九州で生まれ福岡から飛躍し、 国難の時代に挑んだ先

九州で生まれ福岡から飛躍し、
国難の時代に挑んだ先人の軌跡
リコー三愛グループ
夏期インターンシップ企業研究
功して一躍勇名をはせる。
1936
年2月6日、感光紙部が理研感光
紙
(後の理研光学工業)
として発足。
代表取締役専務の市川の舵取りで
船出し、この日がリコー三愛グルー
プ創立日となった。
市村の実力が認められて 社超
の理研コンツェルンのうち 社の
役員を兼務したが、
1942年の新
年会で大河内と衝突した市村は辞
表提出。
そして、
理研光学工業、
飛行
機特殊部品、旭無線の3社が理研
から独立する。
1943年7月、市
村は朝鮮京城に理研特殊製鉄を設
立、
咸鏡南道に工場を建設した。
1929年3月、富国徴兵保険の
代理店だった吉村商会が持つ理化学
研究所(理研)感光紙の九州総代理
店の権利を譲り受けて、福岡市春吉
四十川(現渡辺通1丁目)で創業を
果たす。
その後、
業績躍進で朝鮮や満
州の総代理店権利も獲得した。
1933年3月、
市川清の手腕に
注目した理研所長の大河内正敏か
らの招聘で理化学興業の感光紙部
長に就く。
就任当初、周囲との軋轢
が生じたが、満鉄への売り込みに成
福岡市で創業、
理研入りで
経営手腕を発揮
る「三愛精神」を発表した。
1947
年、明 治 神 宮から再 建を要 請され
て、旧憲法記念館を結婚式場明治
記念館に改装して大成功を収めた。
これを契 機に神 前 結 婚 式が全 国 的
に広まることになった。
また、
1950年3月、
二眼レフカメ
ラ
「リコ ーフレックス」
を発表 、
圧倒的
な低価格と操作性の高さで大衆カメ
ラ ブーム を 巻 き 起 こ す 。そ し て 、
1952年6月、
三愛石油を設立し、
航空機への給油に水道方式を用いた
「ハイドラントシステム」
を考案。
外国石
油 資 本と競 合した羽田空 港の給 油
権はGHQに直談判して獲得した。
敗 戦を目 前に控えた1945 年
8月 日の幹 部 会 議で外 地から引
き揚げて来る社員のための方針を使
い同年 月、三愛商事を設立した。
そ
して、1946年8月、隅田川と鉄
道と東 京 湾の海 岸 線の3本 線を結
んだ地点である銀座が日本の中心地
になると見定めて食料品を適正価格
で販売する店舗を開設、連日長蛇の
列ができるにぎわいをみせた。
同年 月、グループ報の誌上で
〝人
を愛し、国を愛し、勤めを愛す〞
とす
戦 後はサ ービス起 業 路 線、
「三愛精神」を掲げ大躍進
12 60
12
佐賀県三養基郡北茂安村
(現みやき町)
出身、1929
年3月福岡市春吉四十川
(現渡辺通1丁目)
で創業。
1936年2月リコー三愛グループを創設。座右の銘は
「人の行く裏に道あり花の山」。
24
BIZ FUKUOKA
郷里に講堂や体育館を寄贈
1956年、カメラショー出席の
ために渡米した際に訪問したマイア
ミ市への日本庭園の寄贈を決定。後
のイチムラ・パークであり、日米 親
善の象徴となった。
また、1958
年4月には、母校の北茂安小学校
に講堂を寄贈している。
1962年2月に日本経済新聞
『私の履歴書』
に1カ月連載して、反
響を呼んだ頃、
地元からの要請で日
米飲料(現コカ・コーラウエスト)社
長に就 任。
コカ・コーラの北 九 州 地
区の販売権獲得で地域に大きな雇
用をもたらした。
1963年1月、
銀座4丁目に円
筒形ビルの三愛ドリームセンターが完
成、銀座のランドマークとなる。
同年
3 月には出 身 地・佐 賀 県の佐 賀 市
城内公園に体育館を寄贈し、この功
績によって紺綬褒章を受章した。
陣 頭 指 揮 で 経 営 再 建、市
村賞で学術・産業に貢献
実 業 家 としての高い名 声 を 博し
ながらも、必ずしも万事が順調では
なく、
1965年3月、
リコー三愛グ
ループの中 核 企 業・リコーが無 配に
転落した。
しかし、市村は陣頭指揮
で組 織 効 率 化や業 績 給 導入などの
改革を推進、
「電子リコピーBS1」
の大ヒットで2年後の1967年9
月に復 配 を 実 現。今 日の有 力 O A
機器メーカーとなる土台を築いた。
1968年 月 日、財団法人新
技術開発財団を設立。
科学技術分野
で学術や産業の発展に貢献した個人・
団体を表彰する市村賞に名を残す。
同月 日、急性肝萎縮症で永眠。
享
年 歳。
市村の戒名「泰徳院殿三愛
清壽大居士」
には三愛の文字を刻む。
12
市村清 (1900年4月4日~1968年12月16日)
11
11
11
佐賀に生まれ、
苦労を重ね、
海外躍進後に営業で日本一
中曽根康弘や佐治敬三、五島昇ら
の著名人がはせ参じた「市村学校」
の市村清をご存じだろうか?
