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宋 元 版 禅 籍 研 究 (八) (椎 名 )
椎
名
宏
雄
集 中、 遺 存 唯 一の ﹃武 夷 新集 ﹄ (一〇〇 七年自序)巻 七 に 収 め
参 集 ﹄ と い う表 記 であ った ら し い。 そ れ は、 楊 億 の数 あ る文
ま ず、 道 原 が本 書 を 編 集 し た 際 の最 初 の書 名 は、 ﹃仏 祖 同
二
(二) 四 部 叢 刊 本 の テ キ ス トに関 す る 旧 稿 の 訂 正、 (三) 未 公 開 の
﹃萬 僧 問 答 景 徳 伝 燈 全 録﹄の紹 介、 と い う 三点 を記 述 し た い。
定 本 の形 式 的 構 成 を伝 え る ﹃大 中 祥 符 法 宝 録 ﹄所 説 の検 討、
こ のよ う な 現 況 に あ って、 本 稿 は紙 幅 の都 合 に よ り、(日)刊
究 は、 今 後 に期 せ ら れ て いる。
い ず れ も 個 別的 で あ って、 本 書 の成 立 や異 版 類 の総 合 的 な研
徳伝 燈録・ 万僧問答景徳伝 燈全録-
宋 元 版 禅 籍 研 究 (
八)
-景
古 来、 多 種 多 様 の異 版 を 有 す る ﹃景 徳 伝 燈 録 ﹄ 三〇 巻 は、
そ の禅 門 にお け る立 場 と影 響 力 に か ん が み て、 成 立 状 況 や 古
版 類 に関 す る研 究 が、 基 礎 的 な重 要 課 題 であ る こと は い う ま
でも な い。 成 立 状 況 に関 し て は、 道 原 が 編 集 し 上 進 (一〇〇
四) し た原 初 本 と、 楊 億 等 に よ る 刊 定 本、 さ ら に後 の 流 布
本、 と の三段 階 が あ る。 ま た、 古 版 類 に つい ては、 東 禅 寺 本
と開 元 寺 本 と の関 係、 四部 叢 刊 本 を含 む宋 元版 各 種 の検 討、
も っと も、 個 々の点 に つい て は、 近 年 来、 若 干 の研 究 が進
こに な ぜ ﹃仏祖 同参 集 ﹄ と い う書 名 が付 せ ら れ た のか、 ま た
る ﹁仏 祖 同参 集 序 ﹂ な る 一文 に よ って知 ら れ る。 た だ し、 こ
高麗 版 の位 置 づ け、 な ど が当 面 の課 題 であ ろ う。
め ら れ て いる。 す な わ ち、 刊 定 本 に つい ては、 思 想 的 背 景 と
この書 名 に つ いて は、 す で に石 井 氏 が、 本 序 文 と 楊 億 の
な ぜ楊 億 が序 文 を書 いた の か、 と いう 二 つ の問題 が あ る。
いう視 点 か ら解 明 を試 み た 石井 修 道 氏 の す ぐ れ た 研 究 が あ
り、 高 麗 版 に つ いて も 西 口芳 男 氏 の ユ ニー クな 論 致 が あ る。
筆 者 も ま た、 古 版 テキ ス トに関 す る 二、 三 の考 察 が あ る が、
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では な いか、 と推 定 さ れ て い る。 また、 道 原 と楊億 と の交 流
(教)と ﹁祖 ﹂ (禅)と の ﹁同 参 ﹂ (一致)を 述 べよ う と し た も の
﹁景 徳伝 燈 録 序 ﹂ と の此 較 な ど に より、 道 原 の原著 は ﹁仏﹂
確 実 で あ る。
細 な記 録 で あ る ﹃大 中祥 符 法 宝 録 ﹄ の記 載 で あ り、 も っとも
は、 北 宋 勅 版 蔵 経 への新 訳 経 や 東 土 撰 述 書 の入蔵 に関 す る詳
(一〇 二 )、本 書 は 詔 に よ り 待 望 の入 蔵 を は た す。 こ の年 時
注 目 す べ き は、 ﹃大 中 祥 符 法 宝 録 ﹄(二〇 一五)二 二巻 の編 纂
関 係 に つ いて は、 目 下 の と こ ろ文 証 は な いが、 ま だ ﹃仏 祖 同
