45 1954年11月3日 第5回帯広市文化賞受賞 大正9年当時の帯広町に私塾を開設してから34年間、帯広及び十勝の服飾文化、女子教育に 貢献したことの功績が認められた。 1958年11月3日 第10回北海道文化奨励賞受賞 開拓途上の帯広で女子教育の必要性を痛感し、裁縫私塾を開き、女子教育に全生涯を捧げ、 昭和14年火災で全校舎が焼失するという苦難にもめげず再興、昭和31年には渡辺女子高等学校 を創立、渡邉女子学園の体系をつくり上げた。女子教育施設の皆無であった道東に、いち早く 先鞭をつけ、私学の特色を生かし堅実な人物を養成すべく、校風を樹立し内容を整え、独力経 営の任に当り今日に及んでいることの功績が認められた。 1959年12月14日 北海道知事による私学特別功労者表彰授与 大正9年から私学の教育と経営に努め、女子教育を通して優秀な女性職業人とよき家庭の主 婦を育成したことの功績が認められた。 1959年12月23日 紺綬褒章受章 昭和34年8月帯広市養老院施設費として金41万円を寄付したことにつき、褒章条例により紺 綬褒章を賜わってこれを表彰せられた。 1962年5月10日 藍綬褒章受章 早くから教育に専念し、渡邉女子学園理事長及び渡邉女子高等学校長として現在に至る間常 に施設の充実を図って専心子女の育成に努めた教育の振興に寄与し、もって公衆の利益を興し た成績はまことに著明である。よって褒章条例により藍綬褒章を賜わってその善行を表彰せら れた。 46 十勝毎日新聞 1958年10月10日 47 北門新報 1959年4月22日 48 北海道新聞 1959年12月15日 49 北海道新聞 1962年5月11日 50 51 1962年10月25日、渡邉登美の寿像が帯広市 東3条南6丁目の渡辺裁縫女学校校舎前に建立 され、除幕式が挙行された。同年5月の藍綬褒 章受章を記念して、PTA・教職員・同窓会の 間に銅像建設の話が持ち上がり、銅像建設委員 会が設けられた。委員長には渡邉女子高等学校 PTA会長の有塚初次氏が就任して、広く浄財 が集められた。銅像の製作には、富山県高岡市 の久米氏があたった。屋外に設置されたのは、 「永年世の中の雨風に堪えて来た自分である。建てるなら外に」との本人の意向による。台座の裏 側には、次の碑文が掲げられている。 渡辺登美先生は明治13年5月岡山県に生まれ大正9年渡辺和裁の教授に当る爾来幾星霜 多くの苦難を重ねつつ女子教育への情熱を断たず即ち渡辺女子学園を創立し渡辺裁縫女学 校、渡辺女子高等学校を経営し、よく今日の大を成せり、その性重厚にして人格高潔まさ に教育者の亀鑑たり今般藍綬褒章を授与せらるるに当り学園関係者一同その徳を讃え銅像 を建設しもって功績を後昆に伝う。 昭和37年10月 撰文 北海道知事 町 村 金 五 書 柴 田 蕙 山 52 その後、帯広北高等学校が帯広市稲田町基線8番地2に移転したことに伴い、寿像も同所に移転 した。移転を記念して、渡邉登美先生を偲ぶお茶会が1987年6月28日帯広北高等学校茶道部の生 徒達により催された。 53 渡邉登美は、1964年3月28日午後6時 20分、帯広市東3条南6丁目13番地の自 宅で天寿をまっとうした。享年85歳。 渡邉登美の冥福を祈り、生前の功績を 称える学園葬は、同年3月31日、帯広北 高等学校体育館において、全校生徒が参 列して挙行された。 今、渡邉登美は帯広市緑ヶ丘の墓地で静かに永遠の 眠りについている。戒名は教徳院藍綬美鏡大姉。 54
© Copyright 2024 ExpyDoc