「震撼弾」―宋楚瑜、台湾総統選出馬の波紋 台湾の総統選挙は

「震撼弾」―宋楚瑜、台湾総統選出馬の波紋
台湾の総統選挙は 4 年に 1 度。従来、国民党と民進党の熾烈な争いが続いてきた。来年 1 月
に迫った次回総統選でも民進党・蔡英文(58)対国民党・洪秀柱(67)の女同士の戦いだったが、
8 月に入って親民党の宋楚瑜(73)が名乗りをあげ、割り込んで、三つ巴の戦いとなっている。宋
はもともと国民党の出身。その票田は洪と重なり、藍(ブルー)と呼ばれる国民党系の陣営内の
争いの側面が強い。その意味で早くから出馬を決めて活動を続けてきた民進党の蔡の優勢は
変わらない。いわば勝ち目の少ない宋がそれでも出馬する狙いはどこにあるのか。或いは大逆
転があるのか。突然飛び込んできた宋という弾丸が台湾政界に大きな波紋を呼んでいる。
2000 年の再来、三つ巴
宋は 2000 年の総統選に初めて参選、以後、04 年、12 年にも参選し、今回で 4 度目。総統選
に 4 回も立候補とは前代未聞だ。04 年は国民党の連戦とペアで、副総統候補だったが、民進党
の陳水扁・呂秀蓮組に僅差で敗れた。しかし 12 年の総統選では国民党の馬英九、民進党の蔡
に遠く及ばず、得票率は僅か 2.76%で惨敗。これでは政界引退を表明せざるを得なかった。
政治生命はなくなったとも思えるその宋に今回は勝ち目があるのか。冒頭、国民党と民進党
の対決が続いてきたと書いたが、1996 年に始まった総統直接選挙で国民党、民進党両党の一
騎打ちになったのは民進党の陳水扁が再選された 04 年と国民党の馬英九が初当選した 08 年
の 2 回だけ。李登輝が当選した最初の総統選挙も 4 組の戦いだった。今回も元民進党主席の施
明徳や元立法委員で自ら創立した人民最大党の主席、許栄淑(女性)も立候補を表明している。
もっとも施や許は立法院に議席を持つ政党に所属していないので、規定により、有権者の一
定数の署名を集めなければ、立候補は認められない。2 人とも署名集めは難しそうなので、結局
は国民党、民進党、親民党の争いとなる可能性が大きい。この 3 党の争いは実は 2000 年にもあ
った。この時は、前述のように宋は当選こそできなかったが、第一党の国民党の連を引き離し、
次点だった。国民党の惨敗は連の不人気が一因。今回の国民党も洪が連以上に不人気で、な
にやら 2000 年の総統選挙に似ている。
当選はおぼつかないが…
洪の不人気の原因の一つは対中国姿勢だ。国民党は「終極統一」をいう総統の馬英九のよう
に将来は中国との統一を目指してはいる。ただ、国民党の大多数は馬も含めて将来は統一でも
今は現状維持という考え。その中で洪は党内では最も中国よりで、統一を急げという急統(急進
統一)派。これは中国との統一を党是とするミニ政党、新党の考えに近い。戦後、蒋介石軍ととも
に中国から台湾に移ってきて、今も中国にノスタルジーを抱く年老いた外省人の思いでもある。
しかし、これでは野党はもちろん国民党の支持も得にくい。国民党はその正式名称を「中国国
民党」というように中国人が創立した政党だが、台湾に移ってからは戦前から台湾に住む多くの
台湾人が入党している。国民党独裁時代は、党員でなければ公務員にはなれないし、出世も期
待できなかった。だから党員にならざるを得なかった。元総統の李登輝もそうだった。
民主化で離党する人は増えたが、それでも多くが残っており、その多くは台湾人意識を持つ
だけに当面は現状維持という考えで、とくに中国が習近平政権になってから覇権主義の色合い
を強めているだけに、その中国との統一などとんでもないと考えている。
