第 5回「客死の構造」~カナダ・バンクーバー

JOMF NEWS LETTER
No.252 (2015.1)
病気の世界地図・トラベルドクターとまわる世界旅行
第5回「客死の構造」~カナダ・バンクーバー
東京医科大学病院
渡航者医療センター
教授 濱田篤郎
ロマンチックな死に方
私が専門とする渡航医学の分野に
は国際的なライセンス制度がありま
す。国際渡航医学会が行う
Certificate of Travel Health とい
うライセンスで、年に 1 回、世界の
どこかの町で試験が行われます。
私はこの試験を 2007 年 6 月にカナダ
のバンクーバーで受けました。
「今さ
ら資格は必要ない」と思っていまし
たが、渡航医学の診療をするのにど
うしても必要になったのです。試験
時間は 4 時間で、その間に約 200 問の英文問題を解くというハードな試験でした。渡航医
学を専門とする私としては、この試験に落ちれば大失態になります。このため、試験の半
年くらい前から勉強を開始しましたが、そのプレッシャーで試験の 1 か月前に不整脈の発
作をおこしてしまったのです。
幸い不整脈は間もなく消えましたが、私は異国で長時間の試験を受けることに体力的な不
安を感じました。しかも、その場所がカナダのバンクーバーだったからなおさらです。そ
れというのも、この町への滞在が過去に新渡戸稲造や嘉納治五郎など著名な何人もの日本
人の客死に深く係わっていたからです。病上りの身でバンクーバーを訪れることに、健康
上の大きなリスクがあるように思えました。
客死と書いて「カクシ」と呼びます。旅先での死を意味するこの言葉の奥に、私は何か
ロマンチックな雰囲気を感じていました。たとえば、江戸時代の俳人・松尾芭蕉。彼は旅
JOMF NEWS LETTER
No.252 (2015.1)
先の大阪で「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」という句を遺して亡くなりますが、旅好き
な者にとって、旅の途上で死ぬことは本望だったのかもしれません。
ところが、いざ自分の身になってしまうと、それどころではありません。
「無事にバンクー
バーから帰還しなければ」と、私は試験勉強そっちのけで、バンクーバーと客死の関係に
ついて調べました。そしてこの町で客死が多い原因にたどり着いたのです。
世界一住みたい町
バンクーバーはカナダ太平洋岸の中心都市で、
ブリティッシュ・コロンビア州の州都です。商
業の中心地であるだけでなく、観光拠点として
も活気にあふれています。町の中心部には高層
ビルが林立し、周辺には美しい入り江や公園も
あり、世界一住みたい町ランキング(英国エコ
ノミスト誌)
で毎年上位にランクされています。
バンクーバーの発展は 1886 年にカナダ横断
鉄道の駅舎が設置されたことに始まりました。
カナダは大西洋と太平洋にまたがる大陸国家ですが、この町はその太平洋側の玄関口にな
ったのです。さらに 1887 年には、この町と香港との間に太平洋航路が就航し、交通の要衝
として大きく発展してきました。この頃から
バンクーバーにはアジア系の移民が増えてい
ますが、日本からも多くの移民が押し寄せ、
第二次大戦前には日本人街が形成されるまで
に至りました。現在上映中の邦画「バンクー
バーの朝日」には、この頃の日本移民の様子
が詳しく描かれています。
そんな時代に、二人の国際派日本人がバン
クーバー周辺で客死します。
二人の客死記録
まずは「武士道」の著者として有名な新渡戸稲造(1862~1933 年)
。彼は東北の南部藩
に生まれ、札幌農学校や東京大学で農学を修得します。その後、世界的な農学者として活
躍するかたわら、国内でも第一高等学校の校長など教育者としての重責を担います。さら
に 1920 年からは国際連盟の事務次長を 6 年間も務め、この職を辞した後は、日本のアジア
政策を国際社会にアピールするため世界各地を飛び回っていました。
そんな最中の 1933 年 8 月。71 歳になる彼はカナダのバンフで開催される国際会議に出席
するため太平洋を渡ります。この会議中に彼は強い腹痛を訴えますが、なんとか無事に会
議を終えバンクーバーに到着。そこで再び強い腹痛がおきたため、隣接するビクトリアの
病院に緊急入院し、10 月 15 日に帰らぬ人となるのです。死因は膵炎でした。彼の遺体は
バンクーバーで荼毘にふされ、遺骨のみが日本に戻ってきました。
もう一人は柔道家の嘉納治五郎(1860~1938 年)。彼も高等師範学校の校長など教育者
JOMF NEWS LETTER
No.252 (2015.1)
として活躍するとともに、柔道の発展に尽力し、1894 年には講道館を開設しています。晩
年は国際オリンピック委員として、第 12 回オリンピック大会の東京誘致に精魂を傾けてい
ました。1938 年 2 月、その最終審議が行われる会議に出席するため、彼は 78 歳という高
齢にもかかわらず、会場となるカイロに旅立ちます。この会議で念願の東京開催が決定す
るのです。
その後、
帰国のためヨーロッパと米国を経由し、
