法華経における女人成仏に就いて

法華経における女人成仏に就
て
海淑
︵1︶
まず手順として提婆達多品の変成男子の場面を見ることにすると、そこには以下のように述べられている。女身は
さか納得出来かねるものがあるので、以下これについての法華経の説示を見て行くことにする。
しかし、ここに示されるものによって、仏教の、わけても法華経の女性観の全容であるかのような指摘には、いさ
例として提婆逹多品の龍女の物語を挙げ、後者の例として﹁薬師如来本願経﹄を挙げている。
のであるがP大越氏は先の論に続けて、変成男子思想には生前の変身と死後の変身との二通りがあるとして、前者の
ている・この変成男子という変身によっての女人の救済は、法華経の提婆逹多品に説かれていることが知られている
﹁変成男子﹂とは、女性が女性性を否定し男性に変身することで成仏できるという、仏教独特の教えであるといわれ
性は全く無価値化され、実質的に排除されたのである。女人五障説において、女性は仏になれないと説かれている。
ブッダは、男女が無性化することで、平等を説いた。仏教の場合も男性性を唯一の性とするすりかえが生じ、女性
望月
い
垢稜にして法器にあらず、よって無上菩提を得ることは出来ない、その上、女人には五障があるから仏にはなれない
のだ、となした上で
法華経における女人成仏に就いて︵望月︶
−5−
一
法華経における女人成仏に就いて︵望月︶
当時衆会皆見二龍女一・忽然之間変成二男子一。具二菩薩行一︵三五下︶
於斯変成男子菩薩。尋即成仏︵一○六上︶
として、妙・正両法華経ともに変成男子説をとって、菩薩行・成仏をしたことを示している。梵文法華経は
の四m画吋画0国四函画0吋四一四0﹄厚壷鮮四︲の四吋ぐmI﹄○云四Iで﹃画芽詞画斉mmH種の寺彦ゆぐ啓司画の望画○画の四吋一己屋守門mのぎ四”ご吋四芽曽回斉@画H恒詳画守の奇吋︼︾
国・局一望画尉目四国計画吋壷一含画門戸で崖吋巨m⑪冒竺門芦冒回園恒○四石吋四﹄宮門ご毎回毒画縄︺宣○﹄ご尉四守奈ぐ画︲すぎ国芽画昌︺の︾四註﹃国四国四国宮の画揖]﹄四吋の四昌回計芦
︵2︶
︵二六五、二二七︶︵サーガラ龍王の娘は一切世間の面前で、長老・舎利弗の面前で、彼女の女根を消滅させ男根を出現さ
せ、菩薩となった自我をあらわした︶
となしているから、変成男子というのは、表面的な姿・形の変化ではなくて、女根を男根に転ずるという男女の性の
根本的な変身を意味していることになる。すなわち、大越氏が指摘されているように、生前の変身であり女性性の否
定の上において成り立っている、といえるのであろう。
そこで立場を変えて仏教の歴史を見ると、釈尊が女人の出家を拒否されたという指摘があ恥理しかもそれによって
︵4︶
正法は五百年しか続かなくなったともある。このような阿含経の説示にたいし、大乗仏教は自己の経典を読んでもら
︵5︶
うことを期待した相手は、経典の中で、善男子・善女人と呼ばれている人々である、と女人が経典の信奉者であると
して女人の価値を高め、更に般若経の空の理念によると、男と女との相異にしてもこれあるべきはずはなく、畢寛す
︵6︶
るに、一切諸法ことごとく空にしてさながらに本来成仏なるがごとく、男子、女人ともにまた客観的にはそのまま本
来成仏なるべきものであるとの経典の内容の変遷を生むことになったのであろう。
かくて、般若経の恒河提婆品の転女成男︵変成男子︶思想が、出現したのだといわれている。すなわち、恒河提婆
−6−
︵Q邑窓号墨︶は仏の般若の深法を聞いて驚かず怖れず、自分も未来世の衆生のために、このような法を説こうと
決意し、仏に金華を散じた。華は虚空にとどまり、仏は微笑して、彼女は女身を転じて男子となり、後に金華仏とな
るのであろうとの授記をうけたことを説いたも仇である・:
