1.中 部 ジ オ ・ テ ク 塾 の 開 設 中部土質試験協同組合主催の「中部ジオ・テク塾」は,この地方のベテラン有識者の経 験 を 「 語 り 部 」 と し て 招 い て 若 手 技 術 者 へ 語 り , そ れ ぞ れ の 技 術 に つ い て の 疑 問 ・ 質 問な ど を 少 人 数 ( 車 座 ) の 討 議 の 形 式 で 実 施 す る サ ロ ン を 行 う も の で あ り , 技 術 の 伝 承 を 具体 化 す る も の で あ る . 後 援 と し て , 地 盤 工 学 会 中 部 支 部 , 中 部 地 質 調 査 業 協 会 が 協 力 し て, 平 成 20 年 11 月 よ り 開 始 し , 基 本 的 に は , 3 ヶ 月 に 1 度 の 頻 度 で 精 力 的 に 実 施 し て い く 計 画である. (開催目的) こ の 塾 は , 中 部 地 域 の 今 後 を 担 う 技 術 者 育 成 を 目 標 と し て , 地 盤 工 学 の 豊 富 な 経 験を 有 す る 先 輩 方 を 講 師 に お 招 き し ,講 演 及 び 意 見 交 換 を 行 い , 「 技 術 の 伝 承 」を 図 る も の で ある. 現 役 技 術 者 が , 地 盤 工 学 の 必 携 情 報 を 効 率 的 に 修 得 す る と と も に , 事 務 局 と し て は, 現場の貴重な技術的情報・体験が円滑に伝授されるような塾に成長させていきたい. 2.第 1 回 開 催 内 容 (開催概要) ・講師 :名古屋大学名誉教授(当組合技術顧問)植下 協 先生 ・ 講 演 話 題 :「 濃 尾 平 野 に お け る 地 盤 沈 下 と そ の 対 応 」 (内容) 植 下 は 昭 和 38 年 に 京 都 大 学 か ら 名 古 屋 大 学 に 赴 任 し て き た . そ の 頃 の 濃 尾 平 野 で は , 昭 和 34 年 の 伊 勢 湾 台 風 災 害 に 対 す る 復 旧 工 事 が 終 わ り ,愛 知 県・名 古 屋 市・名 古 屋 港 管 理 組 合 が 昭 和 36 年 に 整 備 を 完 了 し た 水 準 点 網 を 用 い て , 毎 年 の 広 域 的 水 準 測 量 を し て い た . そ の 5 年 間 の 水 準 測 量 結 果 が 出 た 昭 和 41 年 に , そ の 測 量 結 果 を 解 析 す る 仕 事 が 名 古 屋 大 学 地 盤 変 動 研 究 グ ル ー プ に 委 託 さ れ た .こ の 研 究 グ ル ー プ は ,飯 田 汲 事 (地 球 科 学 ),横 尾 義 貫 (建 築 学 ),井 関 弘 太 郎 (地 理 学 ),嘉 藤 良 次 郎 (地 質 学 ),桑 原 徹 (地 質 学 ),植 下 協 (地 盤 工 学 )で 組 織 さ れ て い た が , そ の 調 査 研 究 の 結 果 が 昭 和 42 年 3 月 に 「 伊 勢 湾 北 部 地 域 地 盤 沈 下 調 査 研 究 報 告 書 」 と し て 委 託 者 (愛 知 県 ・名 古 屋 市 ・名 古 屋 港 管 理 組 合 )に 提 出 さ れ た . そ の 報 告 書 の 結 論 は ,「 ① 濃 尾 平 野 南 部 は 伊 勢 湾 台 風 災 害 後 , 地 盤 沈 下 が 心 配 さ れ る 速 度 で 進 行 し つ つ あ る ,② そ の 地 盤 沈 下 の 進 行 は ,地 下 水 の 過 剰 揚 水 が 主 要 原 因 で あ る と 推 論 で き る 」 ということであった. そ の 頃 ,濃 尾 平 野 で は 深 井 戸 掘 削 に よ る 地 下 水 利 用 が 盛 ん で あ り ,そ の よ う な 地 下 水 利 用 が 地 盤 沈 下 の 原 因 で あ っ た 大 阪 で の 前 例( 参 考 資 料 1)が あ っ た に も 拘 わ ら ず , 「濃尾平野におけ る 地 下 水 利 用 は 地 盤 沈 下 の 原 因 に な ら な い 」と の 有 力 地 質 学 者 に よ る 意 見 が 強 く 主 張 さ れ て い た .そ の よ う な 濃 尾 平 野 に お け る 状 況 に 警 告 を 発 す る た め に ,上 記 学 際 研 究 グ ル ー プ に 参 加 し た我々はこの研究成果を直ちに公表したい考えであった. と こ ろ が ,当 時 の 行 政 は ,我 々 が 研 究 に 用 い た 伊 勢 湾 台 風 災 害 後 5 年 間 の 水 準 測 量 結 果 を マ ル 秘 扱 い と し て い た た め ,我 々 の 調 査 研 究 結 果 を 自 由 に 公 表 で き な い 状 況 に 置 か れ て い た こ と は誠に残念なことであった. 