2015 年・8月号

二〇一五年八月一日発行(毎月一回一日発行) 第五十四巻第八号 (通巻六四二号)
2015 年・8月号
八月号 目次
30 to
お知らせとお詫び
木島先生生誕百年記念合同歌集『 冬雷の 人 』が完成しま
した。A 判本文三五〇頁で、表紙カバーは関口正道氏撮影の
カラー写真です。木島先生が愛された清澄庭園にわざわざ取材
されての作品です。美しい出来映えという声が沢山届いていま
す。本文はぎりぎりの大型サイズ活字を用いて読み易いです。
残部僅少。お取り寄せの上、新刊の香をお楽しみ下さい。
〈 お詫び 〉 歌集の佐藤初雄氏作品の中に二カ所誤植が発見さ
れました。折角の歌集なので、作者の残念さも一入
と思います。衷心よりお詫びして、ここに訂正させ
て頂きます。恐れ入りますが、お手元の歌集のご訂
冬雷集………………………………………川又幸子他…
八月集……………………………………高松美智子他…
作品一………………………………………堀口寬子他…
作品二………………………………………大滝詔子他…
作品三………………………………………富川愛子他…
資料「し」と「たる」…………………………… 故太田行蔵…1
あらためて読み直す『四斗樽』…………………大山敏夫…
カナダ 短歌 (感謝)…………………………大滝詔子…
今月の 首 (振子時計)……………………………吉田綾子…
六月号冬雷集評……………………………………小林芳枝…
六月集評……………………………………………赤羽佳年…
六月号作品一評……………………冨田眞紀恵・嶋田正之…
六月号作品二評……………………桜井美保子・中村晴美…
詩歌の紹介 〈『故郷の道』より〉…………………立谷正男…
六月集十首選………………………………………赤間洋子…
六月号十首選…………………………燿子・灑子・美智子…
六月号作品三評……………………水谷慶一朗・大山敏夫…
誌上「暑中お見舞い」…………………………………………
歌集・歌書御礼…………………………………(編集室)…
佐保田芳訓氏の歌集『春螢』……………………大山敏夫…
大会案内・大会詠草投稿用紙…………………………………
表紙絵《唐辛子》嶋田正之
題字 田口白汀 68 54 38 28 13
/ 作品欄写真 関口正道 /
86 85 81 78 66 65 64 64 52 36 27 26 24 12 5
113
ありません。
正をお願い申し上げます。申し訳×
8
152
冬雷叢書第 94 篇
A 5判 350 頁 ソフトカバー
表紙カバー( 四色刷 )付
定価( 送料込 )1500 円
151
85
17
5
歌集 頁5首目。 頁1首目。 適地 → 敵地
×
8
( 共に「 適地 」が「 敵地 」となります ) 新刊案内
●「国語の勉強会」資料より
「し」と「たる」
故 太田 行蔵
次の歌の傍線の語は、口語ならば、いづれも「た」である。
○天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月
かも
文法教科書通り並べてみる。
未然形 連用形 終止形 連躰形 已然形 命令形
つ つる つれ
ぬ ぬる ぬれ
たり たる たれ
り る れ
けり ける けれ
き し しか
○あさぼらけ有明の月と見るまでに吉野の里にふれる
りけり
かなしさよ
垢じみた袷の襟の
次の啄木の歌では、「た」が一つだけ口語である。
この文語十八にあたる口語は、ただ一つ「た」である。
白雪
故郷の胡桃焼くるにほひす
○山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉な
○わたの原八十島かけてこぎ出でぬと人にはつげよ海
(完了形)か「垢じみし」
(過去形)
文語なら「垢じみたる」
かと迷つて口語にしておいたのか。
文法教科書にある過去と完了との説明は、むづかしい。そ
の一例。
人の釣舟
○ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ
残れる
この傍線の六語の活用形を、終止・連躰・已然の三段だけ
1
〈完了〉
〈過去〉
8
8
誰もが反対するであらう。味の違ひを知り分けてゐる。それ
らの中で、「し」と「たる」とは最も大きなちがひを持つて
完了とは動作・作用が完結し実現してゐる状態を示すも
ゐる。文法教科書の過去と完了との説明を圧搾して、
過去思出語
B 「草枕」は漱石が書きたるなり。
A 「草枕」は漱石が書きしなり。
社員採用試問もどきに、あなたは次のABのどちらをおと
りになりますかと、たづねてみたい。
状態説明語
○たる
としてみてはどうであらう。
○し =
=
ので、時間に関係なく、現在・未来・過去のことに通じ
9
て用ひられる。
9
過去の助動詞は、ある動作・事がらが過去にあつたこと
を述べる場合に使はれる。主として話し手が直接に経験
したことを回想して述べる場合が多い。
啄木がそこを口語にしておいたのは、その襟の状態と、過
去回想と、二つの刺戟に負けたのか。啄木のこの一首は、「し」
と「たる」とのことを考へるには、よい材料である。
といふ判断も、「し」と「たる」との語気の相違を考へると
つまらない設問のやうでもあるが、Aは自分の過去に引き
つけて言ふ気分を持ち、Bは一般的な説明、従つてBに投票
昨今の短歌の人々には、口語で「た」としておく気にもな
り得ず、さりとて「し」か「たる」かを考へる時間も無しか、
8 8
ころから出るであらう。
8
8
いか。そのそれぞれが個性特徴をもつて働いてゐる。「ほと
るかを示してゐる。口語「た」にあたる文語の数がいかに多
果てを知るよしもがな
ともすれば月すむ方にあこがるる心の
西行法師の歌に、
推敲といふ昔話のやうに、「し」か「たる」かの判断を問
題にする推敲は、必要であり、タメになることであらう。
しこと」でなく「困りたる」ことであらう。
8
「一茶が住みし家」としようか、「一茶が住みたる家」とし
ようか、迷つてどちらでもよいといふことになるのは「困り
8
「し」にしておくが多い。
日本人は「時」の観念が単純簡単だか
ある学者の言葉
ら、「た」一つで過去のことも現在のことも、未来のことに
とぎす鳴きつる方を」の「つる」を「たる」にすることには
界だけの話である。文語は、日本人がいかに言葉に敏感であ
さへ間に合つてゐるのだと。それはちがふ。それは口語の世
|
2
る。
といふがある。西行法師は率直に、生活の実相を告白してゐ
ある。それぞれの物事の実相に応じて、表現の言葉もいろい
いたり考へたりする。いろいろな事があり、いろいろな物が
それとちがつて、小さな各自の生活では、過去・現在・未
来が、はつきりわかる。その小世界の各自の過去の事を回想
ろある。その中の一つが「たる」である。(活用表参照)
かたはしに、人の生活がいとなまれる。大なる自然と小さな
する時の表現用語が「し」である。
「月すむ方」は天である。その下に、それと同じく広く大
きな地がある。その地上に大きな「時の流れ」がある。その
人の生活。
日本人は、完了と名づけられてゐる物事の表現用語と、過
去と呼ぶ生活の表現用事を区別して持つてゐる。
ながらへば8またこの頃やしのばれむ
8
うしと見し世ぞ今はこひしき
などもその一つである。啄木の、
頬につたふ
なみだのごはず
8
万葉集から「し」の歌を拾つてみる。
一握の砂を示しし人を忘れず もその一つである。
○吾妹子が見し鞆の浦のむろの木は常世に
妹はいや年さ8かる(二一一)
○去年見てし秋の月夜は照らせれど相見し
8
駄洒落めくが、古来の「し」
「し」は「私」なりなどと言へば
8
の使はれてゐる歌は、小さな、私の生活に関したものが多い。
し
よく耳にする「実相観入」とは、この事を、よくよく考へ
よといふことであらう。
西行のこの歌は、西行の実相観入の結果の産物の一つであ
ると思ふ。
永遠の世界といへば、過去・現在・未来といふ区別の無い
長大な時の流れであらう。それとくらべると、極めて短く小
さな各自の生活には、明らかに過去があり、現在があり、未
来がある。
西行のこの歌は、この大小二つの世界につながる人間の心
のうちを語る。
大きな世界の物事は、たしかに過去に生じたに相違ない。
人の目はそれを見るが、その時の流れの、どこからどこまで
を過去と考へるがよいか、長大な時の流れの上に、過去・現
在の区別をつけることが誰に出来るか。
そこで、それら大なる世界の状態を見て、その世界の物事
を、すでにできて(完了して)ゐるものとして、見たり、聞
3
|
8
あれど見し人ぞなき(四四六)
8
8
○秋さらば見つつ思べど妹が植ゑし宿のな
でしこ咲きにけるかも(四六四)
8
8
8
8
8
歴史や自然現象に対する外面的生活用語がたる。
谷のうへの道
4
8
し
8
そのたるの世界にしを侵入させる短歌が目につきすぎる。
十一月号アララギから拾つてみる。
○海の日の入りし陸山にいつまでも向へる
○葛の花むらさき残り抜きいでし尾花新し
ぜ忘れかねつる(四三四六)
8
○韮のつぼみ立ちそろひしを食はむかと思
ぬ裏庭に照る
○盆過ぎし今宵の月は夜更まで雨戸をささ
にひく日8陰のかづら
○この谷の古きあはれを君告げて老いし手
8
○わが母の袖もちなでて我が故に泣きし心
「たる」の歌
8
めど道の知ら8な8く(一五八)
○手にとりし電話はすでに切れてをりあわ
して、正しきを護る心の活気を保ちたい。
○年8寄りがミシンを踏むは孫娘の期限迫り
ひつつゐて8時すごしたり
の雨に盛りなりけり(一四四四)
ただしく働けり人々
8
○雨晴れて清く照りたるこの月夜また更に
し宿題のため
人の生活舞台の内と外、その内面生活での過去回想用語が
いづれもわが耳目の及ぶ外界の歌である。
見に来わが背子(二二七六)
くなり朝宵ごとに(二一六四8)8
して雲なたなびき(一8五8六九)
8
○瀬を早み落ちたぎちたる白波にかはず鳴
いちばん困るはそんなことどうでもよしといふ意見の通り
ゐること。小さなことと言はず、自分の都合はあとまはしに
○山吹の咲きたる野8ベ8のつぼすみれこの春
8
友ら映ゆる芝生に
8
いづれも心のかへりみるわが過去の歌である。内面的世界
の歌である。
を忘らえぬかも(四三五六)
○父母が頭かきなで幸くあれて言ひし言葉
|
○雁がねこの初声ききて咲きでたる宿の秋萩
○山吹の立ちよそひたる山清水汲みに行か
|
あらためて読み直す
『四斗樽』(「し」と「たる」)
本当に 「し」と 「たる」か?
か「たる」か選択せよと迫られるが、これは
そもそも二択の問題ではない。過去回想の助
動詞「し」の遣い方が正しくない、それをな
んとか正して行こうという訴えなのだ。 は気配りが必要な語であろう。弛んでも良い
『し』の誤用について」であり、「し」と「たる」 「たるむ」。そういうことに敏感な短歌作者に
「し」が駄目だから「たる」にせよじゃな
くて、他に替えよ、という問題である。「たる」
「し」と「たる」と言うと語呂も良いので
つい口に馴染んでしまうが、本来は「たる」
場合もあるので、そんな時はうまく一首にと
大山 敏夫
ではない。以後冬雷誌上で闘わされた諸氏の
け 込 む。「 た る 」 の「 た 」 を 除 い て「 る 」 と
という助動詞は、誰もが感じるように語感が
川又幸子さんから頂いた資料を見ていると
いろいろ考えさせられる。今回その一つをこ
論もすべて「し」についてであった筈だ。そ
は余計で「し」についてのみ考えれば済む。
こに紹介したが、これが何時書かれたものか
れが突然「し」と「たる」になったのは、昭
二 宮 冬 鳥 に よ る 指 摘 も「 過 去 回 想 の 助 動 詞
行詰)を二段に分けて書
月号で書いた土屋文明から「どっちでも良ー
意 見 の 通 り ゐ る こ と。」 と 嘆 い て い る が、 先
ちばん困るはそんなことどうでもよしといふ
り別個の読み物として見た方が良さそうだ。
のかも知れないが、記述には微妙な違いがあ
き込んでいる。『四斗樽』の下書きの一部な
うまい具合に完了の助動詞「たる」を思いつ
を絞ること」で良いところである。まことに
い、代替案は単純でなく、個々の作者が知恵
的に間違っているのだから正さねばならな
太田行蔵の誠実な人間像が感ぜられよう
が、それに見事に対応した。普通なら「文法
法を考案」して示せと迫った(本誌四月号参照)
。
太田行蔵氏の所説と実作)
。 七 箇 心 は「 代 替 語
を受けたことに始まる(『助動詞「し」に就いて』
和四十一年七月号で七箇心から手厳しい指摘
なら作歌は随分楽だつたかと思ふ
とわたしは率直な感想を歌にした。作歌の時
過去回想の助動詞「し」の誤用説知らぬ
まうことも稀ではない。
純な差し替えじゃない、全体改作に行ってし
「 し 」 は 間 違 い だ、 で も「 た る 」 と は 言 い
たくない。そうなるから推敲は難航する。単
遣えない。
らずとも声調的に緊張感が伴わなくなれば、
はり「たるむ」傾向は消えない。誤用にはな
変化させる手も勿論あるのだが、こちらもや
字×
日付が無いので不明だが、明らかに他と違い、
し」と言われた後なのか、前なのか。文明の
いて『四斗樽』なる洒落た題名まで射止めた。
原稿用紙(
言葉も、すべてに「どっちでも良ーし」では
なく、他者の歌集を読んで感動した作品など
圧縮版『四斗樽』と言うべきか。でもこち
らはとても解り易かった。最後のところで「い
あるまい。その時、太田行蔵がどういう作品
を紹介する時も、「し」の誤用歌は取り上げ
に、ここをきちんと遣わねばと思うだけでは
でも『四斗樽』の半分ほどは「し」以外の
記述であろうから、論は広く厚くなる反面、
4
に対して文明の意見を求めたのか等を詳しく
焦点がぼやけてしまいがちだ。しばしば「し」
28
知りたいものである。
5
38
で、考えようでは充実の推敲時間が得られた
でも自作に限れば、一つの助動詞に拘ること
その遣い方を容認することにもなるからだ。
る訳に行かず困った経験。取り上げるだけで、
問題は違ふ。
ともあるが、宮地伸一は後に「なぜしだけ違
し さ う い ふ こ と と、「 し 」 と「 た る 」 の
も「奥様」は不思議なく通用する。しか
間に慣用の時代がある。2DKの生活で
に使はれる。その変つて落ちつくまでの
とは一緒ではない。
てもよさそうだ。文法の根幹をなす規則のこ
ず、奥様同様に、慣用として「培ふ」も認め
養うという意味で水でも土でもそんなに変ら
ふのか」と食い下がった。時代に沿って変っ
な方を使へばよい。さういふ自由は「し・
沙と砂はどちらでもよい。それこそ好き
たくない。それが作者の気持であろう。
だから、簡単に「たる」がよい、とも言われ
で「苦しむ」という行為は必須だと考える。
であり、タメになることであらう。
という言葉で述べている。やはり歌を作る上
しつつあるようだが、こちらは「奥様」に近
三十路や七十路が、本来の三十歳、七十歳
の意味から「三十代、七十代」の意味に変化
と受け入れられなかったのだ。
重く、簡単に「時代に沿って変化する」など
やはり文の基となる規則に関わることだから
られた「…なりせば」の意味の取り違えも、
に触れた『日本語を愛する人に』に取り上げ
文の根幹をなす規則の重みの違いである。先
を探って始まったのであろうし、今も慣用と
つて特例を認める…
ことなど論外。誤用は、こうしたことの効果
合の悪いことがたくさん起きてきそうだ、と
本来の過去のほかに完了や存続の意味を
も持つものなのだと認識したいのである。
の言葉に賛成出来ないのは、これだと随分都
る。 つ ま り 現 代 短 歌 で 用 ひ る「 し 」 は、
…もう何もかも一切認めてしまふのであ
何故拘るのか
う、は正しいが、これはひろく手間をかけて
訳で、自分のためにはプラスになっている。
てしまう言葉は「奥様」だけじゃない。奥様
こういう点を今回の資料では、
推 敲 と い ふ 昔 話 の や う に、「 し 」 か「 た
たる」の上では制限される。
と言うが、作者の多くは、こういう細部に神
い の で 大 き な 障 害 は な く、 い ず れ ( ま だ、 そ
して遣っている多くの歌人たちは、みな極論
と「し」の違いは、比較的軽い意味の名詞と、
る」かの判断を問題にする推敲は、必要
経を磨り減らす。「どっちでもいいぢやねえ
うなっていないが)後世誤って「代」の意味も
すれば「声調上真にやむを得ぬ」場合だと言
冷静になって考えてみよう。
崩し的に乱れるのが常だ。
「声調上真にやむを得ぬ場合」などと言
案ぜられるからである。勿論、 かといふ言ひぐさはあり得ない」と書いた木
含まれる、となるのかもしれない。つまり「言
じ
島 茂 夫 も、「 砂 」 は「 沙 の 方 が 本 当 は 正 し い
葉は変る」で容認できるものと、そうでない
なな そ
んだよ」って言ったことがある。好きな方を
うだろう。例外一つ認めたら、規則など済し
じ
使うのは当然だが、どちらでもよい字ではな
ものはある。
そ
さそうだ。
『四斗樽』が拘っている「培ふ」の場合も、
水をかけて養うのに「土かふ」じゃ違うでしょ
み
言葉は変る。いろいろな都合でいろいろ
に変る。本来の意味が変つて新しい意味
6
状態の完了や、口語の「た」に置き換えら
れる意味での遣い方を表す道は色々ある。「た
り」の他に「つ・ぬ・り」の三つの助動詞が
である筈だ。「し」に与えられている使命の
ろしいことかに思い至る。あなたは、自身の
にも使えば良いんだ、という意見が如何に恐
過去回想を歌にする時、どういう助動詞を恃
特異さを軽視してはならない気がする。
了を表現することも含めれば、かなり自由な
直に口語で「た」って言ってしまうことも
今ではタブーではない。もっと婉曲に状態完
るので参考にして頂きたい。
わち反省的認識をあらわす。
のが「けり」だとある。これは、
事態を振返って認識していること、すな
実は「けり」と「き・し・しか」の二つし
か無いのだ (今回資料を参照)
。しかも、
回想を表す助動詞はどうなのか? 文語に於いて過去回想を表すことが桁外れに
ことは重要である。「みんな含まれる」じゃ、
「 き・ し・ し か 」 が 遣 っ て あ れ ば、 こ れ は
過去の事柄、回想であると見当がつけられる
しく伝わるだろうか? 心もとない。
含まれる、なんてことでは、本当に読者に正
み ま す か? 「 し 」 以 外 に あ る の で す か? となる。その「し」が、口語の「た」と同じ、
選択肢がひろがっている。それなのに、何故
助 動 詞「 き 」 と 比 較 し た 場 合、「 き 」 が
厄介なことになるだろう。ここがわたしを、
完了の助動詞は「たり」だけじゃなくて、
「 つ・ ぬ・ り 」 も あ る と 述 べ た。 じ ゃ、 過 去
に過去回想の助動詞だと決められている「し」
過去に認識したことについて、事態は斯
そういうことだけは食い止めようという気に
思いつく。今回の資料にその活用形が出てい
を敢えて引っぱり出し、乱用するのか? と
く斯くであったと今回想していることを
させる一番の理由である。
と考えている。だから最初のときは、遣い方
たぶん一部の大力作家が、誤用を百も承知
で冒険的な新用法を切り開いたのではないか
に声調上の効果を狙う傾向は否めない。
り、主観・詠嘆を込めた現在完了に近い意味
り」には強い過去性は無く、主に内面的であ
去を表すものは二つだけだが、その内の「け
ることをあらわす。
と、インターネットの検索にヒットする。過
斯 く で あ る
万葉集にも、これは過去回想じゃないだろ
うと思わせる歌が少しだけある。例えば『四
また単なる状態・完了の意味もひっくるめて
いうことは問題にして良いと思う。
示 す の に 対 し、「 け り 」 は 過 去・ 現 在 を
「 し 」 の も つ、 強 い 響 き が 重 宝 さ れ、 愛 さ
れるのが一番の理由のようだが、感覚的なも
問わず、事態をかえりみて、それが斯く
( で あ っ た )と 今 認 識 し て い
にもおのずから箍をはめて、滅茶苦茶になら
斗樽』があげた、
のがウエイトを占める詩歌の世界なので、特
ないような大人しいものではなかったか。「後
合いである。となると、普通に広く過去回想
ふなはて
あ
れ
7
何処からが過去なのか?
