完全復活版『四斗樽』 連載中 2015 年・6月号

二〇一五年六月一日発行(毎月一回一日発行) 第五十四巻第六号 (通巻六四〇号)
完全復活版『四斗樽』(「し」と「たる」)連載中
2015 年・6月号
冬雷の表紙画をたどる 15 (昭和 45 年)
亜伊茂清の書き下ろし。
六月号 目次
30
15
45
表
73 60 42 30 15
85 84 72 71 71 58 57 56 55 40 29 28 26 12
表紙絵《唐辛子》嶋田正之 / 作品欄写真 関口正道 /
題字 田口白汀 to
雷神は「稲妻」からも知れるように稲作を司る神とも
され、ひろく農作の守り神として祀られている。この画
は深い緑色の空をバックにして、右手に劔、左腕には一
冬 雷 の 表 紙 画 を た ど る ( 昭 和 年 )…………………… 二
冬雷集………………………………………川又幸子他…
六月集…………………………………小久保美津子他…
作品一………………………………………吉田綾子他…
作品二………………………………………大滝詔子他…
作品三……………………………………吉田佐好子他…
完全復活版『四斗樽 (「し」と「たる」)
』⑶……… 故太田行蔵…1
あらためて読み直す『四斗樽』…………………大山敏夫…
今 月 の 首 ( 兆 し )…………………………… 高 松 美 智 子 …
四月号冬雷集評……………………………………小林芳枝…
四月集評……………………………………………赤羽佳年…
四月号作品一評……………………冨田眞紀恵・嶋田正之…
「国立のさくら吟行会」御礼と報告………………酒向陸江…
四月号十首選…………………………燿子・灑子・美智子…
カナダ 短歌 (TED)…………………………大滝詔子…
四月号作品二評……………………桜井美保子・中村晴美…
詩歌の紹介 〈『故郷の道』より〉…………………立谷正男…
四月集十首選………………………………………赤間洋子…
四月号作品三評…………………………………水谷慶一朗…
冬雷短歌会文庫を読む (『四百マイル』)…………橘美千代…
歌集歌書御礼……………………………………(編集室)…
83
15
杯の麦の収穫を抱える女性雷神の姿。強靭な上に豊かな
下半身で大股に闊歩するふうでもある。
この年は、『四斗樽』の刊行直後ということもあって、
様々な反響が誌面を賑わす。賛成の声、反論もある。そ
回を越えて休載という月も
して、又その反論、さらに反論など活発だ。太田行蔵先
生の「人間土屋文明論」も
となって歓びの声も溢れた。
連載も始まり、発展した年でもある。6月号が通巻百号
出ている。新たに手塚正夫の「斎藤茂吉と女人たち」の
90
完全復活版
四 斗 樽
(「し」と「たる」)⑶
太田 行蔵
垢じみた襟 (石川啄木)
啄木は「し」と「たる」との区別などすることをうるさく
考へ、将来は口語「た」としてしまふがよいと思つたのであ
らうか。
4
垢じみた袷の襟よ
かなしくも
ふるさとの胡桃焼くるにほひす
この「た」は「し」か「たる」か。「焼くるにほひ」と文語
をえらんでゐるくらゐであるから、口語論者ではなかつたらう。
8
8
去つたら成立は困難であらう。そんな意味から、文語を、文
語と呼ばずに詩語と呼ぶことも考へられる。
それは4と4もかくもとして、こ4の啄木の歌の「垢じみた」は
垢じみたるがよいか、垢じみしがよいか。
外套の襟に頤を埋め
夜ふけに4立ちどまり聞く
よく似た声かな
4
これは「似し」か「似たる」か。
4
重い荷を下したやうな
気持なりき
この寝台の上に来ていねしとき
この歌などみると気の毒である。「し」と「たる」の区別
どころか疲れきつてゐる。そんな言葉づかひなど超越して読
むべきかもしれない。さういふことが多くの歌人にもあるだ
らう。だから、さうならないうちに勉強しておきたい。疲れ
きつた、弱つた人などに持ちかける話ではない。啄木もちや
んとした例はちやんと遺してある。
頬につたふ
なみだのごはず
終戦後、キリスト教会ではバイブルの文を口語にした。し
かし次第にそれを後悔してゐる人が多くなりつつあるとい
ふ。本当のことかどうか知らないが、口語では文語の持つ詩
一握の砂を示しし人を忘れず
4
的な調子が出せないことは事実である。宗教から詩の情味を
1
これを「示したる」としてみると、理屈にも合はないし、
調子も悪い。
寝つつ読む4本4の重さに
つかれたる
8
う。強さを示すためには牙(キバ)がある。「きしむ・きしる」
といふ言葉も「き」の音から生れたに相違ない。
画伯林武氏の尊父君林甕臣先生の「日本語原学」を見ると、
毎日の自分の言葉の成り立ちを考へる興味を与へられる。そ
こに言はれてゐるいろいろなことが、子供の頃の国語の時間
界が、どうしてああいふ面白い、しかも根本的に物を考へる
にどうして話してもらへなかつたかを残念に思ふ。国語教育
気持を育てるによい傾向を採用しなかつたか、不思議な気が
手を休めては物を思へり
どと言つて、その無視を進歩ととりちがへた論をすべきでない。
これらはいづれも「し」と「たる」の違ひを説明するによ
い材料である。啄木の歌にその違ひを無視したものが多いな
する。自分の毎日の言葉について根本的に考へることは教へ
られずに国語を尊重せよといふお題目だけは常にきかされ
なぜならば、それは言葉の持つ命を無視することであるから。
4
4
4
た。土台のもろさと上塗りの美しさとを過去の国語教育に感
じる。その結果の小さな一つが、「しとたる」との違ひがわ
からぬ短歌作者が多いといふ事実となつてあらはれてゐる。
思ふと、国語教育には根本的な改革が必要である。今からで
き
も遅くはない。
日常の言語生活上のたるみと国民の運命とのつながり加減を
共に刺激が強い。
「き」は「し」と共に過去回想用語である。「き」といふ音
声で伝へられる刺戟の強さは「し」の兄貴分と言ひたい。修
色は目から頭に入る。声は耳から頭に入る。目で見る色の
「き」と耳できく声の「き」との、頭の中での作用は似てゐる。
字引に4、黄は白をのぞけば最も多く光を反射する色として
ある。きをつけろといふ場所には、きの色のペンキを塗る。
8
正のきかない過去を回想する言葉には断乎たる強さが必要な
8
「き」と発音する言葉はみな強い8。酒もキであり城もキで
ある。共に命はその強さにある。生ビールの「生」はキかナ
のかと思ふ。「し」よりも言ひ据ゑる力が強い。例えば啄木の
4
マかと閑な人が論じるが、その純粋性、利きのよさを言ふつ
8
あの頃はよく嘘を言ひき
8
もりの名ならキであらう。生糸・生薬・の生もその意味だら
2
4
平気にてよく嘘を言ひき
いだけに、「き」といふ言葉の働きを学ぶたよりは多い。
4
川に向きま昼とざせる二階ありああ吾住みき
三十五年前(青。五五)
汗が出づるかな 4
4
といふ歌、よく嘘を言ひし過去を、よく嘘を言ひきと言ひ切
つてゐる。
上諏訪の4旧居を汽車から見て通つたのかと思ふ。三十五年
前に住みし家。「き・し」は過去回想用兄弟語。
い自分の言葉となる。
ちやまぬ御者に(続。一七六)
麦からを焼く火の赤き道なりき進まぬ馬を打
4
小学四年(青。一八一)
の修学旅行
4
4
の時行きし旅行
すすき美しかりし峠の思出で4ある。小学4四年
4
の回想である。すすきに霧ひし日の光。き・しは兄弟語である。
日に霧ふすすきうつくしき峠なりきはじめて
4
結びつく時「し」と変る呼吸に慣れれば、やがて借り物でな
ゑる調子を身につけ、それがとけるやうな気味で他の言葉と
連体形。文法のかやうな名を覚えるよりも、「き」と言ひ据
恋ひ恋ひし筑前深江村をつひに訪ね得て、さて過去をかへ
りみて、恋ひ恋ひきと言つてゐる。「き」は終止形、「し」は
道の4白しも(青。四九)
恋ひ恋ひき此はこれ筑前深江村おそき月出で
4
万葉集には「き」の歌が少いやうである。調子の強さが嫌
は れ た の で あ ら う か。 そ れ に く ら べ る と 土 屋 文 明 の 歌 に は
4
「き」の多いことが目立つ。気性の故であらうか。
4
神名帳写す4と君と骨折りき寒き日なりき戦の
さ中なりき(青。三九)
万葉集に二つののは一首かあつたやうであるが三つののは
無い。四つといふのはどこにもないだらう。
4
思ひたわみこの谷深く4歩み入りきいかなる刺
戟にもすがらむとしき(青。十四)
4
これは二つである。思ひ屈4して谷深く歩み入りし日、いか
なる刺戟にもすがらむとせし日の回想であるが、毅然たる清
潔な感じがするのは「き」の語調の故か。
4
さくら鍋硬かりければ豚にかへき左千夫先生
との最後の食事(続。四二)
浅草あたりでのことだつたか。回想の感情の潮騒は「き」
におし鎮められてゐる感じである。文明の歌には「き」が多
3
御者にの「に」をどう扱ふか。土屋先生の歌は国語の力を
強くするによい教材である。
4
荷を持ちて夜の道にも先立ちき進みたたかひ
ひとごと
しげ
こち た
4
4
ごと
ふるさと
かへ
辞を繁み言痛み逢はざりき心ある如な思ひ
他
わが せ こ
)
538
も
吾背子(四。
こころ
情こゆも吾は念はざりき又更に吾が故郷に還り
)
609
よ
ひ
め
ひ
れ
来むとは(四。
帰り来らず(青。六七)
さ
の持つ情は一首の中のほ
戦死した友の回想で4ある。「き」
4
4
かの言葉にも「持ちし」「先立ちし」「進み戦ひし」といふや
︱
︱
「き」 「たり」 (過去)
(様子)
この歌の「し」」の診察を頼むと、その部分をつぎのやう
にして並べる。
す
濃き緑淡き緑の重なりし新燃岳に朝の日がさ
この定規を迷つてゐるところに4あてる。例へば次の歌
「たる」 「し」 ︱
︱
医者がある。彼のいふ定規は次の知識。
かうすれば「し」がよいか「たる」がよいかの診断が、定
規をあてて線をひくやうに簡単に明瞭にできると言つてゐる
一つの方法
きとふ君松浦山(五・
いま
うにつながる。全体が示す回想の情が言葉としては「き」の
あやまち
には未だ見ず佐用比売が領布振り
音4に聞きき目
みまつ ら やま
)
883
一つに代表されてゐる。
4
貧乏に生みし4は神の 過 と笑ひ左千夫先生も
苦しみま4しき(青。一二三)
4
貧に苦しまれし伊藤左千夫先生の追憶である。
4
保守に傾く周囲4の力もありしかど進む子規を
。一四八)
ば妨げ得ざりき(続
4
「ありしかど」は「ありき。されど」と言ふに同じである。
「しか」を加へて「き・し・しか」は三兄弟である。「き」も
「しか」もゴタゴタは起さないが、「し」だけは「たる」と近
づきすぎてうるさい。
万葉集の「き」の例をすこし拾つてみる。巻数と歌番号だ
けを( )内に。
4
4
4
新燃岳に濃き淡き緑重なりたり
4
A 新燃岳に濃き淡き緑重なりき
そして声を立てるやうにして読ませる。AB どちらがス
ンナリ頭にくるかを感じ分けさせる。よいと思ふ方に◎をつ
4
4
けさせる。この歌だと十人が十人、Bをとる。すると、その
4
4
B 絲もつれたり ◎
4
A しぐるる雲を日もれき4
4
B しぐるる雲を4日4もれたり ◎
こ4の4歌は「もつれたる絲ほぐしゐる指先にしぐるる雲をも
れたる日のさす」がよいといふことになる。
「し」と「たる」は近寄りすぎて区別が感じ分けられなく
なつてゐるが、終止形の「き」「たり」を感じ分ける神経は、
軽薄に感じられるほど、よどみがない。さういふと、それで
それなら「しぐれの雲をもるる日のさす」としたらといふ。
こんどは「しぐるる・もるる」と「る」が多すぎるといふと、
歌のそこは「重なりたる」としなされといふ。
まだ比較的達者だといふ。「し・たる」に迷ふところを「き・
「 た る、 た る 」 と「 た る 」 が 二 つ に な る こ と を 訴 へ る と、
それなら「しぐるる雲をもるる日のさす」はどうかといふ。
たり」としてみる。ただそれだけのことであるが、わかりが
も過去でないことを過去にするよりよいだらうといふ。
4
4
早いといふ。
道
土掘りて並べし丸太踏み下る象谷村に続く山
4
4
4
勤めより帰りし吾と商ひに出かける妻と玄関
に逢ふ
A 土掘りて丸太並べき4
B 土掘りて丸太並べたり
4
B 勤めよりわれ帰りたり
」は何とも調子がよくないと誰もが思ふ。そ
「丸太並べき
4
れが「並べし丸太」と続くと、その感じの悪さがわからなく
A 勤めよりわれ帰りき4
この歌の情景を想像しながら読めば誰もがBに◎をつける
であらう。それならそこは「たる」にするがよいといふこと
4
らないと。
して口調から神経を矯正しなければ「し・たる」の混乱は直
並べたる丸太」といふことに落ちつく。彼は言ふ。何とでも
4
なる。何の苦もなく皆がB◎で、この歌のそこは「土掘りて
4
になる。
4
もつれ4たる絲ほぐしゐる指先にしぐるる雲を
もれし日の4さす
A 絲もつれき
5
B
4
4
4
4
早すぎし電話の切り方を思ひつつ腫れたる指
に湿布してをり
4
A 電話の切り方早すぎき4
4
B 電話の切4り方早すぎたり ◎
A 指腫れき
4
れたり ◎
B 指晴
4 4
4 4
(早すぎたる電話の………腫れたる指に………)
4
癒えそめし父のかたへに一日をりカマドに炊
4
4
きし白飯食みて
4
A 父癒えそめき4
4
B 父癒えそめたり ◎
4
A 白飯炊きき4
きたり ◎
B 白飯炊
4 4
4 4
(癒えそめたる父の……炊きたる……)
4
4
水分の神と伝へし真清水に春の木もれ日白く
透れり
4
A その名を水分の神と伝へき4
4
4
B その名を水分の神と伝へたり ◎
4
思
(水分の神と伝へたる……)。「伝へたる」が長すぎると
4 4
ふ な ら「 伝 ふ 」 る と 短 く し て も 意 は 十 分 に 通 る。「 透 れ り 」
4
を「透りたり」として読みくらべて語調に慣れるがよい。彼
は慣れを強調する。言葉は慣れだよといふ。
4
阿蘇五丘雲かとま
すつぽりと雪におほはれし
がふ煙吐く見ゆ
4
A 阿蘇五丘雪におほはれき
4 4
おほはれたり ◎
B 阿蘇五丘雪に
4 4
(…雪におほはれたる……)「覆はれたり」といへば、覆は
れてゐる景色が見えるやうな気がする。
4
4
昼すぎて出でし疲れにストーブの上の湯を汲
み手袋を洗ふ
4
A 昼すぎて疲れ出でき4
B 昼すぎて疲れ出でたり
どちらとも感じ分けられないといふと、彼は、なぜかとい
ふ。この歌全体に、感じ分ける手伝をするものが無いからで
はないかといふ。休むことにしたから手袋を洗つたのか。洗
へば疲れが慰められるのか、与へる印象のぼやけた歌だから
仕方ないと笑ふ。
4
4
風呂敷に包みし本を机に置きて狭き書斎に身 を横へぬ
4
A 本を風呂敷に包みき4
B 本を風呂敷に包みたり
6
これも事情のわからないところが似てゐる。ABどちらと
も言ひかねる。Aの方が何か事情があつて本を包んだやうで
面白さうだが、何ともボヤケ歌だねと言つて笑ふ。彼はさう
4
し吾は横切る
4
4
A 横切る吾は包みを持ちき4 4
B 横切る吾は包みを持ちたり
土屋先生の歌である。先生はAに◎である。過去回想の歌
である。試みにBをとると、人の流れを横切るその場の様子
いふ時、「チユウクレエ」といふ言葉を使つて、チユウクレ
エな歌だなともいふ。中位の意味、どつちつかずの意味であ
4
4
じさせる。よどみなき言葉の駆使
4
4
躊躇なく点ぜられた色、一気に引かれた線、それがかもす
迫力、画面から来るその迫力に似たものを土屋文明の歌は感
迫力と文法
ることをいけないとは言はない。
が目にうかぶ。原作に従へといふ医者は、さういふ試みをす
4
る。
4
4
4
4
4
廃れ4たる庭を刈り青き草を焼く夕べ浅間の晴
れし時の間
4
A 庭すたれき4
B 庭すたれたり ◎
A 浅間山時の間晴れき4
B 浅間山時の間晴れたり はじめのABには誰も迷は4ない。廃れたる庭である。とこ
ろがかういふ場合に「廃れし庭」とする人がいかに多いか。
4 4食ひし肉といふもの(青。一六三)
しもきも過去用語であるが、その過去も、主として自分の
直接経験した過去を語る場合が多いといふことを、この歌は
道に倒4れし馬なりしことは後に知りき幼くて
間山見えたる時の間の大活動である。どちらか決しかねる者
教へる。
4あとのABには迷4ふ。Aとすると、その時の間に庭を刈り
き、青き草を焼ききということになつて、過去回想の歌であ
の顔をのぞき込むやうにして医者は言ふ。「原作に従ひなさ
「道に倒れし馬」の「し」には、自分も見たあの馬といふ
意味が出てゐる。「倒れたる」では一般的な行き倒れ馬のこ
る。Bならば過去でなく、その場を現在見る感じである。浅
れ」と。この原作は土屋文明先生である。
とになる。幼年で最初に経験した肉食が、自分のあはれんで
4
ひる休みの帽子かぶらぬ人なだれ包みを持ち
7
|
4
4
万葉の言葉ひとつにこだはりて居る間に早く時 4
見た馬の肉だつたことを、しかも後に知りきである。「後に
代は移る
と言つた。時代において行かれては大変と思ふ人は、この「時
4
知りたり」では「後に知りき」のやるせなさが出ない。「き・
し」にははじめからさういふ働きが備つてゐる。
るであらう。しかし先生がこの歌で言つてゐることはその反
に開きし」の、「し・たる」などにこだはることを愚と考へ
対で、万葉を読むには、小さな言葉一つでも、その命を大事
4
人の世を終へし思ひに虫を飼ふ日に幾度も甕
ど う せ 遊 び と い ふ な ら 格 別 の こ と、「 し・ た る 」 の 違 ひ を、
にしたいといふことではないか。まして自分が作る場合は、
をのぞきて(青。一〇〇)
どうでもいいなどと考へるのは自堕落であらう。
この歌は過去の回想であらうか、それとも現場の表現であ
らうか。ある一日のことであらうか、毎日、或は時々のこと
し吾は横切る
ひ4る休みの帽子かぶらぬ人なだれ包みを持ち
この「終へし」を「終へたる」としてみる。いかなる思ひ
かの説明としたら「終へたる」の方が通りがよい。しかしそ
4
れでは痛切さがひびかない。この「し」は、我はすでにとい
ふ意味を伴つてゐる。
4
本読まず過ぎ来し一生時として開きし本も読
・2)
であらうか (前頁参照)
。昼休みの時間にドツと街に出るサラ
アララギ 昭和
む力なし(
4
「時として開きし本」は過去回想である。過去には時とし
て本を開くこともあつたといふことであらう。しかしどうも
リーマンや学生、彼等には楽しい時である。その人々とは別
4
時間ではないだらう。いろいろ沢山思はせる一首であり、し
4
の方向に急ぐ作者、包みをかかへてゐるのだから解放された
