1 深まりつつある欧米とイスラムの「衝突」構造 フランスのムスリムたちと

深まりつつある欧米とイスラムの「衝突」構造
フランスのムスリムたちと銃撃事件
フランスの風刺漫画を掲載する週刊紙を発行するチャルリー・エブド社が襲撃され、12
人が犠牲になった。
フランスの人口→6,600万人、そのうちイスラムの宗教的背景をもつ人々は500万
人ほどで、日々の宗教活動を熱心に行うのは3分の1ほどで、世俗化している。フランス
のムスリム移民たちは第二次世界大戦後、労働力としてやって来て、教育的背景もあまり
もっていなかった。その第二、第三世代は宗教から次第に遠ざかっていった。
※過激派がメンバーとしてリクルートしたいのは世俗的ななったムスリムたちの社会的・
経済的疎外感を、そのイデオロギーで宗教的に目覚めさせ、
「戦士」に仕立て上げることだ。
社会を震撼させ、混乱を起こさせることはそのイデオロギーを植えつけるのに都合がよい。
容疑者たち→フランスで国民戦線などムスリム移民の排斥を唱える極右政党が台頭してい
るというムスリムの不安を開拓したかったのかもしれない。しかし、彼らの行動はヨーロ
ッパ社会にムスリムやイスラムへのさらなる偏見に導いた可能性もある。
容疑者たちの狙い→社会をムスリムと、反ムスリムに明確に分断することは、イラクで「イ
スラム国」が用いた手法と似ている。「イスラム国」はスンニ派のシーア派に対する敵対感
情を煽ることで勢力を伸長させ、イラクの混迷をもたらしている。「イスラム国」は全体主
義的な統治を行うが、全体主義は敵をつくることでもその成長を図ってきたが、犯行に及
んだグループはヨーロッパ世界におけるムスリムの「敵」を強調したかったのかもしれな
い。
※イスラム研究の最高権威であるカイロのアル・アズハル大学やアラブ連盟は今回の事件
について非難声明を出した。フランス社会が鋭角的に今回の事件に対応し、ムスリムへの
差別や偏見が助長されるようだと類似の事件が繰り返し発生する危険性がある。
アルジェリア系の兄弟たち
シャリーフとサイードのクワーシー兄弟=パリで生まれたアルジェリア系フランス人で、
サイードは1980年生まれ、また弟のシェリーフは1982年生まれだ。兄弟は貧しい
失業者たちで、時折ピザの宅配などのアルバイトをしていた。10代の時には窃盗などの
犯罪を繰り返していた。
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⇒2003年初期、パリ・19区にある「アル・ダワ・モスク」に通うようになった。
モスクに通う以前、シャリーフは「非行少年」だったと弁護士に語っている。しかし、モ
スクに通うようになってからタバコも、「突っ張ること」もやめた。
←そのモスクで急進的な思想を説くファーリド・ベンイェットゥーという説教師と交流を
もつことになる。シャリーフは、イラク戦争とアブグレイブ刑務所での拷問の事実によっ
て自分の人生が変わったと語っている。
シャリーフ→その当時すでにイラクで戦うためにカラシニコフの扱いを密かに訓練してい
た。シャリーフ自身もイラクに赴き、日本人の香田証生氏を斬首するなど残忍なことで知
られたアブー・ムーサブ・ザルカウィ「メソポタミア(イラク)のアルカイダ」に加わる
つもりだったが、結局、2005年に彼と仲間たちが当局摘発されたことによって不可能
になった。
※2008年にシャリーフなど4人の「パリ19区ネットワーク」と当局から呼称される
グループは2003年から05年までイラクに戦闘員を送ろうとしていた罪状で3年の懲
役の判決を受けた。アルカイダは、サダム・フセイン政権時代のイラクには存在していな
かったが、イラクの「アルカイダ」をつくり出したのは米国ブッシュ政権によるイラク戦
争だった。
シャリーフ→3年間の懲役の判決を受けたシャリーフだったが、実際に服役したのは18
カ月だった。2010年に、クワーシー兄弟は1995年のパリ・サンミシェルの地下鉄
爆破事件の実行犯の脱獄を計画したり、2011年にはシリアの反アサドの武装勢力に加
わったりしたという説もある。ザルカウィとの過去の経緯を考えれば「イスラム国」との
関連も推測できるし、弟のシャリーフは、イエメンで「アラビア半島のアルカイダ」の活
動にも加わったという報道もある。
※いずれにせよ、アッバース朝(750~1258年)の首都で、イスラム世界の繁栄や
栄光の象徴であったイラクのバグダード(バグダッド)を、正当な根拠のない戦争で8年
にわたり占領し、イラクの混迷をもたらしたことが、イスラム世界の誇りを傷つけ、一部
の人々を急進化させたことは間違いない。
ヨーロッパの「不寛容」への懸念
パリ東部のユダヤ教の食品(コーシャ)店に立てこもったアメディ・クリバリー容疑者
もクワーシー兄弟と連携していた。
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「クリバリー」→バンバラ族の名前で、バンバラ族は、マリ共和国西部に居住するマン
デ系民族で、「アメディ」はクリスチャンの名前だから、イスラムに改宗した人物だ。
シャリーフ・クワーシー→「アラビア半島のアルカイダ(AQAP)」のメンバーで、イエ
