知的障害児を対象とした持久走の指導に関する研究

知的障害児を対象とした持久走の指導に関する研究
阿部
Ⅰ
問題
通常の学級での持久走の指導について,島本ら
晃久
学部を対象に持久走の指導がどのように行われて
いるか,そして効果的な持久走の指導や授業づく
(2006)は,持久走は子どもの持久力の向上を目
りはどうあったらよいか検討することにした。
的に行われるが,
難しい教材の一つと述べている。
Ⅱ
目的
その第一の理由に,長い距離を走ることで「苦し
特別支援学校中学部が行っている持久走の授業
い」
「疲れる」などといった運動そのものとのかか
の実態を明らかにし,目標周回数を生徒自身で選
わりから生じる生理・心理的問題から,持久走が
択し,主体的に走ることができる持久走の指導に
子どもたちから敬遠されることにある。第二の理
ついて検討する。
由は,何のために持久走を行うかといった授業の
Ⅲ
目的や内容・方法を子どもの実態に即しながら指
1 目的
研究 1
導することができにくい側面を持っていることに
知的障害特別支援学校中学部で行われている持
あると述べている。そのために,子どもたちが主
久走の取り組みについて,質問紙調査から実態を
体的に走れるかどうかという問題にもつながると
明らかにする。
指摘している。
2 方法
壷岐・草野(1994)は知的障害特別支援学校に
4 県の特別支援学校(知的障害)中学部を対象
おいて,子どもたちの体力向上のために「体力づ
に持久走に関する質問紙を送付し,持久走・ラン
くり」を設定している学校は尐なくないと述べて
ニングの時間の担当教員に回答を求めた。
いる。学校での持久走の指導は大変重要なことで
3 結果と考察
あると考えられるが,知的障害児を対象として持
久力の向上をはかることができたという研究報告
は尐ない。
壷岐・草野(1994)は,持久走を行う際の問題
は,子どもが持久走を嫌がるということを指摘し
ている。持久走の初期の段階では,苦しさを感じ
ることが多い。また,体のいたる部分に「こり」
や「痛み」を感じることが多い。これは,次第に
消えていくものであるが,その指導が不適切な場
合は,運動を嫌がることもある。
特別支援学校だけでなく通常の学級でも「苦し
a 健康の保持増進を図る
b 運動量を確保する
い」
「つらい」など問題に対して指導もまだ不十分
c 一日の始まりとして
なこともあり,知的障害児に対する効果的な持久
d 気力を育てる
走の指導法,
授業づくりについての報告は尐ない。
e 持久走への意欲,態度を身につける
林ら(2003)は運動負荷を自ら選択することで,
f 継続して運動に取り組む意欲や態度を身につける
運動の自由度を広げることになり,より充実した
g その他
快感情や達成感が得られることによって運動が継
続して行われることを指摘している。そこで,中
図 1 持久走を行うことのねらいについて
表 1 指導で気をつけていること
心理的な支援
観察・分析し,一定のペースで走ることができ,
技術的・心理的な指導が重要
無理を強いない
競争心
ほめることで自信をつけさせる
本人が無理のないペースと距離で取り組むようにする
「友達も走っている」ということは1つの動機づけとして有効
無理せず「楽しい」という経験
はじめは個々のできる範囲で取り組ませる
スピードより、距離を伸ばし心のスタミナを増していく
目標周回数を自分で選択して,生徒が主体的に走
回収率は 68.3%であった。持久走の時間を帯状
が担当した。
ることができる持久走の指導について検討する。
2 研究対象授業及び期間
N 養護学校の中学部の,「ランニング」を対象
授業とした。生徒 11 名,教員 7 名で授業が行っ
た。授業の進行は,「ランニング」の時間の MT
で設定している学校が多かった。持久走を行うね
期間は 5 月~10 月であった。
らいについて,
「a 健康の保持・増進」や「b 運動
3 中学部の持久走の実態について
量の確保」という回答が多かった(図 1)
。また,
中学部の持久走の実態について,MT との話し
持久走の設定は、多くの学校で週 5 回設定してい
合いをもとに,3 つのグループに分けられるとし
た(図 2)
。この結果から,多くの学校で持久走を
た。30 周前後を走るグループと,15 周前後を走
帯状に設定し,運動量の確保や健康の保持・増進
るグループ, 10 周前後を走るグループの 3 つの
を意識した持久走が行われていることがわかる。
グループに分けられるとした。
また,持久走の指導の中で気をつけていること
4 分析対象の生徒について
について,多くの学校は生徒の心理的な面での指
分析対象は中学部 2 年の男子 2 名である。実態
導に重点をあげていた(表 2)
。心理的な安定を図