世誤って過去の動作、作用の存続を表す」よ
を確実に表す助動詞は「き・し・しか」以外
船泊すらむ安礼の崎こぎたみ
いづく4にたか
ななし を ぶね
棚無小舟(一。 )
ゆきし
この歌。多くの解釈書は過去と言うより、口
さき
うになったのも、許されるぎりぎりの範囲で
無いことになる。ここを考えれば、この助動
詞を状態の完了や、口語の「た」と同じ意味
の意味的拡大の遣い方が最初だろう。こうい
うところでのものは、誤用と言っても常識的
58
語の「た」で説明している。
今頃は何処に船泊りしているであろうか。
4
安礼の崎を漕ぎめぐって行ったあの棚無
(岩波「日本古典文学大系・萬葉集)
し小舟は。
もう目には見えないものとして、あの小
うなんでもかんでも」一緒くたで良いんだと
言うことにはならない。どんな世界、どこに
と解釈するがよいと思ふ。
と述べている。でも、いま目の前を走り去っ
ならないのだ。
外的に存在する限りはそんなに困ることには
も食み出すモノはあるもので、要はそれが例
た舟を見て「すでに視界を去っており、過去
さな舟はどこで寝るだらうと思ひやる歌
で あ る 」 と い う の も や や「?」 だ。 一 方、
ている。多くはよく理解出来た、というもの
何所にまあ船どまりをするので4あらう。
である。それは良かった、素晴しい、連載し
『 四 斗 樽 』 の 完 全 復 活 版 の 連 載 が 終 わ り、
わたしのもとにも、いろいろ感想が寄せられ
海の上を一つゆく
比較の材料としてあげられたこの歌は、まだ
た甲斐があったなあと思っていると、そうい
動くともなく遠ざかりし赤き船雲たるる
視界の内にあるとして「し」は間違いだと言
棚無し小
(「萬葉集私注・土屋文明」)
う。たしか過去回想の「し」は、頭に「かつ
安禮の崎を漕ぎめぐつて行つた
舟は。 棚も無い
来る。あれ、本当に理解していらっしゃるの
う方の新作に「?」の「し」の使用歌がでて
(「萬葉集注釋・沢瀉久孝」)
何処で舟泊りするをする事であ4らう。安
禮の崎を漕ぎ廻つて出て行つた
て」と付けて丁度良いような遠いことを言う
かって考え込んでしまう。まあ、そういうふ
小さい舟は。 にぴったりだと別のところで『四斗樽』も述
うにうっかりすると誤読を招くような書き方
日が暮れて來た。4さきほど、安禮の崎を
べていた筈である。視界の内だから×で、通
舟は、今時分、どこで
漕ぎ廻つて行つた
り過ぎて見えなくなったら◎なのだというの
が『四斗樽』には確かにある。
(「口釋萬葉集・折口信夫」)
舟泊りしてゐるだらう。
は、本来の過去回想の助動詞「し」の遣い方
過去回想「し」は主として自分の経験し
に 照 ら せ ば「?」 の 気 が す る。 そ こ に「 し 」
た過去を回想する場合に使ふ。次の歌は
今はどこの津に船どまりしているだろう4。
安 礼 の 崎 を め ぐ っ て 漕 ぎ 去 っ て い っ た、
を遣えば完了の意味にほとんど近い。これは
かなり現在の慣用に近い用例じゃないかと思
我が入りし谷は(青。三九)
(「万葉集・中西進)
あの棚無し小舟は。 という具合である。
その極めてはつきりした例である。
として『四斗樽』があげた文明の歌。
想の部類に入るのか? という問題。悩まし
生4徒服着たるは金石ともう一人そのあり
う。こんな例が後に一部の模倣を生み一部に
広がって行く。ついさっき見た光景も過去回
込んで「恐らく作者も船中にあつて、反對方
き問題である。
青山と萌え4たる山の向うなり一日の食に
どこかに「ついさっき漕ぎ去って行った」
というニュアンスがある。文明はさらに突っ
面に漕ぎ別れた船の、安禮の崎をこぎ廻つて
君が名をかかげたる見世の灯よ上
4
様も我は忘れぬ(青。一五八)
ありし
し
見えなくなる時の感じであらう。」と言う。『四
でも、万葉集にだって誤用めいた歌がある
じゃないかって、いろめきだち、だから「も
斗樽』も少し疑っている様子で、
8
奥歯を抜きし後にして朽ちたる
総湊の夕4の道狭く(青4。一五九)
苦しみし
ふたたびの4火にくづれたる墓石のはや感
心地す(青。五)
傷を越えし
については、自身の体験であるから◎でよい。
4
も、芭蕉の、
4
春の雨
不性さやかき起されし
も自身の体験であるから◎だ。
自身の体験・行為については口語の「た」
に当るような時でも◎にしようというのが、
わたしのぎりぎりの妥協である。
すると、同じ意味で吉田正俊の、
妻病みて罪ほろぼしの看病と一人言ひし
前歯ほろほろと落つ(青。五)
これらはまさに正しい用例であろう。でも、
同じくあげられてる。
ときしみじみとせり 吉田正俊
も、自身の体験であるからそれが遠い過去の
ということで、上田三四二が読売新聞の「歌
壇時評」で慣用について纏めたものを、わた
「 冬 雷 」 で、 石 田 波 郷 氏 の「 霜 の 墓 抱 き
ろうが◎としたい。
一、「 し 」 の 誤 用 は、 誤 用 と い う よ り は す で
しなりに整理すれば、以下の通りである。
きたる秋のくれなゐ(青。一九九)
4
早く葉を落しし紅梅やしなふにひとつ咲
回想だろうが、ついさっき的に言った言葉だ
の「 し 」 は「?」
で あ る。 万 葉 集 の 棚 無 し
小舟の歌と同じで、頭に「かつて」と付くほ
起されしとき見たり」が、一例として取
共に、茂吉の一首「峠をのぼり来しとき
蕉の「不性さやかき起されし春の雨」と
り上げられているが、私はこの句を、芭
どの過去じゃない、という判断だ。 自分自身の経験を言う時は◎
に久しく慣用化している。したがってそ
れをきびしくとがめることは出来ない。
〈大山〉
慣用化している事実は否定出来ない。
厳しく咎めるのは難しいが、余りにも酷
い用法は個々の作家に自粛を促したい。
二、 し か し 現 状 と し て、 慣 用 化 さ れ た「 し 」
に」のかたわらに置いて肯定する。なお
この芭蕉の句は、発案と思われる珍夕あ
の乱用が目に余るようになってゐる。そ
『四斗樽』の言う「主として自分の経験し
た過去を回想する場合に使う」のが「し」だ
として出ているのも、推
とするならば、作者自身の体験、行為等に限っ
ては完了に近い「ついさっき」的過去も慣用
れ は、「 し 」 の 方 が「 た る 」 よ り も 簡 潔
さるゝ春の雨」
て書簡の中の句に「抱起
すいこう
敲の過程がしの
として容認したいという思いはある。万葉集
ばれて面白い。
して真に困ることである。これは、いわ
失われてしまうのは、ひとりの歌作りと
の本来の面目が失われようとしている。
〈大山〉 乱用によって「し」の本来の面目が
た め と 思 わ れ る が、 乱 用 に よ っ て「 し 」
であり、かつ語感の上でもすぐれている
等の古い作品の中に、誤用の先駆けのような
この上田三四二の「歌壇時評」の中であげ
られている茂吉の、 4
ことが起きるのは、もしかしたらこうした自
分自身のはっきりした行為、体験を完了とし
しづかなる峠をのぼり来しときに月のひ
とき見たり
霜の墓抱き起されし
4
(ともしび)
て言うあたりからかも知れない。文明の、
かりは八谷をてらす
も、石田波郷の、
4
この海に来し幾度ぞ来るたびに食ひたる
魚の数は知らえず(青。一九四)
9
ゆる文法のためじゃなくて、歌を作る現
●三河アララギ昭和
年
月号より転載
で殆ど全誌面を埋めた特集号を出し、私な
どにも寄贈してくれたほどだ。太田は、あ
にあつかうこと。そうして慣用を、声調
上真にやむを得ぬ場合にのみ限ること。
「 し 」 の 持 つ す ぐ れ た 語 感 は、 そ れ が 過
去の回想の呼び水であるというその働き
と、本来不可分のものなのである。
〈大山〉
「し」を過去回想の助動詞として大
切に扱い、慣用についても、単なる状態、
完了にあたるものについてこれを自粛し、
自身の体験・行為等についてのみ、完了
だな。あいつは、あれしか (即ち『き』しか
資料だ」と、文明はにこにこしたのだった。
も、 時 に は い い 事 も 書 く ね。 あ れ は、 い い
その実物も戦災で焼失してしまっている手
少しづつ強き日差しに紺色のレースの
(二二一番歌)
紙 を太田が写し取っていて、最近発表し
カーテン急ぎて縫ひき
の結句「縫ひき」を、文明は「太田の『き』 たらしいのだが、その発表を指して、「太田
れしか知らんのだという前記の言葉は、あ
に近い、口語の「た」に当る場合に於い
」 と 言 っ て、 無 造 作
の 意 )知 ら ん の だ よ。
⑭太田行蔵
れぬ。
なお、今年の二日にわたる夏期歌会中に、
もう一度太田についての言及を耳にした。
それは、久米正雄だか松岡譲だかの手紙
文明自身ではもうすっかり忘却しており、
を載せている人である。その自ら記すとこ
三十一年に三光社から出ている。また、戦
る人に』という面白い著書があって、昭和
が読めることだ。大田には『日本語を愛す
私には大変面白かった。
ろによると、文明が諏訪女学校の校長だっ
争中に出た太田の編書に『中等かな読本』
三年前に雑誌『冬雷』は、太田の持論のみ
ので、私は愛蔵している。
と い う の が 太 田 の 持 論 で あ る ら し く、 二、 寛親の『船長日記』の幾節かが載せてある
詞 で あ る『 き 』 を ば 正 し く 使 っ て い な い、 がある。珍しくも、我が新城藩の武士池田
た当時、文明のもとで国語教師を務めたこ
性格を鑑み、これを容認する方向で妥協
これは、文語の過去回想を表す時の助動詞
が「き・し・しか」の他に選択肢が無いとい
うことで、あくまで一人の歌作りとして、文
法を護るという大義名分はさておき、その特
徴が薄らぎ、作歌上で難儀したことが体験的
に身に沁みているからにほかならない。
とがあるらしい。現代の歌人の多くは助動
太田というのは、太田行蔵であろう。雑 一度か二度、三河アララギ発行所へ顔を出
誌『冬雷』にこの数年間、「人間土屋文明論」 す 楽 し み の 一 つ は、『 冬 雷 』 の 太 田 の 文 章
0
の珍しい特集号の内容に関連があるかも知
ても「し」が本来「主として自分の経験
に「縫ひぬ」と添削してしまった。それが、 ところで、太田行蔵の「人間土屋文明論」
は当然一冊に纏められてよいと思う。年に
|
したい。
となる。
|
鈴木 太吉
した過去を回想する場合に使う」という
場の技術的な面からの本音である。
三、ゆえに「し」を過去の助動詞として大切
11
夏期歌会における文明のことば (下)
45
10
当時の「冬雷」に転載された記事を一つこ
こに更に転載する。「三河アララギ」という
田行蔵の持論なのだというのが正しい。
なくて、「し」を正しく使おうというのが太
である『き』をば正しく使っていない」じゃ
「持ちし」については、私の妥協の範疇で◎
のある。歌の時制的には今だけれど、包みを
往来し、その中を作者が包みを持って横切る
で良いと思う。
4
雑誌は師木島茂夫の愛読するところのもので
あった。その理由は毎号土屋文明の最新の動
人の世を終へし思ひに虫を飼ふ日に幾度
乱用問題が染み渡っていたとみえる。歴史的
えた文明だが、結構頭の中には「し」の誤用
という話である。「どっちでも良ーし」と答
と言って「縫ひき」を「縫ひぬ」に添削した
だ な。 あ い つ は、 あ れ し か 知 ら ん の だ よ。」
歌会でアララギ会員の作品を「太田の『き』
る文明の言葉」の中で、太田行蔵が登場する。
どうもそういう記事を書いていたのは鈴木
太吉のようである。連載の「夏期歌会におけ
く に、「 原 作 に 従 ひ な さ れ 」 っ て 言 う。「 し 」
にも思えるし、現在にも思えると迷ったあげ
この歌の「晴れし」は、普通に読めば目の
前のよく晴れ渡った状態である。それを過去
の晴れし時の間
廃れたる庭を刈り青き草を焼く夕べ浅間
しておきたい。
去回想の助動詞「し」への考え方を明らかに
思われるもの等を幾つかあげて、わたしの過
最後に、『四斗樽』が◎として取り上げて
いる文明作品の中で、これは違うでしょうと
態として老いさらばえて立っている桜から、
している状態を言うとしか受け取れない。状
れた事実である…
と言うが、「老い朽ち」た桜は現在目の前に
老いることも朽ちることも、過去に行は
べてがその過去用語「し」によつて示さ
老桜の姿、自分の老い、故人の追憶、す
これはどう考えても×である。『四斗樽』は、
さは永久のさびしさ
老い朽ちし桜はしだれ匂はむも此の淋し
文明の歌の誤用例
き、発言、その作品の解説が載っているのだ
と聞いた。主宰者御津磯夫とも親しく交流し
に定着してしまっている作品に対しては如何
か「たる」か? 答えよと言いながら原作に
従えとはどういう意味か解らない。これを過
自分の過去や友らとの若き日の思出に浸るこ
ていたようである。
ともしがたいからウヤムヤだが、目の前の新
去に解釈するなんて、常識的には無い。
とはあるだろうし、目の前の老桜の姿を凝視
も甕をのぞ4きて(青。一〇〇)
」は難しいところだが、自分
この「終へし
の命がまだある上の仮定のことで、それは体
作には正すという作業をした証言である。
ひる休みの帽子かぶらぬ人なだれ包みを
「老い朽ちし」は×となる。
4
して自己の内面を反映させる美しい歌だが、
その結果の「し」である。ところがその
れてゐる。過去が作者に重くのしかかる。
験とは言いがたいので、×じゃないかと思う。
樽』も「き」に対しては誤用の例をあげてい
持ちし吾は横切る
4
な い。「 き 」 は 間 違 わ な い の に 何 故「 し 」 は
これも現在の姿であって過去の回想じゃな
い。昼休みの時間帯にどっとあふれた人等が
でもちょっと変なのは、太田の「き」では
なく、「し」でなければならないのだ。『四斗
誤るのかを指摘しているのだ。鈴木太吉の証
言は有難いが、「現代の歌人の多くは助動詞
11
のだという。
ていることに多くの人が気づき始めている
「感謝」の力が、世界を変える可能性を持っ
人の賛同者を得ている。
驚くほど急速に広まり、今では一五〇〇万
よう」とネットに呼びかけると、氏自身が
ト 氏 は 語 る。「 幸 せ に な り た い な ら 感 謝 し
者でもあるデヴィド・スタインドル‐ラス
いることです」修道士であり諸宗教の研究
「私たち全ての人間に共通していること
は、幸せになりたいという気持ちを持って
面したとしても、与えられた全ての瞬間に
新たな一瞬が与えられる。困難な状況に直
にもできるし、例え逃してしまってもまた
会」でもある。それを生かして幸せへの鍵
た、この一瞬は無限の可能性を秘めた「機
い て く る。 ま
感謝の心が湧
る と、 自 然 に
識して体感す
たものだと認
はなく、授かっ
取ったもので
努力して勝ち
そ の 一 瞬 は、
きることです」
考 え、 一 瞬 一 瞬 を 満 た さ れ た 気 持 ち で 生
「 感 謝 の 気 持 ち に 理 由 は あ り ま せ ん。 感
謝とは、あるがままの状況を素晴らしいと
していた。それは今も変らないという。
人生そのものは神からの贈り物として感謝
る状況を変えることは出来ないとしても、
彼は幸せだったと言う。自分が置かれてい
い革命です」
念さへも根本から変えるような、暴力のな
が、私の言う革命は、革新的で、革命の概
それ以前と全く同じことを繰り返します
いた人たちが革命を起こして頂点に立ち、
ミッド型でもありません。普通は、底辺に
グ ル ー プ で す。 ピ ラ ミ ッ ド 型 で も 逆 ピ ラ
「世界の未来はネットワーク型になりま
す。お互いを知っていて交流し合う小さな
平等に尊重するようになります」
なります。平等になる訳ではありませんが、
違いを楽しみ、全ての人を尊重するように
動は、分かち合いの心を生みます。人々の
暴力的になりません。感謝から生まれた行
恐れることはなく、恐れることがなければ
を開くと行動に繋がります。感謝があれば
与えられているのです。この「機会」に心
す。私たちにできることは、今この瞬間に
覚を大きく開き、与えられたこの素晴らし
まいがちですが、立ち止まって、全ての感
れだけです。私たちは人生を駆け抜けてし
に習った『止まる・見る・進む』のただそ
「 感謝」
「幸せだから感謝するのではありません。
感謝するから幸せなのです」と説く氏は、
ある「機会」には感謝できるのだという。
大滝詔子
第二次大戦中、ナチス占領下のオーストリ
大切にせむ心豊かに 日下部冨美
一度丈の人生なれば今日の日を
アで十代を過ごす。雑草スープしか食べら
れて戦場で死ぬのだろうと思っていた。が、
参考資料 digitalcast.jp/v/19019
い豊かさを楽しみましょう。それが人生で
れない日が続き、飢え死にするか、徴兵さ
「感謝して生きるにはどうすればいいの
でしょう。子供の頃、横断歩道を渡るとき
カナダ to 短歌 85
12
冬 雷 集
冬雷集
東京 川 又 幸 子 負け戦さ関はりのなき静けさに遠くひらけて蓮田のありき
目の前の広き蓮田の蓮の葉の茎たくましく美しかりき
戦さ敗け世に静謐の戻るときけなげなりけり蓮の茎立ち
高架路の下方に光る水のいろ覗きに立ちて須臾の間ををり
置かれある車の屋根の一いろに見ゆるまで初夏の光を返す
動くものきらめきとなり過ぎてゆく日盛りの道人も車も
室温を一度低めて昼食のあとを立たずにしばらくの呆け
晴天のまだ続くらしひよどりか尾長か今朝の声機嫌よし
ものかげに輝いてゐる水のいろ夏日の続く梅雨前にして
生還を当然として待ちゐたりすでに亡きこと微塵も知らず
東京 小 林 芳 枝
実生より育てたるといふトマト苗姉は持ち来る自転車に乗せて
先づ根から馴染みゆくらむしをしをと垂れて立ちゐる三本の苗
ベランダにトマトの苗を置きてより楽しみありて朝戸を開く
けふはよく働きたりと缶ビール飲むまへに焼く目刺三ひき
勝鬨橋 中央区勝どきより
13
葬儀用に選びしゑがほ七年を過ぎて四畳半の壁にとけ込む
母の死を確かめに共に駆けつけし翌年のはる逝きてしまひき
バス停のベンチに掛けてゐたる人乗車のときはうしろに並ぶ
忙しき数日ありてテーブルに重ね重ねてゆく紙の類
東京 近 藤 未希子 新聞の飛び猫の写真切り取りて見やすきやうに本棚におく
龍之介がこれは何かと猫を指す飛んでゐるから飛び猫と答ふ
わが家には常に猫が居りたりきこぞうといふ名のぶち猫なりき
猫は飛び木にのぼり爪をとぎ後退りして下りて来るなり
冬の夜は愛子のふとんにもぐり込むお互ひに暖かくてよいらし
猫が居ないと米俵をねずみがかじるとか何処の家も猫を飼ひをりき
一瞬の生命力と題し三匹の飛び猫がゐる龍之介は黙り見てゐる
神奈川 浦 山 きみ子
好々爺の斎藤茂吉のデッサンが広告店に貼られ賑はふ
遅春の曇りのもとに広々と山形盆地の春深みゆく
山形もわが住む街も変りなし春の光の中に安らぐ
このたびは娘も加はりて三人旅春の明るき陽差し浴みゆく
兄三人みな逝かしめぬ法要の坐につつしみて夫は手合はす
末弟の夫のみ未だ世に在りて若き甥姪めぐりを囲む
素直成らぬ我に在りしか逝かしめし姉を折々母は偲びき
14
冬 雷 集
新緑の芽吹き騒がす風立ちて束の間庭の青葉華やぐ
細ほそと小糠雨降る塀越えて楓若葉の騒立ち止まぬ
夏にちかづく 東京 赤 羽 佳 年
浮き出でて水にあぎとふ鯉のむれ大きいものが大き口開く
