2014年12月北海道熊研究会会報第43号

2014年 (平 成26年 )8月 219
6版
母グ マの子育 て に つい てお 話 し
まさあき
允昭さん
Fl出 奇
かどさき
しま す 。
ル
出嘘撮国塾記念館に勤め 、
胆振 管 内 厚 真 町 の道 有 林 に通 い始
5年 前 から 多 く の母子 を 見 て
めた4
き ま し た 。 ヒグ マは 1∼ 3頭 の子
を産 みま す 。3頭 生 まれ る のは 全
あ り ます 。
と 、生 ま れ た 子 のふ ん 尿は あ り ま
せ ん 。母 グ マが な め取 っている の
、
です ね 。母グ マのふ んは穴 の日 に
体 の1 ・7% とご く ま れ で、 2頭
7 % 、 1 頭は ︲ % です 。
が4
5
冬ご も り の穴 で出 産 o穴 を 見 る
3
2014年 12月 24日
第 43号
<北 海道熊研究会報 >
北海道新聞 の夕刊紙面、 「私 のなか の歴史」、 「ヒグマ研究 45年 」連載 の
11回 目(8月 29日 )を 載録 します。編集委員 の「中尾 吉清」さんが取材文章化。
動物学者
ゼ 研究 5
4年 ①
つ く ら い です 。子 グ マは よ ろ け な
子育 て
り 穴 を 出 てくる 。こ のこ ろ の子 グ
4月 下 旬 か ら 5月 上 旬に冬ご も
0 考く ら い。 6月 に0
マの体長は 5
6
が ら 必 死に 母 の後 を つい て歩 く 。
時 々、母グ マは 子 のそ ば に行 って
︲
体を な め て元気 づ け る 。愛 情 に滞
ち た感 動 的 な 子 育 て です 。
危険 が 迫 って ﹁
来 い﹂ と いう と
き に 、 子 グ マが来 な いと た たく こ
と も あり ま すよ 。
雌雄 と も 冬 ご も り 穴 を 出 た ク マ
が 真 っ先 に向 か う のは 湿 地 で、﹁
ミ
ズバ シ ヨウ を 食 べる﹂ と 言 わ れま
すが 、私が 観 察 したと ころ 、同 じ
” ひ″ ﹁制 御 げ ば ″ ” ″ 餞 雛 調 は
マ .
母 グ マ と 、 そ の胸 元 に寄 り 添 う 子 グ
〈追加写真〉 日高山脈の
・
エサオマント
ヘ
ッタ
ツ岳(1901m)の
゛
エサオマント
ッタヘツ,:1源 頭カールの
)
雪渓を登る母子熊、(7月
子育て 追 い払 った先 見続け た母
お っぱ い を 独 占 で き て 早 く 成 長 す
1歳 で自 立 し ま し た 。栄 養 豊 富 な
、
ザ ゼ ン ソ ウ が あ る 所 は ク マ の着
る か ら で す 。 2 頭 の場 合 は 2 歳 で
4 回目 は 1頭 。子 が 1 頭 の場 合
き 場 にな る 可能 性 が あ る と も 言 え
親離 れしま した 。
残 し 、 茎 葉 と 根 を 食 べま す 。
局が 高 い と ザ ゼ ン ソ ウ が
ま す 。標一
革 を 食 べた り し て い ま す 。
合 い 、 取 っ組 み 合 って 遊 ん で い ま
した 。そ んな 時 、 K子 は無 関 心 で
の 兄 弟 で す 。 2 頭 は い つも じ ゃ れ
、
5
8 年 に生 ま れた のは 四郎 五郎
な い の で 、 ミ ズ バ シ ョウ を 食 べ ま
、人 間
す 。 いず れ も 刺 激 物 が あ り
が 日 に す る と 、 国内 が 焼 け た だ れ
。
る の で注 意 し て く だ さ い
大 雪 山 系 で 、 大 雪 山 ヒ グ マ調 査
会 代 表 の小 田 島 護 さ ん が 1 9 8 0
し か し 、 四郎 は 翌 年 8 月 、 落 石
ま で度 々 8 月 か 9 月 に 高 根 ケ 原 東
骸 を食 べてし ま いま した 。そ う す
難 を逃 れま した 。 K子 は 四郎 の死
い つも K 子 に 寄 り 添 って い た の で
が 当 た って 死 ん だ 。五 郎 は 臆 病 で 、
。
部 の 高 原 沼 一帯 で 観 察 し ま し た
ることが愛情 で、わが子 の死を受
年 か ら 観 察 し て い た 有 名 な ﹁ヒ グ
︲年 から︲年
マのK子 ﹂ 。私 も 、 8
9
0年から2年 間 で4回出産
K子 は 8
1
け 入 れ 、け りを付 け て いる の でし
し 6頭 の子を育 てま した 。
1 、 3 回 目 の 出産 は 双 子 で 2 、
ょう 。
四郎が死んでからK子は、頻繁
に五郎の遊び相手をするようにな
りました。それも、大げさなアク
ションで。母グマは、子グマの成
長に遊びがとても大事だと分か っ
ているんですね。
母子の別れは春から初秋のこ
ろ。K子は五郎を2年5カ月育て
7年7月に自立させた。K子
て、8
は徐々に五郎と距離を置き、やが
て威嚇して追い払いました。
五郎はそれでも母を忘れられ
ず、時々、K子が見える場所に現
れ、母を見つめ、寂しそうに何度
も振り返りながら立ち去ります。
K子も、五郎の行方を静かに見つ
めていました。見ていて、涙が出
そうになる、
別れのシーンでした。
聞き手 。中尾吉清︶
︵
」