といふ。たまにかうして本をあけてみても読む気が出ないと
みじみ生活のあはれを思はせる一首である。ところで「持ち
4
し」はどうか。「持ちたる」或は「持てる」なら何でもない
4
いふ場合なら「時として開きたる」の方がラクにくる。しか
が「し」の漂はせる味は無くなる。「持ちし」と過去回想の
4
しどうだらう。むづかしい。ひとの、殊に大家の作を読む場
形をとつてゐるのは、そこが作者の回想の中心、ある日の姿
であるからだらう。慎重に味読すべき一語である。
4
合と、自分が作る場合と、覚悟は違ふべきではないか。自分
やうに。文明先生はかつて
には出来るだけ厳しく、他には出来るだけその心を汲みとる
4
ラツクリする。「開ける」本でもいい。「たる・る」は同じだ
少し調子がわるい。「時として開きたる本も」としてみると
42
8
は言ふ。そこでそこを、「老い朽ちたる桜は…」として読ん
在の姿を言ふ場合は「し」でなく「たる」がよいと文法の本
のは、その過去のことの結果である現在の姿である。その現
黄色い旗を持つた子供が横断路を通る、さういふ場合なら
「持ちたる」或は「持てる」又は「持ちて」などである。「持
でみたり、「老い朽ちて桜は…」として読んでみたりするが、
4
4
ちし」ではない。次の歌は何で見たか誰の歌か忘れたが「持
「老い朽ちし…」の強いひびきに負ける。「し」にはさういふ
4
ちし」に難がある。
る」と言ふべきところを「し」とする短歌の多いのもそのた
強さがある。俳句は短いだけに強い言葉がほしくて、文法の
聖書持ちし学生群れて降り来る坂は二月の日
がかがやき4て
持ちし」に難があると言つたら、文明先生の「包
この「聖書
4
みを持ちし」はどうかと来るにきまつてゐる。厄介である。
めとすると、「し」は自分の長所で自分の運命をそこなふ天
かに透きぬ
といふ歌の「染めし」と「染めたる」とどちらがよいかなど
出征の幟を染めし羽織裏いまなき夫の名かす
4
は、よくないことかもしれないが、
選者には、経験のない者にはわからない気苦労があるらし
い。ひとに苦労の種をふやして押しつけようなどとすること
選者先生方に
ても、無論あはれでみにくい。
それほどの迫力も要しないところに、無自覚で惰性で「し」
の誤用をくりかへすことは、その人にとつても「し」にとつ
才に似るか。
言ふことと違ふ「し」の用法が出てくるのかもしれない。「た
いくら厄介でも「し」と「たる」を同じとは言へない。
ひ4る休みの帽子かぶらぬ人なだれ包みを持ち
し吾は横切る
ひる休みの帽子かぶらぬ人なだれ吾は横切る
包みを持ちて
かう並べて、私はもう何回読んでみたかしれない。
4
老い朽ちし桜はしだれ匂はむも此の淋しさは
永久のさびしさ
昭和四十四年四月下旬、文明先生が信州飯田市在の、森田
草平氏戦時疎開の跡を訪ねた時の歌である。
老桜の姿、自分の老い、故人の追憶、すべてがその過去用
語「し」によつて示されてゐる。過去が作者に重くのしかかる。
その結果の「し」である。ところがその老いることも朽ちる
ことも、過去に行はれた事実であるが、作者のむかつてゐる
9
4
どんなに気持の上に自由を得ることかと思ふからである。
夫よ吾れは蔵王の夕映
落陽は仏の色と言ひし
といふ質問が、投稿家たちから選者に寄せられるやうになつ
てもらひたい。といふのはこの歌の作者の別の歌が、同じ日
に泣く
4
に、別の選者によつて入選、同時に発表されてゐるので思ひ
4
ついたことである。別の歌は、
4
これもその日の入選歌である。「し」が正しく使はれてゐ
るから、与へる感動も澄む。ところが
久々にわが油絵の売れし宵蚊帳買ひたしと妻
家建てむとやつと買ひたる篠藪を刈りに行く
言ひ出4でぬ
子の握り飯つくる
といふのである。前の歌の「染めし」とこの歌の「買ひたる」
4
植ゑし日の苗は稚しうす陽にも小さき風にも
4
との「し」と「たる」の違ひ、それを投稿家たちから質問さ
細き葉を撚る4
剪毛を終へし羊ら駆けゆくと草野の果に那須
4
れたら、どう指導するであらう。さういふ疑問をなるべく早
くなるべく多くの短歌作者たちが持つ日の来ることを国語の
えない。これは文部省が例の「許容案」を試みて、今日以後「し・
ために歓迎するが、選者の厄介を思ひやらぬでもない。
たる」の区別無用と言つてみたところで無くなる問題でない。
岳煙る
4
4 4
といふやうな歌の方が多いので。「しとたる」への疑問が絶
選者と呼ばれる人が日本中に幾人ゐるか知らないが、投稿
家の数にくらべたら極めて少いにきまつてゐる。その少数の
4
選者が「しとたる」の区別を立てて指導してくれるならば、
放つておいて多数の発生した頃に多数決で言葉の命を抹殺す
4
短時日の間にそれは常識として投稿家たちに行きわたるであ
るのは悪い。
4
らう。この二つの歌の作者は必ず、そんなことはどうでもよ
などとは、どんな新派も言ふまい。
風をおこさなければならぬ。さういふ考へは戦争につながる
いとは言はないであらう。言葉はどんなに無造作に使ふ人で
4
本当に国語と国民の精神の関係を考へるなら、一語一語の
命を護り生かすことは真実を生かし護ることであるといふ気
も神経を使つて出す。
よしきりが恋しと便りして果てし子によしき
これらの投稿歌は、昭和四四、六、二一の朝日歌壇からであ
る。朝日歌壇は新仮名で、その俳壇は旧仮名でいつてゐる。
4
し子顔よかりき」を思ひ出させた。「し」はさういふ場合に
選者たちの意見によると聞く。さうすると歌壇の選者たちは
りは啼く兵の日も今日も 4 4
といふ歌が出てゐた。この「果てし子」は土佐日記の「死に
使ふ言葉であるといふことを短歌作者たちに徹底させたい。
10
の中をどう動かして行くかの結果が、いろいろ目につく時に
戦後の国語改革は、便利を言葉の命そのものよりも重く考
へる人々の一応の勝ちであつた。しかしさういふ考へ方が世
国語、文語のためには不幸なことである。
俳壇の選者たちよりも新派なのかもしれない。これは大事な
行はれたことである。
拠の大きな一つは、戦後の不合理な国語改革が、やすやすと
することから真実を求める根気を養ふといふ気が無い。国語
る」の話を迷惑さうな顔をしてきく。言葉の持つ道理を追究
その頃私は三十歳を越えてゐて、ずゐぶんと文学老年の
誌に物を書く人になるためだつた。次のやうに言つてゐる。
浅ましい動機からである。」と言つてゐる。それは、文芸雑
ふ や う に な つ た か の 弁 で あ る。「 我 な が ら 実 に み み つ ち い、
教育が国民の気力を養ふには本当には役立つてゐなかつた証
なつて来た。選者たちが国語のために本気になつてくれる時
雑誌「風景」の昭和四四、一月号に、北 杜夫氏が「処女
喪失者の弁」といふ文を書いてゐる。自分がなぜ新仮名を使
が待ち遠しい。
将校とは
やうな気がした。旧仮名で書いたらますます老人らしく見
ててしまひさうに思へた。そこで私は若さうなふりをして、
え、若き新人を求めてゐるであらう編輯部はそれだけで捨
て叱られ、その翌日から学校に来なくなつてしまつた。国語
生れてはじめて新仮名で書いた。……
大原正平が退学する気になつたのは「将校」のためだつた。
昔の中学三年生の時、国語の時間に「将校」の意味を質問し
の教師が、少尉から大将までの士官を将校といふと言つたの
よい人だつた。大原も実に大人しい真面目な少年だつたが、
教師を冷やかすととられた。大人しい教師で若くてお家柄の
国語を軽視した文部省は戦後の国民の知能と情操の低下
月号で、市原豊太氏が、
新仮名で短歌雑誌を経営してゐる人や作者たちにも、それ
ぞれ処女喪失の弁があることと思ふ。文藝春秋昭和四四、九
に、彼は更に手をあげて、それをなぜ将校といふのかと質問
国語教育のことを考へるたび彼を思ひ出して、国語教育と国
して叱られた。将校といふ言葉の意味を知りたかつたのに、
文教育ととりちがへてゐるやうな状態を改めなければと考へ
てもらす人々に国語教師が至つて少いことである。 (続)
の重大な責任を負はなくてはなりません。
と言つてゐる。不思議に思ふことは、かうした憤りを今以つ
る。短歌作者の中にも、その歌が幾つの日本語で出来てゐる
か数へられない人が沢山ある。さういふ人々は、「し」と「た
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にリスペクトしての作品の挙げ方だ。
話をだしたらしい。ここでもその才能を十分
れた程の啄木好きで、授業中も何かと啄木の
違う、一流の才能のみのもつ直感的なものか
ととりちがへた論をすべきでない。」と少し
にある「疲れきつてゐる。」「その無視を進歩
のきいた使い方だと言ってもよい。『四斗樽』
誤って「し」とされてしまうよりはずっと気
ら れ た 作 品 を 見 る 限 り、 そ こ で の「 た 」 は、
心 者 の 歌 と 混 同 し て は な ら な い。 取 り 上 げ
解出来なくて「た」を使ってしまう今日の初
の使い方は格別である。これを文語がよく理
啄木は文語定型詩としての短歌に口語を巧
みに挿入した最初の人とも言える。特に「た」
ている。そこがぐっとくるとわたしも思う。
や、 権 力 の よ う な 巨 大 な 力 へ の 反 撥 性 を 秘 め
う か、 社 会 の 片 隅 に 苦 し む 弱 者 へ の 思 い 入 れ
えば斎藤茂吉などには見られない社会性と言
明 の 歌 に も、 濃 厚 な 生 活 臭 が あ る。 そ し て 例
で、そこに著者を思わせる「医者」なる存在
たる」の置き換え比較を終止形でも行う変形
終止形「き」の話から発展した「一つの方法」
は証明のアイデアは楽しい。でも連体形「し・
体どちらなんだと困惑することも多かろう。
迷路の中の面も見えるので、読者としても一
的に引っぱり出しているのだが、著者自身が
て来る。そうしたグレーゾーンの作品を意識
「し」か「たる」かを比較して判断せよと迫っ
今回掲載分では、一層強く応用問題風の読
者への問いかけが多くなっている。しばしば
行目的からするとやや脱線かと思う。
なってしまう。それは文明ファンとしては共
新解釈滔々の「人間土屋文明作品論」の趣に
る書であるのだが、ともすると、文明短歌の
る」に置き換え「状態」で捉えようと提案す
『四斗樽』は過去回想の助動詞「し」の誤
用乱用を憂い、その部分を完了の助動詞「た
大山 敏夫
『四斗樽』は、いよいよ中盤の大きなピーク、
石川啄木の歌からの考察へ入って行く。教職
にあった若き日の著者は「啄木先生」と云わ
何かの折、文明に、「啄木はどうです」と
言 つ た ら、「 あ れ は 天 才 だ 」 と 言 つ た き
(「紅ねずみたけ」)
いくらもある。
とあって、次の歌をあげている。
の 土 屋 文 明 好 き へ と 発 展 す る の で あ ろ う。 文
そういえば『人間土屋文明論』にも、
も知れぬ。「垢じみし」「よく似し」「下しし」
が現れ、会話調にやりとりが入るのは面白い
あらためて読み直す
り、黙つてしまつたことがある。啄木の
では、絶対に自分の心情と違うという気持が
ものの、その対象が文明作品になると俄かに
『四斗樽』(「し」と「たる」)
歌と文明の歌には区別のわからないのが
叩き付ける感じの「た」を選んだ、と言うか、
に発言がぼやけて(と感じる)
、どうしてもスッ
感しきりの堪らなさだろうが、『四斗樽』刊
4
こよひのみ酔ひてあばれる吾が耳にもの
過去回想の助動詞「し」を敢えて使い無理矢
4
やはらかに君がいふかな 土屋文明
理「た」の意味を担わせるよりは、ずばり口
4
これは啄木だろうと言って、聴かない人が
居たのだとある。結句の詠嘆の「かな」が啄
キリ感に浸れないのはなぜだろう。
4
木調のなのであり、これを「かも」とでもす
語のママがよい、という選択。啄木はきっと
さらに「迫力と文法」でも、著者の文明ファ
ンとしての熱い気持を前面に繰り出す新解釈
4
ればまた違ってきそうだ。結句は歌の表情の
「たる」とは言いたくなかった。「し」は勿論
4
ようなものを大きく左右する。著者の啄木好
違う。そこで「た」となった、気がする。
4
き は、 根 幹 に 通 ず る よ う な も の を 嗅 ぎ 取 っ て
12
胸躍るものがあるのだけれど、ここは過去回
に感動し、文明短歌の素晴しさを再認識する
体的な例が列挙されても居る。
原則として作品、文章共に歴史的仮名遣い表
記をうたっていた。現在新仮名希望者に☆印
がつくのはその名残である。当時は、頑張れ
ばまだ、歴史的仮名遣い復活があり得ると本
気で考えていたのである。ただ面白いことに、
この『日本語を愛する人に』は新かな遣いで
つれて多くなる。この、「やむを得ない」
れず、著者の言う「処女喪失の弁」は問われ
人にこそ広く読んで欲しいという狙いかも知
いないから、新仮名遣いを強いられる一般の
書かれている。以後は新カナの文章を書いて
も難解で、「し」の泥沼を干したいと願う読
と考えてついてきてくれる人々ほど扱い
という具合で、今回掲載分は著者の力こぶ
がいっぱい籠っていることと裏腹に、もっと
は×で貫いて欲しいのが正直なところだ。
書なのである。何処まで行っても◎は◎、×
想の助動詞「し」の誤用乱用を正そうという
後者「あとがき」は、
現代かなづかいの公布は進駐軍の命令に
よるという流説は、それに対する批判を
不活発にした。そして、その間に固めら
れた既成事実を、「やむを得ないもの」と
して認めようとする人々が、日を経るに
者にしても思い泥むのではと案ぜられる。
単に言えば、国語の乱れ、正しい使い方、正
い思い出してしまう。
(昭和三十一年五月「三光社」刊)のふたつをつ
語問題協議会」刊)と、
『日本語を愛する人に』
十一月「白水社」刊。昭和五十四年二月復刻版「国
者既刊の著書『國語敎育の現狀』(昭和十六年
臣 の『 日 本 語 原 学 』 に 触 れ る 辺 以 後 は、 著
遣い」に戻すべきだと訴える書である。この
「やむを得ないものとして認める」とい
うような態度で引きずられて行くことは、
やめなければいけない。
と、国語を、仮名遣いを戦前の「歴史的仮名
れなければならないときが来たと思う。
本気になって国語と国字問題を考えてく
文筆家や国語教育者が、いままでよりも
に対する批判が切り出され、
て動かされていく世の中はあぶない。
として、公布されて間もない「現代かな遣い」
*それは一つの大人の世界、もしくは古
のことを注意すると、一人の学生が、
「君に捧げた命であったならば」という
あった。これをそのままの意味にとれば、
「君に捧げし命なりせば」という映画が
次のような嘆きもある。
愛学者なのだ。『日本語を愛する人に』には
まい。ともあれ太田行蔵は筋金入りの国語熱
やすいものはあるまい。しかし、そうし
しい解釈が伝わらないようになっている現状
時期、著者はすでに「国語問題協議会」の幹
い世界にあてはめて、言葉の進歩を妨
著者の、国語学者としての本音がちらほら
するのも今回掲載分では際立っている。林甕
は、教育側に問題があるのであって、そこを
部理事を務め、精力的に活動されていた。
と反論してきた。(中略)この学生が言っ
害することにならないだろうか。
文法学者竹内輝芳氏が、新聞紙上でそ
らない。
捧げた命であるから」ということにはな
ことであって、その映画の内容の「君に
きちんとわきまえた教育者の育成から始め、
前者には柳田國男の懇切長文の前書き「何
をこの本は説いてゐるか」がついている。簡
「根本的にものを考へる気持」を育てなけれ
こうした流れの中で、冬雷も著者を支持し
「国語問題協議会」に協賛し、当時の規約に、
ば駄目だと指摘する書で、その混乱ぶりの具
13
ている通りのことを、いかなる学者が何
とは言わせて頂く。太田行蔵は土屋文明に恋
指摘者であり最も厳格に自作に於ても実行し
潰した。普通の選択なら、この問題の最初の
していすぎなのだ。恋心がその冷静さを圧し
そういう即行動の哲学、教育者としての誠
意が、押しつけに偏らず「根本的にものを考
たこともあります。(岩下 保)
へる気持」を尊ぶかたちを選択するのだろう。
た二宮冬鳥作品を使い解説するのが一番と、
のために唱えたかを思い出していただき
しかし、こういう無理なデタラメな強情
『四斗樽』もその流れの書である。
たい。なるほど言葉は変っていくだろう。
を通させることによって起る変化は防が
著者の行動に大影響を与えた林甕臣の子息
である林武画伯も、尊父の志を継いで国語問
題にとても熱心で、昭和四十六年十一月『国
……………………
わたしは今でも強く思うのである。
なければなるまい。
この口調は『四斗樽』そっくりだ。著者は
既に戦前から、「闘う国語学者」なのであった。
ば
飾り棚の細縁の桜皮を貼りながら乱れし
か
行目
その折は『四斗樽』著者の推挙もあって、わ
〈誤植訂正〉
4月号 4頁 たしも寄贈を受け、その出版記念会にまで招
心また直かりばくる
この歌の「桜皮」のルビを削除して、
語 の 建 設 』( 講 談 社 刊 )と い う 本 を 出 版 し た。
その辺を伺わせる強烈な記述がある。
待された。あの会場の何とも言えぬ熱気が、
『國語敎育の現狀』復刻版「あとがき」には、
…先生は、戦前から国語の成り立ちによ
つい最近のことのように甦る。
と( )内に入れて歌に挟む。
4月号 7頁 行目
9
ら乱れし心また直りくる
か
(ば を
) 貼りなが
る法則性を無視した、国語教育の欠陥を
ためでなく、そのおのおのが持つ特性を生か
○飾り棚の細縁の桜皮
指摘して来られました。終戦直後、文部
少し、著者太田行蔵の人と成りを語りすぎ
て、お前自身も脱線気味だと言われそうだ。
と結託し、占領軍の力を背後に、国民の
したいためである」と言うが、本音は「正し
意志を無視して強行した国語政策には、
それが国語の伝統を断ち切り、国語の混
大友 → 大伴
行目
9
行目
山市) い国語を護る」、「正しい文法」のために尽き
鞆の浦(岡山市)→(福
同 同 る。それは当然だ。ゆえに一層、◎は◎、×
は×の態度を貫く必要があるのだと思う。
だ一つだけ、「し」の使用例を採用するに当り、
○山靴を買ひてふた年時待ちし…
果ししやすらぎ(続。8二十)
山靴を買ひてふた年待ちし雲取越えを 14
反対し、その是正に献身的な努力をされ
ました。(略)ある時は宮内庁を訪れ、宮中
歌会の入選歌の中に「し」と「たる」につい
同 頁 9行目 し
着し → 著
5月号 2頁 行目
乱を招く恐れがあるものだとして、強く
『四斗樽』では、その前半で幾度も「文法の
省が一部のローマ字論者、カナ文字論者
