2015 年・10 月号

二〇一五年十月一日発行(毎月一回一日発行) 第五十四巻第十号 (通巻六四四号)
2015 年・ 10 月号
十月号 目次
冬雷集………………………………………川又幸子他…
十月集…………………………………小久保美津子他…
作品一………………………………………吉田綾子他…
作品二………………………………………大滝詔子他…
作品三………………………………………池田久代他…
今月の 首 (継ぐ)…………………………………大塚亮子…
カナダ
短歌
(眠り)…………………………大滝詔子…
『四斗樽』以後の土屋文明の歌⑴…………………大山敏夫…
八月号冬雷集評……………………………………小林芳枝…
八月集評……………………………………………赤羽佳年…
八月号作品一評……………………冨田眞紀恵・嶋田正之…
八月号作品二評……………………桜井美保子・中村晴美…
属作品欄選者への投稿に変更する。
○ 現在川又選を受けているその他の方は、規定の所
大山敏夫〈
八月号作品三評……………………水谷慶一朗・関口正道…
八月号十首選……………………………哲也・綾子・夫佐…
八月集十首選………………………………………林美智子…
詩歌の紹介 〈『故郷の道』より〉…………………立谷正男…
合同歌集「表紙カバーについて」追記…………関口正道…
*冬雷の選者は作品一欄を大山、二欄を小林、三欄
*個人の我儘な判断は、会の運営の妨げともなりま
す。徹底を切にお願い致します。( 冬雷短歌会 )
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題字 田口白汀 表紙絵《唐辛子》嶋田正之 / 作品欄写真 関口正道 /
72 60 59 58 58 57 44 28 19 18 17 14 12 62 46 30 20 1
再びのお願い
選者川又幸子氏は、退院後周囲を驚かせる回復力をみ
せて、ほぼ入院前の体調に戻りつつあり、冬雷としても
心強いことであります。
しかし齢 という御高齢や、今後の健康的生活を考え
る上でも「 ねばならぬ仕事の軽減 」は緊急課題です。
そういう声を重く受け止め、話し合いの結果、即可能な
対応として、左のように決定しました。
1 川又幸子選は、作品三欄所属の手書き原稿投稿の方
に限定する。
○ 現在手書きで投稿されている方で、電子メールを
利用出来る環境の方には、左のどちらかのアドレス
に投稿を切り替えて下さるようお願いする。
87
歌集歌書御礼……………………………………(編集室)…
小林芳枝〈
を川又責任と定めております。
〉
[email protected][email protected]
30
to
96
冬 雷 集
冬雷集
東京 川 又 幸 子 知り人の正式遺言にて授かれる土屋文明の色紙一葉 群馬訛にて講義さるる万葉に休まず通ひきお茶の水まで
明大の講義のあと女性一クラス教へ給ひき土屋文明
週一度亀戸お茶の水間通ひ来て土屋文明の万葉を聴く
年齢差三十年の文明と生日同じ死したるのちも
平均寿命女性世界一の日本に更に十年加へ生きをり
秋海棠をつまらぬ花と言ひましき植物歌人と言はるる文明
國男さん重く病むとぞ冬雷にあひるに賜びし恩義の篤さ
遠く病む國男さんを思ひあひる解散を早まりしかと己を思ふ
しびれゐる浴後の脚をいたはりて湿布薬貼る効果をまたず
東京 小 林 芳 枝 古稀といふ日より過ぎたる一年を思ふ明日は七十一歳
合鍵で入つてゐてねとメールあり訳は尋ねず「了解」と打つ
夏休みは小二の少女の自立どき鍵かけて学校のプールに通ふ
昼食はいつも同じと言ふ少女ひとり食べゐむ母のおにぎり
安曇野市 碌山美術館
1
甲高く三階の母を呼びゐたる少年は二児の父となりたり
鍵開けて一人の部屋に入るときほつとするこの感じ何時から
啀み合ふ隣人のゐてベランダに出るのにも緊張するのだといふ
ゆつくりとワイパー動きゆふぐれのフロントガラスに扇面ふたつ
東京 近 藤 未希子 気温の変動はげしくて七月初めコスモスは小さき花を咲かせたり
丈低くコスモス咲きて哀れなり小さき花は黒くしぼめる
まつばぼたんの花は大き八重咲に広がり我をよろこばす
物干場の天井に蜂の巣らしきは丸き形に細き口が下に付きたり
庭木の手入れに来たる人が徳利蜂の巣と教へくれたり
出入りする蜂は見られず茶と黄の美しき出来映え飽かずながむる
知らぬ間に徳利蜂の巣が出来て何か楽しき気分になりたり
数日後一匹の蜂が飛び来たり細き口より入りゆきたり
神奈川 浦 山 きみ子
久々に乗りたる電車「大船」に停まりて観音像仰がしむ
駅頭に長男夫婦手を上げぬ共に一夜の旅楽しまむ
男の孫ら成長したれば加はらず大人同士の旅楽しまむ
夏の日の午後の街並みゆるがして曇り空より雷鳴ひびく
川越の高速道路に入らむとす低き雲より打つ雨太し
夕立は一時間後に遠のけり夕づく空に日差きらめく
2
冬 雷 集
夕立の去りて藍濃き大空に白く輝き放つ高雲
この夏も親子で来たる軽井沢明るき陽差受けて歩けり
軽井沢山荘の夜息子夫婦加はり五人の語り高まる
きらきらと日差ゆらせる山坂に木立の影濃き細路をゆく
梅雨のあとさき 東京 赤 羽 佳 年
寝際の耳に今年の初の蚊が飛びきて刺さず翅音を聞かす
夕立ののちの大気の蒸れゐつつ街路灯りに羽虫群れゐつ
些かの地震に目覚め耳すますしとしと雨に朝明くるらし
思ひきり梅雨のあめ来て野の鳥の慌てふためくさまを見帰る
酒煙草なかなか断てず未練気に量を減らして安楽の日日
発泡酒飲みつつ鍋の灰汁をとる鶏肉キャベツは私の料理
どうでもよい事ばかりが浮かびきて耳鳴りの頭をなほ苦しむる
雨の道来ればマンホールの蓋ひかり赤き灯青き灯反してゐたり
ゆふだちの雨がにほはする砂埃四階に開く窓に入り来る
大阪 水 谷 慶一朗
「四斗樽」考 「下手な歌と人は読まうが俺の歌だ」この究極が茂夫先生の歌論
究極の歌論を識れば「下手でよい自分の歌を」なかなか詠めず
読み了へて過去回想の助動詞を意識に置けば歌まとまらず
「し」と「たる」を綿密に詠めば吾がめざす一首の声調にわかに狂ふ
「下手でよい自分の歌を」言ひ訳に下手なる域のうた多くあり
3
多様性に富める食をば心掛けもう少し生きむ八十二歳の生日
せかせかとしたる呼吸は戒めてゆったりと吸ひゆっくりと吐く
短かなる距離を乗りつぐ電車にも坐れば眠気すぐさま兆す
企てのあるかの様にひそひそとくすくすと四人の乙女集へば
地に伏せて尻じりじりと構へをる猫の目先にもんしろ蝶飛ぶ
東京 白 川 道 子
思ひつつ季を逃して売れ残る色づく梅の実一キロを買ふ
熟れすぎて傷の見ゆれど残り物の福を喜び洗ふ梅の実
梅ジュース笑顔で飲みゐし病む夫を想ひ出したり蔕取りながら
捨てないで良かった大きガラス瓶梅と砂糖のとろり溶けあふ
水割りの琥珀色なる梅ジュース訪ね来たる子と元気乾杯
実と皮を煮詰め梅ジャムこの夏の暑さ乗り切るパワーなるべし
過去の人昨日会ひたる人もゐて行きつ戻りつ朝夢の中
日を重ね心触れあふ仲なれどいつか疎遠となりて寂しも
神奈川 桜 井 美保子
施設でのひと日の流れに慣れきたる母か茶菓子も残さずに食む
リハビリの時間に歩行練習を続けてゐますとケアマネージャー
母の住む介護施設は丘のうへ九十段ほどの石段登る
「かきつばた」半紙に書きたる母の文字墨たつぷりに丸みを持ちて
つんとする辛さのあらず淡路島の玉葱を食むこの夏ずつと
4
冬 雷 集
ジャスミンが咲いてゐたよと話しくる夫は朝の散歩を終へて
血液が濃くなりがちの吾つねに水を飲むこと頭におきたり
ありがたうございました運転手に声かけバスを降りてゆく人
福島 松 原 節 子
台風の余波の風くる庭すみに最後の百合の漸く開く
雨つづき植木の手入れのできぬ母洗濯物をたたんでくれたり
早起きの母はテレビの前の椅子で上手にきれぎれ居眠りしてゐる
家中のエアコン初めてつけてみる七月十三日三十七度
台風の多き夏にて身構へてをれどこの地は被害なく過ぐ
散歩より戻りて拾ふ朝あさの凌霄花も終はり立秋
新盆の父を迎へる盆棚を仕来り通りと母指図する
新しい眼鏡欲しいと思ひつつ日びは過ぎたり秋の虫鳴く
父母わたし同居始めて数年は三人それぞれ我儘なりしよ
愛知 澤 木 洋 子 独り住むコーラス仲間の現れずみんな入口ばかり見てゐる
鋼材を積みてやつこらさ前を行くトラックすこし右に傾く
小さき影陣取る男の点てんと工事現場に昼を休めり
百歳の母のこの頃食欲に生きゐるのみと慈しぶ友は
老いゆくを具に見すが務めとぞつねづね言ひき百歳の逝く
百歳のひとよ畏み胸に抱く骨壷こそりけはひを寄こす
5
憧れてわが子に命名せしことを誰にも告げず鶴見俊輔氏逝く
領分を侵さぬやうに一日の大方夫は六帖にをり
強かに猛暑の夏を生き抜かむトマト捥ぎとりがぶり食みつつ
東京 赤 間 洋 子
姑に教はりしこと思ひつつ今年も仏壇にずんだ餅供ふ
昔すり鉢けふはフードプロセッサー用ひて枝豆の餡を作りぬ
白玉の団子に絡むずんだの餡夏らしき色甘みは少し
シルバー体操笑顔美しき人がゐて会ふたび交はす挨拶嬉し
怠けたい気持ちよつぴり抱きつつ行けば元気にシルバー体操
七十年戦争のなき日本に殺人事件が次々発生
老いたるを嘆いてばかりは居られないけふも一日胸張つて行かう
減塩を心掛ける故味の濃い加工品避け手作りをする
レジ袋畳んで常に持ち歩く使へるものは何度も利用
東京 森 藤 ふ み
煙突より煙の上がる宿のあり沼のめぐりの緑のなかに
丈高き葦の茂りに木道の前を行く人見えかくれする
湿原はシーズン前の静けさにわたすげの綿眩しくそよぐ
山の湯に朝を立ち寄り入浴す露天の白き湯乳頭温泉
湯上りのほてる体を山風に冷まし再びバスに揺られる
顔埋め丸々とせる一頭が檻に寝ねをり秋田犬とぞ
6
冬 雷 集
さくらんぼの木は高くして手の届く枝に実のなく上枝に残る
脚立にのり上枝のさくらんぼ採りくるる佐藤錦は今日で終りと
これ以上食べられぬまで完熟の佐藤錦を堪能したり
八年 東京 櫻 井 一 江
高三の孫と学びの間を抜けて近くにできたるカフェに落ち着く
お爺ちやんと結婚した訳をと高三に問はれ自づと熱きが走る
何もかもなべて夫のお蔭にていま在る吾を孫にさらける
夫逝きて八年は早い振り返るいとま作らず今に至りつ
ひとり身を外へ外へと誘へる友に恵まれ八年過ごし来
八年の時の流れのそのままの夫の坐りしソファーにもたる
灯り消しソファーに横たふ夫の姿は大方思索の最中でありき
まなこ閉ぢ吾はソファーに横たはり夫の影追ふばかりにあらず
暖たもつ敷物外す応接間の木目は夫の好みし色艶
富山 冨 田 眞紀恵 八十年川の辺に住み首のべて佇つ白鷺に遇ひし数しれず
白鷺の見えぬ日にはわが眼少し濁りてゐる気がするよ
私が保護者であつた筈なのに子が保護者なり八十過ぎれば
七つもの白百合今年は咲いたなり嬉しくて庭へ幾度も出て見る
風鈴のかそけき音に誘はれて歩む鋳物師金屋の町かな
風邪癒えて家の隅まで清めたるこの快感は主婦のみのもの
7
体調の優れぬ吾を慰めて夜々に花火の華やぎ上る
年齢のいよいよ近し新聞の死亡欄に載るその人々に
私の掛かり居る医院尋ね呉れ完全に吾は息子が保護者
夫逝きて初めて思ふ伴侶とは良き言葉なりしみじみ思ふ
東京 池 亀 節 子 ガラス戸を透けて木叢の間より陽の光まぶし部屋の中まで
窓に見れば満開なりき猿滑り今気づきたり日毎見ながら
庭に立ちやつと見付けたみんみん蝉青葉の間におお幹の色
土砂降りに車次つぎ走りゆく音のみならずしぶき激しく
庭の木に早朝ホースで水まけば蜂が群なし飛び立つ木叢を
一斉に飛び立つ蜂に仰天しホース投げ出し家に飛び込む
駆除したる蜂の巣見れば以前より小さめなりき蜂詰まりゐる
茨城 鮎 沢 喜 代 大洗の海にむかうに日がのぼる空の浮雲あかねに染めて
カラス飛び雀も飛びてつばめ飛ぶ大洗の朝のにぎはひ
午前十時大洗の宿を後にする娘と孫とのぬくもり抱いて
エアコンの冷気の中にすつぽりと身をゆだねてうとうととをり
すすぎ物が庭に揺れをりつねのことなれどもうれし朝のひととき
孫達が夏休みに入り朝よりにぎやかな声夜までつづく
夕闇のせまりてきたる西空に茜に染まるふたすぢの雲
8
冬 雷 集
茨城 佐 野 智恵子 いきなりの従姉妹の電話におどろきぬ五十年程も音沙汰もなく
高校は同級生で過ごしたり昔の名前出されどわからぬ
喜寿祝ひ故里に集ひ祝はれしその時ですら一人もわからず
内職に和服を縫つて居たせゐか背は丸くなり並ぶを拒む
横道を歩けば家の門口に花々植ゑて蝶をも呼びぬ
重々とたれ込む雲の下に見ゆ青々とした霞ヶ浦は
白き鳥次々飛ぶは霞ヶ浦に餌を喰ふためと教へてくれる
ベランダの手すりに二羽の小鳥来て汚い色を見せて飛びたつ
(七月十四日)
日の入りを見たい気持をすてきれず十三階に登りて行きぬ
雲もなくよき日と思ひ暑いのに太陽徐々に沈むを送る
スマホ 埼玉 嶋 田 正 之
乗り遅れ次の電車を待つ間に急行電車が風を置きゆく
あまりにも親切過ぎるアナウンスに耳は馴らされただの音声
大方の客はスマホに夢中なり安保法案どこ吹く風か
優先席に坐すなりスマホをひろげたる若者睨み老婆席たつ
スマホ指し「やめなさいよ」と荒げたる己の声におのれ驚く
心ある言葉を聞くは耳に良し流石さすがの良き誉め言葉
食品の賞味期限に馴らされて舌に確かむ行為薄れる
舌先にピリリと危険を察知せる動物としての退化あるべし
9
逝きてのち君が版画に使ひたる細川和紙が品不足とぞ
社友会の訃報メールの大半は家族葬済み供物拒否せる
栃木 兼 目 久 午前磨り午後に書きたる淡墨の作は暑さに変色したり
読み易くたつぷり書きし木島先生の色紙は生命力あふれる
立ち寄れる羽田空港の展望台に見てゐしジャンボ機御巣鷹に落つ
昭和二十年我らは小学二年生講堂に陛下の御真影庫在す
川挟み原爆ドームが見えるホテルに修学旅行の子等と泊まりき
強風と雨を受けたるアヂサヰの球状の花は落ちず壊れず
頭から爪先までも汗ふき出づ炎天の畑に雑草を刈る
わが部屋は外気温より三度高し屋根 窓 壁に陽の当たりゐて
東京 山 﨑 英 子 ラジオの深夜便に聞く「カラヤン」の指揮に調べの優しさ思ふ
「カラヤン」の指揮に全てが優しいと評せる人の話諾ふ
「カラヤン」の優しさ清しさ感じつつ心静かに聞く深夜便
地下出でて束の間青葉の四ツ谷駅テニスコートの日射しが眩し
筋力の衰へゆくを感じたり六ヶ月休みしプールに行かむ
日々続く暑さに怠ける心を抑へ十人の生徒の励むプールに
水のなか九十パーセント減といふ数キロとなりストレッチングす
ビニールパイプ体につけて水のなか足上げ運動前後右に左に
10
冬 雷 集
歴史の楽しみ 千葉 田 中 國 男 黄金の寺が日本にあるを知りてマルコポーロはジパングと呼ぶ
勝浦を吾が人生の終の地と決めていのちの旅を楽しむ
蟹蓮寺蟹の供養は年行事教義の功徳を拡大にして
開拓の地から市営のリハビリへ通へば道路に工事中多し
拓かれた丘陵に住む人達を市内へ送る無料バス走る
勝浦の小学生ら慰問に来長い芝居によどみのあらず
梅桜小枝ごと入れ瓶の中匂ひ撒き合ふ卓上の花
週ごとに花を生け変ふテーブルの真中の花は女王のごとし
十六ベン計測二十センチ越ゆ紅椿大瓶の中匂ひ豊かに
埼玉 大 山 敏 夫
開業医となりたる後も続けゐる主治医のアルバイト先のこのクリニック
導尿訓練指導の必要無しとして指定されしこのクリニックに通ふ
クリニックの前に聳ゆるマンションらし主治医の言ひゐし拠点の室は
手術後に少しく右に曲りたる臍などはもとに戻らぬひとつ
臍曲りとみづからもまた妻も言ひ真実曲りたる臍をさすりぬ
採尿の時間にすこし間のありて白湯を飲みあたらしきゆばりを溜める
白き便器抱ふるやうに立ちゐしよ思ひ出でて恋ほしああ小宮さん
齢重ねやまひも悩みも似し我ら加納久小宮守何処へ行つたのだ
わが尿を顕微鏡に覗き込み綺麗だねと主治医は言へりけふ異常なし
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継 ぐ
大塚 亮子
子に代を譲ると言ひたるは五年前夫は仕事を徐々に減らし来
七十歳となりたる夫は取引先同業者の付き合ひ息子に任す
夫の苦労知らぬ息子はプレーナー操作してをり機械好きらし
凍りたるペットボトルを持ち込みて厳しき暑さに機械に向かふ
夫と子の諍ふ声を聞かぬふり夕餉のしたくに菜刻みをり
この頃は頓に頑固となる夫子のやり方の気に入らぬらし
譲りたる後は口出しせぬと言ふ夫の愚痴をわが聞きてをり
事務の引き継ぎ滞りゐて気短な夫のイライラまたも募りく
社長交代の手続き済みて挨拶状出す先選ぶ夫と息子が
挨拶状の宛名書きする二百枚わが手伝ふと墨を磨りをり
挨拶状書きつつ馴染みなき社名増えゐて戸惑ふ時代変はりて
わが関はりし頃の会社は継ぐ子なく廃業転職マンション経営
