第 11 回「豚肉を食べてはいけない理由~トルコ・イスタンブール」

JOMF NEWS LETTER
No.258 (2015.7)
病気の世界地図・トラベルドクターとまわる世界旅行
第 11 回「豚肉を食べてはいけない理由~トルコ・イスタンブール」
東京医科大学病院
渡航者医療センター
教授 濱田篤郎
映画「007」の飲酒シーン
トルコのイスタンブールは、
仕事で何度か訪れ
たことがあります。東洋と西洋の文化が交差す
るこの町にはロマンチックな雰囲気が漂ってお
り、映画の舞台としてもたびたび登場してきま
した。007 シリーズにも、往年の名作「ロシア
より愛をこめて」や最新作の「スカイフォール」
にイスタンブールがでてきます。ボスポラス海
峡を眺めながら、ジェームズ・ボンドが美女と
ともにウイスキーのグラスをかたむける。そんなシーンの似合う町です。
実際にこうした映画の中には飲酒シーンがよく出てきますが、イスタンブールのあるト
ルコはイスラム教の国。原則的にお酒は禁じられていると思いますが、飲酒をしても大丈
夫なのでしょうか。
実は私が 2006 年にこの町を訪れた時にも、お酒の件でちょっとした出来事がありまし
た。仕事を終えた後、夕食に美味しいビールが飲みたくなり、宿泊していたホテルの前に
あるレストランに入りました。ところがメニューを見
てもアルコール類が記載されていません。店の人によ
れば「うちはイスラム教のお客さんが中心なのでアル
コールは出しません」とのこと。そこで隣の店に入る
と、そこにはエフェスというトルコ産のビールが置い
てありました。
「うちの店は観光客向けだから、お酒もだしますよ」
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店の主人がそう言いながらエフェスの入った冷たいジ
ョッキを置いていきました。私は名物料理のケバブを食
べながら、店の主人にイスラム教とお酒の関係について
聞いてみました。
飲酒は鞭打ちの刑
「イスラム教ではなぜお酒を飲んではいけないのです
か?」
「それは、ムハンマドの教えとしてコーランに書かれているからですよ」
実は、イスラム教が普及する前の中東地域では、ブドウやナツメヤシを蒸留して作る酒
が広く飲まれていました。トルコには今もラクという地酒がありますが、これもその当時
から残る酒です。アルコール度が 45~50%とかなり高いため水で割って飲みますが、この
お酒に水を入れると、無色透明な液体が白濁してきます。この色からライオンのミルクと
も呼ばれているそうです。私も以前、ラクを飲んだことがありますが、アニスという薬草
が含まれているため、胃薬のような味がしました。
このように古代の中東地域では強いお酒が飲まれていたため、酔っ払いが乱暴をしたり、
物を壊したりする事件が多発していたそうです。それを抑えるために、イスラム教の開祖
であるムハンマドは、布教する際に飲酒を禁じたとされています。ただし、お酒は天国に
行けば好きなだけ飲めるので、それまで我慢するようにという教えです。
現代でもイスラム教の戒律の厳しい国では飲酒を強く禁じており、それに違反した者に
は鞭打ちの刑が科せられることもあります。一方、トルコは戒律が比較的緩いため、飲酒
がある程度許されています。
とくに、
外国人は比較的自由に飲酒することができるのです。
豚肉は不浄
「イスラム教では食べてはいけない肉がありますよね?」
「それは豚肉です。トルコでは飲酒の規制は緩いけど、豚肉は絶対に食べません」
イスラム教の国で食べることができる肉と言えば、羊肉、鶏肉、牛肉。今、私が食べて
いるケバブも羊肉や鶏肉が使われています。
では、なぜ豚肉を食べてはいけないのか。豚は 8000 年以上前にイノシシを家畜化して
生まれた動物です。古代オリエントでは豚肉を食べていたそうですが、豚を食べることを
最初に禁じたのはユダヤ教でした。ユダヤ教の聖典である旧約聖書にも、牛肉や羊肉は食
べていいが、豚肉は食べてはいけないと書かれています。このユダヤ教の禁忌が、同じ中
東で発祥したイスラム教にも引き継がれていったのです。
実は、キリスト教もユダヤ教の流れをくむだけに、初期の段階では豚肉を食べてはいけ
ないことになっていました。しかし、キリストの弟子であるパウロの提言により、キリス
トの死後に開催されたエルサレム会議で豚肉の禁忌がはずされたそうです。
そもそも、なぜ豚肉を食べてはいけないのかと言うと、それは豚が不浄な動物だからで
す。では、どこが不浄なのか。それは、豚が様々な寄生虫の感染源になっているからだと
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思います。
不浄を医学的に解明する
たとえば、サナダムシの一種である有鉤条虫。この寄生虫の幼虫は豚の筋肉内に潜んで
いて、それを加熱せずに食べると、腸の中で数メートルにも及ぶ巨大な成虫になります。
さらに、この成虫が腸の中で産んだ幼虫は全身に転移をおこし、脳や皮膚に沢山の腫瘤を