4月下旬にバンクーバーに到着しますが、
この時に彼はひどいカゼをひいていました。そのまま日本郵船の氷川丸に乗船したところ、
間もなく肺炎を併発し、5月4日に太平洋上で息をひきとるのです。彼の遺体はそのまま
横浜港に到着しました。なお、この時に決定した東京オリンピック開催は、戦争の影響で
1938 年に返上しています。
国際ターミナルとしての宿命
このように 1930 年代、
二人の日本人がバンクーバー周辺で相次いで客死した原因はどこ
にあるのでしょうか。
まずはこの町の国際ターミナルとしての環境にあると思います。
先にも紹介したようにバンクーバーは北米の太平洋側の玄関口として発展してきました。
20 世紀初頭、日本からカナダや米国に渡航する場合、まずは太平洋航路の客船に乗ってバ
ンクーバーに到着します。ここで大陸横断鉄道に乗り換え、北米各地に散っていくわけで
す。帰国する時も逆の経路になりますが、まさにバンクーバーは国際ターミナルとして、
多くの渡航者が交差する町だったのです。それだけの数の渡航者が集まれば、この町で病
気をする人も増え、客死の確率も高まってきます。さらに、当時は船や鉄道の旅ですから、
移動に要する時間も長く、移動中に体調を崩す確率も高かったのでしょう。
では、現在のバンクーバーはどうでしょうか。航空機による移動が日常的になり、この町
だけでなく北米各地に日本からの直行便が就航しています。バンクーバー国際空港の年間
発着数は 29 万機と、カナダ第 2 の空港ではありますが、客船の時代に比べると、この町を
ターミナルとして利用する渡航者は少なくなっています。また、高速で移動するため、移
動中に病気になる確率も低くなり、客死そのものが減っているのです。
北の大地の気候
そして、もう一つの原因がバンクーバーの気候です。
この町の緯度は北緯 49 度で、北海道よりさらに北にある樺太付近に匹敵します。世界に
は国際ターミナルとして発展してきた町が数多くありますが、バンクーバーはその北端と
言ってもいいかもしれません。
しかし、バンクーバー沿岸には暖流(アラスカ海流)が流れているため、冬でも氷点下に
なることは少なく、雪が降ることも稀とされています。夏も平均気温は 20℃以下と過ごし
やすいのですが、昼と夜の温度差が大きく、カゼや体調不良をおこしやすい気候です。私
がバンクーバーを訪れたのも 6 月のことでしたが、夜間は底冷えがして、高緯度の町であ
ることを実感しました。
そういえば、新渡戸稲造や嘉納治五郎が亡くなったのも春から夏にかけてでした。二人
とも国際会議のため体力を消耗した状態で、この時期のバンクーバーに滞在したわけです
JOMF NEWS LETTER
No.252 (2015.1)
が、昼夜の温度差により、カゼをひいたり、体調を崩したりしても不思議はないのです。
さらに二人とも 70 歳を越える高齢でした。この体調不良が命取りになることは容易に想像
できます。
旅先から無事帰還するための術
以上のお話は 1930 年代のことですが、現代の海外渡航者が旅先で亡くなる頻度はどれく
らいあるのでしょうか。
外務省の海外邦人援護統計によれば、
2013 年には 601 名の日本人が海外で亡くなっており、
この半分以上の 422 名が病気による死亡です。その死因については公表されていませんが、
欧米で行われた客死者の調査によれば、死因としては心臓病が多いという結果となってい
ます。こうした心臓病による客死には、新渡戸や嘉納のケースと同様に、年齢と旅による
疲労という要素が大きく絡んでいるようです。
では、旅先から無事に帰還するためにはどのような方法があるのでしょうか。
まずは旅先の気候状況をチェックしておくことが大切。バンクーバーのように昼夜の温度
差が大きい場合は、カゼをひかないように注意することが必要です。そして、旅先では疲
労をためないこと。疲れが溜まっているようなら、早めにホテルで休息をとりましょう。
さらに旅先で体調に異変を感じたら、早めに医療機関を受診すること。前もってインター
ネットなどで旅先の医療機関を調べておくことをお奨めします。最後に、海外旅行保険へ
の加入もお忘れなく。海外で医療を受けると高額なお金を要求されることがあります。
そして試験結果は
このような調査結果をもとに、
私は十分な健康準備をして、バンクーバーに旅立ちました。
先にも書いたように夜の冷え込みはありましたが、とても快適な気候で、この町が世界一
住みたい町に選ばれる理由もよくわかりました。市内の公園を散策してから、海沿いのモ
ール街で買い物をし、チャイナタウンで食事をするなど、バンクーバーライフを満喫する
ことができました。もちろん無理をしないように心がけていたおかげで、体調も万全でし
た。
そして肝心のライセンス試験ですが、なんとか無事に合格することができました。出発す
る直前は、自分の体調管理であまり勉強ができませんでしたが、かえってそれで気が楽に
なったようです。
冒頭にも書いたように、この旅行の前まで、私は客死という言葉に幾分かのロマンチック
な雰囲気を感じていました。しかし今は、旅から無事に帰還することが旅のロマンだと思
っています。