20
13
14
12
10
て混乱があることを指摘されたり、(略)
文明の歌はミスチョイスではなかったか? 過去回想の助動詞「し」の誤用乱用を正し
て行こうという趣旨にわたしは賛成する。た
針によく反対するが、戦後一聯の国語改
日教組本部を訪ね、日教組は文部省の方
革に反対しないのは何故かと、追求され
10
14
冬 雷 集
冬雷集
東京 川 又 幸 子
極楽と言ひましし茂吉の古バケツ思ひつつナース呼ぶわれのトイレに
白布を被せたる如き肺下葉あらはに写るわが病ひとぞ
家に寄る時間もあらず追ひ立てられての救急入院
冬雷の事務的なこと終へ揃へおく虫の知らせといふのはこれか
二週間の入院は勿体ないけれど力蓄へ夏迎へむか
痛くも痒くもないのにとらへられ救急ベッドの患者となりぬ
編集長の見舞ひ賜へる日の夕餉カニクリームコロッケ出たり
平らかな草生の見えて動くもの全くあらず大病院の庭
今日撮りたるレントゲンの結果いかならむ己の胸の内は判らず
ベッドの上散らかし放題ナースの目盗めば少し背中が痛い
東京 小 林 芳 枝
休日の朝の中央快速線久々にゆく中野のさきは
桜観るために出かけることなんて幾年ぶりかこころのはづむ
隅田川上野公園千鳥ヶ淵浮かびきて思ふかの日のさくら
東京の桜の老いを告げゐたり根元のまはりなども映して
二日前のニュースは桜の木の齢六十五年を老木とせり
鎌倉市山ノ内 建長寺三門
15
幹に寄り仰げば空の奥までも蕾で埋まる古木の桜
気にかかるメールあれどもずんずんと歩く蕾の桜見あげて
百年を越えたるといふ桜の木春は黒々と張る幹と枝
ごつごつの幹には深く洞ありて花を咲かせむちからを持てり
神奈川 浦 山 きみ子
枯れ笹の葉群しきりに騒がせて雨に群れ立つ丘の卒塔婆
日に映えて開ききりたる桜花空の高みに伸びつつさやぐ
まだ幹の細き乍らに塀越えて海棠の花溢れつつ咲く
枝先に海棠の花桃色の花を豊かに咲かせてゆらぐ
恋をする雀か庭木に来て止り束の間嘴を交し飛び立つ
夜の更の廂打つ雨高まれば人ら大よそ眠り覚まさむ
御用邸に広がる浜の塵ひとつなきを清しみ雨に濡れゆく
発表会することもなくコーラスを楽しむ為にわれら集ひ来
月に二度休まず通ふコーラスの仲間と共に十余年経つ
久々に文庫本娘より廻りきて開けり時のたつを忘れて
東京 近 藤 未希子 夜からの雨をたつぷり吸ひ込める畑の朝は霧立ちのぼる
近き家も山並も霧に包まれて常見ぬ景色に見惚れてゐたり
下の畑より立ち昇る霧近く見むと来たれどもはや跡形もなし
どうしてと考へるいともまもあらず一斉に霧立ちにけり
16
冬 雷 集
上空に雲去来して太陽の光遮るものと気付けり
四月八日の朝の雪ひるすぎ迄も降りつづけをり
粉雪と見れば花ひら散る様に交りて雪のあそべるごとし
外を見る度に形のちがふ雪入り乱るるはおもしろきかな
古木のさくら 東京 赤 羽 佳 年
大通りはさみて百余の古木の桜いまは咲かねど人は行き交ふ
自転車道車道歩道にわけられて古木大樹は守られてゐる
一木に咲かぬところと咲くところわけて陽射しの違ひを見する
くにたちの大学通り桜道守られてゐて人は集へる
四十雀とみて仰ぐ枝に逆光の眩しく小手を翳しとどまる
申し分なき天気にあれど花咲かず摂理とあれば致し方なし
いまだ開かぬソメイヨシノの木のもとに昼風吹きて菜の花にほふ
スロープの歩道橋のうへ駅までを見通す道の花時想ふ
大阪 水 谷 慶一朗
池の底に鈍き動きの寒鯉が浮かびきて春の陽の気を浴びる
ゆつくりと体浮かべたる寒鯉が水面に陽の気を吸ひてあぎとふ
北帰行の気配まだなく水鳥は群れつつ湖水の岸に騒がし
内にもつ力見せつけ雨に立つさくら古木の花の耀き
掃くやうに土手の草むら吹ける風蒲公英の絮を頻りに飛ばす
竹林を騒めかしたる風の止み暮色しづかに闇となりゆく
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美しき人の顔にも見詰めれば奇怪なるもの耳の形は
体調の整はずしてひと月を家に籠れば腓が細る
連れあひの七七忌あけ君のこゑ常に戻りて受話器にひびく
一旦は空になりたる折り返し運転車輌すぐ人を満たす
東京 白 川 道 子
はつきりと菊のご紋章映りたり戦時下の空気重く伝はる
戦争を知らない孫もじつと見る海底に朽ちる戦艦武蔵を
また少し歩速の遅くなる足を励ましながら友と歩きぬ
風緩ぶ春の陽ざしに小鳥たち落葉蹴散らし楽しさうなり
常緑樹の中ひとところ明るめて枝嫋やかにサンシュユの咲く
見あぐれば雪被くごと花ひらき白木蓮は空にのびゆく
あたたかき日差しとなりて自づから鼻歌も出るリハビリの道
道沿ひの梅桃あんず咲き盛りしばし佇むマスクをはづし
国立の桜 神奈川 桜 井 美保子
太き幹の苔に覆はるるものもあり古木が持てる優しき莟
この街の人らに愛されてゐるのだらう桜に寄ればそんな気がする
見頃まであともう少し国立の大学通りに続く桜は
日傘欲しくなるほどに照る大通り冬雷の友と話しつつゆく
交差点の際の桜は七分咲き穏やかに午後の光が差して
しだれ咲く薄くれなゐの紅桜髪に挿したきほどの花々
18
冬 雷 集
筆記用具バッグに探り取り出せば校正用の赤鉛筆なり
コース料理味はひながら歌を選び批評ひとこと言つたり聴いたり
満開の時にまた来てと桜木の誘ひの声す帰る道々
新宿より湘南ライナーに飛び乗りぬ吟行会の思ひ出を胸に
福島 松 原 節 子
退屈はせぬと父言ひ三人して庭仕事せし何年前か
徒長枝を伐り束にして燃えるごみに出したる後に来たり庭師は
寒もどり強風のなか庭師きて古き赤松二本伐りたり
汚す人ゐなくなりたると話しつつ母もわたしも日々汚しをり
血液をサラサラにする薬のむ母の奥歯を抜かねばならず
一年はあつといふ間と励ましつつ町会班長の引き継ぎをする
この冬の買ひおき林檎の無くなりて白木蓮のいつせいに咲く
楽しみに読む新聞連載の小説ひとつ増ゑたる四月
愛知 澤 木 洋 子 珈琲を入れたかどうか確かめる歳重ぬるは手間の増ゆると
魚屋の声惚れ惚れと鯖鰯烏賊まで買ひてさて何とせむ
と
またひとつわが持つ記録に加はりぬリニア試乗の時速五〇〇キロ
長らくをここに住めども「来り人」と尾張の言葉折に耳にす
族らの揃ふ写真にただひとり幼の混じり愛敬ふりまく
朝早き新幹線に律義なり目覚まし刻と携帯の告ぐ
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春雨のひめもす止まず朝より五度目勧誘電話のかかる
わき路を馳けゆく子らの春休みハンドルしつかり握り直しぬ
花びらのふはり視界を過りゆく信号待つ間の小さき街角
堂だうと短歌一首を折り込みて宣誓したり春の甲子園
東京 赤 間 洋 子
辛夷咲き杏満開庭隅に片栗一輪俯きて立つ
少しづつまた確実に目覚めゆく庭の植物昆虫たちも
久々に会ふ友がゐる吟行会桜は未だ蕾なれども
赤味ある蕾数多に掲げたる桜並木の下歩みゆく
霊園の塀沿ひの道路延々と満開の桜のトンネル続く
いつもより遠回りして墓に行く満開の桜で道路明るし
背筋伸ばし外の景色を眺め居るが近頃席を譲られること多し
週に一度のシルバー体操新学期コーチ変るもみんな仲良く
食器戸棚の食器の位置を変へてみるほんの少しの気分転換
茨城 佐 野 智恵子 あんなにも真つ赤な色かと太陽の沈まんとするさまにおどろく
駅前につどふ鳥達どうしたの木々もなくなり池まで消えて
籠り居て思つた通り歩けないこんな私でなかつたはずだ
朝もやにぼやつと見ゆる土浦の町の灯までもすくなに見えて
痺れる手さすりさすりて色染に夢中になりて一日すごす
20
冬 雷 集
此の冬は一度も雪は降らずすむこのまま桜開花するかも
紅梅と白梅庭に咲かしめて人の気配を感じずに過ぐ
かど
公孫樹の木小枝すべてを思ひきり切られて伸びる生命力を
家々の門に並べる鉢多く色さまざまの花を咲かしむ
早朝にカラス一羽が鳴きながら吾が住むマンション雨の日もゆく
身辺 東京 櫻 井 一 江
スーパーの九四円売りのチラシ持ちメモしてきたるものだけ買はむ
食べごろの色別シール貼りてあるメキシコ産のアボカド手にとる
資源として回収され行く段ボール信州りんごの三箱をたたむ
一月の母の月命日に何供ふ母の好物知らずに過ごし来
紅梅の一輪ぽつと開きたり寒のさなかの庭のひだまり
二〇年余わが坐し来たるカリモクの椅子の心棒突如折れたり
修理代かけても置きたいこの椅子を出張の店主はすんなり直す
仏前の百合の蕾が開きたり雪柳や菊をするりすりぬけ
ガス水道電気工事の絶え間なし地図入り知らせが今日もポストに
東京 森 藤 ふ み
サイレンを鳴らし小型の消防車路地に入りくる一台のみに
フィギュアのアイスダンスに優勝の女性の腕の筋肉たくまし
甲子園の観客傘を差し始むあの雨やがて関東にくる
マンションの鉢に采振り木咲けり東御苑に見し白き花
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水浅き小さな池に子等騒ぎおたまじやくしのぬめぬめ泳ぐ
整然と自転車ならぶ道の端並木の桜の莟ふくらむ
窓越しの桜の枝の莟たち今か今かと咲くときを待つ
砂埃たまるベランダ掃除して濯ぎもの干す雨上がりたり
富山 冨 田 眞紀恵 祖母の味母の味またしみてゐむ時かけ煮あげしおでんの大根
清楚さを黄に染めあげて越前の海岸一面水仙の咲く
わが庭に二輪の水仙たけ低くひつそり咲くも又よきものよ
戯れに亡き夫の眼鏡かけてみる独りの夜の時間長くて
友が又ひとりこの世を去りたるを今朝の新聞さりげなく告ぐ
庭の木々日毎に春となる準備始めゐるなり元気呉れつつ
風邪ひけば膝から寒さが登り来る母に抱かれた昔がこひしい
母からはいよいよ遠くなり行くか八十一の誕生日けふは
茨城 鮎 沢 喜 代 遠ざかる車の音を聞きながら朝寝してをり蒲団のなかに
ふる里へ春の彼岸の墓参り近所の人が声かけてゆく
幼きころを思ひ出しつつふる里の畑の中の道をあゆめり
弟夫婦二人に暮すふる里の未来を思ふあゆみつつおもふ
満開に匂をはなつ沈丁花のとなりの椿ひらき初めたり
われの背丈抜きて伸びたる中一の孫はゆつくり炬燵にもぐる
22
冬 雷 集
四月に入りて降る雨なれど冷たくて傘をたよりに桜視てをり
ランドセルを背負ひて帰る小一の子らはまだまだ幼き笑顔
東京 池 亀 節 子 散歩を兼ねカート引きつつスーパーに日課のごとく足鍛へむと
階につもる枯れ葉掃きゐて疲れたり踊り場に立ち背筋伸ばしぬ
枯れ残る梔子の枝に新芽出づ若葉となりて灯に耀へり
木の隙に交互に電車がたごとと音響かせて走りゆくなり
この辺り桜もなきにいづくよりか庭に散りくる小さき花びら
いつまでも若くゐようねと疎開時の友より赤きセーター送り来
細長く溝に添ふ道歩みゐて覗けば深みに落ちゆく感覚
あらぞめ
駐車場でもなきこの五叉路深夜には違反タクシーずらり列なす
退紅 埼玉 嶋 田 正 之
当面の目的はありビル翳の冷ゆる銀座の歩道を独り
馴染みある画廊の前にコート脱ぎビル壁に開く洞に入りゆく
地下室へ急な階段降りゆけば明るむ部屋に油彩が匂ふ
摽梅を過ぎたるなどは死語となり庭に三輪梅の咲き染む 生き方はそれぞれなれども婚姻をせざる若者周りに多く
書道展観ての帰りの家苞にデパ地下に買ふバームクーヘン
生誕の記念に植ゑし白蓮の幹逞しく孫二十歳
着流しに雪駄履きたる若者が手をつなぎゆく桜の木下
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薄色や退紅好む網膜に変はりたるらしも年相応に
栃木 兼 目 久 日本人なのに無国籍とふ人のあり事情ある親が届けを出さず
熱湯を蕎麦粉に注ぎ箸でこねそばがき作り昼に食べたり
休み時間門の外に出て煙草など吸ふ教員の二三人居り
説明の通りに施し蒔きたれどわが菠薐草はつひに育たず
食品を入れるトレー包むラップどれもこれも戦後の製品
我が市の地下は巨大な水甕になりてゐると人々は言ふ
川水を一切使はず地下水を水道水に利用する我が市
庭先に細かく刻んだリンゴの皮を置けばヒヨドリぱくぱく食べる
茨城 永 田 つ ぎ 草原に黄のタンポポの花咲けり春間近しと心をどるも
一足先に河津桜の花だより私の周囲もほのぼのとして
桜木の下を通れば心なしか南の枝のほのぼのとして
「笑つて」と介護士さんに誘はれて友と笑ひぬ九十四歳の誕生日
白菜の株の残れる畠あり雪のあしたの白くかがやく
日本水仙寒さの中も咲きつぎて私の心をいやして呉れぬ
九十歳過ぎたる人のぞくぞくとおくやみらんに名前のつづく
シクラメン鉢いつぱいに花をつけ私の誕生日祝つて呉れぬ
春の野に新しき土盛り上げてモグラ通れる道のあざやか
24
冬 雷 集
東京 山 﨑 英 子 医院への道の半ばに腰おろす石ありいつも暫く休む
石に掛け対ふマンションのベランダに大きカラスの一羽が止る
濯物干しある竿のあちこちとカラスの移動見つめてゐたり
気味悪き大き足にて踏みつけるカラス憎しと思ひみてをり
留守なのか人影みえぬベランダにカラスは執拗に頑張りてゐる
殊更に大きカラスは雄なるや何処に隠れ飛び立つも無し
漸くに姿あらはし軽々とハンガー銜へ悠々飛び立つ
あんなにもカラスに踏まれたる濯物主は知らず身につけたるや
市立の施設 千葉 田 中 國 男 障害の三級体力維持するに格好とケアマネージャー太鼓判おす
体力の検査身長体重と血圧測り許可をいただく
朝あさに施設へ運ぶ福祉車は難路に対ふ老いを集めて
通ひゆく道路ほとんど工事中農地が宅地へ変りつつあり
原生林のやうな山路トンネルを五つほど抜け施設に着きたり
日程の初日は集まる先輩へ己れの紹介こはばりながら
永年の知人のごとく笑顔むけ仲よくしてねの挨拶うれし
血圧をはかれば直ぐに風呂と言ふ身体は介護の人らへ預く
橇に似る機具に裸体を固定されゆるりと浴槽中へ運ばる
流れ去る時の速さよ田も畑も都市化されゆく山中の村
25
兆し 高松美智子
くれないを薄く覗かせ明日を待つ力をふふむ幹くろき桜
銀杏書房の児童書並ぶ店先につぼみの如き幼子集う
花時に少し間のある桜木を眺める足元に沈丁花香る
☆
三毳嶺がクスッと笑っているようにあちらこちらに山桜咲く
積りたるブナの朽ち葉を足裏に踏みつつ登る三毳の社
囀りを遠く近くに聞きながら蔦這いのぼる山桜を見上ぐ
葉の芽吹きとともに咲き出す山桜に三毳の山の木々の明るむ
池の辺に垂れて揺れる雪やなぎを水面に映して池はささやく
どんよりとうす曇る空を押し上げて日ごと膨らむ園庭のさくら
菜の花の群れ咲く土手にしばらくは盛るさくらと語りつつ歩む
白の持つ潔癖さより優しさを少し加えてさくら咲きおり
若き幹に溢れるほどの花咲かせぽつんと立ちいる路地裏のさくら
この冬にいのち拾いし人がいま車椅子よりさくらを眺む
胸元のシルクのスカーフ風に揺れさくら花びらさらわれていく
折節の変り目にざわつく心持つ病む人に春の兆しあるらし
縋る目で「落ちつかないの」と訴うる人の手を繋ぎそっと肩寄す
明かりさえわからぬ世界に身を置きて不安が生み出す不定愁訴
26
今月の 30 首
木蓮が咲いているよと連れ出せば春の陽差しを背に肩に浴ぶ
春の陽を浴びて解れる心あり「暖かいね」とぽつりと呟く
補聴器も役に立たざる難聴を抱うる父との会話は大き声
両眼の視力一・五を保ちこしわが眼に補う手元用レンズ
パソコン用色付きレンズを試しみて見える世界はいささか異なる
パソコン画面と手元に視線が行き来するわれが補う中近両用レンズ
人の眼に映る視界はそれぞれ心の起伏のフィルターを通す
ヨガ教室フラダンスと熱心な友は言いたり寝たきり予防を
歩くこと飲み下すこと視ることさえわが営みを支えいる筋力
ぼやけたる視界も時には心地よく心を弛めて過ごす時間あり
少し引きて見る癖あるねと言われいるどっち付かずのわれに苛立つ
相共にいたわる心が極まりて諍いとなる不器用ふたり
不器用な性格さりとて嫌いでなしつじつま合わぬ己と生きおり
27
四月号冬雷集評
小林 芳枝
年々の桜開花の予想日を待ちゐしが先
自づから家事の分担定まりてごみ出し
年前のしやぶしやぶ 嶋田正之
『序の舞』の宮尾登美子と囲む卓三十二
この一瞬疲れが抜けたかもしれない。
くるる初雪の朝 澤木洋子
の省略と体言止めが歌を引き締めている。
訃報を聞いて共に仕事をした頃を思
う。三句は「囲みたる」でもよいが下句
る。「穏やかに眠る」に少し救われる。
定年後、家庭で過ごすことになった夫
の存在が煩わしくなる話をよく耳にする
ずんぐりと毛が多すぎて書き難き毛筆
が、家事の割当てを決めてこうして賢く
過ごすこともできる。二人の暮しに戻っ
の毛をすきて使へり 兼目 久
に逝きてしまひぬ 川又幸子
毎年一緒に花を観るその日を待ちなが
ら春の来るのを楽しみにしていたのに亡
た日々を快く過ごしたいものである。
ランニングしてゐる隣の足音を聞きつ
愁。昔にどこかで感じた懐かしさである。
冬の夜のトイレは辛いものだが我慢も
できない。明け方の凍りつくような寒さ
窓に今残月のあり 永田つぎ
寒くとも起きねばならぬ夜のトイレ天
であろうか。
知った。さて望み通りの文字が書けたの
くなってしまった。残された寂しさがさ
ンダにうつる手摺りの影を 山﨑英子
なかなか書き良い筆に巡り合わないも
のだがこのようにして使うことを初めて
聴診器胸に受けつつ息を吸ふひやりと
美しい月の夜、くっきりとした手摺り
の影をみていると湧き上がってくる郷
ら り とした言葉のなか に 篭 め ら れ て い る 。
なつかしき思ひに見たり月の夜のベラ
したるその感触に 赤羽佳年
く。間近に向かい合う医師の存在に緊張
つ自分のペースに歩く 森藤ふみ
「 ゆ っ く り 息 を 吐 い て 」 な ど と 言 い な
がら聴診器を胸に当てては移動させてゆ
が高まる瞬間を表現された。最近は聴診
スポーツジムであろう。隣の人の動き
を感じながら自分の体力に合わせたト
レーニングを続けることが大切。
状書かむ書いては破く 田中國男
リハビリに世話を掛けたる介護士へ礼
の中で見上げる月は印象的である。
器の性能がよくなって下着の上から当て
穏やかに眠る父の手握りをり一人で見
母さんは動き過ぎだよ休めばと息子言
励ましながら力を注いでくれた介護士
に転居先から礼状を書こうとするが思う
ることもあるようではあるが。
送ると医師には告げて 松原節子
ふなりわが溜息に 池亀節子
家族の食事や家事全てをこなして忙し
く動いている作者を労わるご子息の言葉
ように書けない。何度も書き直す作者の
身の母をも守らなくてはならない状況で
を そ の ま ま 使 っ て 嬉 し さ を 表 現 さ れ た。 気持ちは介護士さんに伝わるだろう。
命の時間が終わろうとする父を一人で
見送ると決めて付き添う。自宅に居る病
の決断であろうが作者の冷静さに感動す
28
四月集評