宋の出馬はこうした国民党内の急統派以外の票が念頭にある。宋自身、かつては「正統国民
党員」で新聞局長時代には台湾語のテレビ放送禁止など中国色の強い姿勢を打ち出していた
が、今回、立候補を表明してからは、過去の白色テロなど国民党の施策を反省する CFを流した
りして、しきりにソフトイメージを振りまいている。
もっとも、宋のイメージチェンジが功を奏したとしても、その票は国民党の票田から集めること
になる。対中国では現状維持でも将来的には独立を志向する緑(グリーン)と称される民進党な
ど野党の票の獲得は難しい。実際、民間の調査機関、台湾指標の 8 月下旬の支持率調査でも
蔡 37.3%に対して、宋 19.1%、洪 12.7%。洪を上回ったものの、蔡との差は大きく、これでは当
選などとてもおぼつかない。
母鶏が雛鶏を引っ張って…
それでもなお宋は勝ち目のない選挙に出るのか。政治評論家の多くは「母鶏帯小鶏」とみる。
雌鶏が雛を連れて水場や餌場に行くように宋という母鶏が立法委員選に出馬する雛鳥の候補た
ちを連れて参選し、宋の人気で雛鳥たちの得票に上乗せしようという作戦だ。狙いは総統選で
の当選ではなく、立法委員選。すでに国民党を離党して親民党から立候補を表明している候補
者もいる。
立法院(国会)の定数は 113 で、うち国民党が 65 席を占め、過半数を制している。民進党は 40
で、台湾団結連盟が 3、親民党は 2 つしかない。その他は無所属。だが、もともと親民党は 2000
年に国民党を割って出た人たちが創立した。つまりは同根で、国民党籍の中には親民党に近い
人が多い。しかも国民党主席、朱立倫は「船(党)を乗り換えてもいいが、国民党批判は許さな
い」と離党を黙認するような言い方をしている。
それだけに国民党の洪の人気が低迷すればするほど、国民党から親民党への鞍替えが増え
るかもしれないし、立法院での親民党の議席が増える可能性はある。関係者によると、目標は 10
議席程度とか。立法院での勢力は国民党が低落、民進党は上昇傾向だが、どちらも過半数(57
席)を取れない可能性もある。その場合、10 議席があればキャスティング・ボートを握れる。上手
くいけば、連立政権で閣僚ポストを得られるかもしれないし、場合によっては宋が行政院長(首
相)ということも!
洪降ろしで勝ち目が?…
宋は 1963 年に台湾省主席に就任、翌年の制度改革で省主席選挙に出て、当選し、約 5 年、
省主席を務めた。この間、各地を回り、視察先で道路や橋の建設、公共施設など要望を聞くと、
すぐに実行し、その実績で今でも地方には宋ファンが多い。今回の出馬宣言後の宋人気は当時
の宋ファンがベース。加えて洪の不人気が宋の人気をさらに高めている。
とはいえ、政治ニュースの主役の座を宋が独占するような今の報道振りはいささか異常だが、
それはメディアの中に 1 つの観測があるからだ。それは国民党の予備選当時からある洪降ろし
があるだろうという観測だ。民主的手続きで選出した候補を降ろすのは無理があるが、方法はあ
る。候補不適任を宣告するネガティブ・キャンペーンで党中央が辞退させることだ。
これは予備選の段階でもすでにあった。主席の朱立倫や立法院長(国会議長)の王金平、さ
らには副総統の呉敦義ら総統選の有力候補が昨年 11 月の統一地方選挙での国民党の惨敗を
みて、総統選も勝ち目がないと判断してか、いずれも立候補を見送り、二線級の洪の公認候補
への独走を許した。二線級の候補では最初から負け戦だ。とくに同時選挙の立法委員の候補た
ちは「母鶏帯小鶏」効果を期待できない。そこで学歴疑惑や乳癌情報など流したが、有力候補
の出馬宣言もなく、結局、洪降ろしはできなかった。
