2014年 (平 成26年 )8月 219 6版 母グ マの子育 て に つい てお 話 し まさあき 允昭さん Fl出 奇 かどさき しま す 。 ル 出嘘撮国塾記念館に勤め 、 胆振 管 内 厚 真 町 の道 有 林 に通 い始 5年 前 から 多 く の母子 を 見 て めた4 き ま し た 。 ヒグ マは 1∼ 3頭 の子 を産 みま す 。3頭 生 まれ る のは 全 あ り ます 。 と 、生 ま れ た 子 のふ ん 尿は あ り ま せ ん 。母 グ マが な め取 っている の 、 です ね 。母グ マのふ んは穴 の日 に 体 の1 ・7% とご く ま れ で、 2頭 7 % 、 1 頭は ︲ % です 。 が4 5 冬ご も り の穴 で出 産 o穴 を 見 る 3 2014年 12月 24日 第 43号 <北 海道熊研究会報 > 北海道新聞 の夕刊紙面、 「私 のなか の歴史」、 「ヒグマ研究 45年 」連載 の 11回 目(8月 29日 )を 載録 します。編集委員 の「中尾 吉清」さんが取材文章化。 動物学者 ゼ 研究 5 4年 ① つ く ら い です 。子 グ マは よ ろ け な 子育 て り 穴 を 出 てくる 。こ のこ ろ の子 グ 4月 下 旬 か ら 5月 上 旬に冬ご も 0 考く ら い。 6月 に0 マの体長は 5 6 が ら 必 死に 母 の後 を つい て歩 く 。 時 々、母グ マは 子 のそ ば に行 って ︲ 体を な め て元気 づ け る 。愛 情 に滞 ち た感 動 的 な 子 育 て です 。 危険 が 迫 って ﹁ 来 い﹂ と いう と き に 、 子 グ マが来 な いと た たく こ と も あり ま すよ 。 雌雄 と も 冬 ご も り 穴 を 出 た ク マ が 真 っ先 に向 か う のは 湿 地 で、﹁ ミ ズバ シ ヨウ を 食 べる﹂ と 言 わ れま すが 、私が 観 察 したと ころ 、同 じ ” ひ″ ﹁制 御 げ ば ″ ” ″ 餞 雛 調 は マ . 母 グ マ と 、 そ の胸 元 に寄 り 添 う 子 グ 〈追加写真〉 日高山脈の ・ エサオマント ヘ ッタ ツ岳(1901m)の ゛ エサオマント ッタヘツ,:1源 頭カールの ) 雪渓を登る母子熊、(7月 子育て 追 い払 った先 見続け た母 お っぱ い を 独 占 で き て 早 く 成 長 す 1歳 で自 立 し ま し た 。栄 養 豊 富 な 、 ザ ゼ ン ソ ウ が あ る 所 は ク マ の着 る か ら で す 。 2 頭 の場 合 は 2 歳 で 4 回目 は 1頭 。子 が 1 頭 の場 合 き 場 にな る 可能 性 が あ る と も 言 え 親離 れしま した 。 残 し 、 茎 葉 と 根 を 食 べま す 。 局が 高 い と ザ ゼ ン ソ ウ が ま す 。標一 革 を 食 べた り し て い ま す 。 合 い 、 取 っ組 み 合 って 遊 ん で い ま した 。そ んな 時 、 K子 は無 関 心 で の 兄 弟 で す 。 2 頭 は い つも じ ゃ れ 、 5 8 年 に生 ま れた のは 四郎 五郎 な い の で 、 ミ ズ バ シ ョウ を 食 べ ま 、人 間 す 。 いず れ も 刺 激 物 が あ り が 日 に す る と 、 国内 が 焼 け た だ れ 。 る の で注 意 し て く だ さ い 大 雪 山 系 で 、 大 雪 山 ヒ グ マ調 査 会 代 表 の小 田 島 護 さ ん が 1 9 8 0 し か し 、 四郎 は 翌 年 8 月 、 落 石 ま で度 々 8 月 か 9 月 に 高 根 ケ 原 東 骸 を食 べてし ま いま した 。そ う す 難 を逃 れま した 。 K子 は 四郎 の死 い つも K 子 に 寄 り 添 って い た の で が 当 た って 死 ん だ 。五 郎 は 臆 病 で 、 。 部 の 高 原 沼 一帯 で 観 察 し ま し た ることが愛情 で、わが子 の死を受 年 か ら 観 察 し て い た 有 名 な ﹁ヒ グ ︲年 から︲年 マのK子 ﹂ 。私 も 、 8 9 0年から2年 間 で4回出産 K子 は 8 1 け 入 れ 、け りを付 け て いる の でし し 6頭 の子を育 てま した 。 1 、 3 回 目 の 出産 は 双 子 で 2 、 ょう 。 四郎が死んでからK子は、頻繁 に五郎の遊び相手をするようにな りました。それも、大げさなアク ションで。母グマは、子グマの成 長に遊びがとても大事だと分か っ ているんですね。 母子の別れは春から初秋のこ ろ。K子は五郎を2年5カ月育て 7年7月に自立させた。K子 て、8 は徐々に五郎と距離を置き、やが て威嚇して追い払いました。 五郎はそれでも母を忘れられ ず、時々、K子が見える場所に現 れ、母を見つめ、寂しそうに何度 も振り返りながら立ち去ります。 K子も、五郎の行方を静かに見つ めていました。見ていて、涙が出 そうになる、 別れのシーンでした。 聞き手 。中尾吉清︶ ︵ 」
© Copyright 2024 ExpyDoc