18 『三国志』の舞台と世界遺産

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2015中国シルクロード観光年
『三国志』の舞台と世界遺産
武漢を中心に周辺都市を旅する
中国の中央部に位置する武漢は、山紫水明で名所旧跡に恵まれた観光都市。
中華民国建設当時の建築も残り、ノスタルジックな街並みを呈している。
周辺には『三国志』ゆかりの地が点在し、世界遺産に登録されている名山や陵墓もある。
武漢を起点に高速鉄道やバスを利用すれば旅が深まるだろう。
文/皆方久美子
湖北省の省都である武漢へは成田・
立までの資料を展示する辛亥革命記念
羽田からは北京・上海経由、関空から
館がある。武漢は1911年の辛亥革命の
は直行便、福岡からは北京経由でアク
口火となった武装蜂起が起こった地で、
セスできる。省内の他の都市や周辺の
一時は国民党政府の首都にもなった。
都市へは、日本からのアクセスは良くな
市内に200近い湖が点在するなかで、
いので、武漢を起点とした旅のプラン
最も大きいのが武昌の東側にある東湖。
が便利。
99湾と呼ばれる曲がりくねった湖岸に
『三国志』ゆかりの地というと、成都
長江とその支流・漢江の合流点に位
は遊歩道が整備され、風景を楽しみな
を中心とした四川省に多くあるが、武
置する武漢は、古くから交通の要衝と
がらの散策ができる。杭州の西湖と並
漢・荊州を中心とするエリアにも多く
して発展してきた。町は長江をはさん
び称される景勝地である。
の史跡が点在している。武漢を起点に
で漢口、漢陽、武昌の「武漢三鎮」と
漢陽にある帰元禅寺は清代創建の禅
バスや高速鉄道を利用して巡ることが
呼ばれる3エリアに分けられる。漢陽と
宗の名刹。武漢最大の仏教寺院で、4
できる。
武昌は長江に初めて架けられた武漢長
層の屋根が優美な蔵経閣や表情豊かな
武漢市内にも三国志ゆかりの見どこ
江大橋で結ばれ、漢口と武昌は武漢長
五百羅漢が安置されている羅漢堂が見
ろがある。長江を見下ろす武昌の蛇山
江二橋で結ばれている。
ものだ。
に建つ黄鶴楼がそうで、三国時代の223
長江の右岸の武昌には、中華民国成
かつて租界地が置かれた漢口は、古
年に呉の孫権が蜀の劉備玄徳との戦い
くは夏口鎮と呼ばれた商業都市で、歴
に備えて建てた要塞である。5層51m
史を刻んだ洋館が多く見られる。特に
の楼閣で、仙人となった蜀の費
中山大道と沿江大道の間にある江漢路
色い鶴に乗り、ここに降り立ち休んだ
は旧租界(イギリス租界、ロシア租界、
という伝説がある。李白が詠んだ「黄
日本租界など)の街並みが見られ、日
鶴楼にて孟浩然の広陵に之くを送る」
本式建築の住居など、租界時代の名残
の詩でも知られ、多くの文人墨客が黄
がある。
鶴楼を題材に作品を残している。楼閣
武漢の漢陽にある芸術中心
「赤壁の戦い」の舞台へ
こうかくろう
ひ
い
が黄
の周囲には清代の街並みが再現されて
いる。
また、漢陽の亀山公園には呉の魯粛
の墓があり、園内には三国志の武将像
が100体ほどある。亀山公園からは長
江や漢江の眺めが良い。
後漢末期の208年、魏・呉・蜀の天
下分け目の戦いとなった「赤壁の戦い」
中国4大名楼に数えられる黄鶴楼
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風光明媚な東湖
の古戦場は、武漢からバスで約2時間の
赤壁は曹操軍と劉備・孫権連合軍が戦った古戦場
諸葛孔明の草庵がある古隆中
赤壁大戦陳列館では「赤壁の戦い」を再現
世界遺産に登録されている道教の聖地
