自然と文化科 海住山寺・恭仁宮址を訪ねて 活動記録 日時 2015年3月13日(金) 場所 JR加茂~加茂市街~木津川を経て山城国分寺址・恭仁京大極殿址 文 午後から海住山寺境内 写真:中山、吉野 備考 参加者数 71名 10:05~15:30 担 当 者 西田 喜代三 天気/晴れ 1班:12 名 2班:13 名 3班:12 名 4班:13 名 5班:10 名 6班:11 名 JR加茂駅前で集合、鶴専任幹事と「NPO 法人ふるさと案内・かも」代表から説明を受けガイド6名 2 班一組の3グループ編成でスタート。 京都~大阪の行き来に水上交通(淀川それに合流する木津川や桂川)が盛んな時代に船着場として大変 賑やかだった加茂駅前の細い街路を通り、木津川に架かる恭仁大橋を渡って北詰にある大伴家持の万葉歌 碑をみて、瓶原(みかのはら)エリアに入る。瓶原は三上山と木津川に挟まれた米のよく収穫できる土地 で、例幣使料境目石塔がある通り、江戸時代までは朝廷や幕府の所領として収穫米を奉納していた地でも ある。権力争いの厳しいこの時代に資金調達や戦にも向く遷都に適した土地柄だったのかも知れない。 木津川市文化財整理保管センターで現在から 1300 年前の740年に聖武天皇が奈良平城京より遷都 し僅か3年3ケ月で難波宮に遷都された恭仁京の歴史、史跡等の概要をビデオで学習し史跡を訪ねた。 山城国分寺の七重の塔の巨大な礎石が残されているが、測量器具も図面の無いこの時代に、どうして精 緻に礎石を並べられるのか、匠の技に驚かざるを得ない。また平城京から移築させた大極殿址にも北西と 南西には当時の巨大な礎石が元のまま残されており、そのスケールの大きさには驚かされた。 山城国分寺址での昼食後に海住山寺に向かう。急な山道を痛い膝でなんとか登り、鎌倉時代に建立され た国宝五重塔に迎えられ境内に入る。境内から瓶原が一望でき、ガイドさんからかせやまを挟んで右京と 左京の説明があったが殆ど忘却。解脱上人真慶が建立し慈心上人覚真に引き継がれた海(水・常にあり) 住(人間・主たる)山寺は本殿には誠に柔和な御顔の十一面観音菩薩様がご本尊として祭られていた。 所感:1300 年前にタイムスリップし、古の都を思い浮かべながらの楽しい歴史散策でした。少し寒 かったけれどもお天気にも恵まれ大変良かったと思います。企画の皆様ありがとうございまし た。
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