赤羽 佳年
☆
アルバムの黒き台紙より剥がされしモ
ノクロ写真のわがおさげ髪
高松美智子
習はしの一つ二つと省きつつ変へぬし
きたり年用意する 田端五百子
ゆったりとした春の景色の広がりを感
じさせて、自然・生命の生長の様を見る
思いがする。
る酒をたしなむ 大久保修司
で栽培される油菜科で、本来は菜種油の
ボウは東京の西部や埼玉・神奈川の一部
☆
いぬ地に春は来て 林 美智子
ノラボウの太き茎茹でさ緑を眼に味わ
ぞれの仕来りがあるが、こうして世の習
ここでも春を歓べる歌。先ずは視覚で
味わっている。倒置も活きている。ノラ
結句「年用意」は新年を迎えるための
諸諸の支度をいう。それぞれの家にそれ
いは変化しながら移り行くのであろう。
独居老人三人ホテルに議論する政治の
昼食や夕食を友と摂る時はふだん控へ
を回想して居られるのだろう。
二句「黒き台紙」が時代を思わせて懐
か し い。「 お さ げ 髪 」 と あ り 小 学 生 の 頃
向かひ合ふこと無き歯科の治療台斜め
後ろから白き手の伸ぶ 髙橋説子
採取用で独自の味わいがあり、元は外来
ことやスポーツのこと 同
ジャワ
普段の生活から離れて、非日常の解放 種で「闍婆」の前名をもつ。
感 を 味 わ い 楽 し む 様 子 が 良 く 出 て い て、
打ち直し重ねて健在吾が布団五十八年
は見られたくはない光景ではある。結句
花冬に枯れおり 正田フミヱ
美しく老いることなど夢の夢春に咲く
よい息抜きをされたことでしょう。
の布団色褪せずあり 同
出産に入院時にと持ちゆける絞り染め
経たる嫁入り道具 金野孝子
視線や気分がよく詠い出されており面
白みのある歌。確かにあの様子は他人に
はミステリアスな表現で纏めている。他
声調は決して良くないが勢いがあり時
代を感じさせる歌である。二首セットで
☆
の歌も様子をよく伝える。
音調もよくすっきりとした定型となっ
ていて、永遠の真理を言っているよう。
役員の集まりと称しファミレスのラン
チ食べつつ雑談尽きぬ 中村晴美
生活形態も様変わりして、今どきの井
戸端会議は、小洒落たファミレスでと言
霜柱溶けて明るむ草土にいぬのふぐり
全体に気分の昂揚がみえ、楽しく読め
る。前向きな姿勢で爽やか。 味わう時、物を大切にする精神を教えら
路線バスはあまたの音を軋ませて人は
れる。
「吾が布団」が活きる。作者も健在。
携帯を手に無言なり 倉浪ゆみ
四季あるは有り難きこと雪降る日春を
良く見る光景ではあるが、二句の「音」 結句「無言」の対比の捉え方に独自性。 思えば寒さやわらぐ 川上美智子 ☆
じさせる。結句の「ぬ」は完了ではなく
の小花ひろがる 立谷正男
うことか。二句あたりに後ろめたさを感
「ず」の連体形表現である。
29
六月集
赤飯 埼玉 小久保 美津子
キッチンに煮る蒸す炒めて三十余年二段蒸し器の未だ現役
初孫の汝を祝ひて買ひ呉れし古りたる蒸し器を束子に磨く
逆上り成功せるを祝はむと五合のもち米蒸しし日のあり
蒸し器よりの湯気に濡れたる窓ガラス嬉しき朝の我が家の習ひ
赤飯の母直伝の水加減レシピを守る我が家の定番
花散らす四月の雪に震へつつランドセル姿の孫を見送る
ばあちやんの赤飯好きと孫の言ふ生れて六年幾度も作る
子と孫と同じ校舎に学ぶ日の膳のまんなか赤飯を置く
山寺に遊ぶ 東京 天 野 克 彦
混濁のなき青空へ突き上げて枝ことごとく桃の花咲く
さき
犬のふぐり張りつき咲ける草に臥し土かぐはしとまなこ閉ぢゐつ
すみれほどな小さき人にと漱石の詠みにし菫が眼の前に咲く
ひざまづきなづなの中に摘みゐたり牛蒡の香のするこの花なづな
ときはなる松に囲まれ咲くゆゑかひときは麗し枝垂れ桜は
さくら咲く園にあらねどチェーホフの戯曲読みゐつ草にころ臥し
鎌倉市山ノ内 建長寺柏槙
30
六 月 集
うれ
桃の花咲き満つる梢の枝の間に瑠璃にくれゆく空の広がり
欲しとおもふ桃の一枝盗み来て机上に挿し置くひとり笑みつつ
千葉 堀 口 寬 子 病院に働く孫が制服に羽織る薄手のカーディガン買ふ
新しきスーツ姿の青年は電車に揺られ景色見てゐる
孫と見る桜花道ゆつたりと夫と吾れの歩みに歩く
吾が生命揺さぶる如く八十の老いは怒濤の如く押し来る
目まぐるし生命あやふしと思ふ時吐く息も又吸ふ息も又
祖先から続く生命を受けつぎてくれたる孫子を大事に思ふ 東京 大 塚 亮 子
大横川の桜見頃と友からの連絡ありて四、五日の過ぐ
風強き日のあり雨の日もありて急かされて行く桜終はると
流れゆく花びら分けて屋形船窓は開けずに雨のなかゆく
川の面に映る桜に散る桜咲きゐる桜に雨容赦なし
大横川の桜は川面に枝張りて何十年をここに咲き継ぐ
書入れ時に止む気配なき空仰ぎ焼きそばたこ焼き屋台をたたむ
五十年住みゐて知らず大横川の桜が今年の花終るらし
来年からは夫と歩かむこの桜知らせくれたる友に応へて
栃木 髙 橋 説 子 美しく育つか否か掬はれて選別されゐる錦鯉の稚魚
31
反り返るうす紫のカタクリに朝露のまだ残りて光る
ベビーカーに一人眠らせ一人負ひ満開の桜見上げし記憶
咲ききれば桜散るなり遠くまで風に乗り鳥の背にも乗りて
電飾の屋形船あまた浮かびゐて桜見頃の隅田川賑はし
独り居の叔母の通院送迎を買つて出るわれ暇人なれば
五週間の放射線治療を終へてまた車に乗り出す叔母八十二歳
箒目を残して夫は菜園の草取りを終ふ顔晴れ晴れと
小宮公園 東京 永 田 夫 佐
春浅き自然公園の板橋に友と半日語らい歩く
公園に指定のなかったふた昔前の自然を惜しみつつ行く
三本の辛夷古木の満開に友と見上げる小さな二人
丘の上に枝を広げる辛夷の木数え切れない花の瞬き
連翹の溢れ咲きたる公園の日差しの中に歩をすすめゆく
板橋の手摺りに寄りて薄紅の花を下げたる鴬神楽
開発に水源あらかた断たれるも湧水光り細ぼそ流る
寄る影に波引くごとく飛び去れる嘴黄なる鵯の群れ
☆
千葉 野 村 灑 子 雨後の空浄化されたる如くにてどこまでも青し大きく息吸ふ
電気毛布に足先温くなりゆけば霜やけの指がいた痒くなる
少しきつめの補正下着に一日を送りたる夜は解放し寝る
32
六 月 集
この美しさ誰かに伝へたき程に今し沈みゆく夕陽の色見つ
優先席に携帯電話使ふ異国人に表示指さし手にバツを作る
池の周り五百米といふ道を小走る人、大股に歩む人、児の手引く人
キンクロハジロの胸毛の白く黄色なる目の中に点のやうな小さな黒目
探鳥会に行きたる公園の池の上モノレールは行く飛ぶやうに行く
福井 橋 本 佳代子 在りし日の夫を真似てわが培ふ椎茸芽吹くをけさ見つけたり
摘みたての椎茸十余り手土産に独り暮らしの友を見に行く
冬中を会ふこと無くて過ごしたる友の元気を確かめて帰る
紅梅のふくらむ蕾に容赦なく寒のもどりの雪降りつづく
小止みなく名残の雪の降るけふは居間の模様替へせり春待つ心に
重き物は人を頼みて模様替へしたるわが部屋広く明るし
山峡のきびしき冬を無事越えて今年また野に働く喜び
峡の日の暖かき今日は芋殖ゑる山畑打ちに朝を出で行く
一輪車に種芋乗せて行く径に猩猩袴の紅が目を引く
東京 岩 上 榮美子 たうゑん
わが歌集『桃苑』上梓され晴れがまし娘を嫁に出す心地して
次々と嫁は下絵を見せ呉れて仕上がりのイメージ湧いて来るなり
ずつしりと原稿の束は送られて初校再校とゆき来するなり
嬉し嬉しわれの一世がこの中に読み進むうち胸熱くなる
33
冬雷三月号付録なれば早速に「おめでたう」とハガキが届く
高齢の方より葉書いただきぬ「大内先生にお弟子が居てよかつた」と
歌の友の強き勧めに背を押され実現せる歌集なり深く感謝す
宅急便にてずつしりと届きたる歌集に身の引き締る思ひなり
送りたる歌集に手紙添へたるが人の心を和ますらしき
胸の内に在す大内豐子先生に歌集の御報告出来るが嬉し
茨城 関 口 正 子 梅林をめざして階段のぼり行くかたへの笹の葉群さみどり
早咲きの白梅のもとに振袖の梅大使四人がにこやかに立つ
月光と名札の下がる白梅はあはくみどりを帯びてゐるなり
傘のやうな水掻きひろげ白鳥はのつこりのつこり尻ふり歩く
餌もらふことに慣れゐる白鳥か友と語らふ前を離れず
臙脂色おびるフリルの葉をかさね踊りだしさうサニーレタスは
振りむかず未来見つめて来たといふ九十五歳の森光子さん
二カ月余ぶりの水泳練習に解放さるる四肢は伸びやか
ビルの窓に乱反射する夕光をまぶしみ帰る水泳終へて
福島 山 口 嵩
月ごとに会話と動きに陰り出で同じことなど繰り返す叔母
訪れるたびに日捲り数日分剥がしながらに「日課よ」と言ふ
戦中を昨日のごとく語る叔父時計の探索に十分かかる
34
六 月 集
断捨離を手伝ひゐれば茶箱より女子高卒時の母の写真一枚
平和への願ひたづさへ両陛下パラオで問はる「日本のあり方」
阿武隈の山河に浮び去る雲よ伝へまほしき原発神話を
約束が砂上の城となりかねぬ策なきままに汚染土積まれ
☆
東京 鳥 居 彰 子 津波より四年過ぎたる法要とコンサートあり三月十一日
復興を復幸と書き助け合ふ皆が幸せになるを祈りて
法要に続き太鼓の演奏は林英哲の風雲の会
渡辺貞夫のサックス演奏も加はりて心を一つに復幸を祈る
絶え間なく散る紅梅は地の面に赤き絨毯となりて広がる
雨風に散り始めたる紅梅にけふも人寄るカメラを持ちて
慶弔の折々頼みの美容院より「店閉づ」といふ挨拶状来る
去年の春友に貰へる海老根蘭忘れゐたるが二つ芽を出す
栃木 正 田 フミヱ
姑の食めるサイズは刻み食とろみ仕上げで食欲守る
腰椎の圧迫骨折固まるらん漸く立てたり九十一歳
カレンダーに介護予定を記入せり訪問入浴通院赤丸
寝た切りの危険かかえる姑のリハビリスタートす桜二分咲き
わが庭に開き初めたる花水木近くに寄りて見詰める人あり
花水木は空に向かいて小さなる薄緑の苞葉開き初めたり
35
桜咲き次いで花桃開きいて明るき春に励まされおり
菜の花が堤一杯黄に染めて日の射しくれば輝きを増す
埼玉 高 橋 燿 子
甥の指す家の周りの田畑見る六十五年の時の重みを
電気なくランプの石油は配給の肩を寄せ合う無い無いくらし
牛が増え子牛が生まれ三人の子持ちとなりて姉は輝く
牛を引く姉がまぶしく見えたる日吾には父とのくらしがきまる
凶作が三年続き将来を見据えて東京へ転校したり
十四歳ときには那須が恋しくて父を悩ませし東京生活
何時の間に六十年が過ぎたかと父母と義兄の墓に香たく
香煙ののぼれる先に真白なる季節外れの那須山そびゆ
笑いても泣いても那須山恋しかり山が見えれば一日佳き日
麻の栽培している甥は作業場に居りて牛の感触なつかしみおり
栃木 斉 藤 トミ子
魚を二尾銜えて止る翡翠に釘付けとなる写真展にて
片栗の花にカメラを向ける人脆くあり腹這うがあり
たらちねの母の好みし蕗の薹この頃我れの好物となる
ほろ苦き蕗の薹味噌の手作りを旨し旨しと箸の進みぬ
板摺の芥子菜の香のつんとくる香りも味の一部と知りぬ
アスパラの植替えせむと掘上げたる根塊に芽の潜みおりたり
☆
☆
36
六 月 集
我が心打撲傷なり一言の友の言葉を心に受けて
香焚きて手を合わせおり父母の墓に対いて心静まる
埼玉 江波戸 愛 子
サンバイザー深く被りてマスクかけ仰ぎ見ている今年の桜
家の前の花を見ており酔客の多い桜の並木を避けて
姑が亡くなりましたと電話あり降りくる桜を見ているときに
百二歳こえて逝きたる姑を友はめでたいと言いながら泣く
辛味餅餡餅赤飯山菜おこわ買いたり桜まつりのなかで
靴下を履かせるたびにちちの足むくみはないかと指に確かむ
帽子被りコートを着けて歩き出すちちに付き合う午前三時に
岐阜 和 田 昌 三
オカリナの演奏終えて「先生」と声掛け来るはかつての教え子
剣道着担ぐ二人の女高生擦れ違い様の挨拶清し
廃木を庭で燃やすかゴミ処理か大気汚染の思案に暮れる
「出し過ぎ」と助手席の妻繰り返す車少なき自動車道も
無添加か地元産かと吟味して時間掛かれる妻の買物
こんなにもと驚くほどの添加物使われているどの食品にも
戦争に突き進むかの如く見ゆ安倍政権の行方に不安
東京 富 川 愛 子
テレビにて知りたる眼科訪ひゆけば初診は待ちたり八時間ほど
☆
☆
37
もつと早く来てくれればと医師の言ふ為すか否かは彼の判断
著名なる医師にと一縷の望みかけ網膜剥離の手術受けむとす
硝子体手術は七日後と決り近くのホテルに二泊が条件
付き添ひはこの二日間は必須なりホテルへの送迎眼科のバスあり
一泊は義妹に頼み二泊目はやむなくヘルパー頼むこととす
埼玉 山 口 めぐみ
番号にまちがいないかと念押しす合格の報せ電話で受けて
卒業式終えてふわふわ春休み過ごす子の顔優しくなりぬ
重ね着の制服暑く感じたる春の陽気に肉まん売れず
朝一の祖母の訃報に長男の夫は弟等に久々電話す
夕べ釣ったアジの刺身を当人が食べずじまいで通夜へと出向く
合格の御礼参りの帰り道名のみ知りたるアメ横に行く
読んだ本の舞台でありたるアメ横は雑多な物と匂いの溢る
上着脱ぎ蕾ほころぶ樹の下をペダル漕ぎつつ春を吸い込む
春休みに花吹雪舞う校門に在校生が式の準備す
☆
東京 鈴 木 やよい 花粉よけのマスクで曇る眼鏡の先に盛り上がり咲く白き木蓮
売れ残りの白菜苗は時期遅きか待てども未だ葉は巻き上がらず
白菜の形にならねど鮮やかな緑の葉を愛で花咲くを待つ
白菜の広がる葉のなか真つ直ぐに伸びて五つの黄の花の立つ
38
六 月 集
洗濯を急ぎ終らせ見に行かむこの青空に散りゆく桜を
列つくり土手走りゆく生徒らの揺れる髪にも花びらのつく
栃木 本 郷 歌 子
物置きの陰に咲きたる梅の花漸く気付くその香高きに
玉留めを連ねたように芽吹きたる柳の細枝風に揺れおり
道折れてれんぎょうの垣に出遇いたりたけなわの花は光にも似て
先駆けて咲く桜桃の色淡し冷たき風の残る弥生に
花盛る桜桃に寄れば蜜蜂の数多の回るうなりを立てて
蜜蜂は花粉団子を足に付け尚蜜吸わんと花飛び回る
今日か明日か心忙しく花を待つ枝に数多の花芽膨らむ
幼子は手を挙げ花びら追いかける桜散りつぐ公園に来て
新潟 橘 美千代
開業してまもなき頃の患者にて手本とも見き女性社長を
気丈なる女性社長が寂しめる表情見せてより受診せず
ステンドグラス透し射しくる月光の暗き医院の床に散りぼふ
水芭蕉群れて咲きたり草も木もいまだ芽吹かぬ冬枯れのなか
☆
(☆印は新仮名遣い希望者です)
病経たる姫沙羅に芽吹きあまたありなにかが変りさうな気がする
またたくま月蝕は雲に覆はれてあとには耀き増しゆく金星
阿賀野より村杉へくだる咲き盛る桜のアーチに祝福されて
花の枝をくぐりゆく鳥の視点なり桜並木のカーブをくだる
39
四月号作品一評
過ぐる年剪定したる臘梅は精一杯陽を
浴びて咲き初む 小島みよ子
りゐるらし」どうでしょう。
新聞を読みゐて判らぬカタカナ語娘に
尋ねる日々になりたり 田中しげ子
英語は敵国語と言う時代に生まれた者
に と っ て は 宿 命 の 様 な も の で す、 し か
昨年剪定をした臘梅は思う存分に太陽
の恵みを受けてまるで喜ぶごとく咲きは
し 戦後もこんなに長くなったのですから、
冨田眞紀恵
じめている、剪定の労に報いて呉れてる
どっぷりと湯槽に浸り省みる今日一日
のですね。精一杯が良い。
今はもう不勉強の所為だと諦めています。
一日の終わりをゆったりと湯に浸りつ
つ今日一日の自分のあり方を省みる作
☆
ほんの少し注意をすれば避けられし打
禁酒守り十年程の夫はいふ日本酒少し
のわが身の振り方 吉田綾子
者。しっかりと地に足の付いた生き方に
撲の膝の紫の濃し 野村灑子
散漫になるのでしょうか。
す、簡単な事をする時にかぎって注意が
た事、案外何でも無い時にしてしまいま
良い怪我をして後から後悔しきりといっ
よき距離を心づもりす 岩上榮美子
嫁との会話もくだけ過ぎず固すぎず程
言う誰かの言葉を思い出して。
仄々とした御夫婦の姿を目に浮かべな
が ら 読 み ま し た。「 ち ょ っ と だ け よ 」 と
理解のよき老妻か 同
評判の日本酒の小びん求めきて今日は
飲んでみたいと 橋本文子
心を惹かれる一首でした。
私にもこんな経験があります。ちょっ
とした注意を怠ったばかりにしなくても
寒きなか春水仙の芽出で始む地中の季
文字にして書けば簡単な様ですが言葉
にして言うは大変な事だと思います。こ
ベレー帽旅の途中に失せたれど青空高々
「 頂 い た ネ ッ ク レ ス 付 け 店 に 出 た 」 寿
節巡りゐるらし 小川照子
の作者だったら円満な家庭を維持される
飛べば良しとす 増澤幸子
司屋に嫁ぎたる姪より電話
一番最初に芽を出すのは我が家でも水
仙です、しかし「春水仙」と「春」が必
河津和子
要でしょうか、又「芽の」と「の」を一
☆
下句が良い、旅の楽しさと作者の心の
高揚が良く出ていると思う。
贈った方にも、贈られた方にも嬉しい
一首となった。
中の」は「地中は」としたいと思う。「寒
始む」でゆったりするのでは、下句の「地
字入れ上句を「寒きなか水仙の芽の出で
結句の「出で行く」は「来ぬ」かな。
ビリの散歩に出で行く 橋本佳代子
怠けたき心はげまし寒き中けふもリハ
事と思います。
すみ饒舌となる子の姿別人のやう
酒す
まこと
多分、女のお子達の様ですが、私には
お母さんは多分微笑ましく見ていらっ
きなか水仙の芽の出で始む地中は季節巡
で真のやうで 有泉泰子
しゃる様に思えます。
40
四月号作品一評
嶋田 正之
温もりを与えてくれる。
取った歌だが、読む者にゆったりとした
自慢でもあろうし心が温もる。
息子に育って呉れたことは、母としての
時もの物なのだろう。こうした心優しい
十六年続けし十首の投稿は遂に途切れ
生まれきて楽しき事の無かりしか人を
☆
い作者が欠詠せざるを得なかったと言う
この歌の前に湿疹が発症した歌が詠ま
れている。これまで欠詠をしたことの無
たり体調不良に 関口正道
む人が存在するが、人は見た目では解ら
ことは大変なことだ、ましてや作者は毎
殺してみたかった十九歳 本山恵子
ない。果たしてどの様に育てられ、どの
月手書きで投稿される作品をパソコンに
さうかもねわたし悪運強かつた声出し
今は二人に一人が発症すると云われる
癌を作者も患い手術後五年が経過し再発
様な経緯で人を殺してみたいという心情
筆者もこの残虐なニュースに少なから
ずショックを受けた。世の中には心を病
が無いと云う。その喜びを出来るだけ明
に至ったのか知りたくもある。
入力する冬雷の重要な仕事をされている
笑ひて泪こぼるる 涌井つや子
るく歌おうとする自分が愛おしい。
のだ、どうぞお大事にと願う。
☆
湯たんぽのほの温りの籠りたる布団に
未知多き自然の営み秘めながら吾妻の
入れば安らぐからだ 吉田綾子
無事に過ごし床に入ることは何でも無い
れば、一つの火山の噴火などはニキビの
帯上にある日本列島を地球規模で俯瞰す
