小樽あんかけ焼そばにみる 郷土料理と社会の共進化構造;pdf

小樽あんかけ焼そばにみる
郷土料理と社会のガラパゴス化
小樽商科大学地域経済研究部
小樽にとってあんかけ焼そばは、いわば外来種であり、急速に成長した町の中に持ち込まれ、繁栄の中
で普及する。しかし、その後、町が急速に衰退したため、外部からの新しい料理によって駆逐されること
なく、「市民がいつの間に食べている料理」として今なお小樽市内には100店を超える提供店がある。
相互作用子の進化
環境要因
小樽
外食事情
全体環境
明治初年
高級旅館・料亭の成立
遊郭の形成
道開拓の玄関
政府要人の接待
開拓民の流入
開国・殖産興業
明治末
ホテルの乱立
競争の激化
餅屋の繁盛
資源の積み出し港
貿易港
日露戦争
樺太貿易の本格化
大富豪の登場
第1次世界大戦
移入食文化
の基盤形成
大正期
料亭文化の開花
ぱんじゅう・中花まんじゅう
昭和初期
中央からの料理人の招聘
和洋中の普及
異なる複製子
の進入
昭和20年代
あんかけ焼そばの登場
米軍の進駐
キャバレーの隆盛
第2次世界大戦
樺太の喪失
赤線の廃止
デパート文化の隆盛
カフェ・純喫茶の急増
群来の消滅
小樽市人口最大
(昭47:22万人)
石炭から石油へのエ
ネルギー転換
港湾事業の衰退
関連産業の減少
高度経済成長の終焉
ロール、来来軒
昭和30年代 梅月の移転
主催 五十番菜館・桂苑開店
昭和40年代 料理研究会
あんかけ焼そばの普及
移入の減少・ガラパゴス化
真寿
昭和50年代
昭和60年代
-平成5年
平成22年
料亭・キャバレーの消滅
梅月廃業
寿司屋通り誕生
小樽=寿司のブランド化
デパートの消滅・
商店街・市場の衰退
運河整備
小樽あんかけ焼そば
親衛隊誕生
人口の急激な減少
観光都市宣言
まちおこしブーム