池水に落とせる影の葉桜が揺れて視覚に風を感じる
生涯をこの池にゐむ赤き魚水の温める昼を泳げる
みどり濃くなりつつ夏に近づける丹沢の峰照り輝ける
雪柳花を盛りと揺れゐたり白猫の尾に似たりゆらゆら
咲き盛る牡丹の園におほどかな気分になりて妻子と遊ぶ
足遅き妻に歩みを合はせつつ牡丹園への坂のぼりつめたり
登り来し坂振り返り思ひのほか緩やかなれど汗したたらす
霞敷く春の菜畑おぼろげに爪先下がりに奥へつづけり 菜種油を採らるるための菜畑は傾斜を緩く広がり咲ける
大阪 水 谷 慶一朗
柔らかきさみどりの葉を戦がせる桜古木は花終へて立つ
例年になく花盛りたる山法師の白の量感あさ光に満つ
うつくしき翅の紋様をきらめかせ揚羽蝶ひとつ花移りをり
清冽に流るる水に茎ながく揺らめかし咲く梅花藻の花
ながながと茎を靡かす梅花藻の白き花むら水に煌めく
さはやかな音に流るる水のなか川幅びつしり梅花藻なびく
15
大風が雲掃ひゆき夜の空に訝るほどの星が煌めく
寺山の水をみちびく蹲に青楓の葉ひとつが沈む
さつと茹で水くぐらせば清かなる色増すスナップヱンドウの緑
人間と動物の老いまざまざと独りの媼がプードルと暮らす
東京 白 川 道 子
ゆるき坂上り下りてほつとする整形外科のリハビリの椅子
痛み持つ同志のこころ解されて牽引マシンの順番を待つ
自力では出来ぬ体勢筋肉を伸ばす縮める助けられつつ
研修の理学療法士加はりてリハビリ室に新しき風
大股で歩く片足立ちをする何時もぐらつく靴を履く時
月一度試されてゐるロコモ検査現状維持ならば良しと思へど
雲晴れて川風涼し帰り道橋の袂のウツギがにほふ
帰り来て一気にボトルの水を飲む咽に優し安曇野の水
キッチンの隅の小さな体重計朝に昼に夜にまた乗る
神奈川 桜 井 美保子
バスの窓に見えたる花の名を知らず幾にち花は心の中に
記念切手の絵柄にあるはわが見たる花なりホホノキと記されてあり
買物の行き帰り通る丘のうへ朴の木ありて蕾持ちをり
ほらここにと言はれて枝に近づけりわが目の前に朴の木の花
マンションのフィットネスルームにバイク漕ぐ通りの青葉を窓に見ながら
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冬 雷 集
石段に必ず出会ふ散歩道けさは疲るることなく登る
日焼け止めクリーム塗りて帽子かぶる曇りて涼しき日にはあれども
かつかつかあ短く声を切る鴉すがたほつそりアンテナの上
ごみ箱の陰より出でて陽のあたる石垣に這ふ大きなる蜘蛛
福島 松 原 節 子
三十分母の起床の早くなり五月より夏の時間となりたり
長靴はく父の姿を思ひ出しわたしも真似て庭に水遣る
町内の一斉清掃の日を待たず家の周りの草とり始める
母よりも早く目覚めたる今日のわたしの朝活久しぶりなり
体重差ちょうど十キロ如何にせん痩せたき母と肥りたきわたし
届きたる3Lサイズのチュニックを母気に入らずわたしに似合ふ
みやげ持ち住職夫人訪ね来て挿し木にしたしと椿の枝切る
新人のスポーツニュースの花子さんキラキラネームの中に爽やか
遠雷の聞え冷たき風吹けど桃の待つ雨今日も降らない
愛知 澤 木 洋 子 栴檀の花の勢ひ鎮みゆく梅雨入りま近午後の気怠し
目交ひになんじやもんじやを掠めつつ柳街道ゆつくり走る
向うからコンビニ弁当下げて来るお巡りさんの更衣して
子の来り乱るる卓上あらあらと新茶のむ場所作りて坐る
薔薇花は赤にかぎると言ひ切りてなにか思ひのあるや夫は
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木曾三川中洲埋むる麦秋を吸ひて吸ひこみバルーンとならむ
「お近づき」の深きを察し宇治十帖をみな寄り合ひどぎまぎ読めり
東京 森 藤 ふ み
七日ぶりに見る道端の立葵いきほひ保ち莟咲きつぐ
五月尽朝から気温の上がるなか運動会の競技の進む
熱中症予防に先生保護者等が児童にミストを吹きかけまはる
全校生が競技の合間冷房の教室に入りクールダウンす
リレー選手の孫の疾走する姿娘は撮らず目に追ひてゐる
雨あがりいまだ湿れるゆりの木に椋鳥出で入る騒がしきかな
梅葡萄花梨無花果どの木にも青き実そだつ雨のときなり
夕暮れの風ここちよく吹き渡り合歓の木の花嬉しげに揺る
帰りきてドアを開ければ人の声留守番電話に要件はなす
東京 赤 間 洋 子
我が師たる藍染職人廃業のため布売り尽くすとふ葉書が届く
時に厳しく或はじつくり教へくれたる藍染の師も歳には勝てず
十六年師事したるわれが目にせざる染布数多即売される
師の作品にて仕立てたる服着て行けば寄り来て触れる人見つめる人も
鳥獣戯画展噂どほりの待時間覚悟あれども足が疲れる
二時間半待つ間に隣の中年の人語りかけくれ退屈せずに
語るうち彼女の夫も癌に死すと知りてにはかに親しみの増す
18
冬 雷 集
背後から係りの人に急かされてゆつくり見られぬ鳥獣戯画甲巻
更紗染の成果発表会近づきて今年も一着洋服を縫ふ
茨城 佐 野 智恵子 学生の帰る時間とかさなれば一人ぐらゐは挨拶をする
一日中話す事なく過ぎる日々怖さ感じて不安広ごる
あんなふうになりたくないと思へども吾が身を見れば自信失ふ
ひさびさに尋ね来りて思ひ出を語る姪夫婦と楽し一日
語らへば旅したる日日多かりし何日ぶんをひと日に笑ふ
思ひ出を語りあへるは楽しかり声も大きく笑ひも多し
雲多き十五夜の月吾が窓にしばし見られて拝みてしまふ
母の日に息子来りて六月にワシントンへの出張を聞く
忘れ得ぬ人の名前を医院にて大声で呼ぶを心して聞く
富山 冨 田 眞紀恵 短歌とは詠むこと難し今日やつと一首出来たり台所に立つ
わが生れし家より見ゆる立山は亡き父母も朝夜に見しかな
六十代七十代は若き日より早さを持ちて過ぎし気がする
われのこと生前はとぞ誰彼に子らが言ふ日の遠くはあらず
芍薬の蕾日毎に膨らみて朝々見よとわれを促す
これの世を離りてゆく日を思ひつつ一日一日を大切に生く
川幅の限りの桜よ何事もなかつた様に六月となる
19
茨城 鮎 沢 喜 代 春の日に紫の色目立たせてあやめ咲きをり風に揺れつつ
病む膝に鎮痛剤をはりてより足を伸ばしぬ蒲団のなかに
陽光に黒き体を光らせて右へ左へ蟻たち走る
ジェット機の音を聞きつつ庭なかにぬくき日差しにつつまれて立つ
やはらかく吹く風の中さつき咲く枝の先まで桃色にして
満開のさつきの花がつゆに入り色あざやかに雨に濡れをり
足裏の痛みこらへて歩みをり小き魚の目出来てをるらし
東京 池 亀 節 子 駅前の雨上がりたる路傍に咲く鮮やかな松葉牡丹は
緑濃き垣の一画アガパンサス通れば匂ふ白き花群
路地裏の雑草刈らず伸び放題車庫の囲ひの柵にからまる
荷を提げて歩み疲れて腰掛ける平たき石の心地よきかな
料理番組これなら出来さうとすぐ記録記録はすれどそれのみなりき
夜更けても朝が楽なればとりどりの野菜を洗ひ魚を捌く
もう既に曲り初めたるわが背よ負けてなるかと背を伸しゆく
甲斐駒ヶ岳 埼玉 嶋 田 正 之
リュックには筆記用具と「おーいお茶」列車に目指す小淵沢駅
甲州の風まだかたき早春に見覚えのある径下りゆく
画帳手にここぞと定め腰おろし呼吸整へ対ふ甲斐駒
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冬 雷 集
かしこ
真向へば静寂のなか迫りくるものの気配にそつと畏む
雪冠りキリリ聳ゆる岩肌の反射眩しく鋭利に光る
二つ三つ雲を浮かべて澄みわたるこの空をこそ紺碧といふ
軒下のうの字大書の暖簾分け入りゆく客につられてふらり
古民家を改装したる鰻屋に昼食を待つ冷ゆる廊下に
一国な職人気質が売り物か客は順次に案内をさる
熱燗の徳利酒を独り注ぐ和室にテーブル肘掛の椅子
北陸新幹線 東京 櫻 井 一 江
吾の立つホームに留まりゐる列車こそ北陸新幹線「かがやき号」
「かがやき」に乗らむと見れば全車指定席急遽となりのホームへ移る
階段を下りて上がれる別ホーム左右に「あさま」と「はくたか」乗り場
「あさま」より先発列車の「はくたか」の普通座席の列に並びぬ
初に乗る東北新幹線の坐りごこち席の前後の広きがよろし
三月から長野新幹線の表示なく北陸新幹線(長野経由)とあり
終点は長野駅でなき「はくたか」の車内放送注意して聞く
JR長野駅より地下に行く私鉄への階段エスカレーターとなる
善光寺の御開帳終はり名残の景たとへば駅舎のめぐりの看板
栃木 兼 目 久 洗つても洗つても汚れ残りゐる硯の面をティッシュに拭きつ
語句の意味をかみしめ紙に向かひつつ筆下ろしたり一気呵成に
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勤めゐし頃に買ひたる墨あまた未だ使はず部屋の棚にあり
オーナーは時折変るが店内は昔のままに変らぬ居酒屋
言ひ訳をしつつ仕事を先に伸ばす伸ばさぬものは夕べの晩酌
外国産落葉と明記してありぬ腐葉土会社の表記を見れば
落葉まで輸入するとは知らざりきセシウム含まざる腐葉土を買ふ
三月の下旬に植ゑたる馬鈴薯を五月の末にうましと食す
東京 山 﨑 英 子 街路樹の花桃みどりの小き実を枝に満たせり梅雨空の下
高々と胡桃は枝に二つづつ青き実掲ぐ葉の陰にして
九十歳にならねば分らぬことのあり見えてくる物又多くあり
こんなにも歩けぬ様になりしかと互みに思ふ遥かなる旅
古き歌碑尋ねて遠く歩みたり花野に秋草咲き初むる頃
先生の情熱的な解説に鑑賞をしき舞踏への勧誘
絢爛たる舞踏会の様思ひつつ先生の笑顔を重ねて思ふ
日の光の下 千葉 田 中 國 男
し もた や
仕舞屋に掲ぐる半旗は何となく負け犬を視るごとく悲しき
我が家でも敗戦記念日一度だけ半旗掲げき母の供養に
左翼にはあらねど敗戦記念日に半旗掲げし労組の門
祝祭の休日堂々日の丸の旗掲げれば心明るし
日の丸の小旗打ち振り天皇の被災地視察を迎ふる難民
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日の光恋ひてコンクリ割りてまで蒲公英の花元気に背伸びす
敗戦に畏縮か学校教育は国旗君が代ないがしろなり
スタンドは円谷選手へ小旗振る日の丸一色感きはまりぬ
埼玉 大 山 敏 夫 ふりまはす手のなかにたまたま入りたる感じなれども小蠅をつぶす
小蠅にもたつとい命があるなどと感傷不要ひとつ潰して
あまりにも小蠅が多いと引越しを決めし娘が頭にうかぶ
日々春に近づきゆるむ印象のなかに湧き出でて小蠅の季節
小蠅にも「五月蝿い」といふ表現がぴつたりと思ふ春にはことに
部屋のあかりこまめに消せば行く先々追ひきて絡む小蠅のひとつ
空席は二階の喫煙席なれば窓の近くにコーヒーを置く
スプーンをまはす指先とめながら話しはじめつ病に触れて
窓下の駅前広場に入りきて出でゆくまでの都バス目に追ふ
ロータリーを時計回りに進みゐて混乱はなしバスに車に
あひ
向かひ合ふことなく語りたるふたり並びてコーヒー一杯の間
●転載「現代短歌新聞」6月号より
23
人間の歯をとぢこめて売られたるファーストフードのニュースは暗い
小林 芳枝
ぶりかへす寒さの中に降る雨は雪にかはりて白く落ちくる
喫煙席 振子時計 吉田 綾子
早苗田のみどり広がる故郷を吟行会のバスに見て過ぐ
生誕百五十年記念展示場の「左千夫の世界」に心寄りゆく
☆
ひとわたり「左千夫の世界」を見聞きして再び訪いたきこころ昂る
茅葺きの左千夫の生家土間広く味噌部屋を仕切り下部屋のあり
巡りゆく左千夫の家の庭に立つ柿の古木は時世を示す
「アララギ」は常に目にする「イチイ」の木左千夫の生家の庭にひかりぬ
明治の世東京茅場に酪農を開拓したる左千夫の意気込み
放置したるキウイの蔓は衰えずめぐりの樹木に絡みて枯らす
黄楊の木に絡み被える藪枯らしぴちぴちみどりの葉をそよがせて
パワフルに野山を枯らす藪枯らし根刮ぎにしたし梅雨のこの季
みどり濃く繁りたる森はうす暗く間断のなき風にざわめく
締めあげるさまに絡みて山藤の蔓は太杉の幹に食い込む
「昭和十二年氏子一同寄贈」と記しある振子時計のリズム狂わず
週巻きの振子の時計リズム良く時報打つ音戸外まで響く
「詐欺に注意」の防災無線放送を時報の音に聞きそびれたり
古時計の発条ゆるますことのなく週巻き守る長の息子は
24
今月の 30 首
ぎっしりと鉢に勢うシンビジウム注げる水を吸わずに弾く
鉢いっぱいの花の終わりを見定めてシンビジウムの株分けんとす
太き根を張り巡らせる鉢の内にシンビジウムの力漲る
古き根を切り詰め液肥に浸し置き五つの鉢に分けて植えたり
植え分けて水を注げば葉をゆらすシンビジウムに心が足らう
二十年花咲かせつぐ吾が家のシンビジウムは原種のひとつ
異常なる陽気つづきにとりどりの薔薇咲き出でて庭の明るし
蔓ばらの崩れて落ちる花片を伸びたる芝がふんわり受け止む
八重に咲く卯木の花の清ければ手折り来て活ける神仏の間に
向日葵の実生を六個の鉢に植え日向に置けば成育早し
開墾の広き畑に農夫ひとり葱の畝間を均して動く
有機質肥料にこだわる老農夫落花生つくりに気魂を示す
集落の塵芥置場に分別をなさず投棄する不埒者おり
野も山も荒れ放題の現実を受け止め暮らすも余生のひとつ
25
でこられた証であろう。
軽やかさが感じられる。それも日々励ん
なりて一日すごす 佐野智恵子
痺れる手さすりさすりて色染に夢中に
夫しだいで楽しめるものらしい。
にリフレッシュできたのではないか。工
小林 芳枝
交差点の際の桜は七分咲き穏やかに午
何もしないでいると気になって辛くな
る手の痺れを忘れるほどに熱中できた喜
でも歌いたくなる、春の空気にはそんな
申し分なき天気にあれど花咲かず摂理
後の光が差して 桜井美保子
六月号冬雷集評
とあれば致し方なし 赤羽佳年
ゆったりとしたリズムが桜井さんの持
ち味。日当たりのよい交差点の近くから
びが一首から滲む。貴重な時間である。
花見の計画は事前に立てることが多く
当日見頃になるのは幸運とも云える。好
まあ自然界の事は仕方がないなと妙に納
この冬の買ひおき林檎の無くなりて白
留めて柔らかな感じがひきだされた。
喜ぶ子供達と水底に黒く蠢くおたま
じゃくしが見えるようで懐かしい。
くしのぬめぬめ泳ぐ 森藤ふみ
水浅き小さな池に子等騒ぎおたまじや
得しておられる。信長でも家康でも秀吉
天 に 恵 ま れ な が ら 少 し 早 か っ た よ う で、 咲き始める桜の、七分程開いた花に目を
でもなく赤羽風の受け止め方か。
木蓮のいつせいに咲く 松原節子
の歩道を独り 嶋田正之
当面の目的はありビル翳の冷ゆる銀座
北帰行の気配まだなく水鳥は群れつつ
お住まいは福島県、ひと冬分の林檎を
蓄えておくのも生活の知恵であろう。計
早春の渡り鳥の様子を捉えている。寒
さが続いていて飛び立つ気候ではなかっ
展開が巧みである。
木蓮の花が咲いて辺りが春めく。下句の
は介護の人らへ預く 田中國男
血圧をはかれば直ぐに風呂と言ふ身体
画通り林檎の食べ終わった頃に真っ白い
たのであろう、日本の冬を楽しんでいる
食器戸棚の食器の位置を変へてみるほ
橇に似る機具に裸体を固定されゆるり
湖水の岸に騒がし 水谷慶一朗
のか渡りの準備をしているのか鳥達は活
んの少しの気分転換 赤間洋子
二句切れが効果的、メリハリのある上
手い作品である。
発 に 動 き 元 気 な 声 で 鳴 く。「 騒 が し 」 と
さを備えて居られる。介護を受ける大変な
江東区から千葉県勝浦に移られた作
者。どこに行っても人に馴染む素晴らし
日常を楽しむような豊かさが感じられる。
るが年齢を重ねて大掛かりなことができ
の少しの事ではあるが思いがけないほど
なくなり食器の位置をかえてみた。ほん
と浴槽中へ運ばる 同
いうなかに優しさも感じられる。
家具の位置を変えてみると以外に気分
が爽やかになる。そんな経験は私にもあ
あたたかき日差しとなりて自づから鼻
歌も出るリハビリの道 白川道子
寒い時期も休まず続けてこられたリハ
ビリの為の散歩も楽しくなってつい鼻歌
26
六月集評
赤羽 佳年
新しきスーツ姿の青年は電車に揺られ
景色見てゐる 堀口寛子
この青年に注目している心情は、自の
孫子につながっているのであろう。普段
とは違う、初めての通勤コースなのであ
を詠って健全。
初句と言い結句と言い、冬の間だ出来
なかった、農作業の計画立て、働く喜び
た野に働く喜び 橋本佳代子
山峡のきびしき冬を無事越えて今年ま
すっきりと通った歌である。
回顧歌ではあるが過去形にはしない。
十代で離郷された作者は酪農を営むの
であろう姉に、羨望があったのであろう。
なりて姉は輝く 高橋燿子
牛が増え子牛が生まれ三人の子持ちと
で は な く、 な に か 緊 張 感 を 感 じ さ せ る。 名は省略されている。初句・結句に気分
いる。四句の「脆くあり」は「跪くあり」
も片栗の花の撮影に苦心する様を捉えて
片栗の花を撮影のカメラマンの有様を
詠んでそれぞれの形態を伝える。如何に
☆
☆
嬉し嬉しわれの一世がこの中に読み進
片栗の花にカメラを向ける人脆くあり
昂進の様子がストレートに伝わる。万感
の誤字として読んだ。
腹這うがあり 斉藤トミ子
むうち胸熱くなる 岩上榮美子
の思いがあるのだろう。今後ともご健詠
先に上梓された『桃苑』の喜びを詠う
一連十首中の作であるが、ここでは歌集
無駄のない詠い振りで効果。
を期待いたします。
ろう。単に景色をのんびりと見ているの
寄る影に波引くごとく飛び去れる嘴黄
る。初句の「寄る影に」は公園を散策す
状に飛び去る鵯の習性を、良く表してい
上句は句割れ句またがりで、定型を外
れているが、音数はあっている不思議な
四肢は伸びやか 関口正子
二カ月余ぶりの水泳練習に解放さるる
ずに背景を想わせる佳作。
衒いなく静かに詠っているが、結句に
於いて異常さを感じさせる。くどく言わ
に付き合う午前三時に 江波戸愛子
帽子被りコートを着けて歩き出すちち
目に浮かぶように詠い出された。四句
は「赤絨毯」と一語にして、冗長さを解
毯となりて広がる 鳥居彰子
絶え間なく散る紅梅は地の面に赤き絨
頻出は気になる。
「黄花に立てる」で解消。
白 菜 の「 茎 立 」 は 見 た こ と は な く、 想
像するしかないが、結句に知る。
「の」の
て五つの黄の花の立つ 鈴木やよい
白菜の広がる葉のなか真つ直ぐに伸び
☆
る作者らの姿を言うのであろうが、唐突
なる鵯の群れ 永田夫佐 ☆
二句の「波引くごとく」が、群れて波
感はある。「嘴黄なる」で若い鵯と知れる。 作品。結句の自己陶酔ぶりはお見事。
消出来る。
探鳥会に行きたる公園の池の上モノレー
ルは行く飛ぶやうに行く 野村灑子
下句の畳句が生きてスピード感が出
た。二句の「行きたる」は「来たる」と
して臨場感を出したい。
27
八月集
栃木 高 松 美智子
根を引きても引きても茂る半夏生の肉厚き葉に蟻這いのぼる
玄関に坐しいるえびす大黒天招き猫までへの字に笑う
招き猫の背中に硬貨を落とし入れへの字に笑う眼撫でやる
薙刀のごとくモップを振りかざしゴキブリ一匹を夜中に仕留む
春子という名は北国に多しという上司は小柄で芯通る人
金色に輝く麦の刈られたる畑には緑の新芽伸びくる
頭上注意と書かれいる紙のななめ上に燕の巣あり雛が口開く
東京 天 野 克 彦
人煙にまつはり生きる雀らの夜明けのさざめき嬉しき目覚め
うぐひすの朝の訓練はじまりぬほんの束の間恥づかしさうに
裏山の森に頻鳴くほととぎす旅に出でよと吾を誘ふ
かへるでの若葉の萌えにをりをりに風のつどへり見おろしをれば
論客にあらざる故に自衛権の論議のゆくへじつと聴きゐつ
(再連載)
死なうとは思はないけど生きて行く気力失せる日ひすがら眠る
