数学科の指導における地域博物館の活用の可能性

第 37 回数学教育論文発表会論文集
数学科の指導における地域博物館の活用の可能性
岸本 忠之
富山大学教育学部
藤谷
哲
目白大学経営学部
要 約
本稿の目的は、数学科の指導において地域博物館をどのように活用できるの
かその可能性を検討することである。まず数学科の指導において地域博物館を
活用する上での制約を明らかにする。そして地域博物館の活用の可能性として、
①課題学習的活用、②調査学習的活用、③問題発見的活用、④発展学習的活用
をあげた。地域博物館の活用の具体例として、高校・数学Ⅰの三角比の指導に
おける新湊博物館の数学に関する展示内容(江戸時代の測量)を活用する事例
を示し、その事例に基づいて地域博物館を活用するときの利点と留意点を示し
た。
1.研究の目的
中央教育審議会(1996)の第一次答申では、
学校教育において単に学校だけを教育の場
と考えるのではなく、社会教育施設などと
の連携を積極的に図る必要があると述べら
れている。社会科や理科では社会教育施設
を活用した実践が行われているが、数学科
では十分多いとは言えない。社会教育施設
の中には、和算や算額など数学に関する展
示をしているところもある。例えば一関博
物館では、千葉胤秀など一関の和算家の世
界を取り上げている。千葉県立博物館では、
花香安精とその一門が収集した数学関係の
叢書がある。網走のオホーツク数学ワンダ
ーランドは数学に関する博物館である。数
学科でも社会教育施設を活用することによ
って、生徒の学びを広げる可能性があるの
ではないだろうか。
本稿の目的は、数学科の指導において地
域博物館をどのように活用できるのかその
可能性を検討することである。
2.地域博物館活用の枠組み
(1)数学科の指導において地域博物館を活
用する上での制約
①博物館において数学に焦点をあてた展
示は十分多いとは言えない
科学系博物館においても、理科に関する
展示内容が多く、数学に焦点をあてた展示
は十分多いとは言えない。さらに地域博物
館では、数学に関する展示はその地域に関
係する内容に限られる。従って近隣の地域
博物館では、学習プログラムに生徒が見学
する活動を含めることができるが、展示内
容の制約を受けるので活用できる単元は限
定される。一方遠方の地域博物館では、学
習プログラムに生徒が見学する活動を含め
ることはできないが、教師が展示内容を教
材として取り上げることはでき、活用でき
る単元はやや広がる。
②博物館の展示はあるテーマに基づいて
構成されている
博物館の展示はあるテーマに基づいて構
成されているので、その展示内容を学校カ
リキュラムに位置づける必要がある(川
上・宮脇,2000)。例えばその地域で発展した
和算というテーマであると、その展示内容
には、算術や図形の問題が混在しているの
で、それらをカリキュラム上に位置づける
必要がある。
(2)数学科の指導における地域博物館の活
用の可能性
博物館の活用可能性として、一場(1997)
は、学習段階の時期という視点で①課題発
見型(導入段階)、②問題解決型(展開段階)、
③調査活動型(展開段階)、④学習整理型(ま
とめ段階)、⑤発展学習型(発展段階)を示し
ている(p.153)。数学科としての地域博物館
の活用を考えたとき、その活用が数学科の
カリキュラムの枠内に留まるのかどうかは
学習プログラムを構成する上で重要である。
本稿では数学科という教科のカリキュラム
の枠の内外という視点で博物館活用の可能
性を示す (図-1 参照)。数学科のカリキュラ
ムの枠外での活用を「①目的としての活用」
とし、数学科のカリキュラムの枠内での活
用を「②方法としての活用」とした。②は
一場の分類を手がかりに集約した。いずれ
の博物館の活用においても、生徒が実際に
博物館を見学する場合と教師が展示内容を
教材として取り上げる場合がある。
[数学科での活用可能性]
①目的としての活用(枠外)
①−1課題学習的活用
①−2調査学習的活用
②方法としての活用(枠内)
・導入・展開
②−1問題発見的活用
[一場(1997)]
・導入
①課題発見型
・展開
②問題解決型
③調査活動型
・応用・発展
②−2発展学習的活用
・発展
④学習整理型
⑤発展学習型
図-1 数学科の指導における地域博物館活
用の可能性
①目的としての地域博物館活用
①−1:課題学習的活用
課題学習的活用は生徒が数学に関する展
示内容の理解を深めることを通して、問題
発見能力や問題解決能力などを伸ばすこと
をねらいとした活用である。この活用は、
課題学習、地域学習、総合学習で用いられ
る。その地域の博物館を活用すれば、地域
学習とすることができる。
①−2:調査学習的活用
