「稲むらの火」再考(PDFファイル)

「稲むらの火」再考
2015vol.
263
戦前の国定教科書(小学国語読本)に掲載された「稲むらの
火」の話は、現在、優れた防災用教材として知られており、私
も以前の防災言(231号)で、防災に関する感性教育に最適と
言及した。この国定教科書は昭和12年から21年までの間、全
国で使用された。この話は戦後の教育改革の中で国語の教科書
の中から消えたと言われている。しかし、昭和20年代後半か
ら30年代前半に小学校教育を受けた私は、この話を高学年の
国語で習った記憶がある。60年近く前のことであるが、感性
教育の効果抜群で今でもその内容を鮮明に記憶している。戦後
の教科書にこの話は本当に載っていたのか?
昨秋、東京北区の「東書文庫」を訪れ、わずかな手掛かりを
頼りに教科書を探した。その結果、該当する教科書は、昭和
26年文部省検定済みの学校図書(株)発行の五年生の国語下
であることがわかり、その単元二「人々のために」に掲載され
防災言
ていた。この単元には、
「稲むらの火」の他に、
「村をささえる
橋」
(布田保之助の熊本通潤橋の事績)
、
「歯車」
(東北大学成瀬
政男博士の事績)が掲載されている。しかし、私には「稲むら
の火」の記憶はあるが、他の2編の記憶は全くと言ってよい程
ない。この違いはどこから来たものであろうか?人の役に立つ
というだけでなく、農民の重要な生産物である「米」を犠牲に
して人命を救ったことが、深い共感を呼んだものと思われる。
このように、戦前の国定教科書の教材のうちのいくつかは
戦後の教科書にも使われており、上記教科書も昭和35年度ま
で使用されていた。しかし、国定教科書からの借用教材は昭
和30年代で消えてゆく。この話が教科書から消えて20数年、
1983年日本海中部地震の際に多くの小学生が津波の犠牲に
なったことを契機に復活論が沸き起こった。さらにそれから30
年弱、東日本大震災ではまたしても、多くの小学生が津波の犠
牲となった。歴史的な教訓を引き継ぐ難しさを改めて感じる。
現在、これまで関連する教科の中に分散していた防災関連事
項を一つにまとめた、教科としての「防災」の新設が文部科学
省の中央教育審議会で検討されているとのこと。歴史的な教訓
を、時代を超えて伝えていくためにも、教科化を是非実現して
ほしいものである。
ふじたに
と く の す け
藤谷 徳之助
一般財団法人日本気象協会 顧問/
本誌編集委員
予防時報
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