昭 和 46 年 7 月 に 環 境 庁 が 設 置 さ れ ,昭 和 47 年 に は 中 央 公 害 対 策 審 議 会 地 盤 沈 下 部 会 の 審 議 が 始 ま り ,私 も そ の 審 議 会 の 専 門 委 員 に 任 命 さ れ た .そ の 頃 か ら ,環 境 白 書 が 毎 年 出 版 さ れ て , 日本全国の地盤沈下の状況が公表される時代となった. 愛 知 県 で は , 昭 和 48 年 4 月 に 愛 知 県 公 害 対 策 審 議 会 地 盤 沈 下 部 会 が で き , 飯 田 汲 事 教 授 が 部会長となられ,同時に,飯田汲事教授を会長とする愛知県地盤沈下研究会が 桑原徹,井関 弘 太 郎 ,植 下 協 ら を メ ン バ ー と し て 設 け ら れ ,そ れ 以 来 ,数 年 間 に わ た っ て ,濃 尾 平 野 の 地 盤 沈下を止めるための活発な研究活動が行われた. 濃 尾 平 野 の 地 盤 沈 下 状 況 を 調 査 す る 組 織 と し て , 昭 和 46 年 8 月 に , 国 土 地 理 院 中 部 地 方 測 量 部 が ,愛 知 県・岐 阜 県・三 重 県 な ど を メ ン バ ー と し て 東 海 三 県 地 盤 沈 下 調 査 会 を 設 立 し ,毎 年 の 地 盤 沈 下 状 況 を 調 査 す る よ う に な っ た が ,濃 尾 平 野 の 地 盤 沈 下 を 計 測 す る だ け で は ,そ の 地 盤 沈 下 問 題 を 解 決 す る た め に 役 に 立 た な い の で ,地 盤 沈 下 問 題 の 解 析 も 調 査 会 の 仕 事 と す る べ き で あ る と の 建 設 省 中 部 地 方 建 設 局 河 川 部 な ど か ら の 意 見 が あ り , そ の 結 果 , 昭 和 50 年 2 月 に , こ の 調 査 会 を 改 組 拡 充 し て , 飯 田 汲 事 教 授 を 会 長 に 推 挙 し , 計 量 部 会 (部 会 長 : 国 土 地 理 院 中 部 地 方 測 量 部 長 ) と 解 析 部 会 (部 会 長 : 植 下 協 ) と か ら 成 る 今 日 に 続 く 東 海 三 県 地 盤 沈 下 調 査 会 が 作 ら れ ,そ れ 以 来 ,毎 年 ,「 濃 尾 平 野 の 地 盤 沈 下 の 状 況 」の 報 告 書 (そ の 最 新 版 が 参 考 資 料 2 )を 取 り ま と め て 報 道 機 関 に 公 表 す る こ と が 今 日 ま で 続 け ら れ て い る . 昭 和 48~ 50 年 に , 名 古 屋 市 ・ 愛 知 県 ・ 三 重 県 が 公 害 防 止 条 例 に よ っ て 揚 水 規 制 を 施 行 す る に 当 た っ て は , 地 下 水 利 用 関 係 者 の 激 し い 反 対 が あ っ た . ま た ,「 濃 尾 平 野 の 地 盤 沈 下 は 自 然 現 象 で あ り ,地 下 水 の 揚 水 と 関 係 が な い 」と 主 張 す る 有 力 地 質 学 者 の 説 も 揚 水 規 制 の 反 対 運 動 に 利 用 さ れ て い た .そ の よ う な 状 況 に あ っ て ,私 た ち は 地 盤 工 学 的 研 究 に 基 づ き ,当 時 の 行 政 担当者を揚水規制必要説で強力に支援した. 愛 知 県 地 盤 沈 下 研 究 会 の 初 期 の 頃 , 愛 知 県 環 境 部 長 が 出 席 さ れ て ,「 愛 知 県 の 地 下 水 利 用 を ど れ だ け 減 ら せ ば よ い の で す か .」 と 質 問 さ れ た . こ の 質 問 に 対 し , 植 下 は 一 刻 も 早 く 科 学 者 と し て の 答 え を 出 し た い と 考 え ,当 時 の 名 大 土 質 研 究 室 の 大 学 院 生 た ち の 協 力 を 得 て 研 究 を 進 め ,そ の 速 報 的 研 究 成 果「 地 盤 沈 下 シ ミ ュ レ ー シ ョ ン 解 析 に よ る 濃 尾 平 野 の 適 正 揚 水 量 」を 昭 和 52 年 度 の 東 海 三 県 地 盤 沈 下 調 査 会 に 報 告 す る と 共 に , そ の 論 文 「 濃 尾 平 野 の 適 正 揚 水 量 に 関 す る 研 究 」(参 考 資 料 3)を 土 木 学 会 論 文 報 告 集 第 287 号 (1979 年 7 月 )に 公 表 し た .