漱石の「それから」連載始まれり朝日新聞なかなかやるぞ
☆
勝鬨橋 中央区勝どきより
28
八 月 集
讀賣巨人軍とはなんでつか軍とはそもそも軍隊でつせ
(戯歌)
栃木 髙 橋 説 子 赤土のコートに溜まる黄の球をボールボーイは機敏に拾ふ
雷と激しき雨の夜が明けてけふ蒼天は近く目映し
ゆるゆると紋白蝶は危なげに日傘の人の巡り飛びをり
栓を抜けば乳白色の風呂の湯とけふの私が吸ひ込まれゆく
一杯に土を入れたる野菜用の深きプランターは持ち上げられず
ミニトマトの青きが生れば覗き込み幼なは触れて触れて落としぬ
贈られし白あぢさゐは年毎にもも色増して庭に根付きぬ
思ひつく限りの願ひ事並べつつ鋸山の大仏拝む
二度と来ないと言ひつつ友と笑ひ合ふ「地獄のぞき」といふ名の断崖 愛知 小 島 みよ子 五月なる台風は珍しと空仰ぐ移りゆく雲の動きの早し
大猫の走るが如き形せる雲は足早に動きゆきたり
台風も事なく過ぎて朝十時窓辺の南天わづか揺れをり
早起きし散歩を終へて草を引く今日も明るく無事にと願ひ
芝の上に何鳥ならむ忙しげに餌を啄みて去りてゆきたり
頂きし小賀玉の花の優美なる香り親しみ又寄りてゆく
一時に暑くなりたる今日一日夏の準備に忙しく昏れる
少しづつ巡りは夏に変りゆく冬の蒲団に有難う言ひて
29
夜の雨にしつぽり濡れる南天の花に宿りし朝露光る
今日一日無事に過ごせし幸せを思ひて見上ぐ青く澄む空
☆
茨城 関 口 正 子 甘やかな香りただよふ空色のネモフィラひらく丘登りゆく
二羽の鳥飛翔するがに植ゑらるる空色の中に白きネモフィラ
日高こぶ三陸わかめ房州のひじきを買ひて旅する気分
陽にむきて莟ほぐるる春蘭の小さき花びらに蜜がしたたる
大根の千切りが載り出てきたり店主おすすめの白髭蕎麦は
たをやめのやうな雛罌はじわじわと草押しのけて空地占めゆく
トンネルを抜けるや越後は雪ならず晴れて若葉の山に残雪
さみどりの山の斜面の雪解けて小径に一筋の流れきらめく
滞在し『雪国』を執筆せしといふ記念の部屋に慎みて坐す
栃木 高 松 ヒ サ
水の無き川となりたる両岸に数羽のカモが餌を食べており
寄り添いて番の鳩が麦刈りの済んだ畠に睦まじく居り
唇の色変る程桑の実を食べし遠き日昨日のごとし
破れたる障子の補修した様に湿布の並ぶ私の背中
鈴生りの青きトマトに手を触れて香りたのしむ夏の初めに
残飯に集る雀の仕草にも心引かれる午後のひと時
幼き日蛍を蚊帳に放ちたる思い出返る暑き夏の夜
30
八 月 集
麦の穂の上を飛び交うツバメ等は夏の使いか懐かしさ戻る
初物の馬鈴薯の皮ぽっこりと割れて白き粉を吹きており
栃木 正 田 フミヱ
腰痛に姑の筋力萎えたれば整形外科医の指示書いただく
初めての訪問リハビリに姑は血圧上がり目眩おこしぬ
年若い理学療法士はマッサージ歩行訓練と姑を治療す
トイレまで行ければ良いか九十一歳歩行訓練見守る五月
豊かなる明るき心と学びきてその心欲す介護者われは
定植のゴーヤーカボチャの萎れだす五月の真夏日数日続き
庭に鳴く雨蛙の声そちこちにすれど単独合唱はせず
草を引く雨に濡れたる草の根は容易に抜けるウツまで抜ける
福島 山 口 嵩
渓流の音もしだいに近くなり腹の時計の刻み早まる
昼食後またの登りで目指す尾根いやに遠くに見え隠れをり
沸き続く小町いはれの湯に浸り百人一首口ずさみけり
露天風呂あがり一気に缶ビールこのために山を登りたりしか
何となく使ひをりたる「し」と「たる」の用法知れり四斗樽よみて
消費税三パーセント上げられて財布膨らむ一円かうくわ
九条の平和を糾す法案か矛盾が滲む国会答弁
嘘とまで言はずも疑問のスパイラル竹に木を接ぐ九条解釈
☆
31
千曲川源流 東京 高 田 光
木洩れ日の下を黙々歩み行く遠く聞ゆる瀬音たよりて
岩またぎ崖を下れば沢見えて流れの早く渦を巻き居り
沢沿ひの石を踏み踏み登り行く道にはあらず乾きたる川
一枚の広き岩を滑り落つる緩き流れをなめ滝と言ふ
なめ滝がなめ茸ならば摘み取ると駄洒落まじりに昼食にする
千曲川源流まではあと二キロ標識あれど流れの強し
沢沿ひの木々や倒木つちまでも苔に覆はれ緑の深し
山襞の中に突然あらはれて千曲の川はここに湧き出づ
湧水をそっとカップに掬ひ居り信州信濃を一気に飲まむ
眼が合ひぬ緑の中に白き尻吾が振舞ひを鹿に見られて
☆
青森 東 ミ チ 思はざる高額療養費支給さる三万二千円に得した心地
豆モヤシ値段の安く今日も買ひ短い豆の根を取りてをり
友の習ふ舞踊教室訪ぬれば声張り上げて教はりてをり
拗れたる肩に障りなき仕事にて猫のブラッシング二日に一度
無理せずに電話よこせと子は言ふもありがたうの他に言葉なく
岐阜 和 田 昌 三
公園を埋めるが如く咲く躑躅イベント終われど訪う人絶えず
久方に三泊四日の旅に出る車の点検念入りにして
32
八 月 集
四日とも雨なしという予報見て幸先良しと車走らす
今日も又三十五度超ゆ真夏にはどうなることかと会う人ごとに
この町に生まれたる五代雲月は義民伝唸り故郷に錦
扇子手に身を乗り出して一揆語る女講談師は実は看護師
「よかった」と逢う人ごとに言い呉るる「望郷の鐘」の映画の後に
華やかに幟はためくコンビニで若者に交じり肉まんを買う
九条も知覧も知らぬと言う友に飢えから話す憲法記念日
☆
埼玉 倉 浪 ゆ み 叔父と叔母杖つく音のこつこつとゆつくり歩み散歩みち来る
贈られしシルバーグレーのパラソルを開いて閉ぢて又差してみる
梅雨空の下通りすぐる路線バス車内いつぱいなつの制服
初夏のひるの日差しのしづかにて木ささげの花黄に照りにけり
ゆふぐれの泰山木の白き花近寄り見れば良き香ただよふ
びはの実に光るうぶ毛の瑞みづし風は熟れたる香りをはこぶ
ゆすら梅のすつぱさ口にひろごりて我のみの遠き思ひ出を追ふ
茨城 乾 義 江
三階の「はつらつ教室」に気が急けば厄介なるか血圧上がる
車検待つ時を歩けば自衛隊の雑木林にうぐいすの鳴く
掛かり付けの医師急病で閉鎖さる思わぬ事態に戸惑う患者
地震あり噴火のありて台風あり天変地異に狂いそうなり
33
二時間を理学療法士に従えば疲労困憊はかどらぬ夕餉
家裏の野菜の生育見に来れば淡青の空に雲雀囀る
地鳴り来て緊急速報けたたましく軋む家の中椅子に固まる
☆
カナダ ブレイクあずさ
荷造りの手を休めてはかたわらでくつろぐ猫の頭をなでる
青空ときらめく雲海つき進みマッハの速さで故郷に向かう
空港に降り立つわれを包み込む水を含める大気なつかし
うぐいすを夢の覚めぎわに聞いている二年ぶりなる両親の家
親子とてふたりの主婦の立ちたれば台所にて少し諍う
片隅に追いやられたる鍵盤のひとつひとつのほこりをぬぐう
群馬 山 本 三 男
投函に来たるスーパーの駐車場朝日の差して人影を見ず
去年まで避けいし胃がんの検診を今年は受けることに決めたり
壁伝う細きカマキリ見つけたりわれの心はしばらく和む
検診を終わりたる日に飲むビール思いし程に旨くはあらず
六月の強き光の庭に出で五分ばかりで疲れを覚ゆ
なんとなく不安の多きこの季節パズルの本を今年も買いぬ
聳え立つ大病院の建物をわが帰るとき仰ぎて見たり
ツツジ咲く赤城の山は混雑す平日なれば老人多し
ストレスがいけないと言う推敲もわれにとりてはストレスとなる
☆
34
八 月 集
茨城 吉 田 佐好子
小学生ライトノベルがお気に入り漫画世代のこころを掴む
主人公同じくらいの小学生感情移入もすばやくできる
梅の実を黒酢に漬けた真黒な果肉を噛めば酸味が鼻に
梅の実が店先並ぶ初夏のころ無性に漬けたくなると友言う
永年の認知症の人に寄り添った義母の経験知人に生かす
認知症の人と暮らすは新しき家族関係つくる気持で
増え続ける認知症の人の数年で「正常な人」を凌駕するだろう
☆
実際は家族の負担大きくて公害のように「対策」とらる 新潟 橘 美千代
海外に配信されぬをひた願ふ首相みづからやじ飛ばす姿
敵に支援するは当然敵として攻撃さるる自衛隊員らも
御用学者に合憲と言はせ正当化せむ目論みか原発のごと
(加治川堤)
憲法を解釈次第にてねじ曲げる前例ゆるすな思ふつぼなり
花の季すぎて桜は木にもどる緑ゆたけき並木となりて
人間の未だゐぬ地球を思はせて蛇行せる川緑ぬひゆく
トレーニングしおやつ貰ふを楽しみにわれを待つ猫捨て猫なりき
玄関の戸を開けて外に出たる猫怯えてその場にうづくまりたり
親の遺骨ひきとる準備と根無し草われらが墓の分譲地めぐる
(☆印は新仮名遣い希望者です)
35
六月号作品一評
冨田眞紀恵
☆
ふる里の幼馴染の春江ちゃん入院まも
なく死んでしまいぬ 吉田綾子
☆
点滅の青信号に走るなど出来ねば息を
整えて待つ 大川澄枝
安全第一が一番ですね、この作者の様
に横断歩道を渡りたいものです。
みちのくの吾が古里に行きたいなとんび
春一番の天からのプレゼントかも知れま
せん。
散り初めたる白梅風に舞ふ寒さ残れど
春は足早に来る 田中しげ子
梅の散る頃はまだ春とは言え寒さはあ
りつつもうそこまで春が来ている感じが
ぎ時の間忘る 本山恵子
限られた命にあれど日常は事も無く過
童謡の様に楽しい一首、もしこれが叶
うものならどんなに楽しいでしょうね。
そして桜の花を迎える様にこぶしが
高々と咲く、春の花の競演の始まりです。
広げ一斉に咲く 酒向陸江
青空にこぶしは高く背伸びして両の手
近づいて来るのでしょう。
します、そして梅が舞う風に乗って春が
別れは、どんなにかお辛い事であったか
誰しもそうだと思う。何事もなく一日
一日が過ぎ、こんな日が永遠に続く様な
桜木のもとに転がる松傘を拾へば温し
の翼にのせておくれよ 福士香芽子
と思います。
錯覚をする。今日と言う日は二度と来な
土の香のする 増澤幸子
「 永 別 」 は 一 首、 一 首 の 間 か ら 悲 し み
が零れて来る様な思いで読ませて頂きま
目に耳に入り来る情報溢れいて身の芯
いのですから、毎日を大切に生きたいも
下句の素朴さが良い、純真な子供の頃
に返った様な感じがする。
どこかに置き忘れいく 高松美智子
☆
した。長いお付き合いであった幼友との
確かにこの頃は情報が溢れ過ぎていて
何処まで信じて良いのか、分からない気
のです。
らの枝を幾度もくぐる 大山敏夫
ほぼ横に十メートルはのびてゐるさく
☆
持ちを作者は「身の芯どこかに置き忘れ
良い習慣ですね、頭の体操にもなりま
すし、この積極性は是非つづけて頂きた
なれば直ぐ辞書を見る 橋本文子
☆
いく」と上手く表現されたと思う。
新聞に「巧遅拙速」の言葉あり初めて
転任して家から通う孫が居て明るくなっ
た夜の食卓 高松ヒサ ☆
るり色のいぬのふぐりに名をつける可
楽しませて呉れる一首であった。
かが良く分かり、読んでいる私も一緒に
かにこの桜大樹を楽しんでいらっしゃる
学園都市国立のさくら一連の中のこの
一首は、スケールが大きく且つ作者がい
が居ると居ないとでは家の中の雰囲気が
愛い花よ「星の落し子」
高島みい子
いものです。
がらりと変わるものです。よかったです
い ぬ の ふ ぐ り に 相 応 し い 命 名 で す ね、
これは又、お孫さんの転任によって同
居出来る様になった嬉しい一首、若い人
ね。作者も若がえられる事と思います。
36
て育ち暮らしき 吉田綾子
嶋田 正之
☆
幼児期の父の戦死に朋友は母子家庭に
い、そんな様子が目に浮かんで来る。そ
犬は散歩の時間をしっかり弁えてい
て、主人のちょっとした仕草も見逃さな
風花のせたるままに 田端五百子
所在なく犬が散歩を待ちてゐる睫毛に
と云う。何となく温かく納得させられる。
りに励む、これもスポーツかも知れない。
ポーツの如く捉え出荷はせず自家野菜作
健康のためにエアロビクス、やゲート
ボールと言う人が多い中で畑仕事をス
のあと継ぎ自家野菜作る 小川照子
これといふスポーツはせぬが畑仕事夫
居るだろうが作者はしっかり捉えている。
当時は戦争孤児、戦争遺児と呼ばれる
子供達が日本中に溢れて居た。と言う筆
曾孫見に息子の家に立ちよれば高き木
動車の音にかき消されて気づかない人も
者もその一人であったが、あれから七十
れも睫毛に雪をのせていると云うから何
の間でうぐひすの声 栗原サヨ
期がある。そうした時友達の声を聴きた
年不戦の誓いを世界に宣言し維持してき
とも愛らしい瞬間を捉えた歌だ。
曾孫を見られる幸せが鶯の声とともに
読む者に伝わってくる。
くなったのだ、それも越後訛の友の声だ
たはずの日本がここに来て危うい、あの
隣家にラッパ水仙持ちゆきて友の笑顔
六月号作品一評
苦い経験は我々だけにしたいものだ。。
に我もうれしく 小島みよ子
パ水仙の黄色がそして香りが、人の情が
けるということは、嬉しいものだ。ラッ
目を楽しませてくれる存在なのだろう。
トル足らずの山と聞くが、四季を通して
栃木自慢の再登場だ、嫁は桜を姑は片
栗の花を愛でておられる。高さ三百メー
ち合う音を聞いたと云う、ともすれば自
された空間だ。その中にあって竹刀で打
つ生命力に魅せられての一首だ。
雪国で頑張っておられる姿をサンシュ
ユの木に重ねて詠まれている。植物の持
サンシユユの花 吉田睦子
☆
栃木の郷土自慢の三毳山での花見を楽
しむ様子が伝わってくる。因みに万葉集
歌から立ち上がってくる。
降雪に半分折れて残る枝に見事黄金の
☆
大鍋に十五人分の豚汁を煮込みて三毳
万葉の三毳山のかたくりの花を目指し
の歌を調べたら詠み人知らずの歌があり
季節ごとに花咲く皇居の東御苑衛士が
の花見が始まる 高松美智子
は誰が笥か持たむ」歌の意味は「下野の
「下野の三毳の山の小楢のすま妙し児ろ
打ち合ふ竹刀が響く 荒木隆一
て車は続く 高松ヒサ
三毳山の小楢のような美しい娘は一体誰
皇居も御苑も俯瞰して見れば、林立す
るビル群とは対照的に自然がいっぱい残
ご近所との日頃の付き合いの良さが滲
み出ている。何につけても人に喜んで頂
の妻になるのだろうか」だそうだ。
くなりぬ越後訛を 涌井つや子
花散らしの風と雨降り君のこゑ聞きた
季節の移ろいの中でふと淋しくなる時
37
作品一
☆
千葉 堀 口 寬 子 蘭の花静かなれども持ち合はす花の生命を咲き終りたり
朝向かふ鏡の中に変身が大事と思ふ八十の夏
年下のあなたの老いが悲しくて五月の雨にぬれて帰りぬ
少年の日の夢の凧天空に揚げてる義兄は九十二歳
大空に義兄の凧は悠々と見上げる曾孫三人が居る
四世代十三人を百姓の父母が養ひ育みくれぬ
茨城 吉 田 綾 子
山中の道路協会の立ち合いに藪蚊防護の衣服着てゆく
山中の作業に不慣れな市職員は書類でパタパタ藪蚊を払う
先祖からの持ち山を知らず立ち合いに若き姉妹が不安気に来る
繁り合う雑木林を歩みつつ間伐に通いし若き日憶う
山中のいたる処に大量の投棄物あり道を狭めて
うす暗き山くだり来て畑道のかんかん照りに目は眩むなり
病院で佐好子先生に見て貰ったと友はいつもの笑顔で話す
政治経済宇宙のことまで良く識れる友の白髪は櫛目くっきり
東京 大 塚 亮 子
勝鬨橋 中央区築地より
38
作 品 一
青梅の菓子作らむと梅一つ掌に載せじつくり眺む
こし餡に梅酒を加へ味かをり確かめながら更に練り上ぐ
さるかに合戦読みたる康くん柿の代りに蜜柑の種を三つ植ゑたり
みかんの種植ゑて二十日を過ぎた朝米粒ほどの双葉が出でぬ
康くんの来ねば水遣りわが仕事いろ艶増しつつ双葉が伸びる
友に貰ひし八重の十薬しろ白と初めて咲きぬ七七日忌近きに
逝きし友の写真携へ耳庵忌の茶会に参加すわたし一人で
わが庭に根付きて五年か友の形見となりたる木槿の莟ふくらむ
久久ゴルフ 埼玉 小久保 美津子
ゴルフ靴に詰めゐし新聞取り出しぬ二年と二ヶ月前の日付の
コース内の行く先先に山法師十字架の如き白花数多
バンカーに埋もるる靴の感触も沸沸嬉し久久ゴルフ
ティショット胸の鼓動の昂まりて芝の香りを深深吸ひぬ
釈迦力にボールを飛ばす企みに地球の抉れ腕の痺れる
ゴルフより離れたること二年余勘の鈍りの蘇りくる
東京 増 澤 幸 子 新緑の奥湯河原の山間に谷音をきく親しき友らと
湯宿までのバスより眺むる五所神社樹齢八百年の巨木空つく
土肥一族の勢力思はす城郭跡大小の墓どつしり残る
頼朝の古へ偲ぶ「しとど窟」暗き岩窟は夢想の世界
39
ちまたでは見かけぬホテルの従業員和服姿にもてなしの膳
捲れたる紅き花弁のエビヅルフラワーサラダの一品箸を置き見る
天上の露天風呂に足のばし星を数へぬ慣ひとなりて
新緑 東京 永 田 夫 佐
安曇野に定住したる友の声電話にききて会いたさの増す
杜甫の詩を読みに通いし遠き日を思い出したる友との会話
さわさわと揺れる竹藪皮をはぐ竹の子の節に生毛かがやく
美空ひばりの歌をききつつ車中に待つ欅の大樹風に騒立つ
路行けば薄紫の穂群たれ茅花かがやく午後の日差しに
こぼれ咲く矢車草のとりどりの優しき色に園を見渡す
ツタンカーメンの墓に供えし矢車草姿をかえず現し世に咲く
淡路なる島の砂より出で来たる銅鐸の音に古き世しのぶ
東京 河 津 和 子
誘われて東京ドームは久し振り世界らん展行列長し
豪華なるらんがドームに溢れ咲く世界のらんあり盆栽があり
押されつつやっと一鉢買い求む蕾多に持つ紫のらん
らん展で当たりたる日帰りバス旅行妹と富士の芝桜見る
富士見台に登りて四囲を見渡せば雲の切れ間に雪の稜線
曇天の富士にしありて雲動く垣間に見ゆる残雪の筋
雨音が天水桶にはじかれて静かな夜は歌作り居り
☆
☆
40
作 品 一
黄色くて小さい花が咲きました産毛に包まるキュウリの苗に
愛知 山 田 和 子
隣の娘押えてもらって練習の自転車を今朝は軽がると漕ぐ
石蕗の葉群は大きく広がりて昨日の雨に輝きをます
忍冬は切っても切っても枝先にオレンジの花絶やさずつける
親父より一つ長生きしたと言う祝の赤飯食して夫は
薔薇を見に行こうと誘えば平日にしようと晴の土曜日避ける
サロマ湖畔の種子より育つ浜茄子は紅紫の花を初めて咲かす
晴天の昨日と違う空模様今日から梅雨と予報は伝える
雨と晴一日隔きの青空にみごとに映える杏子の緑
☆
千葉 涌 井 つや子 人間が通ればすぐに逃げてゆくひとりで通れば恐しいからす
初夏の旅は草津温泉と決りて参加す緑が眩し
夕飯の終りて湯畑見に行かむ遊歩道あり腕組みて行く
温泉の匂ひ漂ふ中にゐる仲間と歩く草津の街を
山梨 有 泉 泰 子 水蒸気を噴き上げる轟音つづきゐて夜も眠れずと箱根に住む娘
新緑の美しい季節に噴火とは地の神の怒りの鎮まれと祈る
派手かなとタンスに眠るワンピース袖を通せばこころ華やぐ
母の匂ひ子等の香りに包まれて捨てられぬ服たたんでしまひぬ
41
おもて
みづからのガンを告げゐるわが主治医幼子二人の父親である
闘病に専念したく閉院と語る主治医の面穏やか
去年採りし朝顔の種芽を出して双葉を広げぐんと伸びゆく
本葉出たる苗を移植すこの夏は家の巡りに朝顔咲かむ
岩手 田 端 五百子 重機うなり嵩あげ進みて新しき地層成りゆく父祖の大地は
唯一の銭湯流され軒のつばめどの灯を今日の塒としゐむ
夕暮をタテ・ヨコに斬り燕飛ぶ帰宅を急ぐ人らの上を
朝市に刃物談義の盛りあがる日曜大工の男ら足止む
「もういいかい」振り向きても誰もゐずあのみそつかすどこにかくれた
もはや巣は狭くてならぬ燕の子梁に身を反り餌を待ちゐる
風ありて斑の日差ふりてくるこの山道も夏の近づく
一雨ごと雑木の山は色を増し若葉もこもこ山太りゆく
岡山 三 木 一 徳 まだ早苗植わらぬままの田の上を早くもつばめ早業みせる
田植する姿珍らし稲田には実生の稲がすでに育てり
太鼓打ち昔日の姿再現す後楽園での田植祭りは
活性化と考案されたオープンカフェ新緑ながめて癒されてゐる
噴火とか地震は各地で群発すプレート上の日本は怖し
