新・参考業務月報 ICHIKAWA LIBRARY 発行:市川市中央図書館 INF REF 編集:レファレンスカウンター こ ど も 電 話 メール 中 央 計 〒272-0015 行徳 BM 市川市鬼高1-1-4 南行 信篤 平田 2015 年 9 月号 ℡.047-320-3333 駅南 全館計 9月 1,149 779 879 26 2 2,835 1,390 25 314 213 146 1,042 5,973 累 計 7,611 5,205 5,704 162 8 18,690 9,307 182 1,692 1,706 1,016 6,724 39,317 INF:インフォメーション・ カウンタ REF:レファレンス・カウンタ BM:自 動 車 図 書 館 今月のレファレンス記録票から 分類 I/C8 質 問 と 内 容 行徳の彫刻家である後藤直光の系譜が知りたい。 『市川の思い出』(市川毎日新聞社 1959)p.110-113 に七代目後藤直光著の「行徳と神 輿」が掲載されており、「行徳には数百年も前から、彫刻師で有名な左甚五郎の流れをつ いだ私のところと、仏師として名高い運慶の流れをくんだ浅子神輿店と二つの店がありま した」という記述がある。また、 『房総のふるさと』(多田屋 1972)p.19「みこし作り八 代目の意気地」は八代目直光氏へのインタビューとなっており、 「初代は江戸初期の名人、 左甚五郎の流れをくむ、茂助という堂営彫刻師であった」ことが判明した。 国立国会図書館デジタルコレクションより『江戸幕府配下ならびに関東の彫物大工に関 する研究』(伊東龍一/著 1991)p.70-72「第2節 『彫工左氏後藤氏世系図』にみられ る関東の彫物大工」で、後藤家の系図を確認することができる。この系図は東京国立博物 館所蔵の『彫工左氏後藤氏世系図』に著者が訂正・整理を加えたものであるが、「茂助」、 「直光」の記載は認められなかった。 →TOPICS I/X3 中山法華経寺五重塔を寄進した前田利光の役職を知りたい。 『日本人名事典 第5巻』 (平凡社 1990)でマエダトシ~から調べていくと、 「前田利 常」の項に、 「金澤三代の藩主。 (中略)初めの名は利光、のちに利常に改む」との記載が ある。また、 『世界大百科事典 26』 (平凡社 2005)によると「加賀藩3代藩主。前田利 家の四男。1601 年(慶長6)兄の2代利長の嗣子となり、利光と称し」とある。 中山法華経寺関連の資料からあたると、 『中山法華経寺誌』 (同朋舎 1981)p.299 に「加 賀二代藩主前田利光公の寄進により建立された」との記述があるが、 「三代」の誤植と思 われる。 C10/T3 房州砂あるいは房州白土について知りたい 『大辞泉』 (小学館 1995)の「房州砂」の項にあたると、 「千葉県館山市北条付近から 産出する磨き砂。器具の研磨に用い、塗料材にもする」とある。 また、『岬町史』 (岬町 1983)p.22「白土」の項を見ると、 「第三紀と第四紀の接触部 の地層中に多く、砂岩、頁岩、泥岩層にはさまれて存在している灰白色粘土質の凝灰岩を 言う」とある。p.637-642「第9節 その他の産業」の「三門白土」の項によると、 「大野 丈助(房総鉄道会社社長)がたまたま三門の山道を歩いていたところ、山中に白土がある のをみつけた。 (中略)明治三十八年三月、房総鉄道株式会社は鉄道業のほかに付帯事業 として、三門白土の採掘および販売の認可をとり、営業を始めた」という経緯が記されて いる。未乾燥物の原土は窯業関係へ、生粉は精米・精麦用、乾燥物はクレンザーや工業用 として販売されていたという。 その他『千葉県の産業・交通遺跡』 (千葉県教育委員会 1998)p.54「11.白土採掘坑跡」 等に詳しい。 他にもこんな質問ありました(クイック・レファレンスから) 分類 質問 193 612 720.8 750 913.6 回答、補足事項、薀蓄など 小学生向けの聖書の本はないか。『子どもに語る聖書』(こぐま社 1998)、『小学生の聖書』 (中央出版社 1977)、 『絵でみるこどもとおとなのはじめての聖書』 (至光社 1989) 農地や里山を対象とした世界遺産を知りたい。『世界農業遺産 注目される日本の里地里山』 (祥伝社 2013) 朝鮮通信使の絵巻を見たい。『朝鮮通信使 近世 200 年の日韓文化交流』(国際交流基金 1985)絵巻の他に屏風絵など、75 点の図版を収録。『朝鮮通信使 善隣と友好のみのり』(明石 書店 1995)p.213-232 等。 江戸時代の鳥かごについて書かれた本が見たい。『鳥かご・虫かご 風流と美のかたち』 (INAX 出版 1996) 井伏鱒二著『山椒魚』の結末が、刊行後数年経って変更されたと聞いた。読み比べたい。『井 伏鱒二』(小学館 1990)p.194-206「作品推敲のあと」に、初出からの改稿の経緯が詳細に記 されており、全文を比較することが出来る。 TOPICS 行徳の神輿 行徳地区では古くから神輿つくりが盛んに行なわれ、「神輿のまち」として全国的にも知られて います。中でも「浅子」、「後藤」、「中台」の三軒は、戦後、神輿つくりが下火になっていく中、 現代まで伝統の技を伝えてきた老舗の神輿店です。 ・浅子神輿店 室町末期応仁年間の創業。雅号「浅子周慶」を襲名。2007 年、第 16 代の逝去に伴い、500 年余 りの歴史に幕を下ろしました。旧店舗は 2010 年、「旧浅子神輿店店舗兼主屋」として国の有形 登録文化財に登録されています。 ・後藤神仏具店 創業は江戸末期。社寺の飾り彫刻を行なう堂営彫刻師の初代が始め、後に神輿 つくりを手がけるようになりました。雅号「後藤直光」を代々襲名していま したが、残念ながら現在では閉店しています。 ・中台神輿製作所 中台富三郎が嘉永元年に創業して以来、雅号「中台祐信」を襲名。材料の 選定から組み立て、販売までを一貫して行ない、現在も行徳で営業を 続けている唯一の神輿店です。 参考: 『浅子神輿 十六代神輿師浅子神輿』(浅子神輿店) 、『中台の神輿 伝統を受け継ぐ神輿づくり』 (中台神輿製作所) 、『市川市教育委員会ホームページ 国登録有形文化財』 (http://www.city.ichikawa.lg.jp/edu09/1111000024.html)
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