そして、この般若経は大乗経典の最初に位置するものとして捉らえられていることからすると、この転女成男とい
う考えかたは大乗仏教の初期において見られるものといいうるであろう。しかして勺この転女成男に言及した経典と
しては、芙宝積廷の中における十一経が見ら燈その他芙集塗の所載などにも認められるところである。
このように変成男子というありようが諸経典に見られるとしても、提婆達多品に説かれる変成男子が、法華経の女
人成仏論を代表するものである、といいきるわけにはいかないであろう。
一一
法華経の序品には、耆闇嶋山において、釈尊は仏弟子や菩薩や天龍八部などに取り巻かれて座っておられたことが
示されているが、ここで注目すべきことは、この説法の場面に摩訶波闇波提︵三画冨胃画蔵宮武︶と耶輸陀羅
富農○号胃巴とがいたということと︽阿闇世︵ど響鼠里冨︶がいたという一言である。前者は五障ありといわれ、
阿含経によって釈尊に出家を拒否されたといわれた女性であり、後者は不成仏といわれる親殺しの大悪人だからであ
る。ここでは悪人のことはさておき、女人に関じての論を展開することにする。
序品の説法の場面に女人がいたという説示は、この経典において女人救済への道が開かれるということを暗示する
ものでなければならな児そして、序品の暗示を受け継いだと思われるものが、勧持品の説示の展開であると考えら
法華経における女人成仏に就いて︵望月︶
−7−
法華経における女人成仏に就いて︵望月︶
れる。一仏乗の説示を受けて仏弟子たちが勧喜踊躍したさまは、法華経の譽嶮品以降において詳細に展開されている
説示である。しかしてへ序品から勧持品にいたるまでの説法にみられるものは、すべて仏弟子︵男︶たちの成仏にか
かわることであった。そこで勧持品は摩訶波闇波提が六千人の比丘尼たちとともに、じっと釈尊を見詰め目は暫も
捨てずという態度であったことを示している。そこで釈尊は彼女等にむかって、何が故に憂いの色にて如来を見るの
かと問うた上で、そなたは仏が汝の名を挙げて無上菩提の記を授けては下さらない、と思っているのではないのかと
語った上で、次のように説いている。
㈹我先総説一切声聞皆已授レ記。今汝欲し知し記者。⋮⋮具二菩薩道一・當レ得二作仏一︵三六上︶
一切衆会等共和同。爾乃演布授衆人決。當至無上正真之道。皆一等味味無有異⋮⋮當為菩薩常為法師︵一○六中︶
画巨言雲巴巨も巨冒閏○目冨日日協制ぐゆも胃濯旱ぐ昌賢回国gご画二四耳愚凰⋮⋮言号尉里。○日筈蟹昌ぎ○号閏日四︲
三四邑異○喜胃耐冨凰︵二六八、二三○︶︵しかし、実にまたガウタミ−よ、一切の会衆への授記によって、あなたは授記
をされている。〃.⋮・あなたは菩薩・摩訶薩となり、法を説く人となるでありましょう︶
!すなわち、我先に総じて一切の声聞に授記した、記を知ろうと欲するならぱと妙法華経はいい、一切衆会は共に和
同すと正法華経はいい、一切の会衆への授記によってあなたは授記されたのだと梵文法華経はいうが、これら梵漢三
経の表現の間には大きな相違があるとは思えない。
そしてへこれと同じ内容のことが、耶輸陀羅についても語られている。今は繁雑にわたるのでこれを省略するが、
これらの場面において見ることが出来る女人にたいする授記のさまは、舎利弗とか迦葉とかの男の仏弟子にたいして
の授記の表現とまったく同様なものであるといいうる。
−8−
おも
摩訶波闇波提と耶輸陀羅等にたいして釈尊が、ことさらに汝が心には汝が名を説いて授記しないのか、と謂うも
のがあるのではないかといい、授記の中で独り我が名を説きたまわずと表現し、その上において授記が説かれたと
いうことは、釈尊が仏弟子と彼女たちとの間にはまったく違いがないものであることを強く語ろうとしたもの、と