列島の各地で地震続くなか遂に全土で地震計揺れる
42
作 品 一
梅雨入りを前にどんより霞む空またも黄砂が訪れきたか
千葉 野 村 灑 子 花開く高温の日あり又花冷えの日のあり桜木は迷ひゐるらむ
庭の桜伐りたるを惜しむ人々の言葉に円広き切株をみる
空席になりても坐さず立ちゐたる若きのパンツの直ぐなる長き脚
往復の電車の中は歌を読み歌詠む場所なり鉛筆を出す
この季節紅葉や夕日の写真展赤暖かくほつこりとする
波の飛沫受けつつ下る隅田川勝鬨橋を先づはくぐりぬ
いくつもの橋くぐりゆく隅田川橋げたの名前ふり返り見る
東京 荒 木 隆 一 単調に爼板叩く飴切り機古寺の門前斜め陽の店
稀にみる雨なき浅草三社祭鳳輦揉まるを遠く見るのみ
家族葬密葬と老が人知れず路地より密かに消え去りてゆく
七曲り先の寺町従姉妹の墓地梅雨の晴れ間の納骨日和
喜びも悲しみもの碑とひばりの碑塩屋岬に亦津波の碑
一輪車いつの間にやら乗りこなす成長の速さに感嘆するのみ
建売りに越し来た家に赤児泣く何年振りかの路地の光明
陽を浴びて岩ごと亀の甲羅干し亀の世界も生存が厳し
茨城 沼 尻 操 雨のなか確定申告わがために代理申請嫁行きくれぬ
43
順番を早くと自転車にとびのつて税申告に行きし日懐かし
盆栽に秋早く礼肥やるはずが少し遅れて油粕やる
足腰のしつかりしてゐた頃思ひ転ばぬ様に踏みしめ歩く
霜柱に浮きたる麦を両足で踏み行く背に木枯し強し
鵯が来て雀達の餌を先どりす野鳥の世界もむづかしきかな
近隣の人の車で媼二人満開の花に話のはづむ
埼玉 小 川 照 子 落花生のカラを割り一粒づつ蒔きぬ鳥除けとしてネットをかける
天上天下指さす釈迦の身長はどのくらゐかしらと初めて来た人
早朝の絹さやもぎを鴬の啼くを聞きつつ指先はづむ
(五月三十日)
雨降らず朝あさの水撒き続きをりそれぞれの野菜花咲き始む
倖ひに嶋耕地には水ありて今年の田植ゑ無事終りたり
太陽は真夏の如く照り付けるひと日の田植ゑに風吹きくれる
田植機の運転慣れて去年よりも息子はスピード出すのが解る
幸代言ふたまには外もいいものネと娘夫婦は笑ひ聞きをり
埼玉 栗 原 サ ヨ 栴檀のこぶのあたりに穴を穿つキツツキだらうと皆が見て居り
時どきは穴に入りて居るらしく葉かげに尾羽がゆれて居たりき
雨しとど梅雨寒の庭朝顔の芽二つ三つ見えてあぢさゐぬるる
いとこ会とて子等十八名集りて思ひ出話に花咲かせ居り
44
作 品 一
千葉 石 田 里 美 娘の友が選びくれたる飯茶碗うれしくもらひて夕餉たのしむ
母の日にお隣からのカーネーション恐縮しつつもうれしくもらふ
もてなしし昨日の客は八十八歳御自身仕立てのロングドレス着る
☆
みどり濃くなりたる庭につぎつぎと人ら訪ずれ夏となりゆく 東京 大 川 澄 枝
集金の信用金庫の青年の指に幸せの指輪が光る
ハルウララ懐かしい名の競走馬元気でいるらしテレビが映す
お帰りと家前の児に声かければじーじは寝たのと言葉が返る
五月には友の葬儀が二度ありて目映い光にも心ざわめく
☆
(五月二十二日)
富山 吉 田 睦 子 請負ひや個人の人等一斉に田植ゑ始まる日和続きに
農業は赤字となれる世となりて補植なす人見えぬ早苗田
屋敷なか紅の椿は咲けるまま落ちてやがては土となるらん
屋敷樹の防除の前に蕗を刈り家族の好物鯖と煮付ける
上を見る事なき今日はお日様に笠有りたりと夜のテレビ言ふ
チューリップの枯れたる茎は機械にて刈られ畑土は白く舞ひ立つ
雨のなく異常気象の続くなか早くもチューリップ掘り始まれり
埼玉 本 山 恵 子
スキー禁止の夫に合わせて吾が脚も疼きくるなり時どきなれど
45
右脚もいずれは手術と承知して三月のスキーを最後にしたり
これまでにいろいろな花束賜れど向日葵は初めて元気出でくる
七本の向日葵の花に見つめられ励まされたる心地の一週間
電話のベル二十数えて待ちおればゆっくりとした声聞えくる
午前九時寝ていましたと栗原さん久しぶりなれば長く話したり
東京 飯 塚 澄 子 風そよぐ気配もなくて人通りなき昼前よ妙な静けさ
ポストへと裏小路行く紫陽花の彩り映えて日に盛ります
人出多く鳥獣戯画の展覧会見られぬ友のみやげは手拭
受賞すと姪の電話で書の展を見に行くサンシャインへカメラ手にして
このところ書体変へたる姪の書の力強さよ撮りては眺む
たなごころ見せて顔をば隠したり曾孫の素振り我驚かす
冷房のきくホールにて吟詠の尺八伴奏清らかにして
鳥取 橋 本 文 子 帰り得ず夜を外にゐる猫案じ徹夜して待つ孫からの預り猫
うつすらと明るむ東の空の中に下弦の月の小舟の形
小声にてムーと猫の名呼び歩く夜明けの道に人とは会はず
二日位ゐなくなるのは習性と猫に詳しき人の経験
猫さがし歩く夜道の畑池のウシガヘルの声心の和む
錠剤の餌のみに育つ猫案じ十二時まで待てば帰りきたれり
46
作 品 一
猫ですら家出は心配かけるもの増して人間心して暮らさむ
茨城 姫 野 郁 子
百五拾人分の竹の子いただきに今年も農家へ長靴で行く
時期遅れ腰まで伸びた竹の子も一応掘りて食材とする
ゴンドラでゴヨウツツジ見に山頂へ散策しながら白き花探す
五枚の葉が輪生状に付きており真白な花のゴヨウツツジに
来客は退職したる班の人選挙出馬の挨拶回り
ステージは楽しい喋りの千昌夫と新沼謙治の癒される歌
人間ドックの糖数値上がり先生に生活態度厳しく言わる
空の青より青さ増す紫陽花は花火の如く庭に咲き誇る
☆
☆
東京 高 島 みい子 この頃は心のなかに遠き日の田舎の田畑や野山がうかぶ
祭り好きの祖父に似たるか今年又バスにのり込み三社に向かふ
浅草に嫁して半世紀商ひし三社祭りに思ひの深し
箱の中に入れたるままに幾とせぞ鎌倉彫の手鏡重し
積みゐたる歌集を二度読みかへす視力落ちたる目を労りて
認知症予防をメモに記さむと思へどまどろみ番組変る
「天声人語」又読むつもりで切り取りて溜り溜りて寿命も伸びる
兵庫 三 村 芙美代
園児等の喚声大きく聞えくる梅雨の晴れ間の窓あけはなつ
47
ごみ出せるうちはまだまだ頑張れる少し早起きしてごみを出す
おいしいと言い合う相手今は無く色の乏しき夕餉を済ます
ベランダの物干し竿は朝日受け己の仕事待つがに掛かる
濃みどりの草木の薫る園をゆく山野草展旗の靡ける
主催者と見学の人仲間らし人の輪出来てにわかに弾む
飾り棚の奥より延びくる蔓のたけ定家葛の執念を見る
谺して蒲団を叩く音響く梅雨の晴れ間を合わせる様に
東京 田 中 しげ子 枇杷の実を啄みに来るは尾長か体に似合はぬ声のかしまし
枯れたりと見えし宿り木青々と絡みて昇る梅雨の始めに
縮まれる体伸ばして濯ぎ物吊しゆくなり朝のひととき
くすり切れて両足震へ隣席のリハビリの友は家に帰りぬ
動きある片手片足で機器使ひリハビリに通ふ男女のをりぬ
週に一度そよげる木々を眺めつつリハビリの機器使ふ汗をかきつつ 東京 鳥 居 彰 子 厨辺に小蝿ポットン据ゑ置けば保温マットに小バヘもぐりぬ
橙色はコバヘの好む色といふ凸凹ステップに群がりて来ぬ
コバヘの好む果実のかをりに誘はれて小バヘ群がり吸ひ込まれをり
朝早く宅急便の届きたり茨城の知人より葉生姜とあり
葉生姜は露をふふみて青々し葉を落とすことためらふほどに
48
作 品 一
緋の梅の手入れは他人には任せぬと老いたる親方樹上より言ふ
冬物を片付けぬまま暑くなり腰庇ひつつ夏物を出す
永別 東京 岩 上 榮美子 手を握れば薄く眼をあけ頷きて応へ呉れしが最后となりぬ
「おとうさん」と呼びて過せし六十余年三人の子を共に育てし
年若く未熟なれば夫にも気遣ひ足りぬ妻でありしよ 技術者なれば手先器用に何事も頼まぬ先に直し呉れたり
NHK沖縄局より復帰第一声を出したるが自慢でありし技術屋の夫
医師と看護師共に礼して了りたり五月二十二日零時十分
神奈川 青 木 初 子
段飾りにあらねば孫の手の届く兜飾りを今年は見せぬ
目につけば何でも手に取る四歳児帰りて飾る五月人形
二〇人の賛同を得て斜面なれど期限あらざる畑を借りる
賛同者は労働力の提供と月百円の出資の義務あり
三年を放つて置かれてさらさらの土にスギナの元気な畑
ふかふかの土造らんと貰ひ来たる落葉米糠畑に鋤き込む
作物を無農薬にて作らんと土に鋤鍬大きく振るふ
出資金に見合ふ収穫今年はおほかた望めぬ畑は若し
茨城 大久保 修 司
本部歌会の前日泊まる娘宅に孫らと鮨を賑やかに食ぶ
49
薬出せば「水を飲むの」と三歳の孫娘コップに持ち来て呉るる
娘二人幼き頃は安価なる社宅住まひを今更感謝す
麦秋の畑と隣の早苗田に柔き光を届ける夕陽
土作りに拘つたと言ふ生産者のメッセージに買ふ泥つき牛蒡
炊き上がり天こ盛りなるを亡き人に今日は供へる麦飯なれど
半年ごとに点検すると言ふ案に応じ難しもわが国産車に
車検時に軽トラ借りて庭の木の伐りたる枝を運ばんとする
☆
神奈川 関 口 正 道 赤穂義士の休息の地と碑文ある永代橋際わが住みし町
四十年前住みゐし公団住宅は取り壊さるるらし深川佐賀町
バスは無く茅場町までの通勤に永代橋を都電にて渡りき
勝鬨橋の跳開地点の歩道に立ち船酔ひに似たる上下動覚ゆ
中華街の朱雀門柱モノクロの画像に変へれば穏やかになる
昨年撒きし一袋の除草剤効きたれどドクダミのみは変はらず蔓延る
ほんたうに悪い奴ほど目立たない昔も今も記録残さず
昭和史の探索に知る「原節子」吾が生日と重なりてゐる
入院一 東京 酒 向 陸 江
いずこからいかに入りたる熱の因頭痛伴い高熱十五日
やーちゃんが頼りになってうれしかり入院手続き末っ子に従う
薄暗きベッドの中にとろとろと熱に朦朧いく日眠る
50
作 品 一
発熱の前より始まる激頭痛水枕たのみ九度九分と知る
医師佳樹看護師佳奈恵友佳子縁起が良いぞ私のめぐり
看護師はパソコン携えやって来る担当患者のみを目指して
雨上がり多摩の横山青深し熱の原因未だ解らず
茨城 中 村 晴 美
炎天下に紫陽花がつぼみ小さく付け未だ六月と花に教はる
成長する草を抜くのはひと苦労小さき内にと毎年思ふ
震災の余震と云ふ大き揺れありて都心の機能あつさりと停止
エレベーターに閉ぢ込めらるるニュースあり高層ビルの地震は怖し
揺れのあと甲高く鳴けり雉一羽地震予知には成りさうもなし
流出と年金情報のニュースありそもそもネットに繋ぐは誤り
二階より見えたる森の伐採され更地に杭打つソーラーパネルか
福井 橋 本 佳代子 長年のねがひ叶ひて墓に行く坂径の舗装この春成りたり
少しづつ墓所のめぐりの整ひて草の始末の楽になりたり
リハビリの散歩の道のシャガの花清しく咲けば暫く憩ふ
半年に一度のけふは親睦会雑用は後に残し出で行く
友どちと温泉に行く途に眺む坂井平野は麦刈り最中
けふ集ふ友の大方は九十代元気に会へたる縁たふとし
湯の宿に心放ちてそれぞれに過ぎ来し生をなつかしみ語る
(☆印は新仮名遣い希望者です)
51
六月号作品二評
るのだが、花の種類と本数が具体的に示
ぶ 」「 買 う 」 と い う 動 詞 が 省 略 さ れ て い
作者の生き方が感じられる。下句は「選
持が前面に出ているのがよい。 いう現実があるのだが、母への優しい気
後任が決まればどこか気が抜けて定年
されて動きの出た作品。 桜井美保子
という実感が湧く 野崎礼子
隣接の荒れたる墓の払われて新たな墓
☆
悶々としてゐたる時に救はれきドリス
定年退職の時期を迎え、後任の人に仕
☆
の歌ふ「ケ・セラ・セラ」に
他家のことながら行く末が気にかかっ
ていたお隣の荒れた墓。継ぐ方がいるの
せられる。日常、身体的な不自由さがあっ
姉を思う気持がまず根底にある作品だ
が、介護に関わる問題の複雑さを感じさ
姉は逝きたり 及川智香子
介護度の段階低く施設への入所叶はず
が差す墓所で、ほっとする作者が見える。
か新たな墓石が建てられた。穏やかな光
石春日にひかる 長尾弘子
大滝詔子 事を託した後の気持が正直に詠まれてい
「ケ・セラ・セラ」は「なるようになるさ」 る。そこはかとない寂しさもある。
くらいのニュアンスを持ったフレーズで
懐かしい楽曲。かつて精神的に苦しい状
ところどころを夫が手直す
じゃがいもの種を植えつつ振り向けば
況にあった作者はドリス・デイのこの歌
田中祐子
る。その様子が温かく伝わってくる。
☆
に救われたという。単純化の効いた作品
作者の作業の仕方が完全ではないらし
く、ご主人がさりげなく直してくれてい
落花生摺りて味噌和へ度々に父せしこ
ひともとの桜白々と咲きにけり私の桜
で心情が出ている。
とを吾も行ふ 立谷正男
ても介護認定が軽ければ施設によっては
この桜はきっといつも身近に見ている
木なのであろう。季節が巡り花の時季を
父母より授かるレンズ今日で終ふ八十二
ひとり見る花 倉浪ゆみ
迎えた。こうして桜と向かい合うことで
歳の白内障手術 金野孝子
家族のために父がよく作ってくれた料
理の味を作者は忘れずに受け継いだのだ
と思う。具体的な表現で生き生きと詠ま
心が癒されるのだろう。 た。作者の精神力の強さに敬服する。
休止して下句に繋げ力強い調べとなっ
入所が難しい。悔しさが滲んでいる。
れており、特に下句は心に響く。
☆
二目ほど目数減らして編みはじむ去年
これまで無事に過ぎてきた歳月を振り
返り両親に感謝を捧げる作者。三句で小
花を買う、そして活けるということで
自分の気持を前向きに出来る。ここにも
合三本チューリップ五本 西谷純子
気の晴れぬ時は花屋に出向きたり白百
よりちいさし母の靴下 関口みよ子
母のために一心に靴下を編んでいる様
子が目に浮かぶようである。去年と比べ
て少し小さめに編まなければならないと
52
六月号作品二評
中村 晴美
悶々としてゐたる時に救はれきドリスの
歌ふ「ケ・セラ・セラ」に 大滝詔子
なりました。長生きできる時代、生活の
ソーラー施設 田島畊治
農業の衰え見えるおらが町次々出来る
☆
質も大事ですね。
震災後五年目に入りあわただし仲間は
業の衰えが悲しい歌です。
ルの処方はどうなるか心配でもあり、農
パネルの下の元農地は砂利やコンク
後任が決まればどこか気が抜けて定年 リートに埋まり根刮ぎ枯らす強い除草剤
☆
という実感が湧く 野崎礼子
も撒かれエコには程遠い。元の農地に戻
と は 言 え 定 年 後 も 週 三 日 働 く 作 者 は、
すのは難しいでしょう。二十年先のパネ
恵まれている。お疲れ様でした。
それぞれ終の住処へ 岩渕綾子
人生なるようになる。なるようにしか
ならないのかも。それでも悶々と思い悩
む。悩まない人は恐らくいない。
☆
☆
のはず。いつかは皆、荒れたる墓です。
され粗末に扱かわれる事はないシステム
管理費用が途絶え撤去されたのでしょ
うか。遺骨が残っていれば無縁仏に合祀
石春日にひかる 長尾弘子
隣接の荒れたる墓の払われて新たな墓
同じ震災でも放射能と無縁の作者の地
域は着実に復興している。フクシマが悲
ろどころを夫が手直す 田中祐子
控え目で美しい歌です。
ファンに妹がいる 矢野 操
神経質な夫にカチンときてる作者の情
景が浮びます。情景が想像できる歌は良
じゃがいもの種を植えつつ振り向けばとこ
しい。
朝夕に列なりゐたる鴨去りて池岸のも
と桜降りつむ 立谷正男
鴨は去り桜が散る。季節はこうして移
ろう。狭いが日本は美しい国である。
☆
認知症と軽く構えて経て来たる我が家
は父も祖父も末期は 佐藤初雄
い歌と思います。
京都には桜の種類の多くあり貴族社会
☆
☆
パソコンのレシピ見せ惣菜をわれに作
の趣残し 伊澤直子
人目ひく特技は無いが歌作りひとりの
ら解放するなら悪くない。作者の家系は
らせ一味足らぬと言う次男
ソメイヨシノが主流になっている。主
流になるだけの華がある。一方で趣のあ
昨日の昼飯が思い出せなくなったら認
知症の疑いと云うが。呆けが死の恐怖か
呆けるほど長生きできる幸せな家系にも
樗木紀子
る地方色豊かに多種の桜が存在する。地
☆
映る。
三句と四句は字数が多く結句が少なく
バランスが悪い。三句四句は総菜レシピ
元にも独自の桜があるかも知れない。
☆
両眼の手術終りて晴れ晴れと文化会館
作らせて結句は文句の次男でどうでしょ
の庭の梅見に 早乙女イチ
うか。素材が良いのに残念な歌。
白内障でしょうか。日帰りでも気楽に
手術して視界が明るくなれる良い時代に
53
作品二
カナダ 大 滝 詔 子
遊ばうと孫に誘はれ「けんけんぱ」夫も加はり「けんぱけんけん」
バスケ部に鍛へし体力いまは無く孫との「けんけん」遊びに疲る
雪の女王エルサになりきり四歳児うたひだしたり「ありのままに」と
なかなかに寝付かぬ孫にてこずれば娘の苦労を今にして知る
☆
ドキュメント「沖縄うりずんの雨」に知りたり基地の日米の視点 沖縄は未だ占領下にあると驚く米国元駐留兵
勝ち取つたものは好きにしていいとの覇権国意識いつまで続く
激戦のありし沖縄あまりにも美しかりきあの海の青
東京 林 美智子
ひと月振りに兄訪ねれば珍しき八重のドクダミ清しく咲けり
独り居の兄の冬物片付けて五時間の滞在瞬く間に過ぐ
水路沿いに町会の草取り始まりて番の鴨が畑に避難す
四歳児をなだめすかして散髪すネギの陰より鴨が見ており
用水が騒がしと見れば十一羽の子鴨が親鴨追いて飛び込む
グワグワと親鴨鳴き立つすぐ上に猫の目鋭く子鴨見つめる
勝鬨橋 中央区築地より
54
作 品 二
子鴨十一羽田の畦に無事居ますよと散歩の人が教えてくれる
粒揃う青梅賜り三升の酒に漬け込みぬ雨眺めつつ
茨城 立 谷 正 男
うら若き身重の人の歩みゆく夕日の径に茅花揺れゐる
コーラスに清しくありし日を偲ぶ昼顔の花連なり咲くに
吾を待つ小さき瞳の犬のハナ旅の宿りの夢に現はる
今週の「こころの時間」さらさらと水の流るる心境を云ふ
出来上がる時分に寄れば柏餅二つばかりを菓子屋喜ぶ
いつしかに去り難くあり老人会筆を習ひて会話娯しむ
夕べ五時夕焼け小焼けのメロディに合歓の柔ら葉眠りに入りぬ
臆病な吾一刻も耐へ難き地震の原発戦争法案
東京 佐 藤 初 雄
起きぬけに喉奥の痰切れずして吸痰の機器欲しと思えり
掘割の岸に群れ咲く立葵盛りとなりて日に輝けり
上げ潮に木場堀岸のアメリカ水木白き落花ははや流れ去る
家族らに語る事なき戦の苦共に越え来し友遂に逝く
道東の開拓農地過疎酷し鉄路は廃線迂回のバスも
八十余年離れし故郷知己は無し変らぬ山河の新緑の道
埼玉 野 崎 礼 子
花過ぎて青葉が燃ゆる風景にエンジが映える「ろくもん列車」
☆
☆
55
こんな町に住んでみたいと友が言うリンゴのシードル口に弾ける
時忘れ懐石ランチを楽しみぬ今しかないと口を揃えて
浅間山遥か遠くに霞立つ怒り収まるをひたすら祈る
話しても話したらない旅の夜友の一言は心のスパイス
ベランダのトマトのアイコが赤くなる二個の宝石朝を彩る
いつまでも寝ていたいなと思う朝贅沢曜日と呼ぶ木曜日
栃木 早乙女 イ チ
弟にドライブ誘われ里山を行けば窓外の桜日に映ゆ
桜咲くフラワーパーク北通り花見てゆこうと駐車場に着く
庭園に入場すれば一面の花のパノラマそよ風の中
庭園を回り来たれば一株の石南花の花の紅が際立つ
茨城 糸 賀 浩 子
苗ハウスめくられ田んぼへ行く日近しこの連休が田植の山場
山武杉囲える左千夫の歴史館写真に逢いに又訪ねたし
たっぷりと油分を含む山武杉伊藤左千夫の資料を囲む
放射線治療受けいる日々なれば娘の職場へ南瓜煮てゆく
筑波大十二階なるラウンジにラベンダー群れ雨に色増す
梅雨に入り稲の成長目覚しく辺りは緑のジュータンとなる
百歳にして女性運動の櫛田氏はお洒落大好き鏡大好き
毎日のつくば市への道みどり濃く時おり道を変えて楽しむ
☆
☆
56
作 品 二
栃木 斉 藤 トミ子
