まとめ

江戸時代の数学
数学1班
網永裕樹
伊東隼
岩下直生
北将宏
石田泰寛
<動機>
江戸時代の人々は洋算の知識無しでどのようにして問題を解いていたのか、江戸の生活と数学にどの
ような関係があったのか、また算額を神社に奉納するという文化があると聞き、それらについて調べ
たいと思ったことだ。
<天地明察と和算問題>
天地明察は江戸の数学をテーマにした時代小説であり、作中で関孝和は算額に書かれた問題を一瞥即
解したと書かれている。私たちはその問題に取り組んだ。
算額というのは学業を祈念して奉納するものや自作の問題を奉納し、解答のわかった人が解答を書き
加えるというものである。
問題は「高さ9底辺12の直角三角形がある。半径の等しい円を二つ入れる。半径 r を求めよ。」とい
うものだ。
私たちはこの問題に対して多くの解法を考えたがここでは二つの解法を説明する。
y
解法1
方針ⅰ)x軸y軸をとる
(図1)
ⅱ)O1( r , t ) O2( s , r )をおく
O1
ⅲ)斜辺を式としてあらわす。
ⅳ)点と直線の距離の公式を用いて
O2
tとsをrを用いて表す
ⅴ)O1O2 の長さが2rであるということを
用いて三平方の定理でrを導く。
x
x軸y軸をとる(図1)
斜辺の式は3x+4y-36=0
点と直線の距離の公式より
|3𝑟+4𝑡−36|
√9+16
=𝑟
|3𝑠+4𝑡−36|
√9+16
=𝑟
ここで絶対値の外し方を考えなければならない。つまりO1、O2と斜辺の式の関係について領域の
考えを用いて次の式を導き出す。
3r + 4t − 36<0
3s + 4t − 36<0
-3-
このことから
−
3𝑟 + 4𝑡 − 36
√9 + 16
=𝑟 ,−
3r + 4t − 36 = −5r
,
t = −2r + 9 ,
3𝑠 + 4𝑡 − 36
√9 + 16
=𝑟
3s + 4r = 36 = −5r
s = −3r + 12
ここで三平方の定理用いてs、tに上記の式を代入すると
√(𝑟 + 3𝑟 − 12)2 + (−2𝑟 + 9 − 𝑟)2 = 2r
これを解くと
r=
15
7
解法2
方針 辺の長さが3,4,5の三角形に内接する円の半径は1となる事を応用して解く。
今回の問題は三角形の半径が r である。つまり各辺を r 倍する事になる。
5
3
5r
3r
1
r
4r
4
3r
そして、問題の三角形の中に
この三角形が二つ隠れている。
4r
右図のように補助線を引くと
水色と黄色の三角形が見えてくる。
-4-
このことから斜辺の長さが7rということが分かる。斜辺の長さは15なので
15
となる。
7
15=7r となり r=
私たちはこの解法が最も一瞥即解に近い解法だとした。理由は公式を覚えるということで解くスピー
ドを上げていたと考えたからだ。塵劫記にある六角の法という公式で現代では普通に計算することを
公式に当てはめて解いていたことも裏付けになる。
<塵劫記の面積問題と俵杉算の関係>
塵劫記というのは江戸時代の和算問題集で庶民の間に浸透したベストセラーだ。そろばんや油算、土
地の面積問題、俵杉算について書かれており私たちは土地の面積問題と俵杉算について取り組んだ。
問題は崩し文字で書かれており、問題を解くにあたってしなければならないことだった。それは現代
語訳である。図1は原本であり、図2は現代語訳したものである。
図1
図2
「術に言十七間十一間をく王へ二十八間になる越、二ツ尓王ると十四間となるそ連尓長三十六間を可
け五百四坪と成、これを田法三ツ尓王るなり。」
この問題は台形の土地の面積を求める問題だ。
45
54
12
現代では台形の面積を求める公式は「上底+下底×高さ÷2」で簡単に求めることができる。この問
題は角度指定のない問題だが、上の二つの角を90度として考えた。
しかし江戸時代の解法は異なる。現代の公式で高さをかけるところに斜辺をかけて面積を出していた。
現代では信じがたい考えだが塵劫記に書いてある答えと確かに一致する。
現代と江戸の解法の面積比は√7:4となり誤差が見られる。
-5-
なぜこの解法で答えが一致するのかという疑問が残った。しかし、この疑問は俵杉算を解くことによ
って考えを導き出すことができた。
俵杉算というのは三角形に積まれた俵の数を数える問題だ。
問題は、「1段、2段、3段…..n 段と積まれた俵の総数を求めよ」という内容である。
この問題も現代の解法と江戸時代の解法を比較して説明する。
現代では数列の和の公式を使って解くのが一般的だと考えられる。数列の公式を用いて n 段目までの
俵の合計数を求めると1からn番目までの
1
∑ 𝑘= × 𝑛 × (𝑛 + 1)
2
で求めることができる。しかし、江戸時代の解法は異なる。
俵一個を長さ一と見立てて面積を求めるようにして
合計数を出していた。台形の面積を求める公式は
「上底+下底×高さ÷2」上底は1、斜辺はn、底辺はnである。
この場合高さは何段つみあがったかを表すもので斜辺と等しくなる。
よって「上底+下底×斜辺÷2」で求めることができる。
1
× 𝑛 × (𝑛 + 1)
2
この公式は先ほどの台形の面積を求める公式と同じになる。
土地の面積に少しの差があるが、米の収穫量を表す一つの目安として近似して用いられたと考えられ
る。
<考察>
数学は江戸時代の人々の生活に深く根ざしていて切っても切れない関係であったことが分かった。土
地などの測量や暦の作成などが生活の中心に位置していた。つまり江戸時代の数学の中では実用性が
特に重要視されていたと考えられる。日々の生活の中で数学を使う場面というのは限定されている。
したがって何度も同じ目的で同じ計算をするという場面が繰り返されていたということが予想され
る。そうするとその中で速さが求められ、覚える公式もよりその各場面に特化したものに変化してい
ったと考えられる。現代のより広い範囲で応用が利くことが求められる公式とは用途の違いから、同
じ目的の公式であっても差異が認められる場合が多くある。
-6-