曲がらぬやう注意をしつつ宛名書く子の頑張りをただ願ひゐて
夫と共に耐へ来し十年役立つや構造不況に息子が対ふ
学区域に工場はわが社一軒となりて社会科見学に小学生が来る
騒音に配慮し操業続けをり工場の周りに住宅増え来て
舅より会社を継ぎて四十余年夫は息子にバトンを渡す
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今月の 30 首
大き鉢に育てる蓮の咲いたと言ふ友の知らせに心をどりぬ
傷めぬやう散らさぬやうに咲く蓮を抱きて帰る明日の朝茶に
包みたるままに一晩浸け置ける蓮の白さに身を正しをり 手のひらに水を掬ひて散らぬやう花びらに葉に雫を落とす
低く入る朝のひかりに蓮に置く露は清しく釜鳴り幽か
叔母の形見の備前の茶入は水指の前に納まる気負ふことなく
縦縞の傷みの著き仕服に入りて備前の茶入はわが家に来たり
縦縞は叔母の着物の残り裂従兄弟に聞きたり法要の席に
引つ詰めし叔母思ひつつ七月の朝茶に白き蓮を活けをり
客のざわめき去りゆく部屋に白妙の蓮は咲きをり零れむばかり
朝茶終るを謝しつつ逝きて二十年の叔母に供茶をす残りたる湯に
汚れたる灰を溜置く大きバケツ軒下に出し灰を洗ひぬ
水を張るバケツの灰は網の目の異なる篩にていねいに漉す
13
『四斗樽』以後の
土屋文明の歌
⑴
こ ろ だ。 後 に「( 土 屋 文 明 論 の 連 載 は ) 編 集
の各誌関係からの便りが多かった。ただし、
囲気というものを味わっていた。アララギ系
会員はそういう記事を読むことで、歌壇の雰
が多かったので、その印象である。われわれ
者の泪ぐましい努力による」と回顧している
原稿をもぎ取るのである。木島茂夫の凄いと
が、それは別の言い方をすれば、編集者の腕
文明本人から何かコメントがあったかという
が「文明が死んだらどうなるのだ」と呟いた
それは勿論読んでるさ」と即答した。「何を
ん で し ょ う か ね 」 っ て き い て み た。「 え っ、
掲載数年が過ぎたある時に、わたしは一度、
「木島先生。文明先生はあの論を読んでいる
と、一切ノーである。
の見せどころ、冥利でもあるのだ。
という。
書かれるか、ビクビクしながらなんじゃない
「ウムウム」から暫くして、お決まりの一
杯飲みながらの席へ流れる。そこで太田行蔵
土屋文明が死んだらあとはどうしますか
大山 敏夫
かく問ひしもの一人二人ならず 本誌がその創刊の年(昭和三十七年九月号)
に、太田行蔵の「人間土屋文明論」の連載を
始めたことは、歌壇から驚きをもって迎えら
(中島栄一)
と案ずるアララギの指導者も多かったようで
太田行蔵に「冬雷に何か書いて下さい」と喰
のだよ」とやんわり断られる。そこで今度は
「こうやってお互い会ったという事実でよい
先ず芒人に冬雷への寄稿を依頼する。すると
ラギ重鎮というバリューに敬意を表してか、
ある集会でたまたま松井芒人と太田行蔵の
二人に出会った木島茂夫主宰は、やはりアラ
興味深い重たい内容であった。
田行蔵も若かった。
代の文明は三十歳になったばかりだから、太
校長の文明であった、と書いている。諏訪時
「人間土屋文明論」の一回目に、諏訪高等
女学校に習字の教師として拾ってくれたのが
えていたのかも知れない。
りながらこの時すでに、文明論の構想が芽生
身も文明を最後の大歌人と見ていた。ぼんや
ある。そういう話を耳にしていたろうし、自
職場で、その時の部下であった昔馴染みに対
様に直接の反応は全く伝わらない。若い時の
はこの種のボロは出さうもない」とあった。
土屋文明論」ではこの歌に、「文明の死後に
い。死んでからのことならまだしも、生きて
でも君は肯ふや否や(「自流泉」)
という歌のようなことを意味していたらし
我死にていかなるぼろが出て来てもそれ
あるからねって重ねて言った。
いさがる。こちらは補聴器をつきだしながら
わたしが「歌壇から注目されたようである」
というのは、それは当時の冬雷誌面に歌壇の
の小雑誌が、掲載するには余りにも
か」って笑う。意外に神経細やかなところが
れ、大いに注目されたようである。片々たる
「ウムウム」と答える。これは応にでも否に
諸方面からの葉書がそっくり掲載されること
総頁数
でも発展する曖昧な相槌である。これを「し
さて『四斗樽』だが、土屋文明はどのよう
に対応したのであろうか。こちらも文明論同
いるうちじゃ確かに迷惑な話だろう。「人間
めた」と受け取って、その後精力的に交渉し
24
14
たことねえな」と感じた。その後、わたしは
よ う な 状 況 に 心 が 痛 み、「 文 明 っ て、 た い し
な の だ が、「 け ん も ほ ろ ろ に 追 い 帰 さ れ た 」
発信元が別で、その又聞きかもしれない伝聞
蔵の話を耳にした。誰だったかも忘却したし、
のは妙だなって思うこともあった。そんな中
してはやや冷たい。行蔵と文明の関係という
手をあげて、土屋先生に挑んだ。その時
の途中に太田氏は突然質問がアリマスと
和四十九年四月の歌会である。その歌会
ず」という一首を引っさげて。それは昭
言はるれど言はでやむべきことにはあら
り 込 ん で 来 た。「 一 匹 狼 が 落 ち ぞ と 君 に
向かまわないでいるのに業を煮やして、
或る時夫子自らアララギの東京歌会に乗
ひいきするアララギが「し」の乱れを一
「そんなに頑張っていると一匹狼だぜ。と
君にもそう言われて居るが、言わずに済ます
(太田行蔵)
やむべきことにはあらず 一匹狼が落ちぞと君に言はるれど言はで
まに終った。
に語ったけれど、それはついに悲願のま
の誤りを追放するのが悲願だとあとで私
も鎧袖一触であった。アララギから「し」
○研究スル必要ナシ!
目ヲ向ケレバ「捨てし」捨テテアル
○ 両 方 同 様。「 捨 て し 」 ト イ ウ 行 為 ニ
チガウカオ教エ願イタイ。
○「捨てし」ト「捨てたる」ハ、ドウ
はらはらしながらこれを聞いた。
「 ○ マ タ ウ カ ガ ッ タ ト テ 同 ジ コ ト。 ○ 研
行蔵ファンのわたしとすれば、文明の
のなら、あっさり返り討ちとでも言うのか。
とに違いはない。いや「鎧袖一触」を用いる
異なるが「けんもほろろに追い帰された」こ
「鎧 袖 一触」では哀れである。伝聞と細部は
事はではない」という覚悟で乗り込んだが、
というわけで、太田氏の必死の切り込み
生活に追われて短歌も欠詠がちになり、この
批評される歌の中に「捨てし」という表
で、アララギ本部歌会に乗り込んだという行
話もいつのまにか記憶の奥に遠のいた。
毎月書いてきたが、「闘う国語学者」太田行
現状ニ目ヲ向ケレバ「捨てたる」デ、
現があった。次はその問答である。私は
蔵のイメージの中で、この話も伝聞のまま紹
目 ノ 向 ケ ド コ ロ ガ 違 ウ ダ ケ ダ。( と
究スル必要ナシ!」
の言葉は、伝聞の「どちらでも良ーし」の話
太田氏は、アララギを見ては「し」の
○「し」ト「たる」ニツキ、ナオ研究
○マタウカガッタトテ同ジコト。
トニシマス。
ナモノカ。コノ件ハマタウカガウコ
宮地伸一ははらはらしながらこのやり取り
を聴いたとある。文明が大声を出すなんて尋
ナシ!」は、全否定である。
よりもずっと後味が悪い。「○研究スル必要
がいしゆういつしよく
介することにした。
大声)
今回、完全復活版として『四斗樽』を連載
することに決めて、その解説のようなことを
が当然信頼性は濃く、ひろく紹介されている
○「し」ト「たる」ガ同様トハイカガ
用法を気にして、いつも○や×をつけて
ヲオ願イシマス。
実は、伝聞ではない確かな話が宮地伸一著
『歌言葉雑記』の中に出て来る。こちらの方
ので、私もこの際ここに転記してみる。
い た と 言 う。「 冬 雷 」 の 本 年 七 月 の 太 田
常ではなかったのであろう。その結果、見事
行蔵追悼号にも私は書いたが、太田氏は
15
「研究」し、推敲しようというスタンスだから、
とせずに、拘って自身の信ずる正しい用法を
放 」 が 目 的 で は な く て、「 ど ち ら で も 同 じ 」
う冬雷にしても同様だが、冬雷では「完全追
の誤りを追放するのは無理であった。かく言
のアララギ自体今は存在しないが)から「し」
れはついに悲願のままに終った。
ともあるが、確かにアララギ(もっとも、そ
が悲願だとあとで私に語ったけれど、そ
アララギから「し」の誤りを追放するの
触」という語を引き出した。
もともと文明の作品には「し」の使用例が
豊 富 だ。「 き 」 に つ い て 言 え ば、 お そ ら く 最
る。この話とも折合わない。
それが、私には大変面白かった。
と紹介した「三河アララギ」の記事の後とな
造 作 に「 縫 ひ ぬ 」 と 添 削 し て し ま っ た。
しかの意)知らんのだよ」と言って、無
だ な。 あ い つ は、 あ れ し か( 即 ち『 き 』
結句「縫ひき」を、文明は「太田の『き』
昭和四十九年四月の出来事であると言う。
ならばすでに、
打切られた状態に「鎧袖一触」は当らない。
そもそも議論にもなっていない内に一方的に
んな必死の思いさえ大声で突っぱねたのだ。
わたしは『四斗樽』以後、というより、こ
のアララギ東京歌会一件以後の土屋文明に
い。「し」の誤用問題にも関心ゼロはあるまい。
文明は言葉に対する思い入れはより強く、
こうした歌も残している。大切な母国語がい
幼子の語調も変り来るといふ如何にか守
黙れ」という苛立ちもあった気がする。
には、「お前、こんな所でその話をもちだすな。
代表としての発言に立たされた文明の「大声」
ララギの代表土屋文明は違う。突然アララギ
文明の関係とはやはり妙であり、「し」の問
の意見を聴く道が無かったとすれば、行蔵と
太田行蔵にとって文明は尊敬する昔の上
司、もっと別の穏やかな形でじっくり「し」
4
現状に悲観はない。
も多用した歌人ではないかと思える。『四斗
は、何かふしぎな心の動きを覚えている。必
合の「し」の答えも聴いてみたい。文明はそ
記事の中でわざわざ「と大声」と括弧入り
で記されているのが興味深い。考えようでは
樽』での背景となっているのは、歌集『青南
ず何か、何処かに太田行蔵の残像のようなも
な全否定で溜飲さがるような思いが「鎧袖一
(人によっては)ごく一般的な質問かとも思
集 』『 続 青 南 集 』 と、 後 に『 続 々 青 南 集 』 と
たずらに乱れ変ってゆくことをヨシとはしな
らむ此の日本語を(「自流泉」)
題にとっても不幸なことであった。個人とア
われるが、文明は何故「大声」を出したのだ
なる時代である。この時期も過去回想の歌が
4
ろうか。論争では俗に、声の大きな方が勝ち
4
だといわれるが、興奮して出す大声としたら
4
のが刻まれているのではないか、と考えるよ
4
うになって来た。
4
驚くほど多い。当然「き」や「し」も目立つ
4
のである。『四斗樽』が文明作品を選んだ意図、
4
どうなのか。文明の中に、苛立ちがあったと
4
そ し て 中 に は、 過 去 回 想 だ と 錯 覚 し た 歌 が
4
突っぱねて言わなかった本心を、遺された文
4
行為、「捨テテアル現状」(傍点大山)と文明
す れ ば、 そ れ は 何 だ ろ う。「 捨 て し 」 ト イ ウ
文明の「大声」をしっかり頭の中に叩き込
んでおき、その大声の本当の意味を、文明が
あったことなど今思えば頷けることも多い。
4
は述べている。ならば「コノ件ハマタウカガ
4
明作品の中から汲取れたら素晴しい。
4
それだけに文明の直接の反応が、このアララ
4
ギ東京歌会の一件だけというのが寂しい。
4
ウコトニシマス」として、「澄みし水」とか「咲
4
きし花」等の、作者の行為じゃない現状の場
16
研究結果がある。
るようになり、言語障害を起こしたという
なかった人も、体調不良を訴え、妄想を見
て死んでしまうという。二百六十四時間寝
いると、二週間後には感染症などにかかっ
だからなのだ。動物実験では、眠らせずに
かったのは、睡眠が生きていくために必要
険なはずなのに、眠らないように進化しな
眠る。動物は眠っているときは無防備で危
眠っていることになる。哺乳類は例外なく
人は人生の三分の一を寝て過ごすとい
う。九十歳まで生きるとして、三十年間を
窪田章一郎
年に稀なる夜となるらし
無意識のうちに昂ぶり眠れぬか
処理していることを発見したときは、それ
に は リ ン パ 管 が な い の だ。 イ リ フ 氏 は、
脳が想像もしていなかった方法で老廃物を
に並列して体中に広がっている。が、脳内
化したのがリンパ組織で、リンパ管は血管
物を産出する。その老廃物排除のために進
なように、全ての細胞は副産物として老廃
動に栄養が必要
運 ぶ。 細 胞 の 活
に栄養や酸素を
は、 個 々 の 細 胞
巡らされた血管
い。 体 中 に 張 り
なければならな
養を供給し続け
生きていく為
に は、 細 胞 に 栄
めたのだ。
のは眠っているときだということを突き止
フ氏の研究チームは、脳内を液が駆け巡る
フ・イリフ氏は語る。二千年後の今、イリ
的外れではなかったと神経科学者のジェ
新たな原動力を得るという説を唱えたが、
ている間にこの液が脳に流れ込んできて、
重要な役割を担っている。
生命と社会生活の維持になくてはならない
睡眠は注意力や集中力、感情の抑制などを
けでなく大人にも大切なのだという。また
維持に欠かせない成長ホルモンは、子供だ
モンの分泌・・特に体の修復や免疫機能の
睡眠には様々な役割がある。脳と身体の
休息、記憶の整理、ストレスの除去、ホル
眠っている時だけに行われるのだという。
排出される。脳の老廃物排出作業は、脳が
壁から中に滲み込み、他の排泄物と一緒に
る。老廃物を取り込んだ髄液は、血管の外
血管をリンパ管のような機能に変換させ
流れ易いように脳細胞が縮み、脳内にある
脳が静かになると浄化体制に入り、髄液が
らされた血管の外壁に沿って脳中を埋めて
物はこの髄液に吸収される。髄液は張り巡
色透明の脳脊髄液があり、脳内からの老廃
法をイリフ氏は解説していく。脳内には無
生きたマウスの脳内血管の映像を観せな
がら、脳だけに備わっている老廃物の処理
の美しさに感動したという。
「 眠 り」
二千年前の医学者の一人ガレノスは、私
たちが起きている時は、体の各部に活力を
参考資料 digitalcast.jp/v/21155
大滝詔子
与えるため、脳の中にある液が体の隅々に
が良く出来ていることに驚くと同時に、そ
司る高次脳機能を休息させるなど、人間の
いるが、脳が起きている間は殆ど動かない。
行き渡り脳を干上がらせてしまうが、眠っ
17
カナダ to 短歌 87
優し安曇野の水 白川道子
リュックには筆記用具と「おーいお茶」
嶋田画伯がスケッチ旅行に出発する様
子である。この後に気迫の篭る歌が続く
列車に目指す小淵沢駅 嶋田正之
のだがこの歌の商品名の使い方に惹かれ
八月号冬雷集評
てくる。熱中症予防の為などではないの
る。嶋田さんの人柄が覗いているように
理学療法士についてリハビリをされた
後と知れば「一気に」の美味しさが伝わっ
動くものきらめきとなり過ぎてゆく日
である。結句が効いている。
思われるのは私だけだろうか。
小林 芳枝
盛りの道人も車も 川又幸子
かつかつかあ短く声を切る鴉すがたほ
厳しい夏の太陽の下では風景が白っぽ
く見えることがある。特にアスファルト
きとなって過ぎてゆくという感覚的な見
うに感じられるのだが、人や車がきらめ
か。細いアンテナの上のスマートな鴉は
だ大人になりきれていないのであろう
鴉はいろいろな鳴き方をする。師にも
鴉の歌は多かったがこの歌も面白い。ま
をティッシュに拭きつ 兼目 久
洗つても洗つても汚れ残りゐる硯の面
へ対ふ甲斐駒 同
もう一首挙げておく。
つそりアンテナの上 桜井美保子
方に或る隔たりが感じられる。
まだ若く未熟な感じがする。
同じような体験は私にもあって墨を磨
った後の硯はよく洗っても黒い水が残
の上などは反射光の影響を受けて輝くよ
咲き盛る牡丹の園におほどかな気分に
遠雷の聞え冷たき風吹けど桃の待つ雨
画帳手にここぞと定め腰おろし呼吸整
なりて妻子と遊ぶ 赤羽佳年
に浸っている所以であろう。
族揃って花を見るゆとりある安心感の中
かりではなく人も同じである。日本の四
るのに近年の異常気象に戸惑うのは桃ば
桃の実の育ちに必要な梅雨時の雨。雨
に頼り、日に頼り、全てのものは成熟す
えてくる物又多くあり 山﨑英子
九十歳にならねば分らぬことのあり見