メンにいて、2011年にCIAの無人機攻撃によって殺害されたアンワル・アル・アウ
ラキーから資金を受け取っていたと語っている。AQAPは、イエメンのアブヤン県での
支配を目指していたが、イエメンのマンスール・ハーディー政権が2012年5月から6
月にかけてAQAPに対する掃討作戦を行うと、およそ400人の外国人民兵たちがイエ
メンから脱出した。クワーシー兄弟もその中にいたと見られ、その後シリアに立ち寄り、
フランスに帰国した。
シャルリー・エブド社襲撃と、容疑者たちの2件の立てこもり事件→フランス社会のイス
ラムに対する見方を硬化させたかもしれない。昨年5月に行われた欧州議会選挙では、フ
ランスに割り当てられた76議席のうち、マリーヌ・ル・ペン党首率いる極右の国民戦線
が24議席と最多の議席数を獲得している。国民戦線は、移民の制限を唱え、犯罪を起こ
した移民は、フランス国籍をもつ者、2世、3世でも出身国への強制送還、フランス国内
でのモスク建設の停止、移民に対する「寛容ゼロ」などを唱えている。
※国民戦線は、ムスリム移民が善良なフランス市民から職を奪い、犯罪の著しい増加をも
たらしていると訴え、移民に反対し、フランス文明の擁護者であることを自任する。国民
戦線が台頭する背景にはフランスの政権を担ってきた政党がフランスの抱える失業など深
刻な社会・経済問題に有効に対処できてこなかったことがあり、フランス国内のムスリム
たちはその「スケープゴート」になっている。
ル・ペン党首は、
「イスラム原理主義」と移民が、今回の一連の事件の背景にあると語った。
昨年の欧州議会選挙直前に行われた世論調査では、半数を超える人々が、イスラムが西洋
文明にとって重大な脅威であると回答し、「平等」というフランスの価値観が度を超えたと
考えた。2017年の大統領選挙の世論調査でもル・ペン党首が大統領にもっともふさわ
しい人物という世論調査結果が出た。
http://www.theguardian.com/news/datablog/2014/sep/08/le-pen-tops-presidential-poll-fo
r-first-time-ever
2010年8月に当時の国民戦線のジャン=マリー・ル・ペン党首(マリーヌ・ル・ペン
の父親)が来日し、東京の会議では移民問題、気候変動、イスラム教の危険性について議
論が行われ、国内のイスラム化に危機感を持つル・ペン党首らは、日本は移民受け入れ増
加と外国人の地方選挙参政権を拒絶すべきとも主張した。ヨーロッパで台頭する極右の動
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きはわれわれ日本社会が抱える問題とも無関係でない。
パリの大行進が示すもの
2015年11日、フランス全土で1944年のパリ解放以来最高ともいわれる370万
人が参加する「反テロ」のデモが行われた。
←デモにはイギリス、ドイツ、ロシア、ヨルダン、トルコ、イスラエル、パレスチナなど
各国や地域の首脳や政府関係者たちも参加した。
各国首脳が参加する中で「シャルリー・エブド」社の社員たち⇒かつて掲載したこれらの
国の首脳の風刺画をもって参加することはなかった←パリでの事件を受けて欧米では「表
現の自由」が強調されるようになったが、政府指導者が行進に参加したロシアやヨルダン、
トルコなどでは大統領や国王を風刺することは許されないだろう。「シャルリー・エブド」
によって風刺されてきたフランス極右政党「国民戦線」のル・ペン党首もパリの行進に参
加することはなかった。
ロシアのプーチン大統領はパリのテロを批判した⇒国民を暴力で弾圧するシリアのアサ
ド政権に武器、弾薬、資金などを与えて支援を行ってきたし、またロシア連邦内のチェチ
ェン紛争では市民10万人以上が犠牲になった。
イスラエルのネタニヤフ首相も「大行進」に参加。2008年から09年のガザ攻撃では
900人余りの市民が、また2012年11月には100人余り、さらに昨年夏の攻撃で
は1500人余りの市民が犠牲になった。ネタニヤフ首相は、12月、パレスチナ国家を
承認しようとするヨーロッパ諸国の潮流をとらえて「ヨーロッパはホロコーストから何も
学んでいない」と語っている。
ネタニヤフ首相の参加⇒フランス下院がパレスチナ国家承認を政府に求めるなどフラン
スのイスラエル離れに歯止めをかけ、イスラエルに対する「イスラムの脅威」を強調した
かったためだ。イスラエルではヨーロッパで影響力があるフランスのパレスチナへの傾斜
を危惧する声が高まっていた。←イスラエルがテロの脅威から自らを解放したいのであれ
ば、ヨーロッパ諸国の歓心を買うことよりも、中東和平を推進したほうがはるかにプラス
になる。
※パリでの事件は、もちろん自らの国家をもとうとするパレスチナの多くの人々とは関係
のない。ヨーロッパには国際法を尊重し、イスラエルの占領を批判する理性が存在すると
思うし、ムスリムを危険視するヨーロッパの右翼の主張は、パレスチナ和平の進展に負の
影響を及ぼすことがあってはならないと思う。
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