 周防変成 岩・ 錦層群 中にも多数 の岩体 に分 かれて分布 す る。阿武層群 な どの 白亜紀後期 の酸性火 山 岩類 の噴出にやや遅れ て貫入 し、火 山性 の陥 没構造 の形成 に関係 した火 山一深成複合岩体 をなす ものが あると考 え られてい る。寂地峡 は、羅漢 山北斜面 か ら北側 に広がる花開岩体 を穿 つてできた、急峻 な滝 と渕 の連続す る渓 谷 である (写 真 8)。 寂地 山か ら小五郎 山に 連 なる稜線部分には錦層群が分布す るが、谷 258 写真 8 寂地峡 の 花 闇岩 古期領家花 与 ︼ う岩類 田尻花こう岩 沖浦片麻状花 こう閃緑岩 皿 岩国市の地質 。地形 底 部分 には花 闇岩 が 露 出 し、錦層群 や周 防変成岩 の 下 に も伏 在す る。 ③弥栄峡 と広 島花闘岩 弥栄峡 は、広島県境 を流れ る小瀬 川 が広 島花曲岩 を穿 つて形成 した景 勝 地であ り、弥栄 ダム湖 の左岸 に巨 大 な崖 を作 つている。花闇岩体は、 弥栄ダ ム上流 か ら北に延び 、東西に 延 びる周 防変成岩 と玖珂層群 の分布 を岩国市 の東側 で断ち切 るよ うに分 布す る。弥栄 キャンプ場下流 の河床 で産状 が良 く観察 で きる。 ここでは 河川 の流路に直交す る節理 ・ ほぼ平 行 の節理・ ほぼ水平 の節理 の 3方 向 写真 9 弥栄峡 の花闇岩 (弥 栄 キャンプ場下流) の節理 が発達す る (写 真 9)。 ③各他 の広島花簡岩 岩 国市周 辺 に分布 す る広 島花 闇岩 に は 、岩 国市 中心 街 背後 か ら南方 にか けて岩 国花 闇岩体 、 国道 2号 線 の 上生 (は ボ )を 中心 と した土生花 闇岩 体 、 旧周 東 町 か ら玖珂 町 にか けてひ ろが る 中 山川複 合 岩 体 (東 元 ほか 、1983,玖 珂 花 自岩 の一 部 )な どが あ り、い ずれ も玖 珂層 群 あ るい は 領 家変成岩 ・ 領 家花 闇岩 中に貫入 して い る (図 4)。 構 成岩相 は 、 主 に黒雲母 花 南岩 ∼ 花 開閃 緑 岩 で あ る。 土生花 陶岩 体 は、外側 が やや 苦鉄 質 の 累帯深成岩体 をな して い る。 引用 文献 東 元 定雄 ・ 濡 木輝 ―・ 原 郁 夫・ 佃 栄 吉 。中島 幅 「岩 国地域 の 地質 」 、地質調 査所 、79p. Ikeda, T,(1998)Progress 隆 (1983)地 域 地 質研 究報 告 5万 分 の 1図 e sequence ofreactions ofthe Ryoke metamorphism in he Yttlai disttict, southwest Japani The formation of cordierite.J.Metamorphic Geol.)16,39‐ 52. 磯 崎行雄 ・ 丸 山茂徳 (1991)日 本 にお け るプ レー ト造 山論 の歴 史 と 日本 列 島 の新 しい 地体構 造 区分 。 地 学雑 誌 、 100、 697-761。 君 波和雄 (2009)錦 層 群。 日本地方 地 質 誌 6「 中国地方 」 、47‐ 50、 朝倉 書店。 小林 貞 ― (1948)日 本群 島地質構 造論 。 目黒 書店 、 上巻 93p、 中巻 前篇 278p. 小 林 貞 ― (1950)日 本 地方 地質誌 「中国地方 」。 朝倉 書店 、249p. 美 和 文化懇 話 会 (1984)美 和町 の 自然 と文 化 、59-94。 西村祐 二 郎 (2009a)先 白亜系 の構 成 と地 帯構 造。 日本 地方地 質誌 6「 中国地方 」 、9-15、 朝倉 書店。 西村 祐 二 郎 (2009b)周 防帯 、 山 口県東 部地域。 日本 地方 地質誌 6「 中国地方 」 、200‐ 204、 朝 倉 書店。 西村 祐 二 郎 。今 岡照 喜・ 宇 多村譲 。亀 谷敦 (1995)新 編 山 口県地質 図。 山 口地 学会。 Nishimura)Y.(1998)Geotectonic subdi sion and areal extent ofhe Sangun belt,inner zone of Southwest Japan. J.Metamorphic Geol。 ,16,129-140。 高見美智夫 (2009)玖 珂層群。 日本地方地質誌 6「 中国地方」、77‐ 81、 朝倉書店。 横 山俊治・ 清水康生・横 山義人・ 濡木輝 ― (1987)領 家花 こ う岩類。 日本 の地質 7、 中国地方、 65‐ 67、 共立出版 。 