長野駅 大日方 幸子(長野市) 週刊長野1月17日発行の新聞で、仏閣型の長野駅舎の写真を見てとても懐かしくな りました。 私は、高校、大学と七年間汽車通をしていました。朝早く家を出て汽車に乗り、小一 時間程して長野駅に着いた時、何故かホットして、如是姫のおだやかな微笑を見てから バスに乗り学校に向かいました。 長野と言えば 〝善光寺〟 それ故、駅舎も仏閣型である事が、当然と思っていました。そ れが誇りでさえあったとも思っていました。 それが、ある時、壊され、あの駅がなくなっているのです。どうして駅が無くなってしまっ たのだろうか。市民に説明があったのだろうか。私が聞かなかっただけなのだろうか友 人といつも疑問に思って話していました。 長野から他県へ行って帰った時、上京して長野に帰った時、駅に戻ると何故か安らぎ を覚えました。 その後、駅は、全国どこにでもある形になり、何となくつまらないものになりました。長野 に長い間住み、東京の人になった友人は時々長野に来ます。彼女が、最もつまらないの は長野駅が、どこにでもあるのと同じになってしまった事だと言います。私も長野に住む ようになり、叔父叔母たちを送って行くと口ぐせのように、長野駅がなくなってしまったこ とだと言います。 仏閣型の駅は長野を知っている市民にとっては誇りでもあり、シンボルでもあり、心の 寄り所でもあったのです。 今年は、御開帳もあることですし、他県からお出になる方に、昔はこんなだったと知って 頂く為にも、せめて展示コーナーを設け、昔の面影を持つ仏閣型の駅舎のポスターか、 写真を貼るとかして欲しいと思います。私は復元して欲しいとさえ思いますが、時代の流 れで、今の様になるのは仕方のないことです。 今回この企画をして頂き、本当に良かったと思います。私や私以上の方々が、長野駅を 知っている人々は、きっと心の中に、今も長野駅の姿が生き続けていると思うからです。
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