民俗は時代とともに移り変わるよう ひ なみ き 私は民俗学に疎いので深入りは避ける じ だ。黒川道祐の『日次紀事』を読んで一 が、この『日次紀事』に記す正月の行事 層その感を強めた。この書は、朝野・公 のうち、興味を引くのは「牛玉加持」で 私の年中行事を詳しく解説したもので、 ある。牛玉加持とは諸寺社が出す厄難よ とりわけ「民間の俗儀」にも及び、江戸 けの護符(お札)である「牛玉宝印」の 前期の京都の民俗を知るには貴重な史料 祈祷に係る密教系の修法を言い、牛玉宝 だ。移り変わりの例を挙げると、お盆の 印のお札は戸口に貼り、あるいは棒の先 月には「諸寺院、門前の樹頭、或いは別 に挟んで境界に立て、除災・降魔の呪具 ご おう か じ ふだ に柱を建て、似て高 読 史 余 語 牛玉杖を以て 門扉・床壁を敲く に使われる。 く灯籠を懸く。毎夜 とも 牛玉加持は、江戸前期の京都では松尾 あげ お た ぎ 灯火を点す。是を上 社・鞍馬寺・仁和寺(元日条) 、愛宕寺 灯籠と称す」とある (二日条) 、栂尾寺(七日条) 、祇園社・ が、いつしか廃れた 貴布祢社(八日条) 、北野社・大将軍社 らしく、現在ではど (十四日条) 、上賀茂社(十五日条)など この寺も「上灯籠」を行っていない。大 で行われていた。もっとも「凡そ諸神社 中井 真孝 とがのお き ぶ ね う づえ おのおのし ゅしょう え な ら 晦日の夜、祇園社では「卯杖」と称する 并びに大小の寺院、各修正会并びに牛玉 削り掛けの木を燃やし、その煙りの方向 加持の法あり。或いは三箇日、五箇日、 で丹波・近江の豊凶を占い、参詣の諸人 及び七箇日に至る」とあるから(元日条) 、 あつもの がその火を携え帰って元日の羮を煮た。 東寺など他の有力寺社でも修正会と並ん この火はいわゆる「オケラ火」のことと で牛玉加持を修し、牛玉宝印を頒布して お けら 思うが、白朮は節分の日に五条天神社へ 詣り、それを買うて自家で焼くのが「神 代の遺風」として有名であった。 いたに違いない。 正月二日の夜、洛東の愛宕寺(念仏寺) では、門前の住人が客殿に集まり、南北 へ ぎ こうした事例は、必ずしも民俗の移り 二列に座して宴飲し、上座の者から倍木 変わりとは見なしがたいかも知れない。 を持って立ち舞う。これを「天狗酒盛」 の 栞 てん ぐ と称するが、天狗はもと「転供」で、舞 壁を敲いたのか。音をたてることで悪 うさまが粗豪なところから訛ったのだ。 鬼・邪霊を驚かして退散せしめたとも思 宴が終わると本堂に昇って、牛玉杖(先 えるが、それなら法螺を吹き太鼓を打ち、 を割って牛玉のお札を挟んだ杖)で大い 爆竹を鳴らせばよかろう。石清水八幡宮 たた ほ ら に門扉や床壁を敲き、また法螺を吹き太 でも疫病よけの「蘇民将来の木符」を売 鼓を打ち、その間に寺僧が牛玉札を貼っ っており、 「参詣人携へ帰り、小児の衣 はら たた た。これには「悪鬼を禳ふ」謂われがあ 領を撃く」とある(十八日条) 。木符で る、という。天狗の酒盛とは豪壮な宴会 衣服を叩くこと、牛玉杖で敲くこと、こ P R O F I L E だが、転供(手渡しで仏に供養するの意) の両者は民俗として共通性が考えられ なかい しんこう 学問的関心は、 日本古代の仏 教史と浄土宗 史にあって、 前者では法制 史からの立場 を、後者では 古記録や古文書を重視する。著 書・論文等は人並み。文献史料 から歴史の原像をいかにイメー ジするかに心がけている。 おし き は、舞いながら次の人に折敷(へぎ)を る。すなわち、呪具でタタクそしてハラ 受け渡すさまを言ったものと考えられ ウ、という行為に民俗の原義が存した。 る。ここで注目したいのは「牛玉杖を以 悪鬼・邪霊(災いをもたらす主体)や疫 て大いに門扉、或いは床壁を敲く」の箇 気(疫病の原体)は空中に充満し、やが 所だ。 て建物や衣料に付着する−可視的には 諸寺の修正会と源流を同じくする み し ホコリ・チリのようなもの、それを年頭 ほ はら 「御修法」 (宮中の真言院で行われる護国 にたたき・はらう。神祗信仰の〈祓い〉 かべしろ の祈祷)でも、衆僧が壁代(間仕切り用 という古代人の素朴な思想が生きている とばり の帳)の外に坐して「牛玉杖を以て床を 敲」いていた(八日条) 。さらに十五日 のだ。 ところで、拙宅北隣のマンションの く そう の夜、上賀茂社の供僧が法光寺の薬師堂 階上では、晴れた日の午後になると、 に集まり、牛玉加持を修したが、大いに 布団を叩く音がする。階上に住む女性 門戸・板壁を敲き、土地の人はこれを が牛玉杖に似た「叩き棒」で布団のホ 「堂敲き」と称した。祇園社でも十四日、 コリを叩き出しているのだ。布団につ 深更に及ぶまで神殿を敲いている。 それではなぜ牛玉杖をもって門扉や床 いた悪鬼? は風に流され拙宅に降りか かる。ああ……。 ※『佛大通信 vol.400』 (平成11年1月号)より転載。
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