ヒラリズム 6の5 マンローを読んだ 陽羅 義光 これは再読ではなく初めて

ヒラリズム
6の5
マンローを読んだ
陽羅
義光
これは再読ではなく初めて読んだのである。
しかもたまたま図書館で見つけて借りてきたものである。
想えばこの頃はそういう読書の仕方が多くなった。
なにせこの世の文学書の大半を読んでしまったので、図書
館でたまたま読んでいない本を見つけると、読んでいないと
いう理由だけで借りてくるのである。
アリス・マンローは1931年カナダ・オンタリオ州の田
舎 町 の 生 ま れ 、数 多 く の 権 威 あ る 文 学 賞 を 受 け 、
「短篇小説の
女王」とよばれている。
作家ジェーン・スマイリーは「マンローの作品は文字通り
完璧、どんな作家もその筆捌きの玄妙さ精密さにはぽかんと
見とれるしかない」と云っている。
わしはその「どんな作家」には入っていない、マンローを
読んでも、ぽかんと見とれたりしない、なぜならわしの筆捌
きの方が上手だから。
それにだいたい短篇に見とれる者なんかホントにいるのか
疑わしい。
典型的な短篇小説作家のマンロー自身がこう云っているの
である。
【短篇集はなんだか本の格が落ちるようでがっかりする。
短篇集の著者は文学の門の内側に安住している存在ではなく、
門にしがみついているだけのような気がする】
ぽかんと見とれたりしなくとも、それでも目からウロコは
落ちた気がする。
わ し ら が 読 ん で き た 日 本 の 短 篇 は 、あ る い は そ の 多 く は「 人
生の断面を切り取った作品」であったが、マンローの短篇は
「人生まるごと」というもので、だから読者は長編を読んだ
感慨を抱くのである。
何 編 か 読 ん だ 中 で 印 象 深 か っ た の は 『 Dimensions 』 と
『 Fiction』 で あ っ た 。
前 者 は 、精 神 を 病 ん だ 夫 に 三 人 の 子 供 を 殺 さ れ た 妻 が 、日 々
夫が収容されている精神病院に通う話で、その道すがら死に
そうな子供を助けるという(ディメンションの違う)結末に
なっている。
後者は、若い子連れの女に夫を取られた女が、後年はるか
に素晴らしい夫、魅力ある生活に恵まれるのだが、あの女の
幼かった子供が新進の女流作家になっていて、自分の昔のこ
とを書いて本にしていることを、あるときたまたま知り、そ
れ(フィクション)を読んで感慨に耽り、女流作家に会いに
行く話。
どちらも人生の良さ甘さではなく人生のほろ苦さを書いて
いる、しかもそれでも人生は面白いという、わざわざ書かれ
ていなくても、いわば氷山の底の見えない八割が感じられる
作品となっている。
短 篇 で も「 人 生 ま る ご と 」書 け る 力 量 は 、決 し て「 筆 捌 き 」
といったもんじゃなく、想像力とか洞察力とか透視力とかい
うものだと思うよ。