荊州博物館
武当山三清殿
ところにある。武昌から高速鉄道で約
に骨を削って解毒してもらった故事を
柱峰山頂に建つ金頂がシンボル。山の
30分の赤壁市からバスに乗り換えて行
再現している。
傾斜地に緑の屋根と赤い壁の僧堂が建
くことも可能だ。長江の断崖に「赤壁」
荊州では春秋戦国時代以降の文物を
ち並ぶ、太子坡や岩場に張り付くよう
の字が表わされ、戦いの場面を再現し
展示する荊州博物館も見逃せない。有
に建てられた南岩宮などの道教の古建
た赤壁大戦陳列館、諸葛孔明を祀る拝
名な越王・勾践の剣や前漢時代のミイ
築群が圧巻。山頂まではリフトで登り、
風台、周瑜が赤壁の戦いを指揮した翼
ラの展示もある。漢代のシルクや漆器
中国道教の本場の雰囲気が楽しめる。
江亭などがある。この地に立っている
も見事で、楚の音楽を演奏する楚楽館
武当山へは武漢から鉄道で約5時間
と往時の戦いの様子が彷彿とされる。
も楽しめる。
かかるが、襄陽からはバスで1時間30分
武漢から高速鉄道で約40分の襄陽は、
『三国志』の史跡ではないが、長沙の
ほどなので、
『三国志』の史跡見学と組
後漢末に袁紹と袁術の抗争で、配下の
簡 牘博物館もファンには興味深い。簡
み合わせて行くと便利だ。
襄陽に宿泊し、
孫堅と劉表が戦ったところ。三国時代
牘とは文書が記された竹簡や木牘のこ
中国北方の少林寺と双璧をなす武当拳
に関羽が攻めたことで知られる襄陽古
と。1996年に長沙市の古井戸から出土
や武当太極拳などの武術ショーを鑑賞
城がある。襄陽から約25km の古隆中
した14万点の呉の簡牘群は走馬楼呉簡
すれば、旅が充実するだろう。
は三国志ファン必見の地。劉備が孔明
と呼ばれている。呉の土地制度や税制、
時間が許せば、襄陽からは鐘祥にあ
を軍師に迎えるために、三顧の礼を尽
司法制度を知る重要資料でもある走馬
る世界遺産の明顕陵も訪ねたい。明顕
くしたところだ。孔明は「天下三分の計」
楼呉簡の発見は、全国10大考古新発見
陵は、明の嘉靖皇帝の両親が眠る明代
を説き、のちに生涯劉備に仕えた。清
の1つに選出されている。長沙へは武漢
最大の陵墓で、造成には47年の月日が
代に建てられた三顧堂や武侯祠、
草廬亭、
から高速鉄道で約1時間30分。足を延
かけられたという。嘉靖皇帝の両親は
六角井、野雲庵などが現存し、躬耕田、
ばして訪ねたい。
造成時には皇帝ではなかったことが物
じょうよう
小虹橋、半月渓などの旧跡がある。
襄陽からバスで約1時間、武漢から約
こうせん
かんとく
世界遺産の見どころへ
議を醸し、皇帝号が追加された稀有な
陵墓である。城壁や龍の背の形が特徴
2時間の荊州は三国の熾烈な争いが繰
湖北省丹江口市にある武当山は、世
的な陵墓、参道である神道などが見学
り広げられた場所。関羽が築いたと言
界遺産に登録されている中国最大の道
できる。陵内は広大なので、移動はカー
われる荊州古城には三国志の史跡が多
教の聖地。
72の険しい山々が連なる谷は、
トを利用すると便利だ。
くある。武帝と祀られた関羽の関帝廟
漢代より道教の修験者たちの修行の場
鐘祥から武漢へは鉄道やバスが通じ
をはじめ、関 公刮骨療毒処など見どこ
になっていた。山には33の道教寺院が
ている。
ろ満載。関公刮骨療毒処は関羽が襄陽
自然に溶け込むように点在している。
攻めで毒矢を射られた際、名医・華 佗
武当山の主峰である標高1612mの天
かんこうかつこつりょうどくしょ
か
だ
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