2015 年度 日本史授業プリント⑳(担当:杉山) <教:86 ㌻~91 ㌻・94 ㌻~99 ㌻&一:105~110> ★当時の世界の情勢★ ◎1911年:インドネシアでイスラーム同盟(サレカット=イスラーム)結成。 ◎1912年:タイタニック号、沈没。 [本日の名言:東京を復興するの努力如何は世界列強の環視する所、我が邦(くに)の実力如何を知るの試金石、またここに在り。 (山本権兵衛)] ①【 発表 】プレゼンター[ 20.大正デモクラシー さん] ・ [ さん] ワンセンテンスコメント(プレゼンの感想を書き残そう!) ②【 導入 】~本日の杉山コレクション“演説のCD”&“203 高地の DVD”~ Question ③【 講義 】KP法による本日の単元についてのレクチャー(メモ&アンダーラインもしてみよう!) 1901~1913 桂園時代 桂太郎 西園寺公望 桂太郎 長州藩出身 立憲政友会の総裁 西園寺公望 陸軍大将 伊藤博文の直系 交互に総理大臣 山県有朋の直系 1911~1912 第 2 次西園寺内閣② 第 2 次西園寺内閣③ 第 2 次西園寺内閣① 西園寺(行財政改革) 陸軍大臣上原勇作辞任 ※明治天皇死去→ vs. 西園寺内閣総辞職 大正天皇即位 陸軍(2 個師団増設要求) (軍部大臣現役武官制) 第 3 次桂内閣② 第 3 次桂内閣③ 野党勢力やジャーナリ 「閥族打破・憲政擁護」 スト、商工業者が参加 わずか 53 日で総辞職 犬養毅・尾崎行雄 (大正政変) 1912~1913 第 3 次桂内閣① 第一次護憲運動 が起こる 1913~1914 山本権兵衛内閣② 山本権兵衛内閣① ジーメンス事件などで 軍部大臣現役武官制の 総辞職 改正 第 2 次大隈内閣成立 大正デモクラシーの思想 美濃部達吉:天皇機関説(統治権は国家にあり天皇は国家の最高機関として統治権を行使し実行するもの) 吉野作造:民本主義(普通選挙制と政党を基礎とする議院内閣制の必然性を主張) 石橋湛山:国民主権論(普通選挙制により国民主権を議会政治で実現すべきと主張) : ※号令(生徒Aさん&Bさん) ①【 発表 】生徒Aさん&Bさんによる前時の復習(KP法による発表) [5~10 分] ②【 導入 】本日のクエスチョン提示&実物史料(映像資料)等提示[5 分] ③【 講義 】KP法(板書)による本日の単元についてのレクチャー[10 分] ④1 チーム 2~5 人 ※教え合い・質問を積 ④【 作業 】ワーク(個人/ペア/チーム) [15~20 分] ⑤【 学習 】ワーク(B)の答え合わせ&解説(本日のアンサー) [5 分] 極的に! ⑥【 内省 】振り返りシート記入&確認問題の答え合わせ[5 分] ※時には 1 人でもOK! ※ 次回復習担当者の確認(最後の号令は行いません) ※教科書&一問一答必須! ④【 作業 】ワーク(個人/ペア/グループ) (A)基礎レベル:内容理解(教科書&一問一答を参照して、以下の問題に取り組もう!) <歴史的用語を確認しよう!(一問一答 105・110 参照)> 基礎事項(漢字にすること) ダイイチジゴケン ウンドウ 意味 第二次西園寺内閣倒閣がきっかけでおこった運動。第三次桂太郎内閣の ときにおこった。この運動では、 [ ] ・憲政擁護がス (P.320~321) ローガンとしてかかげられた。 ヤマモトゴンベエ 1913 年、 [ (P.321) 第一次山本内閣は、ジーメンス事件をきっかけに総辞職した。 ヨシノサクゾウ (P.334) ]が改正された当時の首相。 「デモクラシー」の訳語として[ ]を提唱したこと で知られる。福田徳三らとともに黎明会も組織した。 <時代の流れを確認しよう!(教科書 P.86~P.87 参照)> はんばつかんりょう [桂内閣と西園寺内閣]日露戦争後,藩閥 官 僚 勢力を代表する桂太郎と, [ ]の総裁西 けいえん 園寺公望とが交互に政権を担当する桂園時代が続いた。