日本火山予知連絡会よると日本は活動
期に入ったかもと云う。環太平洋の火山
つくばひに沈む侘助こほり張る下に再
噴煙規制2となる 山口 嵩
日常でありながら有難いことなのだ。
怠けたき心はげまし寒き中けふもリハ
健康のバロメーターはやはり快眠、快
食、快便であることだろう。寒い一日を
つんつんと尖りて芽ぶくチューリップ
如きものかも知れないし人類の築いた文
ビリの散歩に出で行く 橋本佳代子
とても綺麗な景を捉えた歌だ、茶道に
勤しむ作者ならではの歌かも知れない。
び咲くごとき紅 大塚亮子
声をかけつつ水を含ます 増澤幸子
明などは更にちっぽけなものだろう。
人は所詮怠惰なものだろうが、健康を
維持するためには、自分に鞭打つことも
に次男来たるらし 鳥居彰子
と聞くが、どうぞ頑張って散歩に精を出
確かにチューリップの芽は鋭く手を触
れたら怪我をしそうだ、結句の「水を含
仏壇の写真の前に塩大福我が留守の間
ます」に作者の心根が感じられる。
多分何時もの事として息子は留守を承
知で実家を訪ね仏前に手を合わせて帰っ
し健康を維持して下さい。
大切なことだ、身体はまず足から衰える
窓のうちに溢れる程の陽を浴びて冬雷
てゆくのだろう。お供えする塩大福も何
二月号ゆつくりと読む 小島みよ子
この歌も何気ない冬日の日常を切り
41
作品一
永別 茨城 吉 田 綾 子
ふる里の幼馴染の春江ちゃん入院まもなく死んでしまいぬ
図らずも友の訃報に溢れくる涙とまらずからだが震う
目の前の遺影は朗らかに笑ってる幼いころの笑窪そのまま
掌を合わせ友の遺影に真向かえば思いは遠く春の遠足
幼児期の父の戦死に朋友は母子家庭にて育ち暮らしき
いつにても場を盛り上げて闊達に動きし友を多くが慕う
友も吾もバレーボールの選手なれば励み競いき学生時代は
☆
☆
バレーボールコートのめぐりで見つけたる四つ葉のクローバー今も栞に
栃木 高 松 美智子
突然のめまいに病を疑いてMRIに見る父の脳内
小脳に古き傷あり六〇年父を悩ませたるめまいの正体
一途さと頑固さが同居する心はときにくずれやすしも
楽天家とポジティブ思考は違うねと常々息子と話をしおり
大鍋に十五人分の豚汁を煮込みて三毳の花見が始まる
黒きボディにさくら花びらまといつつ千歳の土手を車が通る
鎌倉市山ノ内 建長寺法堂
42
作 品 一
目に耳に入り来る情報溢れいて身の芯どこかに置き忘れいく
実感なき景気回復をより遠く感じる株価の二万円越え
千葉 涌 井 つや子 花散らしの風と雨降り君のこゑ聞きたくなりぬ越後訛を
豪雪に耐へて忍んで何十年春の来るのが楽しみと言ふ
長岡の義姉より夫のケイタイに電話かかりぬ互に驚く
九十歳に近き年齢あれこれと頭を絞りて掛けたと言ひぬ
岩手 田 端 五百子 所在なく犬が散歩を待ちてゐる睫毛に風花のせたるままに
白き船水平線より現るる地球の丸さ海より学ぶ
落しもの拾ふが如く乗せらるるバスは春陽を突つ切り進む
衿首を余寒の風がなでてゆく青色申告終りたる日に
ものの芽をうながす雨の降る朝に大地は靄をあげつつ匂ふ
とりどりの春を販げる女らの気仙訛りの飛び交ふ朝市
復興の成りたる酒蔵に太鼓ひびき仮設の人らも集ひて乾杯
蒸しタオル顔にあてらるる先生が進学合否のニュース聴き入る
愛知 小 島 みよ子 戦後七十年の長き過ぎ行き甦るめぐりの温きに助けられ来て
おだやかに晴れたる空を眺めつつ洗濯物を干して一休み
仏前に牡丹餅と花を供へたり彼岸中日穏やかな朝
43
庭隅のコルチカム今年は株増えて二十糎ほどに葉の伸び来たる
平和の有り難さしきりに思ひつつ水仙揺るる庭に佇む
隣家にラッパ水仙持ちゆきて友の笑顔に我もうれしく
夫と娘と桜の下を歩きたり折折花を写真に納めて
樹の陰にバドミントンをする児らの元気な声に励まされ歩く
岡山 三 木 一 徳 雨水の日雪が本当に雨となり庭の片隅に蕗のたうのぞく
寒い日々続く冬日に春一番枯葉寄せつつ吹き過ぎてゆく
春本番多彩な食材に恵まれど中でも旬は瀬戸内の鰆
蜂集ふ黄一色の菜の花の休耕田も見事となりける
菜の花と五重の塔を背景に吉備路を走るランナーは二万
木々芽生え小鳥囀る春きたる厳しい冬を乗り越えたあかし
県市とも統一選挙重なりて桜の名所に集ひ連呼す
東京 荒 木 隆 一 冬終り斎場どこも混み合ひて流れ作業に客入り乱る
短時間に火力強めて火葬する骨格などは跡止むのみ
浅草寺が保存の絵馬展収益は津波被災の義捐金とか
入賞者の名札に掛る黒リボン渾身の作に無念が滲む
待つ側のバスは来ずして逆方向のバスのみ目立つ何処で待てど
直通バス臨時停車の電車ありてギャンブル客が優遇される
44
作 品 一
季節ごとに花咲く皇居の東御苑衛士が打ち合ふ竹刀が響く
白内障虫歯骨折前立腺治療の順番がまだ定まらず
茨城 沼 尻 操 老松を昇りくる初日の出を拝み若水供へ心さやけし
楽しみに待ちたる年賀状整理して炬燵で静かに日は過ぎてゆく
福禄寿皇大神宮の軸おろし虫除けを入れて大事に仕舞ふ
赤き実のくろがねもちに鵯が来て大騒ぎ食べ散らかしぬ
鵯は実の食べ頃が分るらし三日で綺麗に食べ盡したり
嫁ぎたる妹二人呼び米寿の祝三人寄りてかしまし婆さん
誕生から八十八年話の盡きず惜しき別れの握手温かし
埼玉 小 川 照 子 水仙の初咲き取りて仏に供ふ花好きの姑に季の報告す
三・一一東京大空襲悲しき過去数多ありけりこの三月に
震災を知らずに逝きたる夫なれどシベリア抑留を思ひ空仰ぐ
風光る車窓より入り来る梅の香に話弾みぬいつものグループ
春彼岸桃の蕾の膨らむを墓地に持ち行く子や孫たちと
道代さんと花を見ながらつね子さんの思ひ出話はいつまでもつきぬ
菜ばな摘み茹でればみどり鮮やかに黄の色少し覗きてをりぬ
大樹なる欅の枝先みどり葉は風に揺られて鴬啼きぬ
これといふスポーツはせぬが畑仕事夫のあと継ぎ自家野菜作る
45
☆
埼玉 栗 原 サ ヨ 玄関のシクラメンは肥料不足かやつと一鉢芽ぐみて居りぬ
桜見に娘と山に登り来て満開の花今年も有難う
曾孫見に息子の家に立ちよれば高き木の間でうぐひすの声
曾孫一歳元気に育ち這ひまはるまるで魚が泳ぐが如く
四月には孫も就職なりたれば若さあふれて出勤なし居り
五月末我が誕生日の来るなれば少しがんばつて行けるかも知れず
栃木 高 松 ヒ サ
野も山も春の息吹に蘇り見る物すべて新鮮となる
園庭の見事な桜部屋から見えて朝夕気分爽快になる
菜の花の続く山の辺ドライブす黄色の中に桜も見えて
万葉の三毳山のかたくりの花を目指して車は続く
転任して家から通う孫が居て明るくなった夜の食卓
米寿迎える年齢となりこの日頃行動範囲限られて来る
花壇にも去年の水仙集団で見事に咲いて一隅飾る
千葉 石 田 里 美 小母さんと肩を抱かれて見上げれば高校生の君が浮び来る
子を育て夫を送りてわが務め果たして今はひとりとなりぬ
4
4
4
人気なき庭にうぐひすの声聞けばどこから来しやと耳かたむける
懸命に幾山坂を越えて来てばあばと呼ばれ歌誌を読み居り
46
作 品 一
東京 大 川 澄 枝
点滅の青信号に走るなど出来ねば息を整えて待つ
朝ドラのエリーさん逝きあのようにと友らと語る老人会で
誕生日のバラの花束もらう時赤子のように両手で抱く
娘よりカレーライスのおすそわけ鮮やかな人参ゴロッと入る
☆
富山 吉 田 睦 子 玄関で冬を越したるパンジーは春陽に向きて色鮮らけし
色色な展示見に行き貰ひたるミニ薔薇植ゑるたまの日和に
幾年も咲きつぐ辛夷この春は剪定過ぎて花の少なし
降雪に半分折れて残る枝に見事黄金のサンシユユの花
(三月十日)
線香花火はじけてひらく様な花弁サンシユユ生けて玄関清し
立春を過ぎたるに又冬に戻り一週間ほど雪模様なり
娘の家の部屋の中より満開の桜眺めて茶をのむ幸せ
四月二日高気圧に覆はれて桜色したる立山連峰
長崎 福 士 香芽子
「見てごらん」とんびが大きく輪を描いてわをかきながら曇りに消える
みちのくの吾が古里に行きたいなとんびの翼にのせておくれよ
広告の裏の白きは捨て難く箱一杯になりてしまひぬ
広告に雛人形の絵のありて切り取りて日記帳にはりおく
花しばに花の咲くのは珍しい二、三日して皆無となりぬ
47
プランターの土いぢくれば指先の痺れて夜は寝ね難かりき
押花にせむと紫のスミレ草つみ来て本箱の下に置く
チョコレートは高血圧改善動脈硬化抑制によいと新聞にあり
埼玉 本 山 恵 子
向かい家の取り壊されて近隣の車三台の駐車場となれり
☆
陽当たりが良くなったわねと言わるるも眺めの変化に落ち着かずいる
八千歩一緒に歩いて花見する何処を見ても花咲く毛呂山
今日ここに夫と共にあることの嬉しからずや桜花の下に
三週に一度の通院往復の五千歩を歩きまだ元気なり
限られた命にあれど日常は事も無く過ぎ時の間忘る
鳥取 橋 本 文 子 三月の夕空晴れて飛行機雲細く伸びゆく北東に向き
寒けれど日は長くなり夕方の明るき中に半月透ける
新聞に「巧遅拙速」の言葉あり初めてなれば直ぐ辞書を見る
食事してすぐ眠ること多き夫その母のこと思ひ出しをり
介護する立場の歌を見る度に看る側の人の健康願ふ
東京 飯 塚 澄 子 道のべの鉢に金魚の姿見ゆ尾びれの揺らぎに思はずしやがむ
コーヒーを飲む両側の若きらはパソコンに夢中昼休みどき
絵手紙をなす人にへと葉を二つつけたるレモン我は受取る
48
作 品 一
座右より顔彩探しレモン描く二つの大葉もはがきに収む
目薬を注せど痒みは治まらず翌朝なんと瞼も腫れる
点眼液二種を注せとぞ指示を受け幾度も注せど悩ます瞳
吟詠の審査書類をまとめ上げ進行予定も模造紙に書す
父親の頭の上に上げられて曾孫声あぐ九か月なり
兵庫 三 村 芙美代
散り敷ける花の絨毯踏み締めて新一年生坂上り来る
四階の窓のカーテン引きながら朝朝和む桜と子等に
鳴き声を頼りに猫を探しおりペット禁止のマンションの中
吾が姿見つけ激しく鳴く猫に日頃走れぬ吾の駆け寄る
人溢れ賑わう園の花見時悪天候が阻みておりぬ
満席の公園内の喫茶店寒さを避けた人で賑わう
県議選の投票所内人疎ら低いだろうなあ投票率
心地よき空気残して出てゆける排水管洗浄員慎ましき人
☆
東京 高 島 みい子 折れかかるバラの枝先に開かむとする花ありてわが鑑賞す
るり色のいぬのふぐりに名をつける可愛い花よ「星の落し子」
滑り終へ幼なの表情和らげる「にこにこ公園」の時間よ止まれ
スーパーの前で商ふ焼鳥屋苦楽のにほひについさそはるる
スーパーでキャベツにバナナ牛乳とるんるん気分のリュックは重い
49
全労済の文化フェステバルに参加したる娘の演劇終りてほつとす
☆
字がかけず治るあてない手の震ひ止めやうか書くか今日も迷ひぬ 茨城 姫 野 郁 子
東海から二時間半喋り続け気がつけば早や上野に着きたり
日暮里の布地問屋街は両脇に店ありて慌しく巡り歩きたり
一メートル百円の布地棚にあれど何を作るか浮かんでこない
庭に咲くクリスマスローズと白梅持ち彼岸に一人墓参りする
ふれあい食事会の役員代わる人無くて又一期続けることになりたり
簡単なパソコン入力に悩みつつ五時間過ぎて目と肩疲る
歯茎腫れ歯科医にくれば衛生士が夜眠れたか否か聞きくる 東京 田 中 しげ子 散り初めたる白梅風に舞ふ寒さ残れど春は足早に来る
うつ向ける貝母花も黒百合も和の花と云はれ密やかに咲く
孫娘アネモネの花抱へ来つ祖母我の誕生日とて
アネモネの赤紫の五十本に目を奪はるる一瞬のこと
緑道の染井吉野に大島桜マンションを背に今咲き揃ふ
腰かけて部屋の内より花見なす三本の桜我が為として
限りある命をしかと受けとめむひしめき咲ける桜を見つつ
人人の肩に降り来る花吹雪今年の花も終りに近く
茨城 大久保 修 司
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作 品 一
夕されば一羽の烏寒空をこゑを上げずに塒に行くか
ハングリー精神に劣るや身体大き日本人力士の優勝できぬは
牛乳が美味しく湧くと言ひたりし母の真白き琺瑯の鍋
スーパーを車椅子にて回る姉新たに並ぶ果物を愛づ
納豆が食中毒を防ぐといふ記事に出合ひぬ日毎食みゐて
矍鑠と頭脳明晰佐野さんはわれらの心を励まし呉れつ
神奈川 関 口 正 道 久し振りに円覚寺の坂道を上り来て佛日庵より先の木叢を見上ぐ
ビャクシンの捩れたる幹の瘤穴に溜まる枯葉見ゆ一筋の日に
落ち椿雨に打たれて痛々し朽ち果つるまでの一刻のくれなゐ
欠けた歯を一時間にて修復する女医の腕前確かなるらむ
「刑事局」と文字打込めば〝文字化け〟となりてブログの記事は進まず
黄ばみたる昭和の雑誌に二倍半のプレミアム付きて少し戸惑ふ
現役の学生のみの演奏をユーチューブに楽しむ明大マンドリンクラブ
一〇〇億円と聞きし救難艇一機青海に映ゆ離水するとき
神奈川 青 木 初 子
道路まで枝を広げる桜木の蕾の先は濃く染まりをり
二つ三つ花ひらきゐる細き枝に小き卵の塊り光る
意志強く融通きかぬ九二歳時代遅れの言の葉多し
プラスチックの鉢を歪にさせてゐる極楽鳥花に花茎育つ
51
強き風静まり青く澄む空に黄の鮮やかな月の輝く
鉛色の雲覆ひきて降りだすを夫気づかず蒲団びしよびしよ
ラミネートチューブは扱けど形のすぐ戻り中身のクリーム全て出で来ず
そこそこの量残りをり切り開くラミネートチューブの内面のクリーム
茨城 中 村 晴 美
地植ゑせるラズベリーの根張り凄まじく二本鉢に植ゑあとは処分す
軒下に出して間もなきトマトの苗ひと日の風に数本枯れぬ
NHKは地震との関連触れもせずイルカ座礁のニュース淡淡
水を買ひガソリン満タン備へあらば憂ひなしかとイルカ座礁に
鍋に炊く飯のレシピを確認すカセットコンロは災害に強し
春先の埃に悩むは今年無し降り続く雨に土は黒色
芽吹きたるヒメシャラの幹に苔のむす春の長雨めづらしき年
山梨 有 泉 泰 子 雨漏りの修理願ひが仇となり調理場の明け渡し求められたり
存続の危機となりたる食事サービス新たな調理場さがして走る
紺の無地、薄桃色の花模様二つの座布団新学期待つ
連れ立ちて桜の蕾の膨らみを見上げつつ歩む大学通りを
この道はいつか来た道そんな気に包まれてゆく桜並木ぞ
仲間との花見は明るく楽しかり亡き人思ふ寂しさのなく
一橋大学前は賑はへり努力実りたる新入生の花花
52
作 品 一
父母の墓に寄りて吟行の報告す仲間と会ひて嬉しかりしと
愛知 山 田 和 子
板切れに白い塗料にて「佗助」と記されくろずんだ赤落ちてる
在りし日の赤い三角屋根思いつつ桜蕾の国立を行く
☆
☆
☆
(さくら吟行会)
「申し訳ございません」背広姿が一斉に頭を下げて「何かあったの」
人気なき町の黄の信号点滅は桜並木に寂しさをます
いちがいに桜といえど丘に立ち見渡す花のいろはいろいろ
じゃんけんに勝って二瓶獲得せる手作りマーマレード長く楽しむ
国立と思い出 東京 河 津 和 子
国立の吟行会は子が曾て通いし国立学園近し
小さき背にランドセル負いバス電車乗り継ぎて子は通学したりき
一時間半かけて通いし子の耳に霜焼け赤くできていたりき
国立の駅を背に立ち息子言う「三十年ぶり」深呼吸して
満開の桜せまり来る喫茶店にサクラのケーキと深煎りコーヒー
深煎りのコーヒー飲めば笑みこぼれ息子と娘と花見したりき
お花見の二ヶ月後に身罷りし息子謙太は四十八歳
やわらかき桜に包まれ三人で歩みし道を歌友とあゆむ
さくら吟行会 東京 酒 向 陸 江
青空にこぶしは高く背伸びして両の手広げ一斉に咲く
白妙のこぶしは散らず長く咲き桜の蕾はなかなか開かず
53
暖かな日差しの中にほんのりと色づく蕾が友たち迎う
甲府から千葉から佐野から名古屋から懐かし嬉しや冬雷の友
ゆっくりと大学通りを歩む友早もベンチで思索する友
まだ咲かぬ桜を言わず青空を樹の勢いを友は讃える
いづこにも桜の花は満ちみちて湧き立つさくらに君を思えり
花祭りの灌仏終えたる吾が頭上甘茶ならずに雪の降りしく
国立の桜 東京 増 澤 幸 子 冬雷の歌人つれだち国立通り歌詠鳥の姿は見えず
刻まれる幹に黒ぐろ勢ひあり国立通り二分咲きの桜
咲く花に先がけ木下に紫の花大根の可憐にゆるる
桜木のもとに転がる松傘を拾へば温し土の香のする
ひこばえの一輪みごとに咲くからに立ち止まり見るその大き桜木
大学のキャンバスに咲く初桜しだるるさまに心ほぐるる
咲き盛る花のみごとさ見せたきと堅き蕾を友は嘆きぬ
さくら 埼玉 大 山 敏 夫
思ひこみはげしき吾は日時などとりちがへ駅へ慌てて走る
ふじみ野の桜はつぼみだつたけど国立に若く咲くを仰ぎぬ
三十年ぶりの桜は太幹の黒びかりして枝押し開く
重ねたる齢のみごと国立の桜二分咲きいよよこれから
ほぼ横に十メートルはのびてゐるさくらの枝を幾度もくぐる
54
(都立国立高校)
細き枝真上へのびる先つぽにちらほら開く花がさきがけ
ふくらめる莟に赤き桜樹の先に校舎あり友らの母校
さくらにも世代交番といふが来て伐り倒さるる古木の多し
ヒマラヤ杉ひとつを見てもこんなにも太りて聳ゆこの大通り
話などしてみたければ谷保駅へ歩む二人のあとさきとなる
くれないを薄く覗かせ明日を待つ力をふふ
一位 十二票
紙面の関係上、三位までをご紹介いたします。
どなたの短歌もすばらしいものばかりですが
声で林美智子さんが朗読。いよいよ互選です。
の詠草の一つひとつをゆっくりと落ち着いた
されたものが皆さんのお手元に届きます。そ
早業で小久保さんが一枚に書き写し、コピー
小さな短冊に書かれた詠草をあっという間の
村さんの音頭にあわせ「今日の日はさような
て皆で大きな声で春の童謡を二つ、さらに野
摩支部の卯嶋貴子さんのピアノ伴奏にあわせ
だいて楽しい楽しい吟行会でした。最後に多
さん、皆さんの気持ちよい協力・応援をいた
調べ一枚にプリントしてきてくださった赤羽
ん、 案 内 用 チ ラ シ を 作 っ た り、「 桜 言 葉 」 を
当日司会に当たってくださった小久保さ
ん、受付をしてくださった森藤さん、大塚さ
まり見るその大き桜木 (増澤 幸子)
ひこばえの一輪みごとに咲くからに立ち止
(☆印は新仮名遣い希望者です)
くら吟行会」が催されました。三月に入り桜
む幹くろき桜 ☆ (高松美智子)
「国立のさくら吟行会」 御礼と報告
の蕾も膨らみ開花充分と思っていたのですが
太き幹黒々として大らかに今咲かんをする
三月二十七日(金)暖かな春の日差しの中、
申込者二十六名、全員の参加をいただき「さ
酒向 陸江 あいにく寒い日が続き開花宣言はされたもの
し た。 で も、「 空 が 綺 麗!」 と か「 緑 の と き
さい!」穴があったら入りたいような思いで
待ち待てる桜吹雪にあへねども冬雷の花咲
くり歩む (櫻井 一江) 国立の樹々の勢ひ仰ぎつつ大学通りをゆつ
最高の吟行日和だったと思いました。
二~三日後に満開になった大学通りは、車
道も歩道も花見客で大渋滞。改めてあの日が
が大山先生! 小林先生! 皆みなさま!