「奥歩」、「抹黒」は台湾選挙の常套手段
しかしこれからはもっとインパクトのある疑惑を流すことはありうると消息通はいう。台湾の選挙
では「奥歩」「抹黒」といった言葉がよく出てくる。奥歩は汚い手段、沫黒は顔に泥を塗る、更に言
えば濡れ衣を着せるという意味。洪の学歴や乳癌の問題はまさにこれ。学歴疑惑は学歴詐称に
近い疑惑ではあるが、すでに過去のこと。乳癌も事実だが、すでに治療した過去のことで、相手
候補を貶めるためのネガティブ・キャンペーンでしかない。
これは国民党の得意戦術といってもいい。前回の総統選では民進党の蔡がバイテクの国策
会社の株売却で不正な利益を得たと宣伝され、汚職容疑で捕まった前総統の陳水扁事件があ
った後だけに「やはり蔡英文も同じか!」と思われ、票を減らす結果となった。しかし選挙後、不
正は事実無根で国民党政府の閣僚が提示した証拠書類が偽造であったことも判明した。その閣
僚はお手柄で横滑りし、さらに上級の財政部長(財務相)に昇格した。
洪自身、長い国民党員歴の中で奥歩も抹黒も熟知している。だから学歴疑惑などが出たとき
も、まだまだあることは覚悟しているという趣旨の話をしている。党内になんとしても洪を降ろした
い勢力がある。その目的を果たすためには汚い手も使うだろうとみているのだ。
洪降ろしが成功すれば、誰を新たな候補者にするかが問題。そこに登場するのが宋だ。前述
の世論調査の数字を見て欲しい。蔡の 37%に対して宋と洪を合計すると、30%。態度未決定が
3 分の 1 もある。蔡優勢といわれ、洪の不人気が明らかなのに、各種世論調査で蔡の支持率は
せいぜい 40%前後。そこから民進党の固定票は 40%前後ともいわれる。なかなか 40%を超え
て伸びない。寄り合い所帯で足の引っ張り合いが日常茶飯事という民進党の党内事情も影響し
ている。
国民党、親民党の連合のカギは馬総統
それだけに国民党が宋と手を組めば、勝機はあると消息通はみる。総統候補に宋、副総統候
補に洪の組み合わせも言われているが、洪は言下に否定している。それでも王金平と宋の組み
合わせなど、テレビの政治評論番組ではあれこれと取りざたされている。その中でカギを握る一
人は総統の馬だろう。
馬は昨年 11 月の統一地方選挙での惨敗以来、レイムダック化が顕著と思われているが、死に
体どころか、あれこれと動いている。高校生が教育部(文科省)を占拠して話題になった教科書
問題で課綱という台湾版教育指導要領を改訂させ、反対運動でも撤回しなかったのは馬の指示
だといわれている。日本の雑誌でかつて日本は祖国だったと述べた李登輝を名指しで批判をし、
元主席の連戦が中国の軍事パレード参加に「ノー」と公言もし、多くの支持を集めている。
その馬が親民党との連繋に動くかどうか。最近、あれこれ発言しているのは、選挙に向けたブ
ルー陣営の指南役を目指しているのではないかという見方もある。ただ、もともと馬は宋とは関係
はよくない。過去のしがらみを払って宋と握手する度量があるかどうか、それに「9%総統」といわ
れ、歴史的な低支持率の総統だっただけに党内がまとまるかどうかという問題もある。
さらにもっと根本的なのは、昨年のヒマワリ学生運動に代表されるように、近年の国民党批判、
馬批判の背景には中国との関係強化を極端に進めれば中国による台湾呑み込みになるという
一般市民の危機感があり、その裏返しの台湾意識拡大という時代の潮流がある。それだけに急
統派の洪はもちろん、究極統一を目指す国民党と中国とのパイプを強調する親民党の宋が連合
してもブルー陣営が逆転勝ちすることは容易いことではない。
(敬称略 ジャーナリスト・迫田勝敏)