第 10 回 演劇の国・イギリス 1 イギリス演劇とは イギリス演劇史をたどれ

第 10 回
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演劇の国・イギリス
イギリス演劇とは
イギリス演劇史をたどれば必ず聖書劇へさかのぼることになる。聖書が読めない、わか
りずらいという人のために、演劇として見せることで理解させる、すなわち布教活動を行
うことである。ここには教育的な内容も含まれることになるが、真面目な演劇ということ
になる。かなり簡単にその特徴を示しているものとして、以下の解説がある。
世界大百科事典 第2版の解説
イギリスえんげき【イギリス演劇】
イギリス演劇は,カトリック教会で復活祭やクリスマスに行われた典礼劇に始まる。
これは聖書の事跡をラテン語の簡単な対話に仕立て,僧侶が唱したもので,素朴では
あっても他者を演ずるという行為を含む点でミサとは異なっていた。最古の記録は 10
世紀にさかのぼるが,その後しだいに内容が複雑化し,上演場所も教会内部から教会
の庭へ,次いで町の広場へと移った。用語は英語となり,演者も聖職者から俗人に変
わった。こうして成立したのが奇跡劇である。
(1)
演劇が教会の内から外へ移動したことにより、演者も聖職者から俗人へ変われば、その演
劇の内容も当然のことながら、聖書や宗教的な内容から離れ、道徳劇、そして、娯楽的要
素が入ってくることは明らかなことだ。
シェイクスピアが活躍したエリザベス朝演劇は、価値観の転換期とも言える時代である。
探検家フランシス・ドレークは科学技術を駆使して世界一周を果たしたのもこのエリザベ
ス朝時代である。こうした科学の時代を迎えてようとしている時代だが、魔法、妖精とい
たったケルト文化も根付いており、新旧の価値観がアンバレントに成立していた時代でも
ある。ここでは、イギリス演劇、世界演劇の代表とも言えるシェイクスピアを取り上げる。
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シェイクスピア生誕 450 年
1564 年 4 月 26 日(洗礼日)- 1616 年 4 月 23 日(グレゴリオ暦 5 月 3 日)。
洗礼は通常生まれてから3日程度に行われることから、生誕日と亡くなった日
を4月 23 日とすることが多い。4月 23 日はカタルーニャ地方に起源と持つ
「サン・ジョルディの日」
、日本では「子ども読書の日」としても知られている。イギリ
スを代表するだけでなく、世界中に知られている劇作家。詩人。
1964 年
シェイクスピア生誕 400 年
2014 年
シェイクスピア生誕 450 年
2015 年
シェイクスピア全訳者、坪内逍遙の没後 80 周年
2016 年
シェイクスピア没後 400 年
東京オリンピックの年
幻の東京オリンピックの年
悲劇
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『ハムレット』
『オセロ―』
『リア王』『マクベス』
『タイタス・アンドロ二カス』
『ロミオとジュリエット』『ジュリアス・シーザー』
『アントニーとクレオパトラ』
『コリオレイナス』
喜劇
『ヴェローナの二紳士』
『恋の骨折り損』『じゃじゃ馬馴らし』『間違いの喜劇』
『夏の夜の夢』
『ヴェニスの商人』
『ウィンザーの陽気な女房たち』『から騒ぎ』
『お気に召すまま』
『十二夜』
歴史劇
『ジョン王』
『エドワード三世』『リチャード二世』
『ヘンリー四世・第一部』
『ヘンリー四世・第二部』
『ヘンリー五世』『ヘンリー六世・第一部』
『ヘンリー六世・第二部』
『ヘンリー六世・第三部』
『リチャード三世』『ヘンリー八世』
『サー・トーマス・モア』
問題劇
『トロイラスとクレシダ』
『終わりよければすべてよし』『尺には尺を』
『アテネのタイモン』
ロマンス劇
『ペリクリーズ』
『シンべリン』
『冬物語』『テンペスト』
『二人の貴公子』
詩
『ヴィナースとアドーニス』
「ルークリースの凌辱」
『情熱の巡礼者』
「不死鳥と雉鳩」
「恋人の嘆き」
『ソネット集』
(154 のソネット)
従来
37の戯曲と154のソネット
最新
40の戯曲と154のソネット
悲劇、喜劇、歴史劇、問題劇といったジャンル分けは後世の人が行ったもので、シェイク
スピア自身が行ったものではありません。
○シェイクスピア作品のテーマ
“Appearance and Reality”
「外見と実体」
○シェイクスピア戯曲にはすべて原典となる作品が存在する。従って、シェイクスピアの
オリジナリティはアレンジの仕方にあります。具体的には登場人物の性格を明確化した
ことにより、舞台上での演技に大きな影響を与えたことになります。さらに演出家の解
釈により、同じセリフであっても、意図をどうとらえるかによって、または、立ち位置