ありがとうございました。
た。お忙しい中駆けつけてくださったわれら
ら」を歌って別れを惜しみお開きとなりまし
の、開いている桜は一つ、二つのみ。満開の
蕾を宿す (野村 灑子) 二位 七票
も良いでしょう!」とか冬雷の友はとにかく
き揃ふ道 (赤羽 佳年) 三位 六票
桜を期待していた方々、「ほんとにごめんな
やさしい! ほっとする思いでした。
即詠会では皆さん、本領発揮!提出された
55
四月号 十首選
への味 高島みい子
昇る日にくれなゐ帯びてほぐれつつ飛行機雲
た二人の行事となれり 山口 嵩
少しづつ母に似て来る妹の手の甲で見る白和
みたかった十九歳 本山 恵子 ☆
「福は内」ちょっと控へめに「鬼は外」たっ
値をだす 荒木 隆一
生まれきて楽しき事の無かりしか人を殺して
き強風の過ぐ 増澤 幸子
朝寒に血圧計も不機嫌で初回はいつも異常な
安らぐからだ 吉田 綾子 ☆
スカイツリー見上げつつ行く足元を渦巻く如
上げ卒業 涌井つや子
湯たんぽのほの温りの籠りたる布団に入れば
もう五年漸く五年過ぎたるか消化器癌のくり
にゆく 江波戸愛子 ☆
目覚ましを使わず起きる午前二時体内時計の
きつぐ 山本 貞子 姑を子を孫を識る近隣の三喜屋肉店に肉買い
の数だけ残る 関口みよ子 ☆
近況と余生の事にも少し触れ回想多き手紙書
吹を満たす 及川智香子 片目のみ入りたるダルマ並びおり叶わぬ願い
の形しており 和田 昌三 ☆
白き梅の切絵を部屋に掛け替へて心に春の息
細くなりゆく 糸賀 浩子 ☆
飛ぶ鷺が上空より落とす白き糞みごとに岐阜
られてゐる 東 ミチ
梅干し用のざるに切干し大根は匂い立ちつつ
の近況届く 大滝 詔子 昨日より腕の上がりが楽になり猫の頭も撫で
「物忘れするのが上手になりました」幼馴染
造りゆく 村上 美江 梅の花開花のニュース聞きたる日我が家の庭
になれど廃屋ふえる 鵜崎 芳子 ☆
復興の盛り土をするトラックが道を譲りて道
いつものように 川俣美治子 ☆
ニュータウンに住みて久しく銀杏並木は大木
直す 永野 雅子 ☆
窓ごしに柔らかな光さしはじめ今日が始まる
椅子たふれゆく 橘 美千代 初釜に締める帯決め前日に何度も手順確認し
春近くして 本郷 歌子 ☆
水草をネオンテトラがつつきゐる歯科治療室
両いまだに赤し 富川 愛子 この辺り種を播きたる覚えあり日毎来て見る
空近し 松中 賀代 ☆
ものなべて色褪せてゆく身のめぐり正月の千
り立春の過ぐ 山本 三男 ☆
間伐を終えたる山を見上ぐれば木々の間に青
ワビスケと言う名の椿咲き初むと妻に告げた
作 品 三 高松美智子
は西に伸びゆく 関口 正子
つくばひに沈む侘助こほり張る下に再び咲く
あまり狂わず 矢野 操 ☆
湯たんぽの温もり残る冬の床気合とともに
にさんしゅゆが咲く 永光 徳子 ☆
作 品 二 野村 灑子
ごとき紅 大塚 亮子
ももとせを我が家の大屋根守り呉る甍にしづ
さっと離れる 飯嶋 久子 ☆
作 品 一 高橋 燿子
かな寒の月光 橋本佳代子
四月号 十首選
56
「 TED」
大滝詔子
選ばれ、参加者と共有したアイディアを深
加する。講演者には一般の人たちも数多く
斬新なアイディアを聴きに二〇〇〇人が参
『
評判は瞬く間に広まり、〇九年と一〇 年
の二年連続で世界最優秀ブログ賞を受賞。
くる。ブログ『一〇〇〇の最高なこと』の
』はブログを書籍
The Book of Awesome
化したもので売上げランキング二十週連続
め、横の繋がりを広げてゆく場にもなって
DNAの二重螺旋構造の発見者ジェーム
キ ペ デ ィ ア の 創 設 者 ジ ミ ー・ ウ ェ ー ル ズ、
りに登場した過去のスピーカーには、ウィ
を、二〇分以内に発表するこの小さな集ま
内だけの集まりだった。自らのアイディア
ンの三分野からスピーカーを招いての、身
ノロジー・エンターテインメント・デザイ
体のこと。一九八四年の設立当初は、テク
TEDとは「価値あるアイディア」を世
に広めることを目的とする米国の非営利団
ン。自身の離婚と親友の死に気落ちしてい
州生まれのサラリーマ
は カ ナ ダ・ オ ン タ リ オ
ニ ー ル・ パ ス リ チ ャ 氏
インド出身の父とケ
ニア出身の母を持つ
一つを紹介する。
の人気のあった講演の
ここでは二〇一四年度
無 料 で 公 開 し て い る。
本 以 上 の 講 演 を 収 録 し、
な る。 現 在 は 一 九 〇 〇
の注目を集めるように
(最高)な人生を送ることがで
Awesome
きると思います」
そ う す れ ば 豊 か で 充 実 感 の あ る、 本 当 に
に 忠 実 に、 自 分 が 満 た さ れ る 経 験 を す る。
を 楽 し く す る 喜 び を 見 つ け る。 自 分 の 心
を 向 け、 幼 児 の よ う に 無 邪 気 な 心 で 人 生
で 生 き る 選 択 を す る。 周 り の 世 界 に 意 識
後には死んでいるのです。だから困難に直
せん。ここに居る私たちの誰もが一〇〇年
験して楽しむ時間がほんの少ししかありま
す。でも一つひとつのささやかな瞬間を体
楽を感じることができる唯一の生き物で
る星に棲み、様々なことを体験して喜怒哀
「 こ の 世 の 中 に は、 幸 せ に 思 え る こ と は
いくらでもあります。人間は、生命を育め
一位のベストセラーになっている。
ズ・ワトソン、元米国大統領ビル・クリン
る自分を何とかしようと、ブログを書き始
いる。
ト ン、 U 2 の ボ ノ な ど、 各 界 で 活 躍 す る
める。帰宅する道のりの信号が全部青だっ
一切空在るは己のこころのみ 実業家、研究者、アーティストが名を連ね
たとか、焼きたてのパンの美味しそうな匂
こよひひとりの酒をよしとす
ている。年に一度、四日間にわたって北米
二〇〇六年に講演会をネット上に動画配
信すると、TEDの活動は世界中の人たち
で開催されるTEDカンファレンス(今年
いとか、日々の暮らしの中に見つけた小さ
木島茂夫
の開催地はバンクーバー)では、あらゆる
な喜びだけを綴っているうちに気が晴れて
s_of_awesome?language=ja
www.ted.com/talks/neil_pasricha_the_3_a_
面しても気持ちを切り替え、前向きな姿勢
分野で世界を変えようとしている人たちの
57
カナダ to 短歌 83
四月号作品二評
率直に詠まれている。
可欠なことなのだろう。回復した喜びが
気遣う作者の優しい眼差しを感じる。
辞書引くに必ず用ふる天眼鏡手指の皺
た。遠くタイから来日した僧侶の方々を
プランターにサラダ菜育ち畑では気づ
ごく身近なところでの野菜栽培は畑以
上に親しみがあって面白いのだろう。具
高橋燿子
桜井美保子
も大きく写る 西谷純子
「物忘れするのが上手になりました」幼
馴染の近況届く 大滝詔子
体的にはどんなことだろうかと思う。
感じられる。
☆
への思いを大切にしながら生きる姿勢が
一連の歌から作者が新居での生活を始
められたことが分かる。ご主人とご子息
遺影見詰める。 石本啓子
仏壇の場を先ず定め整えて夫と息子の
む様子がユーモラスに捉えられている。
文字だけ大きく見えればよいが、指の
皺まで写してしまう天眼鏡。辞書と親し
かぬ楽しみありて見て居り
老境に入った幼馴染の方からの懐かし
い便り。その中の言葉を詠み込んで、単
☆
純化の効いた一首。互いに長い人生を歩
んできた感慨が根底にある。
週一度鍋の日入れて日曜は一週間の買
昨日より腕の上がりが楽になり猫の頭 物をする 浜田はるみ ☆
も撫でられてゐる 東 ミチ 健康を保ちながら自分に合った暮らし
手 術 後 の 養 生 期 間 を 過 ご さ れ て い る。 方を考えるのは大切。献立を工夫しなが
少しずつ回復に向かっているのを実感で ら効率よく食料品の買物をするという生
地下ホームに連絡通路たずねればやさ
下句には開放感と同時に安らぎがある。
使い試作のかおり 矢野 操
新米の炊き込みご飯にオリーブの新漬
しき乙女はわれを導く 関口みよ子 ☆
年金の役員会は大洗ひさびさに眠るホ テルのベッド 糸賀浩子 ☆ 一見迷路のような地下鉄の構内。優し
く親切な若い人に出会った嬉しさと目的
役員としての活動が充実しているのだ
ろう。「大洗」の地名が生かされており、 の場所まで行けるという安堵感がある。
き た 嬉 し さ を 具 体 的 に 表 現。 下 句 に も、 活スタイルの見える歌。
ほっとした気持が出ている。
☆
娘より毛糸の手袋贈られて障害の手に
温きこの冬 佐藤初雄
右膝を傷めて十日目自動車の運転出来
寒さの厳しい時期も娘さんからの手袋
で元気で過ごせたことだろう。読者の心
も温かくなってくる。
るまで回復す 和田昌三
に結句の「試作のかおり」に納得。
新しいレシピを考えて試すことでのわ
くわく感がある。歌のリズムもよく、特
☆
黄の僧衣日本の冬に寒からむ裸足の僧
身体のどこを痛めても日常生活に影響
が及ぶ。作者の場合、車の運転は必要不
☆
と靴下はくもゐて 高田 光
義弟さんの葬儀がタイ様式で行われ
58
四月号作品二評
中村 晴美
困難になるのは明白である。散骨も一つ
る妻の繰り返し言う 和田昌三
ている。外出先の歌でしょうか。暖房の
会謝絶と姉にも会へぬ 及川智香子
インフルエンザ予防に厳重の病院は面
わり面白い歌。
の事。作者は分っていても面倒臭さが伝
扱い。口うるささは家族の健康を願って
☆
の方法に思える。
添加物は食中毒の防止に役立つなど社
会貢献してる面もあるが一般的には悪者
れおり裸木の枝に 斉藤トミ子
鳴き交わし上へ下へと飛び移る小鳥群
病状を説明するに通訳をつけてくれた
寒い冬でした。厳冬と呼ぶに相応しい
冬。野鳥は寒くとも生きる為に飛び回っ
海外に住む作者。病院での通訳は有り
難い話。長い人生、海外に行く事もあろ
ある戻る家があるからこそ小鳥の群に癒
病院の立場もわかるが面会のできる環
境作りも考えて頂きたい。二度と生きて
☆
り配慮の嬉し 大滝詔子
う。事前に良いサービスは知りたい。
される。そんな気がします。
幸。新しいシステムが簡単に問題解決し
す。墓守りの為に子の自由を奪うのも不
向かい家の媼救急車に運ばれて帰らぬ
執念みたいな強さも感じる。
も多いはず。願いが叶うまで並べている
切ないヒット曲の詩の様な歌。叶わぬ
願いの数だけ片目のダルマに共感する人
☆
てくれそうな気がします。
人となりてしまえり 飯嶋久子
ぬ願いの数だけ残る 関口みよ子
片目のみ入りたるダルマ並びおり叶わ
会えなくなる事態もありえるのである。
三月は楽しい予定の目白押し顔も両手
☆
子の代で生家の墓も終わりかとつなげ
極論ですが地球と云う星自体が何時か
は消滅します。自分ではどうにもならな
ることの難しさ思う 浜田はるみ
で洗へて嬉し 東 ミチ
退院し養生中の作者。出来る事が増え
喜びと希望に溢れている作品が読む側に
も心地よい。
仮設住宅最後の大晦日の晩餐は息子得
親しくしてた近所の方が突然亡くなっ
てしまった。高齢者で仕方ない部分もあ
い事に思いを巡らしても辛くなるだけで
泣く住み慣れた土地を追われた大勢の
意のかに鍋となる 岩渕綾子
るがショックであろう。人は必ず死ぬが
散骨が当り前らしきタイの国義弟の骨
被災後、一時的に住む仮設と別次元の
仮設。自宅は無事でも放射能汚染に泣く
☆
人々。同じ場所に戻れる見込みがない場
仮設住宅から引っ越しが決まった作者
に心よりおめでとうと言いたい。被災し
だからこそ、生きる事は尊い。
汚染避難の仮設に逝きし夫の位牌小机
合は仮設と呼ぶのに違和感がある。
ても立ち直る姿は他に希望を与える。
に守る媼独りに 佐藤初雄
はパウダー状にさる 高田 光
添加物少なきものを買い来てと臥し居
☆
少子化の今、墓を守り続けるのは今後
59
作品二
カナダ 大 滝 詔 子
木島氏の「一切空」に甦る父の説きゐし「空」と「無」のこと
「空」は「無」に非ずと説きゐし父の論中二の吾には興味無かりき
あの頃の父の十八番の宇宙論わけわからずに聞き流しをり
たびたびに聞かされて来し父の論いつの間にやら吾が論となる
悶々としてゐたる時に救はれきドリスの歌ふ「ケ・セラ・セラ」に
愉しいと思へば愉し当然か「在るは己のこころのみ」なり
存分に感ずるがよし喜怒哀楽これぞわれらの 生きてる証
しつかりと見張りてゆかむ吾がこころ得体の知れぬ代物なれば
茨城 立 谷 正 男
池鴨のひいよと鳴けば大津皇子大伯皇女思ひださるる
畑になる菜の花摘みて江戸の世の蕪村の会を偲びてゐたり
落花生擂りて味噌和へ度々に父せしことを吾も行ふ
人の世の叡智を何がさまたぐる灌仏の日に霙ふりしく
垣に沿ひ花をかざせる雪柳猫が歩むに揺れてやまざる
壺すみれ紫ふかく咲きいでて山鶯のこゑにつつまる
鎌倉市山ノ内 建長寺唐門
60
作 品 二
生れいですでに色濃き黄の蝶の高きを求め草を離るる
朝夕に列なりゐたる鴨去りて池岸のもと桜降りつむ
天皇の心を如何にきくものか国会議員八紘一宇を言ふ
東京 佐 藤 初 雄
老々介護聞き馴れて居て健やかに我と経て来し妻を守るとは
陽溜まりの部屋に座椅子で居眠りの妻も老いたり老々介護
認知症と軽く構えて経て来たる我が家は父も祖父も末期は
上げ潮に堀面覆いて流れ行く夜風に散りたるさくら花びら
腰痛の通院のみに家に居て今年の花はテレビに追いぬ
卯の花の盛りの町の並木路緩やかに行く風温くければ
バスに渡る永代橋の川の面は雨の予報に輝きのなし
栃木 早乙女 イ チ
両眼の手術終りて晴れ晴れと文化会館の庭の梅見に
爽やかな紅梅白梅香りいて風通りゆく庭園歩く
築山の大木渡る鳥の声聞きつつゆっくり庭園歩く
風通る築山来れば一輪の赤い椿が小枝に映える
枝枝に黄色の小花びっしりとレンギョウ咲きて隅に際立つ
東京 関 口 みよ子
天神の梅にくりだすシニア世代車椅子にて絵筆をにぎる
リュックの端にすっくと葱の束さして揺らぎつつゆく老婦人あり
☆
☆
☆
61
風がなぶる母の白髪ささやかな感傷もちてかたわらにおり
冬風に鉢のペチュニア荒ぶ日は身を疎ませて押し黙りたり
赤黒く霜焼けの葉に包まれて静もる蕾は祈れるごとし
二目ほど目数減らして編みはじむ去年よりちいさし母の靴下
今年また大映しになる基準木の蕾に熱き視線を送る
埼玉 浜 田 はるみ
『桃苑』のピンクのキルト美しく一瞬にして気持ち華やぐ
春休み孫の世話に忙しき友と会えずに新学期待つ
姫路城四百年の歴史見て驚くべきこと次々と知る
姫路市を六割失う空襲にも凛と立ち居たる姫路城は
災いを避ける秘法の天星尺を多く用いて姫路城建つ
結婚をした方がいいよと言いつつも息子と二人は居心地の良し
埼玉 野 崎 礼 子
後任が決まればどこか気が抜けて定年という実感が湧く
一枚も残さず全てシュレッターに気持晴々最後となりぬ
涙して祝ってくれる人のあり定年の重みひしひしとくる
週三日月火水を働くと言えば友は贅沢と言う
午前九時ゆっくり味わう朝ご飯待っていましたこんな時間を
新調の背広眩しい社会人背筋伸ばして我もスタート
満開の桜と雪の饗宴を窓越しに見る不思議な風景
☆
☆
62
作 品 二
青森 東 ミ チ 一人居は誰に憚ることもなくテレビに泣いて大笑ひする
掛軸を杜甫の春望に替へながら憚りなければ腹から吟ず
労りの言葉を賜る年齢となりぬひかりの目映い四月
右の肩のやうやく回復し庭片づけて左の肩に違和感のあり
違和感の出でたる左肩検査すれば右肩同様の断裂症なり
阿弥陀とは無限の光の意味なりと五木寛之氏の解釈を聴く
陀仏とはひざまづくの意味聴き入りながら素直に頷く
温泉の効能疵によく効きて手術の後の気怠さ無くなる
岩手 岩 渕 綾 子 去年われが初めて作りたる切り干し大根ミネラル多くひときは旨し
仮設住宅に突然パトカー十台来る何事ならむただに恐ろし
鍵かけを自治会長がくり返す苦しくなれば荒ぶ人あり
震災後五年目に入りあわただし仲間はそれぞれ終の住処へ
風邪に伏せば友の持ちくる日向夏心こもれるビタミンCあり
桜花数あるなかに吾が好む小さき花びら四季さくらなり
☆
仮設店舗のプレハブ横丁にイタリアンシェフ等が競ふペペロンチーノ
三陸の誇るホタテにウニ若布調理人らの顔が綻ぶ
埼玉 田 中 祐 子
じゃがいもの種を植えつつ振り向けばところどころを夫が手直す
63
迷い込みわれに戯れ付く小型犬の二匹に庭を追いまわされる
心中に今も時折燻れる幼き頃の野犬の記憶
土手道に雲雀の声が賑わいて俯きがちのわが背押しくる
画数をかぞえ違いてまた数え辞書に漸く甕の字を読む
わがうちの仏壇に点す線香に急逝したる友を悼みぬ
東京 樗 木 紀 子
スカイツリーを見上ぐる堤に雪柳並び咲き風に白波の如し
老人会の花見大会決行と手押し車でお茶運び行く
錦糸公園へ着けども小雨やまず花見大会中止す四月四日
雨風で境内の桜一夜で散り参道の砂利花びらで埋む
江戸東京博物館の横満開の桜並木を友と通りぬ
パソコンのレシピ見せ惣菜をわれに作らせ一味足らぬと言う次男
☆
埼玉 倉 浪 ゆ み くぐまりて老婦人の押す手押車春の日何かが運ばれてゆく
幼らは菜の花畑で遊びしか顔髪服に花びらのつく
末の孫保育園児となる四月名前と歳をくりかへし言ふ
ふうはりとタンポポの絮まひあがる堤の道に春はたゆたふ
桜にて寺庭明る七、八日我の心も明るくなりぬ
ひともとの桜白々と咲きにけり私の桜ひとり見る花
春うらら花をたのしむ散歩みち沈丁の花つよく匂へり
64
作 品 二
大根のうすむらさきの花やさし四月の庭を広く占めゐて
枝枝に白あふれ咲く雪柳はるの淡雪と見まがふばかり
やはらかき春の陽差しにミモザの黄あふるるばかり綻びて輝る
☆
東京 西 谷 純 子 両岸に花溢れゐる大横川日々の移りを愛でて楽しむ
幹太く横に伸びたる老木の支へのあらず存在大き
春の風に揉まれ大きく揺れてゐる満開の花に人の集る
花冷えの風の起りて桜花一斉に散り土に消えゆく
房総より甘い香りの届きたり六色のストックに部屋の華やぐ
気の晴れぬ時は花屋に出向きたり白百合三本チューリップ五本
九十歳少し過ぎたるその方はバスと電車を乗り継ぎて来る
会を終へ別れる時は足下に気を付けて下さいが口癖となる
水源地守るがごとく大木の山桜は人の拠り所なり
畝立てた土踏み潰し遊びゐて父より常に大目玉ありき
愛知 田 島 畊 治
満開の河津桜が五本立つ公園はまだ冬ざれのなか
幼子はけんけんをして母を追う三寒四温の暖かき日に
名木と吾が名付けたる枝垂梅少なき枝に花は多なり
気温より花粉情報確かめる天気予報の視点変りて
バス停の枝垂桜の老木の緑の花芽にふるれば固し
65
お父さんお手を出してと妻に手をぴしゃりたたかる婚五十余年
青空にちぎれ雲飛ぶ寒き日の陽だまりにいて老は動かず
裸木につもる淡雪吹き散りて黒き路面に彩りをなす
農業の衰え見えるおらが町次々出来るソーラー施設
寒空のちびっ子広場に子等遊びごちゃごちゃ居りぬ二三十人程
東京 林 美智子
墨色に掻き曇る空に満開の大き辛夷の白さ極まる
桜の行事三つ程ありこの春は開花予想と天気占う
田芹摘む夫を残し抜ける程空青き国立へ桜観に行く
名のみ知る人等に会いて語らいて心尽しの桜吟行会
花見より戻れば食卓いっぱいに夫の揚げたる田芹が並ぶ
金盞花ポピーストック金魚草花畑の先に千倉の海あり
遥かより集まり連なる波頭竜の如くに走りては消ゆ
碧き波岩に砕けて潮溜りにゆるゆる入りぬ春の陽に溶け
花の名を良く知りし友の早世を思い出しつつ庭の草引く
滑り台ひとり占めなり四歳児桜散り敷く小公園に
東京 石 本 啓 子
本堂に声明とクラシックギター合同にて春の彼岸の供養なしおり
春めきて浮き立つ気分花冷えに引き籠り居てシチューに温む
☆
☆
「ターシャテューダー展」の「思うとおりに歩めばいいのよ」を反芻す
66
作 品 二
「ルーヴル美術展」に赤子泣き係が親に近付く早さ
杉村春子を偲びつつ「女の一生」を観る三越劇場
終演に夜のデパート通路のみ明るむ一階出口へ向かう
巡る生日に五十歳の次子偲び三十四歳の遺影に対う
東京 長 尾 弘 子
畦道にはこべら踏めば草摘みて粥を炊きたる遠き日思う
幼なわれ母と草摘む川岸に蝶々となりて花追う幻
春告ぐるミモザの花の溢れ咲く花屋の前に歩みを止む
春彼岸公園墓地の霞みいて桜に辛夷みな古木なり
隣接の荒れたる墓の払われて新たな墓石春日にひかる
☆
東京 山 本 貞 子 診察を待つ間は時計ばかり見る待合室は辛抱の場所
今われを呼び捨てに呼ばふだれも無し齢重ねて年長者となる
プランターに覚えなき芽が五ミリ程出てゐたり吾が留守の間に
満ち潮の水面に浮かぶ水鳥も夕日も揺れて色暗みゆく
童謡の聞える如き茜空渡る人なき橋遠く見ゆ
浮く如く卵黄に似たる月ありて厚きカーテンゆつくり引きぬ
眠れねば眠れぬままに聞くラヂオ喝采と云ふ曲流れ来ぬ
岩手 及 川 智香子 「仮設」とは従弟住みゐる家号となり四とせ過ぐるも先おぼろなり
67
高齢の夫見立てのペアルック「お似合ひです」と嫁に褒めらる
久々に河川敷にてウォーキング日和に誘はれ小一時間過ぐ
黄昏に犬を連れたる人多し桜ちかしと言葉交はして
年度末教員異動の紙面見て年々知る名の少なくなりぬ
義兄逝きて四カ月後に追ふごとく五つ違ひの姉も儚し
介護度の段階低く施設への入所叶はず姉は逝きたり
半年前吾が娘の撮りたるスナップを喪主気に入りて遺影となしぬ
