~ 一日 作 さざれば、一日食らわず ~

2015 年 9 月 15 日 B 班 Vol.44
経営禅研究会 飯塚 如風
い ち じ つ
な
~ 一日作さざれば、一日食らわず ~
ど く ざ だいゆうほう
ひゃくじょう え かい
「独坐大雄峰」の公案で有名な、 百 丈 懐海禅師の語として伝えられ、禅修行の活訓と
されています。
さ
む
百丈は八十歳になっても、日日作務(禅家の肉体労働)を続けていました。弟子たちは
師のからだを案じて、作務を止めて静養するよう申しましたが、聞き入れませんでした。
すき
くわ
それで、弟子たちは鋤や鍬を隠して、百丈が畑仕事ができないようにしました。そのため、
百丈は作務を休止しましたが、三日も坐したままで、食事をとりませんでした。その理由
を尋ねますと、百丈は、
「一日作さざれば、一日食らわず」
と一言答えました。それで、弟子たちは、その非を謝して道具を出しますと、早速作務に
出られ、初めて食をとられたということです。
しんぎ
百丈は、有名な『百丈清規』(禅門僧侶の規則)を制定しましたが、この清規の特色は、作務(労
働)を重視しているところにあります。この頃から、修行者に労働が義務づけられて、禅の修行と作
務が切り離すことができない関係になっていきました。
禅僧というと、ただ坐禅ばかりして、悟りの境地を目指すと思われていますが、そうではありませ
ん。托鉢はもとより、掃除、炊事、洗濯、田畑の手入れ、来客の接待など一日中じつによく働きます。
坐禅は、仕事の合間に行われます。働くことは、坐禅することと同等に、修行には不可欠であるとさ
れています。
かんぎん
禅門においては、一作務、二坐禅、三看 経(経文を読む)といわれているように、特に作務が重視
ぶ っ さ ぶつぎょう
されております。作務そのものが、禅であり修行であって、仏作 仏 行 なのです。その作務の精神を
忘れた単なる労働は、禅ではないのです。
「一日作さざれば、一日食らわず」を、世間では「働かざるものは食うべからず」の意味に解して
いるようですが、百丈の言とは異質のものといえます。百丈のことばは、仏作仏行ができないために、
食べられないのであって、「食うべからず」という強制的・命令的なものではないのです。
どう
禅では、作務(労働)と坐禅瞑想の動静両面の工夫を大切にしています。王陽明も禅と同じく「動
ちゅうせい
せいちゅうどう
中 静 、 静 中 動 」の工夫を説いています。
【 禅 と 経 営 】
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