島 田 和 幸

140
日本医史学雑誌第52巻第1号 (2006)
﹁初学人身窮理﹂松山棟庵・森下岩
に早く出版されていたと推察し、○昌扇﹃の年齢から推
察して、二○歳前の書物であることから﹃初学人身窮
理﹂の著者として疑問をなげかけている。その後、三
浦による詳細な報告もないことから今回原本とはどの
様な吾であったのかについて調査を試みた。そこでま
ず、これまで原本だと考えられていたき言○.○匡寓閂
の著書である①農9日冒呂①固くのン愚目昌.望湧巨。喝↓
四二Q国望唱の口⑦、四・四頁①ロざ︻の局宜○○一.ン向四・①日房印.○○房、①のゞ
書の原本に関する疑問が述べられている。三浦は原著
と記載されている。三浦︵一九七四︶の報告の中に本
本書の凡例の中に原本は﹁亜国の大医カットル氏﹂
勺ゴ]巴○一○ぬご蝕昌・国旦唱⑦口①.p①の侭邑①・さ︻○○一庁的①.
検索を進めてみた。まず②最ン弓儲の目の①gシ目5口昌.
。昌扁Hの二冊の書にいきつき、それらの著書について
の年代の著書について検索を行ってみたところ。堅くヨ
妙己旦司四日匿閉趣:︵巨口宮口のC言洋巨⑦具展錘とについて目
者であるカットルに興味をいだき阿知波に教示を乞う
ンの四・四昌隅ゞ“ロロ甸閏昌房的言︵匡口亘口のC詳昂切巴について
月に慶応義塾出版から発刊された人体構造機能ならび
たところ﹁札幌農学校の生理学の教師として一八七八
同様な調査を行ってみると﹁初学人身窮理﹂の記載目
次、記載内容等を検討してみたが、全く異なっており、
年に来日し、一八八七年に帰国したき目○・○三蔚門で
次順や記載図に比較的多くの一致点を認める事が出来
に健康衛生概念について学童を対象に述べられた﹃初
ある﹂との回答であったと述べている。しかし、三浦
たが、ただ記述説明文等がかなり詳細に記載されてお
別の書であることが判明した。そこで、○昌房同姓のこ
は今回の書の初版本の出版年度から察して原本はさら
学人身窮理﹂の原本に関する調査結果である。
松山棟庵と森下岩楠の二名による翻訳で明治六年三
神経病学講座歯科応用解剖学分野
鹿児島大学大学院医歯学総合研究科
島田和幸
楠訳本のオリジナル本について
54
日本医史学雑誌第52巻第1号(2006)
141
@口ン冒異◎日冨弔匿房冒さ、雷四コ・国]四①ロの甸日⑦国ヨョ胃
こで、この書のダイジェスト版ともいえる③属国風冒昌
りかなりの箇所で原文と訳文との違いをも認めた。そ
物であることも判明した。
導医師として多くの学童達に医学教育を施していた人
○匡耳角氏は旨言。.○昌扁︻の父親にあたり、米国で伝
mg8厨四目厨日雲閉:︵匡弓曰8言勗段︶について同
様な検討を行ってみたところ記述文や図について全文
翻訳ではないにしても原文と訳文等では完全な一致を
見ることができた。さらに、同じカットル氏からの翻
訳本とされる伊藤正信訳述﹃喝氏初学人身窮理﹂東洋
館蔵版、明治一四年一二月出版と﹃初学人身窮理﹂に
ついてそれぞれ内容記載等を比較したところ訳語に少
しの違いは認められるもののその内容及び引用図等の
一致からこの二書が共に同じ原本からの訳本であるこ
とが判明した。そのことから、伊藤正信訳述﹃喝氏初
学人身窮理﹂東洋館蔵版書の例言の中に﹁フォルスト
ブック、オン、アナトミー、フヒショロジー、エンド、
ハイジン﹂による記述がなされていることや、各原本
との対比を総合的に見てみると﹃初学人身窮理﹂の原
本は③であると今回判定した。
さらに、今回の調査より札幌に来日した。巴量邑