茨城 飯 嶋 久 子
踊子草おおいぬのふぐり蒲公英と田の縁彩り春に入る
「水戸藩と桜」のツアーに参加して藩邸跡の幾つかめぐる
小石川養生所跡の公園は雑踏よそに花伸びやかに咲く
東大の構内に建つハチ公像博士を迎える話題のスポット
枝垂れ咲く桜見上げつつ花の歌の幾つかハミングす少女の気分に
この時期に雪降ってると娘よりびっくりマークのメールが届く
春寒に終日ストーブつけおきてりんごジャム煮る五目豆煮る
地元なる阿漕が浦公園の花見には車椅子の人集いて笑う
☆
岩手 金 野 孝 子 二泊三日の白内障手術に入院す夫ひとりの晩酌気になる
手術室のキャップにマスクの看護師ら迎ふる笑顔に男女分からず
白内障手術は易しと聞きをれど吾が手にぎり呉るる看護師に安らぐ
68
作 品 二
手術中にぎり呉るる手の大きかり男性看護師か孫の手思ふ
「終りましたよ」弾みゐるなり医師の声おのづ湧きくる安堵と感謝
父母より授かるレンズ今日で終ふ八十二歳の白内障手術
「ごはんだけは炊いておいたよ」退院の吾に言ふ夫は子供のやうに
こんなにも鮮やかなるか吾の囲り手術の眼帯とりたる一瞬
香川 矢 野 操
突風に視野をさえぎる城内のさくらふぶきの直中に立つ
外つ国へ誇れる芸術日本画に短歌和食ありほかは何かな
寝てる客を起こさず車掌は検札に横の客へと歩を進めゆく
☆
あいづちのオールマイティそこそこの近所づきあい「まあまあ」ひとつ
ちらかれる室内宝さがしして一時間後に手にする手帳
鏡台の引き出しに記事や草花の切り抜き押し込み見るはまれなる
人目ひく特技は無いが歌作りひとりのファンに妹がいる
桜 東京 高 田 光 黒き枝苔むすままにさし述べて大樹の桜花の満ちをり
花満つる千鳥が淵を彷徨ひぬ小舟を進め眺むるもゐて
白き花大島桜のまつ盛り微かなる香の林檎に似をり
向島の土手の桜を人ら愛づスカイツリーを借景にして
デッキ上げ誘ふ客に川風は風情をよそに芯まで冷やす
「花」の歌碑言問橋の橋詰めにひつそり建てば吾は歌はむ
69
はなひら
下り船伊勢崎線を抜け切ればスカイツリー映るビルに魂消る
潮の跡くつきり残る護岸の内桜花弁一列につく
茨城 糸 賀 浩 子
東洋一を誇れる牛久大仏に芝ざくらも桜もいま盛りなる
編み上げたる絨毯のごとき芝ざくら池の斜面を飾る紫
樹齢四百年我が街がほこる枝垂れ桜今朝の花いろ淡く見えたり
癌検診の結果待ちつつさくら花筑波メディカルの窓より眺む
沈丁花私の余生に癌告知墓への小径顔寄せてゆく
フラスコの中に根を伸ばすヒヤシンス娘の居ないピアノの上に
マージャンの手さばき鈍るわれの為ゆっくりゆこうと声かけくるる
地球以外の生命体におどろきて土星に熱の存在を知る
☆
☆
(☆印は新仮名遣い希望者です)
東京 伊 澤 直 子
待ちいたる『桃苑』届きひと息に読んでしまいぬ家事を忘れて
『桃苑』にわが母を詠んで下されるよい交わりの歌読み返す
『桃苑』に母の語りし旧友の名前も詠まれいてなつかしき
ありがたき母への友情冬雷を通じてわれにつながれている
地球から最も遠いという満月のおぼろに小き姿に架かる
清水の奥の院より見下ろせる巡る緑に桜の映える
町なかをガイドに従きて三時間花に歩きぬ十五カ所ほど
京都には桜の種類の多くあり貴族社会の趣残し
70
詩歌の紹介
たちやまさお詩歌集
『故郷の道』より⒂ 立谷 正男
里山道に菫が咲いている。芭蕉蕪村の名句
があるが、私は二つを浮かべる、一つは先月
も紹介したが山部赤人の「春の野にすみれ摘
みにとこしわれそ野をなつかしみ一夜寝にけ
る」、人事でも恋愛でもなくただ菫に心が奪
われていることに文学の長い歴史を感じる。
すみれ、あざみなど日本古来の言葉の響きは
あまりにも優しい。もう一つは漱石の「菫程
な小さきものに生れたし」イギリス留学の漱
石は神経を病んで帰国するが、この句は帰国
後の作という。しかし、漱石ほどの文豪がこ
のような句を作っていることに驚く、東洋思
想、宗教思想にも深く通じていたのだろう。
後年、胃病で苦しみ生死を彷徨ったという。
自分と同じ病ゆえ同情の思いが湧く。病気と
いうもの全く否定できないというべきか。家
近くに里山を守る会があり、その人達に菫の
名を教えて貰った。いずれの名もゆかしい。
三連の匂いすみれは本当はニオイタチツボス
ミレである。紫がことのほか深い。
「里山道に菫の花」
里山道に菫の花
姫すみれだよと教えてくれた
小さな小さな花だよ
誰が名前を付けたのだろう
子供が生まれたその時に
みんなで喜びつけたのだろうか
里山道に菫の花
如意すみれだよと教えてくれた
白い色した花だよ
誰が名前を付けたのだろう
願いがかなったその時に
村の人々がつけたのだろうか
里山道に菫の花
匂いすみれと教えてくれた
紫深い花だよ
誰が名前を付けたのだろう
春野に遊んだその時に
昔の詩人がつけたのだろうか
四月号 十首選
四月集 赤間 洋子
無防備に大き欠伸をしたる時据えらるる
カメラとわが目合いたり 高松美智子 ☆
年明けに種蒔く茄子の育苗箱窓辺のひだ
まり発芽の気配 中村 晴美
急降下したるミサゴは少年の放るサンマ
をつかみ取りたり 田端五百子
昼食も休憩のコーヒー手土産もホテルに
支払ふささやかなる支援 大久保修司
お手玉は高齢者のぼけ防止という端切れ
つなぎて縫う七十個 姫野 郁子 ☆
縁側に暫しまどろむ姑の顔に涙痕ありて
さびしも 正田フミヱ ☆
むづかりて泣きゐたる幼子そろそろと我
の顔みてひざにのり来る 倉浪 ゆみ
風邪に臥し『老顔』を読みて微睡めば夢
にあらわる木島先生 林 美智子 ☆
打ち直し重ねて健在吾が布団五十八年経
たる嫁入り道具 金野 孝子
歌人にも戦争責任のありしかばその轍踏
むな平成の歌壇 大山 敏夫
71
四月号作品三欄評
水谷慶一朗
☆
しばらくは耳鳴りの音聞きいたり運転
して来て疲れの激し 山本三男
かれ」が妥当か。上句は漢字、平仮名を
閉店する間際の棚は補はず次々売れて
交互に用い視覚的にも好ましい。
近へ芽生えを確かめに来るのである。五
間あきゆく 中村哲也
何の種かは分らないが春に芽生える花
の種だろうか。種を蒔いた記憶のある付
句は「春近ければ」の方が確かである。
閉店セールで売り終いの店舗の様子を
たしかな目で、そつ無く伝えている。
☆
車道にて小動物は拉げおり両耳のみが
自動車に拉げられた小動物が耳を立て
て不気味だが、轢かれても動物的反応を
山路来て黄に染まりたる銀杏仰ぐその
示して哀れ。小動物は明確に言うのが良
イチョウの樹は公孫樹、実は銀杏と示
すのが慣用手段。三句「銀杏の樹」とす
なぜか立ちいる 乾 義江
句の説明は不可。「長距離運転してきた
れば解かりよい。二句は俗つぽい表現。
自動車も長時間運転すると加齢現象な
のかよく耳鳴りがする。共感の歌だが五
る夜」等、余情を感じさせるのがいい。
い。茂吉に「街上に轢かれし猫はぼろ切
「山路くれば黄のひと色に立つ公孫樹仰
4
4
4
☆
初 句 は 不 要 句。「 来 て 立 て ば 富 士 見 通
りは名のとおり道幅いっぱいに白き富士
富士見ゆ道幅いっぱい 廣野恵子
見事なり富士見通りの名のとおり白き
上の空に雲なし 大野 茜
高齢者向けアンケート単調で病気の事
れか何かのごとく平くなりぬ」がある。
☆
げる空に雲一つなし」これで声調戻る。
と家族の有る無し 松中賀代
水草をネオンテトラがつつきゐる歯科
4
患者の視野に熱帯魚の水槽を置いて不
安払拭を図っている。下句の室は削除し
治療室椅子たふれゆく 橘 美千代
市町村で実施する高齢者を対象とする
アンケートは真にこの通り。六首目の作
共に作者の機微の窺えるおもしろい歌。
ピアニスト黒のスーツの足元にちらり
い。この場合上句との緊密性を保つため
見ゆ」に。作歌は何を残すかより、何を
て「歯科治療椅子たふされてゆく」でよ
三句は「つつくとき」等にすればよい。
削るかに腐心する事です。
と赤き靴下の美学 富川愛子
正月の門松しめ縄ダルマらがどんど焼
ピアニストの衣装は黒、演奏ピアノも
黒、もちろん靴もエナメルの黒だろう。
こんな黒尽くめの中で僅か目に留めた靴
きにて天まで上る 吉田佐好子
復興に錯綜する車輌が、譲り合う建設
現場での嘱目。下句見事な詠嘆である。
りて道造りゆく 村上美江
復興の盛り土をするトラックが道を譲
下の赤。これを美学と捉えたのは作者の
も良いが一字不足。依って「どんどで焼
☆
感性が高尚である所以なのだろう。
リ4ズ4ムよく内容上手く纏めたが、4四句
の に て は 甘 く 弱 い。「 ど ん ど 焼 き で 」 で
☆
この辺り種を播きたる覚えあり日毎来
て見る春近くして 本郷歌子
72
作 品 三
作品三
茨城 吉 田 佐好子
春と夏高校野球をチェックするひいきのチーム特になくても
何がいい高校野球で観るものは応援席と大逆転劇
流行の○○女子なる少数派親近感や連帯感生む
食べ物や趣味の好みは人単位仲間がいるとさらに楽しく
ホトケノザ高貴な名前を付けられたむらさきの花一斉に咲く
下草の一つ一つに名をつけてハキダメノキクには改名求む
歴史ある小学校の統廃合地方ニュースのトップにあがる
寒暖の差が激しくて着るものに迷う朝方春先の頃 ☆
鎌倉市山ノ内 建長寺梵鐘
長崎 池 田 久 代 やうやくに母の齢にたどりつくこれより先は感謝の日々を
病院のお節料理で年迎ふ九十五歳つつがなかれと
ベッドにてなすことのなく横になり点滴落つるをひたすら見つむ
あふむけでメモをとらむとペンを取る新品なのにインクの出でず
一日中本も読めなく字も書けぬ退屈な日々おくるもどかし
検査にて「異常なし」との診断に不安残して退院をする
73
☆
☆
リハビリに「立つ坐る」のみのけいこするひとり歩きの出来る日は何時
庭に出てお日さまの光肌に受く体のしんまでぽかぽか暖し
満開のひがん桜に目白群れ枝から枝へ花をついばむ
車椅子にて介護士さんに付き添はれ桜の下に弁当開く
群馬 山 本 三 男
リモコンの調子が悪く不快なりテレビ番組消すこと出来ず
年金が減額さるると不満言う老人の言葉離れいて聞く
高級なレストランにて気詰まりな時過ごしおり招待されて
なにゆえにサボテンの種買いたるか親木になるに五年間掛かるを
身の内に異状を感じおりたれど人間のさが楽天的か
推敲を始めんとして印刷しわれの貧しき歌と向き合う
昼時に工事の音の止みいたりわが耳鳴りは尚聞えいて
美濃部氏が都知事になりし頃われら人の未来に希望持ち居き
尻尾まで餡が詰まれる鯛焼きが当然となるせちがらき世に
突然に昼寝の夢を破られて電話のベルを聞き流しおり
高知 松 中 賀 代
落成の撒き餅拾う人の中につかの間なれど胸のたかなる
曾孫は入学祝に礼を言う背丈伸びたる新中学生
菜の花をゆらして過ぐる風やわし黄蝶白蝶ふんわりと飛ぶ
七草の芹の香りに安らぎぬ自然の恵み巡りにありて
74
作 品 三
寒暖をくり返し春の雨つづき「エアロバイク」にて足の運動
草取りをしながら花を集めては草花流と竹筒にさす
胃カメラの結果よければ久々にチーズケーキを買って帰ろう
☆
静岡 植 松 千恵子 久々に研ぎ師に出したる包丁は力入れずと切れ味すごし
沈丁花紅梅白梅木蓮と庭に咲き次ぐ春の楽しみ
卒園で先生もママもみんな泣く幼なかりし日思ひ出されて
コストコなる大型スーパーに唖然とす大量陳列と購買力に
スーパーのアメリカ方式と知らされて量やサイズに圧倒さるる
開花聞き花見に行かうと相談しやつと決まればもう散り始む
球根の五色のミックスを買ひ求めチューリップ咲けば赤と白のみ
東京 卯 嶋 貴 子
蕗の薹近藤さんより頂いて今夜のメニューは天麩羅に決む
暖かき風にのりくる梅の香のここちよく巡りの空気に満つる
春休み孫と旅行に出かけたる夫の留守にのびのびすごす
花冷えとなりてひねもす降り止まずいよいよ吾は家に籠りぬ
卒寿すぎの母より聞きぬ引揚げにソ連兵逃れ坊主にせしを
福島 中 山 綾 華 ☆
除染のあと庭に見つけたふきのとうそっと見守り折らずに咲かそう
高校の孫は合格祝の日スマホに我とアドレス交換
75
預れる子の両親は会食をしようと腕を振るった料理を運ぶ
預る子ママが迎えに来る時間二階の部屋にかくれ出で来ず
五分咲きの桜街道友と来て根本まで咲く強さを見つく
茨城 小 林 勝 子
寒の明けクリスマスローズの茎長く生けて仏の供花となしぬ
晩霜に白木蓮は一夜にして茶色と化して花終りたり
広大な敷地の中のモール街エキゾチックな店舗の揃う
公園の小山を登れば遊園地子を遊ばせ親は店に楽しむ
もうすぐに孫の誕生日欲しがりている電車のミニカーに決む
一番近きポスト撤去されわれにとり不便となりぬ今更にして
東京 大 塚 雅 子
昨年は梅干し作りに失敗し一昨年のもの大事に食べる
ケーキ屋の厨房口より転げ出た苺一粒雀がつつく
炬燵で見るファッション誌にはジーンズにシャツ一枚の春の装い
慶と弔揃えたる袱紗は幸いに弔の出番の未だ来らず
東京 永 野 雅 子
快気祝に親族集まり十六名お祝いカードを父に手渡す
沢山の馳走頬ばり賑やかに皆の笑顔に父も喜ぶ
産直の美味しい野菜の完売にチラシを作り近所に配る
心配したる客足は好調我が店の商品も売れ始め売り声を上ぐ
☆
☆
☆
76
作 品 三
産直野菜の販売終わりやり終えた充実感と疲れ覚える
岩手 佐々木 せい子
筆跡の乱れたる夫の備忘録仏間に籠りひとり偲びぬ
三人の友連れ娘の帰りきて香を焚きいる金曜日の夜
造成地遥かにのぞみ棟上げの槌音ひびく四月吉日
棟上げの五色の旗は空に舞ひ夕日に映える今日の良き日に
岩手にも桜開花の宣言あれど小雨続きて背にカイロ貼る
春嵐造成地より吹き上げて土煙高く巻きあげており
☆
☆
☆
ふっくらと百合の芽数多出でており「ありがとう」と声そっとかけやる
茨城 豊 田 伸 一
転倒し両手に添え木さるる身は飯食い出来ず妻の手を借る
三年間次々起きる身の病い御祓い足りぬか折に思案す
腕の怪我時過ぎおれど直らずに指折り数え日日過ごしおり
奥久慈の山裾ぼんやり霞みいて梅の花芽に滴が伝う
早く起きあれやこれやの思案なす案はたつれど実行かなわず
蕗のとう貰いて揚げる天ぷらは絶妙の苦み旬の味わい
眠る児がカラスの声に目を覚まし一瞬泣きて再び眠る
高知 川 上 美智子
旅に出る日を待つように雨になり行先の晴れ願い出発
機窓より眼下の雲にかかる虹心ときめき瞬きもせず
77
沖縄は桜朝顔コスモスの揃い咲きおり四季無き所
透き徹るコバルトブルー目の前に石垣の海輝き渡る
白砂は珊瑚のかけら手に掬い星砂捜す竹富の浜
旅の日の今この時を思い出に楽しかったと何時か語ろう
埼玉 星 敬 子 浅春の夕闇せまる露天風呂に吹き抜けて行く風のやさしく
うららかな春の一日を国立で桜花見る冬雷の友と
国立の大学通り歩み行く透き通る春の息吹を受けて
やはらかき桜の花にあまねかる今日の光のほとほと眩し
リビングに季節はづれのポインセチア真赤に斑入り誇らかに咲く
宮城 中 村 哲 也
解体の現場に舞へる土埃わが目に入りて斜めに歩む
並びをる紅梅白梅を目にしては狭き路地にも春確かなり
平成の生まれの子らの歌ひたる「春一番」は今も新鮮
コート手に黒きタイツにスーツ着て歩む女に春の陽の射す
朝は雪昼の晴れ空午後の雨三月末は天気も忙し
事務職のひと日の始め宅配の弁当業者に二個の注文
☆
日常の荷受け作業は型式にメイド・イン・チャイナの文字まで見入る
蛍光灯のあかりか春の日差しかが静もる午後の事務室照らす
茨城 木 村 宏
78
作 品 三
午后の陽に伸びたる牡丹の葉を透きて光る薄紅の莟堅かり
真紅なる芍薬の芽の賑やかに庭に伸びれば匂う花待つ
曇天に雨をふくみて静もれる桜の花の器量良きかな
水仙の如き可憐な娘御の成人式に歌を贈らん
牡丹芽の伸びる勢い盛んなり朝々気付く一センチほど
満開の雪柳低く枝垂れいてチューリップの蕾紅くふくらむ
用水に沿いてほんのり薄紅の陽光桜野面染めおり
花のなく草の伸びたる奥津城に彼岸をすぎて風の冷たし
栃木 川 俣 美治子
もやっとした霧雨の後どこからか春の匂いを運ぶ風あり
大好きなメロディー耳に熱々のコーヒーを入れる日曜の朝
夜の庭車の止まる音のして今日も事無く帰る人あり
窓からの沙羅の芽吹きが見える席に季節の移ろい語らう夫婦
弁当の袋に入った楊子入れ父の形見の箱根のみやげ
まったりと過ごす休日久々にいつものお茶を濃いめに入れる
パラパラと桜の時期に雪が舞う冬と春とが入り交じるまま
ブーツからスニーカーへと替えた日は軽やかな身で春の日を行く
さ 東京 廣 野 恵 子
ん だ
三田より四時間半の道のりを大丈夫だと孫一人来る
神田川橋の上には人あふれ満開の桜に負けぬ喚声
☆
☆
79
満開の桜をつつむ春の空ひざし明るく雲ひとつなし
上着ぬぎ春のぬくさに味わいぬつばきれんぎょうしゃくなげスミレ
冷え込みに障子を開けて納得す桜の花に雪つもりおる
毎日がなに事もなく過ぎる事ありがたいのだまた友逝きぬ
年初より訃報つづきのこの春は花の便りにも心はずまず
人生は地に足つけてと願いつつ心複雑息子の転居
愛知 鵜 崎 芳 子
冬を越したパンジーの花我庭に色とりどりに次々と咲く
いつもの通る土手の道に草芽吹き紋黄蝶一つひらひらと飛ぶ
道端に濃い紫のすみれ草見つけて心はなやいでゆく
待ちわびた春と思うに寒気来て片づけた湯たんぽもう一度出す
食事会から帰宅したとき病院から入院日時の知らせのとどく
青空の下並木の桜色あふれる心なごみて病院へ行く
☆
神奈川 大 野 茜 百舌憎しポリアンサの鉢選ぶらし盛りなる花を啄み尽す
冬枯れの庭にしやがみて眼を凝らす霜置く土にも芽生えの見えて
金魚屋の硝子戸越しの水槽に出目金泳ぐをひととき眺む
脳検査の大音響に驚きて落着かねばと短歌を作る
日銀は量的緩和と紙幣刷る紙切れとなる心配は無きか
奈良 片 本 はじめ 80
作 品 三
三月ぶりに君より面会に来て欲しの電話に入院を知る
面会に行きて驚く心病む君げつそりと老けて白髪
心病む君のメールが日々届く施設の暮らし辛しと告げて
大量に頭髪抜けたると施設より君泣きさうな夜中のメール
礼拝に新たな力身に享けて皆帰り行く明日に向かひて
握手して下さる牧師からパワー受け我が胸中に泉湧きたり
跳び跳ねる如く全身使ひつつ女性牧師は笑顔にて説く
岩手 村 上 美 江 一日中暗い空より降る雨は桜のつぼみにしきりに当たる
春なのに気温の上下はげしくて体の調子いまひとつなり
演芸のラジオの音量ひと目盛り大きくしては落語に聴き入る
啄木の生活しのぶ盛岡のりんご畑の空の高さに
指先の節くれなどをなでながら妹と語る母を見てをり
和風とも洋風ともかたよらず便利さ求む引き戸の取つ手
かうすれば良くなるきつとと話されて半分受け入れ半分黙る
茨城 篠 本 正 ☆
農に悩み決断せしか埋められし田にソーラーパネルの並べられたり
あかときに飛行機飛び来るわが里の騒音問題慣れて騒がず
曲らむと止まりておれば対向車ピカッと呉れるやさしき照明
脱水の終わりて見ればTシャツはタオルにまかれて硬直のさま
81
ししむらの頑健なる君がはやはやと病みたる吾より先に逝くとは
屠殺場に向かうトラックの荷台には息を潜めて豚の相寄る
ライフライン身のしまる良き言葉なり水にかかわり三十五年を過ぐ
林檎の木に凭れる老人われに聞く「林檎の栽培やる人いぬか」と
妻を連れて末期の友はスイスへと旅ゆきにけり青あらしの日
☆
岩手 斎 藤 陽 子 棚に置くうさぎと熊のぬひぐるみ向ひ合せにす語りあへよと
甲子園高校野球開会の日孫は自校に練習試合
一人息子亡くした友と行き合ひて手をにぎりあふのみ涙こぼしつつ
歳月とは不思議なるもの短くも長くも思ふ津波から四年
川岸の桜の並木ジャンプする準備のやうに蕾ふくらむ
被災したる町に工事の車多し元の町にはもどせぬ工事
温和な人やさしき人と慕はれし友が逝きたりある朝突然
東京 永 光 徳 子
カタクリは斑模様の葉の中に薄紫の一花を開く
春先の庭埋め尽す黄なる花ヒメリュウキンカ年々に咲く
春風に幽かに揺らぐ小さき花ひとりしずかと義母に習ひぬ
のらぼうは多摩の地域の野菜なり一束求め春を味わう
満開の桜並木に集う人皆笑顔にて仰ぎ居るなり
姉は早十三回忌逝きし頃は雑踏の中に面影追いぬ
82
作 品 三
子供等に迷惑かけず生きたいとジムに通いて身体鍛える
東京 山 口 満 子
府中市の駅前フリーマーケットで友人の出店ブースを探す
久しぶりに会った友人のブースには色とりどりのデコアート並ぶ
☆
☆
紙粘土作りの生クリームと菓子に飾られたシュガーポットを土産に買いぬ
去り際に一人残る友は「また会えるよね」と寂しげに念を押す
☆
ピンク糸のデコアートのシュガーポットを小物入れにと義母に贈りぬ
デコアートのシュガーポットを喜んで義母は飴入れに使うと笑う
長崎 野 口 千寿子
散歩道の地獄坂にてちとやすむ鶯鳴けど姿はみえぬ
海沿いに人間魚雷殉国碑あれば祈りぬ歩みを止めて
里山に紫式部の花ありて遠き日の恋に思いを馳せる
カナダ ブレイクあずさ
木蓮も木瓜も桜もいっせいに押し寄せてくる北国の春
移住せし春に会いたる野良猫が家族に加わりはや十一年
カナダ猫もわれと暮らして長ければごはんごはんと日本語に鳴く
痛む手のおきどころなく過ごす夜に小鳥の歌を待ちわびている
リハビリにわが師の選ぶモーツァルト短いソナタをゆっくりと弾く
(☆印は新仮名遣い希望者です)
とピアノに向かい友は弾くわが諦めし五声のフーガを
"For you."
