展示品の概要(PDF:319KB)

展示内容
①
①「米品評意見書」明治 15 年(1882)3 月 31 日
明治 15 年 2 月から 3 月 30 日まで、米麦外 3 品
共進会(品評会)が東京上野で開催されました。県内
からは 1,652 人が出品しましたが、受賞したのは 1
割に満たず、近江国は「中等部ノ上品」という評価に
とどまりました。甲賀郡を除けば、調整・乾燥が不十
分で、その改善は「近江国人民ノ急務」だと指摘され
ています。同会では「江州の掃き寄せ米」と酷評され
たともいわれ、米質に自信をもっていた県内の生産者
に大きな衝撃を与えました。
【明た 32(84)
】
②
②「米質改良組合の結成」
大正期
明治 21 年 7 月、近江米の品質低下を憂慮
する勧業委員・堀井新治郎らの提言を受け
て、全国でも例外的に制裁規定をもった米質
改良組合が結成されます。その後、同組合の
取り組みにより、近江米の品質は大幅に向上
することになります。他県から規約書の請求
や視察員の派遣も相次ぎ、全国で同様の組合
が生まれました。
③「渡船から滋賀渡船へ」
明治 32 年(1899)4 月
【大ふ 7(28)
】
③
明治 28 年 4 月には、滋賀郡膳所村(現大津市)に農事試
験場が設立され、稲の品種改良が大きく進みました。大正期
に同試験場で生まれた「滋賀渡船」は、本史料に見られる「渡
船」を品種改良した酒造好適米です。酒米として著名な山田
錦の親系統にあたり、一時は県内全域で生産されていました。
昭和 34 年に生産が中止され、長らく「幻の酒米」として文
献に残るだけの存在でしたが、平成 16 年に県が品種保存し
ていた種子から復活を果たしています。
(滋賀県蔵)
④「酒蔵の広告」
昭和 14 年(1939)9 月
『滋賀県商工人名録』に掲載されている広告。
④
藤居本家酒造(愛知郡愛知川町)の「旭日」や、
大星岡村本家(愛知郡日枝村)の「金亀」など、
現在も製造されている銘柄が確認できます。また
本書では、西川仁右衛門吟醸(高島郡今津町)の
「日之出正宗」や、桑原酒造店(高島郡新儀村)
の「若恵比寿」など、廃業を余儀なくされた酒蔵
の銘柄も見ることができます。 【行政資料 511】