特集 創立者を知る 井上円了 [PDFファイル/8.52MB

日本よ、 CHANGE
だ
こっくりさん
ピンチはチャンス
No border!
さ ま ざ ま な 顔 を 持つ井 上 円 了 。
仏 教 哲 学 者 、旅 人 、教 育 者 、妖 怪 博 士 と 、
世界を見にいこう
妖怪を論破する!
近
代
の
知
近代イノベーター
哲学、
発見
VS
近 代 日 本 を 変 え た 明 治 のヒ ーロー 。
と
は
?
その 軌 跡 を 追 いま す 。
井 上円了
特 集 創立者を知る
Enryo Inoue
【井上円了の略年譜】
西暦
(和暦)
● 1858(安政5)
年
越後国
(新潟県)
、
真宗大谷派慈光寺の長男として誕生
● 1874(明治7)
年
新潟学校第一分校
(旧長岡洋学校)
に入学
● 1877(明治10)
年
京都・東本願寺の教師教校英学科に入学
● 1878(明治11)
年
東京大学予備門に入学
1881(明治14)
年
東京大学文学部哲学科に入学
●
● 1884(明治17)
年
「哲学会」
を創立
1885(明治18)
年
東京大学文学部哲学科を卒業
●
● 1887(明治20)
年
「哲学書院」
を設立
『哲学会雑誌』
を創刊
私立哲学館
(東洋大学の前身)
を創立
1
2
諸学の基礎は
哲学にあり
自分の目で
世界を見に行こう
3
庶民を救う
妖怪博士
4
天災、
火災、
人災…
ピンチはチャンス!
5
学ぶ喜びを。
教育のパイオニア
哲学=西洋のものだった時代、円了は数
海外旅行が難しい時代、円了は 3 度の
円了のユニークな学問の 1 つが「妖怪
円了の事業は苦難の連続。台風で完成
「余資なく、優暇なき者」のため、円了
千年の歴史を持つ仏教を東洋の哲学と
長期世界視察を経験しました。欧米を
学」。摩訶不思議な現象を徹底的に分析
直前の哲学館が倒壊したり、火災で全
は教育の門戸を開く活動に尽力しまし
して再評価し、西・東の両方から学ぶ必
はじめ、南米、オーストラリアとワール
し、虚言や偶然からなる「偽物の妖怪」
焼したり……円了は度重なる逆境を力
た。
「全国巡講」の生涯講演数は 5291
要性に気づきました。そして世界の哲学
ドワイド。自身の目で見て感じた経験
を次々と暴きました。なかでも当時流
に変えてきました。なかでも校舎倒壊で
回。民衆の近代化に多大な影響を与え
者の代表として東洋からは「孔
は、帰国後すぐに教育現場に持ち込
行っていた「こっくりさん」を論理的に
負債を抱えたピンチの円了が寄付を得
ました。そうした円了の精
子」
「釈迦」
、西洋からは「ソク
みました。今でいうグローバルな視
解明した逸 話は有 名。迷 信に
るために始めたのが全国での講演。27
神 は 100 年 におよぶ「 男
点で世界を見据えた教育を明
縛られていた庶民を救う円了
年におよぶ偉大な
女共学教育」へとつながっ
治時代から行っていたのです。
流の「教育」でした。
活動となりました。
ています。
ラテス」
「カント」を選出し、
「四
聖」として祭りました。
井上円了の依頼で描かれた
円了の旅行先での経験を記した「政
「四聖像」。
教日記」
「西航日録」
「南半球五万哩」。
「妖怪学講義」。妖怪や幽霊に関す
る多くの資料を集めていた。
特 集 創立者を知る
哲学教育の先駆者・井上 円了、
日本を変えた の情熱
5つ
本郷区駒込蓬莱町(現・文
昭和初期ごろの東洋大学の講義
京区向丘)の哲学館校舎。
の様子。
● 1888(明治21)
年
第1回海外視察に出発
(1889年6月帰国)
● 1889(明治22)
年
哲学館新校舎完成
● 1890(明治23)
年
哲学館専門科設立の基金募集のため全国巡講を開始
(1893年2月まで継続)
● 1893(明治26)
年
「妖怪研究会」
を創立
● 1897(明治30)
年
哲学館、
小石川区
(現・文京区白山)
に新校舎を設立
● 1899(明治32)
年
京北尋常中学校を設立、
開校式を挙行
● 1900(明治33)
年
文部省から修身教科書調査委員を委嘱される
● 1901(明治34)
年
内閣から高等教育会議議員を委嘱される
● 1902(明治35)
年
第2回海外視察に出発
(1903年7月帰国)
● 1904(明治37)
年
「専門学校令」
による哲学館大学の学長に就任
哲学堂
(現・哲学堂公園)
開堂式を挙行
● 1906(明治39)
年
哲学館大学学長・京北中学校校長を辞任
財団法人「私立東洋大学」設立
● 1911(明治44)
年
第3回海外視察に出発
(1912年1月帰国)
● 1919(大正8)
年
中国大連で講演中に倒れ逝去
(享年61)
近
代日本の礎を築いた賢人で、日本の哲学教育の先駆者と
して知られる井上円了。円了の考える「哲学」は特別な
ものではなく、すべての学問の「基礎」。西洋文化と邂逅し、価
「哲学」
を学びの基礎に
井上円了哲学塾
Column
円了の志を受け継ぐ
全国講師派遣事業
晩年に築いた精神修養の聖地
哲学堂公園
値観が一変した明治期、人間の指針となる「哲学」が求められ
円了の大いなる社会教育への志を継承
東 京都中野区にある哲学堂公園は、円了
ていました。しかし、当時「哲学」という概念は西洋のもの。お
し、全国の人々の「生涯学習」支援を
の考えを具現化した空間として 1904(明治
目的として始められた講師派 遣事業。
寺に生まれ、西洋学を学んでいた円了は、東京大学で西洋哲学
に没頭。その上で東洋文化を見つめ、
「洋の東西を問わず、真理
は哲学にあり」と確信したのです。哲学に西も東もない、西洋
文化も日本文化も大切で、双方を探求することが日本の近代化
につながるはずだ。そう考えた円了は 29 歳で「私立哲学館(現・
東洋大学)」を創立しました。伝統を守りながら西洋文化を巧み
に取り入れた日本の近代化には、円了の活躍があったのです。
4
37)年に創設されました。
「教育的、倫理
「生涯学習支援」「企業研修支援」の
的、哲学的精神修養」の公園として 77 カ
2 つのプログラムから成り立ち、テー
所の探求の場が設けられ、円了の世界観が
マも多彩です。
「生涯学習支援」は講
今でも息づいています。東西の哲学の代表
幅広い年代・経験を持つ塾生が、講義やディスカッ
演料や交 通費、宿 泊費などを大学負
者・四聖人(孔子・釈迦・ソクラテス・カント)
ションを通じ、異なる価値観を学び伝え、自身の
担で、
「企業研修支援 」はリーズナブ
が祭られた四聖堂、哲学の講話を開くため
哲学を探求します。各自がリーダーの資質として
ルな講師料で講師を派遣します。
の宇宙館などがあります。風致景観や学術
不可欠な「自己の基軸=哲学」を備えた人間力に
的 価 値などが 評 価され、2009( 平成 21)
富む人財の育成を目指します。
年に東京都の名勝公園に指定されました。
六賢台
哲理門
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