こ の 研 究 報 告 で は 「 濃 尾 平 野 の 地 盤 沈 下 激 甚 地 で , GL-30m ま で 低 下 し て い る 地 下 水 位 を GL-10m 程 度 の 水 頭 状 態 に 回 復 さ せ る た め に ,昭 和 51 年 の 揚 水 量 を 約 5 割 程 度 に 減 ら さ な け れ ば な ら な い 」 との結論を述べている. そ の 後 ,更 に 研 究 を 進 め て ,低 下 し て い る 地 下 水 位 を GL-10m に 回 復 す れ ば 地 盤 沈 下 が 終 息 す る こ と と ,揚 水 量 削 減 の 条 件 に 対 応 す る 将 来 の 地 盤 沈 下 予 測 を 計 算 し て 東 海 三 県 地 盤 沈 下 調 査 会 に 報 告 す る と 共 に , 国 際 会 議 ( 参 考 資 料 4) で 報 告 し た . 濃 尾 平 野 で は , こ れ ら の 研 究 を 背 景 に 持 っ て , 揚 水 規 制 を 進 め , 昭 和 51 年 の 揚 水 量 が 昭 和 60 年 に は 5 割 近 く ま で 削 減 さ れ ,昭 和 60 年 の 地 下 水 位 は GL-10m 程 度 に 回 復 し ,地 盤 沈 下 曲 線 も 昭 和 60 年 に は ほ ぼ 沈 静 化 し た . 東海三県地盤沈下調査会を中心にした現地における地盤沈下対策の熱意が内閣レベルの対 策 へ と 反 映 さ れ , 昭 和 60 年 4 月 に は , 地 盤 沈 下 防 止 等 対 策 関 係 閣 僚 会 議 に よ る 「 濃 尾 平 野 地 盤 沈 下 等 対 策 要 綱 」が 決 定 さ れ ,現 在 は ,こ の 要 綱 に 沿 っ て 濃 尾 平 野 の 地 盤 沈 下 対 策 が 行 わ れ ている. な お , 上 記 の よ う に ,「 濃 尾 平 野 を 地 盤 沈 下 公 害 か ら 救 済 す る 戦 い 」 を 行 っ た 後 の 植 下 は , 環 境 地 盤 工 学 を 提 唱 し ,地 盤 環 境 を 護 る た め の 環 境 影 響 評 価 制 度 に 積 極 的 参 加 を し ,平 成 6 年 に 閣 議 決 定 さ れ た 「 環 境 基 本 計 画 」 を 策 定 す る 段 階 で は ,「 地 盤 沈 下 防 止 」 だ け の 視 点 で は な く「 地 盤 環 境 の 保 全 」と 表 現 す る 広 い 環 境 保 全 の 視 点 が 大 切 で あ る こ と を 主 張 し て ,そ の 意 見 が 採 用 さ れ た こ と な ど に つ い て , 参 考 資 料 5) に よ り 説 明 し た . (参 考 資 料 ) 1) 和 達 清 夫 :「地 盤 沈 下 研 究 の回 顧 」,土 と基 礎 ,Vol.24, No.11, 1976 年 11 月 2) 東 海 三 県 地 盤 沈 下 調 査 会 :「平 成 19 年 における濃 尾 平 野 の地 盤 沈 下 の状 況 」,2008 年 8 月 3) 植 下 協 ・佐 藤 健 :「濃 尾 平 野 の適 正 揚 水 量 に関 する研 究 」,土 木 学 会 論 文 報 告 集 第 287 号 , 1979 年 7 月 4) K.Ueshita and T.Sato: "Study on Subsidence of the Nobi Plain",Proc.10th Int. Conf. on Soil Mech. and Found. Eng., Vol.2, 1981. 5) 植 下 協 :「地 盤 環 境 とその保 全 について」,2000 年 1 月 ,日 本 充 てん協 会 (質疑応答と自己評価) 質 疑 応 答 で は , 地 盤 沈 下 対 策 の ご 苦 労 と ご 経 験 に 関 す る お 話 を 頂 い た . ご 講 演 資 料に は ,中 部 地 方 整 備 局 か ら 取 り 寄 せ た 最 新 情 報 も 含 ま れ て お り ,31 名 の 参 加 者 に と り ,非 常に有意義な塾を開催できたと考えている. (講演される植下先生) (質疑応答状況) (講演中の全景)
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