黒ずんでいたのではないだろうか。
うのだが最後に拭いたティッシュも薄く
る。硯石の微細な凹凸のせいだろうと思
さつと茹で水くぐらせば清かなる色増
季はどうかしちゃったようだ。
今日も降らない 松原節子
すスナップヱンドウの緑 水谷慶一朗
おおどかな気分になったのは牡丹の花
の見事さ、大きさだけではあるまい、家
手際よい男の調理、一二句の動きのあ
る表現が効果的。緑に集中しながらスナッ
プヱンドウの風味を充分に感じさせる。
人生はよく山登りに譬えられる。九十
向うからコンビニ弁当下げて来るお巡 歳で見たもの、分かったものはどんなだ
りさんの更衣して 澤木洋子
ろうか。七十一歳の私にはまだまだ見え
お巡りさんの夏服とコンビニ弁当の取
合わせが面白く平和な街の風景が見える。 てこない境地で楽しみでもある。
帰り来て一気にボトルの水を飲む咽に
18
しい表現で心情を伝えている。
四句倒置も活きている。二首とも、若若
て幸福感出ている。実りが楽しみである。
帰省中の歌の一首で、省略の活きた歌。
弾く者のいなくなった実家のピアノが部
ブレイクあずさ
とつのほこりをぬぐう 片隅に追いやられたる鍵盤のひとつひ
八月集評
赤羽 佳年
思はざる高額療養費支給さる三万二千
負担した医療費が高額になり返ってき
たという事実であるが、結句「得した心
よく出た歌である。
盤の塵を払う。散文的ではあるが感情の
☆
頂きし小賀玉の花の優美なる香り親し
に花が咲いたよ」の趣の上句であろう。
地」は実感であろう。
増え続ける認知症の人の数年で「正常
☆
軽度の認知障害を含めると十年後に
吉田佐好子
な人」を凌駕するだろう 屋隅に追いやられてをり、愛着があり鍵
芳香を優美と捉えたところに新鮮味があ
九条も知覧も知らぬと言う友に飢えか
円に得した心地 東 ミチ
る。結句の動きも生き生きと伝わる。
み又寄りてゆく 小島みよ子
嘗て頂いて植えてあった「小賀玉の木
「 を が た ま の 木 」 は『 古 今 和 歌 集 』 の
ら話す憲法記念日 和田昌三
☆
四三一番に紀友則の歌の題詞にも見え
上句から考えるに、作者から見れば当
然年下の友と思われる。これも現実なの
る。古来、神社の神木であったらしい。
二羽の鳥飛翔するがに植ゑらるる空色 であろう。なにやらきな臭い昨今である は、三人に一人が認知症と予測するデー
の中に白きネモフィラ 関口正子 が、永遠の「九条」にして欲しいものだ。 タもあるようだ。「認知症」と「正常な人」
を対比させるのは如何かとも思うが、現
国営ひたち海浜公園の様子を詠ってい 「知覧も知らぬ」に諧謔を見る。
て上句は広広とした植生を伝えている
が、空色の花びらの中心部の蘂の部分の
白いネモフィラを伝いきれなかった。
鈴生りの青きトマトに手を触れて香り
句倒置も勢いがある。
は木にもどる」のフレーズが面白く、三
ば花を指す前提があっての歌であり、「桜
ゆすら梅のすつぱさ口にひろごりて我 実問題を詠い出して考えさせられる。
のみの遠き思ひ出を追ふ 倉浪ゆみ 花の季すぎて桜は木にもどる緑ゆたけ
初句は「ゆすらうめ」と平仮名が適切 き並木となりて 橘 美千代
か。「すつぱさ」「我のみ」に意味を持た
嘗ては「長堤十里」と知られた桜の名
せて、初恋の思い出を詠い、感傷的な歌。 所の加治川堤の移ろいを詠う。桜と言え
家裏の野菜の生育見に来れば淡青の空
☆
残飯に集る雀の仕草にも心引かれる午
に雲雀囀る 乾 義江
たのしむ夏の初めに 高松ヒサ
後のひと時
自然環境に恵まれて羨ましい限り。
☆
一首目、触覚・嗅覚共に刺激されてい
19
十月集
心臓 埼玉 小久保 美津子
弟の余命二ヶ月の宣告のメールが届く混みあふ車内
白き肌早く死にたる父に似る細さ際立つ弟の脚
弟の明日の命をもたらすは心臓移植ほかに策なし
刻刻と迫る期日に必要な叔父叔母の知恵借りに行きたり
長姉を姉ちやんと呼び次姉われを名前で言ひぬ最後の日まで
姉として頭を下げし職員室やんちやばかり彼の思ひ出
医師の言ふ余命二ヶ月その夜の何事もなしその翌日も
医師とても人の命の終焉を言ひ切ることの権限はなし
梅雨明け 東京 天 野 克 彦
いくさ場もかくありなむと凄まじき雷鳴ききゐつ部屋に隠りて
梅雨明けを告げむと為らし雷光は怠惰のわれを貫き叱る
落雷と同時にあがる煙りみゆ山の禽ども如何にすごすや
また
日本国憲法机上に聴きゐたり創造のなき解釈論議
「軍隊が全くなくなり」と茂吉翁詠みにし憲法空と成るらし
古すだれ日よけにせむと吊しゐて祇園の置屋の小路が浮ぶ 暑き日のやうやく今日も暮れむとし赤き半月山を出でくる
安曇野市 わさび田
20
十 月 集
かなかなは時を定めて鳴きはじむ空しらみゆく午前四時すぎ
栃木 高 松 美智子 ☆ ひと月に六日の休みをいただきてケアマネージャーの更新研修受く
法律の条文を講師は読み下し幾度も説きたり自立支援を
百目柿に継ぎたる幹に枝伸ばし次郎柿あまた青き実つける
手入れせぬまま這い茂る庭の草ひけば大きなモグラの穴あり
雨あとに草取りゆけばだんご虫とかげ蟻の巣つぎつぎ現る
盆近く少しかすれた声に鳴く油蝉おり風の変わりて
とりあえずと溜めたるものに塞がれて心と身体のやる気削がれる
姑の身づくろい手伝う子の仕種見つつ気持ちがほっこりとせり
神奈川 関 口 正 道 ヘルパーの鎖骨の下の膨らみに触るれば固きペースメーカー
日に幾度一階と二階を往復す手摺使はず上りのときは
コンビニにレターパック買へば三枚あり気づきて戻り一枚返す
新薬に変はりてやうやく納豆を三年ぶりに食べる喜び
梅雨明けの明日は暑くなるだらう背丈と同じ泡立草揺る
花の形不確かなれど答へたりギザギザの葉にノコギリ草と
「あなたは勝つものと思つてゐましたか」録画に残る昭和万葉集の歌
戦争の経緯をことさら単純化すること勿れ平和言ふとき
目に見えぬ脅威に蓋して議員らは安全な場所で法律いぢる
21
禍福一如 東京 酒 向 陸 江
上半身玉の汗をかき下半身靴下履いてもまだまだ寒い
娘らに支えられつつバランスの悪しき身体の日常始まる
母のこと案じておれば兄の言う「俺が見舞って笑わせているから」
にこにこと友の佳子が持ちくるは「禍福一如」の条幅一つ
病得て家族へ友へしみじみと感謝の情の厚くなれこそ
筋肉の落ちたる足にてウォーキング今日はようやく背筋伸びたり
吐に二つ吸に一つのお題目唱えて歩く朝まだき頃
体力の徐々につき来てラジオ体操汗をかきつつ精一杯に
☆
茨城 関 口 正 子 キック力弱しと注意されながらクロール習ふ背泳ぎ習ふ
下手なりに泳ぐは楽し浮けば良しキック弱きは二の次にして
運動後の身に心地良し梅雨晴れの夕べの風は青葉のにほひ
ハイウェイの傍への青葉なす山にしろじろ映ゆるまたたびのあり
連れの亡き姉妹三人が湯の宿に夭逝の母を偲び語らふ
さくらんぼ狩りに来たれど終りゐて春姫といふ桃を買ひたり
四年後の国体に向けグラウンドの工事中なり住み居りし地は
グラウンドの工事の進むわが家跡に合歓が咲きをり紅色あはく
摘みたてのトマトいただき包みもつ手より日向の匂ひたちくる 栃木 髙 橋 説 子 22
十 月 集
二割方ほつそり映る美人鏡ありて通ひくるこの美容院
気をつけよう美人鏡はそこここに鏡は決して正直でなし
猛暑日の道路を横切るカラスあり足が熱いかピョンピョン跳ねて
猛暑日の数日ありてけさの雨ダリア何とか持ち直しさう
ひた走る高速バスは待ち受ける灰色雲に飛び込んでゆく
厚き雲に塔の先端突き刺して鉛色に立つスカイツリーは
刺しかけの刺繍布広げ針持てば泡立つ胸の静まりてゆく
「日曜日子守お願ひできますか?」嫁のメールはあつけらかんと
サルスベリの小花は散りて水に浮く昨日幼なの遊びしプール
☆
鳥取 橋 本 文 子 学校田にかるがも育ち草ぐさを喰ひつくすらし水面あざやか
となり合ふ学校田にかるがもはをらず田の草あまた見えをり
夕暮れの田の近くなる草むらにかるがも寄りそひ動きもあらず
大きめのかるがも一羽首のばしこちら見てをり守りの視線
田の横のやや高き土手伯備線列車通れどかるがも動ぜず
錠剤は夕方飲むべし遅ければ夜明けに食道あたりの痛む
栃木 正 田 フミヱ
若き日に叱咤されたる母の言葉窮地のわれに甦り来る
図書館の絵本を子等に読みおれば足先ゆらゆら揺らしつつ聞く
友からの筆圧薄き手紙読む外にはヒマワリ元気一杯
23
アジサイの花は散らずに色褪せて吹き出す新芽を抱えて立ちぬ
イモフライ食べたいなあと姑の言いジャガイモ掘りて夕べに揚げる
冷房の宅配車にて届きたる冬雷の篤き合同歌集
雨降らず高温続けど百日紅あかあか咲きて元気をもらう
ちろちろと虫の音長く聞え来て盆の気配を感じる今宵
☆
千葉 石 田 里 美 初産に実家に帰りてそのままに空襲はげしと足留めされき
笑ふやうになりたる吾子を見せたくて婚家に戻りぬ空襲の中
空襲に瓦礫となりたる東京に隅田川江戸川澄みて清かりき
生れたる子を抱くことも叶はずに戦に散りし従兄弟を思ふ
待つ人の無きふる里を恋しみてアルバム繰ればはらからは笑む
埼玉 田 中 祐 子
姑に習いし祭まんじゅうに懐かしいねと声揃え言う
病み上りの老人などと思うなかれ夫は五歳も年若く見らる
快復の夫も加わるハモニカの清しき合奏コミュニティー映像ホール
涼みいる夕べの居間に稀なれど夫のハモニカと唱歌を唄う
踏台を移動させつつ留守の間のエアコン掃除は大汗に済む
久びさのデパートなれば用向きの快気祝の調達も良し
つぶらなる瞳に直と見つめらるパパの肩越し抱っこの幼子
平熱の甚だ低き体質に誰もが暑い夏を踏ん張る
24
十 月 集
東京 西 谷 純 子 次々と生える雑草引き抜けば細き根しつかと土を抱きゐる
記録的暑さの続くこの夏も突と鳴きいづ熊蝉の声
炎天の路上で蝉は果つるのか草叢の上にそつと置きやる
雷鳴と大粒の雨に人と猫駆け込み来たる陸橋の下
人気なき庭に二本の百日紅花揺らし参拝者待ちゐるごとく
水分取れ外に出るなと松山の弟は四人の姉に電話掛けくれる
鹿避けのネットを畑に覆ひたるその兄翌朝召され逝きたり
茨城 立 谷 正 男
ひぐらしの一番鳴きの声を聞く梅雨の明けたる喜びの声
ひぐらしとにいにい蝉の声和して風懐しく頬をながれる
藪萱草季の至ればあかあかと雨降るなかに花を開きぬ
土浦の桜川べり白鷺の群れて暮せるひと処あり
連なりて車に生きる人々に夕映えの空いつまでも照る
ふるさとは野馬追祭りの出陣か朝焼けの空みんみん蝉鳴く
アコーディオンに「美しき天然」弾きゐたる傷痍軍人白衣浮び来
原爆の投下されしは月曜日市民生活スタートの朝
ひとりにはひとりの夢があるものを八月六日ともに祈りぬ
疎開 東京 富 川 愛 子
あの昼に祖母こわだかにわれを呼び正坐させられみ声を聴けり
25
雑音に混れるみ声祖母ききて泣き伏してをりわれは解らず
遠浅の海近く住み夕餉には浅蜊蛤時には鰈
貝とりてをる時機銃掃射にあひ敵機はわれらを見のがしくれき
粥すすりひもじき中にわが身長伸びてゆけども体力とぼし
栃木 本 郷 歌 子
十七歳じゃ何もできませんと獣医師は犬には触れずに我に宣う
発車のベルに慌てて駆け込み息つけば病む右膝に痛みの走る
幼子は近づく蛍を掴もうと負われた背よりその手を伸ばす
青栗はまだ柔らかき棘を持ち指先で触れその実確かむ
パラパラと音立てる待望の夕立ちも五分と続かず空を見上げる
灼熱の日射しの下を行く人なくのうぜんかずらの花咲き盛る
初めての鰯雲見る夏の午後塩辛トンボ風に乗り来て
工事する人集まりて憩いおり栴檀の下緑陰広く
夏の花の代わりに苔玉を盆に設え玄関に置く
☆
岩手 村 上 美 江 大安吉日の土曜日友の引越せる災害復興住宅に入居者数多
二人して荷を運びたり風呂敷は結び目堅く解けにくくして
新しき廊下を渡りくる風の立秋になりても蒸し暑きまま
四年間は八年以上の歳月を過ごした様だと仮設の友言ふ
震災の歳月四年目で落ち着ける終の住処と笑顔の友は
26
十 月 集
仮設にも入つたけれどそこに居る人に恵まれ幸せだつたと
エプロンをあてて元気な友を見て「良かつたなあー」と涙が滲む
宮城 中 村 哲 也
夏休みは子らの催し盛んなり歌と歓声広場に響く
真夏日の昼の不在者投票所冷房効きてしんと静まる
じりじりと照る陽眩しき日中には人の影無く鳥の声せず
炎天に水は涼しも売り物は傷み易しと魚屋嘆く
冷房で冷ゆる体を温めに煙草と言ひて陽を浴びに出づ
七夕の花火見物に行く人の浴衣の大き白百合の映ゆ
花火観る人等は坂に列成して静かに空を仰ぎてゐたり
円を描き広がり消ゆるに混ざりゐてハートの型の花火もあがる
新潟 橘 美千代
赤谷に何年ぶりか花戸茶屋を訪へば荒れはて看板あらず
赤谷のサイクリングロードの坂道を子らと登りき花戸茶屋へと
赤谷線廃線あとはサイクリングロードとなりて子等と走りき
父の医院屋上にひとら集まりて新発田祭りの花火を見たり
屋上に大人はビールいとこ等とスイカ食みつつ見あげし花火
(☆印は新仮名遣い希望者です)
親たちの争ひにいつか巻きこまれ会はなくなりぬいとこ達とも
落ちきたる蝉あふむけに転がるを直してやれどまたも仰向く
稲田のなかに大友稲荷の森うかびその一樹のみ大きく揺らぐ
27
八月号作品一評
冨田眞紀恵
く捉えられている。
家族葬密葬と老が人知れず路地より密
か悲しい話ですね。
はどうなっているのでしょうか。なんだ
かに消え去りてゆく 荒木隆一
子等の物また亡き母の着物など、中々
処分しようとしても捨てられない物であ
母の匂ひ子等の香りに包まれて捨てら
る、出しては又たたんでしまう、私も何
認知症予防をメモに記さむと思へどま
昔は亡くなった人があると近隣の人々
が集まってお見送りをしたものですが今
度繰り返したか分からない、頭でわかっ
どろみ番組変る 高島みい子
れぬ服たたんでしまひぬ 有泉泰子
実年齢より老若に見えるのは、その人
その人にも因りますが、この方の場合は
ていても体、即ち身に染みついたものが
年下のあなたの老いが悲しくて五月の
何 か ご 苦 労 を な さ っ た と か、 病 気 を な
言う事をきかないのである。
雨にぬれて帰りぬ 堀口寬子
さったとかがあって作者はそれを悲しま
切な事ではないだろうか。
☆
なく、自分だけのものを見つける事も大
下句の表現が面白い、作者独特のもの
がある、この様に使い古された表現では
事待つがに掛かる 三村芙美代
ベランダの物干し竿は朝日受け己の仕
いま老いて一番怖いのは認知症ですね
予防の記事があればすぐ読みます。
れた一首なのでしょうか。「五月の雨にぬ
闘病に専念したく閉院と語る主治医の
れ て 帰りぬ」に作者の 悲 し み が 出 て い る 。
面穏やか 有泉泰子
医師として自分の病状は良くお分かり
政治経済宇宙のことまで良く識れる友 なのでしょう、面穏やかが心を打ちます。
の白髪は櫛目くっきり 吉田綾子 ☆
風ありて斑の日差ふりて来るこの山道
あ ら ゆ る 事 に 精 通 し て い ら っ し ゃ り、 まるで明治の時代を思わせる様な方です も夏の近づく 田端五百子
ね、今の乱れた時代に生きている我々は
縮まれる体伸ばして濯ぎ物吊しゆくな
り朝のひととき 田中しげ子
斑の日差しがいいですね、初夏の山径
の爽やかさが感じられて、良い一首とな
りました。
物干し竿の歌を二首続けてとりあげま
したが、前者は物干し竿の側から、後者
見習うべきだと思います。
まだ早苗植わらぬままの田の上を早く
☆
☆
歌作り居り 河津和子
もつばめ早業みせる 三木一徳
用して態々体操をしなくても、その効果
雨音が天水桶にはじかれて静かな夜は
情緒のある一首である。
まだ田植えもしていない水田の上をつ
ばめは宙返りなどをしている、早苗を植
をあげる事を知らされました。
は干し物をする側からの一首、家事を利
隣の娘押えてもらって練習の自転車を
えられるのが待ち切れなかったのかな。
今朝は軽がると漕ぐ 山田和子
子供が生長してゆく段階の一つが上手
28
八月号作品一評
嶋田 正之
小声にてムーと猫の名呼び歩く夜明け
の道に人とは会はず 橋本文子
前後の歌から察するに放棄されていた
畑を集団で借り受け土作りからはじめら
れた様だ。畑は放置して置くとすぐに痩
せ て、 酸 性 土 壌 に な っ て ゆ く よ う だ が、
腐葉土の様な自然の肥料で土を改良して
行けば、数年後には立派な作物の収穫が
いずこからいかに入りたる熱の因頭痛
約束されたも同然である。
り帰って来てくれた時の喜びは格別だ。
伴い高熱十五日 酒向陸江
猫は時折、飼い主の予想を超えた行動
を起こすことがある。筆者も同じ様な経
年下のあなたの老いが悲しくて五月の
験を持つが、夜中に大声で猫の名前を呼
雨にぬれて帰りぬ 堀口寬子
ぶことは照れ臭いものだが、探す側にし