が、 趙 安 仁 ・楊 億 ・僧 惟 浄等 であ った と いう事 実 であ る。 つ
参 集﹄ が成 立 し な か った 以 前 か ら、 何 ら か の交 渉 が あ った と
思 わ れ る ふ しが あ る。 こ の点 に つい て は、 いず れ く わ し く 検
ま り、 巻 二〇 の末 尾 に記載 さ れ る ﹃景 徳 伝 燈 録 ﹄ の収 録 祖 師
か ら記 載 し た と み て誤 り な い であ ろ う。
数 など の記 事 は、 楊 億等 が 刊定 し た 同 書 の内 容 を、 か れ みず
討 を く わ えた い。
と もあ れ、 楊 億 は ﹃仏 祖 同 参 集 ﹄ に序 文 を付 し た。 文中、
印 刻 流 布 に関 す る言 辞 は み ら れ ぬか ら、 こ の序 は刊 行 を前 提
を 整 理 す る と、 一七 五 五名 に のぼ る。 この約 五〇 名 の差 は、
こん に ち み られ る、東 禅寺 版 大 蔵 経 本 以 下 の各 テ キ スト に
主 と し て雪 峯 下 第 七 世-第 二 世 の部 分 にあ る。 す な わ ち、
よ れば、 高 麗 版 を 例 外 と し て、 ﹃景 徳 伝 燈録 ﹄ 全 巻 の収 録 者
こう し て、上 進 さ れ た本 書 は、 国 家 によ る 検定 を受 け る。
今 本 の テ キ スト でも、 青 原 下 の七 世 以 下、 特 に法 眼 宗 の人 々
と し たも の では な く、 上 進 のた め の付 序 であ った のか も し れ
これ が楊 億 等 に よ る刊 定 であ った。 刊定 と は、 文 の冗 長 を け
に関 す る分 量 の豊 か さ と いう 傾 向 が、 刊 定 本 にあ って は 一層
な い。 本 書 の上 進 は、 詔勅 に よ る入 蔵 を 意 図 す る も の であ っ
ず り、 句 義 を定 め る こと を いう。 ﹁景 徳 伝 燈 録 序 ﹂ に ょれ ば、
い ち じ る し か った こと を 知 る。
数 は、 ほ ぼ 一七 〇 一名 で あ る。 し か る に、 ﹃法 宝 録﹄ の 記 載
こ の刊定 は采 纈 と附 益、 す な わ ち 添 削 を く わ え た こと を、 楊
た か ち、序 のほ か に上 進 書 が付 せ ら れ て いた は ず で あ る。
億 み ず か ら が明 記 し て い る。 か な り 大巾 な添 削 だ った の であ
か く て、 装 いを 新 た に し た ﹃景 徳伝 燈 録﹄ 三〇 巻 が完 成 し
つた に相 違 な い。 該 書 は、 後 に 京都 法 成 寺 の火 災 によ り、 勅
巻 ﹂ こそ は、 この刊定 本 の体 載 を 印 刻 した 本 書 の最 古 版 であ
行 処、 印 経 院 か ら 賜 つた新 訳 入 蔵 書 中 の ﹁景 徳 伝 燈 録 三 十 三
あ た かも、 わが 齎 然 が熈 寧 六年 (一〇七 三)に開 封 の蔵 経 刊
た。 本 文 中 に みえ る最 新 の記 事 は 大中 祥 符 元年 (一〇 〇八) の
ろ う。
も の であり、 各 異 本 に共 通 す る。 し た が って、 刊 定 の 完 成
版 蔵 経 す べ て と とも に烏 有 に 帰 し てし ま った。
名)
は、 この ころ と み てよ い。 そ し て、 三 年 後 の 大 中 祥 符 四 年
宋 元 版禅 籍 研 究 (八) (椎
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宋 元 版禅 籍 研究 (八) (椎
三
名)
こう し て、 ﹃景 徳 伝 燈 録 ﹄ は、 福 州 版 大 蔵 経 本 か ら、 テキ
し、 こ の宋 版 ﹃新唐 書 ﹄ が 嘉 祐 年 間 の刊 本 とさ れ て いた た め
に、 同 時 期 ご ろ の刊 本 と 推定 し た の であ り、 ま た、 (二
) は欠 筆
し か る に、 そ の後、 当 該 の ﹃新 唐 書 ﹄ が 実 は 南宋 の紹 興 七