1911 年に成立した第 2 次西園寺内閣は行財政改革を かかげ,朝鮮に配備する 2 個師団の増設を要求する陸軍と対立した。陸軍大臣が単独で辞職し,陸軍が後任 者の推薦を拒んだため,西園寺内閣は軍部大臣現役武官制のもとで陸軍大臣を得られず,総辞職を余儀なく された。 [ ]が後継首相に推薦した桂太郎は天皇の権威を利用して組閣した。 [第 1 次護憲運動]西園寺内閣が総辞職すると,政友会や有力資本家,記者・弁護士らに商工業者や都市民 ばつぞく だ は けんせい よ う ご 衆も加わり, [ ]に反対し,第 3 次桂内閣に対して閥族打破・憲政擁護を要求した。政 友会の尾崎行雄と立憲国民党の犬養毅がその先頭にたった。桂は反対党の切りくずしをはかったが,護憲派 の民衆が議会を包囲すると総辞職をした。これを大正政変という。その後,海軍大将山本権兵衛が後継首相 となったが,民衆とむすびついた政党の力を[ ]しえなくなった。しかし翌年,海軍の 高官たちが軍艦などの発注に際して収賄するというジーメンス事件がおこると,この内閣は総辞職した。元 老は[ ]の高かった大隈重信を首相に推薦し,1914 年,新内閣が成立した。 [大正デモクラシー]大正デモクラシーとは,日露戦争後から満州事変開始までの民主主義的風潮が高まっ み の べ たつきち た時代の政治体制,社会運動,思想,文化をいう。憲法学者の美濃部達吉の天皇機関説や,日本の植民地支 配を批判し[ ]をうたった「小日本主義」で知られる石橋湛山の言論活動も,このような 時代状況のもとで生まれ,吉野作造の民本主義とともに,民主主義の進展を支えた。しかし,1920 年代後半 以後,社会運動への弾圧も強まり,デモクラシーはしだいに退潮し, [ ]が台頭した。 (B)応用レベル:資料読解(本日の資料&教科書を参照して、穴埋めをして問いに答えてみよう!) <写真からレキシを多角的・多面的に読み取ろう!> ★ 【変換】写真に写っているものは何(名詞のみ)ですか?できるだけたくさん書いてみましょう。 ★ 【要素関連付け】写真に写っていることは何ですか?できるだけたくさん書いてみましょう。 ★ 【外挿】写真に写っていることからどのようなこと(物語)が予想されますか? (C)発展レベル:相互理解( (A) (B)で物足りない貴方へ…試験のつもりでやってみよう!) “第 2 次大隈内閣の成立理由”について以下のキーワード(全て使用する必要なし)を用いつつ教科書、一 問一答、本日の資料を活用して、60 字~80 字以内でまとめよう! (※最低 1 名と交換し相互理解を深 めよう。 ) キーワード: 山本権兵衛 ジーメンス事件 総辞職 民衆 国民的人気 60 80 Memo 20.大正デモクラシー No.2 ~ 本日の資料 ~ <軍人の階級(昭和期)と兵役制度> <美濃部達吉『天皇機関説』> 君主国においても君主は自己の権利と して統治権を有するにあらず。君主は国家 の最高機関として国家の統治権を総攬す 大将・中将・少将 将 大佐・中佐・少佐 校 大尉・中尉・少尉 るものにして、統治権を実現し行使する最 准 陸軍 高の権力はもとより君主に属すといえど 士 特務曹長 も、その権力は君主が自己の権利としてこ 官 〈1936 年准尉〉 れを享有するにあらず、権利の主体たるも 下 曹長 一等兵曹(上等兵曹) のは君主にあらずして国家なること。 士 軍曹 二等兵曹(一等兵曹) 官 伍長 三等兵曹(二等兵曹) 兵長 一等水兵(水兵長) 〈1941 年新設〉 二等水兵(上等水兵) 上等兵 三等水兵(一等水兵) 一等兵 四等水兵(二等水兵) 『国家及び政体論』 兵 <大正政変前後の国内政治> 『高校日本史をひとつひとつわかりやすく。近現代』 より引用 (卒) 海軍 兵曹長 二等兵 ⑤【 学習 】ワークの答え合わせ&杉山による解説(本日のアンサー) (※⑥は別紙) Answer
© Copyright 2024 ExpyDoc