東京歌会(第三十三回) 、会場・文京シビックセンター三階C会議室。詠草は、各二首十四首(当 平成二十七年六月十八日(木) 日持参四首、間に合わなかった歌二首を含む) 。出席者七名(池田桂一、市川茂子、大石久美、小野澤繁雄、 林博子、松井淑子、丸山弘子) 。 こ ・沼は湖と呼びかえられてその湖畔別荘のごときも多く年経る 小野澤繁雄 沼と湖の違い。辞書には湖は池・沼より大きくて、深いというようなことが出ている。用 水として使われなくなって、その後観光資源として呼称が変更された。「別荘のごとき」に 作者の見方が出ている。 ・ウインドーに映るわが影母の背が重なり老いの姿となりて 市川茂子 「背」は、 背格好のこと。出席者には女性が多く、中味がいい、判るという。「母の背が」は「母 の背の」としたい、など。 ひし ・湿りおびし髪に移ろう季を知る拉がるる思いの今日の曇天 林 博子 つゆの今どきの季節。上句に晴れ晴れしない感じが出ている。曇天で雲が低く、拉ぐには 押しつぶすという意味がある。やや鬱屈した「拉がるる思いの」下句が、いい。 楽しい気分が出ている歌と。結句「女子会十人」もさっぱりしている。説明が必要とされ るところ、連作の一部のようにも読む。 ・ロープウェイで昇つて地蔵の大祭に参列したり女子会十人 布宮慈子 きゅうじゅう ・九十歳にそれぞれ近き友なれば電話の終りはいつも「サヨナラ」 大石久美 丸山弘子 「サヨナラ」のコトバそのものは軽いが、また、そういっていれば間違いないところでもあ る。そこに、 (何か)覚悟がある、と。 ・観賞用に育てし枇杷か鉢植の枝それぞれに色よく実る 近頃、実の収穫されないまま放置されている木をみることがある。ここは鉢植えのもの。大 事にされ、色よく実った実をみることが目的であり、結果なのだが、豊かな気持になるものだ。 24 展景 No. 79 展景 No. 79 25 東京歌会(第三十四回) 、 会場・文京シビックセンター三階C会議室。詠草は、各二首十首(当日間に合わなかっ 七月十六日(木) た歌二首を含む) 。出席者四名(大石久美、小野澤繁雄、林博子、松井淑子)。 ・ 「ああ」は苦しみ悲しみ褒め言葉 百年前ヘボンの載せし和英辞書購ふ 中川禮子 辞書は、何か復刻のようなかたちで出ているのか。初句はどこまでか。「苦しみ」か「悲 しみ」 、どちらか一つでいいようだ。「悲しみ」を外したい。下句は簡潔。ヘボンをしってい るほうが読みやすい。 ・活版印刷の文字の凹みを障りつつ呟きに似る声聴きている 林 博子 さや 障りつつ。活版印刷は一部でまだ使われている。懐かしさがある。四句「呟きに似る声」は、 内容からも来ているか。下句は納得される。 シ ー ル ズ ・ SEALDs といふ学生のグループが抗議してをり戦争法案 布宮慈子 この歌会前日の十五日、衆院特別委員会で安保(安全保障)関連法案が強行採決された。 は頭 字語で、 Students Emergency Action for Liberal Democracy-s 。 歌 は、 そ の SEALDs 通り。グループは新聞などではしらされているが、テレビではみない。結句に作者の主張が みえる。この法案について、少し意見がかわされた。 ・夜に遅く駅を下ればほのあかり易する者の行燈がみゆ 小野澤繁雄 「易する」は見ないいいかた。 少し哀感がある、と。 ・眼上ぐれば腰に垂れたるジャケットの黄の眩しさよ青年佇てり 大石久美 地下鉄車内のようなところ。作者はすわっていて、眼を上げる。腰の位置に垂れていて、 そのジャケットの色の明るさ、鮮やかさ。青年。出あいがあるのだ。 26 展景 No. 79 展景 No. 79 27 東京歌会(第三十五回) 八月二十日(木)、会場・文京シビックセンター三階和室。詠草は、各二首十首。出席者五名(市 川茂子、大石久美、小野澤繁雄、林博子、松井淑子) 。 ・金沢の味「圓八」の読みURLの一部によりて「えんぱち」としりぬ 小野澤繁雄 こうかなという読み方はあっても、ハッキリしないことがある。URLの読み方、意味で もつまずいてしまった。頭字語でユーアールエルと読み、意味はウェッブページの住所表示 のこと。 「圓八」はあんころ餅。歌はその通りと。 ・ 「あなたはいるだけでいい」ふと気付く後期高齢者という私の位置 大石久美 こういう云われよう、に少し反発するものがあるのだ。後期高齢者というくくり方にはま た納得もある。そこに、この歌の拡がりがある。さみしい歌でもある。 ・大地震ゆりたる町々通りぬけ帰りし父はやさしかりけむ (関東大震災) 中川禮子 「おおじしん」 と読む。地域名・年号を冠して云うときは「だいじしん」と云う。 「帰りし」は「帰 のち りこし」としたい。回想する歌。もう一つの歌から、お父さんは横須賀で被災したようだ。 うから ・あかあかと家族らの集う卓袱台のわが座よ抜けたる後を知らずも 林 博子 卓袱台は、表記にも興味が持たれたが、昭和のくらしそのもの。そこでは席が決まってい て、空席は不在感を増幅する。この歌の主題は時間だろう。生活感と懐かしさと両方がある 歌と。初句「あかあかと」もいい。 はじめや ・気どらないシュークリームにて一屋は一の付く日に買ひに行く店 布宮慈子 「一の付く日」には、特売でもしているのか。ある範囲の生活が見えるようだ。一、二句の 入り方も面白い。もう一つの歌で、店が閉店したことをしらされるが、こちらの歌の心躍り がいい。 (小野澤繁雄) 28 展景 No. 79 展景 No. 79 29
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