2015.10.24(土)13~14 時 現地説明会資料 なかたい 古代の竪穴住居からは、土師器坏や甕などの土器のほか、糸を紡ぐ際に使用した紡錘車(ぼうすいしゃ)や刀子(とうす)・鉄鏃 などの金属製品、鍛冶作業を行った際に排出される鍛造剥片(たんぞうはくへん)、コハクなども少量出土しています。 中平遺跡の発掘調査 また、今回の調査から、円形周溝1条と方形周溝1条が新たに見つかりました。円形周溝は直径約 17m、方形周溝は一辺約 20mで、 遺構の大半は道路部分にかかっています。内部からこれらに伴う遺構は見つかっていませんが、溝を掘った際の土を内部に盛ってマ ―縄文時代の狩り場と古代の集落― ウンド状に成形していたのかもしれません。 これらの周辺には住居が作られていないことから、 特別な空間であったと考えられます。 (公財)岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センター 3.おわりに 1.はじめに 今回の調査から、中平遺跡は過去の調査と同様に縄文時代と古代の複合遺跡であることが分かりました。特に、円形と方形の周溝 今回の発掘調査は、国土交通省東北地方整備局三陸国道事務所より受託し、三 が見つかったことから、これらを中央に据えた集落空間が想定されます。中平遺跡の中心部分からは東にやや離れていますが、当時 陸沿岸道路(野田久慈道路)の建設に関連して、事前に行われる緊急発掘調査で す。調査は昨年度の 10~11 月に引き続き、5,200 ㎡を対象に平成 27 年8月3日 伏津館跡 野田村役場 の人々にとって今回の調査地点は特別な場所だったのかもしれません。今後は、出土した遺物などを詳しく調べて、当時の生活に少 しでも迫りたいと考えています。 ~11 月末の予定で行っています。 最後に、今回の調査にご協力とご理解を頂きました地域の皆様、野田村教育委員会、国土交通省東北地方整備局三陸国道事務所を 中平遺跡は、野田村役場から南西約 500mに位置しており、明内川と泉沢川に はじめ、関係者各位に深く感謝申し上げます。 よって形成された河岸段丘上(海成段丘起源)に立地しています。 中平遺跡は、昭和 29 年に県指定史跡となった「野田竪穴住居址群」を含む遺 大平野遺跡 今回の調査地点 古館山遺跡 BC10000年 期前~中葉(約 6,000~5,500 年前)前後の狩り場と集落、古代(1,300~1,000 8000年 上泉沢遺跡 年前)の集落、中世(700~500 年前)の集落が確認されており、段丘上の広い範 中平遺跡の範囲 上泉沢遺跡、大平野遺跡、伏津館跡など多くの遺跡が点在しています。 野田村で見つかっている古代の遺跡は、泉沢川や明内川によって形成された河 岸段丘上に立地しています。河川など標高の低い場所には田畑などの生産域、段 4000年 遺跡の位置(上が北) 3000年 丘上の標高の高い場所には集落が造られ、居住域が広がっていたと考えられます。 時期区分 … 年代 ~ 跡で、これまでに数回の発掘調査が行われています。調査結果から、縄文時代前 囲に長期に亘る人間活動の痕跡が認められました。また、近隣には古館山遺跡や 岩 手 県 の 遺 跡 略 年 表 草 創 期 縄 文 時 代 主な事柄 土器の使用が始まる 主な調査遺跡 主な国・県指定遺跡 今回の調査 岩泉町竜泉新洞遺跡 盛岡市大新町遺跡 軽米町馬場野Ⅱ遺跡 早 期 前 期 中 期 2000年 2.見つかった遺構と出土した遺物 遺物 石 器 ・ 木 器 ・ 骨 角 器 縄 文 大規模なムラができる 漆の本格的な利用が始まる 土 器 亀ヶ岡文化が広がる 晩 期 … ~ 今回の調査で確認した遺構は、縄文時代の陥し穴状遺構(おとしあなじょういこう)44 基、古代の竪穴住居 12 棟・円形周溝1条・ 二戸市馬立Ⅰ遺跡 山田町沢田Ⅰ遺跡 紫波町西田遺跡 (県)大船渡市関谷洞窟 (国)遠野市綾織新田遺跡 (国)宮古市崎山貝塚 (国)一戸町御所野遺跡 中平遺跡 花巻市大迫町観音堂遺跡・立石遺跡 盛岡市萪内遺跡 後 期 1000年 住田町蛇王洞穴遺跡 (国)北上市八天遺跡 大船渡市上鷹生遺跡 北上市九年橋遺跡 盛岡市永福寺山遺跡 方形周溝1条・溝1条、時期不明の掘立柱建物5棟・土坑2基・溝2条・柱穴状ピット 249 個です(平成 27 年 10 月 16 日現在)。 