焼きたてのショートブレッドほおばって懐かしい味と夫は喜ぶ
83
■冬雷短歌会文庫を読む
現実と過去との往復
歌集『四百マイル』
橘 美千代
殊更に里の言葉を使ひつつ母と語りぬ古
帰還を繰り返していたのであろう。
き日のこと
展示館に見る
一つづつ包まれ届く秋茄子の母と植ゑた
訪ふ日知らせてやればその日まで生きて
る土の匂へり
自転車を軋ませ日暮に来る姉を母は待つ
居ますと母は答へ来
らむ逝きたるのちも
父母は故郷の象徴。故郷の土の香のする茄子
に作者は癒やされ活力を取り戻したのだろう。
日記帳五年綴りを使ひ始む忘れたき事書
れて、何とも言えない淋しさが漂う歌群。亡
かずにおかむ
きぬ山菜レシピ
くなったお姉様の自転車の音が今にも聞こえ
舞台の上にスポットライトを浴びる人に纏
われてひときわ華やぐ、溜息が出るほどに美
しいドレス。あこがれのドレス。作者はその
陸奥の山菜包む新聞に歌壇欄あり皺のば
気丈な母君であったが、年齢による衰えか
らは逃れられないようだ。母と娘の情があふ
舞台用のドレスを仕立てる技術者であった。
し読む
独活の芽と野蒜を買ひてバス停の媼に聞
祈りにも似るか一瞬目を閉ぢぬ高価な布
仕事の歌以外にも心惹かれる歌が多数あっ
た。作者にも記憶から消し去りたいような辛
リル七百メートルを越す
を歌った二首。鄙のお婆さんの山菜レシピを
無かった事にと。旅先でのほっとする一コマ
い出来事があったのであろうか。五年先には
長ながと縒り絎けしたる指先を湯船に広
ぼこと波打ちてゆく
息かけてシフオンの地の目正す時布ぼこ
シャッペの糸の食ひ込む
幾重にもドレスのギャザー重ねゆく指に
て来るようでせつない。 をカットする時
荒るる手に六匁シフオンのドレスなど仮
筆者も知りたい。この状況、新聞歌壇を確か
わが終の仕事と思ひカットする六段のフ
縫出来るか危ぶみてをり
農継ぐと決めたる孫に吾が父は山の木を
ト レ ス が あ っ た で あ ろ う。 そ の 心 身 の 疲 労 を 癒
直しは効かない。時間も限られる。相当のス
フリルとは。舞台衣装の壮絶さ。しかもやり
過去すなわち故郷へ、優しかった幼年期への
の自然な言葉の流れが生きている。現実から
持ちが晴れ晴れとなる。上の句から下の句へ
歌集の題ともなった一首。飛行機で帰省す
る作者の浮き立つ心が読む側にも伝わり、気
近し四百マイル
この空を幾たび飛ぶか待つ母の在ませば
に読むだろう。歌詠みであれば。
して。 を、会社に残して去る。おのが存在の証しと
時が来た。在職中つねに愛用していた道具類
その手から、技を極めた舞台ドレスをあま
た生み出した作者であったが、ついに退職の
消して会社に残す
カーブ尺メーター差しに小物差し名前を
げ揉み解しやる
いつも真剣勝負として仕事に取り組む作者
であった。それにしても七百メートルを越す
売りコンバインを買ふ
やして く れ る の は 故 郷 、 そ し て 父 母 で あ っ た 。
懐かしき父の筆文字土佐狂歌十首並ぶを
84
序文は外塚喬氏。刊行は平成二十六年三月十
とに第一歌集『苺とミルク』を出版された。
り。作品も千四百首ほどになり、それらをも
会して休むことなく作歌に励んで十六年余
穏やかで暖かい空気に包まれた作品。幸せ
なひと時が捉えられている。
われにつきあふ
母さんの誕生日なりと青年は夏めく街を
の中ゆく川沿ひのみち
風が手にのつてゐるといふをさなごと風
てみどりごを抱く
一夜にして母に変身したる娘が母の顔し
ら読み取れる。
みを持って前向きに取り組む様子が作品群か
ているらしい。四首目は豆腐の販売。意気込
要だ。作者は様々な業種の販売の経験をされ
出来る。こうしたメリハリが働く人間には必
弔ひに行けざりしわれに亡き父の逢ひに
伝わる。
もろもろの不安はパジャマのポケットに
蔵ひて眠れ入院の夜
リハビリに燃ゆ
一刻の己れはなやげ朱の水着水中歩行の
られない。平成二十六年三月二十八日刊行。
けられる。一日も早いご快癒を祈らずにはい
抜いてゆく強靭な力を感じて、読者も勇気づ
い。どんな状況にあっても希望を失わず生き
思う。歌集には病との闘いを詠った作品が多
を続けることはどれほどの困難があったかと
編 集 室
日。
眠ればまた明日には力がよみがへる今ま
来ませり未明の夢に
短歌との出会いは友人が出版した歌集を手
にしたのが切っ掛けだという。『朔日』に入
■森安千代子歌集『苺にミルク』
売り上げにノルマなけれどここまではと
でがさうこれからもきつと
娘は母のごとくわたしは子のごとく合は
るわが家に戻る
一年の長き時間を病み終へて夫や子らゐ
病気に対する様々な不安もあろうが、それ
らに負けず、自分自身を励ましている様子が
目標を決めて仕事にかかる
(朔日叢書第八十九篇 現代短歌社刊)
明るく力強い作品で励まされる。歌集巻末
に置かれた一首。さらなる前進を期待したい。
く位置に並べ変へたり
社員食堂の百人を越す中にゐて一人にな
ぬ歩調に人込みを行く
家族とは真水のごとしと思ひたり零さぬ
なと言へり若き姿に
■高田明美歌集『紅あかり』
るための本を離せず
やうに身を寄せてゐて
ス短歌会」に所属、長く病む明美氏を助けて
闘病生活を支えてくれた家族。温かく心に
染み渡る作品である。
豆腐の浮く八度の水の心地よしパート勤
こられたが重い病で亡くなられたという。心
めに初めての夏
まず仕事をテーマにした作品に心惹かれ
る。担当の仕事をいかに進めていくか、真摯
の支えであった夫君を失い、自身の闘病生活
亡き夫が両手をひろげてここまでは来る
な姿勢や意欲が一、二首目に感じられる。三
「朔日」に所属する著者の第一歌集。外塚
喬氏の序文によると夫君も歌詠みで「コスモ
売れゆきのよき商品を客の目のよくとど
歌集 / 歌書
御礼
首目、昼時にはひとりの自分に立ち返る事が
85
杖をつく人も車椅子に乗る人もみな生き
てゐる光の海に
ている。四首目、五首目は夫君と登られた利
尻富士での感慨。大切な思い出の登山である。
ク母の最後のテレフォンショッピング
動き、母への溢れるような愛が感じられる。
心に沁みる母の歌。闘病の時期の二首と亡
くなられたのちの二首。作者の細やかな心の
釘をふんでゆるゆる薄くなってゆくタイ
母の目とわが目が鏡に合図する小さき美
容院に座る二人は
ヤのごとし何もせぬ日は
いりの舎刊)
一斉に泣き出す二人児あやしたる吾娘よ
冷蔵庫は食物保存専用のロボットにして
(朔日叢書№
若き日の己を見たり
ときおり唸る
手触りよきキッチンの暖簾に生れ変るう
■湯川邦子歌集『利尻富士』
す紫の母の着物は
平成九年刊行の『葱坊主』に続く第二歌集。
著者は歌歴も長く、「あるご」編集同人の要
職を務めておられる。平成九年十月から平成
公園の足湯につかるもつからぬも春は伊
東のうららかな午後
藤棚に藤は盛りを過ぎたればつるの先よ
り光のしずく
自在な表現が楽しい。日常や旅先の情景に
してもこの作者独特の捉え方があり、読者も
息をすること静かに終えてこの世からい
心を遊ばせることが出来る。
二〇一三年春までの作品を中心に収録。著者
なくなりたり夫の母は
二 〇 〇 五 年 刊 行 の 第 一 歌 集『 黒 砂 糖 』 に
続 く 著 者 の 第 二 歌 集。 二 〇 〇 四 年 秋 か ら
■今井千草歌集『パルメザンチーズ』
(あるご叢書第五十三篇 現代短歌社刊)
二十五年九月までの作品の中より四七八首を
収録。夫君の定年後はじめて二人で登った山
が利尻富士ということから歌集名とされた。
平成二十六年二月四日刊行。
入り江なす伊豆多賀の海光りたり朝の車
中のぱつと明るむ
は「短歌人」編集委員。平成十四年三月五日
に会いに行くなり
のめぐりに音符となれり
入院を楽しきことのように言う母の声な
義弟が亡くなりてより十と六年姑は息子
よ山も微笑む
何にしても身近な人との別れは悲しい。旅
立った人の思いを汲み取った作者の優しい人
刊行。
蝦夷松に蔓紫陽花のからまりて利尻樹林
り新緑まぶし
柄が出た歌。
帯に命光れり
の母が夜更けに電話掛けくる
詩心があってほのぼのとした一首。歌集名
雪の野をさらにふりつむゆきのようパル
段ボール箱にブルックスコーヒー三百パッ
メザンチーズシチューにふるは
見覚えのなきものばかり和箪笥の母の着
「 痛 い 」 と は「 寂 し い 」 の こ と 末 期 の 癌
る六時間
旅行詠と思われる作品から抄出。一首目、
心が弾むような下句への展開が爽やか。ニ首
目、三首目も下句がユニークで詩情があふれ
物のあれやこれやは
利尻岳山頂に立ち握手する夫と汗かき登
やはらかき陽光あたる身延線さくら並木
露天風呂に雨の落ちきてほつほつとわれ
ほんのりと心が温かくなる作品である。今
後の作品も楽しみに待ちたい。
90
86
「パルメザンチーズ」の語感が優しく響く。
り添ひ希望の光が見えるまで苦しい日々を過
い治療を受けなければならない。幼い孫に寄
『 ゼ ロ 地 点 』 に 続 く 相 良 峻 氏 の 第 二 歌 集。
二〇〇七年一二月から二〇一三年一二月まで
■相良 峻歌集『光る冬闇』
点かとも思っています。心を軽くして、次の
な言葉で直截に心を表出することは、歌の原
磯田ひさ子氏の第四歌集。あとがきに「平明
なる。
母の言葉を一首に詠み込むことで病む母に
接する悲しみが自然な形で表現され胸が熱く
なでつける母のなすままにをり
「生きてるね生きてゐるね」とわが髪を
た月ぶりのわれに母の言ふ
「あらお前死んだんぢやなかつたの」ふ
ため息に吐き出しきれぬ鬱積が身のすみ
の世界は作者独自の歌の世界となっている。
おしいものであると述べておられる。その心
じけそうになったが、それらの歌はそのとき
出す作業は、自己嫌悪をともない、幾度もく
がきで著者は、過去の作品を読み返して選び
の作品の中から四〇〇首を収めている。あと
ごしたことが歌の背景に感じられる。
(六花書林刊)
ステップに向けて楫を切るつもりです」と述
亡き母の便り出でたりたつぷりと運びし
■磯田ひさ子歌集『還る』
べておられる。歌集名は幼い孫が重い病気に
ずみに白く根を張る
二〇〇九年春から二〇一三年冬までの作品
から四一二首を選んで収録。『猿若』に続く
罹り闘病の末ようやく快方に向かったこと、
筆にあらあらかしこ
われに似る天然パーマの孫の髪くすりに
刊行は二〇一四年三月二五日。
取り戻せることを祈って『還る』とされた。
被災した人達が一日も早く元のような暮しを
セザンヌの筆の運びを語りつつ夫と海風
ことも間遠になりぬ
一人つ子ゆゑに家業を継ぎし夫絵を描く
れて人に押されて
地の底のみなとみらい駅を出づ風に押さ
り、面白いと思った。なんとなく現代人の孤
コンビニを素材とした作品は多く読んでき
たが、これはこの作者ならではの捉え方であ
コンビニはあり
集魚灯さながら光の網拡げ夜の道の辺に
して見えないものを詠っていて印象深い。
のひらにあとかたもなく
わき水に掬わんとせし木漏れ日はわが手
どきの心の世界を写し取ったものであり、愛
最愛の母が認知症を患ったが天寿を全うして
健やかなりし日の母の手紙が目の前にあ
る。懐かしくも嬉しい思い出の便りであろう。
負けずほはほは残る
に吹かれて歩む
独感のようなものも感じる。
この世を去ったこと、そして東日本大震災で
身の傷も心の傷もほんたうの孫の痛さを
小題「海風」より。ゆつたりと夫婦の時間
が流れている。作者の心の優しさが出ており
なき寒き手のひら
心の中に重く在るもの、そして求めようと
しても求められない儚いもの、実際には形と
われは知り得ず
大切なひとときが温かく詠まれている。
退院を果たしし孫との合言葉「今は泣い
炭の火に指先かざすもう君に触れること
てる場合ぢやない」
(地中海叢書第八七八篇 ながらみ書房)
幼い孫が病むという現実。病気を乗り越え
るため、つまり生きるためには、様々な厳し
87
の骨格崩さぬ
葉のすべて落として寒き街路樹の欅は欅
輪 人おもいたり
六十七歳の花を見ずして逝きたれば君の
てくれし それで良いですか
できぬことできるやうになる日日を残し
亡きひとのよわが戸たたくか春疾風吹きあ
は白みたり
れてゐて夜
月二十一日。後記執筆古賀多三郎氏。
の幾つかをあげたい。刊行は平成二十五年七
るのを感じる。なかでも特に心に残った作品
切り取った折の心情が作品の奥深く流れてい
千百三十三首を収録。膨大な作品群のどの一
身は時を積む砂時計はらはらと脳細胞は
まなざしかさねて仰ぐ
過りゆくわれにひかりを降りこぼす寒の
ときは心の中の夫君に語りかけながら。
朝光に方位感なき高速道路ひたすらに行
咲けるふたつくれなゐ 「二月雑詠」
この園を歩みて冬の薔薇も見き枯れつつ
黒川朝の潮のぼり来る 「夕べの光」
ビルディングの裏側に生活の汚れ見え目
連にも作者の生命の呟きがある。一瞬一瞬を
こぼれゆきたる
夫君が急逝され、その深い悲しみの日々を
経て作者は少しずつ立ち上がって行く。ある
戸の網をくぐり覗けるつるばらの紅き一
ものの順錯誤している母のなか錯誤なき
捨ててある鉢にこびりつく土をケッセラ
モクレン花の芽あまた
なり滅びへの時針
セラセラ指に拭いぬ
押されてとあったが、ご快癒をお祈りし、ま
とがきにこの歌集出版は再発した病気に背を
向かう姿、いずれも読む者の心に沁みる。あ
身をかたむけ一歩の足をふみだせり氷河
も草木も伏して逆らはず
これの世の風のあつまるパタゴニアひと
ひと日の北陸逍遥
思ひ残すことなくめぐれと夫のこゑ秋の
明日のため担当トラックの燃料の確保に
支へてありき 同
薄明のビル街に残る闇淡き風景もわれを
つくづくと思ふ 「生きてゐるゆゑ」
掌に残さるる風の感触も生きてゐるゆゑ
くアクセル踏みて 同
人を思う歌、透徹した目で捉えた街の風景、
病む母への眼差しの深さ、そして人生に立ち
たさらなるご活躍を願うものである。
を渡る風に吹かるる
(行路文芸社刊)
折に触れて作者を元気づけてくれるのは夫
君の声かもしれない。作品には力強さと明る
さがある。どうぞ前進を。 (短歌
世紀刊)
(以上担当 桜井美保子)
荒るる色となる 「冬の薔薇」
折々に驟雨のありて渡りゆく江戸川の水
る道を走りつつ 同
東京はこんなに暗い町なのか今にして知
並ぶ午後の二時間 「ここの一隅」
■染宮千鶴子歌集『青き大氷河』
■奥山善昭遺歌集『冬の薔薇』
(六花書林刊)
「短歌人」同人、染宮千鶴子氏の第三歌集。
二〇〇七年に夫君が急逝し、その後の七年間
平成二十四年七月に逝去した奥山善昭氏の
歌集で平成十年一月『短歌 世紀』創刊号か
ら平成二十四年八月号までに発表した全作品
21
の作品をまとめて編まれた歌集である。帯文
執筆三井ゆき氏。刊行二〇一四年三月一六日。
意識なき夫のてのひらさすりしより朝の
わが手の冷え切つてゐる
21
88
戻りますので又、ご協力、ご支援
▽帰宅次第ぼつぼつ日常の仕事に
ら何とぞ御休心下さい。
五月九日は退院となるので他事乍
▽この様な日を二週間過ごし明日
いて歩く患者の姿になる。
ぬ位の点滴台を何処に行くにも曳
▽落ちているのかいないのか分ら
が入り忙しい。
三週間の入院。毎日あれこれ検査
耐えられない苦痛ではないが期間
洲病院宛の紹介状をもらい、救急
▽少し体調を崩し昭和大学江東豊
てくるものを柔らかな言葉で表現
い仕事に就かれてその中から見え
男子三人を育て、介護という厳し
▽今月の三十首は高松美智子さ
さと大切さを考えさせられます。
含めた歴史を正しく引き継ぐ難し
が思い出されます。同時に言葉も
の緊張感に満ちた例会のことなど
と太田行蔵先生を思い出し、当時
る「し」と「たる」を読んでいる
を休めて頂きたいと念じています。
しました。暫くはゆっくりとお体
が主の居ない部屋の寂しさを実感
正などの作業をさせて頂きました
守の発行所をお借りして発送、校
に至らずほっとしています。お留
院できることになりました。大事
歌集なども寄贈されることが多い
さまでとても少ない。外部からの
に責任者の大山が謝ることもお陰
仕方ないという気持だ。エラー時
も行き届き、これで誤植発生なら
ん。佐野支部で活躍されています。 なあというような細部のチェック
る。 病 名 は「 う っ 血 性 心 不 全 」。 ▽編集長が力を籠めて書かれてい
ベッドに横たえられ急遽入院と決
されています。
が、名の通った会社の作る物でも
秀だということ。よく気がついた
は、冬雷の校正スタッフは実に優
▽こうした中でつくづく思うの
居るところ。
ちらは五月末には下版を目差して
雷の113人』の仕事もある。こ
ない。並行して記念合同歌集『冬
れているという気持から抜けられ
何らかの作業があり、追いかけら
たでしょうか。身近な所で若葉を
行楽日和が続きました。楽しまれ
今年の大型連休は好天に恵まれて
磯田ひさ子様・田端五百子・
▽寄附御礼
歌を作ってほしい。 (大山敏夫)
ぱいの三十首。今後も確り自分の
▽高松美智子さんの、誠実感いっ
行きたい。
……」のなかで、おいおい触れて
添えている「あらためて読み直す
感じさせる裏話も豊富。わたしの
の下書きめいた部分とか、背景を
あって、懐かしかった。『四斗樽』
が、幾つかは自分も貰った記憶が
配られ先生の講義を聴く訳である
来た。毎月の例会の後に参加者に
ってきます。 (小林芳枝) た国語の勉強会の全資料を(保存
▽月刊雑誌をやっていると毎日が 状態良好)川又さんからお借り出
見ているだけでも気持が明るくな
飯嶋久子・匿名一
た。実は当時太田先生が行ってい
きり観える年齢にわたしもなっ
見えなかったことなども今ははっ
に読んでいるところだが、当時は
編 集
後 記
▽ お 互 に か ら だ あ っ て の も の だ ね。 ▽皆様に御参加頂いた合同歌集は
の程願います。
現在最後の校正作業に入っていま
日㈰午後一時
夏 に も 向 か っ て い ま す。 ご 家 族 共 々
結構誤植は見受けられる。
うに気を引き締めて当たります。
すところ一回だ。久しぶりに熱心
▽『四斗樽』の連載は三回目で残
一階第五会議室
豊洲文化センター
▽冬雷例会 6月
す。見落し見間違いなどのないよ
▽四月十七日、川又さんは緊急入
▽寒暖の差のはげしい春でしたが
編集後記
大切に過ごしましょう。
(川又幸子)
院されましたが無事に回復され退
14
≲冬雷規定≳
て必ず同じ歌稿を二通、及び返信先を表
の下に☆印を記入する。 一、無料で添削に応ずる。一通を返信用とし
一、会員は本会主催の諸会合に参加出来る。
記した封筒に切手を貼り同封する。原則
一、会費を納入すれば誰でも会員になれる。
一、月刊誌「冬雷」を発行する。会員は「冬
として一週間以内に戻すことに努めてい
かかるので厳守のこと。
∧ メールでの投稿案内∨
るようにする。選者間の打合せに時間が
実際の締切日より二、三日早めに到着す
しないことを方針とする。 一、各所属の担当選者以外に歌稿を送る方は
もある。特に作品一欄は基本的に添削を
るが、選者によっては戻りが遅れること
雷」に作品および文章を投稿できる。た
だし取捨は編集部一任のこと。
一、会費は月額(購読料を含む)次の通りと
し、六か月以上前納とする。ただし途中
退会された場合の会費は返金しない。
普通会員(作品三欄所属) 千円
作品二欄所属会員 千二百円
作品一欄所属会員 千五百円
維持会員(二部購入分含む)二千円
購読会員 五百円
会費は原則として振替にて納入すること。
紙が二枚以上になる時は必ず右肩を綴じ
して希望する選者宛に直送する。原稿用
型を使用し、何月号、所属作品欄を明記
る。 原 稿 用 紙 は
一、歌稿は月一回未発表十二首まで投稿でき
≲投稿規定≳
判二百字詰めタテ
きいデータは、それが何か解るようにタ
のメールでも送信可能だが、文章等の大
場合は通常のメール本文又はケータイで
色を付けたりしないこと。分量の少ない
に 分 断 し た り、 余 分 な 番 号 を 付 け た り、
こと。頭を一字分空けたり、一首を二行
首ずつベタ打ちにして、行間も空けない
ご相談に応ずる。その場合は、白地に一
ウイルス対策は各自に於いて厳守する。
イトルと「拡張子」を付けて添付する。
ること。締切りは十五日、発表は翌々月
し て い る( ご 連 絡 下 さ い )。 他 の 選 者 も
一、電子メールによる投稿は編集室にて対応
E
号とする。新会員、再入会の方は「作品
三欄」の所属とする。 一、表記は自由とするが新仮名希望者は氏名
B
5
発 行 人 川又 幸子
編 集 人 大山 敏夫
データ制作 冬 雷 編 集 室 印刷・製本 ㈱ローヤル企画 発 行 所 冬 雷 短 歌 会
135-0061 東京都江東区豊洲 5-3-5-417 TEL・FAX 03-3536-0321
振替 00140-8-92027
ホ ー ム ペ ー ジ http://www.tourai.jp/ 頒 価 500 円 D C B A
E
《選者住所》大山敏夫 350-1142 川越市藤間 540-2-207 TEL 049-247-1789
川又幸子 135-0061 江東区豊洲 5-3-5-417 TEL 03-3536-0321
小林芳枝 125-0063 葛飾区白鳥 4-15-9-409 TEL 03-3604-3655
2015 年 6 月1日発行