や誰に対するセリフなのかによっても解釈は大きくことなります。これがト書きのほと
んどないシェイクスピア戯曲のファジーな面であり、また、イマジネーションにより様々
な解釈を可能としています。
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シェイクスピアの特徴
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シェイクスピア戯曲にはオリジナルの作品、原典になる作品や記録等があることはよく
知られている。歴史劇などは日本流に言えば、大河ドラマということになる。では、シェ
イクスピアの作品がなぜ、400 年以上の時代を越え、さらにはヨーロッパをという空間を越
え、さらには非英語圏の日本でも上演し続けられているのか。日本だけではなく、世界中
で上演され続けいているのか。
その理由はいくつかあろうが、以下がひとつのポイントになるのではないかと思える。
① 登場人物がまるで実世界の人間のようにはっきりとした性格を持っている。
シェイクスピア劇はギリシャ劇と比較して性格劇と言われることがある。特に、悲劇
の場合には、人間の力の及ばない運命悲劇、人間の性格が中心に巻き起こされる性格悲
劇がある。ストーリーを中心にした展開というよりは、登場人物の判断、性格によりス
トーリーが展開するため、登場人物が魅力的である。
② テーマが普遍的である。
時代や文化を越えてもなお、シェイクスピア劇が上演される大きな理由にいついかなる
時代や場所であってもテーマが普遍であるからこそ、上演可能であるという大きな魅力が
ある。
③ あいまいな部分が残されている。
近代劇のようにすべてト書きで指示されているのとは異なり、シェイクスピア劇のシナ
リオはト書きに相当する部分は最低限しか書かれていない。そのため、シェイクスピア劇
を上演する場合には書かれていない部分をどうやって舞台上で表現するのかといったこと
がひとつの魅力にもなり、俳優や演出家の力量が試されるところとなる。
④ 知名度が高い。
演劇も上演とするとなれば、それなりの費用は掛かる。演劇というひとつのエンターテ
イメントとして成立させるためには、客を呼べるということは大きな魅力であり、
「シェイ
クスピア」という名前がすでにブランド化している。
特に「②
テーマが普遍的である」はかなり大きな割合を占めている。シェイクスピア
作品の大きなテーマは「外見と実体(Appearance and Reality)」である。ここには価値観、
人生観、恋愛観などが含まれており、時代の変遷と共にその解釈が変動することがある。
ここにシェイクスピアの普遍性がある。
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日本とシェイクスピア
○日本へのシェイクスピア紹介状況(周辺事項、中国の状況も一部紹介)
鎖国(限定貿易)中とは言え、江戸時代にはすでにシェイクスピは名前だけは紹介され
ていた。
文化
[1808]
5年
フェートン号事件
*日本の英語学習、英語教育に大きな影響を与えた。国際語としての英語
に注目させられた最大の事件。
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文化 11 年
[1814]
天保 10 年
[1839]
本木正栄『諳厄利亜語林大成』
*日本で最初の英和辞典。
林則徐『四洲志』
(中国)
*「沙士比阿」として紹介される。中国におけるシェイクスピア言及の最
も早いものと言われている。
*『四洲志』12 帙、32 のところには「有沙士比阿彌爾頓士達薩特彌頓
四人工詩文富著述」との記述がある。
天保 11 年
阿片戦争(~天保 13 年)
[1840]
天保 12 年
[1841]
マリ/澁川敬直(六蔵)訳『英文鑑』
*日本で初めてシェイクスピアが紹介されたものとされている。
*底本はマリ(Lindley Murray, 1745-1826) の Grammar of the
English Language(第 26 版)のオランダ語訳 Engelsche Spraakkunst
(1822)。この時の表記は Shakespear「シャーケスピール」
(下編一第一
章第八節)である。天保 11 年(1840)よりの出版で、下編巻之一は天保
12 年(1841)に出版。該当箇所は以下の通りとなる。
De vindingrijke 五 geest 六 van Shakespear, de verhevence
七 gedachten 八 van Milton; de kracht 九 en harmonie 十 van
Pope; de keurighied 十一 van Addison, en de treffende
十二 eenvoudigheid 十三 van Sterne.