受けとめるべきだと思われる。言い換えると、これらの一連の説示は、一切の声聞と女人との間には差別がないこ
とを示したものと思わなければならないということである。それ故にこそ、﹁我等亦能於二他方国土一広宣二此経一﹂
﹁我等信楽是仏法訓。堪忍調読。又及餘人他方世界﹂﹁ぐ画冨目画巨喜四空く目の四目言の四冨日口言言四日号閏冒四︲
富ご壁画昌闇冒官四百囹首言昌冨の日日の毎行富の9日のの画目星の︾且きゆご闇巨旨言︲号響扇ぐ昼︵三六中、一○六
下、二七○、二三二︵世尊よ、私たちはこの法門を後の時、後の非時に、他の世界において説くことに努めますとと彼女ら
によって語られたのであり、これは菩薩道を行ずるという彼女等の宣言となったのであり、変成男子せずとも、女の
身そのままにおいて成仏が出来ることを語ったものだと思われるのである。
この勧持品の立場と提婆逹多品との説示の内容を比べて見ると、両者には大変に大きな相違があることが解る。そ
れは指摘するまでもなく、女人にたいする基本的な姿勢の相違であるといわなければならないであろう。したがって、
法華経の女人成仏を語るという時には、その立場を提婆逹多品の説示におくことよりも、勧持品の女人への授記を取
り上げて論ずべきものと考えなければならないであろう。
一一一
今度は別の立場から、法華経の説示にあらわれる女人観を探って見ることにする。善男子・善女人という言葉は、
法華経における女人成仏に就いて︵望月︶
−9−
法華経における女人成仏に就いて︵望月︶
この経典を読んでもらうことを期待した相手であろうことは既に触れた。そして、それは呼び掛けにさいしての慣例
的なものでもあろうから、善女人と呼び掛けられる時の善女人の語についての考察は、今は除外することにする。そ
こで善女人と表現がなされる以外の場面において、法華経の中で女性に触れた場面の表現を拾いあげて見ることにす
る○
、
まず警嶮品の中に、舎利弗詮吋甘三国が将来の世において華光如来になる、という授記が示されている。その華
光如来の離垢なる国士の世界のさまについて、次のように説かれている。
其土平正清浄厳飾。安穏豊楽天人熾盛︵二中︶
平等快楽威曜巍巍。諸行清浄所立安穏。米穀豊賎人民繁熾。男女衆多具足周備︵七四壁
●●
の四門旨四目旨局画Hご画恒]昌画寓逼も周回の四・︼澆画尉恒で画司四寓目画lの宮堅四円の四国閏]四園恒己四局﹄の巨旦旦壷四日国○画のも含国︽画﹃宮○四吋・・ず四日ロ○四穴の①﹃ロ画尉目
●●
■●
8の号三宮画日8ヶ四言‘茜旨四︲ご四国︲ぬ画貝騨弓ご四目呂冒四目︲冒画冨昌四日8︵六五、六四︶︵平らで、魅力あり、端
正で、最高に見やすく、清浄で、繁栄し、豊かで、安穏で、豊富な食料あり、沢山な人や女の集団であふれ、沢山な神々であ
ふれ︶
ここでの妙・正・梵の三経典の言葉を比較して見ると、妙法華経が天人という訳語をなしているのにたいして、正
法華経は男女という訳語をなしており、梵文法華経には首冨︵人︶とともに毎国︵女性︶たちがいたとの表現がな
されている。この中で旨ご画の語は生きている者の意を本意として基調においているであろうから人となしておいた
が、漢訳においては男女という訳も成されていることは知られている。そして、次の息昌の語は女性名詞であるか
ら女性を意味する語である。したがってここでは、岩波。中央公論本の法華経のように男女とする訳が相応しいかも
−10−
しれない。しかし、女性ということを明示するために先述のように訳しておいた。いずれにしろ、この仏の国土には
男と女がいたということを明示したものであることは間違いないであろう。よって、華光如来の国士には女人がいる
ということを示したものだとなを