259 Ⅲ 岩国市の地質・地形 (2)活 断層 探 訪 1)活 断層 に つ いて 断層 とは 一 般 に 「地層や岩体 を切 る割 れ 目の うち、面 に沿 つて 肉眼 で 認識 でき る変位 (ズ レ)を 伴 うもの」 車 ∴ 活断層\ と定 義 で き る。 活 断層 の 定義 として 「第 四紀 (後 半)に 活動 した 断層 で 、 今後 も活 動す る可能性 が 高 い 断層 」 とす る ものが一 般 的 で あ る。 とこ ろ が 、兵庫 県南部 地震 の発 生 な どか ら 「地震 に伴 つ て地 表 に 現れ た破壊 面 で 、地形 に累積性 が認 め られ る断層」 (金 折 、2005)と す る方 が 適 切 で あ る とす る主 張 もあ る。 そ の 意 味 で は 活 断層 の 存在 は 、そ こで 、 か つ て地 震 が起 きた こ とを物語 つてい るに過 ぎず 、活 断層 が あ るか らと言 つ て 、 そ の まま地震 発 生 につ な が る訳 で は な い。 また 、活 断層 の 活動 時期 に つ 1 右 ず れ 断層 に よる変 位 地形 の 諸例 (断 層 研 究会編 、 1991、 新編 日本 の 活 断層 ) B:三 角末端面,C:低 断層崖,D:断 層池,E:ふ くらみ F:断 層鞍部,G:地 滞,H:横 ずれ谷,I:閉 塞丘,」 :裁 頭谷 K:風 隙,L」 :山 麓線の くいちがい,M‐ M':段 丘崖い[,Ml)の , , くいちがい,Q:堰 止 め性の池 00' .ゝ か 瀬戸/向 尋沢好恨テ 1ヽ '11 崩 ヂJ32° Ll『 iヽ 粍 珂 郡国 ︲ ︶ 謝 ● h“ 夕 r ″美 川 出 謙/将拝 争 ゴ 132° 図 蒻 む 山 証 湖 石 上刺 行な 1 竹妻 Б け 羽 倉 μ:,_戸 シ 4 身 :将 水迎 口r 炉驚 ・ ・ ″ 剛 一 工 々 ・ ク , 層 地震調 査委 員会 ,2004)よ り抜粋 して 記入。 基図は国土地理院発行数値地図 1/200,000を 使用。 四角 の枠 は図 3の 範 囲 を示す。 260 Ⅲ 岩国市 の地質・地形 い て は 、 「第 四 紀 に な つ て 初 め て で き た と の 誤 解 も あ る 。 兵 庫 県 南 部 地 震 で は 、 す でに地 層や岩 石 の境界 として知 られ ていた 野 島断層 に沿 つて 、地表 に破 壊 面 が 出現 した 」 (金 折 、2005)と あるよ うに、活断層 の 中には新第 二 紀以前にす でに形成 され て い た 断層 が 第 四紀 に な つ て再活動す る場合 もある。図 1は 活 断層 に伴 う、右ずれ断層 の変位 地形 の模式図 どぇあるが 、 尾根や河川 、谷 の食 い違 い が認 め られ るな どの 地形的に特 徴 を持 ってい る。 地形 図上 にお い てそ の特徴 を認 めることがで きる場合 は、活 断層 と推定す る こ とが出来 る。 2)岩 国地域 の活断層 図 2は 岩 国断層帯 の岩 国付近 の活 断層 を示 してい るが、大竹 断層 。岩 国断層 ・ 小畑 断層 ・ 廿木 峠断層 の 4つ の 断層 が認 め られて い る。 断層 の存在 は断層破砕 帯 の存在 か ら分 かつていたが 、図 3に 示す緑色で示 した谷 のずれ な どの 3の 矢印は横 ずれ の方 向を示す)を 主 とす る活 断層 として推定 され た。 特徴 か らか ら右横ずれ (図 また北西側 が隆起す る逆断層 の成分 を もつ とされて い る。 1997年 岩 国断層 帯 の活動性評価 のた め 大竹 断層 にお いて トレンチ調査 (図 2角 枠数字地′ 煮 4カ 所 )が 行 われ た。 トレンチ調査 とは断層 を横 断す る方 向に溝 を掘 つて調 べ るもので ある。図 4は 大竹 断層 の 十木 地 区 (図 2の 角枠 3地 点) にお ける総合地 質断面図 で あ る。 この トレンチ調査 では 、姶 良 Tn火 山灰 (暦 年補 正 後 の年代 :約 2万 8000年 前)を 変位 させ る明瞭 な断層 が現れ 、姶 良 Tn火 山灰堆積 以後 2回 の断層活動 が確認 され てい る。 3)活 断層探訪 岩 国付 近 の 活 断層 の探訪 として 、 岩 国 断層 と大 竹 断層 を観 察 して み る。 まず 、岩 国断層 (図 2の A地 点 ) か ら探訪 を始 め る。 欽 明路 バ イ パ ス か ら二軒屋付近 を 右 手 に 旧欽 明路道 に入 り、急 な坂道 を登 つてアス フ ァル トの道 が コン ク リー トにな り、道 路 が水平 になる手 前 の 切 り通 しの北側 に断層 露頭 が 見 られ る (写 真 1)。 