ビヤが犯した戦略上の過ち 会議派同盟を工作したアンヘレスは、その

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ビヤが犯
ヤが犯した戦略上
した戦略上の
戦略上の過ち
会議派同盟を
会議派同盟を工作したアンヘレスは
工作したアンヘレスは、
したアンヘレスは、その結束
その結束の
結束の脆さを充分
さを充分に
充分に理解していた
理解していた。
していた。会議派の
会議派の
中でただ一人
でただ一人、
一人、彼は軍事情勢を
軍事情勢を的確に
的確に判断し
判断し、同盟は
同盟は初期の
初期の段階では
段階では長所
では長所を
長所を発揮する
発揮する一方
する一方、
一方、
長期的にはその
長期的にはその効力
にはその効力を
効力を失うであろう事
うであろう事を充分に
充分に予測していた
予測していた。
していた。アグアスカリエンテスでカ
ランサ派
ランサ派の指導者と
指導者と接触した
接触した経験
した経験で
経験で、彼は相手の
相手の長所短所を
長所短所を理解していた
理解していた。
していた。アンヘレスは
ビヤ以上に
以上に会議派の
会議派の資金源に
資金源に限界があるこ
限界があること
があることに気付き
気付き、抗争が
抗争が長期化すると
長期化すると、
すると、これまで課
これまで課
税したことのない外国人所有
したことのない外国人所有の
外国人所有の土地財産に
土地財産に手をつけることになるだろうと考
をつけることになるだろうと考えた。
えた。もしそ
うなれば、
うなれば、会議派は
会議派は更に強力な
強力な相手を
相手を敵に回すことにな
すことになる。
アンヘレスは会議派軍
アンヘレスは会議派軍をメキシコ
会議派軍をメキシコ市
をメキシコ市に止めず、
めず、ベラクルースにあるカランサの本拠地
ラクルースにあるカランサの本拠地を
本拠地を
攻撃するよう
攻撃するようビ
するようビヤを説得
ヤを説得した
説得した。
した。勢いに乗
いに乗ったビ
ったビヤ軍はグティエレス軍
はグティエレス軍と、外に出たがらな
いサパタ軍
いサパタ軍を説得し
説得し、共同して
共同してベ
してベラクルースを攻撃
ラクルースを攻撃できると
攻撃できると思
できると思っていた。
っていた。パブロ・ゴンザレ
スの部隊
スの部隊は
部隊は士気低下で
士気低下で脱走兵が
脱走兵が続出し
続出し、オブレゴンもカランサ軍
ブレゴンもカランサ軍を充分に
充分に掌握していなか
掌握していなか
った。
った。
ビヤは最初
ヤは最初その
最初その気
その気になったが、
になったが、カランサ軍
カランサ軍が迫っていることを知
っていることを知らせるトレオンの指揮
らせるトレオンの指揮
官エミリオ・マデロの電報
エミリオ・マデロの電報を
電報を見て、すぐに気
すぐに気が変わった。
わった。ビヤは直
ヤは直ちに北上
ちに北上してトレオン
北上してトレオン
を解放し
解放し、更にサルティヨとモンテレー攻略
にサルティヨとモンテレー攻略をアンヘレスに
攻略をアンヘレスに命
をアンヘレスに命じた。
じた。アンヘレスは我
アンヘレスは我々の
本拠地はメキシコ
本拠地はメキシコ市
はメキシコ市でトレオンではない事
でトレオンではない事、マデロは充分
マデロは充分な
充分な兵力を
兵力を持っていて対抗
っていて対抗できる
対抗できる
こと、
こと、全ての頭
ての頭であるカランサを叩
であるカランサを叩くことが先決
くことが先決である
先決である、
である、と執拗に
執拗に反対したけれども
反対したけれども、
したけれども、ビ
ヤは頑
ヤは頑として聞
として聞き入れなかった。
れなかった。
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アンヘレスは正
アンヘレスは正しかった。
しかった。この時
この時カランサを攻撃
ランサを攻撃していたら
攻撃していたら、
していたら、恐らく勝利
らく勝利してい
勝利していた
していたか、
少なくとも長期的
なくとも長期的には
長期的には不利
には不利とされていた
不利とされていた状況
とされていた状況を
状況を打開できたことは
打開できたことは間違
できたことは間違いなかった
間違いなかった。
いなかった。この致
この致
命的な
命的な決断の
決断の基になったのはビ
になったのはビヤの地域主義にあり
地域主義にあり、
にあり、メキシコを全体
メキシコを全体として
全体として捉
として捉える能力
える能力が
能力が
欠けていたことによる。
けていたことによる。また別
また別の見解は
見解は、ビヤとサパタがソチミルコで交
ヤとサパタがソチミルコで交わした秘密協定
わした秘密協定
に原因があったとしている
原因があったとしている。
があったとしている。ビヤは北
ヤは北、サパタは
サパタは南
タは南と其々の軍事行動の
軍事行動の範囲が
範囲が決められて
いた。
いた。プエブラを通
プエブラを通ってベ
ってベラクルースを攻略
ラクルースを攻略する
攻略する事
する事はサパタの権
はサパタの権利を蹂躙することになる
蹂躙することになる。
することになる。
サパタが特
サパタが特に心配したのは
心配したのは、