自 分 よ り 若 い 人 が 逝 っ て 仕 舞 っ た り、
認 知 症 に な ら れ た り す る と 本 当 に 悲 し て見れば必至である。その猫がひょっこ
おいしいと言い合う相手今は無く色の
く、淋しいものだ。下の句の「五月の雨
に濡れて帰りぬ」の表現が心情を見事に
れるが、回復されたとは言え、まだまだ
原因不明の高熱に侵されたのこと、大
変でした。半月もの間熱が続いたと云わ
☆
捉えて素晴らしい作品となった。
乏しき夕餉を済ます 三村芙美代
注意を怠ってはならないだろう。
☆
政治経済宇宙のことまで良く識れる友
普段当たり前と思っていることが矢張
り独りになってはじめて身に染みて分か
☆
るのは、こんな時なのだろう。ならば今
の白髪は櫛目くっきり 吉田綾子
を大切にと思うが、瞬時に忘れてしまう。 どうぞお大事に。
現代は二人に一人が癌患者であると云
われている。お医者様であろうと例外で
羨ましい最期である。
が刻まれていることだろうか、ある意味
きて」の中にどれ程多くの言葉が、歴史
最愛の人との悲しい別れの瞬間を詠ん
だ 見 事 な 挽 歌 で あ る。「 薄 く 眼 を あ け 頷
姿が読者に明確に伝わってくる。三句目 手を握れば薄く眼をあけ頷きて応へ呉
は、「博識の」にされたら如何だろうか。 れしが最后となりぬ 岩上榮美子
たのだ、湯宿に話は尽きないだろう。
の戦争を何等かの形で潜り抜けてこられ
作者のグループは全員が平均寿命を遥
かに超えられている。それぞれの方があ
き世界一の座を守ったと云う。
日本の女性の平均寿命が今回の統計で
更 新 さ れ 八 十 六・六 一 歳 と な り、 引 き 続
生をなつかしみ語る 橋本佳代子
こ の 歌 も 下 の 句 の「 友 の 白 髪 は 櫛 目
くっきり」の表現によって性格や友人の
は無いだろう。幼子二人のというからに
ふかふかの土造らんと貰ひ来たる落葉
湯の宿に心放ちてそれぞれに過ぎ来し
は、年齢もかなり若いのだろうが、作者
米糠畑に鋤き込む 青木初子
幼子二人の父親である 有泉泰子
みづからのガンを告げゐるわが主治医
の心の痛みが伝ってくる。
29
作品一
茨城 吉 田 綾 子
萎えているゼラニウムに水かけやれば声出すように活力もどる
集落の年中行事のひとつにて墓所清掃に村の人挙る
墓所を囲む樹木の刈り込み作業するは高齢者ゆえ先々厳し
この炎暑にエンジンソーを抱えたる村の高齢者が樹木を刈り込む
休息に手渡しされたるかき氷に滴る汗をしばし忘れて
大きめの氷片ひとつ水槽に落せば金魚すばやく動く
土曜日は売りに立ち寄る豆腐屋がボランティアと呟き芝を刈りいく
検査入院三日過ぎつつ食卓の常席に夫の居らぬこと寂し
職退きて野菜作りに励むともは初生り胡瓜を惜しまず呉れる
☆
千葉 堀 口 寬 子 内科医の夏の庭には幾つものひまはりの花今年も咲きぬ
検診に見つかる病夫にも吾れにもありて説明をきく
痛み持つ腰の重さに外出の半日が過ぎ急ぎ帰りぬ
いろいろの薬に生命永らへる夫は己れを受け入れて居る
東京 増 澤 幸 子 コンパニオンの説明ききつつ展示場に少し気取りて宝石を見る
安曇野市 穂高町
30
作 品 一
買ふ品の無いとも言へず品定めプライスのゼロ目で追ひてみる
新車より高価な珊瑚すすめられ持つて居ますと話を反す
土佐珊瑚うす紅なれど若き日に姉より祝はれ価は知らず
猫を呼ぶ声と裏腹大声にアーチストの名叫ぶロックコンサート
しつかりと零余子の蔓は枝絡め勢ひすさまじ二階へ届く
日々草夜半に散るらし朝々に小花は鉢のまはり色どる
病む兄に顔よせ幾度も呼んでみる手をさすりつつ声音を変へて
稲の穂の出始めたると聞かされて台風進路気の休まらず
茨城 中 村 晴 美
節電は酷な暑さに封印すエアコン無しは命の危機なり
早朝に畑の草を抜きをれば吹き出す汗のシャツに滴る
岐阜県の核融合施設火災あり我が住む市にも核融合あり
ぬるい風ゆるる葉上にしがみつく蜻蛉二ひき季節の移ろふ
暑さ増すみんみん蝉の鳴き声のうるさきを許す短き命に
モロヘイヤ茹で冷やせるを食すれば暑さに弱る体にやさし
桜島噴火レベルの引き上げぬ川内原発再稼働すぐに
再稼働に山の怒りか避難指示五十キロ先には川内原発
岩手 田 端 五百子 さはさはと浜風なづる青田中夕べは早も蛙なきつぐ
あばれ時雨被災の山野丸洗ひ海のかなたに片虹の立つ
31
形代に友の名書きて託したり多くの命きえたる海に
被災地の霊峰五葉よ端つこに白き雲ゐて今日は日本晴
黄金色に小麦畑の輝くを土手に坐りて生徒描きをり
ゴキブリに声裏返る友人の妻は尺取虫平気でつかむ
花火背に黒々羅漢坐し給ふ人らの歓声闇より湧き来
スーパーを一巡し来れば草いきれ静めて夕立ちあがりてをりぬ
東京 永 田 夫 佐
百日紅雲立つ空に枝をはり紅い花群ふんわりゆれる
午後からの天気に期待出来そうな薄日漏れ来る今宵七夕
七夕は重たき雲に飛行機の灯チラチラ空をゆくのみ
調布発ちたちまち落ちたる飛行機は人の命と民家をうばう
草を引き鉢植え移す壊れたる木戸の取り替え工事の為に
琥珀色の源泉の湯に身を沈めひとりきき入る夕蝉の声
香り貴きオクラホマ散る花弁は雨をはじきてなお輝けり
東京 河 津 和 子
原爆が投下されてより七十年被爆体験を語る人老ゆ
日中は酷暑か炎暑暮れゆけば東に月の赤黒く在り
夕暮の窓辺に蝉の弱々し一声鳴けば又休みたる
地球上日本だけではないニュース異常気象と高温情報
三日間人・人・ひとが埋めつくす八王子祭り炎天の中
☆
☆
32
作 品 一
十五組が甲州街道陣取りて関東太鼓の大合戦す
歩行者用道路となりて山車を引く人等と見る人一体となる
テレックテン囃子に合せ歩いてる八王子祭りたけなわの中
愛知 山 田 和 子
隣家の五人家族は新築の工事始める猛暑の最中
ペットボトル逆さに仰ぎ飲んでいる屋根の上に作業している男
隣家の空き地になりて気づきたり西日は窓に容赦なく照る
浜木綿の茎すっと伸び莟割れ長き花弁がくるりと開く
実家から貰い植えたる梔子は虫に喰われて十年咲かず
抜こうかと思う矢先に梔子は固い蕾を三つつけたり
☆
カメラ持ち夫は出たり入ったりパッションフルーツに実のあると言う
山梨 有 泉 泰 子 藤の枝に蔓巻きつけて天高く朝顔咲きぬ紅の大輪
復員の父を迎へにバス停へと姉と歩きし畦道浮かぶ
バス停の際の畦に姉とゐて草を摘みつつ父を待ちゐし
リュック背に水筒下げて下りて来し父の顔の記憶にあらず
「お父さん 帰つて来た」と走り行く姉の後を我も走りし
帰り来し父に抱きつくこともなく手もつながずにただただ走りき
千葉に住む伯母を頼りて祖母姉と疎開の日々に寂しさのなし
グランドで勝敗をかけて戦へど命奪はるることなき平和
33
愛知 小 島 みよ子 日曜の今日は隣りも朝より止むことなしに「クーラー」かけをり
冬物を少し片付け一休み深まる春の暑き一日
一時に暑くなりたる昼下がり夜具も寝巻も急ぎ替へたり
暑き夜の眠れぬままに起き出でて合同歌集の頁を捲る
冬雷の百十三人の歌読みて皆様の日々に元気頂く
体調を少しくづして一日を風の音きき「冬雷」を読む
散歩終へ蔓紫を苅り込みてすつきりとした姿見つむる
早朝の涼しき風の爽やかさ草引く背を撫でて過ぎゆく
岡山 三 木 一 徳 大暑とは昔の事かよ今朝はもう網戸通して涼風の入る
新聞の広告欄は病気の本満載されゐて医師は不要か
馬鹿だとか阿呆だとか言ふ前に元気で頑張る妻に感謝す
百年の記念の年に初出場決めた球児の晴れやかな顔顔
戦争の傷あと遠くなりにけり七十年経て労苦うすれる
戦中を生き抜きし人も少数化百年を経て語り次ぐ者探せ
千葉 野 村 灑 子 便利グッズの紹介ありてこれならば吾にも作れるとシャツ切り刻む
種飛ぶは目に見えねども我が庭のやはらかき土に野草群生す
切枝の一枝からそれぞれ五枝伸びてワッと新芽は円をつくりぬ
34
作 品 一
売出しの造成地に紅白のつめ草の群生しをれば一株もらふ
すつぴんで乗り来たるのち二十分若きは化粧終へ降りてゆきたり
今年伸びたる若竹は皮をまとふまま色やはらかに天つき上げる
メタボ級の人等集めて講義する療法士は少女のやうなあどけなさ
ビルとビルの狭間を西へ飛ぶ機あり時折光を放ちつつゆく
東京 荒 木 隆 一 天引きの年金の額に怒りしがその年金で今生きてゐる
庭の花誉めて水道検針員が麦茶一杯馳走になりをり
地域の児に声を掛ければ立ち所に変な小父さんと報告される
浴衣着た母と娘が八の字に茅の輪の潜れりキャッキャ喜び
錫杖を鳴らし手古舞ひ夏祭り白粉の首に汗滴たらせ
渋滞のバスに疲れて愚図る児をあやす母親手代へ品替へ
束縛を受けぬ独りの朝夕食を更に怠惰にさせる此の夏
番台の娘が無愛想と評判の銭湯が空きゐていと有難し
茨城 沼 尻 操 古里の墓に椿の大木あり先祖が御座しかげろふの立つ
雀さへ子に餌を口移ししてゐるに子を餓死さする母のおそろし
紺碧の空に浮雲昼の月銀色に輝き旅客機のゆく
たんぽぽの綿毛とばしが面白く曾孫ちよこちよこ追ひかけ転ぶ
雨上がり朝の光に柿の葉は虹色の様な雫を落とす
35
数種類の椿の花散り掃きながら植ゑたる祖父の心想へり
鷺草を植ゑ替へて約一月半よく揃ひ伸び花芽待たるる
整ヘし庭木の間吹く風に雨蛙なき眠気さそはる
埼玉 小 川 照 子 七月の十日遅れのお盆なり二十三日盆迎ひせる
お盆には孫子集り先祖の話姑と亡夫の話多く出で来る
猛暑でも百日草の花咲きぬ水やりしても花の色やける
猛暑の幾日も続くに気を付ける冷房つけて水分を取る
暑き中戦後七十年のニュース見つつ広島長崎の原爆思ふ
友思ひ涼しきうちに畑仕事動ける倖せササゲもぎをす
梅干しを今年も始むわが行事カゴに並ぶを丁寧に返す
朝採りの野菜はどこか味違ふ待ちくるる友楽しみですと
☆
栃木 高 松 ヒ サ ☆ 筋肉の強き痛みに耐える日々長期戦ですと医師の診断
三毳山木々の緑の濃くなりて峰の姿も大きく見える
取りたての胡瓜の生を齧る音昔の頃が思い出される
捥ぎたての茄子のしぎ焼好物を夜の食卓大皿に盛る
冬雷の合同歌集に励まされ繰り返しつつ毎日開く
子供等の神輿囃子の音聞え賽銭握り道路迄行く
東京 大 川 澄 枝
36
作 品 一
会いたいわ会いましょうよを繰り返し友は逝きたり新盆近し
嘆くまい彼女は楽になったのだかんかん照りの夏に旅立つ
何となく昭和の初期に戻りゆく気のしてならぬ流されゆくか
夏休みの平蔵くんの朝顔を吾観察す青き花二つ
富山 吉 田 睦 子 七月の中頃晴れてもちの木に今年初めて蝉の声聞く
風音に鍵たしかめに立ちて見る一人留守居の夜は眠れず
露を持つ色取り取りのグラジオラス触るれば揺れて朝日に光る
台風の予報を聞きて前日に折りたる花は壷に華やぐ
赤く咲く百日草に揚羽蝶夏の陽差しに羽根光らせて
(七月二十七日)
潮風を受けて車に走りゆく此の上も無き気分壮快
千里浜の海水浴場に遊ぶひと車は渚に長長並ぶ
東京 鳥 居 彰 子 学校が休みに入り恒例のラジオ体操はじまるわが境内に
去年まで元気に出て来たる老婦人今年は何故か姿を見せず
名も知らぬ住所も知らぬ人と人一年ぶりのラジオ体操
大声に歌ふラジオ体操の歌昔も今も気分はおなじ
お襁褓あてラジオ体操に来る女の子最前列に真顔で跳ねる
リハビリに通ふ道筋の薬屋の取り壊されて高きビル建つ
此の夏の暑さは常とは異なりて蓮に花無く葉のみの茂る
37
今年も又苅りこまれたる青年の樹の枝葉を拾ひ鉢に挿しおく
北海道に涼を求めに行ける友より十勝の森の絵葉書届く
福島 山 口 嵩
止まつてはまた歩き出す老犬をリードし歩く隣人傘寿
立ち読みの「東大生の受講ノート」文節・段落記述整然
飲む・貼ると二ヶ月分の処方薬袋二つを叔父に渡しぬ
折々に日記つけたる記憶あり「三日坊主」最長期間は夏の絵日記
☆
「し」と「たる」に違憲と合憲重ね見る「どちらでもよし」は権利放棄ぞ
山肌を削り積まれし汚染土を運び行きたり他県のダンプも
安保法答弁重ぬる度ごとに絵解きの様な説明多き
憲法の理念何処の閣議決定保身一途か与党議員は
埼玉 本 山 恵 子
この夏は三十度越して当たりまえ満天星の生垣黄ばみたり
玄関の細々したもの片付けて大葉擬宝珠一鉢の涼
昼過ぎに小さき花開く草花火ぴったりのネーミングに笑ってしまう
ほの暗き苔むす庭に実生なる蓮華升麻の薄紫の花
鉢植えの蓮華升麻の零れ種今年はじめて花を付けたり
毎朝の目覚めと共に目に映る畦池梅太郎の『山湖のほとり』
まれなれど山頂に寝転びしことありき『山湖のほとり』の山男の気分に
長崎 福 士 香芽子 38
作 品 一
父母の齢をとうに越えて生く何時身罷りても悔はなかりき
五月二十九日は吾の生日九十六歳百三歳の人よりは若いよ
ベランダより普賢岳を見てをれば古里の庭より見し高山をしのぶ
高山に登れば眼下に内海の片辺に並ぶ街がつづけり
幼なき日に盥で行水してくれし母の温もり今も忘れじ
父からの手紙は何時も「苦労は買うてもせよ」との文だつた
亡き夫の十三回忌すませたり吾一人にて安けく生きむ
一人では外出ならぬと云はれたり宣なるかなや老いたる身なれば
東京 高 島 みい子 盆踊り数多の提灯ゆれ出して老若男女に月も輪の中
打ち鳴らす少年達の和太鼓に身がゆさぶられ脚をふんばる
墓参する人に褒められのうぜんかづら向きをかへつつ花揺れやまず
命日を「蕎麦の日」と決め好物の十割蕎麦と焼茄子供ふ
ひゆるひゆると空に上りて咲いて散る花火に子の顔一瞬過ぎる
一秒の休みもせずに耳なりす静かになる日は天地のみ知る
背を丸め杖つく我が影右の角曲がつた途端に消えてしまひぬ
ロボットが介護や掃除する世なり自然界だけはそつとして欲しい
東京 飯 塚 澄 子 押上の駅の出口は迷ひ道二度も離れた場所に出で立つ
父親の腕の中にて迎へくれ曾孫背を向け急に泣き出す
39
紫木蓮の太き木の根にゐる蛙気配察して手足縮める
視線をば転じてふつと驚きぬ蝉の抜け殻葉の裏に在る
我が庭の蛙の写真見し友は戦災に遭はぬ庭風土誉む
三十一の文字に親しみ二十余年日々の思ひを顧みる幸
亡き母の十七回忌に六人の子ら思ひ出を文集になす
兵庫 三 村 芙美代
濁流の突如襲える勢いに夜明けと共に蝉の鳴き出す
沸沸と煮出せる麦茶の芳しき今日も猛暑の予報聞く朝
腰曲げて歩いておれば目の眩み路面は白い炎に揺らぐ
一時のオアシスとなるクーラーの利きたる車中に生き返りおり
大玉の西瓜買いたる勢いも失せて食欲なき儘にいる
幹堂堂と天指す梢長崎の平和の像に似たる大楠
勝ち進むほどに気になる試合の結果朝の紙面に母校を探す
☆
☆
八月六日の「きのこ雲の下で何が?」見終われど涙忘れて総身固まる
国民を守る兵隊一人も居らず命懸けなる婦女子と年寄り
安保法案通れば総理の側近の暴言正論となるやも知れず
茨城 姫 野 郁 子
名古屋城背景にして皆笑顔写真に楽しかった事蘇る
プール帰り娘との外食にTシャツは駄目出しされてレース服にす
婿殿の退院の知らせ未だ無く八月を待ち娘に問いぬ
40
作 品 一
盆前の境内の除草は本堂に皆で読経をして始まりぬ
左足の取れぬ違和感は腰からと言われ除草の時間を問わる
草取りは三十分間ときつく言われ守らぬわれは歩けなくなる
東京 田 中 しげ子 真夏日に汗しとどなる動きして湯浴みのあとの冷水一杯
補聴器をつければ直ちに耳に入る小鳥の声は朝のコーラス
爪切りを使ひて手足の爪を切る深爪になりゆくを娘に叱られて
緑道の隣に大きなマンションの素早く建ちて十年は過ぐ
終のすみかと定め住み来て三十年東京湾の埋め立ての地に
いくさ終り科学の進み月、星に探査機届く日々となりたり
何も彼も変りゆく世に永らへて思ひもかけぬ九十年かな
茨城 大久保 修 司
孫連れて海水浴に行きたしと言ひたる娘を迎へに来たり 昼食に鮨食べたいと小三の孫の言ひ出し予定を変へる
太平洋の波を防ぎて幼児用海水浴場「くじらの大ちゃん」
熱中症の予防に水を持ちをれど孫らは断然アイスを好む
立ち枯れの庭の葵と思ひたる茎の根元に帰り花もつ
日の暮れて庭のランタン足元の草の葉陰に光り出したり
亡き母の友は今年も生垣の上に南瓜の蔓延ばしをり
足腰の痛みに廊下を這ひをれば鰐の気分になりて可笑しも
41
東京 岩 上 榮美子 寄辺無き思ひに心沈みをり九十歳の夫が逝きたり
そんな弱気でどうすると夫がたしなめる夢に出で来て
心の拠り所なくせる我を励まして次の企画を進め給ふ師は
掌をガッシリ握り歩むなり転び易き吾を伴ふ息子
気晴らしに誘ひ呉れたる食事処新鮮な魚料理がなかなか旨し
わが歌集に感想下さり有難し諏訪湖畔のグループからも
月見草群れ咲く砂丘越えゆけば松林よりクワクコウが鳴く
神奈川 青 木 初 子
葉焼けせず緑を保つ紫陽花の遣り水欠かさず二日に一度
紫陽花の「十二単衣」の花毬の藍色清し日盛る夏に
四十雀めじろ雀の親鳥は群れて巣立ちの幼鳥連れ来る