岩石 はチャー トで 、断層破 砕 帯 か らは水 が しみ 出 て い る。 この よ うに破砕 帯 では しば しば水 を含 み 、欽 明路 トンネルの工 事 にお いて も水 が 突出す るな ど難 工 事 を強 い られ た よ うで ある。 次 に、北西 か ら南西方 向に走 る岩 国断層 帯 の 中 で もつ とも長 い 大竹 断 層 を探訪 してみ る。柱 野、御庄 を通 り図 2の B地 点 に移 動す る。ここは、 1,500m _女 / ` オ ヽ り$ヤ ` Ⅲ 図 3「 岩国断層帯と探訪地点」枠内数字回 はトレンチ調査地点 (地 質調査研 究推進本部地震調査委員会 ,2004.よ り抜粋 下:・ :Ⅲ ィ ク 辛( 〒 原 図は国土地理院発行 数値 地図 1/200,000を 使用 図 2の 四角枠 部分 の 拡 大図 ) 錦)││が 大 き く屈 曲 して南西 か ら北西 に直線 状 に流れ を変 えた岩 国城 の あ る城 山の 北側 の河原 で ある。 法樹寺 墓 園 があ るあた りか ら河 原 に降 りる こ とが出来 る。 ここか ら関戸方面 を 望む と大竹 断層 に よる谷地形 がよ く 観 察 で き る (写 真 2)。 261 皿 岩国市の地質・地形 次 は この 関戸 か ら小瀬 に抜 け る旧山陽道 に向か う。 旧山陽道 を上 り頂上 か ら 100m手 前 (図 2C 地点 )に 丼形 の コン ク リー トの よ う壁 があるが 、 この井形 の 内側 (写 真 3)1こ 断層破砕帯 が確認 標高 ‖(南 ) lα 否 >0 良 Tn火 山灰層 再堆積〉 始良 Tn火 山灰層 95.0(約 2万 1XXl年 前) さ れ 定 勢 世 残 着 ま 霧 図4 大竹断層 の甘木地点における トレンチ調査及びボー ヅング調査 に基づ く総合地質断面図 (佃 ,1997を 一部改変) できる。 さらに頂上を過ぎ坂道 を下 つてい く。 しばらく下つて行 き、谷あいにある国地 (米 山団 地)が 見え始めた ところ (NTT電 柱大竹岩国南 F4 19付 近)に も断層砕帯 が確認 できる。 さらに下 つて行 き米山国地 (図 2の D地 点)に 入 り大竹方面を望む と、大きく屈曲 して北東 か ら南西に直線状 に流れを変えた小瀬川 とその向 こ うに続 く尾根 の谷 がよく観察 できる (写 真 4)。 なお米 山団地の裏山は コンク リー トが吹き付けてあるが、大竹断層 による断層路頭 が確認 されて い る (福 地,1996)。 ││、 以上観察 してきたよ うに、 ここで は大きく屈曲 した後 に直線状 に流れ る錦川や小瀬サ 関戸∼ 小瀬間の旧山陽道 の谷、大竹小方方面を望む谷 が直線状につ ながつてい る。 また C地 り 点、米山団 地手前、米山団地裏 の断層破砕帯 が直線状に配列 してお り、断層 を確認できる。 このこ とか ら直 線状 の谷地形 が、断層運動による地形破壊 を地形図上に残 してい る活断層 を示す こ とがよく理解 できる。 写真 262 1 Ⅲ 岩国市の地質 ・地形 イ ン 子 f ^も , , 真 写一 .“ 一. 一 イ ,要 岩国市には数本 の大きな活断層 が走つている。活断層 とい うと、阪神・ 淡路大震災が思い起 こ され不安になるか もしれないが、活断層 があるか らといつてす ぐに断層活動 (地 震)が 起 こる訳 ││の 流れに少なか らず影響 を与えてきた自然 ではない。 しか しこれ らの活断層 が岩国の地形や河サ の大いなる力を感 じなが ら、地震へ の備 えも意識す ることも必要である。 参考文献 金折裕 司 (2005)山 口県の活断層。近未来社刊 、P35、 P43、 P75よ り引用。 岩国市地学研究グループ (1999)岩 国市近辺 の地学野外観察 の案内。 岩国市科学センター発行。 地質調査所 (1998)岩 国断層帯の活動履歴調査結果について。地震予知連絡会会報、59、 514‐ 520. 地質調査所 :hlゃ ://Cais.gsi.gojp/YOCHmN/report/kahou59/08‐ 04.pdf 福地龍郎 (1996)岩 国活断層系大竹断層 の断層露頭 の発見。活断層研究、14、 活断層研究会 :hOp il彎 Ooearthochiba― ujp/aa/index`hm 39‐ 47。 263
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