ちなみにこの他の、四大聲聞の授記、並びに他の仏弟子たちにたいする授記に関する記述においても一︾々見て行く
べきであるが、紙数の関係で省略させていただき、女人がいるかいないか、というような言葉を見出だすことは出来
ないという結論だけを記すにとどめることにする。
一方、五百弟子授記品においては、富楼那勺胃目にたいする授記のさまが示されているが、そこでは、諸天の宮
殿は
近処一虚空一・人天交接両得二相見一。無二諸悪道一亦無二女人一︵二七下︶
遥相贈見。天上視世間。世間得見天上。天人世人往来交接。其土無有九十六種六十二見僑慢羅網︵九五下九六上︶
﹄一ぐmIぐ﹄員︺四国四国﹄○一四戸画の四0m含画一︽四国﹄ず富ゆく﹄の琶画冒守一旦のぐ四四で﹄Rご四国宮の望回国﹄門四床、望mご︽﹄︻国画己屋、目四画で一﹄のぐ四国
・門固炭の弐四国守営一毒のご画宍彦四一宮己巨ご画吋ウ壷芦宍の画く四毒の色︻国画望の回⑪旦画国旨ず屋gg壷画0床の①詩﹃画門口四で四四四計画’壱四壱四園桓すずゆぐ﹄、冨画守琶
暑品凹冨︲目騨調忌日画目8︵二○二、一七八︶︵天の宮殿は虚空にとどまり、神々は人を見、人は神々を見るであろう。
さらにまた、比丘たちよ、この時にこの仏国土には悪道なく、女性もいないであろう︶
であるとなされており、この箇所の説示を受けた偶の中においても、﹁無し有二諸女人一﹂︵二八中︶﹁其土亦無女人之
︾。●
衆﹂︵九六下︶﹁目目騨品毎日○官8冨可凹喜の望四且︵二○六、一八二︶︵そこには女性はいないであろう︶となさ
れて、悪道はもちろんのこと女人もいないことが示されている。これは舎利弗が将来において仏となるであろう、華
法華経における女人成仏に就いて︵望月︶
−11−
法華経における女人成仏に就いて︵望月︶
光如来の仏国士の場面とは非常な違いであるといい得る。しかし何故か、正法華経の偶の中においては、このことに
関しての説示は認められるが、長行の部分においては、この女人の有無に関することは述べられてはいない。
薬王菩薩本事品を見ると、そこには日月浄明徳如来に関しての記述があるが、仏の寿命は四万二千劫で、菩薩の寿
命もそれと同じであるとした上で、
彼国無し有一女人地獄餓鬼畜生阿修羅等及以諸難一︵五三上︶
其仏土而無女人三悪之趣。無阿須倫八難之患︵一二五上︶
画で四m画冨︲目豐調毎日四目8g守宮四ぐゅ8国閏昌四三画﹄壱四m画冨︲己愚冨︲陸二四m]○己︲冒異醗胃凹去働く四日︵四○五、
三三九︶︵その座には女性がいないで、地獄・畜生・餓鬼・阿修羅の集団もいない︶
とあり、ここでも女性はいないとなされており、しかも女性が地獄・畜生・餓鬼・阿修羅等と同列に扱われていると
いうことになっている。そしてまた、この薬王菩薩本事品を聞くならば、その人は無量無辺の功徳を得るであろうと
して、もし女人︵ヨ響話&ョ巴ありてこの品を聞き能く受持するならば、となした上で、
憲二是女身一後不二復受一・⋮⋮命終。即往二安楽世界阿弥陀仏⋮’︵五四中下︶
於此世畢女形壽。後得男子。⋮⋮於是壽終生安養国。見無量壽仏︵一二六下︶
の画のぐ四壱画の日冒︺、声ぬず吋H0ご言画ぐ○ず毒ゆぐ]ゆく四歳一一・:﹃国、奈伺函吋四﹃ご画昏つ吋画は壱四許の]凹苛のの画汽百m﹄ぐ四含画の○冒巨含四唇の巨穴彦画ぐゆず望四
目ざ雷︲号習弩屋で砦異望里の︵四一九、三四九︶︵これが最後の女としての姿となるであろう。⋮⋮実にこの世から死ん
”で極楽世界に再生するであろう︶
となされている。すなわちここでは、法華経を受持することによって最後の女人の姿を終わるということ、そして女
−12−
人の身を終わってしまうので、:この人が生まれ出るであろう極楽世界には女がいないということを意味していること
が解る。
しかして普賢菩薩勧発品の中には、まったく別の立場に立つのかと思われるような説示がある。すなわち、普賢菩