七十余年丈夫が取り柄の夫はも三泊四日の入院をする
糖尿の病ある身の夫なれど白内障手術に入院を決む
車椅子に乗りて押されて行く夫を手術室の前に見送る
無意識に「頑張ってね」と君に言う頑張りくるるは医師なれど
的確に説明しくるる若き医師に夫を委ね帰り来りぬ
働くを生き甲斐とせる夫にて初の入院退屈と言う
二週間安静にせよと言われきて苛苛募る夫を静観
手術後の検査に異常無き夫と太平山の紫陽花を見る
先行きは病院通い増ゆるらむ七十代なる夫婦となりて
☆
岩手 岩 渕 綾 子 故郷に残り少なき日を生きて親子で旅ゆく至福の時間
旅をゆく夫の面影胸に抱く息子二人が添ひくるるとき
しよぼくれたる吾を励ますと佐倉市の娘より届く母の日の百合
仮設にて四度目になりたる母の日に花贈りくる心うれしも
震災に家も衣も無くせども吾が得し心は無上の宝
仮設自治会の温泉旅行の空澄みて早苗田見つつ岩手路をゆく
口永良部島の噴火受けたる人々の胸中おもふ他人ごとならず
仮設にて振り向くわれに挨拶す自転車にゆく中学生は
災害住宅の落成遅れゐるといふいかなる苦難ものり越えゆかむ
57
埼玉 高 橋 燿 子
孫を待つ自然科学博物館修学旅行か学生多し
図書館で手続きしている孫の顔緊張の様伝わりて来る
餌ねだるひなの鳴き声重なりて親鳥来たか柿の葉ざわめく
静かなる畑に「ほとり」と音のしてフリルを付けた青柿落ちくる
葉を握り力任せに引く由奈が畑に転がる玉ねぎ持ちて
「大きな大根みたいなの」帰宅して家族に話す由奈の体験
夕風に音たて落ちる熟れうめが畑いろどる星座のように
☆
☆
埼玉 浜 田 はるみ ☆
「し」と「たる」が四月号から載りており二ヶ月分をまとめて読みぬ
新しきベッドと布団ホテル並みと言いて息子の睡眠の増す
虐待や殺しのニュース毎日あり異常な人間多くなりたる
自画像の俳句を読みて思い出す鏡を見つめて描きし日のこと
割引きて考えてるのに正直な写真は今を突き付けてくる
二年経ち従妹を亡くしたる苦しみは和らぎたれど思い出には未だ
埼玉 田 中 祐 子
配達のバイクの音を逃さずに待ちたる郵便確と受け取る
地方紙をコピーして送り来る兄の投稿の歌特選欄に見る
緊急の入院またの手術とぞ心細きに震度四の揺れ
強風に思わず竦む病棟の出口に誰ぞ声かけ寄り来
58
作 品 二
今しがたの帰国を告げて父さんはと気忙しく問う次男を見詰む
一ヵ月はあっと言う間に過ぎたれば晴れて退院の夫を喜ぶ
東京 樗 木 紀 子
東京ステーションギャラリーのピカソと二十世紀美術展を観る
ピカソの一枚の絵に人の顔が重なり合っていくつも描かれる
ピカソの絵何億円にてオークションに落札されるを放映に見る
往復をケーブルカーにて長男と高尾山へ登り薬王院山門に立つ
高尾山の山の斜面に色淡き著莪が自生しゆたかに咲けり
☆
☆
東京 西 谷 純 子 浅草の昔ながらの豆腐屋さん通ひ始めて一年余りとなる
顔見知りとなりたるわれに豆腐屋さん規格外の揚げサービスに呉る
傾ける陽は見えねども建物の彼方の空は茜に染まる
母の日に何が欲しいと子に聞かれ電子辞書と即座に言ひたり
大形のカシオの辞書のプレゼント短歌頑張つてねの言葉を添へて
退院した友の見舞ひを鰻にす痩せたる友を元気付けむと
花々は今が見頃の便り有り白百合香る六月の庭
愛知 田 島 畊 治
満開のたんぽぽに埋まる芝園に園児の遠足二組が来つ
満開のたんぽぽのなかでゴルフして生きいる喜び友と語り合う
娘来て妻の夏服四着出し交互に着せよと吾に言いおく
59
夏日立ち木々の緑の広がるなかヒトツバダゴの白の輝く
朝取りの苺持ちよりプレイする休息楽しむグランドゴルフ
母の日に娘から届いた梅酒一本夕餉にちびちび妻の楽しむ
バーベキュー緑の風で火をおこし孫をまじえて一献かわす
きらきらと光るテープをめぐらして苺畑に実は熟してる
東京 石 本 啓 子
空き家となりたる隣に満開のブーゲンビレア二階へ伸びる
高齢者支援センターの体操教室抽選に当たり自転車で行く
梅若の「街なか体操教室」で脳筋肉のトレーニングす
トロッコ電車に乗りて進みぬ深緑の黒部峡谷の風感じつつ
立山の雪の大谷歩みつつその迫力に身の程を知る
黒部ダムの放水は無くかつて見し映像浮かべしばし佇む
墓石にかたつむりいて動かねばそっと参りぬ夫の命日
☆
岩手 及 川 智香子 娘より贈りくる物変はりたりメッセージ添へ健康器具多し
短歌会に聞きかへす人の多くなり賑やかさ増し楽しさの増す
夕凪に鏡のやうに映りたり高台造成地まこと逆さに
新築の家わが家と同じ名字なりいつしか名前で呼び交はしをり
草刈機担ぐ姿の丸く見ゆ夫公園の草刈りにゆく
賢治の詩入り手濃き絵葉書に友の温もりあふれて届く
60
作 品 二
三月でよかつたと子らにメールする大涌谷の噴煙柱見るたび
目の前に突如落ちたる長きもの胡桃の枯花に後退りする
東京 関 口 みよ子
孝行をしたいときに親ありて時時「ありがとう」など言いくるる
五年目のガン検査終え母とあおぐ病院の新緑ことさら眩し
「年寄りは待つのが仕事」と老い母は窓の手摺より行く人見下ろす
この春の善き日惜しみて花めぐる確実に減りゆく母娘の時間
なによりも夜更けに鳴り出す電話のみわれはただただ恐れていたり
☆
「清美」でも「アイコ」でもいいから買って行こう籠に盛らるる初夏の新顔
包丁に西瓜を割れば籠りいる匂い放ちて叫びだす夏
☆
岩手 金 野 孝 子 曾孫の鯉のぼり泳ぐ住人の少なき里を独り占めして
初めて祖父になりたる息子いま鯉のぼり係になりて忙はし
鯉のぼり揚げる仕草に若き日の夫を重ね息子見てゐる
年毎に身をば支へる物増えて今年は腰痛コルセット巻く
半年毎の骨量検査に正常の範囲をめざし体操始む
退職の友らと集へば経つ年のなんと早かり年少者は古稀
茨城 飯 嶋 久 子
連休の最後の日選び北へ向かう上り高速の渋滞横目に
桧原湖に近く佇むダリ美術館異次元の世界にしばし漂う
61
髭なくばダリってとってもハンサムね娘と二人でひそひそ話す
森に満つるエゾハルゼミを聞きながら吊り橋までの山道下る
真白なるゴヨウツツジあるはずの山の頂上風のみ渡る
雨の日の昇降口に母を待つ置き傘などない遠い日の学校
廃線の危機乗り越えて海浜鉄道旧型車両に鉄道ファン多し
家々に紫陽花開くこの季節挨拶交わしつつスーパーまで行く
☆
東京 山 本 貞 子 新しきライター片手でつけられず不良品かと思ひてしまふ
たやすくはつかぬライター使ふ度力の無さを思ひ知るなり
両の手の指を重ねて火をつけるまだ二個あれば馴れねばならず
子の家の本箱の横に野の花を取り来て夫の遺影に供ふ
千葉県での種無し枇杷の成功を好物だつた遺影に告げぬ
こんもりと緑の濃淡の公苑に枇杷の実熟れて人の目をひく
今月の詠草九首揃ふまであと一首なり食事はお預け
丁寧にはきはきとした運転士左の指の指輪が光る
香川 矢 野 操
三株にすずらん三本咲いている鉢の置き場所ここがいいんだ
紫のスーツに合わす紫のほたる袋を帽子に飾る
呼び止めてこれ見よがしに咲くでなく思わぬところにたんぽぽ一つ
冬眠からさめた亀ちゃんまず口を大きく開けて餌をねだりぬ
62
作 品 二
しょっちゅう
添加物控えた品の見極めをイソップ童話の鳩へつなげる
姉ちゃんの呉れる豆腐はおいしいが初中後買えない七人家族
ミニクラス会 埼玉 江波戸 愛 子
すんなりと級友九人集合すM先生の喜寿祝う会
先生が夢の中に出でたりと胃の全摘手術をM君語る
二年半前に逝きたる妻のことY君は話す声つまらせて
五十年ぶりに会いたるKさんは障子に絵を描くたのしさを言う
病みし日の夫をなつかしみながら十年日記をつづけるとMさん
舅姑夫を看取りたるHさんは明るき声に今を語れり
借財の多くありたるその頃を話すSさんのさわやかな声
手作りの写真集をわれに見せくれたるS君今日は写真に触れず
穏やかに言葉選びて物を言う太極拳を始めたるM君
先生に褒められしこと一度ありそれより音読が好きになりたり
☆
☆
(昭和記念公園)
東京 伊 澤 直 子
足利の大藤風にたゆたいて香り満きみつ藤棚の下
ネモフィラの青広がる中に一本赤きシャーレーポピーの揺れる
両国に降りれば夏場所二日目の国技館前のぼり旗並ぶ
国技館通用口には力士らの入るを見んと人だかりする
隅田川にかかれる橋を覚えしは十代の頃なつかしみ通る
母の日にカーネーションの鉢持ち来ピンクがいいと長女の言いて
63
踊り上手なあの子はいくつ
六月号 十首選
おはら風の盆は「唄われよわしゃ囃す」と静
生きる喜びがあふれた。ひるがえって、越中
ころ、みんな我を忘れて踊りに夢中になる。
んと横には降らぬよ」などのお囃子を入れる
さんが盆歌の合間に「雨は天からすっからり
夏が来ると思い出の一つは故郷相馬の盆踊
り。城跡に櫓が立ち、どこからともなくおじ
『故郷の道』より⒄ 立谷 正男
めぐりめぐって見上げれば
踊ろ踊ろよ盆踊り
みんな輪になり踊ろうよ
筑波の山にとどくまで
打てや太鼓もはるばると
お囃子掛け声たからかに
思い思いの舞い姿
踊ろ踊ろよ盆踊り
みんな輪になり踊ろうよ
も青し大きく息吸ふ 野村 灑子
山峡のきびしき冬を無事越えて今年また
こに咲き継ぐ 大塚 亮子
雨後の空浄化されたる如くにてどこまで
世界のどこにこんな悲しい祭りがあるだろう
まんまる筑波のお月さま
筑波の山のふるさとに
と風の盆を歌っている。私は寂しがりやなの
昔むかしの防人も
詩歌の紹介 たちやまさお詩歌集
で一度は訪ねたいと思うが果たせない。掲出
別れ惜しんで踊ったか
筑波の夜をひと盛り
いるどの食品にも 和田 昌三 ☆
えれば一日佳き日 高橋 燿子 ☆
こんなにもと驚くほどの添加物使われて
を嫁に出す心地して 岩上榮美子
臙脂色おびるフリルの葉をかさね踊りだ
野に働く喜び 橋本佳代子
たうゑん
わが歌集『桃苑』上梓され晴れがまし娘
ディガン買ふ 堀口 寬子
大横川の桜は川面に枝張りて何十年をこ
か赤飯を置く 小久保美津子
病院に働く孫が制服に羽織る薄手のカー
子と孫と同じ校舎に学ぶ日の膳のまんな
六月集 赤間 洋子
の詩、万葉の人々を偲びつつ作った。短歌を
しさうサニーレタスは 関口 正子
復興を復幸と書き助け合ふ皆が幸せにな
思いをはせ、盆踊りを楽しむことを願うばか
やぐらのもとの顔と顔
生まれ育って十三七つ
勉強したせいか、遠い時代が身近に感じられ
みんな輪になり踊ろうよ
るを祈りて 鳥居 彰子
笑いても泣いても那須山恋しかり山が見
かに歌い続けるとのこと。歌手、菅原洋一は
る。どこの地方どの郷土でも、人々が歴史に
踊ろ踊ろよ盆踊り
りである。重ね重ね原発は悲しい。
なんでこの世がつめたかろ
みんな輪になり踊ろうよ
「筑波の盆踊り」
踊ろ踊ろよ盆踊り
なんで生きるがつらかろう
赤い鼻緒に赤い帯
64
と あ ゆ む 河 津 和 子 ☆
刻まれる幹に黒ぐろ勢ひあり国立通り二分咲
近く
田中しげ子
やわらかき桜に包まれ三人で歩みし道を歌友
の時間よ止まれ 高島みい子
人人の肩に降り来る花吹雪今年の花も終りに
咲く毛呂山 本山 恵子 ☆
滑り終へ幼なの表情和らげる「にこにこ公園」
シュユの花 吉田 睦子
八千歩一緒に歩いて花見する何処を見ても花
過ぎてゆく 三木 一徳
降雪に半分折れて残る枝に見事黄金のサン
交ふ朝市 田端五百子
寒い日々続く冬日に春一番枯葉寄せつつ吹き
二万円越え 高松美智子 ☆
とりどりの春を販げる女らの気仙訛りの飛び
笑窪そのまま 吉田 綾子 ☆
実感なき景気回復をより遠く感じる株価の
目の前の遺影は朗らかに笑ってる幼いころの
作 品 一 高橋 燿子
く 高田 光
に妹がいる 矢野 操 ☆
はなひら
潮の跡くつきり残る護岸の内桜花弁一列につ
煮る五目豆煮る
飯嶋 久子 ☆
人目ひく特技は無いが歌作りひとりのファン
暗みゆく 山本 貞子
春寒に終日ストーブつけおきてりんごジャム
は消ゆ 林 美智子 ☆
満ち潮の水面に浮かぶ水鳥も夕日も揺れて色
大き 西谷 純子
遥かより集まり連なる波頭竜の如くに走りて
見る花 倉浪 ゆみ
幹太く横に伸びたる老木の支へのあらず存在
どころを夫が手直す 田中 祐子 ☆
ひともとの桜白々と咲きにけり私の桜ひとり
たわらにおり 関口みよ子 ☆
じゃがいもの種を植えつつ振り向けばところ
を離るる 立谷 正男
風がなぶる母の白髪ささやかな感傷もちてか
生れいですでに色濃き黄の蝶の高きを求め草
作 品 二 野村 灑子
ナタをゆっくりと弾く ブレイクあずさ ☆
て豚の相寄る 篠本 正 ☆
リハビリにわが師の選ぶモーツァルト短いソ
見てをり 村上 美江 屠殺場に向かうトラックの荷台には息を潜め
しと告げて 片本はじめ
指先の節くれなどをなでながら妹と語る母を
の注文 中村 哲也
心病む君のメールが日々届く施設の暮らし辛
が伝う 豊田 伸一 ☆
事務職のひと日の始め宅配の弁当業者に二個
吉日 佐々木せい子 ☆
奥久慈の山裾ぼんやり霞みいて梅の花芽に滴
守り折らずに咲かそう 中山 綾華 ☆
造成地遥かにのぞみ棟上げの槌音ひびく四月
感謝の日々を 池田 久代
除染のあと庭に見つけたふきのとうそっと見
プにあがる 吉田佐好子 ☆
やうやくに母の齢にたどりつくこれより先は
歴史ある小学校の統廃合地方ニュースのトッ
作 品 三 高松美智子
六月号 十首選
きの桜 増澤 幸子
六月号 十首選
65
つ作者の歓喜が窺える。下句「霜置く土
に芽生えのあれば」で余韻が生れる。
一日中暗い空より降る雨は桜のつぼみ
お互いの都合を相談して日程を決めて
も花は時季を待ってくれない。花見とは
言え実行には即断即決が必要である。
六月号作品三欄評
水谷慶一朗
にしきりに当たる 村上美江
て花終りたり 小林勝子
☆
晩霜に白木蓮は一夜にして茶色と化し
らさきの花一斉に咲く 吉田佐好子
泰山木の花も同じで、白く厚い花弁の
変化は早い。三句以下の観察がよく作者
妻を連れて末期の友はスイスへと旅ゆ
☆
ホトケノザ高貴な名前を付けられたむ
どこの道端でも見かける草花。葉の形
が仏の連座に似ている処から付いたあり
の眼が生きた捉え方をしている。
きにけり青あらしの日 篠本 正
平凡に思える一首だが、降り継ぐ雨の
一粒一粒が桜の莟に当たる一瞬を捉え、
が た い 名 前。「 高 貴 な 名 前 」 と ウ イ ッ ト
岩手にも桜開花の宣言あれど小雨続き
る「青あらしの日」が効いている。
情が込み上げてくる。俳句の季語にもあ
さまを詠んでいる。「背にカイロ貼る」は、 心情もさりながら、読者にも切々たる感
カナダ猫もわれと暮らして長ければご
病名を語らず「末期の友」とだけ伝える
医師の診断も検査にも異常はなくても
何処となく自覚症状を感じるのが高齢者
実感としてしみじみと伝わる
妻を連れてスイスへ旅行に出た「末期
の友」は言わずもがな覚悟の旅である。
焦点を絞りこんだ作者の眼光である。
で解し不思議な味わいのある歌。
て背にカイロ貼る 佐々木せい子
☆
検査にて「異常なし」との診断に不安
桜前線の北上で開花宣言されたが、降
雨つづきの気温低下で寒冷が戻り当惑の
の常。衰老症状と私は認識する。気にせ
沖縄は桜朝顔コスモスの揃い咲きおり
☆
残して退院をする 池田久代
ず作歌を愉しみ朗らにお過ごし下さい。
☆
四季無き所 川上美智子
い。「四季無き所」は言い得ている。
でも春夏秋の花が揃い咲きするのは嬉し
ごはんと聴こえる。ユーモラスな感覚。
その反復として猫が餌を欲する鳴き声が
猫が「ごはん」となく筈はないが日常
的に「ごはんよ」餌を与えるのだろう。
☆
言いたく無いが口をつくのが愚痴。年
金減額は、昔の代官さながら弱者からの
冬枯れの庭にしやがみて眼を凝らす霜
初出詠七首とも力量感のある佳作です。
☆
年金が減額さるると不満言う老人の言
はんごはんと日本語に鳴く 召し上げである。私も今は貰えるだけま
置く土にも芽生えの見えて 大野 茜
ブレイクあずさ
しかの諦観だが現実は切実である。
冬枯れの霜置く庭土を眺めて、春の待
常夏に近い気象環境にある沖縄とは聞
くが、若干の四季の移ろいはある。それ
開花聞き花見に行かうと相談しやつと
葉離れいて聞く 山本三男
決まればもう散り始む 植松千恵子
66
六月号作品三欄評
大山 敏夫
☆
一番近きポスト撤去されわれにとり不
便となりぬ今更にして 小林勝子
に二個の注文 中村哲也
変化の乏しい感の日々の業務の中で前
向 き に 活 動 し よ う と す る 意 志 を 感 じ る。
う。「 わ れ に と り 」 っ て 言 う の が、 身 に
繁だ。作者もポストの利用が多いのだろ
で大急ぎで走って投函するってことも頻
回回収なんて場所も多い。時間との闘い
みを伴う孤独感が切ない。こういう時も
注ぐじゃなくて「あたる」のである。痛
何か遣り切れない思いが一二句に籠っ
ている。それが開花間近の桜の蕾に降り
にしきりに当たる 村上美江
一日中暗い空より降る雨は桜のつぼみ
三句以降が実際に沿って説得力がある。
こうして自分の年齢を意識することは
折々にあり、事実多くの作家が歌に残し
沁みる。足の運動と割り切って、遠くなっ
最近は郵便物の量が減ってポストも整
理されて探すのも厄介になった。一日一
ているが、この歌の背景等を思うと大変
たポストとのお付合いをするしかない。
やうやくに母の齢にたどりつくこれよ
なことだなと感じ、初句の感慨も理解出
り先は感謝の日々を 池田久代
来る。下句の慎ましやかさがまた良い。
ているからだろう。快い疲労の歌。
とこの歌の下の句のようになる。率直な
て感心したが、良い包丁は研ぎを入れる
かつて赤間洋子さんの、包丁が小さく
なるまで研ぎ続けて使ったという歌をみ
ずと切れ味すごし 植松千恵子
久々に研ぎ師に出したる包丁は力入れ
い実感がある。結句が特に生きている。
いる。平凡なようでなかなかこう歌えな
で湯につかりながらの雰囲気を楽しんで
露天風呂が大好きと見えて色々なとこ
ろで歌にしている。気負いのない自然体
て行く風のやさしく 星 敬子
浅春の夕闇せまる露天風呂に吹き抜け
強い思いが出ている。
自ずから手を合わす作者の、平和を願う
長崎にはこういう場所もあるというこ
と を 知 っ た。 た ま た ま 会 っ た 殉 国 碑 に、
だが、度を超さないようにお願いする。
て ま で は な か な か 出 来 な い。 気 迫 は 大 事
産直野菜の販売終わりやり終えた充実 たまにはあるので、切り抜けて欲しい。
草取りをしながら花を集めては草花流 子供等に迷惑かけず生きたいとジムに
感と疲れ覚える
永野雅子 ☆
と竹筒にさす 松中賀代 ☆ 通いて身体鍛える 永光徳子 ☆
草取り作業というのは結構きつい。こ 地 域 起 こ し 活 動 の よ う な こ と な の か。 の 歌 の 下 の 句 に 見 ら れ る 余 裕 と 言 う か、 歌が躍動するのは、作者が積極的に動い
わ た し 自 身 も ご 同 様 で、 自 力 で な ん と
かしたいと願っているのだが、ジムに通っ
ゆったりさに、心も癒される。
驚きが下句に出ている。特に「力入れず
事務職のひと日の始め宅配の弁当業者
歩みを止めて 野口千寿子
☆
海沿いに人間魚雷殉国碑あれば祈りぬ
と」はなかなか言えない。
67
作品三
東京 富 川 愛 子
四脚の椅子をおきたる食卓に一人はさびしテレビ見つめる
艶のあるテノールの声響きゐて胸高なれり老いを忘れて
病院の庭の小さきハーブ園金瓶梅の黄は存在示す
寝室に外灯のあかり射し入りてカーテンあれど寝ねがたきなり
小ぶりなれど梅根性の南瓜かな菜切り包丁入れ直し切る
