厚木の政治家安藤覚 島口 健次 厚木の政治家に安藤覚がいた。安藤は大正十四年、日大を出た後、読売新聞の記者として活 躍し、政治部長等を経て、昭和十七年、衆院に当選した。安藤は明治三十二年(1899)飯 山に生まれた。安藤は父親が清源院(曹洞宗)の住職であったため、僧侶でもあった。安藤は 昭和二十一年に公職追放となり、同二十六の追放解除までは広徳寺の住職を務めた。その後昭 和二十八年から四十二年まで通算すると八回の衆院を戦い、当選は五回であった。安藤は昭和 四十二年(1967)十一月二十七日六十八歳の若さで没した。安藤は衆院議員として日韓条 約の批准で大活躍した。安藤の葬儀には、厚木市葬として約六千名の市民が参列した。昭和四 十年にソウルで行われた日韓条約批准書交換式典に、安藤は日本側代表訪問団の一人として同 席した。安藤は「至誠一貫」の人として知られ、その姿は道元の教えを守り、私利私欲がなく、 清貧な生活を貫いた人と云われている。元厚木市長石井忠重(五期務めた)も、安藤の政治姿 勢を高く評価していたと云われ、その後市長を務めた山口巌雄氏も安藤の政治姿勢に学んだと 云われている。安藤の門下生らにより安藤の記念碑が飯山観音の境内に建立されている。この 飯山観音は近くをカワセミが飛ぶ小鮎川があり、登山古墳や山中城址に近い所である。会員の 皆様もどうか訪れて下さい。
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