四十雀めじろ雀の幼鳥の囀りは似て聞き分けられず
丈高き夏雑草を力づくに抜けば付きくる蝉の抜け殻
供へおく葡萄の房に甘き香の立つらし蟻の群がりてをり
葡萄に付く蟻をあちこち落としつつ夫は居間に我を呼びをり
逃げ惑ふパニックの蟻に慌てゐる夫に指示する掃除機出せと
千葉 涌 井 つや子 私の生れ故郷は茨城県カミナリ鳴れば雷様と言ふ
ライサマが鳴れば青蚊帳すぐ吊りて兄妹転げて飛び込む夕暮れ
42
作 品 一
目が覚めて朝かと思ひ顔洗ふいつも優しい父でありしよ
我が子等はいつまでも父に反発し苦労話に聞く耳持たず
東京 大 塚 亮 子 藍染の作務衣の男が商店街の通り見てをり客待ち顔に
不揃ひな三角形に括らるる布が置きある不売品らし
藍染を買はむと染め色紋様の異なる布地の多さに迷ふ
手も爪も藍に染まれる職人の勧めくれたる布地手に取る
藍染の布地を盥につけ置きて揉めばたちまち水は藍色
藍染を水洗ひする五六回刺し子習ひし頃と同じく
使ふ程に藍色冴えると聞きたるを思ひて布地を太陽に干す
水洗ひしたる布地にアイロンを当つれば藍の匂ひたちくる
(☆印は新仮名遣い希望者です)
福井 橋 本 佳代子 けふもまた酷暑になるらし峡の空仰ぎつつ庭の花に水撒く
旧盆の墓掃除けふは早起きして二丁の草鎌念入りに研ぐ
頼まずに墓所の草刈り老いの手に叶ふをけふの喜びとせむ
父ははの夫の納まるこの墓所に来れば自づと安らぐ心
心よくわが田を作り呉れし君たちまち逝きてけふの驚き
われよりもひと回り若き君逝きて現し世の無常を沁み思ふ夜
法人の若きらけふは委託田に揃ひ蕎麦蒔くを窓に見てをり
法人恒例の収穫祭りに人気の蕎麦若きら意気込み育てるはよし
43
八月号作品二評
桜井美保子
☆
独り居の兄の冬物片付けて五時間の滞
在瞬く間に過ぐ 林美智子
仮設にて四度目になりたる母の日に花
贈りくる心うれしも 岩渕綾子
以前は山頂付近に咲いていたのだろ
う。ゴヨウツツジの花に出会えなかった
のは自然の変化か。期待した花が見られ
ず少し寂しい気持が詠われている。
たやすくはつかぬライター使ふ度力の
東日本大震災から四年。仮設住宅での
日々の苦労は計りしれない。そんな作者
にとって母の日の花のプレゼントは何よ
無さを思ひ知るなり 山本貞子
手作りの柏餅が美味しいお店。ほんの
少し買うだけでも愛想よく応対してくれ
ように改めて二ヶ月分ずつ、じっくり読
考も合わせて読むことが出来た。作者の
号まで連載された。編集長の「し」の論
江波戸愛子
り音読が好きになりたり 先生に褒められしこと一度ありそれよ
者なら色々と工夫されるに違いない 補うにはどうしたらよいのだろうか。作
いという。そのことも発見だが、それを
手の力が弱くなったのか思うようではな
り嬉しかったことだろう。
おり二ヶ月分をまとめて読みぬ
年 齢 を 重 ね る と と も に 体 も 変 化 す る。
以 前 な ら 簡 単 に 点 火 出 来 た ラ イ タ ー も、
る。こうした片付けものは思ったより時
浜田はるみ☆
「 し 」 と「 た る 」 が 四 月 号 か ら 載 り て
間がかかる。下句に実感が籠った。
大山編集長の企画で太田行蔵先生の
『四斗樽』復活版が今年四月号から八月
季節ごとの衣服の入れ替えなどお兄様
の暮しをサポートしている様子が出てい
出来上がる時分に寄れば柏餅二つばか
るのは嬉しい。この歌には何か懐かしい
むのもよい。積極的に学ぶという姿勢が
今月はクラス会の一連。先生に褒めら
りを菓子屋喜ぶ 立谷正男
ような空気と人間の温かさがある。
素晴らしい。
☆
掘割の岸に群れ咲く立葵盛りとなりて
館前の賑わいをよく捉えている。
リズムが歯切れよく言葉に無駄がな
い。大相撲を見るのに訪れた両国の国技
満開のたんぽぽに埋まる芝園に園児の れた思い出を今も大切に心に仕舞ってい
日に輝けり 佐藤初雄 ☆ 遠足二組が来つ 田島畊治 ☆ る作者。素直な気持が出た作品である。。
日頃からこの立葵の群れに親しんでお 両国に降りれば夏場所二日目の国技館
られるのだろう。蕾が付いて、やがて花
眩しいくらいのたんぽぽの黄色が広が の時季となる。そんな経過も感じられ る。 る 芝 園。 そ の 中 を 園 児 達 が や っ て 来 た。 前のぼり旗並ぶ 伊澤直子 ☆
真白なるゴヨウツツジあるはずの山の
日差しを受けて今まさに花の盛りである。 楽しげな情景を捉え色彩感も豊かである。
情景が目に浮かぶように迫るのも写実の
頂上風のみ渡る 飯嶋久子
☆
確かさと調べの美しさがあるからだ。
44
八月号作品二評
自然への畏敬の念。それを忘れてはい
けない。人は時に驕りすぎる。
ひたすら祈る 野崎礼子
☆
中村 晴美
ドクダミ清しく咲けり 林美智子
もう少しの我慢ですね。自然災害は仕
方ない部分もあるが、のり越える気構え
災害住宅の落成遅れゐるといふいかな
独り居の兄を時々訪ねる作者。心配し
てくれる身内がいる兄は孤独でない。自
は見習いたい。
る苦難ものり越えゆかむ 岩渕綾子
立も大事だが、もたれ甘える関係も、ど
緊急の入院またの手術とぞ心細きに震
☆
こか温かい。
度四の揺れ 田中祐子
ひと月振りに兄訪ねれば珍しき八重の
臆病な吾一刻も耐へ難き地震の原発戦
☆
争法案 立谷正男
災害はこちらの都合に関係なくやって
来る。大事にならず良かったです。
友を元気付けむと 西谷純子
戦争法案とも言われる安保法案は米国
が削減した兵士四万人を日本が肩代わり
する為の法案とも言われています。日本
退院した友の見舞ひを鰻にす痩せたる
は敗戦国なので正当に核は持てない。平
肉親とは違い友は真の心の絆がないと
友にはなれない。互いに気遣える相手は
和利用と称し原発などで核を使用しつつ
先を見据えているのは核武装でしょうか。 貴重である。
年毎に身をば支へる物増えて今年は腰
痛コルセット巻く 金野孝子
長生きしたいが加齢に伴う体の不調は
辛そうだ。それでも作者は頑張っている
感じが歌に出てる。前向きな歌である。
☆
髭なくばダリってとってもハンサムね
娘と二人でひそひそ話す 飯嶋久子
年を重ねても独身の母と娘。ときめく
二人に楽しい気分に、させられる。
丁寧にはきはきとした運転士左の指の
指輪が光る 山本貞子
新しい指輪はキラキラと光ってる。光
るだけで運転士が新婚だと想像できる所
が良い。明るく希望に満ちた歌は、読む
側の気分も良い。
五十年ぶりに会いたるKさんは障子に絵
を描くたのしさを言う 江波戸愛子 ☆
連作のミニクラス会、深いです。
ビレア二階へ伸びる 石本啓子
多くの青に一本だけ赤は大変目立つし
調和が乱れ抜かれる可能性が高い。そん
☆
南国の明るい花ブーゲンビレアに覆わ
れた空き家。悲しい景である。空き家の
な赤が青を背景に輝き見えたのか。
空き家となりたる隣に満開のブーゲン
回のバスも 佐藤初雄
税を重くする対策が施行されますが、う
道東の開拓農地過疎酷し鉄路は廃線迂
日本の食料自給率は四割を下回る。農
業を大事にしない国は有事に弱く、本当
まく機能するでしょうか。
☆
に滅びそうです。
ネモフィラの青広がる中に一本赤きシャ
レーポピーの揺れる 伊澤直子 ☆
浅間山遥か遠くに霞立つ怒り収まるを
45
作品二
カナダ 大 滝 詔 子
待つことも苦にならぬらし国境に長蛇の列なすサッカーファン
☆
ファンにはあらねどテレビに観戦す「なでしこジャパン」の決勝戦は
勝敗に関はりなくも力入れ観てゐる「惜しい」などと発して
防御するはずが自陣に球の入りバセット選手泣き崩れたり
開催地バンクーバーのすし店に限定メニュー「なでしこロール」
子の巣立つ時期とぞ鷲の鳴く声の常より長く鋭く響く
無謀とはつゆ思はずに八歳の娘一人で日本へ行かせき
茨城 飯 嶋 久子
姿良き胡瓜と茄子を選び採り夫を迎える馬など作る
黄昏れて盆提灯を点したれば夫の部屋は海の静寂
じいちゃんに僕が選んだものだった愛しくれたるじいちゃん遙か
開け放つ部屋に舞いこむクロアゲハ夕暮れまでをとどまりて居る
夢に逢う夫はいつもロマンスグレイ齢取ったねと我を見つめる
逝きてより十六年を生かされて私は立派なおばあさんです
忘れられぬ記憶の中の巨大地震戦時下なれば報道されず
安曇野市 穂高神社
46
作 品 二
歴史の中にうずもれ去られた東南海地震思い出すたび震え止まらず
いつの間にか取り壊された友の家セールの旗が風にひらひら
☆
☆
東京 山 本 貞 子 最新の精密医療機のある場所の地図を医師よりもらひ来りぬ
半年を待ちて撮りたるMRI見比べてゐる医師を見つめる
脳外科へ行く指示のありにこやかな医師に出逢へて動悸納まる
悩みなる低血圧が幸ひし脳の一部の病そだたず
此の次の検査結果のわかるまで入院用の仕度は解かず
検査結果手術は無しを喜びて友は赤飯作りくれたり
信じゐる医師の言葉に食欲の出できて体重戻りつつあり
栃木 早乙女 イ チ
早朝に弟の訃を妹の電話に聞きて呆然と立つ
弟の突然の訃報間違いであればと願いつつ実家へ急ぐ
四日前野菜持ち来て姉ちゃん暑いから無理しないでと言いて帰りき
ドライブに誘いくれたる弟にてあちらこちらと思い出多き
在りし日の弟と回りし爽やかな山間の道のドライブ思う
栃木 斉 藤 トミ子
草叢にチチと鳴きいる気配して嘴黄色き小雀がおり
ストローに水吸い上げて飲ましやる貪る様に小雀は飲む
息絶えてしまいたる小雀野に置けば存えしかと自問しており
47
自らは語る事なき叔父にして抑留体験の話を躱す
かなかなは悲しくなるから嫌いだと母との別れ叔父はポツリと
ジージーとミンミンを聞く日盛りにかなかな混じる八月六日
白煙を吹き上げている茶臼岳御嶽の噴火思いつつ登る
火山礫の道を易易登り行く五歳児に我れ追い付けずおり
信仰の如く只管山目指すその先は何蜻蛉群れ飛ぶ
五十年を過ぎて 埼玉 高 橋 燿 子
トラックの後ろの車に子と義母と川越に着きし昭和四十一年
木の香する家に疲れた身を休め東の部屋を義母の部屋とす
高熱に心臓弱り寝つきたる義母は近所の「ききみみずきん」
桑の実を手に取り義母は懐かしいと思い出語る小康の日々
すいとんを昼に口にして眠りつき深夜に逝きたり五十四の義母
残された三人で見るまぶしき朝日泣き腫れた目に力もどりき
我が父と兄の読経に義母葬りがらんと広い家に三人
五十回忌に感謝をこめて香をたくふたりぐらしもながくなりしを
埼玉 浜 田 はるみ
敗戦後七十年のこの夏はドキュメンタリー番組多し
戦争や被爆体験の継承は昔のままでは伝わらぬと言う
今の子に被爆体験話しても実感できぬは仕方なきこと
孫ならば無理からぬこと親でさえ戦争のこと知らぬのだから
☆
☆
48
作 品 二
今の子にも伝わるように工夫して被爆の語り部続けると言う
仏壇も神棚もなく孫おらず年中行事に遠ざかりゆく
冷房の部屋から出るのが怖い程健康でさえ辛きこの夏
埼玉 野 崎 礼 子
ベランダに小首傾げて鳴く蛙バジルの緑に見事同化す
台風と共に去りたる青蛙ベランダに立てば寂しさ残る
七階を目指して一気に駆け上がる我が体力を試す八月
一万歩歩こうと決めて一か月目標のあればこれ又楽し
冷製のパンプキンスープが染み渡る只今夏の真ん中あたり
限りなく平行線の今日の君大きな雷鳴駆け抜けて行く
飛切りの笑顔の中の優しさにこれが無償の愛かと思う
木曜日昼のソファーに寝転べば足の先まで自由と思う
茨城 糸 賀 浩 子
捥ぎたてをモンペに拭い少女期に喰べたるトマトの味を忘れず
昔から神の使いと崇めたる白蛇に遭えど恐怖心なし
あいまいに採決されたる「安保法案」実行の後を見極めゆかん
ガム噛めばガムの苦さを思い出す敗戦におびえし小学二年
麦秋の季節になれば不器用に鎌研ぎし少女期の記憶ふくらむ
白足袋で路上踊りに熱をこめ入賞したる我が仲間たち
金運と叔父のくれたる蛇の抜殻財布の奥にひそと持ちおり
☆
☆
49
嫁入り衣装を虫干ししつつ思いおり後に娘らは如何にするらん
青森 東 ミ チ 去年より身長二センチ縮まりて検査の結果骨粗鬆症
傍にあふ向け眠る猫を見る此の子を守らむ我の義務として
冬越しの鉢植ゑパンジー咲き溢れ九ヶ月間を手入れ楽しむ
手植ゑせしパンジー九ヶ月間咲き継ぎて真夏日続く昼時に枯る
紫陽花と萩と女郎花の揃ひ咲く異常気象の所為かもしれぬ
明日からのネブタ始まる真夜にして恵みの雨降り祭りに障らず
夕ぐれて昼間の熱風弱まればネブタ運行前の静もり
☆
ふり返る 岩手 岩 渕 綾 子 第五十回冬雷大会に参加して戻り来りて仮設のくらし
仮設にて友に恵まれ恙なしあまたの支援に感謝をしつつ
福島の原発おもへば未だ良しと友と語らふ仮設のくらし
仮設住宅は校庭なれば中学生に済まぬおもひの四六時中あり
校庭を占領されたる中学生助けくれたり挨拶もよく
復興住宅みな遅れゐて仕方なし然るに突然連絡ありぬ
冬雷のあまたの投稿重なりて頓馬なわれは反省しきり
五葉山の麓の地なる立根町有り難うありがたうを繰り返す
岐阜 和 田 昌 三
寝室の戸を開けたるまま眠り居り殆ど朝まで閉める事なく
50
作 品 二
立秋を過ぎれば昼は猛暑なれど夜は涼しき風の吹き入る
☆
☆
施設訪えば義姉は我が名を「昌ちゃん」としかと言いたる認知症なれど
母好みしうた三回忌に合唱す僧の音頭で斉太郎節を
「高いな」と娘は言うも「安全だ」と茨城産の落花生買う
この年は誰も死ななかったと喜びて年一回のクラス会開く
登校の子らに「お早う」と声掛ければ気持和らぐ交通当番
この夏も電力の供給足るというになぜ原発の再稼働急ぐ
若者も若き母子も参加せり戦争への不安感じてデモに
真夏日に歩きつつ思う原爆に焼かれし人の千度の熱を
東京 樗 木 紀 子
刺身用鯵買い来る子なめろうをと薬味に味噌と爼板たたく
怠りて包丁砥がぬいく月かなめろう作りに手間かかりおり
炎天下下水管工事に汗だくの人達の傍を日傘窄めゆく
土用丑の日鰻の蒲焼一枚買い柳川風に煮て三人で食ぶ
愛知 田 島 畊 治
テレビ切れば妻がつけてはうたたねを又切る平和な一日過ぎぬ
換気扇梅雨明けの頃掃除する肘で汗拭き油にまみれて
のろのろの妻の歩速に合わされぬ少し歩きてふり返り待つ
診察室に医療器具なくナース居ず問診だけの病長引く
白南風に前と後に子供乗せベルを鳴らして若き母ゆく
51
気品ある濃き紫の紫陽花はいずこに行きしか茶色となりて
妻病みてより育てたる花の鉢庭にちらばり腐葉土の見ゆ
妻を連れ産婦人科へ老いの身にも恥ずかしきこと淡々と語る
☆
☆
埼玉 倉 浪 ゆ み ゑのころ草ゆれる堤の散歩道うた口ずさみつつ幼と歩む
白々と蓼咲く庭の夕あかりつくつく法師の鳴き声きこゆ
咲き続くカンナの花の朱の冴えてわれにも夏の活力を呉る
園庭にうなだれ咲ける向日葵は陽より水より園児らを恋ふ
寺庭は涼やかにして木豇豆の実の青き莢数多さがれり
日射し追ひ場所移したるジャスミンは半月早く今朝咲きそむる
東京 石 本 啓 子
路地の朝窓越しに見る雨傘のいろいろ通る出勤タイム
滑舌に「草枕」の短文読みて後脳筋肉のトレーニングす
ワゴン車にバーベキューセット氷の冷蔵庫積み行きし奥多摩
友達の三組と行きし奥多摩のアルバム広げ若き日しのぶ
まだ届くメールに靖裕の名のありて声には出せず繰り返し呼ぶ
猛暑日に記憶ふたたび振り払い佇む次子の十七回忌
東京 林 美智子
〝海の日〟は祭りの日なり暑き二時山車引く子等の声移り行く
用水に挟まれて建つ我家の冷房不要を自慢に暮らしき
52
作 品 二
連日の猛暑に室温三十四度じっと動かず合同歌集読む
例年を越える暑さに新聞の折込チラシにクーラー探す
クーラーを買おうかと言えば長男がじきに涼しくなると受け合う
念願の家見つかりて八月末娘が引っ越す「全室南向き」
館山に三十年振り四家族集えば十人部屋二つは狭し
たまさかに花火大会とかち合いて館山に人涌く十五万人
東京 長 尾 弘 子
初孫の生れてひと月良く動く百面相に見入りて飽かず
すやすやと眠りていたる宮参り女孫の未来幸多かれと
吾の指にぎる力の強きことも夫の墓前に報告をせり
瓶の蓋あくれば香りあふれ出しコーヒー好きの夫を偲ぶ
つゆ晴れの工事の人に汗流れ差し出す麦茶音たて飲みほす
東京 関 口 みよ子
踏み入るは車窓の外の風景とかつて眺めし小岩菖蒲園
あでやかに且つたおやかに花菖蒲触れ得ぬものはさらに気高し
六十代のわれの頭上にかかげたし凜とすずしき古代紫
黒雲に暗転したる土手下を行き惑う人の影かすみゆく
明日ひらく蕾ひた打ち蓮池の泡だつほどに太き雨降る
階段の幼らが放つ日のにおい過ぎて真夏の図書館に入る
図書館の又吉直樹作『火花』二百八十人が順番を待つ
☆
☆
53
岩手 及 川 智香子 釜石に七十年埋もれる不発弾復興作業に大きな支障
鉄の街日本一と歌はれし釜石艦砲射撃の後遺症今なほ