したのは、プエブラの州都
プエブラの州都を
州都を守っていたのはモレロスからのサパタ
っていたのはモレロスからのサパタ軍
からのサパタ軍で
はなく、
はなく、ビヤの宿
ヤの宿敵オロスコ軍
オロスコ軍の残党であった
残党であった故
であった故、ビヤがプエブラに入
ヤがプエブラに入ればビ
ればビヤの報
ヤの報復は
必死であるということであった
必死であるということであった。
であるということであった。
ビヤがアンヘレスを北
ヤがアンヘレスを北へ向かわせた事
かわせた事は、単にベラクルース攻略
ラクルース攻略を
攻略を遅らせるような短期
らせるような短期
的なものではなく、
なものではなく、完全な戦略の
戦略の変更を
変更を意味していた
意味していた。
していた。ビヤは大
ヤは大部分の
部分の兵を伴ってメキシ
コ市を離れ、北と西にあるカランサ軍
にあるカランサ軍壊滅に
壊滅に動き出した。
した。ビヤとアンヘレスはその作戦
ヤとアンヘレスはその作戦で
作戦で
勝利を
勝利を重ねたにもかかわらず、
にもかかわらず、カランサの部隊
カランサの部隊は
部隊は一つも壊滅
つも壊滅されず
壊滅されず、
されず、オブレゴンに来
オブレゴンに来るべ
き大作戦の
作戦の準備に
準備に必要な
必要な時間を
時間を与えただけであった。
えただけであった。オブレゴンはビ
オブレゴンはビヤの攻撃を
攻撃を受けたら
ベラクルースの港
ラクルースの港を持ちこたえる事
ちこたえる事には悲観
には悲観的
悲観的であり、
であり、更に南のテウァ
のテウァンテ
ウァンテペッ
ンテペック
ペック地峡ま
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で逃れることを検討
れることを検討していた
検討していた。
していた。ビヤが攻撃
ヤが攻撃しないと
攻撃しないと知
しないと知ったとき、
ったとき、オブレゴンは驚
オブレゴンは驚き、そし
て安堵した
安堵した。
した。
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戦いが再
いが再開した初期
した初期の
初期の段階では
段階ではビ
ではビヤの北
ヤの北西部作戦は
作戦は功を奏したかに見
したかに見えた。
えた。僅か三週間
ほどでメキシコの第二
どでメキシコの第二の
第二の都市グァダラ
ァダラハラと第三
ラと第三のモンテレーを
第三のモンテレーを占領
のモンテレーを占領した
占領した。
した。ビヤの人気
ヤの人気は
人気は
低所得層
低所得層のみならず中産階
ならず中産階級
中産階級の間でも高
でも高まった。
まった。グァダラ
ァダラハラを最初
ラを最初に
最初に占領した
占領した革
した革命軍は
命軍は、
カナネア
ナネア銅山ストラ
銅山ストライ
ストライキを組織
キを組織した
組織したPLM
したPLM支
PLM支持者マ
持者マヌエル・ディエゲ
エル・ディエゲスを頭
スを頭とするカラン
とするカラン
サ軍であった。
であった。ディエゲ
ディエゲスは聖職
スは聖職者
聖職者を処刑し
処刑し、労働者
労働者にストライ
にストライキを奨励
キを奨励、
奨励、多くのウ
くのウエル
タ支持者を
持者を撃つか投獄
つか投獄し
投獄し、富者や支配層から
支配層から財産
から財産を
財産を没収した
没収した。
した。没収は
没収は大規模であったのに
大規模であったのに、
であったのに、
貧者には一
には一切還元されなかった
切還元されなかった。
されなかった。僧侶の
僧侶の処刑、
処刑、そして横暴
そして横暴な
横暴な兵士を
兵士を憎んだ住民は
住民は富者も貧
者も共にカランサ軍
にカランサ軍を憎んでいた。
でいた。地元の革命家フリアン・メディナ
リアン・メディナを初め、ディエゲ
ディエゲス
の兵士多数
兵士多数が
多数が脱走して
脱走して北部
して北部師団
北部師団に
師団に加わり、
わり、ディエゲ
ディエゲスは戦
スは戦わずしてグァダ
わずしてグァダラ
ァダラハラを明
ラを明け渡
した。
した。ビヤは「
ヤは「ビバ・ビヤ」の大歓声に
大歓声に迎えられた。
えられた。ディエゲ
ディエゲス軍よりは規律
よりは規律正
規律正しく、
しく、僧
侶の処刑も
処刑も止まって富
まって富者は一安心した
安心したのも
したのも束
のも束の間、ビヤがウ
ヤがウエルタの高
エルタの高官を処刑するに
処刑するに及
するに及
んで、住民の
住民の熱も急に冷めた。
めた。富者への強制徴用、
制徴用、兵や将校へ
将校への農地分配
地分配、大農園の
大農園の外国
人への転売の
転売の禁止など、
など、次々に出された政策
された政策により
政策により富裕層
により富裕層の
富裕層の態度は
態度は一変した
一変した。
した。一方グ
一方グァダ
ラハラの貧困層
ラの貧困層の
貧困層の間でビヤは熱狂
ヤは熱狂的
熱狂的な支持を得ていた。
ていた。
44
42. Friedrich Katz, “The Life and Times of Pancho Villa”
Villa”, Stanford University Press, 1998, P478
43. Ibid. P479
44. Ibid.
Ibid. P480