スーパーの入口近くの桜桃はあふれる魅力でわれを誘へり
現世のしがらみすべて捨てて生く篠田桃紅一〇三歳
長崎 池 田 久 代 亡き父の代りと言ひて母の日のメールくれたる男孫いとほし
フェリーチェを終の住処ときめたるにリハビリのため真寿苑へ移る
七年余フェリーチェに住みし思ひ出の楽しき事のみ脳裏を過る
「わあきれい」思はず叫ぶ媼達さみどりの中の赤きつつじに
山路来てうぐひすの声高らかに森にこだましいよよ清けし
さみどりの若葉のトンネルくぐりぬけ山の香を腹いつぱい吸ふ
紅のミヤマキリシマ谷を埋め山うぐひすの高らかに啼く
傍目には易しく見ゆる車椅子自力で漕ぐはなみなみならず
築地大橋 二〇一六 年完成予定
68
作 品 三
栃木 本 郷 歌 子
この二日ぐんと伸びたる立葵に花の開きて梅雨の間近し
虹色の暈をかむりて満月は雲間に覗く六月の空
青葉茂る道登り来て頂上より関東平野の広がりを見る
はつなつ
中吊りのポスター細かくはためかせ冷房の風来る隅の席まで
ふうわりとレースのカーテン膨らませ初夏の風部屋を過ぎゆく
ぬれぬれと柿の若葉に日は差して緑眩ゆし五月の庭は
埼玉 山 口 めぐみ
吾子の付ける矯正器具は昔程目立たぬようで少し安堵す
実家より毎年届く甘夏を職場の上司のお供え物にす
梅雨前の未明の雷雨で空気澄み一番星と三日月輝く
葉が足りずサナギで死んだ去年の揚げ羽今年は青虫大きくなりぬ
山椒の樹から突然青虫が消えてサナギを我探しおり
黒い影頭上に感じ振り向けば揚げ羽翔びゆく二階の屋根に
藍染めの胴着姿の少女等は髪を束ねて凛凛しく歩む
高知 松 中 賀 代
大つぶの雨ふる朝は鳥も来ず常より遅く朝餉をすます
山畑の季の花はまだ咲かず木の下に咲くオオイヌノフグリ
草引きを一休みせんと木に寄れば早もチャイムの夕やけ小やけ
つややかな茄子を捥ぎて糠漬す夏に向かってわが家の馳走
☆
☆
☆
69
朝あさの作業の一つ蜜蜂に代わり西瓜の交配をなす
一日がこんなに早く過ぎてゆく末っ子われに八十路迫りて
東京 鈴 木 やよい 靴底で隔てられても感じくる伸びゆく草の若き弾力
作り手の好みの見ゆる市民農園親しみわきて眺めて回る
何植ゑるか望み多くて決まらずに残る地面に草生え始む
あれこれと雑多に植ゑれど近くにはじやがいもだけが並ぶ区画あり
触れたればけなげに俯くおじぎ草子らの昔を懐かしみ買ふ
梅雨前の突き刺す如き日差し受け小さき日傘に身を細めゆく
岩手 村 上 美 江 整ひて美しくある寺の庭歩く夫の七回忌の朝
四年ぶり自宅に戻りみてみると義父母はいたく老けてしまひぬ
曾祖母と夫は仏様にして震災過ぎの法事を終へる
新しき卒塔婆立てて法名の墨の文字見るあらためて見る
夏衣僧侶の袈裟の左肩右腋下へゆるりと結ぶ
いつもなら元気をくれる友がゐて場を盛り上げておしやべりするのに
じめじめとハッキリしない今日のわれ友とおしやべり笑顔に涙
感謝とは感じて謝ると書くんだねあやまることの何と多かり
静岡 植 松 千恵子 安静に寝かされ続け母立てず筋力つけばと励ましゐるが
70
作 品 三
寺の広間インド音楽怪しげに民族楽器モールシンの音色
黒人の寺男ゐて庭を掃く白き手ぬぐひ鉢巻きにして
夏の来て大木の枇杷色づくを我物顔に鳥が啄む
大ぶりの泰山木の花びらがどつさり落ちゐる香も共に掃く
東京 卯 嶋 貴 子
採りきたる実家の蕗はみずみずし葉を蕗味噌に茎は煮つける
こぼれ種どこから来たのか庭隅の雑草に交じりすみれ咲きおり
信号に立ち止まりおれば子育ての最中らしきつばめが過る
つばめの巣どこかと捜せば居酒屋のライトの裏にえさを運べり
さわやかな緑の風につつまれて体力作りのウォーキングする
孫と行く今年の夏山は体力に自信がなくて決めかねており
福島 中 山 綾 華
初夏の朝我家の庭に小鳥来て羽根休めおりそっと見ている
高一の孫野球部に入り三十キロのバッグ背負いて一番電車で登校
新緑の街道を友と笹取りに夜には粽完成となる
千葉よりの来客あるも仕事あり頭の中に焦り高まる
除染の土未だ我家の庭にあり見る度心痛む日々なり
☆
☆
茨城 小 林 勝 子 ☆ 門の内薄陽の当りシャガに向き群生をなし心を癒す
年度末商業しせつの工事場より昼夜を問わず重機の音す
71
沿道の桜並木の花吹雪うすくれないの花びら踊る
広大な大根畑の葉の揺れる雨上がりにて緑艶やか
東京 永 野 雅 子
新理事長決めんと議題提案し何も決まらず先送りされる
面倒な事そのままの先送り悪しき慣習改めるべし
父に代わり出席したる総会で上座に坐り冷や汗流る
我が町の将来像を語り合い新規事業に取り組む若者
不登校の友を励ます娘にも同じ悩みが潜みおるらし
一人でいる事は自由に生きられると娘に伝え吾を回顧す
☆
☆
岩手 斎 藤 陽 子 四十九に逝きてしまひし父思ふ米寿白寿の姿重ねて
病棟のアイドルらしきイケメンの看護師の巡回を髪梳きて待つ
一発で点滴入りて看護師と大き息つく午后の病室
十八歳の女孫津波に亡くしたと同室の患者は涙ながしぬ
病院の窓から見ゆる四角の空流れてゆける雲を羨しむ
講談師のやうに吾身の病語り隣のベッドの人は饒舌
岩手 佐々木 せい子
膝疼き眠れず庭に出でみれば漁場に向かう船足はやし
近隣の人も親戚縁者らも世代交代なりてたのもし
事あるごと若者達はしっかりと受けついで居り心なごみぬ
72
作 品 三
手際よく吾が家の草を刈り終えて次へと移動すシルバーさんは
受け継ぎて受け継ぎて来し今あれどこの先思う姓のゆくえを
☆
☆
離婚して二十年たちて復縁し絆と彫りたる兄の墓あり 茨城 豊 田 伸 一
つかの間の春の休みを孫と見るお笑い番組夜遅くまで
孫泊まり夜ふかしをして腹のへり夕飯残りのカレーライス食う
家族連れ恋人連れの花見客花の盛りをゆるゆるといる
正月にかざりたる花のシンビジウム初夏の未だに咲き続けおり
四月半ばの異常な寒さに身をすくめ外出控え炬燵に頼る
道すがら山吹の黄の艶やかさ行き過ぎがたく車を止める
良く咲いた礼にと腐葉土大盛りにシャクナゲにかける愛しみつつ
高知 川 上 美智子
野いちごはぽろりと外れ掌の中に赤い一粒大地の恵み
持ち帰る蛍袋の白き花もんしろ蝶が追い掛けて来る
強さみせ萎えたる茎の野の花は水に放たば程無く直る
巣立ちたる幼鳥の声そこここに木立ちの葉にも初夏の色
雲流れ青空覗き現れる小舟のごとき昼の三日月
埼玉 星 敬 子 初夏の朝遊歩道にはくれなゐのマロニエの花誇らかに咲く
初夏のゴルフコースに山法師の白い十字の花葉の上に乗る
73
孫と行く法師温泉の露天風呂青き楓のひらひら散り来
若き日の晶子が愛した法師の湯今も変らず山里にあり
袈裟をかけ心鎮むる札所めぐり篠つく雨のなかを行きたり
茨城 木 村 宏
野菊路の名前ゆかしき資料館左千夫と写るアララギの友
何時しかに喜寿通りすぎ一人身の残りの暮しいとおしみいる
台風の明日の襲来目前にはらはらと散る藤の花片
梅雨前に人形供養の神社へと階段のぼる親子黙して
梅雨に入り利根の流れの滔滔と七十八年の我をも生かし
宮城 中 村 哲 也
毎夕に腹満つるまで食みたれば中性脂肪の数値延び伸ぶ
年々にコレステロール値昇り行き陰に陽にと改善迫らる
一枚の鉄板延べてへし曲げて槌跡残るフライパン買ふ
槌跡の残れる鉄のフライパンわが手に持てばずしりと重し
百均で買ひたる物かと問はるれば百個は買へると言ふに言はれず
職場にてあれこれ聞きて目玉焼きは蓋して蒸らすを今更に知る
水気よく切らずにニラを放り込みフライパンよりぱつと火の立つ
栃木 川 俣 美治子
読経のみ響く菩提寺法要を写真の父はえみて聞きおり
半袖の腕がじりじり日に焼ける日差しの中に夏紛れなく
☆
☆
74
作 品 三
どこまでも揺れて続ける金色の穂遠くに小さく麦刈る人が
何もかも放りだしたい今日の私五月の青空胸にしみいて
車窓から見える畑で動いてる小さい丸い草とる背中
庭すべて緑濃くなり花の咲くくり返される季節のうちに
雨の朝いつものように夫送り車目に追う定年近し
東京 廣 野 恵 子
久々に親戚のつどい遠く住む新婚息子の披露宴する
築山の前に広がる池の面は初夏の陽をうけやさしく光る
宴席は池に面した大広間みなみな笑顔にほっと一息
あずさ号光の中をひた走る木々の緑の続けるなかを
ホームに出陽ざしを浴びて風受ける私をつつむ小淵沢のかおり
にぎやかに鳴き声かわし燕とぶ昔を思う夕方のホーム
夕闇が迫り景色もかげとなり窓に車内の様子がうつる
☆
東京 山 口 満 子 ☆
ドリームジャンボの貼り紙見上げ男の子「これが欲しい」と母親にせがむ
久しぶりに友と訪ねた中華街は占いとかき氷と甘栗屋でにぎわう
☆
病院の診察から戻った夫は入院通知にため息をつく 愛知 鵜 﨑 芳 子
雑草の生命力と競いつつ毎日少しずつぬき取りてゆく
山道を一人で登り新緑の深い山の連なりを行く
75
久しぶり同期の友の食事会老いを言いつつ頑張りている
金婚を祝った友が一人になった知らせの届き共になぐさむ
枇杷の実を鳥に先取りされぬよう一房残し袋をかける ☆
☆
神奈川 大 野 茜 農協にリュック一杯の野菜買ひ息切らさずに妻坂登る
夕食の片付け済みて芥を手に庭に下り立つ月光清か
砂利敷ける土にアロエは根を張りて枝太く伸び紅き花咲く
腰痛の予防に良しと竹刀振る居合の人の勧めを試す
東京 永 光 徳 子
新緑の銀杏並木は遠足の児童の列に木陰をつくる
主亡くし空家となれる塀の中ツツジの花が艶やかに咲く
芍薬の花の一つを摘みとりて夫は義母の仏前に供う
病院で検査受けたる待ち時間冬雷読みて心静まる
蕗のとう気づかぬ内に蕗となり夕餉の膳の一品となる
台風の接近知らすテレビには浜辺の椰子の荒れ狂う見ゆ
長崎 野 口 千寿子
霧雨に額紫陽花の美しく咲く土手めぐる微笑の少女
長崎大学病院玄関前に立つ被爆樹仰ぎ沈黙に居る
奈良 片 本 はじめ 妹が大腸癌だと泣きながら電話をよこす君に戸惑ふ
76
作 品 三
行政が住宅扶助を削減す家賃払へねば転居をせよと
主に祈り老女の大家に貧しさを話せば家賃を引き下げてくる
礼拝日なれど自治会の草掃除義理人情は欠く事出来ず
さだめ
満天のひときは光る星見つめ主に病貧のみ救ひ祈る
病貧も選ばれし我が運命なりただ主を信じ今宵も感謝す
足むくみ歩けぬに行きつけの店の主が見舞ひの電話
若くして起業に成功する人ら見聞きするたび病む身悔しき
茨城 篠 本 正
救急車に乗せられて行くわが五体痛みはげしき胸乳おさえて
「帯状疱疹」と医師の告げたる原因が身に覚えなき水疱瘡とは
すぐさまに入院せよと医に言われ天井を仰ぐ五月六日あさ
初夏の陽は風を伴い眩しかり繁る椿の黒く揺れおり
子ら離れ父・母逝きて残りたる広き屋敷に妻と暮らせり
ちから仕事をなしたる夜のわが五体足のひき吊りふとんはねのく
ふりそそぐ初夏の陽射しを浴びながら大きく膨らむ一寸空豆
☆
東京 松 本 英 夫 幾百の希望のせたるジャンボ機はゆらり回りて夕日に向ふ
昔日のリフトは朽ちて霧ながれあらはれ出づるかはらぬキスゲ
この街の歴史の一角忘れられ人を詰めこみマンションの立つ
そは陳腐、具体的にと教へられ入り初めたりうたのこころに
(☆印は新仮名遣い希望者です)
77
赤羽 佳年
「転石苔を生ぜず」―停滞なく詠み続
けたい。暑さに負けていられません。
先生方を始め諸先輩の愛あるご指導の
もと欠詠もなく過せます事に、心より
感謝しております。皆々様に良い夏で
あります様お祈り致します。
飯嶋 久子
暑中お見舞申し上げます。
厳しい暑さを庭畑の夏野菜をふんだん
に食べてのり切りたいと思っておりま
す。
石田 里美
暑中御見舞申し上げます。この夏は無
事にお健やかにお過しのこと心よりお
祈り申し上げます。
池亀 節子
猛暑の季、皆様いかがお過しでしょう
か。お見舞い申し上げます。どうかお
健やかに今年の秋をお迎え下さいます
よう。
大久保修司
暑中お見舞い申し上げます。
会員皆様のご健康とご健詠を、そして
冬雷短歌会の益々のご発展を心よりお
祈り申し上げます。
大川 澄枝
暑中御見舞い申し上げます。
冬雷の皆様のお歌に励まされつつ猛暑
に負けず又、秋の大会に参加が出来ま
す様にと思っています。
江波戸愛子
雨ニモマケズ風ニモマケズ夏ノ暑サニ
モマケズ……。
大会でお会いしましょう。
岩上榮美子
暑中御見舞申し上げます。私は今春先
生方及び誌友の皆様方の御助力を得て
歌集『桃苑』を上梓することが出来ま
した。心より御礼申し上げます。
赤間 洋子
暑中お見舞申し上げます。
糸賀 浩子
暑中お見舞い
申し上げます
78
暑中お見舞い申し上げます。
気候不順の折、皆様のご健康をお祈り
いたします。
栗原 サヨ
暑中お見舞申し上げます。どうぞ皆様
お身お大切にお過し下さい。
大塚 亮子
桜井美保子
暑中お見舞い申し上げます。朝顔、向
日葵、百日紅など夏の花々に明日への
力をもらっています。皆様くれぐれも
ご自愛下さい。
櫻井 一江
暑中お見舞い申しあげます。
今夏も暑さの更新となるかもしれませ
んが被災地の皆さんと共に出来ること
をして前進したいと思います。
近藤未希子
六月六日の朝外に出ていると最中がぞ
くぞくと寒さを感じました栗の花が満
開で庭の花菖蒲が咲き初めたり気候不
順な年です皆様御自愛下さい。
暑中お見舞申し上げます。
冬雷に入会して六年目を迎えます。
中々良い歌は出来ません。才能なしと
諦め、気持を涼しくしています。
関口 正道
暑中お見舞い申し上げます。
例年通り朝の散歩と水分補給を怠りな
く乗り切りたいと思います。日中は作
歌とブログ記述に頑張ります。
白川 道子
暑中お見舞い申しあげます。
体調を整えて、この夏をお互い元気に
過ごしてまいりましょう。
佐野智恵子
今年は測量を初めて五月の雨量が最も
多かった年との事。夏の暑さも想像出
来ます。御自分を大切に暑さに負けな
い様にして下さいませ。
暑中お見舞申し上げます。
兼目 久
暑中御見舞申し上げます。
体調を整え、秋の冬雷大会を楽しみに
致しております。
高田 光
暑中御見舞申しあげます。
酒向 陸江
小久保美津子
79
暑中お見舞を申し上げます。
日記代りに短歌を記すことは、自分自
身との会話とも…。
仲間がいることは何より嬉しい。
高松美智子
お暑さ御見舞申し上げます。
いつもお歌の拝見を楽しみにいたし居
ります。お元気に御すごし下さいませ。
田中しげ子
三木 一徳
謹んで暑中お見舞い申し上げます。
中村 哲也
暑中お見舞い申上げます。
ことしも此の暑さに缼げず、体調を整
えて大会に臨みたいと思っています。
暑中お見舞申し上げます。
馬齢を重ねる毎に体力が衰えてまいり
ますが、暑さに負けないよう頑張りま
す。
暑中お見舞申し上げます。
今年も又日除けのゴーヤ植えました。
水谷慶一朗
森藤 ふみ
暑中お見舞申し上げます。
西谷 純子
暑中お見舞申し上げます。
林 美智子
暑中御見舞申し上げます。
予報によりますと冷夏と酷暑の中間と
はどんな夏でせう。頑張つて乗り越え
ませう。
どうぞ皆様、呉々も御身お大切にお過
し下さいませ。
田中 祐子
暑中御見舞申し上げます。
皆様の御多幸を心からお祈り申し上げ
ております。
山﨑 英子
暑中御見舞い申し上げます。
暑い日は毎日の散歩を怠けがちですが
今年は頑張りたいと思っております。
暑中お見舞申し上げます。
暑さに負けず体に気を付けて歩くこと
を心掛けています。どうぞ皆様もお元
気でお過ごし下さいますよう。
福士香芽子
永田 夫佐
80
暑中お見舞申し上げます。
山田 和子
吉田 綾子
大山 敏夫
川又 幸子
小林 芳枝
歌集 / 歌書
御礼
小昼顔縋りて咲けり馳せ過ぐる車避くる
と縋るフェンスに
■福永和彦歌集『冬への割符』
への労りと外出の叶わぬ状況に生きる自分自
小さな喜びを、五首目は見舞に来てくれた妻
ている。あとの作品は「小昼顔」からのもの
編 集 室
最初の三首は「最上行」の一連より。茂吉
文学の香りが濃い最上川、大石田を訪ねた折
著者福永和彦氏は氷原短歌会に長く所属さ
れ、 選 者 を 務 め て お ら れ た が 平 成 二 十 四 年
身を見つめた作品。六首目の小昼顔の花はひ
の感慨とその旅を心から楽しむ様子が描かれ
九 月 に 逝 去。 本 集 は 最 晩 年 の 七 十 二 歳 か ら
辛うじて花を咲かせているのだろう。縋ると
川風に揺れて山藤桐の花 垂るる立てる
タイプの歌人」と述べている。
そこに年齢と共に滋味が加わってゆくという
俺には別の生き方なしと蒲公英が道の辺
方通行の路地
どの角を選びても花散りいそぐ他界へ一
花粉をこぼす藪かげ
ひと知らぬままに咲き散る三椏が黄なる
に埃被り咲き初む
が競ふむらさき
酔芙蓉朱に染まるが妻に身を支へられゆ
表示の移り楽しむ
流動食 三分粥 五分粥 七分粥 膳の
訪ふ大石田
それぞれ作者の内面が反映された作品で深
い味わいを持つ。佳き作品に出会えたことに
とて紫陽花の露
ありふれた日常が持つ大切を噛みしめよ
くわれを見下ろす
よはひ
の朗々
日々を訪ふ妻は言ふとも窓外の炎帝はそ
も
しみじみと茂吉の虹を蛍火を思ふ齢にて
子に舵を委ね久しと最上川舟歌唄ふ老い
氏は「初めから完成された風格がそなわり、 いう言葉の繰り返しに作者の思いがある。
二〇一四年一月二日刊行。著者について長澤
長澤ちづ氏。あとがきは夫人の福永順子氏。 たすらフェンスに縋る姿が捉えられている。
で闘病の日々を詠っており四首目は入院中の
八十五歳までの作品が収められている。跋文・
の汗に知るのみ
81
暑中御見舞申しあげます。
皆様の御健康をお祈りいたします。
暑い夏を元気で乗り切って
欠詠なきよう願います。
選者も頑張ります。
感謝したい。 (ぷりずむ叢書3 本阿弥書店刊)
■大衡美智子歌集『光の穂先』
くの浜とぞ
■大建雄志郎歌集『風の回廊』
姿に心を打たれる。 (現代短歌社刊)
毛布を配る
長いサラリーマン生活を終えたあと、カル
チャーセンターの短歌講座を受講されたのが
中学校の剣道場に畳敷きストーブを焚く
ことごとくへし折られたる松の樹が墓石
に座れる画廊
髪長きおとめがひとり水底の緋鯉のよう
がりをゆっくり楽しめる。跋文は内藤明氏。
読みやすい歌数で、一首一首の作品が持つ広
という。三百首というと読者としても非常に
の中より三百首を選んでこの歌集を編まれた
二つの歌誌の掲載作品はおおよそ二千首。そ
こんなのはどうと電話に夫が聞く 登山
面会の用紙に記す患者との関係は「妻」
これからも「妻」
「献体と決めぬ葬儀いらぬ戒名いらぬ」明
日手術の夫が言いぬ
者の声が読者側に迫ってくる。
作者は仙台在住。東日本大震災で被災され
た体験からの感慨を詠まれた。心底からの作
林の小径をもどる
わたくしはここよと声のするようで松の
き明かりがともる
荒涼の原にコンビニの仮店舗立ちて小さ
チェーホフの遺書
幼き日共に店番せし友の遺児に学資を 二〇一四年六月六日。
い現場から支えてこられたという。若い頃か
社の海外勤務が長く、日本の経済をその厳し
での期間に詠まれた作品によって構成されて
おり、主に退職後の六十六歳から七十四歳ま
建雄志郎氏の第一歌集で四三八首を収録して
切っ掛けで「リトム」に入会。本集は著者大
のごとく並ぶ海岸
魂を抜かれたような表情に映画館よりつ
の歌スキーの歌ロードバイクの歌
第一回現代短歌社賞受賞歌集で「橄欖」と
「 音 」 に 所 属 す る 大 衡 美 智 子 氏 の 第 一 歌 集。
ながり出で来
ありがとうございましたなんてこちらこ
中見ゆる袋に詰めて捨てにゆくプライバ
シーのあまた切れ端
目、四首目もユーモアを湛えながら人間とい