薩が仏滅後の濁悪の世の中において法華経を受持せんとするものにたいして、陀羅尼呪を与えるとなした上で、この
陀羅尼を得る人は﹁不し為三女人之所二惑乱一︵六一中︶﹂冒四8墨ご○言冨の四日富国超自武︵四七六、三八七︶︵女性たち
が阻止することがないように︶とした上で、陀羅尼呪を唱え、法華経を書写する人は命終の後に切利天に生まれ出ると
した上で、
是時八万四千天女。作一衆伎楽一而来迎し之。其人即著二七宝冠一・於二媒女中一娯楽快楽︵六一下︶、
八万四千天人王女。往就供養鼓琴歌頌。已作天子坐王女中。而相娯楽︵一三三中︶
のの四目︼○画苛冒門口の副は門ゆでの画吋画の四園冒の回毒画の周回恒昌屋で画の③園恒庁吋回尽ご︼。]回国苛一一寺の︾回彦﹄園国四守司のロmRご巨穴崖守のロ画・のぐゅ0℃巨守門口の
註岳目壱の胃四岳冒日旦どのの夢雷富国陸︵四七八、三八七・八︶︵彼等に八万四千の天女がちかづくでありましょう。最
上の王冠をつけ、天子となり、天女たちの真中にとどまるでありましょう。︶
となされているpこれによると、法華経を書写するならば、その人は命終を迎えた後において、八万四千人の天女の
中に生まれ出るということになるであろう。そして更に、法華経を受持し読調しその意趣を解するならば、この人は
命終をすると千仏の手に委ねられるとした上で、:
性二兜率天上弥勒菩薩所一・弥勒菩薩有一一三十二相一・大菩薩衆所二共園僥一・有一百千万億天女春属一・而於レ中生
︵六一下︶
法華経における女人成仏に就いて︵望月︶
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法華経における女人成仏に就いて︵望月︶
生兜術天。在弥勒仏所成菩薩身。三十二相荘厳其体。億千玉女春属園邊︵一三三下︶
拝四四○]巨計四四○画目屋の騨四冒四門糧ユのぐ四口四門宿のゆず彦画︲ぬ画守凹昌αも画も画毒の望画守①昌画︽吋四の四三︷画騨司の当○ご○・彦尉四守計ぐ○
﹃冒四彦四の画苛奇ぐ回碗守﹄のへご画苛﹄﹄ぐ回守門旨糧の画・Iぐ画吋画0﹄四声の回国○ず○﹄弓一切画含守ぐゅ1mm恒回0℃四吋﹄ぐ揖計○︾での画吋画廿0床○号︼1国画目屋計画lの画含画I
の固冨胃画も胃四の耳9号胃冒四昌号の墨画丘︵四七八・九、三八八︶︵死んでから兜率天の中間に生まれ出るであろう、そ
こには弥勒菩薩摩訶薩がおり、三十二相の菩薩の集団に取り巻かれ、百千万億那由他の天女に法を説くであろう︶
となされている。このように法華経を書写したり受持したり読諦をする人は、天女たちに取り巻かれ、しかも彼女た
ちのために法を説くのだというのであるから、ここでは沢山な女の人たちが存在していることが明示されているとい
一14−
うことになるであろう。
しかしへこの品においては普賢の陀羅尼呪を唱えるならば女人が惑乱することがないといい、女色を街売する.不
与女人無益従事・の曾冒○忽百に近づくなともなしているところがある。このような立場が意味するものは安楽行品
の親近すべきでないとして挙げられた、売春婦や淫女等にたいする態度と同じようなものであろうと思われる。すな
わち、これは女人を色欲の対象として見た場合のことであり、弥勒菩薩所の表現における天女︵女人︶とは質を異に
しているというべきなのであろう。
そこには変成男子を説く提婆逹多品と、男女の差別を認めない勧持品の説示との二つの説の存在を認めることが出来
以上、法華経において女人のことに触れたと思われる説示の場面を見て来たのであるが、これを整理してみると、
四
る。そして、成仏した後の仏国土のことに関しては、警嶮品と普賢菩薩勧発品との二品においては女人がいるとなさ
れているのにたいし、授記品・授学無学人記品では女人の存在についてのとかくの説示が説かれることがなく、五百