調査学習的活用は学習課題に対して地域
博物館をその学習リソースの1つとするこ
とを通して、問題発見能力や問題解決能力
などを伸ばすことをねらいとした活用であ
る。この活用は、他教科の学習、課題学習、
地域学習、総合学習で用いられる。例えば、
中山ら(2003)は干潟に関するフィールド学
習での学習リソースとして博物館を位置づ
けた実践を報告している。
②方法としての地域博物館活用
②−1:問題発見的活用
問題発見的活用はある数学的内容の理解
をねらいとして、単元の最初あるいはその
中間で、その数学的内容に対する興味や関
心などを高めたり、理解を促したりするた
めに用いる活用である。数学に関する展示
内容の中から、数学的内容を取り出してい
く指導が展開される。
②−2:発展学習的活用
発展学習的活用はある数学的内容の理解
をねらいとして、単元の最後にその数学的
内容がどう現実場面で利用されているのか
を理解するために用いる活用である。この
活用には、数学的内容がどう現実場面で利
用されているかという応用と学習内容をさ
らに深めるという発展の2つがある。
3.三角比の指導での地域博物館の活用
(1)三角比の指導のねらい
単元名 :高校・数学Ⅰ・三角比
活用形態:問題発見的活用
※生徒は地域博物館を見学せず、教師が展
示内容を教材として取り上げる。
指導形態:一斉授業
単元目標:
①直角三角形における三角比の意味や計量
の基本的な性質について理解すること
②角の大きさなどを用いた計量の考えの有
用性を認識すること
③それらを具体的な事象の考察に活用でき
ること
(2)新湊博物館の概要
新湊博物館は①新湊の歴史、②高樹文庫、
③石黒宗麿の陶芸・絵画の3つの展示から
構成されている。その中の②高樹文庫は、
和算、測量術、絵図作製に功績を残した石
黒信由以下4代にわたる資料である。展示
は①石黒信由の実学、②加越能三州を測る、
③正確な地図を作るの3つからなる。石黒
信由(1760-1836)は、和算や測量術などの学
問を究め、加越能三州を測量し、始めて正
確な絵図を作製した。石黒信由はまた自身
の和算を集大成した「算学鉤到解術」も刊
本した。
(3)学習プログラム
地域博物館を活用した三角比の学習プロ
グラムは表-1 である。
①地図を作るためには何が必要か?
②誤差の修正(勾配)
[内容]正弦、余弦、正接、三角比の相互関係
③田畑を測る方法
[内容]図形の計量(S=1/2bc sin A など)
④地図を作製する方法
[内容]正弦定理、余弦定理
⑤測量の工夫
表-1 三角比の学習プログラム
(4)指導の概要
①地図を作るためには何が必要か?
地図は検地、新田開発、用水・河川改修、
境界線の画定のために使われた。地図を作
るためには、それぞれ測点の①距離、②方
位、③高低差の3つが必要となる。
②誤差の修正
2点間に高低差がある場合、そのまま測
った距離は実際の2点間の距離と異なる。
正確な地図を作るためには、2点間の水平
距離を求める必要がある。下図のように「斜
面上の距離(c)」と「高さ(a)」を測り、三角
関数表を使って「水平距離(b)」を求める。
[求め方]
c
a
b
a
c
三角関数表より、θが求まる。
cosθ= b よりb=c・cosθ
c
<その後 sinA、cosA、tanA、sin2A+cos2A=1、
tanA=sinA/cosA、90°−Aの三角比、180°
−Aの三角比などを指導する>
③田畑を測る方法
目的、広さ、縮尺の大小によって、様々
な測量方法が使われた。十字法、三斜法は、
検地や新田開発など田畑の面積を求めるた
めに使われた。廻分間は、村や屋敷などの
絵画を作るために使われた。
ア.十字法
十字法は、測量する土地を同じ面積の長
方形とみなし、十字に竿を入れて縦と横の
長さを測り、それらをかけ合わせて面積を
求める方法である(図-2 参照)。実際の田畑
は複雑な形をしていることが多く、同じ面
積の長方形を作ることができず、精度の低
い便宜的な測量である。
sinθ=
図-2 十字法
イ.三斜法
三斜法は、測量する土地をいくつかの三
角形に分割して、その面積を求める方法で
ある(図-3 参照)。
かに分割し、方位と距離を順に測り一周し
て元の地点に戻る方法である(図-4 参照)。
この方法は、村の境界や潟の周囲など比較
的小面積の測量に使われたが、能登半島の
ような広い地域を測るときにも使われた。
この方法は閉合トラバースと言われる。
五
四
東
六
七
八
北
南
三
二
九
一
西
図-4 廻分間
<この後 S=1/2bc sinA などを指導する>
④地図を作製する方法
ア.道線法
道線法は、道筋に沿って道路を多くの区
間に分割し、
測量する方法である(図-5 参照)。