天保 13 年
[1842]
魏源『海国図志』
(50 巻本)完成(中国)
*「沙士比阿」として紹介される。
(「英吉利國總記」のうち)
*「有沙士比阿彌爾頓士達薩特彌頓四人工詩文富著述」
嘉永 元年
[1848]
嘉永 3年
ラナルド・マクドナルド来日
*ネイティヴスピーカーとして最初の英語教師
中浜(ジョン)万次郎、帰国。
[1850]
嘉永 6年
ペリー来航
[1853]
陳逢衡/荒木謇訓訳『口英咭唎紀略』和泉屋善兵衛
7丁
「沙士比阿」として紹介される。
*「善作詩文者四人曰沙士比阿曰米爾頓曰士邉薩曰待來頓」
安政3年
魏源/鹽谷甲藏・箕作阮甫校『海国図志』(英吉利國部)江都書林
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[1856]
巻 33 7丁 「沙士比阿」(サッケスパーレ)として紹介される
*「有沙士比阿彌爾頓士達薩特彌頓四人工詩文富著述」
安政 3年
[1856]
魏源/塩谷宕陰・箕作阮甫校『海国図志』江都書林
須原屋伊八
巻 33 7丁
*「沙士比阿」
(サッケスパーレ)として紹介される。
*「有沙士比阿彌爾頓士達薩特彌頓四人工詩文富著述」
文久 元年
[1861]
慕維廉訳『英国志』温知社
巻5 50 丁
表紙には長門温知社、奥付には頒行書林
和泉屋金右衛門
*「舌克斯畢」として紹介される。
*「以利沙伯時所著詩文、美善具儘、儒林中如錫的尼、斯本色、拉勒、
舌克斯畢、倍根、呼格等」
慶應 2 年 2 月
[1866]
「シアーのシェイクスピア朗読」の告知(2 月 19 日)
AT THE SILK SALON
No.72
BY the kind of permission of ELLIS ELIAS, ESQ
Monday Feb 19 th, 1866.
Under the Patronage of Sir Hary Parkes, K.C.B. and Lady Parkes
PROGRMME
Mr. Seare’s Lectural Entertainment,
To commence of Nine p.m. Precisely.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
INTRODUCTION
1―Hamlet’s Instructions to the Players・・・SHAKESPEARE
2―Selection from“Mid Night’s Dream”(Characters-Bottom, Quince,
Flute, Starveling, Snout)
出版年不明
陳逢衡/無悶子述『英吉利新志』
(出版年・出版地不明)
巻之一 五丁「沙士比阿」
・佐久間象山も日記に『海国図志』を読んだことに言及しているから、西洋の知識を求め
た幕末志士が、文章として「沙士比阿」、あるいは「舌克斯畢」に触れていたとすれば興
味深いところです。
『海国図志』は世界地理書の分類になりますが、中国(当時は清)で
も日本でも、西洋の兵器が書かれている部分が最も読まれていたようです。中国でアヘ
ン戦争がおこると、日本でもその危機感は中国以上に高まりました。日本は開国以前に
すでに漢籍書により西洋理解を深めたことは『読解力』が日本への西洋進出の阻止した
ことになります。
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注
(1) 「 https://kotobank.jp/word/%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9
%E6%BC%94%E5%8A%87-30126」(2015 年 3 月 6 日アクセス)
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