なになに?おしえて ピリカカイギュウ わたしたちが住んでいる今金町は、 はるか昔、海だったってほんとう? 化石になる前はどんな姿だったの? 文 渡辺 勝博 絵 阿知波 閑 ほんとうさ。町のあちこちから、 海に住んでいる貝の化石が発見 されているだろう(裏面)。 それに、カイギュウの化石も見つ かっているんだよ。 ピリカ遺跡 の時代 陸上でできた地層 えっ、カイギュウってなに?くわしく教えてほしいな。 海底でできた地層 そのことだったら、ピリカカイギュウのわたしが教え てあげよう! 右の地層の図にあるように ず~っと下の方で生活していたんだよ。 ほんとうだ。下の方にいるから、はるか昔なん だね。でも、そんなに古い時代の化石が、どう して発見されたの? 1983年、美利河ダムをつくる工事をしていたとき、ぐ う然に1本のあばら骨が発見されたんだ。そこでくわ しく調べるために、たくさんの人たちが協力して発掘 をしてくれたんです。すると33個の骨の化石が出て きたんだよ。 海でくらす動物だったんだね。 もっとくわしく知りたいな。 いいよ。 きょう竜が絶めつしたおよそ6500万年前こ ろ、カイギュウはゾウと同じ仲間で、陸上で 生活していたんだ。その後、カイギュウは海 の中で生活するようになり、しだいに後ろ足 がなくなってしまったんだ。 今、生きているカイギュウの仲間には、ジュゴンとマナティー (裏面の写真)がいるんだけど、どちらも体の大きさは2、3 メートルくらい。それに対して、ピリカカイギュウは8メートルと、 とても大きなカイギュウなんだよ。 ありがとうございました。 だいぶわかってきました。 これからも調べてみるね。 もっとくわしく知りたかったら、副読本 『わたしたちの いまかね』を読んでみ てね。それと、教育委員会には町のむか しのことにくわしい学芸員さんがいま すから、ぜひたずねてみてね。 それを組み立てたら、裏面の図ようになったんだね。 ※副読本『わたしたちの いまかね』は町民センター図書室 で借りることができます。 出てきた骨は頭と上半身の一部で、そのほかは見 つからなかったんだ。他のところは、推定して復元 されたんだよ。 美利河で見つかったから、ピリカカイギュウと名づけ られたんだね。 体の形は、クジラやアザラシに似ているんだ。 でもこれらが肉食なのに対して、カイギュウ はコンブや海草を食べる草食動物なんです。 オーイ ピリカ カイギュウ の時代 美利河の地層 お問い合わせは・・・ 今金町教育委員会 ☎0137-82-3488 ピリカ旧石器文化館 ☎0137-83-2477 発掘調査のようす (1984年5月) 全体が見えてきたところ (1984年5月) 1983年、美利河ダムの工事用道路の作業中に発見され、 翌年今金町民の手で発掘されたピリカカイギュウ。四角 く木枠で囲った部分から最初の化石が見つかりました。 写真は、上をおおっている土砂をバケツリレーで運び 出しているところです。 頭がい骨やろっ骨など全部で33個の化石がみつかりまし た。化石はとてもやわらかく、豆腐 のようだったといわれ ています。 クリーニングのようす (1984年8月) 体長はなんと8メートル! 世界最大級のカイギュウだよ 化石がやわらかかったため、化石の周りを石こうで固 め、まるごと整理室に運んで作業が行われました。 表面についている土砂を棒でつついて落と す、こんな地道なクリーニング作業が根気 よくつづけられ、ピリカカイギュウは復 元されました。 色がついている ところが発掘で 出てきた部分 復元されたピリカカイギュウ化石 今金町でよくみられる化石 アメリカマナティー (D.W.マクドナルド編 1986『動物大百科 第2巻 海生哺乳類』平凡社より) カイギュウの仲間には、このマナ ティーとジュゴンがいます。カイギュ ウは、光の届く範囲の浅瀬にはえて いる植物を食べて生きています。海 草をウシのようにモグモグと食べ る姿から、カイギュウ(海の牛)と呼 ばれるようになりました。性格はと てもおとなしく、群れをつくって生 活しています。 1. オーロラニシキ 2. フジツボ類 3. 4. 偽サンゴ 5. エゾキンチャクガイ 6. タムラニシキ 7. アラスカニシキ 8. ナカジマキララガイ 9. イサオマルフミガイ 10. エゾフネガイ 11. ナミマガシワモドキ 12. エゾシラオガイ 13. カシパンウニ類 14. アラスカシラオガイ
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