主要道路のように順につないだ道線の距離
が長くなると、ある区間で生じたわずかな
距離や方位の測定誤差が、それ以降の測点
の位置を狂わせ、誤差が大きくなる。屈曲
の著しい山道ではこの方法による正確な測
量には限界がある。この方法は開放トラバ
ースと言われる。
図-5 道線法
図-3 三斜法
ウ.廻分間
廻分間は、測量する土地の周囲をいくつ
イ.交会法
交会法は、複数の測点間の距離と目印と
なる遠方の山・岬・島などの方位を測り、
測点と目印の距離を求める方法である(図
-6,-7 参照)。測定誤差は、交会点が一点に交
わるように調整することで修正できる。実
際の測量では目印として立山・剣岳・白山
などが使われた。広域地図の作製には写真
測量が一般的であるが、今日でも狭い範囲
の測量には交会法が使われる。
[求め方]
交会点
測点 A
目標の山
測点 B
S1
= BD
sin{180-(γ+δ)} sinα
S2
= CD
sin{180-(γ+δ)} sinγ
となって、AD、BD、CD の長さを求めるこ
とができる。
<この後正弦定理、余弦定理を指導する>
⑤測量の工夫
測量では必ず誤差が生じる。地図の作製
ではその精度を向上させる必要がある。
測点 C
図-6 交会法
図-7 交会法による実際の記録
例
D
α β
A
γ
S1 B
δ
S2
C
△DAB において、
AB=S1、∠DAB=α、∠ABD=β
△DBC において、
BC=S2、∠DBC=γ、∠DBC=δ
を測り、AD、BD、CD が点 D で交わる。
正弦定理より、
S1
= AD
sin{180-(α+β)} sinβ
図-8 加越能三州郡分略絵図(1825)
ア.投影法
地図を作製するということは、球面を平
面に投影することであり、必ず誤差が生じ
る。方位測定において真北(北極点)と磁
北(方位磁針)は異なるので、その誤差も
生じる。局所的な地図であれば、それらの
誤差は無視できる程度である。伊能忠敬の
全国地図ではそれらの誤差を修正していた。
イ.測量法の併用による精度の向上
局所的な範囲の測量ならば、道線法だけ
でも必要な結果を得ることができる。しか
し加越能のような地図では誤差も大きくな
る。石黒信由は、道線法を主たる測量法と
しながらも、交会法を併用してその精度を
向上させた。
ウ.西洋数学の導入
石黒信由は、新しく入ってきたヨーロッ
パの数学を測量にも積極的に取り入れた。
方位測量において従来は十二支からめもり
度数は 120°であった。西洋数学の三角関
数を利用するため、めもり度数を 360°と
した。度数めもりが3倍細かくなり、測量
精度が向上した。
4.地域博物館活用の利点と問題点
上記の活用事例から、地域博物館を活用
するときの利点と留意点として以下があげ
られる。
(1)活用による利点
①数学的内容の必要性を理解できる
三角比や三角関数表を測量と関係づける
ことで、生徒がなぜそれらが必要であるか
理解できる。また誤差を考慮することの重
要性も理解できる。
②数学科の指導の中でも地域学習を図るこ
とができる
新湊博物館に展示されている数学的内容
を活用することで、生徒は地域学習を図る
ことができる。また生徒は数学を身近なも
のと理解できる。
③数学への関心を高めることができる
生徒は数学的内容の必要性を理解したり、
数学を身近なものとして理解したりするこ
とで、数学への関心を高めることができる。
(2)活用する上での留意点
①博物館に展示されている数学的内容しか
活用できない
新湊博物館に展示されている数学的内容
が測量に関するものなので、それに関連す
る三角比の単元しか活用しにくい。
②指導内容に関係しない内容も含まれる
博物館に展示されている測量の内容を扱
うことになるので、指導するとき、測量の
内容と三角比の内容とが混在するので、系
統的に指導しにくい面がある。
③十分な学習プログラムを立てる必要がある
三角比の指導において博物館に展示され
ている測量の内容をどのように位置づける
のか学習プログラムを明確に立てる必要が
ある。
参考・引用文献
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我が国の教育の在り方について<第一次
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学校と科学系博物館をつな
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数学を博物館に−数学教育
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文集・第 21 号.pp.438-439.