リコー三愛グループの創始者で
あ る 市 村 は 1 9 0 0 年 4 月 4 日、
佐賀県三養基郡北茂安村(現みや
き町)市原で父・豊吉、母・ツ子の
長男として、この世に生を受けた。
「私の生い立ちや成長の環境は、
人並み以下のもので、生きること
は戦いにつぐ戦いであった」と後
年、市村が自伝に記した通り、
生家
は 最 貧 の 農 家 だ っ た。市 村 は 成 績
抜群で、入学した北茂安小学校で
卒業まで首席を通し、名門・佐賀
中学へ進学したが、学費が続かず
2年次に中退を余儀なくされる。
その後、野菜売りで家計を支え
ながら、1916年に共栄貯金銀
行久留米支店に事務見習として採
用。市 村 の 仕 事 振 り が 評 価 さ れ て
1920年4月、共栄貯金銀行本
店書記として上京し、中央大学専
門部(夜間)法科に入学したもの
の、共栄貯金銀行による日中合併
での大東銀行設立に際し、市村は
大 学 を 中 退 し て 1 9 2 2 年9 月、
北京に赴任した。その後、上海分行
へ移り、会計主任、支店長代理、取
締 役 へ と 昇 進 す る。1 9 2 5 年 1
月、松岡幸恵と結婚した。
好事魔多し―、1927年の金
融 恐 慌 で 大 東 銀 行 が 閉 鎖。失 意 の
まま帰国した市村は親戚を頼っ
て 富 国 徴 兵 保 険(現 富 国 生 命 保
険)で 営 業 職 と な る。赴 任 地 の 熊
本 は〝保 険 不 毛 の 地〞で 悪 戦 苦
闘したが、努力の甲斐あって抜群
の実績を上げ、営業成績で日本一
となった。
16
68
夏期インターンシップに参集した県下10大学生30名の企業研究講座にて、福岡で創業し昭和20年代
の戦後復興に一役を担ったモデル企業として、春吉四十川(現渡辺通1丁目)
で創業したリコー三愛グ
ループ創始者である市村清氏を本年のテーマとして選定いたしました。
「人を愛し、国を愛し、勤めを愛す」
とする三愛精神で戦後復興の銀座にて人心に灯りを燈し、高度経済成長時代までの市村清氏の軌跡を
学んだ大学生30人が、創業地である渡辺通りに現在も福岡の拠点として、
リコー製品の国内販売の中核
を担う同グループのリコージャパン福岡支社を訪問させていただきました。
九州の次世代に伝える
現代を創った先人の物語
リコー三愛グループ創始者 市村清
BIZ FUKUOKA 次世代育成プロジェクト
リコー三愛グループ創始者・市村清の九州の足跡と同グループの軌跡
佐賀・久留米・熊本時代(1900年~1928年)
佐賀県北茂安村(現みやき町)
に生まれた
市村は小学校時代を首席で通すなど成績
優秀な生徒だった。共栄貯金銀行久留米
支店に事務見習いとして採用されたのち、
本店勤務となって上京、大東銀行に移り北
京・上海に赴任。昭和恐慌にて大東銀行
は閉鎖となって帰国後、富国徴兵保険相
互会社の熊本支部にて日本一の実績を上
げる。
( 写真は北茂安小学校4~5年生の
ころの市村清)
●1900年
(明治33年)
0歳
4月4日 佐賀県三養基郡北茂安村
(現みやき町)
市原で生まれる
●1913年
(大正2年)
13歳
4月 佐賀県立佐賀中学に入学。
しかし、経済的困窮のため1914年7月に中退
●1916年
(大正5年)
16歳
共栄貯金銀行久留米支店に事務見習いとして採用される
●1920年
(大正9年)
20歳
4月 共栄貯金銀行本店勤務となって上京。中央大学専門部
(夜間)
法科に入学
●1922年
(大正11年)
22歳
7月 日中合弁の大東銀行に入社するために中央大学法科を3年で中退
9月 大東銀行の経理係として北京に赴任。
その後上海分行に移る
●1925年
(大正14年)
25歳
1月26日 松岡幸恵と結婚
●1927年
(昭和2年)
27歳
4月 金融恐慌の影響で大東銀行が閉鎖
10月 富国徴兵保険相互会社に入社。熊本支部に配属される