作ります。この結果、患者は麻痺や痙攣など重篤な症状をおこすのです。もう一つは旋毛
虫。こちらも豚の筋肉内に幼虫が潜んでおり、豚肉を加熱せずに食べると感染します。こ
の寄生虫も全身の筋肉に転移をおこし、命を落とすケースも少なくありません。
このように、豚肉を食べると重篤な寄生虫症に感染する危険性があるわけで、それがユ
ダヤ教やイスラム教で豚肉を禁忌とする理由になった考えられています。ただし、豚肉で
も火を十分に通して食べれば、寄生虫も死滅するので心配はいりません。キリスト教では
禁忌にしない代わりに、よく火を通して豚肉を食べるように指導したのでしょう。
ところで、なぜ豚だけ寄生虫に汚染されているのでしょうか。それは、牛や羊が草食性
なのに比べて、豚は雑食性だからです。豚が家畜化された理由には2つあります。1つは
人間の食料としてですが、もう1つは雑食性を利用してゴミ処理を行うためです。ゴミの
中には病原体に汚染された動物の死骸などがあり、豚が寄生虫に感染しやすい原因になっ
ています。ユダヤ教の人々はそれに早くから気づいていたため、食べ物の禁忌にしたので
す。
これが不浄の医学的な理由ですが、最近になり肉の不浄状況に変化がみられています。
それは狂牛病の流行。本来、草食性の牛に肉骨粉など動物性の栄養をとらせたことが、こ
の病気の流行になっています。こうした状態が今後も続くとすれば、未来の宗教では牛肉
も禁忌になるかもしれません。
犬も不浄だった
「イスラム教では犬も嫌われています」
食事が終わった頃、店主が意外なことを言いました。
「でも、さっき犬を連れた人を見ましたよ」
「トルコでは寛大ですが、戒律の厳しい国では犬を飼うこともできません」
そういえば、イスラム教だけでなくユダヤ教でも「犬は不浄の動物」という話を聞いた
ことがあります。いずれの宗教でも「犬に触ってはならない」というのが原則だそうです
が、この言葉は、私たちが海外渡航者に狂犬病の予防方法として指導する言葉にそっくり
です。
「海外では狂犬病が流行しているから、犬には触らないようにしましょう」と、私も
渡航者によくお話をしています。
それなら、イスラム教で犬を不浄に扱うのは狂犬病を予防するためなのでしょうか。実
は、そのことを連想させる教えがイスラム教にはあります。それは「犬の唾液が肌につい
たら 7 回洗え」という言葉です。狂犬病にかかった犬の唾液にはウイルスが潜んでいます
が、現代でも狂犬病を疑う犬の唾液に触れたら、念入りに洗い流す必要があります。この
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ような点から、イスラム教で犬を不浄とする理由は、狂犬病を予防するためと考えられて
います。この効果で、サウジアラビアなどイスラム教の戒律の厳しい国では、狂犬病の患
者が大変少なくなっているのです。
犬は人類が狩猟生活をしていた頃に、オオカミから家畜化された動物です。猟犬や番犬
として活躍していましたが、人類が農耕生活に入ってからは、その役割が減っていきまし
た。それに代わって活躍するのが猫です。この動物は農耕生活で収穫される穀物をネズミ
から守るため、ヤマネコから家畜化されました。この猫の家畜化が初めて行われたのが古
代オリエントとされています。この頃、犬は本来の役割を終えて、愛玩動物として飼育さ
れるようになりますが、狂犬病という致死的な病気の感染源になるため、次第に不浄な動
物として扱われるようになったのです。この教訓がユダヤ教を経て、イスラム教に受け継
がれていったのでしょう。なお、狂犬病は犬から感染するケースが大多数ですが、猫や猿
などから感染することもあります。
宗教に潜む医学的教訓
「日本にも食事の禁忌がありますか?」
今度は店主が質問してきました。
「仏教では肉食そのものを禁じることがありますが、ほんの一部の人しか行っていません」
仏教では一般に僧侶の肉食を禁じており、
これが精進料理の起源になっています。
では、
なぜ仏教では肉食を禁忌にするのか。それは生き物を殺さないという不殺生の思想に基づ
くものです。仏教だけでなくヒンズー教やジャイナ教などインドに誕生した宗教が、この
考え方により肉食を禁じています。
このように食事の禁忌というのは世界的に存在しますが、その理由がインド発の宗教
(仏
教やヒンズー教)と、中東発の宗教(ユダヤ教やイスラム教)では根本的に違うようです。
すなわち、前者は宗教的な理由により、後者は健康的な理由により特定の食材が禁忌にな
っているのです。中東発の宗教の教えには、人類が長い歴史の中で学んできた医学的教訓
が数多く潜んでいるようです。
「ありがとう、大変美味しかったですよ」
エフェスの酔いもまわってきたところで、私は店主にお礼を言って店を出ました。
遠くのイスラム寺院から夜の礼拝のためのお祈りの声が聞こえます。イスタンブールの
町並みには、ジェームズ・ボンドの雄姿よりも、イスラム教徒たちが一心にお祈りする姿
の方が似合うように思いました。