生徒20人救った“セウォル号の義人”が なぜ自殺企図を…

ハンギョレ新聞 15.03.22 セウォル号の義人
生徒20人救った“セウォル号の義人”が
なぜ自殺企図を…
「私の体が私の体でないようで…精神科治療受ける
周囲の子たちを見ると檀園高の生徒の姿がしきりに浮かんでくる」
セウォル号事故後、家庭はめちゃくちゃ…
1 億ウォンの貨物トラックも失い
福祉部に義傷者申請したが、審査対象から除外
昨年4月のセウォル号事故当時、船内の
消防ホースを利用して檀園高の生徒たちを
救助し、「セウォル号の義人」「青ズボンの
英雄」と呼ばれたキム・ドンス氏(50・済
州市朝天邑)の携帯番号は、セウォル号沈没
事故が起きた 4月16 日を指す
010-xxxx-0416 だ。携帯の裏面にも、セウ
ォル号の犠牲者を追悼する黄色いリボンが
ついている。
キム氏は“セウォル号の苦痛”の中で激
裁判の証人として出席したキム・ドンス氏。//
ハンギョレ新聞社
しい心的外傷(トラウマ)と経済的困難に苛まれ自害を試みた。彼は19日午
後8時43分、済州市朝天(チョチョン)邑 咸徳(ハムドク)里の自宅で刃物で自
分の左手首を切り、意識を失って倒れているのを娘に発見された。キム氏の娘
が警察に通報し、緊急出動した119救急隊が近くの病院に運んだ。彼は応急
手当てを受けた後、帰宅した。
20日午前、治療を受けるために京畿道安山精神健康トラウマセンターに向
う彼と、済州空港で会った。
「体が思うようになりません。病院でも『私の体が
私の体でないようだ』と訴えました。昨日も精神科治療を受けに行ってきまし
た。気分はよくなりました。でも、手がとても痛くて、こんな使い物にならな
い手で何ができるだろうかと思いました。それで、そんなことをしたんです」
セウォル号事故以前は体格が良かったというキム氏は、やつれたように見え
た。「(セウォル号事故について)国民は全てが解決されたものと思っています。
全部補償を受けて解決されたのに、なぜあの時のことを忘れられないのか、と
いう人たちがいます。制服姿の子を見ればあの子たちが思い出され、窓を見れ
ばセウォル号の窓に(しがみついて)いる子どもたちの姿が思い浮かびます。そ
れなのに、どうして簡単に忘れられますか。頭が痛くて痛くて、髪まで全部剃
ってしまったくらいです。 生きるのがあまりにも辛いです」
セウォル号事故現場で生徒たちを救出しているキム・ドンス氏。SBS 画面キャプチャー//
ハンギョレ新聞社
キム氏は感情がこみ上げてきたのか、しばし視線を足元に向けて唇を噛みし
めた。 マスコミは彼を“義人”と称賛したが、セウォル号事故後のキム氏の暮
らしはめちゃくちゃになってしまった。 自分の貨物トラックで仕事をしていた
彼が、セウォル号沈没とともに 1 億ウォン相当の貨物トラックを失い、やれる
ことは何もなかった。 妻は仕事に出るようになり、高3の娘は通っていた塾を
止めてアルバイトをしている。彼は病院治療と安山(アンサン)への往復、そし
てトラウマに関する情報を得ることに、金をほとんど使い果したという。今は
借金で生活している実情だ。済州道は彼に、道費と国費、寄託金などを合わせ
て現在までに1100万ウォンを支援したと明らかにした。キム氏は昨年11
月、福祉部に義傷者(訳注:職務以外の行為により他人の生命財産を守ろうと
して負傷した人)認定を申請したが、福祉部の追加資料補完要請が厳しく資料
を提出できず、審査対象から外された。
済州道在住のセウォル号生存者23人も深刻なトラウマの中にあるが、彼ら
を治療してくれる施設は少ない。彼は「済州道にもトラウマセンターがあるけ
れども、安山のトラウマセンターのように負担なく寄って話をしたり治療を受
けたりできるところではない。生存者たちが座り込んで話をし、苦痛も分け合
うことのできるような憩いの場を早くから済州道に要求したが、実現されなか
った」と話した。
キム氏は今年に入って4回、トラウマ治療のため安山まで往復した。 安山に
起居して治療を受けたいが、経済的余裕がない。
「セウォル号沈没の惨事が起きて1年近くになるけれども、国民はどうして
安全を信じることができよう。何も解決されていない。それで、本当にもどか
しい」
キム氏は、セウォル号事故当時、3階客室から手すりを掴んでデッキに上り、
船にあった消防ホースを引っ張り出して4階に降りて檀園高の生徒約20人を
救出した。 昨年7月、光州(クァンジュ)地裁刑事11部のイム・ジョンヨプ裁
判長は、セウォル号の乗組員たちの裁判に証人として出席したキム氏にこう言
った。「私たちが見た人の中で最も責任感の強い方です。 たくさんの人たちを
救い出すことができなかったという思いから、精神的苦痛を受けておられるよ
うですが、心から感謝申し上げます」
済州/ホ・ホジュン記者 (お問い合わせ [email protected] )
ハンギョレ新聞 15.03.22 セウォル号
苦痛から抜け出せない「セウォル号生存者」
うつ病のため自傷行為...勧告辞職...