海風と風鈴の音が涼をよぶ自然のエアコンの威力逞し
開け放つ窓より入り来る風に乗り海の匂ひと復興の槌音
夏祭り工事半ばの道を抜け海岸通り行つたり来たり
涼しげな団扇の絵柄選び持つ好みの柄は夫も同じらし
大船渡観測史上最高の三十七度身を以つて知る
子よりくる警告のメール朝夕に「熱中症に注意されたし」と
☆
岩手 金 野 孝 子 いつになく生りたる梅の実ふり落す膝・腰わすれ夫と競ひて
陽の巡り追ひつつ梅を干しをれば日がな空見る外出もせず
被災跡に今年も咲きたる紫陽花のうつろなるかな主はどこぞ
薹が立ち残し置きたる大根は驚くほどに肌白くあり
ためらひつつ固き大根おろしたりなんと新鮮辛みのありて
高校生の野球応援スタンドは勝利の風呼ぶ花畠かな
写真の母との約束はたす甲子園花巻東高校の京平くんは
香川 矢 野 操
本物の鳩時計に起こされたる田舎の家はまもなく夜明け
梅雨明けより使用可能な今治の杉綾織の厚手のタオル
54
作 品 二
桃ピンクなすびはブルー南京は緑の風船売場に揺れる
平手打ち蚊に命中しそれまでのむしゃくしゃ気分一気に晴れる
たらいから逃げ出した亀ひと月後出入口のガラス戸たたく
皮むいた大玉トマトの農薬の匂いは買ってから気がついた
酢たまねぎ健康に良いと記事載れど一時的だとその手に乗らぬ
東京 佐 藤 初 雄
大潮の堀の川底露にて吹き来る風に潮の香の無し
公園の樹林の下草刈り取られ明る根元にムク鳥の寄る
屑籠に溢れて散らかる弁当屑拾えば手伝う壮年が来る
土に落ち動き微かなアブラゼミ子雀素早く銜え飛び去る
居眠りが常となり居て懐かしき人の記憶を夢路に辿る
台風来妻の備えは蕾持つ庭の鉢物部屋に取り込む
洗濯機の動きのリズムひそやかに妻の家居は休むことなし
西安の実生の石榴待ちいたる朱の花咲けど実は未だ成らず
埼玉 江波戸 愛 子
衰運の年回りという七月にプレミアム付商品券当たる
将棋さす笑顔のちちの写真ありデイサービスの連絡帳に
昼過ぎにははを墓所まで送りゆくデイサービスにちちを委ねて
その身体抱きて愛撫をしてる間に夫が犬の傷を手当す
冷酒セット選べるメニューと娘より画像届きて宿を決めたり
☆
☆
55
半月山の展望台は行き止まり歩く我らを蜻蛉が囲む
夕暮れの湖を見ながら思いおりショートステイが初めてのちち
東京 伊 澤 直 子
大欅の緑に染まり音たてて降る雨のすじ草の葉を打つ
小さなる手に一粒のブルーベリー「食べて」と口に入れてくれたり
猿ヶ京のたくみの里にて竹とんぼ娘は器用に作りて飛ばす
☆
じりじりと焼けつく日差しとミンミン蝉庭のみどりもまぶしい猛暑日
猛暑日の続くこの夏うち外の気温の差にも耐えるが難し
ぼんやりと商店街を歩きいてうしろから来る自転車に触る
猛暑の一段落した日の夕べ畑にすすきの若穂のゆれる
見上ぐれば夕べの空にうろこ雲薄く染まりぬ今日は立秋
(☆印は新仮名遣い希望者です)
東京 高 田 光
隔たれる湯舟に熱しと注意書き源泉直に注ぎ込まれをり
かけ流し溢るる源泉床おほひ足裏熱く火傷の思ひ
熱き湯を我慢できるが江戸つ子と足を入れるも二秒と持たず
横にある加水の風呂に寛げど首のあたりに熱き湯の来る
カルルスの温泉効能つるつる湯火傷にならず踵つるつる
下山して予約無きまま宿を乞う燕温泉晩飯前に
燕の湯に疲れと汗を流し居り白濁の湯に身を横たへて
生ビール一息に飲みて眼を合はすきつき登山と本音出で来て
56
合同歌集「表紙カバーについて」追記
篇「 木 島 茂 夫 作 品 一 首 鑑 賞 」。
仔細には覚えていない。鮮明に記憶するのは
冬雷叢書第
生臭き物を喰ひたく伝通院より錦糸町に出
日(第三日曜日)
時開会(受付は9時 分開 始)
月
第五十四回冬雷大会ご案内
日時 午前
ト・互選葉書の送付時に添付致します。
宿泊希望者は直接予約を(大会参加者
は割引が受けられますが、早めの予約
をお願い致します)
◎会場へのアクセス等は、全詠草プリン
あなたにインタビュー
小久保美津子 大塚亮子 高田光
詠草批評 第
( 一部 )
大 塚 亮 子 高 松 美 智 子 山 口 嵩
山﨑英子 司会/赤羽佳年
( 二部 )
第
兼目 久 酒向陸江 高橋説子
橘美千代 司会/水谷慶一朗
費用
昼食代 一五〇〇円
六〇〇〇円
会食代
(懇親会参加者)
会場 ホテルルートイン東京東陽町
地下鉄東西線
◎
東陽町駅2番出口より徒歩2分
18
関口 正道 を も 少 し く 覚 え て い る。 先 生 の 色 紙 の 部 分
にして六〇〇m、決して遠くない散歩道だ。
この歌を取り上げた神取久子さんは、当初
抒情性はなく報告詠に思ったと言う。私は浅
30
この叢書の発行は平成十五年九月。全編、
私が製版を担当したので、取り上げられた歌
「合同歌集の表紙を撮影してみないか」と
の誘いに、深くは考えずに応じた。その経緯
(アート紙)が一六ページ、目次の六ページは、
も少なからず関わり、読み返すことによって
短歌新聞社などから刊行された木島先生の
上製本は割愛させて頂くが、前記二冊は自分
項目の横並びの設定を何度か訂正した。
は合同歌集に記述した。
木島茂夫先生の歌集の中に「清澄庭園」を
詠んだものがあった筈との云わば見切り発車
)
に清澄庭園の歌が9首あった。桜の季節に撮
今では作歌のバイブルにもなっている。「追
だった。じじつ『青い葉を喰べる獣』(P
影し、画像処理も済み、説明文共に画像を送
頁に「年頭のリハビリとして
慕の集」では
久びさに新大橋まで歩み来りぬ」がある。
頁には「待ちをりし春になりぬ屋上を歩みア
7年6月号・四百号記念」をじっくり鑑賞し
たのが偽らざるところだった。
い葉〟とはアロエだと思っていた。
清澄庭園を詠んだ歌が昭和四十二年だけの筈
歌会」の歌があることを追記しておきたい。
得していた。先生が単に鰯を好むからだけで
頁以降に「清澄庭園
筆者の私は、冬雷の月刊誌を印刷している
会社に平成十六年の定年まで勤務した。平成
はないことが、齢を重ねれば今、分かる。
草も錦糸町にも親しんでいたから距離感で納
7年6月号には直接関わっておらず、冬雷に
四百号記念を加えた三冊は、茂吉讃歌があ
り、歌の数も多く座右の書になっている。
73
入会してもいなかった。十二年の「木島茂夫
もない。8頁に6首、
でて鰯購ふ 木島茂夫作品一首鑑賞P
ロエの摘み食ひする」の歌があり、永い間〝青
考えてみれば木島先生宅からどこを歩いて
も小名木川を越えればそこが清澄庭園、距離
45
11
1010
33
付した後で、前記の掲載された「冬雷・平成
33
先生追慕の集」の製版には関わっているが、
57
49
詩歌の紹介 たちやまさお詩歌集
『故郷の道』より⒆ 立谷 正男
安倍内閣の安全保障法案の目的はアメリカ
軍とともに海外で戦争を行うということだろ
死んだ子どもの残したものは
八月集 林 美智子
八月号 十首選
春子という名は北国に多しという上司は
ねじれた脚と乾いた涙
他には何も残さなかった
へじつと聴きゐつ 天野 克彦 幼き日蛍を蚊帳に放ちたる思い出返る暑
思い出ひとつ残さなかった
以下は私の詩
き夏の夜 高松 ヒサ ☆
一枚の広き岩を滑り落つる緩き流れをな
小柄で芯通る人 高松美智子 ☆
論客にあらざる故に自衛権の論議のゆく
「どうして争うのだろう」
め滝と言ふ 高田 光 九条も知覧も知らぬと言う友に飢えから
う。アメリカという国はベトナムをはじめ常
金色お月さまに
に戦争をしている。軍事産業がそうさせるの
により一般市民2万4千人が死亡したと指摘
寄り添うひとつ星
墓石ひとつ残さなかった
他には何も残さなかった
ひとりの妻とひとりの子ども
死んだ男の残したものは
「死んだ男の残したものは」
去っていった人々を
夕焼けの空を仰いで
どうして人は争うのだろう
こんなに離れず遊ぶのに
白蝶黄蝶群れなして
菜の花畑に
どうして人は争うのだろう
験知人に生かす 吉田佐好子 ☆
海外に配信されぬをひた願ふ首相みづか
ぎて見たり 山本 三男 ☆
永年の認知症の人に寄り添った義母の経
実が崩れたイラク戦争でアメリカなどの空爆
しい。私が支持する山本太郎議員は戦争の口
だろう。アメリカの言うテロとの闘いも疑わ
している。谷川俊太郎、反戦の歌
死んだ女の残したものは
こんなにも懐かしく思うのに
話す憲法記念日 和田 昌三 ☆
叔父と叔母杖つく音のこつこつとゆつく
しおれた花とひとりの子ども
どうして人は争うのだろう
こんなにやさしい空があるのに
他には何も残さなかった
らやじ飛ばす姿 橘 美千代
介なるか血圧上がる 乾 義江 ☆
聳え立つ大病院の建物をわが帰るとき仰
り歩み散歩みち来る 倉浪 ゆみ 三階の「はつらつ教室」に気が急けば厄
着もの一枚残さなかった
58
窓あけはなつ 三村芙美代 ☆
中華街の朱雀門柱モノクロの画像に変へれば
畑土は白く舞ひ立つ
吉田 睦子
園児等の喚声大きく聞えくる梅雨の晴れ間の
え去りてゆく 荒木 隆一
チューリップの枯れたる茎は機械にて刈られ
父祖の大地は 田端五百子
家族葬密葬と老が人知れず路地より密かに消
ばこころ華やぐ 有泉 泰子 重機うなり嵩あげ進みて新しき地層成りゆく
て夫は 山田 和子 ☆
派手かなとタンスに眠るワンピース袖を通せ
に雪の稜線 河津 和子 ☆
親父より一つ長生きしたと言う祝の赤飯食し
は櫛目くっきり 吉田 綾子 ☆
富士見台に登りて四囲を見渡せば雲の切れ間
居る 堀口 寛子 政治経済宇宙のことまで良く識れる友の白髪
大空に義兄の凧は悠々と見上げる曾孫三人が
作 品 一 中村 哲也
が好きになりたり 江波戸愛子 ☆
ところにたんぽぽ一つ 矢野 操 ☆
先生に褒められしこと一度ありそれより音読
い日の学校 飯嶋 久子 ☆
呼び止めてこれ見よがしに咲くでなく思わぬ
だす夏 関口みよ子 ☆
雨の日の昇降口に母を待つ置き傘などない遠
付けた青柿落ちくる 高橋 燿子 ☆
包丁に西瓜を割れば籠りいる匂い放ちて叫び
資料を囲む 糸賀 浩子 ☆
静かなる畑に「ほとり」と音のしてフリルを
遂 に 逝 く 佐 藤 初 雄 ☆
たっぷりと油分を含む山武杉伊藤左千夫のの
揺れゐる 立谷 正男
家族らに語ることなき戦の苦共に越え来し友
鴨が見ており 林 美智子 ☆
うら若き身重の人の歩みゆく夕日の径に茅花
んけん」遊びに疲る 大滝 詔子
四歳児をなだめすかして散髪すネギの陰より
バスケ部に鍛へし体力いまは無く孫との「け
作 品 二 吉田 綾子
るかはらぬキスゲ 松本 英夫 光清か 大野 茜 昔日のリフトは朽ちて霧ながれあらはれ出づ
がうつる 廣野 恵子 ☆
夕食の片付け済みて芥を手に庭に下り立つ月
地の恵み 川上美智子 ☆
夕闇が迫り景色もかげとなり窓に車内の様子
足はやし 佐々木せい子 ☆
野いちごはぽろりと外れ掌の中に赤い一粒大
をなす 松中 賀代 ☆
膝疼き眠れず庭に出でみれば漁場に向かう船
少し安堵す 山口めぐみ ☆
朝あさの作業の一つ蜜蜂に代わり西瓜の交配
つの風部屋を過ぎゆく 本郷 歌子 ☆
吾子の付ける矯正器具は昔程目立たぬようで
みなみならず 池田 久代 はつなつ
ふうわりとレースのカーテン膨らませ初夏な
レビ見つめる 富川 愛子 傍目には易しく見ゆる車椅子自力で漕ぐはな
四脚の椅子をおきたる食卓に一人はさびしテ
作 品 三 永田 夫佐
八月号 十首選
穏やかになる 関口 正道
八月号 十首選
59
八月号作品三欄評
である。殊に「法名の墨の文字見るあら
鮮やかな法名を見詰め追悼の念にいるの
喰い頃に聡い鳥から、果実を保護する
ための袋掛けである。それでも狙いくる
残し袋をかける 鵜﨑芳子
枇杷の実を鳥に先取りされぬよう一房
て心打つものがある。
作者の優しく美しい心情である。
鳥たちの爲に、一房は袋を掛けずに置く
☆
ためて見る」は、感慨深々しい詠嘆とし
傍目には易しく見ゆる車椅子自力で漕
大ぶりの泰山木の花びらがどつさり落
水谷慶一朗
ぐはなみなみならず 池田久代
ちゐる香も共に掃く 植松千恵子
である。「大ぶりの」は削除してよい。
散り落ちた泰山木の花びらを掃くとき
芳しい香りも一緒に掃き寄せると言うの
銀杏並木の新緑が、遠足の学童の列に
陰をつくって鋪道に続く。恰も学童の爲
体力が減少し、自力歩行も辛くなった
高齢者に車椅子は恰好の乗り物だが、自
力走行は極めて困難。そこに直面した作
「どっさりと泰山木の花びらが落ちゐる
の陰であると客観視で捉えている。
陰をつくる 永光徳子
☆
新緑の銀杏並木は遠足の児童の列に木
者の慨嘆である。率直な表白がいい。
ところ香も共に掃く」でいいのでは。
☆
中吊りのポスター細かくはためかせ冷
房の風来る隅の席まで 本郷歌子
今夏は敗戦七十年忌である。原爆被弾
を受けて、七十年此処に立つ被爆樹はか
沈黙に居る 野口千寿子
草の若き弾力 鈴木やよい
☆
い掛けて来る 川上美智子
の忌まわしい悲惨の歴史を刻む墓標でも
長崎大学病院玄関前に立つ被爆樹仰ぎ
疎開児童の頃、提灯花と親しんだ覚え
はあるが花香まで知らない。近頃は品種
あ る。 三 句「 立 つ 」 は 削 除。「 長 崎 大 学
持ち帰る蛍袋の白き花もんしろ蝶が追
改良で色も多彩とか。持ち歩く花にモン
履いた靴底を通して感じ取れる若草の
力を「若き弾力」と確かな把握が象徴的
こみマンションの立つ 松本英夫
この街の歴史の一角忘れられ人を詰め
新しき卒塔婆立てて法名の墨の文字見
歴史の詮索など営利行為には不必要な
事。結句「建つ」の方がよいか。
☆
☆
シロ蝶が纏わり来るのは情緒的である。
病院玄関前の被爆樹を見上げて長き沈黙
冷房電車に座っての体感。微細な処に
視線をむけてうまく纏めた歌である。
である。四句は「伸びくる草の」が正し
車窓から見える畑で動いてる小さい丸
靴底で隔てられても感じくる伸びゆく
いが、三句の「くる」が重なるので此処
い草とる背中 川俣美治子
に居る」でよい。
が推敲の対象か。「感じをり」もよい。
「 車 窓 」 は 電 車 か 車 か? お そ ら く 車 を
止めて炎天の畑に動く老婆らしい姿を直
るあらためて見る 村上美江 視し捉えた処。口語で一貫しているから
夫の七回忌法要に立てた卒塔婆の墨痕 「る」の重出にも違和感はない。
60
八月号作品三欄評
昔から日本は、村落共同体構造、何事
も全員一致の賛成を旨とする。全体の空
子「これが欲しい」と母親にせがむ
子 供 に 邪 心 は な い。 い ず れ ド リ ー ム
ジャンボの実態が分かるときがくる。
☆
は先送りできない。若者に期待する。
農協にリュック一杯の野菜買ひ息切ら
山口満子
講談師のやうに吾身の病語り隣のベッ
さずに妻坂登る 大野 茜
気の醸成を待つしかないが、地域の発展
傍目には易しく見ゆる車椅子自力で漕
ドの人は饒舌 斎藤陽子
息を切らさず、と表現されて、妻の逞
しさを言い、尊敬の念が籠められている。
関口 正道
ぐはなみなみならず 池田久代
講談師のようなとは、いい比喩、隣人
になったのなら聞かざるを得ない。同じ
主に祈り老女の大家に貧しさを話せば
一日がこんなに早く過ぎてゆく末っ子
うが、電動車椅子の発達を期待する。
「 な み な み な ら ず 」 の 表 現 に 思 わ ず 力
が入る。いずれ我が身も車椅子生活と思
内容の話が繰り返されれば、それは危な
家賃を引き下げてくる 片本はじめ
☆
恥ずかしいことではない。働かない若者
い。本人の早期退院がことを解決する。
われに八十路迫りて 松中賀代
☆
基本的に行政は予算しか考えない。い
い 大 家 で 良 か っ た。「 貧 し さ 」 の 訴 え は
年の我をも生かし 木村 宏
梅雨に入り利根の流れの滔滔と七十八
歳を重ねれば時間の経過の速さを思う
が、結句がいい。末っ子ならば八十路の
兄・姉が健在なのが想像できる。いつま
「 帯 状 疱 疹 」 と 医 師 の 告 げ た る 原 因 が
は病弱でない限り疎ましい気がするが。
町の出身だった。戦死しているが〝坂東
身に覚えなき水疱瘡とは 篠本 正
利 根 川 は 大 河 だ。「 我 を 生 か し 」 は 愛
着を思う。筆者の父親は昔の香取郡下総
太郎〟に育まれたのは間違いない。
でも兄弟姉妹の健康と平安を祈る。
四年ぶり自宅に戻りみてみると義父母
そういう筆者も今年一月、水疱瘡に罹
患、 顔 面、 頭 部 に 赤 い ブ ツ ブ ツ が 出 来、
☆
はいたく老けてしまひぬ 村上美江
職場にてあれこれ聞きて目玉焼きは蓋
作者は東北の震災に遭われた。今も仮
設住宅居住と聞く。そこからいつ脱出で
この街の歴史の一角忘れられ人を詰め
酷い目に遭った。ウイルスは常に潜む。
一連の歌は「男の料理」と判断する!
