廣 忠 寺

廣
忠
寺
(岡崎市桑谷町字堀切22番地)
山 号 瑞雲山
宗 派 曹洞宗
本 尊 華厳釈尊 木像
えい しん
開 山 樵黯慧最大和尚 (幼名 松平 ■新)
(■は木偏に頴)
寺 宝 松平 広忠の位牌
寺号書
1幅
霊徳殿之御書
1種
扁額
1面
廣忠寺
於久の方の位牌
大黒天
木像
古文書
多数
寺名が示すとおり、この寺は徳川家康公の父松平広忠公を奉った寺です。
1541年春、広忠と於久の方(大給松平和泉守乗正の娘)との間に家康の異母兄弟
の「勘六(後の松平忠政)
」が誕生した。広忠には、正室於大の方(刈谷城主水野忠政
の娘)がいるため、家臣は勘六を一時岩津へ住まわせ、後に桑谷村に別荘を築いて移住
させた。因みに家康は1542年生まれである。
1561年家康の家臣酒井正親が西尾城を攻める際、隠れ住む忠政を家康に引き合わ
せ、家康より兵11騎を与えられ従軍させた。
1562年家康が西尾へ行く際に、桑谷村の忠政宅に立ち寄り父広忠の位牌に拝礼し、
裏書を行った。その時忠政は父の菩提を弔いたく同地に寺一宇を建立したい旨家康に相
えい しん
談。家康は快諾し寺号を「廣忠寺」と号せられ、忠政の弟■新を住職とするよう命じた。
閑静な佇まいの広忠寺の門をくぐり本堂の左横道を進んで行くと、三基の墓碑が存在
する。
左より忠政公、広忠公、妙琳尼(於久の方)の墓
【参考文献】
村史「竜谷」
岡崎市竜谷学区社会教育委員会
岡崎・史跡と文化財めぐり 岡崎の文化財編集委員会