福岡での創業期~理研・アジア進出時代(1929年~1944年)
●1929年
(昭和4年)
29歳
3月 富国徴兵保険を退社して、理化学研究所の理研陽画感光紙の九州総代理店吉村商会の権利を
取得して福岡市春吉四十川で創業。朝鮮や満州の権利も獲得
福岡市春吉四十川
(現渡辺通1丁
目)
での創業後、
従業員を大切にする
経営で業績を大きく伸ばして福岡市・
天神に店舗を構えた。
そして、
理研感
光紙の九州総代理店の権利に加
えて朝鮮や満州での総代理店の権
利を取得するなど、
九州からのアジア
進出の先駆けとなった
(写真は福岡
市・天神で
「吉村商店」
の看板を掲
げて商売していた頃)
●1933年
(昭和8年)
33歳
3月 理研の大河内正敏所長からの招聘で理化学興業株式会社の感光紙部長に就任
●1936年
(昭和11年)
36歳
2月6日 感光紙部が理研感光紙株式会社となる
(リコー三愛グループの出発点)
●1942年
(昭和17年)
42歳
理研光学工業、飛行機特殊部品、旭無線の3社で理研コンツェルンから独立
戦後復興期~銀座三愛・
「三愛精神」発動時代(1945年~1956年)
●1946年
(昭和21年)
46歳
8月20日 銀座4丁目の角地に新店舗をオープン。食料品を適正価格で売り出す
12月 グループ機関誌『三愛』
を創刊して誌上で
「三愛精神」
を発表する
●1947年
(昭和22年)
47歳
11月 明治神宮からの再建要請で旧憲法記念館を結婚式場明治記念館として成功
●1952年
(昭和27年)
52歳
6月 三愛石油株式会社を創立して取締役社長に就任。航空機給油でハイドラントシステムを考案。
羽田空港での給油権を獲得して1955年6月から供給開始
福岡に飲料会社を設立、郷里に講堂・体育館寄贈の地域貢献時代(1957年~1968年)
●1957年
(昭和32年)
57歳
9月 株式会社西銀座デパートの取締役社長に就任。翌1958年10月にオープン
三愛精神
焼け野原と瓦礫の山と化した東京で、
ヤミ価格の暴利が
当たり前の世相の中、
今後日本の中心となると見定めた
銀座4丁目で開業した三愛の適正価格に人々は長蛇
の列をなした。
その後、
三愛の建物は三愛ドリームセン
ターに建て替わった。
(写真上:1946年8月の開業当初
の三愛の建物 写真左:1963年1月13日午前0時に
開業した三愛ドリームセンターのオープニングセレモニー)
●1958年
(昭和33年)
58歳
4月 母校の北茂安小学校に講堂を寄贈
●1961年
(昭和36年)
61歳
米マイアミ市に日本庭園イチムラ・パークが完成。
12月 藍綬褒章を受章。受章者を代表して天皇陛下にお礼の言葉を述べる
●1962年
(昭和37年)
62歳
2月 日本経済新聞『私の履歴書』
を連載
3月 日米飲料株式会社
(現コカ・コーラウエスト)
取締役社長に就任。
コカ・コーラの北九州地区における
販売権を獲得
●1963年
(昭和38年)
63歳
1月13日 銀座4丁目角に円筒形ビルの三愛ドリームセンターが完成
3月11日 出身地佐賀県の佐賀市城内公園に体育館寄贈。
この功で紺綬褒章を受章
戦災で施設を焼失した明治神宮の再建として結婚式
場明治記念館を成功させる。三愛石油を設立して羽
田空港のハイドラントシステムを発案する。西銀座デ
パートが開業した後の1962年3月に日米飲料株式会
社
(現コカ・コーラウエスト)
を設立して、九州の雇用開
発や地域活性にも大きく貢献した。(写真は空輸されて
きたコカ・コーラ第一号を飲む市村清)
●1965年
(昭和40年)
65歳
3月 株式会社リコーが無配に転落。1967年9月に復配して世間から称賛される
「人の行く裏に道あり花の山」
を座
右の銘とした市村清は、母校であ
る北茂安小学校への講堂寄贈を
はじめ、佐賀県への体育館寄贈、
米国マイアミ市への日本庭園寄