フライパンの料理が多い。ならば油を多
こみマンションの立つ 松本英夫
して蒸らすを今更に知る 中村哲也
なる加齢ではない気がする。災害は克服
用する。カロリーを費消しないとコレス
きるのだろうか。義父母が老けたのは単
できる日が来る。これも祈るばかりだ。
テロールは溜まる。野菜を増やしたい。
ドリームジャンボの貼り紙見上げ男の
「 詰 め 込 み 」 に、 作 者 の 慨 嘆 が あ る。
マンションは何れ朽ちるが、町は残る。
☆
新理事長決めんと議題提案し何も決ま
らず先送りされる 永野雅子
61
作品三
☆
☆
長崎 池 田 久 代 「本城の石垣を水が流れたらすぐ避難せよ」と父の遺言
家族皆避難終へたるその夜にわが家は水に呑みこまれたり
田の畦を綱にすがりて避難したる背中の乳呑み児も還暦を過ぐ
夫より初めて貰ひたる翡翠の指輪指にあまりてぐるぐるまはる
梅雨明けて橙色の秋茜稲田の面をすれすれに飛ぶ
うす紅のセルの着物にはかまはき琴平小へ入学したり
四十年教師の道に精進す厳しき中に楽しみ多し
茨城 吉 田 佐好子
転倒し膝蓋骨を骨折す気丈な母も七十七歳
骨折し動けぬ母の状態に気をもみつつも仕事に過ごす
手術せずくっつくまではがっしりと膝の装具はロボットのよう
自宅にて療養開始母親は動けぬストレス父にぶつける
炎天下介護保険の申請に役場に通う父も八十
ありがたし居宅サービス受けられて動けぬ母も徐々に回復
強靭な若者さえも熱中症工事現場で全身がつる
埼玉 山 口 めぐみ
突然の夏日にエアコンフル稼働うだる暑さに料金は無視
安曇野市 常念岳
62
作 品 三
草むしり少しやったらぽたぽたと汗の滴り早々やめる
目の前の役者の声の迫力に眠気吹き飛び顔を凝視す
贅沢に色とりどりの洋野菜バーニャカウダーで食す楽しさ
合宿へ出掛ける息子に連絡を入れよと命ず期待はせずに
戸田橋の花火の横に小さなる赤い満月朧に浮かぶ
☆
東京 鈴 木 やよい 炎天の辛さぶつぶつ呟きつつ坂登りゆく自転車押して
暑き昼ラーメン店に並ぶ人の食欲羨み脇を通り過ぐ
西日差す窓の間近で蝉の鳴くよどむ暑さを震はせながら
「さあ行かう」己励まし踏み出す陰無く続く炎暑の道へ
再検査にて重き不安はやはらぎて祭り近づく街中を帰る
雑踏に澄む鉦聞え振り向けば托鉢僧をり盆の近づく
高知 松 中 賀 代
ふるさとの山の校舎は除けられて様変りせりヘリポートに
ひんやりと朝つゆに濡れ野菜たち生き生きとして勢がでる
陽の落ちて熱気はすこし柔らげど土が固まり鍬が立たない
踊る人汗したたり見る人も汗を流して土佐はヨサコイ
娘や孫に囲まれ傘寿の祝い受く互に感謝只ありがとう
連日の雨の被害に泣かされて次は日照りか農家に厳し
ねむの花濃きは日照りの前ぶれと言い伝えあり祖母に教わる
63
☆
岩手 斎 藤 陽 子 天空に城築くごと山崩し新校舎建ち歴史の変る
もゆるごと熱き更地に一本のポプラ屹立す緑濃くして
良いことも悪しきことも人にすれば我に還ると祖父は教へき
銀行に長く勤めたる夫の宝五つ玉のそろばんに手の汗光る
二重三重輪になりにぎはひし盆踊り遠い昔のたのしかりし夜
シャッターを下ろした店の並ぶ町一夜かぎりの七夕の灯り
岩手 佐々木 せい子
高校野球岩手県大会に熱狂す「花巻東」ついに勝ち取る
亡き兄の孫は希望をかなえたり夏の甲子園の土ぞ踏みたる
野球少年たりし兄の孫背番号8の外野手5番打者「ガンバレ」
スタンドの汗も吹きとぶ応援団の若き声援空にひろごる
体調をくずして友は籠りたり電話の声に一喜一憂す
診療所閑散としてウニ漁の終了告げる放送流る
静岡 植 松 千恵子 蝉が鳴き強き日差しに梅雨明けと明日から始まる酷暑覚悟す
孫をみて娘の一助となりをれど介護もありて吾が時間欲し
親戚の叔父九十六歳の大往生看取つた家族に労ひを言ふ
獣よけ電気の柵で感電死西伊豆身近で痛ましきかな
獣と人共存するは難しき作物荒らさるる現実なれば
64
作 品 三
二十二歳に自死した息子を失ひて寄り添へきれず嗚咽する親御
暑いから混むから来まい去年思ふでも誘はれて大きなる花火
東京湾岸サイクリング 東京 大 塚 雅 子
猛暑となる予報なれども東京の湾岸サイクリング皆で出かける
自転車が疾走していく大井埠頭休日なれば車の少なし
数分おき頭上に現る飛行機を眺めて休憩城南島で
自転車は車道を走る規則なれど車の速度になかなか慣れず
水分が失われゆく日照りの下登る坂道ペダルの重く
茨城 豊 田 伸 一
奥久慈の里の床屋で散髪す会話とぎれず和気あいあいと
つゆ草の青花光る美しさ朝つゆに濡れ生々として
朝靄を自転車こぎてひた走る無人の道を心ゆくまで
縁側に寝転びて見る夕空を昔の風が吹きぬけてゆく
朝顔の蜜を吸いいる蜜蜂が奥まで入りてしばし出て来ず
歩くうち左腰痛強くなり我慢出来ずに立ち止まりたり
梅雨あけの暑さきたりて野菜枯れ庭の地面が熱気をおびる
茨城 乾 義 江
白々と夜の夜明ける頃窓際に雀の囀り聞きてまどろむ
久しぶりの「鮒寿司」漬けに大童春に仕込みし冷凍寒鮒
鬱々と家籠りする梅雨空に時に雷鳴の遠く聞える
☆
☆
☆
65
熱帯夜の寝苦しきなか目覚めれば台風予告か風のざわめく
梅雨晴れに喜々と建具を開けたれば風は南から北にと抜けゆく
数発の花火二階の窓に見え脳裏に浮かぶ長良川花火
生い茂る木々を庭師の剪定し家の奥まで明るさ届く
庭師伐る鋏の音を聞きおれば夏の過ぎゆく時期となりけり
茨城 木 村 宏
夕べ咲く白粉花のしとやかさ佳き香移りて汝をつつみたり
久々に革の登山靴手入れして出掛ける前から気持昂る
さるすべりをじりじりとやく午后の陽に蝉の鳴き声一際高し
野の道の地蔵菩薩はやさしかり江戸から百年郷を守りて
畦道に馬頭観音二体あり彫りうすれたれどまなざし変らず
(広島原爆の日に)
茨城の午后の竹林風たちてざわざわざわと音の涼しく
亡き人の御魂安かれ灯籠を川に浮べる兄弟のあり
瀕死にてたどりつきたる橋のもと「みず、みず」と言いてこと切る
東京 卯 嶋 貴 子
同級生六人集り食事するつい口をつく旧姓名字
古希すぎの六人は食事のあと喫茶店にておしゃべり止まず
恒例の夏山登山に行くために一週間母をショートスティに預ける
湧水の銀命水は冷たくて飲めば忽ち汗の退きゆく
帰り道湯宿に着けば蜩のカナカナカナと鳴けり清しく
☆
☆
66
作 品 三
福島 中 山 綾 華
念願のヘブリーブルーの朝顔が咲いて我家の庭に色添う
夏早し庭の樹木に集りて蝉の鳴き合う朝早くより
選挙戦終えて議員は勝ち名のりお礼を言いに車走らす
盆近し実家で語らう事もなく震災以後はバラバラの感
チロチロと虫の声して秋知らす気温変らず秋の風吹く
東京 永 野 雅 子
十八になりたる娘への手紙に家族の寄せ書きカードを添える
十八より選挙権ありとニュース聞き政治に興味を覚える娘
昇段の課題難しく作品を何度書いても納得いかず
作品を何度も書いているうちに不思議と自分の書体に変わる
納得のいく作品を先生に添削されて持ち帰る日々
教室の先輩の書く枚数にわれも書かねばと気付かされたり
同じ手本を真似て仕上げた筈なのに書き手の個性で趣違う
☆
☆
埼玉 星 敬 子 夏の日の岸壁に咲く岩なでしこピンクの花弁大きく開く
岩なでしこ照りつける陽に花弁を負けじとひらき誇らかに咲く
夫と行く天空近き万座の湯湯舟に散るはしやくなげの花
定期便の如く夜々訪ねくる小さな親子は狸の家族
うすぐもり天空近き湯の宿に雷のとどろく雨は降らずに
67
高知 川 上 美智子
静まれる川面に映る雲二つ寄り添う如くやがて一つに
平穏に昨日に続き今日が過ぎ夕餉を前に両手を合わす
ゆったりとヨガの体位に浸る時心も共に解れゆきたり
電車降り杖突き出口に立ち止まる老いたる人を責める者なし
せせらぎと名の付く香を焚き置きて長雨の日の来客を待つ
愛知 鵜 崎 芳 子
思いたち数十年ぶりに梅を漬け土用干しする時を待ちおり
シュワシュワと今年始めての蝉の声これからの暑さ思いやられる
暑き日に夏草気負う山路行く風ここちよくはだえを吹いて
暑き日のスーパーへの道体力の消耗を避け水と日傘が頼り
栃木 川 俣 美治子
さすような日差しを受けて洗濯干し麦わら帽子夏の友
エアコンの音を聞きつつ目を閉じるああ明日も又暑い太陽
額から滴る汗を手でぬぐう雨運ぶ風頬に感じて
今日もまた雲ひとつない青空に猛暑が続くためいきひとつ
荒れた海それでもこどもは砂浜に歓声あげる夏の光景
畦道にひまわり一本背を伸ばし陽に向いて夏の道しるべ
エアコンのきいた部屋にて熱々のワンタン食べる夫婦だけの夜
ばあばあと呼ばれることに慣れし日々夏の庭から孫の声ひびく
☆
☆
☆
68
作 品 三
☆
☆
神奈川 大 野 茜 惜しみつつ伐りたる古き梅の木の根株より数多の若芽の出づる
生垣に一重山吹の交りゐて細き枝揺る花ひら共に
次々と咲き薫りゐるフリージア妻は花剪り近所に配る
母逝きしあの日の桜思ひつつ今朝満開の花を見てをり
吉野山中千本に桜満ち金峯山寺を遥かに望む
東京 廣 野 恵 子
高齢者運転講習案内が早々届く五ヶ月もあるのに
十階のティラウンジで雨をみた森に向ってはげしく落ちる
桂林を描きたる画のごとし豪雨を受けて森けぶりいる
遠き山丘陵家並みなけぶり森のみ白く眼下に見ゆる
語り合い互に記憶ひもとけば思いもかけぬ事柄ありぬ
みずからは忘れおりにし若き恋友はなにゆえ名まで記憶す
列島が赤くぬられる予報地図今日も全国暑さ厳しい
東京 永 光 徳 子
台風の通り過ぎたる昼下がり薄日の中に蝉時雨湧く
台風の大雨受けて池溢れ金魚は植木の根元を泳ぐ
青空に流れては消ゆる白き雲飽かず眺めて時を忘れる
送り火を庭に夫と焚きおれば白き煙に義母の面影
夜祭りのお囃子の音風にのり華やぐ街を想い出し居る
69
炎天に草木の萎れ埃たち喘ぐがに鳴く蝉を聞き居り
東京 山 口 満 子
休暇前に夫が買ってきたる本は「北海道」に「横浜特集」
☆
「遠出しよう」と夫が誘うデートスポットは日ノ出の蕎麦屋とイオンモール
「どうせならディズニーランド」と言う私に夫は笑って「却下」と答える
☆
☆
奈良 片 本 はじめ チャペルまで駅から徒歩で五十分我も歳なり車の欲し
礼拝も近頃休みがちとなりまだ足むくみ体調すぐれず
薄れ行く意識のなかに賛美歌を聞きをり熱中症で寝込めば
自転車の前と後に幼乗せペダルこぎゆく母のたくまし
珍しくスカート姿で君は今日我を迎へるどこかまぶしき
熱中症と食事と身なり気をつけよ母から電話のありぬ猛暑日
豪雨にて竜田の川の激流の響きくるなり夜のしじまに
長崎 野 口 千寿子
終戦後七十年目の原爆忌命を愛しみ反戦唱う
誕生日に娘から届く百合の花真紅の薔薇は艶やかにして
茨城 篠 本 正
丁度いま稲田の早生は花さかり本土に近づく台風を憂う
梅雨時の雨はしとしと降るものをきぞの降る雨屋根を叩けり
自らをガンと明かせる老人は軽トラックに田を巡りおり
70
作 品 三
毎年に甲子園めざす球児らの快音ひびき梅雨の明けゆく
いつもなら雀鳴き初むる朝の五時静けさのなか雨の音する
テレビにて画面にあらわる女子アナの浴衣姿に七夕を知る
店先にてうなぎを捌き焼くさまをビデオにおさむ異国人たち
☆
「氏にたい」と「市ぬ場所決まってるんです」ノートに叫ぶ少年を救えず
カナダ ブレイクあずさ
遠方に独り暮らせる伯母の詠む歌に安堵しまた励まさる
発つ朝に母の仕上げし布ぞうり貰いきたるに踏むをためらう
友と弾く四手連弾「青きドナウ」鍵盤上のダンス楽しき
久々に三線とりて爪弾けば指思い出す古き島唄
ガムランの響きに似たる琉球歌海の結びし国々なれば
店先で主待ちいるシェパードの辛抱づよき背中の見える
英語にて暮らしを営む日々なれど翻訳しきれぬ感情つねに
東京 松 本 英 夫
ホタル見る人につづきて一時間小川に見しははるかなかなた
マテバシイはやドングリの数多なり百日紅の咲き初むる傍に
白き湯の那須の露天にくつろげばヒグラシの鳴く夏木立かな
夏の那須オカトラノオ咲き鶯の声明らかに風を越えくる
若き日に子らとすべりしスキー場ハウスの彼方は夏草の生ふ
この道か振りむきたれば水色のひるがほ一つくすっと笑みたり
(☆印は新仮名遣い希望者です)
71
歌集 / 歌書
御礼
の気概しのばる
太ぶとと万年筆に記さるるカルテに祖父
白じろと水仙咲ける庭の面に慈雨はせか
二〇一四年三月十四日発行。
作品から四百首余りを収録。序文松坂弘氏。
て い る。 二 〇 〇 四 年 か ら 二 〇 一 五 年 ま で の
部 組 織 の「 は こ べ の 会 」 で 作 歌 活 動 を さ れ
はなびらの一片まとひ春の夜の往診了へ
され吸はれてゆけり
しを感じる。
て夫の帰る
青き空うつし張りたる薄氷光の束にはか
編 集 室
ささやかな旅の車窓に足らふらし孫の瞳
「歩道短歌会」に所属する高沢紀子氏の第
一 歌 集。 平 成 六 年 よ り 平 成 二 十 五 年 ま で の
■高沢紀子歌集『臘梅』
作 品 か ら 五 百 十 八 首 を 選 出 し て 編 ま れ た。
の斯く輝きて
波しぶき低く砕けて冬凪の海に岩海苔の
黒くかがやく
夕凪の海上いまだくれなづみ潮目の海流
ごましく見つ
引潮の海老の巣穴に忙しげな一尾の姿な
てはしる
ひもすがら凍る雪より蝋梅の匂漂ふこの
て大寒に入る
積む雪に黄の色にじみ蝋梅の花咲き継ぎ
思う。
目。どれも読む者の心を引き付ける作品だと
行の折の孫を思いやる優しさに満ちた三首
診を終えた夫を温かな愛情で包む二首目。旅
事を大切にされている様子が伝わる。
らその室礼を受け継いで、そうした季節の行
見は日本の伝統的な年中行事。作者も母上か
一、二首目は季節や自然の推移を受け止め
て優しい眼差しがある。三首目の十五夜の月
きつぎ秋深むなり
藍いろも濃くみづみづと外来種の朝顔咲
夜むかへるならひ
母のせしごと秋草や供物など並めて十五
むらさき揺るる
夕まぐれ
川床に隣りの席の舞妓立つだらりの帯の
雨にかさます
貴船なる川床の下走りゆく流れは昨夜の
さきがけて雪割草の咲く能登の岬一面黄
歌集名でもある「臘梅」を詠んだ作品をあ
げたい。寒さの中、凛として咲く花の姿には
作者の生きる姿勢が重なっているかのよう
しづか揺れをり
海草地元ならでは
ぷちぷちと口にひろごる海ぶだう生きる
吐く息白し
きさらぎのケラマ近海藍の濃く座頭鯨の
はき紅に染む
平成十七年刊行『花芯』に続く永石季世氏
の 第 二 歌 集 で あ る。「 炸 」 に 所 属 し、 そ の 支
■永石季世歌集『五月の薔薇』
(歩道叢書 角川学芸出版刊)
だ。 してそこに生活者としての誠実で温かい眼差
これらの作品に注目した。リズムの整った
美しい調べで海の情景を切り取っている。そ
波にいきづけるもの
潮あさき護岸に牡蠣の稚貝などひた打つ
雲裂きておよぶ余光に能登の海波の秀あ
砂にけぶる
夏の日に石垣あつき磯の道弁慶蟹の音た
なくとくる
二〇一四年六月二五日発行。
家族を詠った作品から三首。太ぶととした
筆跡に祖父の確固たる精神を偲ぶ一首目、往
72
さまと問ふ親しかりしよ
黄の薔薇のあたりをともす家の媼どなた
じんわりと温かな空気を感じさせる家族詠
の数々にも心を打たれる。
る白衣の父を見かけし
庭に立つゆりの木の花ほのじろくめでゐ
とすすめくれたり
薔薇の刺あやぶみて夫手袋は革がよろし
の侑里は姉のかんばせ
みどり児を囲むうからのうつしゑに二歳
ている。
旅の楽しさ、発見の数々が生き生きと詠まれ
息子の膝に諸手を合はすをさな児の初の
滑油なり
戸惑へる二世帯同居の中心に孫の存在潤
母のものなり
躾糸解きて晴れ着に手を通す細かき針目
身全霊を込めた陶芸の技が詠み込まれている。
臨場感のある描写で窯焚きの場を捉えてい
る。まさに炎と格闘するかのような場面で全
口の割れ飛ぶ
攻め焚きの炎に焼かれ大壷の亀裂の深し
も眼の熱し
窯焚きに五感尖りて午前二時横になりて
煙道を吹く
窯横に亀裂の入りて唸る如き音に火高く
夜熱風の中
頬撫づる風柔らかし火の色を見つむる深
熱風を受く
からいかに生きてゆくべき
何もかもぼやけて見ゆるもどかしさこれ
が閉ぢ立ち往生す
人になどわからぬことよこの辛さ突然目
とを決意された。二〇一四年八月二五日発行。
七十歳を目前にしたことを機に歌集を編むこ
に「朔日」に入会。九年間の作歌期間を経て、
あったという。再び短歌と出会い二〇〇五年
あとがきによると若い頃独学で短歌を詠ん
