「溶解する中東の域内秩序と世界的影響」 千葉大学 酒井啓子 本報告

「溶解する中東の域内秩序と世界的影響」
千葉大学 酒井啓子
本報告では、「イスラーム国」(IS)など、既存の国家領域を超えて活動する非国家武装組
織の台頭とその結果発生した大量の難民のヨーロッパ流入などといった事態がもつ世界的
影響を取り上げる。だが、本報告ではあえてこうした危機的状況が中東地域における域内
秩序の溶解によって生じ、そしてその域内秩序の溶解は国際社会、域内社会の諸政策が抱
える矛盾と失策によって発生した、との側面に着目する。具体的には、IS の脅威の原因を
宗教の本質的要因に求めるのではなく、その排外的宗派主義と中東全域に拡大している宗
派対立を、紛争の原因ではなく帰結とみなす。
IS が出現し拡大した直接の原因として、イラク戦争後のイラクおよびシリア内戦中のシ
リアが破綻国家化し、さまざまな意図を持った武装勢力が侵入しうる「聖域」を提供した
ことが上げられる。だとすれば、IS 発生の根源的要因として、イラクやシリアの破綻化を
生んだ紛争がなぜ発生し、なぜ長期化しているかを問う必要がある。
シリアにおいては内戦の周辺国の代理戦争化が、イラクにおいてはイラク戦争後の挙国
一致型政権運営の失敗が指摘できるが、いずれの場合も、域内大国であるサウディアラビ
アとイランの両国における介入が紛争、問題を長期化させているという側面がある。こう
指摘すると、この両国の対立の原因にはスンナ派とシーア派という宗派対立があるのでや
はり脅威の本質には宗教的要因があることになるのでは、と反論されるかもしれない。だ
が両国の宗派的差異は近年に始まったことではなく、1979 年以来長年続いてきた対立要因
自体は大きく変化していない。なのになぜ、両国とも近年急速に他国に介入して代理戦争
を展開するほどに域内政治に積極的になったのか。
サウディアラビアがイランとの域内抗争に積極的にならざるをえない環境が生れた遠因
に、まず 1979 年に成立した利益主導型の域内秩序がイラク戦争と「アラブの春」を経て崩
壊し、それに代わって中東地域を包括的に調整する域内秩序が不在である、ということが
ある。具体的にいえば、1979 年のエジプト、イスラエル単独和平合意、イラン革命、ソ連
のアフガニスタン侵攻という大変化に対応するために、米国とサウディアラビアを核とし
てさまざまな域内同盟関係が構築されたが、イラク戦争と「アラブの春」を経て、その利
害の共有関係が大きく変化した。とりわけアメリカの中東地域からの後退が、上記域内秩
序の核としての米国の存在を失わせ、その結果サウディアラビアなどの域内大国が米国と
の調整なしに自国の独自の利益を守るため、域内関係に積極的に関与するようになった。
それが、シリアやイラク、イエメンなどでの代理戦争の展開を生んだのである。
本報告では、
「1979 年体制」のパッチワークが崩れ、対米同盟国の独自の国家利益を追求
する過程で、動員される論理として「宗派」が選ばれ、その結果宗派意識が域内政治の上
で過度に強調されていること、それが現在の排外的宗派主義を生んでいる、との議論を展
開する。