若 の 里 が 貫 い た 相 撲 道

はともに4度、技能賞も2
勝も4度、殊勲賞、敢闘賞
若の里、優勝こそなかっ
たが準優勝は2度、十両優
評した。
きで、憧れの人だった」と
たとも言えるわけである。
らこそ、今の若の里があっ
その度に乗り越えてきたか
ない。しかし、その怪我を
を続けていられたかもしれ
怪我がなければもっと相撲
パフォーマンスもなかった。
土俵上では決して感情を
顕わにしなかった。派手な
さん」だった。
た。「 強 く て 優 し い お 相 撲
柄が表れているように思っ
ャップも印象的で、彼の人
を和ますような笑顔とのギ
若の里が貫いた
2 人 は 角 界 の「 レ ジ ェ ン
度あり、金星は2個挙げた。
現役最後の場所となった
名古屋場所では、特に両ひ
若の里と同じ昭和 年生
まれの力士としては、千代
の連続
場所三役を務める
位であった。昭和以降最長
幕内在位
場
あと2つ、勝ちを拾えれば
ち合いで変化するなどして
後の白星だった。仮に、立
に気迫だけでもぎ取った最
で4つ白星を重ねた。まさ
敗124休)は同じく7位。 そうだが、それでも
は全くない」と言い切った。 退を表明したのに対して、
若 の 里 は ま た、「 ず っ と
現役でいたかったが、悔い
東北人らしさを感じる。
そうである。この辺りにも
るように自らを戒めてきた
で、喜びも悔しさも我慢す
その旭天鵬が名古屋場所
の千秋楽を終えて早々に引
たのだろう。
日
である。青森県内での巡業
んが心筋梗塞で急逝したの
っただ中で若の里のお父さ
の悲劇が襲った。巡業の真
とになった若の里を、突然
多く出てきてくれたらと思
に取り組む力士が1人でも
古場でも私生活でも真面目
の上で勝つだけでなく、稽
と 聞 か れ る と、「 た だ 土 俵
後の相撲界に望むことは」
と評している。そして、「あ
したところがないでしょ」
し、まったくチャラチャラ
いうかね。寡黙なタイプだ
若の里はこの輝のこと
を、「 本 当 に 純 粋 で 無 垢 と
場所は同じく8
「勝っておごらず、負けて
大海、栃東、琴光喜の3人
など、三役在位は合計
十両にも残留でき、引退は
この言葉、相撲への愛着と、 若の里はなかなか引退を表
ざの状況が悪く、歩くのす
の大関や人気力士だった高
所にも及び、たびたび大関
しないで済んだ。しかし、
やり切った人だけが言える
若の里という力士
相撲道
ト」と呼ばれた。
通算1691回出場は長い
今回のテーマは「若の里」
である。と言ってもこの若
見 盛 が い て、「 花 の ゴ ー イ
候補として期待されたが、
若の里は最後までそうした
大相撲の歴史の中でも歴代
の里、決して派手さはなか
チ組」と呼ばれていたが、
残念ながら大関には届かな
相撲を取らなかった。それ
悔しがらず」が信条だった
ったので、相撲好き以外に
若の里はその最後まで残っ
かった。しかし、間違いな
らやっとという状況だった
はあまり知られていないか
た現役力士でもあった。
く「名関脇」であった。
肉は見事で、彼の「力」を
5位、通算914勝(783
もしれない。青森県弘前市
思い浮かぶ姿かたちに一番
この若の里、多くの人が
場所を終えた後、引退した。
「お相撲さん」と言われて
出身の
近い身体をした力士だった
実感させた。事実、角界き
のは「相手に失礼」だから
青森は東北きっての「相
撲王国」である。先代の横
と思う。特に上半身の首か
大関貴ノ浪、舞の海、安美
っての「怪力」として知ら
日間
綱若乃花、大関貴ノ花を始
歳。7月の名古屋
め、若の里の師匠でもあっ
人の幕内力士を
錦、高見盛など、戦後だけ
そのものであったのだろう。 期待の大きさが窺えると共
して若の里が抱く問題意識
裏を返せば、今の角界に対
います」と言った。これは
里がこの若い力士に掛ける
よ」とも言っている。若の
とは頼む、という感じです
を2日後に控えた8月
しかし若の里は、翌 日
の秋田での巡業にもそのま
明しなかった。その理由は
巡業に参加したかったとい
ま参加し、その終了後に弘
のことだった。
うことだったらしい。この
前の実家に帰ってお父さん
しかし、その若の里の「稽
古場でも私生活でも真面
名古屋場所後に行われる夏
巡業、若の里の故郷である
と無言の対面をし、その後
清々しさを感じた。
青森でも2日間開催される
すぐ巡業の一行に合流。
でも実に
れ、真っ向勝負で横綱や大
大関に届かなかったその
大きな理由は度重なった怪
感じて後を託した様子が如
輩出している。
実に表れた言葉である。こ
我であった。常に真正面か
、 目に取り組む」という言葉
らの勝負を貫き、どんな場
突然襲った悲劇
ことになっていた。現役力
が自分の目指す相撲でない
ことを誰よりも知っていて、
それを貫いたのである。
士として最後に故郷の土を
関を破ることもたびたびだ
に、自らに共通するものを
先述のように、7月の名
古屋場所後には旭天鵬も引
った。その中には、白鵬が
大相撲の平均引退年齢は
・8歳。若の里のように
角界に入門して初土俵は
平成4年3月。そこから実
の輝、東北出身でこそない
面でも決して力を抜くこと
ったのに違いない。
そのままの力士がいる。昨
横綱になる前からのカウン
同じ時に入門した二人が同
の里は実は同期入門だった。 踏んで土俵人生を終えたか
歳まで関取でいられた人
に
が、確かに若の里と同じく
がなかったことの代償か、
横綱白鵬の言葉が何より
の手向けだったろう。