弟子授記品・薬王菩薩本事品では女人がいないと明示されているということになる。
そこでもう一度、提婆達多品についての考察をしてみると、﹃添品妙法蓮華経序﹄の中において、曽って羅什訳に
はこの品がなく、正法華経は多羅葉に似ており、妙法華経は亀弦文に似ているとなされており、更に、提婆達多品
を見宝塔品に通入したことが示されてい壷これによって見ても、この品が後の時代において付加されたものと見
︵肥︶
られているところである。しかし、これが何時の頃に付加されたものかについては明確にされてはいない・ちなみ
︵過︶
に﹃道行般若経﹂において転女成男の説が語られているが、この経典は支婁迦識によって後漢の霊帝の光和二年
︵一七九︶に訳されたとされている。これを受けてみると、転女成男の思想は大乗経典の初期の時代から成立してい
たもの、と思われるところである。しかしまた、夢罵言患冨の凰冨﹄には詠言号ごぐ“昌乱ぐ胃ご画宮門扁号冨鼠巳
己雪旨言冨﹂安であることを転じて男であることを得生とあり、これは女としての存在を男としての存在に変えると
いうようなことであろうから、法華経の女根を転じて男根となるという具体的な表現とはいささか異って、男女一般
という一般的な表現によるものであるといいうるところであろう。
尚また、渡辺照宏氏によると、勧持品の中に、﹁女であることを転じて﹄︵異国喜弩画冒急ぐ胃冨首言巴という句が
見出されることに関して、この句はネパール系諸本やギルギット本へ漢訳諸本にもないのに、西域出土のペトロフス
キー本とファルハドベーグ本とにあるということについて、以下のように述べている。
﹁これは仏陀の養母マハープラジャーパテイー・ガウタミ−および仏陀の元の妃ヤショーダラーとが授記をうける
法華経における女人成仏に就いて︵望月︶
−15−
法華経における女人成仏に就いて︵望月︶
箇処であり、妙法華、正法華、ネパール諸本、ギルギット本︵B︶はすべて女身の問題にはまったく触れず、ただ作
法のみを説いている。これに対し西域出土のF本とP本とには前記のどの本にもない一句﹁ここより死没してのち、
次第して春属とともに女身を転変し﹂が見いだされる。﹁勧持品﹂としてはこの一句がないのが古い形に違いない。
しかし﹁提婆達多品﹂では竜王の娘は﹁女根が消滅して男根が生じた﹂︵変成男子︶と言われ、また﹁薬王本事品﹂
では信女は再び女身を受けないと説かれている。そこで法華経の前後統一の必要を感じた後世の写経者が﹁勧持品﹂
にも、﹁女身を転変し﹂の一句を持ち込んだものに違いない坐と。
すなわち、提婆達多品が後の世に付加されたものだといい、勧持品には女身を転じて男子となるという一句がなかっ
たのだ、とするならば、今、この思想についてとかくの論をもって、成立に関して即断するような資料をもってはい
ないところだとはいいながらも、提婆達多品の説示はその前にある見宝塔品の説示、後にある勧持品の説示と結びつ
くものだといいうる内容には乏しいところであるから、最初からこの位置に存在した品だといいうるようなものでは
ない、といわざるをえないところであ壷かるがゆえに、提婆達多品の変成男子の成仏の説示についても、法華経を
代表する女人成仏の思想とはいいきれないものだといわざるをえないであろう。このように見てくる時、法華経の説
示の展開はどのようであるのか、素直に法華経を読んでいくならば、女人成仏・女人にたいする法華経がもっている
立場は、勧持品の説示でいいつくされたものであるように思われるところである。
注
︵1︶大越愛子﹁仏教文化パラダイムを問い直す﹂︵大越愛子p源淳子・山下昭子﹁性差別する仏教ごp・29.30。※また
−16−