でいたがその後は三十年以上のブランクが
■頼松京子歌集『卓の芍薬』
い。 (国民文学叢書第五五九篇 本阿弥書店刊)
それぞれをこれからも楽しんでいただきた
日々の農作業も大変なことだが、堅実に生
きる様子が伝わって来る。陶芸、農、短歌と
密かなる自負
指先に弾きて西瓜の完熟を音に聞き分く
歌集には国内外の旅をテーマとした作品も
多 い。 こ こ で は 京 都、 沖 縄 で の 作 を あ げ た。
(炸叢書第六十一篇 本阿弥書店刊)
仕草を亡夫よ見ますか
思いもよらぬ目の病が作者を襲った。先行
きが見えず不安な心が歌われている。
■加藤恵子歌集『土と炎と』
結び目に特徴ありき夫の靴今なほ胸に込
集である。氏は早くから陶芸の道を歩み指導
「国民文学」に所属する加藤恵子氏の第一歌
スニーカーに共に歩みし京の街円山公園
み上ぐるもの
へ時をり夫の戻り来
肩を寄せひつそり暮らすわれと子のもと
平成十八年から平成二十六年まで「国民文
学」に発表した作品から三百九十首を収録。
者として活躍しておられる。陶芸の窯焚きが
今年独りに
穏やかな息子も時に声荒げて怒れば昔の
がゐるよと子のぽつり言ふ
付き合ひの徐々に減りゆくわが暮らし僕
この歌集のテーマとなっていて読み応えのあ
があり、心に沁みる作。
家族への思いが詠まれた作品を幾つかあげ
てみた。どれも作品の背景を想像させるもの
る作品が並ぶ。二〇一四年七月二〇日発行。
陶を焼く千度超したる窯の扉開きて一瞬
73
互いが時間の許す限り行き来しているとのこ
ていて作者は横浜に暮らしている。それでお
夫は職場が京都で、生活の拠点を京都におい
本集には外塚喬氏の丁寧な序文がある。一
首目の作品にも解説があった。それによると
三月一日発行。人間味あふれる作風の中に現
「新アララギ」「まひる野」所属。二〇一五年
中、戦後を生き継ぎ八十八歳に達したとある。
間の作品四四四首を収録。あとがきに戦前戦
前歌集『飛燕草』に続く松岡正富氏の第六
歌集である。本集は氏の八十歳代後半、三年
雨の無き梅雨嘆くなと紫陽花の藍ふくら
得たという。回想の歌ながら引き込まれる。
病気療養の日々も人知れず努力を重ねて英
語を学んだ作者。そしてその語学力で職場を
サナトリウムに
独習者われを真先に採りくれし米軍政部
とである。家族といっても、いつも一緒に暮
代を厳しく見つめる眼差しがあり、平和を願
みて雨を呼ぶ色
■松岡正富歌集『おいらん草』
らせるとは限らない社会状況がこの歌の背景
う一筋の思いがある。
詠み継ぐは我が使命とも戦時知る世代い
れ」とひねもす不動
視怠りマスコミよ踏む勿れま
権力への監
わだち
を
た戦前の轍
日常が見えるようだ。
回すハンドルに湧く自在心
よいよ逝くばかりなる
かなしくも惨き真実を語り継ぐ世代タッ
かず雪割一華
テストコース脇に紅きはハイビスカスか
牛乳をとるか英字紙講読か臥して学びし
に蒙りし恩
にある。二首目、三首目も心に響く作品。
GOに濃むらさき閉ぢて開
原発の再稼い働
ち げ
夫に重なる
桜花やうやく咲きて窓からの眺め美しわ
くはずと自ら励ます
わたなかに立ち泳ぎつつ妻と拝む沈みし
チの葉月のトーク
がコレクション展
藍、白と染付磁器の清けさよ博物館にひ
とり浸りて
艦か顕ちやまぬ影
いずれも下句への展開が素晴らしい。花と
対話し、自在な精神で心豊かに生きる作者の
松崎の山のうへ渡る十五夜の月は黄金に
海の水を含みみたれば甘苦く戦に沈みし
だいだいに開ききりたる君子蘭「憲法護
町を照らせり
ち撒きて白けき庭隅に紅なびきあ
山のおつ
いらん
魁の花
ストレスは日々あれどまた耐性も身につ
金沢へ親の墓参に行くたびに増えてゆく
若きら匂ふ
う三首目。そして四、五首目には沈没し海底
さや
なり九谷の器
に眠る艦と海に散った若き人々への鎮魂の心
(以上担当 桜井美保子)
ジを大切に受け止めたい。 (砂子屋書房刊)
これからの日本が平和であることを願わず
にはいられない。歌集に込められたメッセー
ふ花
憂き心次第にうすれセザンヌの「座る農
植物に自らの熱い思いを託して現実社会へ
の批判を込めた一、二首目。戦争を知らない
絵画を収集しそのコレクション展を開いた
という作者、芸術を心から愛することで前向
が歌われている。
世代にその悲惨な歴史と体験を伝えたいとい
きに生きようとしている心の有様が伝わって
夫」の前にとどまる
くる。 (角川学芸出版刊)
74
●転載 三題
スに合せて、在庫の未発表作品から選択し、
のようなツールである。(「うた新聞5月号」)
の元データを個人で制作出来るなんて全く夢
んでゆく作業はメチャメチャ骨が折れた。こ
数と行数を細かく数え、割付け用紙に書き込
だ。出詠者と歌数をカウントし、文章の文字
時間の無駄だと思った割付作業を省略したの
同時進行である。アナログ時代にこれだけは
雷」では組版の内製化を進め、割付と組版が
外出先などで歌のイメージが湧いたときは、
が、わたしは歌のメモは殆ど取らない。稀に
わたしの亡くなった師匠は、歌帳とよぶ独
特のノートを手作りして携えメモっていた
合っていつも作る。
作歌、推敲を繰返す。つまり歌はP に向き
ダーを作って保存する。それを出し入れして
横山季由著
なっている。
これがアララギの詠草だと言つて世間に出せ
「全体について申し上げますと非常に下手だ。
大山 敏夫
し込んでゆく。作品欄も文章欄もスペースに
本が好きで、活字が好きで出版印刷業界に
入ったが、活版の衰退という辛い経験を経な
『人と歌
­ 土屋文明からの宿題』
最後の選歌と、場合によっては新たに作り足
す な ど し て 挿 入 す る。 と 言 う 訳 で、「 冬 雷 」
れが厭で組版内製化に踏み切ったと言って過
ケイタイを開いて入力し、次次と自分のP
アドレスへ送信している。帰宅後に暇をみつ
る。かくのごとく、すべてがP のご厄介に
ぴったり入るようにその作業中に微調整、そ
がら、さながら業界内を放浪した。そんな中
るのでとても分かり易い。
資金も要らず、技術さえあれば誰でも印刷用
の存在を知った時は目の前が明るくなった。
でDTP(デスク・トップ・パブリッシング)
んの大多数は、歌はどういふものか知らない
のがありますが、それと変りませんよ。皆さ
ますか。(略)新聞の投稿歌にも随分ひどい
それは、亡くなる少し前の歌会の後のこと。
厳しい口調で土屋文明は語り出したと言う。
れでも駄目なら本文削除や、後日埋め草等を
本号 14 〜 15 頁の DTP 画面
には、自分の作品の定まった発表場所が無く
て、いつも組版後の都合となる。
言ではない。
け、それを開き再考してフォルダーに保存す
C
C
入れる。この誌面の状態がそっくり印刷され
プ上で予め作製しておいたデジタル誌面に流
│
と共に
大山 敏夫
じゃ、その作品在庫はどのように管理して
い る か と い う と、 こ れ も P の 中 に フ ォ ル
P
実は月々の作品は、編集割付の関係で余っ
たスペースに象嵌するように作る。小誌「冬
現在は手書きなどの原稿は予めデジタル文
書に変更しておき、それをP のデスクトッ
C
C
C
そうした馬なりの流し込み作業をしなが
ら、最終的に自分に与えられる残ったスペー
75
C
二章「アララギの人々」。
せる。
ラギが(略)どういふことを主張し、歌を発
三章「私の出会った関西のアララギ歌人」。
では、
の だ。( 略 ) い い か げ ん に 作 つ て ゐ る。 ア ラ
表し、人を集めてきたかをてんから知らない。
これぢゃ困るんぢやないですか。何とか方法
前列には黒崎善四郎氏、大越一男氏、横田
専一氏等のお顔が見える。右から二番目が大
山。後列の中腰が石黒清介氏。後ろに林安一
氏、谷井美恵子氏、蒔田さくら子氏、高瀬一
俊の歌評』等は、それぞれその成果であった。
文明の跡を巡る』『土屋文明の添削』『吉田正
以後この言葉に深く拘り、これに応えるべ
く熟考し、活動してきた。一連の著書『土屋
この言葉が横山氏にとっての「土屋文明か
らの宿題」なのである。
何かが語られるというのではないが、全編に
実作的な細部の課題へ分け入る。特別新しい
「 生 活 の 歌 は 古 い の か 」 を 問 い 直 し た り、
文語と口語、仮名遣い問題等にも及び、広く
四章「私が短歌について考え、学んだこと」。
では、
触れる。
う程じゃないが、こんな写真しか持たない。
同時に入会されたのが林氏で、宴席の余興
で、鮮やかな「伊勢佐木町ブルース」を青江
誌氏、菅野昭彦氏等。既に故人も多い。
その足跡を慕い追体験し、その具体的な言葉
師土屋文明への深い尊敬の念が溢れている。
はないものですか」。
を噛み戻し味わい読むことでアララギの歌と
直接指導を受けたアララギの選者や、個性
的な作品を切り開いていた先輩層の人と歌に
は何かを追求したのであろう。本書は更に踏
(「現代短歌」)
三奈ばりに歌われたのには驚いた。秘蔵と言
み込んで、
記憶では昭和四十三年だと思う。十月会に
推薦されて入会した折の一枚。
十月会入会の歓迎会(大山敏夫)
短歌」なのかもしれぬ。(「現代短歌新聞」8月)
の中を過るものなのか。圧縮すれば「人間即
歌作する時、ここに著した事のどの程度が頭
文明の宿題は歌の背骨なす論の浸透だけ
じゃなくどのように作るかでもある。実際に
一章「人と歌」。では、
アララギがどういうことを主張し、どうい
う歌を残してきたかの歴史を考えている。
左千夫の「吾詩は即我なり」の言葉を引継
いで競いあってきた先人たちの大きな足跡。
中でも文明は、左千夫の精神を更に尖鋭化し
て「生活即短歌」を実践した。これらを伊藤
千代子や西田幾多郎等の絡みに触れながら考
え、語る。又、相反する立場にある同時代の
人と歌にも、明確な態度で臨むことで際立た
76
いと思います。シルバーカーを押
リは毎日続けていますが完治は無
▽専門家に来て貰い治療、リハビ
ます。
あり部屋の中でも杖を使っており
らしいのですが、下肢にしびれが
▽声が元気そうなのでそう見える
生活を続けております。
方々の御支援を頂きながら独りの
で九十六歳を過ぎましたが巡りの
▽一九二〇年生れの私は此の九月
ます。
をお借りして近況を記させて頂き
りますので私事になりますがここ
▽多くの方々の御心配を頂いてお
げます。
お過ごしですか。お見舞い申し上
気は定まりませんが、皆様いかが
▽荒々しい天気が続き、一向に陽
張感が増してきます。今年は詠草
た。十首選の葉書が毎日届いて緊
▽いよいよ大会が近づいてきまし
る備えはしておきたいですね。
害が起こるでしょう。自分にでき
います。この先も思いがけない災
なく気流にも異常があるように思
起こるようになり、海水温だけで
ても急な集中豪雨や竜巻が頻繁に
涼しさが続いています。それにし
▽お怪我の方、御病気の方の一日
で御自愛下さいませ。
▽大きな台風が続いておりますの
詫び申し上げます。
と思います。此処をお借りしてお
事を差し上げていない失礼が多い
▽御心配のお手紙頂きますがお返
すが、不自由です。
す。人間は脚から衰えると云いま
ストまで楽に行きたいと思いま
▽欲ばりません。三百歩程先のポ
紙カバー写真についての追記を寄
▽その関口さんが、合同歌集の表
てくれました。有難うございます。 子歌集『桃苑』の批評はすでにお
呼びかけに、こころよく手を上げ
正道さんが担当します。わたしの
考えれば勿体無いことだったと思
かったように記憶しています。今
などは圧倒されて余り近づけな
▽難聴だった太田先生はじっと相
やすく書かれています。
文明と太田先生のことなども読み
から「四斗樽」についての話など
「人間土屋文明論」の掲載の経緯
冬雷に載っていた太田行蔵先生の
した。私が入会したばかりの頃の
▽編集長の新しい連載が始まりま
ことが楽しみです。
す。年に一度元気でお会いできる
多くの方のご参加を願っていま
ためて届けてくれます。岩上榮美
で、歌集などの感想も読後即した
います。 (小林芳枝) 前 頂 い た 予 備 作 品 を 使 い ま し た。
▽今月から作品三欄の批評を関口 田中さんは書くのがとても速い方
(川又幸子) 手の目を覗くようにして、静かに
▽あの暑さが信じられないほどの じっくりと話をされましたが、私
も早い御快癒を祈り上げます。
せられました。木島先生を敬愛す
のようです。実は今月の歌は、以
ると、田中國男さんは重いご病気
▽今月の川又幸子さんの作品によ
となる大切なご報告もあります。
す。今年は「木島茂夫先生賞」の
多く御出席下さるようお願いしま
が出ています。どうかお一人でも
▽その記事の下に冬雷大会の案内
た。厚く御礼申し上げます。
ます。皆様大変お世話になりまし
費の梃入れの時に活用させて頂き
干の余剰金も出そうなので、運営
お陰さまでどうにか形になり、若
申 し 訳 な い 課 題 を 残 し ま し た が、
歌 集 は 誤 植 な ど も 出 し て し ま い、
り、 盛 り 沢 山 な 一 日 に な り ま す。 る気持があふれた文章です。合同
編 集
後 記
して歩くのですが長く歩くと脛が
の他に合同歌集の互選発表もあ
▽十月例会は大会の為休みです。
預かりしています。 (大山敏夫)
発表や、冬雷運営上の大きな節目
痛みます。
編集後記
≲冬雷規定≳
て必ず同じ歌稿を二通、及び返信先を表
の下に☆印を記入する。 一、無料で添削に応ずる。一通を返信用とし
一、会員は本会主催の諸会合に参加出来る。
記した封筒に切手を貼り同封する。原則
一、会費を納入すれば誰でも会員になれる。
一、月刊誌「冬雷」を発行する。会員は「冬
として一週間以内に戻すことに努めてい
るが、選者によっては戻りが遅れること
雷」に作品および文章を投稿できる。た
し、六か月以上前納とする。ただし途中
るようにする。選者間の打合せに時間が
実際の締切日より二、三日早めに到着す
しないことを方針とする。 一、各所属の担当選者以外に歌稿を送る方は
もある。特に作品一欄は基本的に添削を
普通会員(作品三欄所属) だし取捨は編集部一任のこと。
一、会費は月額(購読料を含む)次の通りと
作品二欄所属会員 千二百円
かかるので厳守のこと。
∧ メールでの投稿案内∨
退会された場合の会費は返金しない。
千円
作品一欄所属会員 千五百円
維持会員(二部購入分含む)二千円
購読会員 五百円
会費は原則として振替にて納入すること。
紙が二枚以上になる時は必ず右肩を綴じ
して希望する選者宛に直送する。原稿用
型を使用し、何月号、所属作品欄を明記
る。 原 稿 用 紙 は
一、歌稿は月一回未発表十二首まで投稿でき
≲投稿規定≳
判二百字詰めタテ
きいデータは、それが何か解るようにタ
のメールでも送信可能だが、文章等の大
場合は通常のメール本文又はケータイで
色を付けたりしないこと。分量の少ない
に 分 断 し た り、 余 分 な 番 号 を 付 け た り、
こと。頭を一字分空けたり、一首を二行
首ずつベタ打ちにして、行間も空けない
ご相談に応ずる。その場合は、白地に一
ウイルス対策は各自に於いて厳守する。
イトルと「拡張子」を付けて添付する。
ること。締切りは十五日、発表は翌々月
し て い る( ご 連 絡 下 さ い )。 他 の 選 者 も
一、電子メールによる投稿は編集室にて対応
E
号とする。新会員、再入会の方は「作品
三欄」の所属とする。 一、表記は自由とするが新仮名希望者は氏名
B
5
頒 価 500 円 D C B A
E
《選者住所》大山敏夫 350-1142 川越市藤間 540-2-207 TEL 049-247-1789
川又幸子 135-0061 江東区豊洲 5-3-5-417 TEL 03-3536-0321
小林芳枝 125-0063 葛飾区白鳥 4-15-9-409 TEL 03-3604-3655
2015 年 10 月1日発行
発 行 人 川又 幸子
編 集 人 大山 敏夫
データ制作 冬 雷 編 集 室 印刷・製本 ㈱ローヤル企画 発 行 所 冬 雷 短 歌 会
135-0061 東京都江東区豊洲 5-3-5-417 TEL・FAX 03-3536-0321
振替 00140-8-92027
ホームページ http://www.tourai.jp/