贈、
さらに市村賞創設による学術・
産業の発展への貢献など大きな
功績を遺した。
(写真はリコー三愛
グループ合同運動会に出席して、
社員に最後の姿をみせた市村清)
●1968年
(昭和43年)
68歳
11月5日 リコー三愛グループ合同運動会へ幸恵夫人と一緒に出席
12月12日 個人財産の大部分を寄贈して財団法人「新技術開発財団」
を設立
12月16日 急性肝萎縮症のため永眠。2日後に従四位勲三等旭日中綬章を贈られる
参考)
三愛会「市村清と三愛精神 」
サイト
リコー三愛グループの「三愛精神」の全文は、
BIZ FUKUOKA Web PRESSに掲載させていただいております。
インターンシップ研修の
一環として、大学生30人
がリコー三愛グループの
創業地の向かいにある
リコージャパン福岡支社
を訪問しました
詳しくは次ページへ
25
BIZ FUKUOKA
創業地向かいの福岡支社オフィスを
お客さま向け体感空間として公開
リコー三愛グループの創始者・市
村 清が 年 前に起 業した創 業 地の
道 向かいに福 岡 支 社のショールーム
とオフィスを構えています。
今回、市村清と弊社の歴史に興
味をもって勉強された学生の方々に
私たちのオフィスを 訪 問いただき、
ありがとうございました。
私は入社後の合同新人研修で市
村 清や三愛 精 神どの社 史を学びま
したが、今回お越しいただきました
学 生の方々の意 欲や前 向きな姿 勢
には大変感心しました。
私 自 身は日 頃 営 業 を 担 当して、
多 彩 な 商 品ラインナップがある中、
お客さまのニーズを最優先に考えて
柔 軟に対 応する社 風だと実 感して
おりま す。また、福 岡 支 社 は、お
客さまに最新のオフィス環境や実践
例を体 感いただく「V i C r e A
福岡」として公開しています。
コスト削減を検討されている担当
者の方、社 員に効 率 的で快 適なオ
フィス環境を提供したい経営者の方
にはぜひお越しいただきたいと思いま
す。弊 社スタッフにお申し付けいた
だくか、弊社サイトからご予約いた
だければ、幸いです。
大学生30人が
リコージャパン
福岡支社を訪問
86
リコージャパン株式会社
九州事業本部福岡支社
福岡第一営業部
福岡中央営業所
国吉真紀子
NEXT GENERATION
ViCreAレポート
リコー三愛グループの
三愛精神を学んだ大学生が
リコージャパン福岡支社を訪問
30
▲リコージャパン福岡支社のショールームは創業地の
道向かいに建つ電気ビル共創館の1階に構える
30
共創館最上階の最新オ
フィスを訪問させていただ
きました。
夏期インターンシップに参集し
た県下 大学生 名の企業研究講
座にて、リコー三愛グループを選
定させていただき、福岡同様に焼
け野原となった銀座の戦後復興に
て、「人 を 愛 し、国 を 愛 し、勤 め
を愛す」とする三愛精神を掲げて、
人心に灯りを燈した市村清氏の企
業哲学と軌跡を福岡の大学生 人
が学びました。
その社会教育事業の総仕上げと
して9月9日に現在のリコー三愛
グループのリコージャパン株式会
社福岡支社を訪問させていただく
機会をいただきました。
当日は、創 業 地の旧 春 吉四十 川
地 区の渡 辺 通りを挟んだ共 創 館の
リ コ ー ジ ャパン 福 岡 支 社 を
「V i C r e A」のプログラムに基
づいて社 内を見 学させていただきま
した。最 新のフリーアドレスのデス
クで働 く 社 員の皆 様と接して日 本
経 済と企 業の歴 史を学ぶ中で、企
業 理 念への理 解から始まる企 業 研
究や就 職 活 動に向けた学 生たちの
意欲が大いに高まりました。
10
「ViCreA」にて福岡支社内を見学させていただいた学生の感想
貴重な体験をありがとうございました
素晴らしい環境の社内を見学させていただきありがとうございました。