惨事から 1 年経ったが、今も心理的な苦痛続く
生計のためカウンセリングは考えられず
政府の「訪問相談」もうやむや
訪問などを通じて積極的に治療受けるように誘導すべき
セウォル号事故の一般人生存者イ・ヨンジュン氏(40代・仮名)は、自分
には「心的外傷後ストレス障害」(PTSD、トラウマ)がないと思っていた。
だから事故直後、病院に18日ほど入院したが、直ちに仕事に復帰した。しか
し、そうではなかった。昨年12月から、小さな音でも胸が苦しくなって息が
詰まり、事故当時の場面が何度も浮かぶようになり、まともに日常生活を送れ
なかった。典型的な心的外傷後ストレス障害の症状である。4日間も眠れず、
薬を飲んだら、2日間も寝込んでしまうこともあった。定時に出勤できない日
が増えた。結局2月初めに辞職を進められた。イ氏は23日、ハンギョレとの
通話で「代行運転や掃除もしてみたが、それさえも続けるのが難しい。経済的
に役に立つわけでもないし、息子、娘にも申し訳なくて、心理療法は考えたこ
ともない」と話した。
イ氏が住んでいる地域でセウォル号被害者(生存者・遺族)の心理療法に参
加しているある精神衛生社会福祉士は、
「セウォル号被災者の方々に連絡して、
相談や治療を受けにいらっしゃるようにいうと、
『生計はどうすればいいのか』
と非難する方もいる。イ氏も相談・治療が必要だが、なかなか説得できない」
と語った。
19日、済州島(ジェジュド)に住んでいるセウォル号生存者キム氏の自傷
行為のニュースは、セウォル号事故から 1 年が経とうとするにもかかわらず、
まだ苦痛から抜け出せない被害者の辛酸な生活を表わしている。政府は昨年5
月、生存者・遺族が集まっている京畿道安山(アンサン)に「安山精神衛生ト
ラウマセンター」(鞍山全心センター)を開院し、心理カウンセリングや治療
などを支援している。しかし、他の地域に散らばった生存者と遺族は積極的な
管理対象から外れている。
保健福祉部は、事故直後のセウォル号から救助された一般人乗船者と犠牲者
の家族などを対象に、広域単位で家庭訪問や電話を通じた「訪問心理支援サー
ビス」を提供すると発表した。しかし、「対象者が積極的ではない」という理
由でうやむやになっている。45人のセウォル号被害者が居住する仁川(イン
チョン)広域市は、昨年までの訪問事業を行っていたが、今年は中断した。仁
川市役所の関係者は「多くの犠牲者が回復し、これ以上は訪問を望んでいない
からだ。しかし、必要に応じていつでも相談支援を受けられる」と述べた。
済州島にもセウォル号生存者24人が居住しているが、精神衛生増進センタ
ー、セウォル号被害者相談所など心理支援がバラバラに運営されているうえに、
安山よりプログラムが多様でないため、キム・ドンス氏を含む5人の生存者は、
総合的な治療が可能な安山に行き来しながら、相談・治療などを受けている。
済州道庁の関係者は、「安山で音楽・美術治療などの様々なプログラムを経験
した方の中で、そのようなプログラムを望む方に限定し、交通費を補助してい
る」と述べた。
専門家たちは、セウォル号生存者などが継続的な相談・治療を受けられるよ
うに、周りの人や地域社会が積極的に助けるべきだと助言する。チョ・イニ大
韓小児青少年精神医学会災害特任委員会理事は、「安山に住んでいない大人の
生存者は、時間が経つにつれ世界の関心から遠ざかっており、何よりも生活の
負担のせいでトラウマ治療を受けない恐れが非常に大きい。しかし、潜在的な
トラウマが解決しない場合、時間が経ってからでも自責の念などで苦しむ可能
性がある。政府と地方自治体が継続的な支援システムを備えて生存者が相談や
治療を受けるように誘導しなければならない」と述べた。済州ヨンガン病院セ
ウォル号被害者相談所に勤務する職員は、「アルコール中毒などで仕事を出来
ない方は相談さえ受けないので、心配だ。相談所の中で勤務するだけではなく、
積極的に家庭訪問でもしなければならないが、私どもも非常勤兼職なので、そ
の余力なく、残念だ」と話した。
パク・スジ記者(お問い合わせ [email protected] )