把握の段階で,30 周前後を走るグループから生徒
るのは,壷岐・草野(1994)がいう生理・心理的
A を対象とした。生徒 A は知的障害で自閉症であ
な問題からくる,持久走に対する嫌悪感を抱かな
る。15 周前後を走るグループから,生徒 B を対
いようにと考えて取り組んでいるのではないかと
象とした。生徒 B は知的障害である。
推察される。
5 分析結果と考察
生徒自身が周回数の目標設定を行うことについ
1)生徒 A の結果と考察
て,できると考えている教員は多い。しかし,実
周回数の変化について,図 3 に示した。生徒 A
際に行っている学校は尐なく,今後どのような方
は実態把握では 30 周前後走っていた。実態把握
法で,生徒自身で目標設定を行うかが課題だとい
で,教員と生徒が全員で走っていたため,ぶつか
える。
る危険があった。生徒 A は,ぶつかる危険を回避
研究 2
Ⅳ
1 目的
知的障害特別支援学校中学部の持久走の授業を
するため走ることを中断していた。また,1 周走
るごとにマグネットを外す支援を行っていた。
授業改善 1 では 2 つの改善を行った。1 つは,2
コースの設定である。もう 1 つに,教員に役割の
設定をし,そのことによって,コース内の人数を
減らし,安全を確保することで,周回数がさらに
増えると考えた。
授業改善 1 を行うことで安全性は確保され,他
の人とぶつかる場面がなくなり,止まる場面は減
った。しかし,周回数は実態把握と変わらなかっ
た。その要因として,1 周を走り終わるごとに行
図 2 週に何回持久走を行っているか
っていた,マグネットを外す活動が大きく影響し
そこで,授業改善 2 ではマグネットを外す活動
ていることが考えられた。
そこで,マグネットでの支援の外し,伴走者の
をなくし,ST の教員と 2 名の生徒と一緒に走る
設定を行った。授業改善 2 では生徒 A の前を「前
ことにした。しかし,周回数が安定しなかった。
方伴走」
,授業改善 3 では生徒 A の後ろを走る「後
その要因には,ST が頻繁に身体支援を行い,走
方伴走」を行った。授業改善 4 では伴走者はなく
るのを中断し逸脱を起こしてしまっていたことが
し,周回数を教えるなどの言語支援を行った。ま
考えられる。
た,授業改善 2~4 では生徒 A と同じぐらいの周
そのため,授業改善 3 では身体支援を尐なくし,
回数を走っていた,もう一人の生徒とグループ走
生徒 B が一人で走る時間を多くした。その結果,
を行った。授業改善 5 では,周回数の目標の自己
生徒 B は授業改善 3 以前より多くの周回数を走る
決定を行った。
ことができた。
2)生徒 B の結果と考察
最も多くの周回数を走ることができたのは,授
業改善 2 の前方伴走であった。多くの周回数を走
周回数の変化について,図 4 に示した。生徒 B
れた理由として,生徒 A の目の前に伴走者がいる
は,実態把握で 15 周前後の周回数で走っていた。
ことで,走る速さの安定が図られたことが考えら
また,1 周ごとにマグネットを外す支援を行って
れる。グループ走の効果については,競い合う場
いた。授業改善 1 では,生徒 A と同様の問題から
面があったことから,生徒同士で相乗効果があっ
「2 コースの設定」を行った。
授業改善 1 では,実態把握時と周回数に大きな
たのではないかと考えられる。
目標設定を行った授業改善 5 の結果から,後方
変化はなかった。その要因として,1 周走るごと
伴走や言語支援に比べ周回数は安定しなかったも
に外していくマグネットが,走ることの中断や逸
のの,
周回数が尐しずつ高くなった。
このことは,
脱を起こす要因になっていたため考えた。
走ることのできる生徒 B に対して,さらに走ら
主体的に持久走に取り組めたためではないかと考
える。
せたいと考え身体支援を行うことは,走ることに
対して持久走への嫌悪感を感じさせることになる
可能性がある。そこで,身体支援を尐なくするこ
とによって,自らにあったペースを獲得して走る
ことができたのではないかと考える。
Ⅴ
今後の課題
今後の課題として,走れていない生徒に対する
支援がまだ検討されていないことから,今後さら
図 3 生徒 A の周回数
なる研究が必要と考えられる。
文献
林容一・大蔵倫博・中垣内真樹・田中喜代次(2003)中・
高強度運動が強度を自己選択した有酸素性運動中の強
度認知および生理学的指標に及ぼす影響.体育学研究,
48,299-312.
島本靖・松田泰定・東川安雄(2006)小学校における持
久走授業の検討.陸上競技研究,65,14-21.
壷岐博彦・草野勝彦(1994)精神薄弱養護学校における 2
図 4 生徒 B の周回数
年間の持久走トレーニングの効果.特殊教育学研究,31
(4)
,11-18.