僕たち学生に対しても、社員の皆さんから笑顔でご挨拶をしてもらったこ
とが嬉しかったです。
またオフィスで一番景色が良いところが、社員のみな
さんのコミュニティースペースになっているところに、社員を大事にしてき
九州産業大学
経済学部経済学科
3年生 小村康介
た三愛精神に触れた気がしました。
こんなオフィスで働いてみたいと思っ
たので就活を頑張ろうと思いました。
▲リコージャパンは自社オフィスをお客さま向けに公開して、
ショールームでないリアル
なオフィスを体感できる
「ViCreA」
というプログラムを全国42拠点で公開している
BIZ FUKUOKA
夏期インターンシップオフィス訪問実習
大学生の夏期インターンシップ期間、
BIZFUKUOKAでは本誌発刊のきっかけともなった九
州の芽を育み日本の未来を創るSPROUT-Qプロジェクトの一環として、
就活前の大学生の
職業選択の視野を拡げるために、
福博地区のオフィスへ訪問体験実習を行っております。
本年は女性キャリアと新卒採用に関するアンケート調査がテーマでしたが、福博都心オ
フィスの窓口の方にご協力戴き、女性キャリアの皆様や事業所の責任者の方などから800
件のご回答を戴きました。
また訪問した学生に対して、企業の皆様から暖かい励ましの言葉
をたくさん戴き、来年からの就職活動に向けて大きな自信となったようです。福博の事業所
の皆様、
アンケートへのご協力ありがとうございました。
◀オフィス訪問では学生が
二人一組で、天神地区の
企業へアンケート調査にお
伺いしました。訪問先では
「頑張れ」と励ましの言葉
を戴くなど快くご対応いただ
き、社 会に対する視 野を
拡げ、協調性やチームワー
クを学ぶことができました。
◀アンケートの 調 査 内 容
は、学生が集計や入力をし
て結果を取りまとめました。
中でも女性キャリアの皆様
より戴いたコメントは女子学
生にとって大変良い刺激に
なりました。新卒採用に関
しても率直なご意見が伺え、
今後の就活の参考になっ
たようです。
今回のオフィス訪問では、約
800件ものアンケート調査
を実施できました。どうもあ
りがとうございました。
BIZ FUKUOKA
26
様々な分野のメンターたちが、若者に明日を切り拓く力を伝授!
大学生への社会教育プログラムを継続する中で、学生達は仕事の内容より企業規模等を優先する傾向が強まっていることが懸念されていました。
そこで、
やりがいや社会的使命、人生の充実感に重心を置いて、
自らの道を切り拓いてきた様々な分野の8人の社会人メンター様にお越し戴き、
ワークショップや
対話会等を開催して戴きました。皆様の生き方や仕事に対する考え方等に触れることで、
学生の職業観や人生観の新たな啓発に繋がったようです。
九州の暮らし創造研究所
代表 吉田 まりえ氏
未知への挑戦が
自らの成長の糧になる。
インターンシップを自分の
価値観形成のきっかけに。
インターンシップの振り返りと
チームメンバーの褒め合いワーク
ショップを行い、自分の体験から学
びを得る方法をお伝えしました。私
は強 烈に心 惹かれる出 会いがあ
り、後先考えずに行動した結果、ま
ちづくりファシリテーターなど大学
生の時には存在しなかった仕事に
も携わることができました。これか
ら社会の変化はもっと速くなるの
で、未知の事に挑戦し、自分の糧に
して欲しいと思っています。
私はインターンシップに、専門分野
のノウハウや就活に向けたハウツーで
はなく、
出会った様々な人の生き様に
触れ、
自らの価値観形成のきっかけを
掴むことを期待しています。例え価値
観形成に至らなかったとしても、先輩
達の働く姿や大切にしているものに触
れ、何のためにどこに向かっているの
かを考えるきっかけになればと切に
願っています。今年もBIZ FUKUOKA
のインターンシップはその機会に満ち