を捉えているが下句に納得させられる。三首
難に負けず明日を見つめて生きる作者夫妻の
守りながら妻である作者も短歌を楽しむ。困
結ばれたようだ。病床で短歌を始めた夫を見
夫が事故により再起も難しいような状況に
陥ってしまった。しかし夫婦の絆はより固く
べていることも面白い。
えている。そして短歌との共通点を率直に述
チェーホフの研究は作者の生涯のテーマだ
という。文豪の人間性とその文学の特徴を捉
文の簡 短歌にぞ似る
観 を 濃 い も の に さ れ た よ う だ。 本 集 刊 行 は
の 原 典 に 接 す る な ど、 積 極 的 に 自 身 の 文 学
時代は多忙な勤務の日々ながら、ロシア文学
ら文学に寄せる思いも深く特にモスクワ駐在
いる。今野寿美氏の跋文によると大建氏は商
歯の麻酔とれないままに行く街は仮面を
削ぎ落とし筋骨のみなるチェーホフの散
平成二十六年五月六日刊行。
つけて歩む気のする
そ たったふたりの歌会も楽し
うものをよく見つめていると思う。
一首目は作者の感覚の冴えと比喩の面白さ
を感じる。二首目は何でもないようなところ
何千の遺体並ぶとラジオの声仙台空港近
82
とほき日に露語修めし者古稀過ぎて辞書
くも簡潔
夏来れば複雑化する落葉林 冬青空にか
どころの己れが重なる
マラソンの集団ばらつく中盤に踏ん張り
えたあとの満足感が作品から感じられる。
良い結果を残されたようだ。仕事の緊張と終
幅広い仕事の中で「通辞」として活躍され
たこともあったのだろう。全力で取り組み、
ン押す手は震ふ
緊張は極度に高まり通辞用切り替へボタ
だをひだりにむかす
ささやかな夜間飛行の右向きに眠るから
トローを支えとる
全身をゆびさきにして指はただ一本のス
ばかりの月、とあなたは
筋ジスてなんのことやと思うたら欠ける
におりてゆくまで
水平の匙がわずかにかたがりて仰臥の口
収録している。刊行は平成二十六年四月一日。
二〇〇六年から二〇一三年までの連作三〇作を
賞しておられる。本集はその受賞作をふくめ、
は「六千万個の風鈴」で短歌研究新人賞を受
期待される若手の作家である。二〇〇七年に
巻末にあるプロフィールによると吉岡太朗
氏は一九八六年石川県の生れで京都市在住。
■吉岡太朗歌集『ひだりききの機械』
最果ての席に案内されたのでドリンクバー
に辿り着けない
ようとするとローソンである
ローソンを出るとガストでガストから出
答えが作品のなかにあると思う。
間の精神というものはどうなのだろう。その
品が面白かった。現代は物質的に豊かだが人
さて次の幾つかの作品を楽しんでいただき
たい。コンビニやファミレスを題材とした作
るのだ。
暗さが詠われている。人間の生を凝視してい
を受ける立場になるのではないかという先の
読めるが、三句以下は遠い将来、人から介護
自分自身の歯を磨いているのか、介護の場
で病む人の歯を磨いているのか、どちらとも
れとるわしにつづくほら穴
孫来るも魔女の衣装に着替へしてハロウィ
ン祭へパッと消え去る
けさに知る
通訳は旨くいきたり会場の納得したる静
を片手にチェーホフを読む
介護の仕事はとても神経を使うと思う。こ
こにあげた作品は重い障害を持った方の介護
■利根川 発歌集『留守居松』
発氏の第十五歌
「花實」編集発行人利根川
集。歌集名は十月会の詠題「留守」を詠み込
(短歌研究社刊)
れど美しい墓 対岸に青く光ってローソンはにぎわうけ
これといつてさしたる用はないやうだ夜
んだ作品から付けられたもの。平成二十年秋
の現場を詠んでいる。四首それぞれ、作者の
の電話にさみしさを聴く
の向きを変えている場面。「ささやかな夜間
から平成二十二年十二月まで三年間の作品
人間性が自然に出ており、内容の深さを感じ
飛行」は詩的な言葉である以上に作者の限り
五八八首を収録。あとがきに、この集も海外
転んだら起き上がればよい今までもさう
歌集後半に並ぶ作品群の中より。どれもな
るほどと引き込まれてしまうような面白さと
ない優しさや温かさが出ていて心を打たれる。
る。四首目は褥瘡を作らないように病人の体
発見がある。軽快なリズムで日常を切り取り、
歯みがきをしているわしは歯みがきをさ
して歩き続けてきたのだ
独特の世界を創っている。 (ながらみ書房刊)
83
紫の小花に寄りて屈めるにカッパドキア
二十六年六月十六日刊行。
コ な ど で の 旅 先 で の 作 品 に ま ず 注 目 し た。
苔青くむす
紫式部の墓とぞ三輪石塔の時代さびたり
業に暮るる正月
小半日かかりて誤記を見つけたり会計作
歌碑の除幕されたり
つ残業をする
窓開けて吾の帰りを待つといふ母思ひつ
入る母は老いたり
骨折のために痩せたるわが母と共に湯に
がうかがわれる。 として勤めた日々の歌には誠実に生きる日常
の丘を吹く風
母への思いがしみじみと詠まれている。老
いてゆく母を見つめることは切ない。心に響
旅 行 が 多 く な っ た と あ る。 ト ル コ、 モ ロ ッ
石灰棚の保護のためとふ素足にて痛きに
(花實叢書第一五一篇 現代短歌社刊)
く作品である。
数名に紐引かれたり待ち待ちてゐし我が
も耐へ温泉歩む
■三浦てるよ歌集『塩田抄』
石組みの公衆浴場発掘されローマ遺跡は
日に曝さるる
「歩道」に所属する三浦てるよ氏の第一歌
集である。歌集名は故郷愛知県宝飯郡塩津村
ひて砂のながるる
下界には風のあるらし砂漠なす大地を這
のだ。刊行は二〇一四年五月二十五日。
らぶ」の一首がある。忘れ得ぬ故郷の風景な
村の塩田あとは堤防も舗装路となり家建ちな
の心に残る風景から付けられたもので「塩津
光のなかに
溶岩に生ふる駒草花開くこのひとときの
ずわれに止まるも
蔵王の原に群がり飛べる赤蜻蛉人を恐れ
す入日明るし
茂吉記念館出で来し庭に赤松の梢を照ら
夜の空を仰ぐに星の見えざりき暑きドバ
四十度を越すマラケシュを通り来てカサ
「蔵王坊平」の一連から三首。情景が丁寧
に描写されていて清々しい旅行詠となってい
イの電飾夜景
ブランカの冷えにひたれり
タイムカードの幾台もならぶ朝の部屋千
歩、所属の「十月会」などの活動から生まれ
のような楽しさがある。また吟行会、文学散
作者とともに読者もこの旅を体感しているか
しや文化。驚きと発見の連続かもしれない。
寮生と民踊を習ふもわが仕事終りて帰る
光あびゐる
母親を待つ子九人が保育室に冬の夕べの
気のこむるつめたさ
勤めのため一日空き家のわが家は冬の湿
『 定 年 』 に 続 く 著 者 の 第 七 歌 集 で 平 成
二十二年から二十四年までの作品六百三十二
■横山季由歌集『源流』
旅には新しい体験と感動がある。心を動か
される自然や街の風景、そこに住む人々の暮
た作品も収められている。ここに、それらの
道に月照る
流を訪ねて旅し、自らや自らの短歌について
山門水源や京都北山の賀茂川や桂川などの源
首を収録した。後記によると定年後琵琶湖の
る。 (歩道叢書 角川学芸出版刊)
作品の幾つかをあげておきたい。
あとがきに仕事について触れておられる
が、村役場から市町村合併による市役所職員
二百人の刻印調ぶ
留守居松見かけずなれり門松さへ少なく
なれると思ふ近ごろ
84
ボランティアガイドに通ふ明日香の村頭
までの作品。
年四月八日刊行。著者六十一歳から六十四歳
を『源流』とされたそうである。平成二十六
源流(原点)に戻ってという思いから歌集名
定家卿の越えし日のさま思はれて雨しぶ
出ている。
もあるこの地の自然を愛する作者の心が滲み
のある美しい調べを持つ作品。万葉の故地で
日香古京への思いを四首目から六首目は風格
史的ロマンが広がる場所である。三首目は明
飛鳥川流るるほとりの田の下に石敷きの
広場掘り進めをり
箆
十年前越えし大雲取は雲の下雲海の上に
吉の歌碑立つ
息あへぎ登りつめたる桜峠対ひて親し茂
き降るなかを越えゆく
はひたか
上を高く灰鷹は飛ぶ
京埋もれてをり
峰の連なる
け
雲間より洩るる光の照らし出す大和三山
数ある旅行詠から此処にあげたのは小題
「小雲取」からの三首。どれも深い感慨が籠っ
は
静かなる影
ている。横山氏の著書に氏のライフワークと
に刷毛に土を掻きつつ飛鳥寺の槻の木
と下る象
も言える『土屋文明の跡を巡る』がある。文
へら
三輪山の頂き近く立つ霧は雲となびけり
明の短歌の跡を克明に辿ったこの書を思い出
ドを務める日の情景が描かれているが、頭上
送っておられる。一首目はボランティアガイ
習字など多彩な趣味を持ち充実した日々を
著者は退職されてからボランティアガイド
としても活躍。野鳥観察、遺跡探訪、水彩画、
谷奥より出でくる水は岩走りここに琵琶
らく生れて五日
吾がこゑに応へて黒き瞳むけ小さき手ひ
関連した作品を一首あげたい。
あるが最後に家族詠の中から一首と歌集名に
の小川は
て瀬をなし滝をなし喜佐谷へ
岩群に音きし
さ
弓月が岳に
に飛ぶ野鳥との出会いの一時を捉えて心が和
さずにはいられない。紹介すべき作品はまだ
む作品。二首目は遺跡発掘現場。慎重に根気
(以上担当 桜井美保子)
湖の源流をなす (現代短歌社刊)
よく作業する人の手の動きがクローズアップ
されている。飛鳥寺槻木の広場といえば、歴
佐保田芳訓氏の
歌集『春螢』
大山敏夫
師佐藤佐太郎の亡くなる昭和 年か
ら、平成 年までの作品を収める第三歌
生活の詠嘆、巡りの自然との関わりが
作者の肉体を通過した声で語られる。読
冬の日ことさら明るし
木枯のしづまりがたく奥多摩に沈む
なる公孫樹の下を帰り来
わが家まで明るさ絶えず街路樹の黄
人のなかにわがゐる
音楽を聞くに言葉のいらざれば外国
るカーテンをわれ堆く積む
生くるため可も不可もなく仕上げた
の道悲しみの時
み柩をさきだてゆかん蟬の鳴く蛇崩
ひて飛ぶ螢あり
からの題名である。
恵州の西湖のほとり春ながら湖に向
うみ
と読み、師に同行した中国恵州での一首。
厚 な 作 品 が 並 ぶ。 春 螢 は「 し ゅ ん け い 」
より学び取った思いが全編に沁み渡る重
集。「 歩 道 」 一 筋 に、 人 生 を も 含 め て 師
62
み応えのある歌集である。 (いりの舎刊)
85
15
第五十四回冬雷大会ご案内
日 時 月 日 (第三日曜日)
場
午前 時開会 (受付は9時 分開始)
会
ホテルルートイン東京東陽町
〒125―0063
葛飾区白鳥四―十五―九―四〇九
小林芳枝宛
他 費 用 昼食代 一五〇〇円 (本大会参加者すべて)
会食代 六〇〇〇円 (懇親会参加者)
大会プログラム(概要)
◇大会挨拶 大山敏夫
( 会場にて 時 分から 時 分頃まで
◇懇親会 同
合同歌集『冬雷の 人』の批評及び感想発表
司会進行/西谷純子 高田 光
30
19
30
時に添付致します。宿泊希望者は直接予約を(大会参加者
は割引が受けられますが、早めの予約をお願い致します)
◎会場へのアクセス等は、全詠草プリント・互選葉書の送付
113 17
15
☆大会は、年に 一度の会員交流の場です。
多くの方の参加をお願い致します ◇互選結果 発表と表彰
◇選者賞の発表と表彰 (天・地・人の三位)
◇木島先生生誕百年記念合同歌集『冬雷の 人』
「 相 互 選 賞 」・「 木 島 茂 夫 先 生 賞 」 発 表 と 表 彰
◇作品批評 第一部 (午前)詠草前半部
大塚亮子 高松美智子 山口 嵩 ( 疑応答) 司会/赤羽佳年 山﨑英子 質
昼 食
◇作品批評 第二部 (午後)詠草後半部
兼目 久 酒向陸江 高橋説子 橘美千代 (質疑応答) 司会/水谷慶一朗
113
◎地下鉄東西線 東陽町駅2番出口より徒歩2分
出詠細則 未発表の作品一首
二百字詰原稿用紙に、作品・氏名・郵便番号・
住所・電話番号の順に記載。
封筒の表書きに「大会詠草」と朱書きのこと厳守。
投稿用紙を本誌に綴じ込みますのでご利用ください。
会員は全員参加を原則とします。
30
◇あなたにインタビュー 進行 小久保美津子
会場担当/大塚亮子 高田 光
10 18
出詠締切 8月 日(土) 締切日厳守のこと。
参加費千円を添えて左記事務局まで送付のこと。
10
)
86
︵︵ここから切り取って投稿することもできます・キリトリセン)
日
参加費 一〇〇〇円をそえて下記へお送り下さい
☆楷書で分かり易くお書き下さい
小林 芳枝宛
送り先 〒 125︲0063 葛飾区白鳥四︲十五︲九︲四〇九
☎
〒
ご住所
お名前
回冬雷大会用詠草 ︵未発表作品一首︶
締切日 8月
☆会員は全員出詠が義務づけられております。
15
第
54
まった。作者にお詫びして、訂正
の、残念ながら痛い誤植が出てし
ぎりぎりまで粘って頑張ったもの
集が刊行された。制作に当っては
▽予定より少し遅れたが、合同歌
見されたので追加掲載した。合わ
号で完了したが、貴重な論文が発
▽太田行蔵先生の『四斗樽』は前
務能力に欠如している。
りたいところだ。編集室は多少事
うした事への対応にに猫の手も借
の寄贈を受ける事も多いので、そ
きたい。外部からの雑誌や書物等
て下さる方があらば声をかけて頂
野に入れている。編集室に協力し
聞く。うちの孫、子の上にいつ危
上の何処かでは人身売買も盛んと
で逃げることはむずかしい。地球
▽幸い見つかればよいが子供の力
ニュースのたねになっている。
ら れ た。 今 は 外 灯 も 多 く 町 は 明
たりすると人攫いが来るよと戒め
んでいたり、人けのない所に行っ
▽昔、子供が暗くなるまで外で遊
事が完成して隣のシビックセン
会も開きましたが此の度、建替工
年余り毎月例会を行い、何度か大
記念館から此処に移ってから十五
れ 込 ま れ て 攫 わ れ る こ と も 多 く、 での最後の例会となります。芭蕉
るくなっている筈なのに車に連
ターに移ることになりました。九
▽八月十二日は豊洲文化センター
いますので必ずお送り下さい。
の中に投票用の葉書が同封されて
の表彰が予定されています。歌集
一一三人』の中から投票で互選賞
編 集
後 記
を目次上に入れた。
せて大山の「し」論も終る。当時
害が及ぶか分からない。うちの子、 月は移転の為第三週まで使用でき
▽参加者以外からも購入の申し込
日に新し
員の皆様の暑中見舞が載っていま
▽寄附御礼
させて貰った。こういう記事をみ を届かせよう。 (川又幸子) い会場で行います。長い間お世話
て も、 土 屋 文 明 と い う 人 物 に は、 ▽日頃ご協力下さっている維持会 になり感慨無量です。(小林芳枝)
ませんので例会は9月
大いに魅力的な人間臭を感じる。
丸茂伊一様 小宮守様ご遺族
他所の子に限らず厳しい大人の目
▽川越の編集室は、今リフォーム
す。夏の暑さに負けないで頑張ろ
れた面白い記事があったので紹介
み が あ っ た り で 有 難 い 事 で あ る。 の雑誌「三河アララギ」に掲載さ
現在僅少ながら残部あり。追加購
の最中でごった返し、冬雷の作業
▽作品三欄の批評を出したり休ん
読はお早めにどうぞ。
が滞りぎみでご迷惑をおかけして
の大会でお会いしましょう。
行目
うという意欲と力強さにあふれて
赤羽佳年
▽誤植訂正 7月号 けても良いという方はぜひ声をか
日㈰午後一時
慰霊 → 慰霊碑
▽冬雷例会 8月
豊洲文化センター
は新風の出現が期待される。楽し
に時を刻む古時計の歌です。
「振子時計」。八十年近く今も正確
頁
い る。 自 分 の 塒 の 一 部 屋 を 残 し、 だりでお詫びしたい。いつも申し
います。元気に夏を乗り越えて秋
できるだけ整理整頓して、訪問の
▽今月の
首は吉田綾子さんの
けて頂きたい。こうしたところに
も新しい風は必要である。
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▽今月号に大会のプログラムが掲
▽これによって編集会議や校正作
みである。 (大山敏夫) 載されています。今年は『冬雷の
しの折はどうぞ (留守がちですが)。 ▽という意味からも、今年の大会
できそうもないが、お近くにおこ
方に備えたい。サービスは十分に
他は再生させる事になる。今後は
上げているが、批評欄の担当を受
27
35
一階第五会議室
*例会終了後暑気払いを行います。
業等も、編集室にて行うことも視
編集後記
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30
≲冬雷規定≳
て必ず同じ歌稿を二通、及び返信先を表
の下に☆印を記入する。 一、無料で添削に応ずる。一通を返信用とし
一、会員は本会主催の諸会合に参加出来る。
記した封筒に切手を貼り同封する。原則
一、会費を納入すれば誰でも会員になれる。
一、月刊誌「冬雷」を発行する。会員は「冬
として一週間以内に戻すことに努めてい
かかるので厳守のこと。
∧ メールでの投稿案内∨
るようにする。選者間の打合せに時間が
実際の締切日より二、三日早めに到着す
しないことを方針とする。 一、各所属の担当選者以外に歌稿を送る方は
もある。特に作品一欄は基本的に添削を
るが、選者によっては戻りが遅れること
雷」に作品および文章を投稿できる。た
だし取捨は編集部一任のこと。
一、会費は月額(購読料を含む)次の通りと
し、六か月以上前納とする。ただし途中
退会された場合の会費は返金しない。
普通会員(作品三欄所属) 千円
作品二欄所属会員 千二百円
作品一欄所属会員 千五百円
維持会員(二部購入分含む)二千円
購読会員 五百円
会費は原則として振替にて納入すること。
紙が二枚以上になる時は必ず右肩を綴じ
して希望する選者宛に直送する。原稿用
型を使用し、何月号、所属作品欄を明記
る。 原 稿 用 紙 は
一、歌稿は月一回未発表十二首まで投稿でき
≲投稿規定≳
判二百字詰めタテ
きいデータは、それが何か解るようにタ
のメールでも送信可能だが、文章等の大
場合は通常のメール本文又はケータイで
色を付けたりしないこと。分量の少ない
に 分 断 し た り、 余 分 な 番 号 を 付 け た り、
こと。頭を一字分空けたり、一首を二行
首ずつベタ打ちにして、行間も空けない
ご相談に応ずる。その場合は、白地に一
ウイルス対策は各自に於いて厳守する。
イトルと「拡張子」を付けて添付する。
ること。締切りは十五日、発表は翌々月
し て い る( ご 連 絡 下 さ い )。 他 の 選 者 も
一、電子メールによる投稿は編集室にて対応
E
号とする。新会員、再入会の方は「作品
三欄」の所属とする。 一、表記は自由とするが新仮名希望者は氏名
B
5
発 行 人 川又 幸子
編 集 人 大山 敏夫
データ制作 冬 雷 編 集 室 印刷・製本 ㈱ローヤル企画 発 行 所 冬 雷 短 歌 会
135-0061 東京都江東区豊洲 5-3-5-417 TEL・FAX 03-3536-0321
振替 00140-8-92027
ホ ー ム ペ ー ジ http://www.tourai.jp/ 頒 価 500 円 D C B A
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《選者住所》大山敏夫 350-1142 川越市藤間 540-2-207 TEL 049-247-1789
川又幸子 135-0061 江東区豊洲 5-3-5-417 TEL 03-3536-0321
小林芳枝 125-0063 葛飾区白鳥 4-15-9-409 TEL 03-3604-3655
2015 年 8 月1日発行