の巡業に最後まで参加した。 年十両に昇進し、若の里を
トであるものの、前人未踏
「 東 北 の 人 は 普 段、 相 撲
を生で見られないこともあ
年半に及ぶ相撲人生で
は本当に少ない。同じく名
時に引退するというのも、
相撲に対する一途な姿勢が
実に不思議な縁である。し
感じられる。
振 り 返 っ て 若 の 里 は、「 毎
度々大きな怪我に見舞われ、 あった。引退会見でそれを
こよなく尊敬していると公
怪我の手術は力士人生の中
言して憚らない「輝」であ
の対白鵬戦6連勝もある。
モンゴル出身の旭天鵬は
日と行われた青森県内で
土俵生活
の力士である。今年で
た、文字通り「叩き上げ」
業と同時に角界の扉を叩い
思いを受け継ぐ輝の相撲ぶ
も寂しくなるが、若の里の
ある。この若の里がいなく
写真は日本相撲協会のサ
イトにある若の里の写真で
「オヤジさんが亡くなって、 る。若の里と同様、中学卒
入門した時にはまだ生まれ
って本当に巡業を楽しみに
思ったけれど、最後まで参
てもいなかった「輝」だが、 りに注目してみたいと思う。
かし、意外にも二人は一緒
識を見せてもらった。見本
の里は語った。若の里自身、 加した。素晴らしいプロ意
楽しみにしていた」と、若
となる存在というのは、最
日、本場所中は命がけで土
ることもなく、電話やメー
角界入りを決めたのは青森
後の最後まで自分の行動で
回にも及んだ。に
ルもしたことがなく、場所
で行われた巡業で貴乃花
で実に
中に一言二言言葉を交わす
(当時貴花田)に稽古をつ
屋場所千秋楽の翌日の会見
だけの間柄だったそうであ
歳。
れだけは、貫いてきた」と
る。しかし、それだけでき
示してくれますね」と。
(巡業を)やめてもいいと
という言葉は軽々に出てく
関取でいた若の里のことを、 言 い 切 っ た。「 命 が け で 」
歳まで
る言葉ではない。この人は
けてもらったことだったと
しているし、自分もずっと
人は皆「鉄人」と呼んだ。
本当に本物の力士だったの
っと互いに通じるものがあ
は格別の思い入れがあった
に食事をしたり飲んだりす
若の里は引退会見でこう
言っている。
だと思った。
のだろう。
歳、 なった来場所の土俵はとて
「怪我さえなければという
朴訥と語るその語り口に、 ったのに違いない。そこに
は数々の苦難をその都度乗
生粋の東北人の姿を見た人
青森の出身、若の里の2歳
貫き通したその「相撲道」
したい。
ける安美錦にも改めて注目
継いだようである。
を間近で見てしっかり受け
り組む真摯な姿勢に心酔し、 年下でかつ、今も現役を続
その間、若の里の相撲に取
若の里の付け人を2年務め、 そしてまた、若の里と同じ
年半の若の里が
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活を遂げ、そして
気持ちもありますが、怪我
も多いのではないかと思う。 り越えて、人一倍長く土俵
俵に上がっていました。そ
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があったから、ここまでで
いうことで、巡業に対して
きたのかなと思います」
もかかわらず、その度に復
執筆者紹介
大友浩平
(おおともこうへい)
奥州仙臺の住人。普段は出
版社に勤務。東北の人と自
然と文化が大好き。趣味は
自転車と歌と旅。
「東北ブログ」
引退会見で若の里は、「今
若の里の思いを 受け継ぐ者
に上がり続けてきた者同士
ところが、引退表明をせ
ず、夏巡業に参加できるこ
土俵上での真剣な眼差し
が分かり合えるものがあっ
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代後半になっても現
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で、若の里のことを「大好
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と、土俵の外で見せる相手
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23
この言葉、本当に正直な
思いだったと思う。確かに
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その白鵬も、優勝した名古
怪我からの復活
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「土俵人生に悔いなし」
退を表明した。旭天鵬と若
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役で相撲を取り続けたこの
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http://blog.livedoor.jp/
anagma5/
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古屋場所を最後に引退した
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た横綱隆の里、横綱旭富士、 ら肩までの盛り上がった筋
2015 年 (平成 27 年) 9 月 16 日 (水曜日) 第 40 号 http://tohoku-fukko.jp/