文字 に 基 づ く 推 論 であ った。
年 ご ろ の刊本 であ る こと が、 書 誌 学 の専 門 家 であ る 尾崎 康 氏
スト と し て の新 し い段 階 に 入 る。 も っとも、 そ れ ま で の間 に
相 つぐ 禅 録 の入蔵 や、 ﹃祖 源 通 録 ﹄ 二四 巻 ﹃宗 門 統 要 ﹄ 一〇
に よ って論 証 さ れ た ので あ る。 氏 は、 四 部 本 の ﹃景 徳 伝 燈
思 竪 刻 本、 (二) は南 宋 前 期 の刊 本、 と 結 論 づ け ら れ て い る。
た し か に、 四部 本 の (日) の部 分 は、 東 禅 寺 版 蔵 経 本 に 近 く、
録 ﹄ に も詳 細 な検 討 を く わ え、 (日) は紹 興 四 年 (二 三四) の釈
こ こ では、 四部 叢 刊 本 の テ キ スト に つい て のみ 述 べよ う。
収 録 人 数 だ け の単 純 比 較 か ら も、 前 述 の楊 億 刊 定 本 と は大 差
う。 遺 存 テ キ ス ト の少 い北 宋 期 は、 禅 録 の流 動 期 であ った。
いた ず ら に宋 版 と し て無 批 判 に用 い る 者 が 後 を 断 た ず、 ま
があ る。 嘉 祐 と い う東 禅 寺 版 以前 の年 号 に は、 大 き な疑 問 が
巻 など の重 要 な禅 叢書 の成 立 を み、 互 い に影 響 を お よ ぼ し合
きな いか ら で あ る。
生 ず る ゆえ ん であ る。 かく し て、 四部 本 の(日
) と (二) は、 尾 崎 氏
た、 筆 者 の誤 った旧 稿 が そ のま ま 引 用 さ れ る責 任 上、 看 過 で
四部 本 は、 五 種 類 の混 合 本 であ る。 これ を種 別 に 示 す と、
巻 四-九、 二 二-三〇
の論 証 に基 づ き、 右 の ご とく 訂 正 し て お く。 た だ、 (葺) の部 分
を 氏 が 宋 版 とす る の に は同 調 し難 く、 旧稿 の と おり 延 祐 三年
(一)
巻 一〇-二
つぎ のと う り であ る。
(二)
巻 二-三
延 祐 三年 (二一
二 六)刊 本 の謄 写
を実 地調 査 さ れ た 阿部 隆 一氏 に よ る調 査 報 告 に よ って、 は じ
﹃留 真 譜 ﹄ (一九〇 一年序刊) に巻 五 の巻 首 一葉 が 影 砂 で 掲 載
四
よ り後 の版 と し て おく。
(三)
﹃萬 僧 問 答 景 徳 伝 燈 全 録 ﹄ な る書 に つ い て は、 楊 守 敬 の
紹 興 四年 (二 三四)刊本
(酉)
巻 一八 (第二-八、 一一-一九紙 のみ)
至 正 二 五年 (一三六五)刊 本
さ れ、そ の原 本 の存 在 を知 ら し め て いた。し か し、当 該 原 本 が
南宋前期 刊本
(茸) 楊 億 の序、 西来 年 表、 巻 一
延 祐 三年 以 後 の刊 本
旧 稿 では、 (一
) を嘉 祐 (一〇 五六-六三)頃 の刊 本、 (二) を治 平
台 北 の国 立故 宮博 物 院 に楊 氏観 海 堂 本 と し て所 蔵 さ れ、 これ
一
四年 (一〇六七) 以後 の刊 本、 と し た。 そ の 主 た る 理 由 は、
(日) の刻 工 名 が静 嘉 堂 文 庫 に 所 蔵 す る ﹃新 唐 書 ﹄ のそ れ と共 通
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れ る。 序 践 や 年 記 の部 分 を 欠 く た め、 刊 時 も状 況 も 不明 で あ
にす ぎ な いが、 元 来 は ﹃景 徳 伝 燈 録﹄ の異 版 な る こと が知 ら
これ ら に よれ ば、 故 宮 本 は 巻 一-二、 巻 五-六 の零 本 二冊
駒 沢 大 学 図 書 館 に は本 書 の影 写 が 蔵 さ れ、研究 を 容 易 にす る。
め て本 書 の書 誌 的 な 内 容 が 世 に 知 ら れ る に い た った。 現 在、
