( 137 ) 肥料科学,第36号,136∼138(2014) カール・ボッシュ博物館の見学 渡邊 慶昭* この博物館はハーパー・ボッシュ法で知られる空中窒素の岡定(いわゆ るアンモニアの合成)の工業化を達成したカール・ボッシュ(Carl Bosch, 1874-1940)の生涯と業績の緊張と成功の場面をドキュメントとして展示し た技術史博物館で1988年5月に開館した。 (図1) 5月28日友人シュミット夫妻の案内で博物館を訪ねた。フランクフルトよ り高速道路でおよそ1時間半走り,ハイデルベルクの山裾を登っていった。 丁度ハイデルベルク城の上あたりに位置する静かな場所に建っている。 門を入ると直ぐ庭の脇にアンモニア製造に用いた頑丈な鋼鉄製の反応管が 縦横に並べられていて訪問者を圧倒する。 (図2) ハーバー・ボッシュ法は非常な高圧と高温を要するため全く新しい技術の 開発と誕生があった。 ボッシュと彼のチームは1908年より1913年にわたって BASF 社で開発研 究にあたりアンモニア合成の工業化とともにコストに見合ったアンモニアか らの窒素肥料の生産にも成功し,農芸化学に一段の進歩をもたらした。 ボッシュの研究陣は150-200気圧,500度の反応条件下で,1911年1月には 1日25kg の生産が可能となっていた。 訪問者は最初の実験室での反応から巨大な工業スケーノレでのアンモニア の製造をこの展示からも追体験できるようにパネルやビデオも用意されてい る。 * (元) 大正製薬株式会社創薬研究所研究員 ( 138 ) カール・ボッシュ博物館の見学 実験室や作業所の模型さらには庭にある工業規模の装置から当時の化学や 研究の世界の様子が深く印象づけられる。 二階には主にボッシュが使用していた事務机や,彼が趣味としていた蝶々 やカブトムシの収集品が飾られていたり,また天文学にも多大の興味を持っ ていた関係で彼が使用していた天体望遠鏡も展示されていた。 ボッシュは後に BASF 杜の重役に就任し,さらに I.G. 染料工業の重役も 務めた。1931年にはノーベル化学賞に輝いた。 引退後はこのハイデルベルクの山中に余生を送っていた。 ハーバー・ボッシュ法の成功の鍵を握る重要なものとして触媒がある。こ の触媒を徹底的に追求したのがアルヴィン・ミッタシュ(Alwin Mittasch, 1869-1953)を長とした研究陣である。彼らは1912年初頭までに2500種の固 体触媒を使って6000回にも及ぶ実験を繰り返し最適の触媒を追求した。その 努力は並大抵ではない。したがって本博物館でも触媒について何らかの情報 の提供あるいは展示をしてその苦労に報いて欲しかった。 博物館の並びにイチョウ博物館(Museumam Ginko)が付属している。 ここは特別の催し物ができるようになっている。選ばれた科学や技術の展示 が交互に行われている。 博物館は閑静な場所にあるが交通の便が悪く,車で行くか,あるいはハイ デルベルクの駅からタクシーを利用することになり,この時は訪問客を一人 も見なかった。 博物館は10時から17時まで開館している。木曜日が休館日である。 ( 139 ) 図1 カール・ボッシュ博物館(パンフレットより) 図2 アンモニア製造に使用した反応管
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