男性に変わって成仏するというのは、女性が無性化することである。﹂と述べられたものがある。
同書の第二部﹁日本仏教の性差別﹂の中には、源淳子氏が﹁女性性をなくすものに変成男子による救いがある。女性が一度
︵2︶漢訳の下の数字は﹃大正新脩大蔵経﹄第九巻の頁数で梵文法華経の次の数字は房画&富国ロ画で宮且胃回冨︲の三弓巳&言Q
華経の呂舎胃日凹己屋且胃国富︲の鼻﹃閏旦國ogmp旨&画己司のaのa討営弓言巨匡旨吾の8言・・臣。m己屋匡芦og5ロゥ望
ご冒旦・国・肉の3画a官9.国pご旨z四日旨︾四画5芸の○画田口屋三s︾凋々雰扇厨言胃四宅宅︲届と、改定﹁梵文法
卑9.口.雲○四画胃画口己○.弓29昼画であり、最初の数字が前書であり次の数字は後書の頁数である。
︵3︶﹃五分律﹄巻二九、﹃四分律﹄巻四九、︵大正・一三・一八五中下、九二二・下︶等。
︵4︶右記の経典︵大正・二二・一八六上、九二二・下︶。
︵5︶平川彰﹁初期大乗仏教の研究﹄︵平川彰著作集三巻︶三五七。
︵7︶﹃小品般若波羅蜜経﹄︵大正・八・五六八中︶﹃道行般若経﹄︵大正八・四五八上︶シや富の画言胃時画as扇・ず望嗣固
︵6︶渡辺楳雄﹃法華経を中心にしての大乗経典の研究﹄九八。
であって、法華経の表現とはいささか異なっている。
く巴ご画.弓言冨詳三匿言の三三の.一八二等。尚、この梵文の言葉は、の耳号冨く画橿昌く胃ご画も胃易四三讐画召宮口三号ご画
仏、提婆達多品における女人成仏について﹂︵棲神第三六号∼第三九号所載︶等。
︵8︶藤田宏達﹁転女成男の思想﹂︵﹁国訳一切経・三蔵集﹄第二集︶一∼一七。平川彰・前掲書三七六∼三九八。拙論﹁女人成
︵9︶大正には安隠とあるが、安穏の方がよいと思うので、このようにした。
しかも転輪聖王の玉女宝よりも百倍も千倍も大きな徳を持った女であると示している。
︵加︶先述の小品般若経は恒河提婆が転女成男した後、阿閤仏の国土に生まれるとしているが、﹃阿閤仏国経﹄には、女がおり、
︵、︶﹁考験二訳。定非一本。護似多羅之葉○什似亀弦之文。﹂とした上で、妙法華経になかった提婆達多品等を訳して付加した
ことを述べている︵大正九・一三四下︶p
法華経の成立に関して、影響力の強かったいくつかの代表的な説が挙げられている。
︵岨︶布施浩岳﹁法華経成立史﹄、本田義英﹃法華経論﹄等に詳しい。尚、勝呂信静﹃法華経の成立と思想﹄第一章第一節には
︵五二二とあり、梶芳光運﹃大乗仏教の成立史的研究﹄には﹁先在経典としての﹃道行経﹄︵五六八ととある・
︵昭︶﹃三蔵記集﹄︵大正五五・四七下︶林屋友次郎﹃仏教研究﹄第一巻には﹁大部般若経中、最も古く中国に翻訳されたもの﹂
法華経における女人成仏に就いて︵望月︶
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法華経における女人成仏に就いて︵望月︶
︵M︶上記声碧画の豐画の国富﹄参照◎尚藤田宏達氏の論文の訳によった。
︵妬︶渡辺照宏﹁詳解も新訳法華経﹂︵﹃大法輪﹄昭和四十二年五月号、七六・七七︶
︵脇︶法華経の成立について、それに四期に別けて考えることを発表されたのは布施浩岳氏であった。それによると、第一期に
降の如来神力品までの各品で提婆達多品を除いたものであり、第四期は残りのものである、となされている︵法華経成立史︶。
ゞは序品から授学無学人記品までと随喜功徳品の偶が成立し、第二期には第一期の長行が成立した。そして第三期は法師品以
分法華経となしている︵法華経論︶。今は布施浩岳博士の説によった。
又、本田義英氏は序品から属累品の前半までのものから提婆達多品を除いたものを原始分法華経とし、それ以外のものを後
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