史学講義1 第3回 10月4日 志内 一興 SHIUTI,Kazuoki ローマの社会構造① ローマ帝国は頂点に皇帝が位置し、その 次に各都市の名望家(有力者)たち、そし て一般市民という構造であったといわれて いる。 ローマ中央(皇帝) どのように 都市 都市 都市(名望家(有力者)たち) 一般市民 都市 支配? ローマの社会構造② ローマ社会には共和政時代からパトロ ネジ/クリエンテラ(親分/子分)関係と呼 ばれる独自のシステムが存在した。これは 社会の中で皇帝を頂点としすべての民で 構成されるピラミッド型のつまりローマ帝国 に住む市民すべての大親分が皇帝である ということになる。 ローマ皇帝① では、ローマ皇帝とはどのような存在で あったのであろうか? まずは法を根拠とする権限を持つ存在で あるということが考えられる。つまり皇帝≒ 政務官という考え方である。ただし、これに ついては後日詳しく取り上げるため今回は 保留とする。ではそのほかにどのような考 え方が存在するのであろうか? ローマ皇帝② 1977年にミラーという研究者に著された 考え方は、皇帝は受動的(passive)支配者 であったというものである。つまり、皇帝は 下からアプローチされたときのみ反応した という考えである。この場合のアプローチと 反応とは文書によって行われるとされてい る。 ローマ法① 今まで述べてきたようにローマの支配を 実際に担っていたのは多くの公文書である と考えられるが、ではその裏づけとなる ローマ法とは果たしてどのようなものであっ たのだろうか? ローマ法② 帝政期のローマの法体系は以下のような6 要素からなっていた。 ・lex ・plediscitum ・S.C. 共和政期にはなかった 皇帝の勅法 ・Constitutio ・Edictum ・Responsum ローマ法③ 前期のような複数要素からローマの法体 系が出来上がったのは共和政期のローマ の国制に原因がある。 つまり共和制ローマにはMagistratus(政 務官)、Senatus(元老院)、平民会の三つの 機関が存在した。そしてそれぞれがある種の 立法権を持ったため、前期のような複数が組 み合わさった法体系となったのである。
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