縄文時代の陥し穴状遺構は、円形と溝状の2種類があります。陥し穴から遺物は出土していませんが、一部の円形陥し穴から約 AD400年 5,500 年前に降下した十和田中掫(ちゅうせり)テフラが確認されており、これよりも古い遺構であることが分かりました。また、 溝状陥し穴は上泉沢遺跡例から円形陥し穴を切るように見つかっており、これよりも新しい遺構であると考えられます。これら2時 600年 期の陥し穴状遺構は、明内川や泉沢川に水を求めてきたシカやイノシ 古 墳 時 代 シなどの獣を捕らえるために並べて造られたと想像されます。 奈良時代 古代の竪穴住居は、重複することなく確認されており、出土遺物か ら奈良時代と平安時代に分けられます。奈良時代の竪穴住居は6棟見 800年 つかっており、一辺が3~4mの隅丸方形でカマドは大半が北向きに 1基設けられています。また、平安時代の竪穴住居は6棟で、一辺5 ~7mの隅丸方形、カマドは北または東向きに1基となります。大半 1000年 の竪穴住居は、何らかの理由で火災に遭い焼失したと考えられます。 平 安 時 代 大和朝廷が国家統一を進める 奥州市水沢区高山遺跡 古墳が各地につくられる (国)奥州市胆沢区角塚古墳 奥州市水沢区中半入遺跡 木 器 ・ 金 属 器 土 師 器 ・ 須 恵 器 仏教が伝わる 北上市猫谷地遺跡 聖徳太子が摂政となる 奥州市水沢区膳性遺跡 大化改新がおこる (県)矢巾町藤沢蝦夷森古墳 (国)北上市江釣子古墳群 (県)岩手町浮島古墳群 花巻市熊堂古墳群 宮古市長根Ⅰ遺跡 野田村上泉沢遺跡 奈良に都がつくられる 中平遺跡 京都に都がつくられる (国)奥州市水沢区胆沢城跡 胆沢城や志波城がつくられる (国)盛岡市志波城跡 各地に荘園が広がる (国)矢巾町徳丹城跡 (県)野田村野田竪穴住居址群 軽米町皀角子久保Ⅵ遺跡 二戸市浄法寺町飛鳥台地Ⅰ遺跡 前九年・後三年合戦がおこる 堆積土中には、多くの場合、平安時代中期の 915 年に降下したとされ の遺構は下部に認められ、住居が廃絶した時期が推定できます。 … 調査区南端全景(北西から) 1200年 ~ る十和田aテフラが堆積しており、奈良時代の遺構は上部、平安時代 平泉藤原氏滅亡する 平泉町柳之御所遺跡 接待館遺跡 (国)奥州市衣川区長者ヶ原廃寺跡 (国)一関市骨寺村荘園遺跡 Y=83300 Y=83280 Y=83260 Y=83220 X=12240 おと 動物を捕まえるための陥し穴が見つかりました。 円形のものと、溝状に細長いものの2種類があります。 SB01・02 SK24 X=12220 平成26年度調査区 北 掘立柱建物の柱穴 SK39 ほったてばしらたてもの X=12200 SI14 SK32・33 柱穴を観察すると、柱の痕跡が クッキリと残っていました。 SI15 狩りの様子(盛岡市遺跡の学び館展示より) X=12180 円形や方形にめぐる溝が見つかり ました。お墓の周りに掘られた溝 と考えています。 円形周溝 SI13 陥し穴を掘るのも ひと苦労 !! 竪穴住居の中からは 様々な遺物が出土しました。 X=12160 方形周溝 円形周溝 0 (1:500) 20m Y=83240 X=12140 SI13出土 3出土 地面をていねいに削ると、真っ黒な土 で埋まった竪穴住居が見えてきます。 SI07 SK39 紡錘車(ぼうすいしゃ) SI08 X=12120 SI07 SI10 こ の 部 品 SI09 住居の奥にはカマドが 設けられています。 せんい よ 繊維に撚りをかけて 糸にする道具 SK32 SK33 SI06 SI12 X=12100 SB01・02 SI05 SI11 SK24 SI04 黒い土を掘り下げると、床面には炭や真っ赤な焼土が 広がっていました。火災にあったことがわかります。 SI09 X=12080 焼けた板材が見つかりました。 壁に使われていたと考えています。 SI12 焼けた建築部材の中には、屋根材と思われる カヤのような植物も見つかっています。 SI08 縄文時代 古墳時代末∼奈良時代 平安時代 竪穴住居に設けられたカマド 中平遺跡 検出遺構全体図 火災にあった竪穴住居が いくつも見つかっています。
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