2・耕作体系 耕耘機 播種 施肥 *①犂の発達・古代・戦国・漢代 *②種播の進化・散播・条播・点播 *①犂の発達 古代 新石器時代の農具。図G 戦国 *③肥料の進化・施肥・除草・馬鍬中耕 漢代 『周書』(唐初に編集)によると中国の初期農業の犂は、天の農夫である 神農が伝説的な夏王朝以前に発明したとされている。 「神農のとき、粟は空から降った。 神農はそこで土地を耕し、粟を植えた。神農は犂(耒耜=らいし)と鍬を作り、荒地を開拓した」 耒耜は周代後期と漢代初期の文書に現れている。 *②種播の進化 *散 散 播 条 播 点 (図H・I・J・M) 播 播・種子を田畑に薄く全面的に、播き散らす播種法で「撤播」「漫擲」「漫種」などと呼ばれ、 小麦、陸稲、牧草・麻などの種を播く。 (図K) *条 播・播種ドリル・条播は周代よりかなり以前に行われていたようで、漢代には播種ドリルを 使い、北魏時代には穀類は総て、ドリルで播種するように賈思勰が推奨していた。(図L) *点 播・畝に固体植え付け。稲の田植用マーカー(図Y M2)、ピット(穴、窪み)栽培。 主に小麦、水稲、 *③肥料の進化 *施 陸稲、ショウガ。 施肥 除草 馬鍬中耕 肥・堆厩肥、堆草肥、野菜屑、人肥、金肥として干鰯 油粕。 作物を栽培すると土のミネラル量は減り、土地の構造は悪くなり肥料を必要とした。 『農書』 ・宋・陳旉「各農家の脇に低い軒と柱で作った風雨をしのぐ肥料小屋(糞屋)を建てる。 雨ざらしにすると堆厩肥は肥え(養分)がなくなる。 小屋に深い穴を掘り、穴の壁を磚で覆って 漏れないようにする。そこにごみ屑、灰、篩った籾殻のかす、ふすま、落ち葉をいれ、穴に溜めて 焼き、液肥で濃くする。使用前にできるだけ長期間熟成させる」 凡農居之側 必置糞屋 低為簷楹 以避風雨飃浸 且糞露星月 亦不肥矣 糞屋之中 鑿為深池 甃以磚甓 忽使滲漏 凡掃除之土 焼燃之灰 簸揚之糠粃 断藁落葉 積而焚之 沃以糞汁 積之既久 不覚其多 以降、数世紀にわたり肥料作りはこの様であった。 (図S=池の中に鶏舎、豚舎、厠を作る) *除草・雑草は作物の育成を妨げ、水分、光、養分を奪う。除草すれば、水田では45%収穫増。 しかし、カラスムギは雑草から変種して栽培種となり、栽培稲はタロ・ガーデンの雑種から発展した。 『詩経』の除草は、耘耔(うんし) 薅耘(こううん)鋤治などの文字がある。 1950~60年代に化学除草剤が開発されるまで除草は継続。 明代の除草爪(図N) *馬鍬中耕農業・散播から条播に変わり人手の中耕方法が改良され畜力による減土圧、除草法に かわる。18世紀初期、英国の農学者は、馬鍬中耕農業を奨励する。その原理は作物に十分な 中耕を行うことが土の保つ栄養を最大限に引き出す唯一の方法ということだった。 播種が散播でなく条播の場合には植物一本ずつの繁茂に必要な手入れと注意が可能で植物を良く 育成させられるが欧州での条播は19世紀まで稀だった。 灌漑農法。 (図VW) ―3― 土 跡 G ・ ・ 新 石 浙 器 江 時 省 代 河 の 姆 石 渡 鍬 遺 ・ 跡 ( ・ 上 良 か 渚 ら 遺 ) 跡 青 よ 蓮 り 崗 出 遺 元 代 の 復 元 図 H 文 ・ 字 耒 耜 上 ( か ら ら い 耒 し 耜 ) ・ は 上 初 句 期 ・ の 中 専 直 用 ・ 農 庇 具 ・ 。 耜 ・ 画 I 像 ・ 石 二 股 の 耕 起 具 を 使 う 図 ・ 漢 代 の J・漢代の犂 木製犂甘粛省武威・王莽の期 の壁画・陝西省米脂・陝西省綏徳 他 K・種子を散播し杵槌で覆土・内モンゴル和林格爾 魏晋壁 農 夫 と 牛 の 間 に 種 箱 が あ る 。 清 代 ・ 乾 隆 ―4― L ・ 春 小 麦 を 播 種 ド リ ル ( 耬 ) で 畝 に 蒔 く 。 柄画 ま で 広 く 使 用 ド ・ 海 南 島 か ら 漢 広 代 西 ・ 甘 粛 ・ 陝 西 ・ 東 北 三 省 M ・ 中 国 近 世 の ア ー ド ・ 犂 床 と 柄 の 一 体 ア ー
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