溢れていました。
九州インターンシップ推進協議会
理事・事務局長 古賀 正博氏
社会が求めるスキルを身につけ
自らの可能性を拡げよう。
今回は電話応対とプレゼンのワー
クショップを行いました。ゲーム要素
を取り入れながら進行し、参加者の
皆さんも楽しみながら、しかし真剣な
眼差しで挑んでくれました。電話も
プレゼンも社会人として不可欠のス
キルです。学生のうちに学び、それ
を活かせる環境を得たことで、参加
者一人一人の可能性が更に拡がった
事と思います。そして、その一端を担
う事が出来、感謝しております。
コレカラプロジェクト
代表 兼元 千枝子氏
パッションリーダーズ参事
㈱ライジングアドバンス
代表取締役 佐治 浩一郎氏
メンターの皆様からのメッセージ
株式会社
セールスアカデミー
大江 麻美子氏
諦めず探し続ければ、
やりたい事はきっと見つかる。
魅力的な人との出会いが、
なりたい自分になる第一歩。
仲間と全力で取り組む経験が
未来を切り拓く力に。
学生さん達の共通の悩みは「や
りたい事が無い」そして「将来の目
標が見つからないから行動出来な
い」事でした。しかしそれでいいの
です。私も当時はこれ!という仕事
には出会えなかった。だから学生
の皆さんには、とにかく探し続けて
欲 し い と 思 い ま す 。今 回 の セ ミ
ナーでは、環境を変える勇気を持
ち、様々な人との出会いの中で、自
分が真にやりたい事を見つける事
の大切さをお伝えしました。
インターンシップで学生の皆さん
は多くの企業に触れ、多くの職業に
魅力を感じた事でしょう。「魅力的な
職業だ!僕のやりたい職業はコレだっ
たかもしれない!」社会人になっても
この感覚はたまに訪れます。しかしそ
れは職業ではなく出会った人物が魅
力的だったのです。今回の講演では、
職業はなりたい自分になるための手
段であること、その為に多くの魅力的
な社会人に出会って戴きたいと、学
生の皆さんにエールを贈りました。
今回のプログラムは、企業訪問
を通じて、普段見えない中小企業
のリアルな仕事場やそこで働く仕
事人に接する絶好の機会だったと
思います。「今日は200件まわりま
す!」と意欲的に取り組む皆さんの
活き活きとした表情が印象的でし
た。今いる場所でどれだけ全力を
出せるか、これは社会人になっても
重要です。仲間と共に全力で取り
組んだ今回の経験は必ず未来を切
り拓く力になったと思います。
リラクゼーションサロン Salon de Felicite
代表 唐原 久美子氏
公益財団法人 北九州産業学術推進機構 (FAIS)
産学連携統括センター課長 豊島 学氏
強い意志を持ち、
人生を積極的に楽しもう。
学生とのふれあいの中で、
自分自身の気持ちも新たに。
私の場 合 、西南学院 大学 卒 業
後、中堅企業の内勤職という無難な
道を選びましたが「本当にやりたい
事、自分にしか出来ない人生を歩み
たい」と考えて全く異なるリラク
ゼーション業界に飛び込み独立。険
しい道のりですが、自分の歴史を
日々創造している実感があります。
学生さんにも迷った時は心がワクワ
クする方を選択して戴きたい。強い
意志を持ち人生を積極的に楽しんで
欲しいとお話しさせて戴きました。
講演とグラノーラレッスンを開
催しましたが、目を輝かせて話を聞
く学生さんたちの姿が印象的でし
た。参加者の皆さんはインターン
に参加する意欲、最後までやり遂
げる意志の強さ、新しいことを吸
収しようとする強い好奇心を併せ
持ち、今後の活躍が非常に楽しみ
な方ばかりでした。私自身の学生
生活を思い出させて戴き、私も初
心に返ってチャレンジしていこうと
気持ちを新たにさせて戴きました。
合同会社 AURORA Pro
代表 川島 悠歌氏
ご協力いただきました8人のメンター様に、誌面を借りて厚く御礼申し上げます 。
27
BIZ FUKUOKA