学道 者 た ち を よ ろ こば せ た こ と であ ろ う。
あ る。 一二
く、 こ の浩 潮 な禅 録 を 読 みや す く す るた め の、 苦 心 の組 版 で
よ る拮 提 や著 語 の部 分 は 細 字 に刻 さ れ て い る。 い う ま で も な
問答 体、 年 代的 記 事、 偶 頗、 な ど が 細 か く 改 行 さ れ、 後 人 に
ルの ﹁
萬 僧 問答 ﹂ が 示 し て い る。 す なわ ち、 本 書 の組 版 は、
・五 m×二 二 ・二 mの小 型 本 は、 さ ぞ か し江 湖 の
る が、 故 宮 も 阿 部 氏 も、 これ を 元版 と す る。 注 目 す べ き は、
お け る常 熟 の蔵 書 家、 趙 用 賢 の ﹃趙 定 宇 書 目 ﹄ 中、 元 板 書 の
本 書 に関 説 す る古 記 録 は、 意 外 に少 な い。 わ ず か に明 末 に
福 州東禅 寺慧空 大師蔵 本/古沐景徳道 原大師纂 集/古建香山円智
項 目 に ﹁萬 僧 全 録﹂ な る記 載 が み ら れ る。 一方、 近 代 の ﹃北
各 巻 首 の内 題 に つづ い て刻 さ れ る次 の 三行 で あ る。.
居士抄刊
平 図 書 館 善 本 書 目 ﹄ の 釈 家 類 に は、 巻 七-二
ま た、 本 書 の明 代 再刻 を 否定 す る も の では な い が、 ﹃趙 定 宇
況 は 不明 で あ る。 か く て、 北 平 本 の出 現 を また ねば な ら ず、
に つ いて は、 両 者 は 別 本 と み ら れ、 し か も、 北 平 本 の現 存 状
在、 台 北 の故 宮 博 物 院 に所 蔵 さ れ て い るが、 当 該 の ﹃全 録 ﹄
い った い、 か って の北 平 図書 館 所 蔵 の善 本 類 の多 く は、 現
〇、 計 一〇 巻 の本 書 遺存 を 著 録 し、 明 刻 本 と 明 記 す る。
一、一七-二
この 三行 の意 味 は、 北宋 の景徳 年 間 に道 原 が纂 集 し た ﹃景
徳 伝 燈 録 ﹄ の、福 州 東禅 寺 の慧 空 大師 が 所 蔵 し て いた 本 を底
本 と し て、 福 建 香 山 の円智 居 士 が筆 写 し、 こ れ を刊 行 した と
い う こと で あ ろ う。
寺 住 持、 慧 空 大 師 沖 真 そ の人 であ り、 こ の大 蔵 の完 雛 ま で、
書 目﹄ の記 載 な ど か ら み て、 北 平 本 が 明 刻 と す る の に 対 し
慧 空 大 師 と は、東 禅 寺 版 大蔵 経 の出 版 開 始 時 に おけ る東 禅
終 始 に わ た り前 都 勧 首 と いう最 高責 任 者 の地 位 に あ った 高 徳
て は、 疑 問 を 呈 し て お きた い。
と も あ れ、 こ の ﹃全 録 ﹄ の出 現 に より、 ﹃景 徳 伝 燈 録 ﹄ の
で あ る。 あた か も、 東 禅寺 大蔵 の最 初 の 開 版 は、 元 豊 三 年
元 版 と し て は 従来 未 知 の 一本 が 加 わ り、 合 計 五本 を数 え る に
(一〇 八○) の ﹃景 徳 伝 燈 録 ﹄ であ つた。 し た が って、 慧 空 大
師 所 蔵 本 と は、 この元 豊 版 に ほか な ら ぬ で あ ろ う。 た し か
いた った。 も って、 そ の流 行 の ほ どを 知 る べ き で あ る。 (
注
(駒沢大学講師)
に、こ の故 宮 本 は 方 冊 で半葉 二 行 な が ら、本 文 の文 字 一七 行
略)
の形 式 は蔵 経 の体 裁 を も ち、 内 容 的 に も 元豊 版 に 一致 す る。
名)
と ころ で、 本 書 の テ キ スト と し て の性 格 は、 特 異 な タ イ ト
宋 元版 禅 籍 研 究 (八) (椎
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